キハ20
2026年9月21日
久しぶりに、鉄の話です。それもちょっと、マニアックな。
一般型気動車がキハ17系からキハ20系に変わるとき、車体幅が2.8mに拡大されましたが、同時に出入り口が車端から車体中央よりに移動しました。昔はずっとキハ20系を眺めていて何の不思議も感じなかったのですが、最近気になり出しました。キハ20系のドアの位置は台車間にあります。車体に側梁があったら、切り欠かなければいけません。
旧型客車の車体は中央に大きな中梁が通り、台枠の側面端には側梁が通っていました。客車は編成の牽引力をすべて受けなければならず、また連結時の衝撃荷重にも耐える必要があることから、がっちりした構造になっています。出入り台は車端で、その部分は台枠が狭くなっています。一方気動車は受ける牽引力はせいぜい数両分で、逆に非力なエンジンのために車体は軽量化しなければならず、ずっと簡易な構造になっています。
鉄道車両の解説をしてある図書は多々あるのですが、キハ20系に関しては、皆無と言って良いほどありません。岡山県立図書館は交通関係の図書が充実していますが、そこで検索をかけても出てきません。浅原信彦氏が「最盛期の国鉄車両」連載の途中で、それもディーゼル機関車/気動車に入る前に倒れられたのが、残念です。
いろいろ調べたら、ネコ・パブリッシングのRMライブラリー「キハ07ものがたり」にキハ07の台枠図面が載っていました。キハ07は20m車でしかもDMH17エンジンを搭載しているので、参考になります。しかも中央に出入り口がある3扉車です。それによると、車体の中央付近に車体全長を通して、細い中梁が2本通っています。この2本の間隔がちょうど車体床にあるエンジン点検口の開口部幅です。ここにエンジンを吊るんでしょう。最もエンジンの固定は駆動トルクの反力を受ける必要もあることから、横張もしっかり通っています。枕梁の横に出入り口の切り欠きがあり、そのステップの内側に補強用に梁が通っており、言わばこれが側梁ですね。枕梁はこの側梁までで、車体幅一杯ではありません。側梁があるのはステップと戸袋の切り欠き部分だけで、車体全長には通っていません。中央ドアのところにも同様に側梁がありますが、側梁は切れ切れに片側3つですね。
ところが単行運転が基本のキハ07(登場時はガソリンカーのキハ42000=登場は1935年)から連結運転が基本のキハ44000(電気式。登場は1952年=後のキハ09)になると、側梁が復活しているようです。図面はありませんが、枕梁と出入り口まわりの側梁の構造はキハ07そのままで、出入り口間にも側梁を通したのでしょう。出入り口まわりの段違いになっている側梁の繋ぎがどうなっているのか見たいのですが、この図面が見つかっていません。なおキハ44000はキハ07と同じ3扉です。
そして液体式のキハ15(キハ44500、1953年)を経てキハ17(キハ45000、1953年)が登場してくるのですが、キハ17の台枠は、「車端衝撃を枕梁から側梁にも負担させる構造」という記載が出てきます。枕梁部の側梁はちょうど出入り口にかかっているので、枕梁部の側梁はキハ07と同じで出入り口の内側を通っており、出入り口間だけ車体の外側隅を通っていると思うのですが、このあたりの図面を見たいところです。車体長手方向の荷重だけを考えると、側梁は出入口の内側の位置で、切らずにまっすぐ通した方が強度的には最も強いです。ただこうすると床下機器の取り付けスペースがなくなり、またエンジンのメンテナンスもすごくやりづらくなるので、この構造はまずないでしょう。
なおキハ17はすでにモノコックの考え方が採用されており、そのため2個エンジンの試作車キハ50(キハ44600、1954年)、量産試作車キハ51(キハ44700、1956年)を経て量産車キハ55(キハ44800)が1956年に誕生するのですが、キハ55は拡幅されたものの、床下回りはキハ51と同一です。ということは、台枠構成も幅が広がっただけで同一ですね。そのキハ55の2次型あたりを元に一般用のキハ20が1958年に誕生するのですが、側梁がどう通っているかは、疑問のままです。
客車の方は、10系軽量客車(最初はナハ10)が1955年に試作されました、10系軽量客車は中梁は車端から枕梁までで、枕梁間はキーストンプレートを使い、梁らしい梁は全くありません。牽引力も衝撃荷重も、車体全体で受けるという、まさにモノコック構造。この構造計算を手回し計算機だけでやったのですから、頭が下がります。なお10系客車の出入り台は車端ではなく車掌室や洗面所一つ分内側に入っていますが、枕梁の外側です。なお10系客車に1種類だけ、中ドアを持った車両が存在します。車体中央に出入り口を持ったナロハネ10(1958年、後のオロハネ10)で、台枠を切り欠いてその分補強が施されていますが、側梁を切ったという話は一切出てきませんでした。側梁は、無いんですね。
こうやってみると、キハ20は10系軽量客車の構造を参考にした、とよく書かれていますが、参考にしたのはシルヘッダーのない外板とか上まわりだけで、台枠より下はキハ17のままのようです。となると、ますます枕梁と側梁のつなぎ目、そしてドアの後ろの段違いの処理が見たくなります。どこかの博物館に行っても、下回りが見られるかなあ。津山のキハ52はそこまで接近できないはずだし、大宮にはキハ11がいるけど、下回りが覗けるかなあ。
なお枕梁間に出入り口のステップを設けるのはキハ20系が最初ではなく(国鉄車両としては最初のようですが)、江若鉄道のキニ4が1931年に、キニ9が1935年に登場しています。おそらくキハ07と同一の構造でしょうね。
気動車は(客車も)軽量化をめざしましたが、軽量車体は耐久性が劣り、その後に登場した車両は鉄板が厚くなったり、冷房など装備が追加されたりで、ずっと重くなってきています。その分エンジンもパワーアップし、隼がグラマンヘルキャットになったようです(なんちゅう例えだ)。
写真は豊後森機関区の扇形庫内にいるキハ07とキハ20です。おそらく、1967年の撮影です。
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