« 2025年6月 | トップページ | 2025年8月 »

2025/07/31

猛暑

2025年7月31日

今日岡山市の高梁市(駅は伯備線の備中高梁)では、最高気温40.4℃を記録しました。一方岡山市は、38℃でした。高梁の街は高梁川に面していますが、盆地性気候で、夏は暑いですね。特に今回は、フェーン現象も入っていると思います。

岡山でも、暑いですね。帽子にサングラス、それに日傘と、完全武装で出かけていますが、日傘からはみ出した肘に日が当たって痛いです。昔読んだSFに「熱線ビーム」という武器が出てきますが、まさに熱線ビームです。それに、道路からの照り返しもすごいです。地面に近い犬は、大変だろうなあ。せかせか歩くと心房細動が起こるので、ゆっくりめに歩いています。

そして無理に歩こうとはせず、バスがあるところはバスに乗っています。一日5000歩歩けと医者から言われていますが、夏の間はごめんなさいです。

今年は梅雨明けが早かったので、夏がやたら長いですね。明日から8月、やっと7月が終わりです。

なお昨日の津波情報では、岡山市でも津波注意報が出て、図書館にいたらあちこちで避難勧告の警報が鳴っていました。一部地域に避難勧告が出ても、全市に警告が出ますから、携帯は鳴りっぱなしです。この避難勧告情報、トップに来ている表示を消すと、その後探すのが大変です。もっと素早く出す方法はないんでしょうか。

2025/07/29

波多第四橋梁のモーメント

2025年7月29日


Photo_20250729180201 波多第四橋梁のつづきです。
橋にかかるモーメントを、グラフ化してみました。想定は、鉄橋の中央部にC11は第2動輪が、DE10は3軸台車の中央軸が来た場合です。単なる静止モーメントで、動荷重などは一切考慮していません。

 

やはりDE10のモーメントは、橋梁中央部付近で大きいですね。これが応力計算をしてもDE10ではある基準値を超え、再補強が必要になったものと考えられます。

2025/07/27

岡山駅前電停の乗り場変更

2025年7月27日

Img_378011a

 

現在岡山駅前では、岡山電気軌道の路面電車の岡山駅構内への乗り入れ工事が行われていますが、その工事に伴って、7月22日から乗り場が変更になりました。


今までは降車ホームと乗車ホームは別で、さらに乗車ホームは向かって右が東山線、左が清輝橋線と分かれていました。それを新たにシーサスを増設の上に乗車ホームを閉鎖し、今までの降車ホームが乗降ホームとなりました。そして今までの乗車ホームに向かう線は、コンクリートの車止めで完全に塞がれています。そのためホームの有効長が短く、清輝橋線が手前、東山線が先の、同じホームの縦列停車になりました。向かって右だけが使われていて、左は試運転や練習運転、それにチャギントン専用です。


この変更のおかげで、やたらと不便になりました。今までは降車ホームはボギー車

Img_378121a

が1台半停車でき、降車は2台で可能だったので、車両が集中したときは同時にお客さんを降ろすことができました。しかし乗降ホームとなったため、ホームが開くまで長時間入場待ちをすることになりました。しかもホームは1本で縦列停車のため、ホームが完全に空くまで入線することができません。

 

縦列停車のため、先に清輝橋線が入線し、その後東山線が入線。出発は東山線が出発して次に清輝橋線が出発しますが、東山線が出発した後に到着した次の東山線は、入線するのか清輝橋線の出発を待つのか、判断に困ることになります。信号機らしきものはありますがかなりいい加減で、東山線の車両がいなければ「進行」は表示されます。ダイヤ通りに動いているときは良いのですが、ダイヤが乱れたら大変です。


現在のダイヤは夏休みダイヤで、東山線が最短6分間隔、清輝橋線が12分間隔ですDscn4340a。東山線と清輝橋線とをホームを別に振り分けたらまだ良いのですが、どうやら軌道回路がまだ不備で、振り分け操作ができないみたいですね。

そのためチャギントンは土日だけの走行にし、チャギントンが入線するときは係員が出てきて手動でポイントを切り替えています。ひょっとすると、夏休み中に工事を行って今まで使っていたポイント切替システムをそのまま移設するつもりなのではないのでしょうか。そうすると、東山線と清輝橋線のホームの振り分けはできるようになります。


新しいホームは片側が横断歩道、片側が交差点で、交差点に少し突っ込む形でかなり無理してホームを延長しましたが、連接車2本は停車できません。そのため現在は、清輝橋線にはMOMOは入線できない状態です。9200型の9201号は長いこと入場していますが、ホームの振り分けができるまで、出場しても東山線への代役でしか出番はないですね。東山線と清輝橋線のホームの振り分けができるようになれば、どちらにもMOMOが入線できるようになります。最もMOMOとチャギントンの同時入線はできませんが、今までも同時入線はできなかったので、そこはダイヤでの工夫になるでしょう。

Img_378261aDscn4341a


 この状態がいつまで続くかと言えば、2027年3月まで、岡山駅構内への乗り入れが完成するまでです。秋の観光シーズンが、乗り切れるのだろうか。少なくとも、軌道回路の工事は早くすべきです。

2025/07/25

電柱の敷地料

2025年7月25日

東京に行ったときに次姉から通帳の記帳を頼まれ、記帳してきました。肥後銀行のATMは九州以外では東京の日本橋にしかなく、上京したときにやるしかありません。最も小生は、九州に行くことも多いですが。

その時に、九州電力とNTT西日本から、電柱の敷地料が払われていることに気がつきました。実家の倉庫の一角に電柱が立っていたのですが、その土地も2年前に売却しているので、敷地料が払われていること自体がおかしいです。放置しておくと少額とは言え横領になるので、小生が連絡することにしました。姉は黄斑変性の上に白内障も進んでいて、調べて電話をかけるという行為はできません。

調べたところ電柱に関しては、九州電力は送配電会社の宇城支店、NTTは116でした。九州電力の方は窓口の方に詳しく説明して、「担当者に代わります」と代わったところで「話はお伺いしました」と話が通じていました。今の持ち主はこちらも知らないので(売った相手はわかりますが、その方が今でも保有しているかどうかはわかりません)先方が調べると言うことで、すべて終了しました。

NTTの方は、116で担当者が出たときにいろいろ説明したら、「電柱は何県ですか?熊本県でしたらこの番号にかけてください」と別の番号を指定されました。そしてその番号にかけたら自動音声で、「該当する地域の番号を押してください。東北地方の方は、、」。おいおい、熊本県の番号じゃなかったのかい。という感じですが、コールセンターがどこか関係ない地域に持って行かれるのはよくある話です。ひょっとしたら、受け答えは沖縄だったのかもしれません。

そこで熊本県担当の(九州担当?)の方と話が通じ、いろいろ説明しました。何でも毎年8月末あたりに「現状確認書」の返送をお願いする手紙を出しているそうです。次姉は数年前から手紙はほとんど自分では開封していないからなあ。担当者が「お母様は東京にお住まいですか?」と聞いてきました。ぼけた母親に代わって息子が電話してきたというのが、一番自然なんでしょう。訂正するのも面倒なので、そのままにしておきました(笑)。

ともかく、全部終了しました。手間だけで、電話代は不要でした。「現状確認書」の返送が要求されているのなら、無視して敷地料をもらい続けるのはやっぱり横領ですね。2年目で気づいたときに訂正ですから、まあ許容範囲でしょう。

2025/07/23

C11とDE10

2025年7月23日

 

三角線の話題を続けます。
三角線の貨物、それに臨時の旅客列車の牽引は、ずっとC11でした。C11登場前はC10だったそうですが、小生はその頃は生まれていません。そして無煙化されるとき、いきなりDE10ではなく一旦DD16牽引に変わり、波多第四橋梁の補強が完了してDE10に変わりました。この波多第四橋梁は三角線の弱点のようで、元は単純な上路式のプレートガーダーなのですが、C11時代にもすでにターンバックルで補強がしてありました。おそらく、C10入線の時に補強したのでしょう。完成が1899年ですからね。現在の補強は、こちらです。


0027a DE10は物の本には「C11をそのまま置き換えできる」と書いてあります。ところが実際には、橋梁の制限に引っかかってしまっています。どこがどうなのか、興味があったので調べてみました。

 

C11は運転整備重量68.06t(3次型以降)、軸重は13.13t(左記に同じ)です。いっぽうDE10は、運転整備重量65t、軸重13tです。ほぼ同じで、DE10の方がやや軽いですね。一方の波多第四橋梁は、全長10.07m、支間長9.17m。この長さだと、C11もDE10も、全軸は乗りません。1軸がはみ出した状態で橋梁にかかる全荷重は、C11が60.59t、DE10が52t。DE10が圧倒的に少ないです。

 

そうなると残るは橋梁のたわみですが、たわみの計算は大変なので、モーメントを計算しました。両側支持の単純梁として、C11は第2動輪、DE10は3軸台車の中央軸が、それぞれ橋梁の中心に来たときのモーメントです。第1第3動軸のモーメントは橋梁中心の値を出し、3軸を合算しました。正しい計算方法かどうかはわかりませんが、一応の目安にはなるでしょう。

 

結果はC11は(第1動軸から順番に)17.6+30.1+15.7=63.4、DE10は18.8+29.8+18.8=67.4。単位はtmで、GをかけるとKNmになります。ここで差が出ましたね。DE10はC11より軸間距離が短く、3軸とも橋梁中心部に固まった形となり、この結果となりました。

 

なおDD200は軸重14.7tですが2軸しかないのでモーメントには有利で、50.4しかありません。この計算だと、波多第四橋梁はDD200はOKと言うことになります。最も三角線は旧丙線規格で最大軸重は13.5tなので、DD200の入線のためには路盤自体の補強が必要です。

2025/07/21

製紙用原木輸送

2025年7月21日


 


前回に引き続き、三角線の話です。
八代市に日本製紙の工場がありますが、この工場は1924年に九州製紙として設立されました。球磨川の水資源を当てにしたものですが、製紙原料として古紙などは九州で調達できるものの、紙の品質上原木は針葉樹なので、遠く樺太から輸送していました。当時は南樺太は日本領だったので、国内輸送です。そして八代港は遠浅で小型船しか入港できないため、三角港で陸揚げして鉄道で八代まで送っていました。


 


三角には埋め立ての途中のような奥まった入り江があり、そこが十條製紙(当時)の貯木水面になっていました。樺太から三角に運ばれた原木は、おそらくですが、大型船から機帆船に積み替え、潮が満ち潮に変わるタイミングで沖で海に放り込み、満ち潮を利用して貯木水面に引き込んでいました。原木は直径が5cmから15cm位、長さは1m程度の丸太でした。貯木水面は口が絞られて入り江なので、満ち潮で流れ込む海水の流速は速く、途中に引っかからずに貯木水面に流れ込んでいました。とは言ってもやはり引っかかるものがあるので、ある程度潮が満ち、流速が落ち着いたあたりで、ドラム缶筏に乗った作業員が落ちこぼれの丸太を集めて回っていました。なお、貯木水面に至るまでの水路は公共水面で、私の実家も含め、どこの家でも海に降りる階段を持っていました。私の実家は水路がカーブするところで、丸太が引っかかりやすいところだったため、細い丸太が引っかかるとそのまま頂戴し、風呂の燃料になっていました。もう時効でしょう(^_^;。



A 貯木水面には一応堰があって、干潮時でも最低限の水位を保つようになっていました。そこからは巻き上げコンベアで陸揚げされ、三角駅裏に面した貯木場に積まれていました。古い写真を見ると巻き上げコンベアは2基ですが、昭和30年頃は使われていたのは1基だけでした。巻き上げコンベアが道路を越えるあたりと機械室はがっちりしたコンクリート造りで、使われなくなったもう1基の方も残っていました。このコンクリートの建造物は取り壊すのが大変だったようで、廃止されても20年近く残っていました。


 


これらの管理と輸入業務(戦後は樺太はソ連領)のために十條製紙の三角主張所があり、電話は三角の1番でした。電話の自動交換など、まだ先の話です。


 


昭和30年代になると、三角港の岸壁が整備されて大型船が接岸できるようになったせいもあると思いますが、さすがに満ち潮を利用した輸送はなくなり、港から貯木場まで短距離のトラック輸送になりました。これに使われていたのがジャイアント製の3輪トレラートラックで、ナンバーはトラクタが熊6あ0007、トレーラーは3台で8から10までの追い番でした。3台のトレーラーを1台積み込み、1台荷下ろし、1台輸送でうまく回していました。トラクタとトレーラーに連結部は第5輪ではなく単なるフックで、今考えるとトレーラーにはブレーキは付いていません。トラクタの前輪にブレーキが付いていたかも、記憶にありません。当時は3輪のトレーラーは規制が緩く、何でもありだったようです。道が悪く、速度も出せんかったからでしょうね。


 


貯木場からはチキなどに積まれ、三角線の貨物で八代まで送られていました。この時代ですので、トレーラーからの荷下ろしやチキへの積み込みなど、すべて人力です。三角にはこういう仕事をする沖仲仕さんや沖中仕上がりの方が、大勢いました。駅の仕事だけではなく、沖仲仕の元請けや艀の輸送まで、日本通運が一手に引き受け、日通の三角支店にはトラックだけではなく、タグボートや自動車航送船までいました。そのため日通の三角支店は熊本県内でもかなり上位の支店だったようで、山の中腹に立派な支店長用の社宅がありました。


 


このチキは三角線から鹿児島本線の貨物に継走されますが、熊本で継走ししていたのか宇土で継走していたのか、不明です。当時は熊本操車場ができる前で、宇土発着の貨物もかなりあったので、宇土継走だったのかもしれません。


 


やがて八代港が整備されて大型船が入港できるようになり、三角からの原木輸送は終わりを迎えました。昭和40年代後半には八代港に原木を満載した1万トン級のソ連船が出入りしていました。

2025/07/20

三角線の廃糖蜜輸送

2025年7月20日

 

小生は今年の写真展に3点出品しましたが、うち1点は1973年に撮影したモノクロです。まだフィルムカメラの時代で、ネガから取り込んでもらいました。


R3800171a_20250720170001 写真のメインは牽引機のC11190で、現在も大井川鉄道で活躍中のカマです。逆行運転なので九州仕様の炭水庫に開けられた通風口がよくわかり、またお召し仕様の名残の、サイドタンクの白線も見えます。

 

今日の話はそのC11ではなく、後に繋がるタンク車です。いろんなところからかき集められたようで、型式は統一されていません。ただ所有は内外輸送株式会社で、アルコール線用のタンク車です。常備はアルコール工場のあった肥後大津駅、ただ写真では見えませんが、実機には「廃糖蜜仮専用」「三角駅仮常備」との板札がくくりつけられていました。

 

R380006a

肥後大津には、かつて専売のアルコール工場がありました。この専売は大蔵省所管のアルコール専売で、3公社5現業のうち5現業の方に入り、3公社だった専売公社とは異なります。これらのタンク車は三角から肥後大津までアルコール原料の廃糖蜜を輸送するもので、写真は三角に向けた空車回送です。専売の肥後大津工場がいつから稼働し始めたのかは残念ながら資料が見つかりませんでしたが、おそらく戦前、遅くても戦中でしょう。三角からの輸送が本格化したのは昭和30年代で、三角に大きなタンクが建設されたのを覚えています。廃糖蜜は沖縄から三角まで、RKKと書かれた琉球海運の、おそらく499クラスの小型タンカーで輸送されてきました。小型と言っても500tで20t積みタンク車の25台分になりますから、船の輸送力は大きいです。なおこの頃はまだ沖縄の本土復帰前で、三角港では国際貿易扱いです。また琉球海運のRKKは熊本の民放、熊本放送の略称と同じで、なんとなく親近感がありました。

 

廃糖蜜はモラセスとも呼ばれ、廃の字が付いているので産業廃棄物みたいですが、立派な食品です。肥後大津のアルコール工場ではこれを発酵させた後蒸留し、工業用アルコールを製造していました。内外輸送は元々この専売アルコールを輸送するために設立された会社で、原料の廃糖蜜輸送を手がけるのもわかります。

 

肥後大津のアルコール工場は2004年に閉鎖され出水工場に統合されましたが、その前1982年に三角線の貨物輸送は廃止されています。また1987年には豊肥線の貨物輸送も(竜田口までを除き)廃止されていますので、鉄道輸送廃止後どうやって輸送されていたかは不明です。

 

なお現在のアルコール製造は、ほとんどは海外で製造された組成アルコールを生成するだけになっているそうですが、ごく一部、出水工場では未だに廃糖蜜を発酵させてアルコールを製造しているそうです。

 

追記です。廃糖蜜用のタサ3500の写真が見つかったので、追加しました。

2025/07/19

岡山フィル津山定期演奏会

2025年7月19日

 

岡山フィルの、津山定期演奏会に行ってきました。
曲目は、
モーツァルト:アイネ・クライネ・ナハト・ムジークK.525第1楽章
モーツァルト:オーボエ、クラリネット、ホルン、ファゴットと管弦楽のための協奏交響曲K.297b
吉松隆:アトム・ハーツ・クラブ組曲第1番
チャイコフスキー:弦楽のためのセレナーデ
ソリストは、オーボエ:工藤亜紀子、クラリネット:西﨑智子、ファゴット:廣幡敦子、ホルン:日橋辰朗、指揮は原田慶太楼です。
20250001a_20250720001901

小生は、この協奏交響曲(以下、コンチェルタンテ)を聞きたく、聞いてみようと思ったのですが、会場の津山文化センターが駅から遠い上に公共交通機関がなく、あきらめていました。しかしカミさんの「タクシーを使ったら?」の一言で、行くことにしました。元が貧乏性なので、なかなかタクシーを使いません。

 

さて、津山行きのちょうどいい時間に、快速「ことぶき」があります。ただお昼に引っかかるので、早めに食べて乗るか、車内で食べるかですが、津山線のキハ40系は4人がけのボックスシートで、混んできたら食べるのに勇気が要ります。昔の急行は皆そうだったと車内で食べることにして出発時刻の30分近く前に着いたら、もう入線していました。幸い空いているボックスがあったので、発車前に食べてしまいました。発車間際にもう1人乗ってきましたが、その時には食べ終わっていました。

 

津山からタクシーで津山文化センターへ。津山文化センターはお城の一角にあるので、山の上です。タクシーで良かったな。入ったら、曲順の変更が掲示されていました。コンチェルタンテを休憩後の後半に持ってきて、アトムとチャイコフスキーが前半です。

 

席は2階、階段だけ。それも手すりは片側だけでかなり長いです。エレベーターはありません。バリアフルだな。2階に着いたら、入場口4つのうち2つが閉鎖中。係の人に聞いたら、「ここから入って、中を移動してください」「他の人がいたら?」「立ってもらってください」せっかく通路側の席を取ったのに、これでは何にもなりません。しかも閉鎖(施錠)されている入口は中からは非常口で、緑の「非常口」表示が点いています。非常口の施錠は、消防法違反じゃないの?もし何かあったら、大混乱するぞ。

 

開演15分前から、指揮者の原田慶太楼氏によるプレトークがありました。原田氏はずっとアメリカ在住だったためか、アイネ・クライネ・ナハト・ムジークの発音がナハトまではきれいなドイツ語発音なのに、ムジークがミュージックに聞こえます。まあ、ご愛敬。コンチェルタンテは、モーツァルトの作品ではない疑惑があるなど、曰く因縁がたくさんある曲だそうで、全部はここに書き切れません。原田氏は日本で振り出して十年、日本人として現代の日本人作曲家の作品を振りたいと思ったものの、音楽教育もアメリカで受けたため、(現代の)日本人の作曲家は全く知らなかったそうです。そこで仲の良い山田和樹氏に相談したところ、吉松隆氏を紹介されたそうです。そして聞いてみたら一発で気に入り、特にアトム・ハーツ・クラブ組曲は大好きになったそうです。チャイコフスキーは、チャイコフスキーの大好きな作曲家がモーツァルトだったからのつながりだそうです。

 

定刻になりオーケストラ入場、弦だけです。岡フィルは客席から見て左から、いつもの通りのVn1(12)、Vn2(10)、Vc(8)、Va(8)、という並びですが、弦だけのためCb(6)は最後列に横一列です。ウィーンフィルみたいですね。首席の谷口氏は中央右です。アイネ・クライネ・ナハト・ムジーク。うん、良い感じです。岡山シンフォニーホールに比べると、ちょっと響きが落ちるかな。第1楽章が終わったところで(時間の関係か、第1楽章のみ)、原田氏はマイクを取って曲順変更の理由の説明です。ファゴットのソリスト廣幡さんは津山市の出身ですが、実家はこの会場から歩いて10分くらいのところだそうです。「ご親戚や同級生の方が前半だけで帰ってしまわれても困るので」と冗談なのか本気なのかわからないような理由です。まあ、凱旋公演の廣幡さんの出番をメインに持ってきたんでしょう。

 

次の「アトム」は、ロックですね。これも、弦だけです。今日は岡フィル弦楽合奏団だな。コントラバスは左手で弦や胴体をたたく動作が多く、後に横一列だとその視覚効果も抜群です。第3楽章になると、「ワン、ツー」というかけ声で始まり、最後は全員が(チェロも!)立ち上がって演奏し、チェロの松岡さんはチェロを持って演奏しながら舞台の一番前まで。大盛り上がりで終わりました。

 

原田氏はそのまま指揮台に残り、弦楽セレナーデへ。第3楽章がちょっとだれたような感じがしましたが、第4楽章はすごかったですね。やはり、最初はこれをメインに持ってきたわけがわかります。

 

休憩中、2階のトイレは定員1名のため、1階のトイレへ。そうしたら1階のトイレは地階でした。これも階段だけのバリアフル。

 

後半は初っぱなにアンコールとして準備していたジョージアの作曲家(名前が聞き取れませんでした)のノクターン。そしてお待ちかねのコンチェルタンテです。オーボエ2本、ホルン2本が加わります。場所はいつもはコントラバスがいる右の奥です。モーツァルトの作かどうか疑念が持たれていると言いますが、曲は立派なモーツァルトです。これ、良いですね。本当のアンコールには、最後の盛り上がる部分をもう1回です。

 

終演後は岡フィルのメンバー全員でお見送り。オーボエソロの工藤さんに声をかけようと思いましたが、誰かと話されていたのでそのまま帰りました。そして外に出たものの、駐車場から出る車の大行列だけで、タクシーの乗り場などどこにもありません。仕方なしに駅の方まで歩いたらタクシーの営業所があったので、そこから駅まで乗りました。聞いてみたら、文化センターまで上がると渋滞に巻き込まれるので、下に降りて7-11の前で待ってもらっているのだそうです。「それを先に行ってくれ」と言いたいですね。まあ、この会場にもう二度と来ることはないでしょうけど。

 

演奏会自体は、良い演奏会でした。

2025/07/18

膝はリハビリ

2025年7月18日

一ヶ月ほど前から膝、それも裏側の筋が痛く、なかなか治らないので整形外科ではリハビリ科の方に回され、今日初めて行ってきました。同じ整形外科の2階です。

そこで診察やらマッサージやらいろいろやってもらって、右膝だけX脚になっていると言われました。一種の変形膝関節症ですね。特に立ち上がるとき、右膝が内側に入り込むそうです。これは気がつきませんでしたが、おそらく始まりは右足に装具を入れたときですね。その時装具に合わせて少し力の入れ方を変えたのですが、それが変な風に働いてしまったようです。

対策はふくらはぎのストレッチ(20秒キープ)、膝のまわりの筋肉のマッサージ、それに椅子(小生の椅子はキャスターが付いているので、ベッドの端の方が良いそうです)から立ち上がったりまた座ったり。その時、膝が内側に入らないように注意です。

そしてしばらくは、週1くらいに整形外科に通うことになります。しばらくは出かける用事もないし、良いでしょう。

2025/07/16

東京から帰ってきました

2025年7月16日

昨日東京から無事に帰ってきました。この写真展、最近は同じような時期ですが、昨年は暑かったですね。今年は台風がきたせいで後半荒れた天気でしたが、気温に関しては楽でした。今回もいろいろありましたが。

○マルチリンガル車掌
11日の上り「のぞみ」でのこと、新神戸を出てすぐに車掌(男性)から英語のアナウンスがあった。内容は、「この列車「のぞみ」では、ジャパンレイルパスは使えない。「ひかり」か「こだま」を使え」というもの。そして英語が終わったら同様の内容(たぶん(^_^;)を中国語で話し始めた。ジャパンレイルパスは中国でも売られているんだ、と思ったが、その前に中国語の肉声アナウンスは初めて聞いた。そうしたら新大阪に到着する前に、万博会場への行き方案内を、日英中韓の4カ国語でしゃべった。JR九州の「さくら」での車内案内は4カ国語だが、日本語以外は自動放送である。JR西日本の車内案内は不親切だと思っていたが、こういう車掌さんもいた。

○西武池袋閉店
正式な名称は知らないが、通称池袋の西武デパートが閉店していた。身売りするのなんのという話があったが、そのあおりだろう。今まで池袋駅から写真展の会場へ行くには、西武デパートの食料品売り場を抜けて無印良品を抜けるのが、全部エスカレーターを使えて楽だったのが、使えなくなった。おかげでえっちらおっちら階段を上がる羽目になった。ここは一体どうなるのだろう。

○浴槽の中の手すり
小生は今回4泊して、前の3泊は東○イン(大塚2)、最後の1泊はルー○イン(阿佐ヶ谷)だったのだが、このホテルかなり違う。まず東○インは、今まで浴槽の横に付いていた石けん入れがなくなり、壁側が真っ平らになった。今までは浴槽内で立ち上がったり、シャワーの時のバランスを崩したりしたときに、石けん入れの上にハンドレールが付いていたので、それをつかめていた。ところがこれがなくなって、つかまるところがなくなってしまった。足がすべりそうになったときは、本当に怖い。その点ルートインの浴槽には立派な手すりが付いている。次回から多少値段は高いがルー○インにしようかとも考えたが、ルー○インの空調は温度調整ができず、寒いか暑いかである。そしてWi-Fiの速度が遅く、メール以外は使い物にならない。善し悪しである。

○台風対策
13日(日)は早めにホテルに帰ったが、翌日に関東地方に台風が最接近するという。13日までは言わば遊びだったが、14日からはほとんど仕事で、止めるわけにも行かない。台風の雨風になると、折りたたみ傘など役に立たない。大きなスーパーでも近くにあれば長い傘を買うのだがと思っていたが、このあたりには大きなスーパーはない。そうしたらなんとコンビニ(7-11)で長い傘、それも耐風仕様のものを売っていた。税込みで1.4Kであったが、こういう場合なので躊躇せずに買った。
14日(月)はさほどの雨はなかったが風が強く、それに時折雨が混じって、大きい傘でも結構濡れた。濡れた、と言える程度なので、楽なものだ。午後からは雨はすっかり上がった。
最終日の15日は、天気予報は曇なのだが、突然雨が降る。次姉の家に行き、それから頼まれごとで駅まで一往復したが、最初以外は全部タクシーを使った。おかげで体力の消耗もがずいぶん減った。去年は炎天下で事務所を探し回り、疲れて最後はコロナをもらってしまったが、今年は何とかなりそうだ。駅前で雨交じりの強風に出くわし、傘はかなりしなったがさすがは耐風仕様、無事だった。折りたたみの傘だったらダメにしただろう。

○JR東海とJR西日本の差
下りの「のぞみ」だと、品川を出てしばらくして車内アナウンスで運転士以下パーサーまで名前を紹介する。そして終点まで各駅の到着時刻もアナウンスする。新大阪から先はJR西日本の管轄だが、各駅ごと丁寧に到着時刻を言う。ところが新大阪を過ぎてJR西日本になると、「到着時刻は自分で調べろ」(もっと丁寧だが)との自動アナウンスだけで、知らん顔である。ずいぶん客を馬鹿にした話である。そして運転士や車掌の紹介も、「JR西日本」とだけ言って名前は言わない。JR西日本では夏場は「着帽省略」とか言って勤務中でも帽子をかぶっていないが、さすがに「のぞみ」の乗務員は新大阪での交代時にJR東海から文句を言われるのか、帽子はかぶっている。ただ駅員さんなどを比較すると、JR東海の方がキビキビして見え、JR西日本の方がだらけて見える。あまり規律を緩めると、全体的に緩む。安全に影響が出なければ良いのだが。

2025/07/12

東京に来ています

2025年7月12日


Dscn4336a 昨日から東京に来ています。前半が写真展、後半はあまり嬉しくない仕事です。

 

写真展の会場は、いつもの電車のビルです。今年は例年と異なり、展示順が若い順(卒業年次の新しい順)です。また海外と国内を分けず、出展者ごとにまとまって展示されています。

 

写真は、仕上がりがきれいですね。画像調整及び焼き付けの担当に若い方も加わり、体制が強力になったこともあるのでしょう。写真展は、15日までです。


Dscn4338a その後の仕事に関してですが、14日(月)に台風が直撃しそうなのが気になります。さほど強力な台風でないのは助かるのですが、旅先故大きい傘など持っておらず、折りたたみでは役に立たないでしょうね。どこかで大きい丈夫な傘を買うかな。

2025/07/08

冷房あたり

2025年7月8日

日曜日あたりから喉がモヤモヤし始め、今日になったら本格的に痛くなり、東京行きのこともあるので医者に行ってきました。昔はよく風邪で医者にかかっていましたが、コロナ禍以降風邪で医者に行くことがめっきり減りましたね。

コロナにかかったのがちょうど1年前です。東京でもらってきたのですが、今年は写真展が一週間後になったので、まだ上京していません。診察の結果は、まあ冷房あたりですね。コロナだけ検査をやってもらいましたが、陰性でした。今まで自分の部屋は夜だけ冷房を入れ、それまではドアを開けて他の冷気をもらっていたのですが、さすがに追いつかなくなって昼間も冷房を使おうとしたら、これです。風の向きをもう一回設定し直した方が良いみたいです。

薬はサワシリン250mgに桔梗湯エキス、それにアズレンうがい薬が出ました。この内科、小生に対してはペニシリン系をよく処方します。他の病院でペニシリン系を処方されることが多く、副作用もなく良く効いているようなので、使われているんでしょうね。5日分なので、整腸剤をもらっておかないと危ないかな。

アズレンうがい薬は日頃使っているヨード系のうがい薬(要はイソジン)と同じ健栄製薬のものですが、薬の色が青色なのにはびっくりしました。ヨード系よりずっと消毒薬っぽい味です。

週末から東京に行く話をしたら、今月分の心臓の薬も一緒に出してくれました。従って、今月の心臓の定期検診は無しです。30日分でしたから、来月も8日くらいに行かないとお盆休みに引っかかります。

2025/07/06

斜め追い越し

2025年7月6日

小生は歩く速度が遅くなったせいで、歩いていて目の前を横切られることがよくあります。単なる追い越しならまだいいのですが、一番困るのは小生の右後ろから目の前を横切り、左前に抜ける人。斜め追い越しですね。人の直前を横切るのですから本来はゆとりを持った間隔を空けなければいけないのですが、大抵は小生が気づいて避けることを前提に横切っています。ところが小生は右目が見えないため、右横は全くの死角なんです。見えるのは正面に来てからで、大抵は激突した後です。

以前は渋谷でよく激突していました。それでヘルプマークをリュックの後ろに下げるようにしたのですが、効果があるのかどうか。岡山でもぶつかりそうになりましたが、これは相手が直前に止まったので、激突まではしませんでした。

この斜め追い越し、車でもやる人がいますね。停留場から発進しようとするバスを追い越して、バスの直前で左折して左の道に抜ける人がいます。すんなり抜けられれば良いのですが、歩行者がいたらバスの進路を塞いで停止することになります。バスもスピードが上がる前なのでぶつからずに停止しますが、危険な行為であることは間違いないです。

話は歩行者に戻りますが、最近はスマホを見ながら歩く人が多くなり、ヘルプマークなど気がつかないようですね。逆に自分からぶつかって、「スマホを壊した。どうしてくれる」と因縁を付けてくる当たり屋もいるようです。みっともないけど、東京に行ったら、きょろきょろしながら歩こう。

2025/07/04

倉敷院展

2025年7月4日


25070401a 倉敷の院展に行ってきました。東京では「春の院展」と言われるものですが、岡山に来るときは夏です。いつもは梅雨明け前なのですが、今年はすっかり梅雨が明けて猛暑、駅から美術館まで歩くのが大変でした。

 

インテントあって大作揃いですが、「秋の院展」(岡山ではお正月)は超大作が並ぶので、それに比べると一回り小さいです。いつも目当てで行く小田野先生の絵は、名鉄揖斐線ですね。

 

今回は、「おー、すごい!」という絵はなかったですね。それでも、十分に楽しめました。

2025/07/02

ワンピース新幹線第3編成

2025年7月2日


Img_02531b ワンピース新幹線の第3編成が登場したので、新倉敷まで撮りに行きました。岡山は島式ホーム2面で「こだま」は上りも下りも外側ホームに入るので、下まで入る写真が撮れないのです。新倉敷までは113系4両編成、227系が増えつつあるものの、113系はまだ健在です。

 

第3編成「モンキー・D・ルフィル」号は黄色基調、これは他の編成と並べても映えますね。また東広島に行こうかな。

2025/07/01

今日から7月

2025年7月1日


25070102a 今日から7月です。早いもので、今年も後半に入りました。梅雨は本当に明けたみたいですね。岡山は、連日35℃~36℃です。高校の頃は夏期講習は33℃の中でやっていたとはいうものの、あの頃は35℃まではなかったですね。

 

部屋の模様替え、要は写真の掛け替えを行いました。外も盛夏、中も盛夏では、かえって暑苦しくなったかな(笑)。

 

外に出るときには水を持ち歩くようにしていますが、最近は無精してすぐにバスに乗るので、500mLのペットボトルでは多すぎます。しかも、麦茶は大抵600mlなので、なおさらです。そこで300mlのペットボトルに小分けにして、600mlを2日で飲むようにしています。スポーツドリンクの方が口当たりは良いのですが、糖分が多いのでなるべく飲むな、と医者から言われています。明日はちょっと出かけますが、ほとんど日向に出ない行程なので、麦茶の半分で良いでしょう。

« 2025年6月 | トップページ | 2025年8月 »

フォト
2026年6月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30        
無料ブログはココログ