宇城市
2026年7月29日
また熊本で震度7の大地震が起きました。被害に遭われた皆様にお見舞いを申し上げると共に、亡くなられた方のご冥福をお祈りします。
今回の地震でやたら名前が出てきた宇城市、初めてこの字を見た方は「うきし」とは読めないですよね。この宇城市、平成の大合併で誕生した市で、宇土郡(うとぐん=濁らない)と下益城郡(しもましきぐん)にある町が合併したため、郡名から一文字ずつ取って名付けています。最も市誕生以前から、このあたりは県の分類では「宇城地区」という名称が使われていましたが。その中心は、松橋(まつばせ)で、鹿児島本線の松橋駅あたりです。なお宇城市の市域は宇土半島の南半分を国道266号線沿いに三角まで広がっていますが、被害が大きかったのは宇土半島に行かない根っこの部分です。宇土半島の先の方はニュースになるような被害がなかっただけで、震度6弱ですから、家の中が無事なわけはないですが。ちなみに三角線が走っている宇土半島の北側は、宇土市になります。
氷川町、熊本では珍しく「まち」ではなく「ちょう」と読みますが、ここは宇城市の南で、その南は八代市です。そして最寄り駅は、鹿児島本線の有佐(ありさ)です。その先の八代市には、今回大きな被害を受けた日本製紙の八代工場があります。八代には、メルシャンの八代工場もありますが(小生には三楽酒造の八代工場と言った方がなじみがあります)、人的被害はなかったそうです。
熊本県出身の小生は日頃は何気なく読んでいますが、こうやってみるとルビを振る地名が多いですね。
話を日本製紙の八代工場に戻しますが、ここは戦前からある古い工場で、戦前は日本領だった樺太から製紙用材を運んでいました。そして八代港にはまだ艀程度しか入れなかったので、材木は三角港に陸揚げされ、そこから三角線の貨車で八代まで運ばれていました。そのため、三角には十條製紙(当時)の出張所がありました。十條製紙の貯木場は小生の小学生時代にはまだ使われていましたが、やがて八代港が整備され、船は直接八代港に入港するようになりました。樺太から来たのか、赤い旗を付けたソ連船が八代港に向かうのを見たことがあります。
そんなこんなで、十條製紙の八代工場には、今は名前が変わって日本製紙ですが、なんとなく親近感があり、今回の地震による被害はすごく心配しています。
小生自体は、膝がすごく痛くなり整形外科に行ってきました。X線を撮ってもらいましたが関節に異常はなく、生活パターンが変わって膝に負担がかかる動きが増えた姓だろうと言われました。生活パターンのせいと言えば、腰も悲鳴を上げています。ただこれは待つしかないですね。
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