2026/03/23

宇土半島の海岸散策(4)

2026年3月11日(水)


Img_12251a 昨日は予想より歩きすぎ、14,000歩も歩いてしまった。今日は元々ゆっくり行動する予定だったので、10時ギリギリにホテルをチェックアウトする。キャリーバッグは駅のコインロッカーに入れ、熊本駅から熊本電鉄の菊池行きのバスに乗る。せっかく来たので、熊本電鉄くらいは撮っていこう。熊本電鉄のバスは、低い、でかい。普通の低床車(M尺?)のはずだが、座席配置のせいなのか、それとも岡電のK尺バスに乗り慣れているせいか、低床スペースがすごく広く感じる。坪井で下車、クレジットカードのタッチ決済にも慣れた。

 

熊本駅前から乗るこのコースは、水道町までほとんど市電と併走する。車内から見る熊本市電は、線路状態が良い。最近はどこでも路面電車には市が力を入れて、公設民営としているところも多い。熊本は市電なので、市が力を入れるのは当然か。岡山の路面電車は、線路状態が悪い。市が補助しようとすると市議会で、「一企業に補助を出すのはいかがなものか」とクレームが付く。何も持っていない人=歩くだけの人を軽視する姿勢だから、車のマナーも悪いし(横断歩道で止まらない)、岡山市は車社会からの移行が出来ないのだ。


Img_12341a さて坪井のバス停で降りて少し車道と直角方向に歩くと、熊本電鉄名物の併用軌道区間にでる。実際は併用軌道は認められていないので、道路の端に造られた線路+踏切、ということになっているのだろう。線路上は舗装されておらず通行しないようになっているが、歩行者は平気で渡れる。

 

しばらく待っていると、上りの藤崎宮前行きがやってきた。元静岡鉄道の1000型である。大手私鉄は最近はほとんど20m車になったので、18m車の出物を探すのも大変なようだ。


 さて次はどうしようかと思ったが、このあたりは待つような場所もないので、北熊本まで行ってみることにする。バスは概ね30分に1本であるが、時間帯によっては1時間近く間が開く。北熊本では、入場券を買って構内に入る。青ガエルは静態保存で健在。ホームに出ていたら、ピンクの0001_20260323145601くまモン編成が御代志行きとなってやってきた。これは御代志からの折り返しを併用軌道区間で待っていたら撮れるが、帰りの新幹線の時刻と計算して、ちょっと危険だと思ってあきらめる。「さくら」は混んでいるので、乗車変更を当てにしても不可能の場合があるのだ。

 

桜町バスセンター行きのバスを2本見送って、熊本駅前行きのバスを捕まえて熊本駅まで戻り、昼食は太平燕。この太平燕、熊本の名物になっているが、小生の高校時代にはまだなかった。珪花ラーメンはもうちょっと食べられなくなってきたので、最近はもっぱら太平燕である。これも塩分制限の身にはイエローカードが出るのだが、たまだから目をつぶっている。


Img_12361a ドーナツ屋でコーヒーを飲みながら過ごし、予定通りの「さくら」で帰岡した。お茶だけ買って乗り、車内で食べたうと餅はうまかった。
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2026/03/20

宇土半島の海岸散策(3)

2026年3月10日(火)(つづき)


Dscn45931a 松橋で降りたのが60年ぶりだったが、宇土も似たようなものである。宇土は三角線に乗る度に通過していたが、降りることはほとんどなかった。

 

宇土の旧市街地は城下町できれいな街だが、駅とは離れている。と言うより、九州鉄道の宇土駅が市街地から離れたところにできた、と言った方が良いだろう。宇土駅は三角線との分岐で、計画時は三角行きが本線、八代行きが支線だった。そしてこの三角線の位置も、三角線より先に出来た三角港連絡道路の位置が影響している。この道路が市街地の北の外れで国道3号線(旧道)から分岐し、一直線に三角を目指した。三角線の建設時に、当時の感覚としては広すぎた道路の一部を線路敷きに転用したため、三角線は三角港連絡道路(現在の国道57号線)と並行しているのだ。なおこの三角港連絡道路は、集落とは関係なく一直線に三角を目指したため、三角線も網田までは、肥後長浜付近を除いて、ほとんど直線である。


Dscn45911a さてこの宇土駅、駅本屋は駅の西側、つまり三角線側にあった。そして「宇土駅前」バス停も当然駅本屋側である。現在は橋上駅舎になって反対側にも出口が出来、国道3号線(新道)が通っているせいもあってそちら側に大きいショッピングセンターもある。だがバス停は相変わらず西側のようだ。

 

宇土の駅前には、かつて「宇土餅」と「小袖餅」の2つの餅屋さんがあった。列車の停車時には、「うともち、うともち、こそでもち」と呼びかける駅売りもあった。どうなっているかと思ったら駅正面のヤマザキの店が、宇土餅の幟を掲げていたので、思わず買ってしまった。60年ぶりの宇土餅である。これは翌日の新幹線の中で食べたが、昔と同じ味だった。ヤマザキの店にはイートインコーナーもあったので、コーヒーを飲んで休む。

 

三角線の発車時刻が近づき、宇土駅に戻る。やってきたのはキハ220の2連、それもバス用の大型方向幕を付けた200番台だ。キハ47だとばかり思ってカメラをしまい込んでいたため、写真を撮り損なった。交換する列車もキハ200系のようだし、三角線はキハ200系に統一されたか?住吉で下車。住吉行きの切符を運転士に渡す。


Img_12161a 隣の長浜も住吉も、東海道線に同名駅のある駅だが、長浜には区別のための「肥後」が付いているのに、住吉には付いていない。調べてみたら、東海道線の住吉が開業したのは1874年、三角線の住吉が開業したのは1899年。東海道線の方が古いが、開業当時は東海道線は官鉄だったのに対し、三角線は九州鉄道だった。その後九州鉄道が国有化されたときに駅名の見直しが行われたと思うのだが、見落としたようだ。一方肥後長浜の方は開業が遅く、1931年で国有化以降である。そのためにこちらは「肥後」が付いたのだ。

 

今日の目的地のもう一つは、長部田海床路(ながべたかいしょうろ)というところである。元々はかなり昔、小生の子供時代にはあったところであるが、昔潮が引いたときに地盤の良いところを選んで作業用のトラックが海の中に乗り入れていた。そのうち乗り入れる道をきちんと整備するようになり、そのまたそのうちにその道が舗装された。そのため、単に潮が引いたときに乗り入れた道が、潮が満ちたら海の中に消える道路になってしまった。道には街灯も付き、潮が満ちると街灯だけが海の上に出るという、幻想的な光景が広がることになった。今日は潮の具合が悪いので、撮影すると言うより、撮影可能かどうかの場所探しである。三角線とその海床路の街灯を一緒に入れる構図が可能かどうかだ。

 

このあたりは宇土半島の北側の付け根で、先に行った旧不知火町は南側の付け根に当たる。宇土半島を、遠回りして横断した形だ。宇土半島の南側は不知火海、北側は有明海でどちらも遠浅だ。
Img_12081a 住吉駅から、国道57号線をひたすら歩く。海床路までは20分弱で着くが、そこの写真を撮ろうとすると、さらにその先である。最近歩く距離が減っているので、長時間歩くのは堪える。一応見える場所には着いたが、この位置からだと、三角線が遠い。幸い三角線の車両は目だつ赤なので多少小さくてもかまわないが、ちょっと小さすぎる。線路の山側に全体を見晴らせる場所があれば良いのだが、そんなものはない。今度潮と条件を合わせて、一度チャレンジしてみるか。

 

なお撮影ポイント近くに、三角北線のバス停がある。これは使えると思って時刻を見たら、3時間に1本である。国道57号線にはバス自体は天草快速が30分に1本は走っているのだが、このあたりには止まらない。路線バスの凋落は、北線の方がもっと激しかった。

 

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帰りは国道57号線の三角線側を歩いたが、線路をよく見ると、レールの継ぎ目が支え継ぎである。レールのつなぎ方には、継ぎ目の下に枕木を入れる支え継ぎと、入れない掛け継ぎとがあるが、支え継ぎの方が安全性、耐久性にすぐれているものの、手間もお金もかかるため、支え継ぎを採用していたのは乙線以上だった。三角線は丙線で、昔は掛け継ぎだった。元は簡易線だった可部線の延長区間も支え継ぎだったし、調べてみたら、最近は支え継ぎを標準としているようだ。線路水準の底上げをするのは素晴らしいことだが、線路維持のハードルも上がる。住吉駅までまた30分以上歩いて戻り、夕食はジョイフル。ここはおそらく、三角線沿線唯一のファミレスではないか。夕食後またキハ220の三角線で熊本に戻った。

 

熊本泊
つづく

2026/03/19

宇土半島の海岸散策(2)

2026年3月10日(火)


Img_11781a ホテルは熊本駅前で、ホテルの部屋がトレインビューならぬトラムビューのポイントである。平日の朝とあって、電車の本数も多い。意外と熊本駅前折り返しが少ない。現在のトラムは冷房は必須なので、屋根の上は賑やかだ。バスも通るが、産交バスの屋根に登録番号(ナンバープレートの番号)が書いてあるのに気がついた。西鉄バスには書いてあるのだが、産交バスも始めたようだ。


今日の行き先は、10時くらいの電車で出かけた方が潮の具合は良いのだが、バスが2時間に1本なので(あるだけマシ)、帰りのバスまで2時間待つことになる。おそらく何もない場所なので、体力を考えて待ち時間を減らしたスケジュールにする。電車は12時過ぎなので、しばらくはゆっくり部屋で読書である。お昼前にホテルを出発、昼食は駅ビルのモスバーガーに入る。岡山の行動半径からモスバーガーが消えたため、モスは久しぶりだ。

 

鹿児島線八代行きの各停は817系2連、元はクロス/ロングの両用車だが、現在はロングシートに固定である。当然ワンマン。鹿児島線の熊本ー宇土間は、昔の駅間に1駅ずつ駅が増えたため、駅の増設がなかった宇Dscn45901a

土-松橋間は駅間をすごく長く感じる。かつての駅間は、C57やC60が7,8両の客車を引っ張ってちょうど良いくらいの駅間だった。


宇土も松橋も、かつては駅本屋側に1面、交換用に島式1面2線と、標準的な配置だった。それがどちらも橋上駅舎になり、ホームも島式1面2線に縮小されている。ポイントというメンテの手間と、故障や事故の危険性のあるものは、極力廃しているのだろう。最も宇土にはかつての特急待避の名残の、ホームのない通過線があるが。

 

松橋駅で降りる。この前松橋で降りたのは50年以上前(おそらく60年前)になるので、かつては駅本屋がどっちを向いていたのかは記憶がない。旧ホームの残骸から見て、現在のバスターミナルは旧本屋側であろう。

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松橋からバスに乗る。三角行きで、かつては三角南線(57号線経由が北線)と言ったものだ。その頃は熊本(辛島町)始発だったが、現在は松橋駅始発である。2時間に1本しかないが、小生が小学生の頃も、やはり2時間に1本くらいだった。ただ現在は、日曜日には全く運行されておらず、知らずに来るとひどい目に遭う(ひどい目に遭った(;_;))。この南線側、現在は国道266号線だが、岬と岬の間の入り江に古くからの集落があり、そこを抜けていくルートなので、かつては狭い集落の間を通っていて、離合できない道も多かった。それが集落の入口あたりに新道ができたところも多く、バスは新道を走っていた。現在はさらに海側に直線のバイパスができ、九州高速道路に入るには便利なため交通量も増えたが、バスはバイパスは通らないはずだ。

 

バスは中型ロングか。始発の松橋駅で乗り込んだのは小生一人。途中の宇城市役所前あたりでもう1人乗る。結局小生が降りるまではこの二人で、路線バスがどんどん廃止されるわけもわかる。

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目的地永尾で下車、「ながお」ではなく、「えいのお」と読む。行政的には、旧不知火町である。現在は、始発の松橋駅も、途中の経由地も、終点の三角も、全部宇城市である。平成の大合併以降、市名を聞いてもどこがどこやらわか

らないことが増えた。

 

熊本市内のバスはSuica、ICOCAと言った全国ICカードが使えなくなり、その代わりにタッチ式のクレジットカードが使えるようになったが、この路線でも使えた。なお車両の所属は、昔と変わらず三角営業所である。


バスを降りたところに、目的地の永尾神社がある。ただしこちらは裏参道で、表参道は海である。そう、海の中が表参道なので、海中に鳥居が立っているの

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だ。神社本殿の脇を抜け、表参道の階段を少し降りる。写真にはもう少し潮が高い方が良いが、鳥居が海中のにある時間帯に間に合った。なお正しい参拝方法は、引き潮の時に鳥居をくぐって参道を登ってくるのだそうだ。ここの

神社の主祭神は、「わだつみさま」と言う海の神様である。

 

このあたりは不知火町と言うとおり、不知火の本場である。不知火の伝説は景行天皇の熊襲征伐記にまつわるものだが、不知火に導かれて上陸したとされる地点は、宇土半島の先端を回った宇土市と旧三角町の境あたりにある(御輿来海岸)。天草の方でも、景行天皇の伝説には事欠かない。

 

 

正式な作法ではないが一応お参りし、引き上げる。帰りのバスでも乗客はもう1名、旧三角町内の方は病院などを回るので、もう少し乗客が多いのかもしれない。


Img_11921a 松橋駅から、今度は宇土まで乗る。松橋(まつばせ)にしろ宇土(うと=濁らない)にしろ、地元の人は気がつかないが、実は難読駅である。松橋は1面の島式ホームになったことはすでに書いたが、かつての1番ホーム(=改札口直結)の残骸が見える。島式1面に改造されたのはJR九州になった後なので、かつてのホームには、電化の時にホームをかさ上げした跡がある。やってきたのは821系3連、なんと鳥栖行きだ。SL時代の各駅停車はの上りは、熊本止まりを除けば門司港行きか鳥栖行きだった。電車になっても鳥栖行きの各停があるのはうれしい。なお3連でもワンマンである。ラッシュ時でなければ、3連がワンマンでも良いのだ。

 

宇土で下車する。このあたりはSUGOCAの範囲だ。

 

つづく

2026/03/17

宇土半島の海岸散策(1)

このところ、東京からSOSが来る度に急遽上京することが続いている。急遽と言っても今日の明日ではホテルなど取れるわけもないので(帝国ホテルクラスなら話は別だが)、SOSが来そうなタイミングで事前に行きつけのビジネスホテルを予約しておく。そして来ないようだったら、キャンセル料がかかり始めるタイミングでキャンセルする。まるで「泊まる、泊まる」詐欺だが、3回に1回くらいは本当に宿泊しているので、まあ良いだろう。

 

3月10日頃も危ないと思っていたところだったが何とかなりそうだったので、今度はキャンセルではなく、行き先を熊本に切り替えた。熊本県の不知火町(現在は宇城市)に、行ってみたいところがあったのだ。熊本のホテルは急遽手配したので、空いているのは月曜日から。珍しく月曜日の出発になったが、その日は耳鼻科に行く日だ。ただ熊本は2時間半で着き、初日は移動だけの予定なので耳鼻科に行って昼食を採り、午後の便で出発することにした。

 

 

2026年3月9日(月)


Img_11321a 天気、晴。昨日は最高気温11℃とかなり寒かったが、今日は13℃まで上がることになっている。春先は気温の変化が大きく、旅行するときは荷物が増える。今日は初めて岡山駅のさんすて口から入場した。岡山駅の地下街はエスカレーターの前に5段ほどの階段があり、荷物を持って上がるのは苦労する。唯一このコースは階段にスロープがあり、階段無しで新幹線改札まで行けるのだ。前回来たときは自動改札機の紙切符投入口が閉鎖されていたが、一時的なトラブルだったようだ。

 

隣のホームに、ハローキティ500が来る。500系のハローキティ編成も、この3月のダイヤ改正以降は不定期運航になり、夏頃には廃止だ。一応記念に写真を撮っておく。

 

今日の「さくら」は窓側が取れず、通路側のB席である。車内で食事をするときは断然窓側が良いが、今日はそこまでの差はない。心配事は荷物棚(いわゆる網棚)の混み具合だが、幸い空いていた。キャリーバッグを買い換えたときに10cm長く(走行状態では高く)なったが、そのために荷物棚では横にしないとはみ出すようになってしまった。これは荷物棚の専有面積ではかなりの差になる。ちなみの、今日の隣の席(A席)のお客さんは小倉まで、その後小倉ー博多、博多ー熊本以南と、ずっと席は埋まっていた。


Img_12671a 乗ったのは最後尾の8号車だったが、やはり揺れる。特にトンネル区間がひどい。新幹線車両は元々トンネル内では揺れるのだが、N700系は700系に比べるとずいぶんトンネル内の揺れは収まった。それでも最後尾になると、揺れは大きい。尾翼の付けられない鉄道車両の宿命ではあるのだが。700系レールスターがひかりレールスタートして走っていた頃の揺れはひどかった。揺れに弱い二男は、一度乗って「2度と乗らない」と言っていた。

 

熊本について巨大くまモンの出迎えを受け、ドーナツ屋でおやつ。その後ホテルにチェックインし、少し休憩した後、夕食のために市電で新市街に向かった。相変わらず市電は混んでいる。乗ったのは1200型だが、これは1958年製で、まだワンマン改造前の200型だったが、小生が高校生の頃よく乗っていた車両である。製造年から見ると岡電の7001型よりも10年以上古いのだが、保守が良いのか古さを感じさせない。

 

車内の広告放送で中国語での広告があったのには驚いた。ところが今度は新市街で、中国語での呼び込みに出くわした。観光客かビジネス客かはわからないが、かなり中国人客が多いのは事実である。


Dscn45891a 新市街から下通に抜けるアーケードは、当然のことながら自転車走行禁止である。また熊本駅の駅前広場も、走行禁止である。どちらもきちんと守られ、自転車の方たちは押して歩いている。どうやればこう徹底できるのか、自転車が我が物顔に走っている岡山の駅前広場を見ると(一応自転車走行禁止になっている。ほとんどの方は知らないが)ため息が出てくる。

 

久しぶりに、やよい軒での夕食。

 

熊本泊。
つづく

2026/02/24

門司撮影記

2026年2月17日(火)


Img_10201a 今日から3日間、門司港でゆっくり過ごすつもりだが、まだホテルのチェックインには少し時間があるので、門司で撮影することにした。まずはネットの地図で当たりを付けた、駅の外の場所からである。今回の荷物は、迷った末に結局キャリバッグ+リュックになったが、せめてキャリーバッグは駅に置いていきたい。コインロッカーはあるにはあったが、100円玉専用である。キャリーバッグの入るロッカーは700円、100円玉5枚は用意してきたが、さすがに7枚はない。まわりに両替できそうなものもないし、仕方なくキャリバッグを引きずっていくことになった。ところが、目星を付けた場所は横からだと草が茂って、ススキの中から列車が顔を出す感じになる。「関門トンネルの出口」という写真を撮りたかったのだが、これではダメで、結局駅に戻ることになった。
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門司駅は、ホームの端から関門トンネルの入口が見える。カメラを構えてみたが、ズームを最大の130mmまで伸ばしてもちょっと遠い。今回は荷物を軽くするため、300mmは持ってこなかったのだ。まだ草が邪魔だが、長玉で狙える場所ではある。ここで撮ることにする。

 

隣のホームから、415系下関行きが出発する。関門間をゆく旅客列車は、このシャトルトレインだけになってしまった。小生の記憶にある関門トンネルは、各駅停車だけでも小郡行きの421系の他、山陰線から気動車も乗り入れていた。当然優等列車は頻繁に来る。遙か50年以上前の話である。


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門司を下関に向けて発車する列車は、発車してすぐ交直切り替えになるので、すぐにVCB開放状態になる。415系は(455系なども)、遮断機開放の無電圧状態ではヘッドライトが片目になるので、すぐわかる。片眼の415系の写真は撮っていなかったので、早速撮る。

 

関門間を行き交う電車は、出発前に切り替え試験でVCB開放、それから本番の切替で開放と、片道で2回VCBが動作する。往復で4回である。シャトルトレインの車両は、一日でVCBの動作が20回近くになるだろう。本来遮断器というものは高頻度動作は考えられておらず、産業用のVCBだと、一日の動作想定回数は1,2回である。鉄道用と言うことで特殊仕様になっているのであろうが、過酷な用途であることは間違いない。


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狙っていた下り貨物がやってきた。関門間の交直切り替え地点は関門トンネルの出口の坂を登ったところであるが、下り貨物線だけは、門司駅の小倉側の端にある。重量貨物列車を完全に引き上げるまでは、ノッチオフする必要がないように造ってあるのだ。従って、ホームの横を通過する下り貨物列車は、まだ直流運転である。

 

JR九州の在来線は、小倉止まりや小倉始発の列車が増えたが、小倉には留置線はないので、留置は門司港で行っている。そのため、門司を通過する回送列車も多い。また昔からだが、関門間の機関車の回送も多い。なお鹿児島本線の列車はほとんどが7両以上で、筑豊線直通列車だけが3両(ワンマン)である。車種は811系や813系が多いが、ほとんどロングシートに改造されてしまった。


Img_11071a 重連の回送機関車がやってきた。昔はEF30の4重連というものがあったが、EH500は2車体連結なので、見た目は4重連である。発車してすぐ交直切り替えのためにノッチオフ、その時ピーッピッピッという絶気合図を鳴らし、ぶら下がっているだけと思っていた後部機も応答した。まさか今時絶気合図が聞けるとは、思っていなかった。

 

ちょっと立ち寄っただけのつもりだったが、大収穫であった。

2025/12/24

天橋立(3)

2025年11月28日(金)(つづき)


Dscn44831a ケーブル下まで降りてきたが、まだ時間はあるし、どちらにしろ天橋立駅まで戻らなければいけないので、宮津に行くことにする。カミさんでも食べられるような軽食の店も、宮津の方があるだろう。ちょうど宮津行きのバスが来たので、乗る。乗車券は往復で天橋立からなので、天橋立駅前で降りて丹後鉄道で宮津まで行くのが本来の行き方だが、せっかくバスに座っているし、バスも障害者割引がきくので、そのまま乗っていく。

 

宮津の手前の道の駅で、ほとんどの客が降りる。実際土産物などもこちらの方が充実していただろうし、食事の店も多かったのだと思うが、何せ地理に不案内なので、一旦降りたらそれから先が困る。宮津駅前で降りたら、駅前なのに何もない。土産物は、買い損ねた。わずかに営業しているかどうかわからない喫茶店があって、覗いてみたら営業していた。そこでサンドイッチ+コーヒーの昼食。小生も脂っこいものは避けているので、野菜系のサンドはありがたい。


Dscn45011a カミさんが、教会があるはずだ、と言うので、街を歩いてみる。宮津は昔の城下町で城址もあるのだが、はっきりとわかるような城址ではない。海城だったそうだ。細川氏の居城で、細川氏が小倉に移るまで治めていたところである。なお宮津城を造る前の丹後の中心地は府中で、天橋立ケーブルの山麓駅(駅名は府中駅)のあたりである。

 

その細川藤孝の奥方、ガラシャ夫人の像がある。細川氏は小倉から熊本に移り、明治になるまで肥後54万石を治めていたので、熊本県民としてもなじみがある。余談だが「ガラシャ」というお菓子も熊本にある。宮津では、キリスト教禁令が出る前の幸せな時代を送ったらしい。像は教会の礼拝堂をバックに、なかなか良い配置だ。なお台座の揮毫は、細川家第18代当初の元内閣総理大臣、細川護熙氏である。

 

その礼拝堂、ガラシャ像のある側は裏側だが、カトリック宮津教会の聖ヨハネ天主Dscn45031a堂と言い、1896年建造の日本で2番目に古い木造教会だそうだ。1番古い木造教会は1880年建造の石巻ハリストス正教会教会堂だが、ここは東日本大震災で破損し、現在は教会としての運営は止め、記念物となっている。そのため、この宮津の天主堂が日本で一番古い「現役の」木造教会ということになる。

 

 外から見ただけで帰ろうと思っていたら、なんと今日が内部の公開日に当たっていた。公開時刻まで少し散歩し、中に入らせてもらう。前のグループは、大阪からだ。中に入って驚いた。畳敷きである。さすがに現在は礼拝の時は折りたたみの椅子を出すそうだが、以前は畳にすわっての礼拝だったのだろう。宮大工が造ったそうで、祭壇の感じがキリスト様の代わりにお釈迦様を置けば、そのままお寺の本堂になりそうな感じである。しかしステンドグラスから入る光が美しく、これはお寺のにはない。堂内は撮影禁止のため、この光の写真を撮れなかったのが残念だ。しかし良いものを見せてもらった。

 

宮津駅に戻り、各駅停車で福知山まで帰る。宮福線の各停は宮津始発の上に接続がDscn45091a悪く、天橋立から乗るのは不便である。宮津までバスで移動したのは、各停で帰るためでもある。実際に乗ったのは各停ではなく、快速「大江山」号。急行料金は不要である。乗ったのはKTR302、KTR300型は新しく導入された車両で、350PS級の小松エンジン搭載車である。なお行きに乗ったキハ85は同じ350PS級でもカミンズエンジン搭載なので、保守は苦労があるだろう。余談だが最近の気動車は直結段が2段3段となって変速段より段数が多いが、これは「液体式」ではなく「機械式」なのではないのだろうか。

 

 今日の夕食は、昨日「ガスト」に行く途中で見つけた和食の店「さと」に行く。和食の方がどうしても塩分が多く、あまり利用できないのだが、たまだから良いことにする。注文したときに、アプリのインストールを進められる。小生のスマホはすでにあちこちのアプリが入っていて必要なものを探すのが大変な状態なので、追加のアプリは入れたくないのだが、5%引きの魅力には勝てなかった。なお「さと」は岡山の小生の行動半径にはなく、このアプリも入れたっきりになるだろう。


Dscn45121a 福知山泊。
(つづく)

 

2025/12/23

天橋立(2)

2025年11月28日(金)


Dscn44611a_20251223172601 天気、曇。雨が落ちていないだけまだましという天気だ。今日が本番、天橋立に向かう。福知山から京都丹後鉄道に乗る。確か昔は北近畿タンゴ鉄道と言っていたと思い、帰ってから調べてみたら、2015年に上下分離で名前が変わっていた。線路の保有は北近畿タンゴ鉄道で、運行会社(愛称名)が京都丹後鉄道である。乗るのは「たんごリレー」1号で、JRからの乗り入れではなく、丹後鉄道の独自列車だ。タンゴディスカバリーのような独自気動車を期待したら、なんと元JR東海のキハ85だった。元「ひだ」に使われていた高性能車で、これはこれで素晴らしい。

 

天橋立に行くには福知山から宮津経由の路線が現在ではメインだが、現在は宮福線となっているこの路線は意外と新しく、1988年の開業である。キハ85は「宮津線開業100年」のヘッドマークを付けていたが、1925年に開通したのは舞鶴から天橋立経由峰山までで、豊岡まで全通したのは1932年である。それから50年この状態が続き、天橋立に行くには舞鶴を回るか、豊岡から入るかしかなく、「天橋立は不便だ」という状態が続いていた。福知山からの路線の開通が遅れ

Dscn44661a_20251223172601

たのは、大江山の先の山越え区間の普甲峠が超えられなかったからだろう。現在は3215mの普甲トンネルをはじめとするトンネルで越える。


宮福線は宮津駅では舞鶴方面に向けて線路が繋がっており、天橋立方面へはスイッチバックして向かう。天橋立までは一駅、シートは転換させずにそのまま乗る。「たんごリレー」号はこの先豊岡方面へ向かうので、回転させた方が親切だったか。

 

天橋立は歩いて行けるのだが、二人とも歳だし、観光船でケーブル下まで一気に行く。実は小生もまだ膝が完治しておらず、カミさんも先日こけて、膝を強打している。二人とも平地なら何とか歩ける状態である。

 

天橋立は砂州で宮津湾と阿蘇海とを分断しているわけだが、完Dscn44701a_20251223172601全に繋がっているわけではなく、天橋立駅側が切れていて、そこには橋が架かっている。ただ船の出入りも多いので、橋は旋回橋である。その橋が回転したと思ったら、なんと乗る観光船がやってきた。おそらく、宮津始発なのであろう。

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  阿蘇海は波は静かかと思っていたが、今日は天気が悪く風が強く、ちょっと波がある。これは、あわよくば伊根の舟屋まで足を伸ばそうと思っていたが、日を改めた方が良さそうだ。

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日本海側に来るには、夏場に限る。途中に舟屋らしき建物が見えたが、阿蘇海にも「阿蘇の舟屋」というものがあった。舟屋の雰囲気はわかった。

 

 

船を下りたところに、立派な神社がある。元伊勢籠神社と言い、天照大神が伊勢に移られる前に4年ほど鎮座されていたのだそうだ。天照大神は元々壱岐対馬を根城とする海洋民族の神様だったそうで、そちらから移ってこられたのであろう。


ケーブルカーで展望台まで上がる。紅葉がきれいだ。天気は悪いが、紅葉の時期としては何とか間に合った感じだ。観光客も多いが、混雑と言うほどでは無い。上から天橋立を眺める。う~~ん、絶景である。身体の柔らかいカミさんは、股覗きをやってみる。やはり印象が全く違うそうで、龍が立ち上がるのがわかるそうだ。小生は、バランスは悪いしめまいの危険があるし、こういう危険なことはやらない(笑)。


Dscn44881a 早めに降りたら、下は大混雑の大行列だった。京都を朝出てくると、この時間になるのだろう。早めで良かった。


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(つづく)

2025/12/22

天橋立(1)

以前から、日本三景のうち天橋立に行っていないので、そのうち行こうと思っていた。紅葉の季節が良いのだが、毎年紅葉の季節は第九の練習が佳境に入っており、なかなか旅行に行きにくいのだ。ところが今年は幸か不幸か第九がない。今年がチャンスとばかりに行くことにした。

 

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2025年11月27日(木)


岡山から天橋立に行くには、強行軍をやれば日帰り可能。普通は1泊である。そこを2泊にして、のんびりした旅行である。カミさんと一緒だと朝早くなど出られず(最近は小生一人でも無理だ)、お昼前ののんびりした時刻に出発する。のんびりしているので「さくら」など使う必要はなく、「ひかり」の自由席である。
何のことはない、23日に大阪に行ったのと同じ「ひかり」になった。

 

天橋立に行くには、京都から山陰本線経由がメインである。ただ大阪の西から来るには、京都まで行かずに新大阪で福知山線経由の「こうのとり」に乗った方が速いし、運賃も安い。新大阪で乗り換えたが新大阪では外に出ないので、乗車券は尼崎から福知山線である。

 

Dscn44531aその「こうのとり」、289系だが3両編成である。そして全車指定席。新大阪発で3両とは珍しい。289系は元は683系で、元は「しらさぎ」に使われていた車両だ。乗ったクハ288-2704は元クハ682、福知山の所属車である。

 

なおこの3両編成の「こうのとり」、かなり空いているが、「指定席は全席完売」とアナウンスでは言っている。途中駅から団体でも乗ってくるかと思っていたのだが、結局乗ってこなかった。指定券を持っていなかったような客もいたが(外国人のようだった)、どこかへ追いやられた。自由席だと全席をチェックしなければいけないが、指定席だと発売記録と合致していないところだけを調べるので、その分車掌業務は楽である。全席指定席にしたのは、検札業務を楽にして、車掌の数を減らしたのか?

 


Dscn44521a 福知山到着。まずホテルにチェックインするが、まだ時間は早いので、御霊神社にカミさんと出かける。小生は前回福知山に来たときに福知山城は見ているので、見ていないところにまず行く。3日目が別行動の予定で、カミさんはその日に福知山城に行く予定になっている。御霊神社は歩いて行けるところで、地図を頼りに見つけた入口は、裏口だった。ちょっと階段がきついが中に入る。明智光秀をまつった神社で、福知山の街を造った明智光秀は、福知山では神様である。紅葉がきれいだ。

 

帰りにコンビニでおやつを買い込み、ホテルの部屋でおやつ。その後ガストで夕食。旅行先では変わったものは食べず、食べ慣れたファミレスが一番安心だ。

 


Dscn44571a 福知山泊。

 

(つづく)

2025/09/21

佐世保へ(3)

2025年9月10日(水)

 

天気、雨のち曇。
ゆっくり起きてホテルの朝食、さすがにいつものビジネスホテル(それも、東○イン)より朝食は充実している。昨日チェックインの時にフロントの人は「満室のため混雑が予想されます」と言っていたが、まるで余裕である。


Img_79181a 雨も降っているので、部屋で本を読んでゆっくり過ごす。部屋がゆったりしているので、こういう時は良い。お昼前に出かけ、MACで昼食。佐世保に来たのだから佐世保バーガーを食べれば良いのだが、一度に変わったものを食べると、おなかを壊す。まだ中日、食べ慣れたものの方が安心だ。

 

雨も上がったので、セイルタワー(海上自衛隊佐世保資料館)に行ってみる。歩いて行ける距離だ。ここは元は佐世保水交社の建物で、1階部分はそのままだそうだ。係の方が、こういう施設に興味があるのかと聞いてきたので、呉にも行った、と返事する。


小生は現在の海上自衛隊の活動は評価はしているが、全面的に信用しているわけではない。と言うのも、旧海軍の伝統を受け継ぎすぎているからだ。旧帝国海軍は、大事なところで敵前逃亡する、という、とんでもない悪癖があった。レイテ湾しかり、トラック島しかImg_79231aり。そして船団護衛の概念がなく、大戦中に亡くなった人の数は、海軍軍人(乗組員)より商船船員の方が多い。海上自衛隊は、帝国海軍の伝統を反省なく受け継いでいるのだ。まあ自衛隊は、出番がないのが一番であるが。

 

7階から見るようになっており、まず7階へ。ここは展望室である。軍港が一望できるが、残念なことに高速道路(高規格道路か?)の防音シェルターが視界を塞いでいる。全体を眺めてみても、佐世保港だと港の見える部屋でもたいした事はなかったな、と妙に安心する。

 

長魚雷の模型があった。対潜ヘリあたりから投下するのが短魚雷で、潜水艦から発射するのは長魚雷である。直径53cmと数字では知っていたのだが、実際に実物大模型を見ると、でかい!爆薬が入っているには先端の一部だが、これはすごい威力だと思う。なお漫画では潜水艦同士が魚雷の撃ち合いをやり、魚雷も高速で走ってくるが、実際は音もなく忍び寄り、音のしないように低速の有線誘導で走らせ、敵艦の真下で爆発させ敵艦を真っ二つにするらしい。まさに忍者だ。


Img_79261a 今日の夕食こそは、レモンステーキである。2018年と同じ店、レモンド・レイモンドに行ったら、店の雰囲気がすっかり変わっていた。以前はカウンターでビールを飲みながらマスターと話していて、ビールを飲み終わったら、「もう一杯、いかがですか?」「いや、これ以上飲んだら、ステーキの味がわからなくなる」とか話していた記憶がある。それが完全に、居酒屋のチェーン店風になり、注文もスマホである。味は変わっていなかったのか昔の記憶がないが、うまかった。

 

佐世保泊。
(つづく)

2025/09/20

佐世保へ(2)

2025年9月9日(火)(つづき)

 

早岐には昔は機関区があり、今も車両基地があるが、そこに「或る列車」が止まっ

Img_79071a

ていた。帰ってからパソコンの中を調べたら、2018年に来たときにきちんとした写真を撮っていた。その時は旅行記は書いていなかったので、改めてここでご覧に入れる。


元々この「或る列車」は、明治時代の九州鉄道が米国ブリル社に発注した豪華客車が元で、この豪華客車は九州鉄道が国有化されたため九州では一度も走ることはなく、東京近郊で短期間使用され、職用車などに改造された。「或る列車」と名付けたのは鹿島正助氏で、「鉄道趣味」誌1935年10月号にこの豪華客車を紹介したときに使用したとされる。なお現在の気動車列車のデザインの元は、原信太郎氏作成の模型である、とはウィキペディアからの引用である。

 

早岐から逆向きに走って佐世保に到着。小生は「させほ」と言っているが、駅名標を見たら「させぼ」だった。「させほもさせぼも、ほぼ同じ」と言った作家もいたが(笑)。


Img_57251a ホテルは歩いて行ける距離ではあるが、キャリーバッグを引きずっていくのも面倒だし、タクシーにする。繁華街に近く、食事には便利そうだ。チェックインして部屋に入ると、7階で海に面してはいるのだが、目の前に他のビルがあって、海は見えない。チェックイン時に確認すべきだったと思ったが、一応フロントにクレームを入れる。海が見える部屋と言うことで手配の方法を聞いて、その通りにしたはずだが、どういうことだ、と言ったら、海の見える部屋にはグランドフロアの指定が必要だという。そんなことは一言も言われなかった。すでにグランドフロアの指定をされているお客様で満室で何とか。ははーん。このホテル、常連さん優先で、一見さんには冷たいな。小生の部屋は、エグゼクティブダブルで、とか言う話もしている。確か予約の時は、プレミアムダブルと聞いてそれを手配したはず。予約の時に、朝食だけのプランがなかなか出てこず、いろいろやり替えたが、その時に変わったか?どちらにしろ、満室で動かしようもないとのことで、引き下がる。

 

後でわかったことだが、佐世保は自衛艦や米軍の鑑の入出港以外は船の動きはあまりなく、関門海峡のように始終船が航行しているわけではない。海を見ながらのんびりには、向かないところだった。ともかく部屋のグレードは良いので、お湯を沸かしてロビーに置いてあったコーヒー(インスタントではなく、ドリップ)を入れ、ゆっくり読書を楽しむ。


Img_57261a 佐世保に来たら、夕食はレモンステーキである。と思って地図で調べたら、「営業時間外」の表示。開店時間は水曜日の何時と出てくる。今日は定休日だったか。料理屋さんは、「火を休める」とか言って火曜日が定休日の店が多い。そうすると、どこに入るかは出てから考えよう。

 

商店街(さるくシティ403アーケードと言うらしい。熊本弁でうろうろすることを「さるく」と言うが、ながさきでもそうだったか)を通る。雨の予報で長い傘を持ってきたが、アーケード街なら安心だ。途中のくまざわ書店で、「風を彩る怪物」の文庫本があるのを発見する。この本は好きで、図書館から借りてきて読んだものの手元に置きたく、本棚の関係で文庫本が出るのを待っていたのだ。作家の中には自著が図書館に置かれることを嫌う方もいるが、何回も読み返したい本は、図書館から借りてきても購入するものだ。小生はそういう本が何冊もある。と言いながら、荷物になるのでここでは買わず、岡山に戻ってから行きつけの丸善で買うことにする。

 

魚の店を見つけ、そこに入る。うまい。


Dscn43831a 結局傘は差さずに戻ったが、夜になるとホテルの部屋でもわかるすごい雨音がした。

 

佐世保泊。
(つづく)

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