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2023/08/14

ジュヴナイル

2023年8月14日

ジュヴナイルという言葉を初めて知りました。若者向けの文学作品を言うらしいのですが、Wikipediaには、「日本では1970年代頃に使われはじめた(角川文庫SFジュブナイルの登場が1976年)が、英米ではやや堅苦しい表現のため、改まった場面で使用されることが多く、口語表現ではヤングアダルト作品 (Young-adult fiction) やjuvenile novelあるいはjuvenile fictionに置き換わる。」とあります。何のことやらわからなかったのでjuvenileで辞書を引いたところ、元々形容詞ですが名詞もありました。どうやらWikipediaは、名詞としてのjuvenileは堅苦しいので、形容詞としての使用になった、ということみたいですね。名詞としてや堅苦しいけど形容詞としてはそうでもないというのは、英語圏に住んでいないとその感覚はわかりません。

現在はあまり使われない表現で、この表現で解説してある本を見たのは2012年初版本ですので、その時でもすでにあまり使われていなかったのかもしれません。今で言うとライトノベルになるのですが、ライトノベルと言われることを嫌う読者や作家も多く、「この作品は絶対にライトノベルではない。ジュヴナイルだ」と言う方もいます。まあライトノベルの定義は100人いれば100通りの答えが返ってくるものですから何でもありなんですが、現在は大抵の書店はライトノベルはコミック売り場に並んでおり、境界線の作品は行きつけの本屋以外では探すのに苦労するんですね。知念実希人氏の天久鷹央シリーズなどはその良い例で、新潮文庫なのですが新潮文庫nexのため、本屋によってはコミック売り場に並んでいました。

小生はこのライトノベルというくくり、くくりと言うより区別が嫌いです。何で分けなきゃいかんのか、と言うわけです。文庫のシリーズが違ったら、現在も新潮文庫、岩波文庫、など分けておいてありますから、そのまま分けて隣に電撃文庫を並べれば良いだけの話です。それとも、岩波や新潮の前に関係ない若者がたむろすることを古い読者層(大抵は高年齢)が嫌がったり、それを警戒した書店側が意識的に場所を分けたりしたのかもしれません。

そもそも多くの方が指摘するライトノベルの定義の一つに「イラストを多用」というのがあったと思うのですが、さっき例に出した「天久鷹央シリーズ」は表紙こそ今風の目の大きい女の子(と言っても実年齢はかなり高い)ですが、中に挿絵はありません。一方古い本ですが、1965年から順次出版された創元推理文庫(創元SF文庫)のE.R.バローズの「火星のプリンセス」以下の火星シリーズは、表紙、口絵、それに中も挿絵が多用されています。今ならイラストですが、この挿絵は武部本一郎画伯の作になるもので、イラストではなく挿絵です。このシリーズ、対象年齢は大人でその点から見てもライトノベルには当たらないと思うのですが、高校時代にむさぼるように読みましたね。

この火星シリーズに関連してですが、川原礫氏の「ソード・アート・オンライン」は小生はSFだと思っています。当の川原氏はSFではないとおっしゃっていますが。バルスーム(火星)に転移して怪物相手に戦い、最後は大元帥になるのと、仮想世界(バーチャル・ワールド)の中でモンスターと戦い、一時期は星王を務めるのと、どこが違うのでしょう。一番の違いは主人公の年齢で、火星シリーズはジョン・カーターもでジャー・ソリスも大人なのに対し、キリトもアスナも高校生(物語の開始時はまだ中学生)だということですね。主人公が青少年だからライトノベル、というのはちょっと強引なような気がします。

このジュヴナイルという言葉を知ったのは鷹見一幸著「宇宙軍士官学校」(ハヤカワ文庫JA)のあとがきなのですが、この中で鷹見氏はこの本はジュヴナイルの書き方で書いてあり、ジュヴナイルと大人向け小説の違いは文章の見通しの違いである、と書かれています。文章の見通しが良いということは、「そこで何が起きたのか」「どうなったのか」「キャラクターの本音はどうか」を読者に包み隠さずに書くことだ、と書かれています。それを書かないで読者の想像に任せるのが、大人向け小説というわけですね。なるほど、と思わせる解説でした。ただしジュヴナイルの定義(大人向け小説の定義)のところでは小生は反対で、ジュヴナイルの文章の見通しが良いのではなく、単に世の中には文章の見通しの良い小説と、良くない小説がある、というだけだと思います。

余談ですが小生の頃の中学までの国語は文学偏重で、「行間を読む」ことを徹底的に指導されてきました。ただそれで国語の成績の良い子が現在の家電品の取扱説明書が読めないんですね。この文学偏重の弊害は以前から言われていたのですが、少しは論説文が入ってきたのでしょうか。

話を戻して、小生のように気晴らしの小説を読むタイプは、文章の見通しの良い本が良いですね。日常生活でも小説でも、言葉の裏など読みたくもありません。そう言えば川原礫氏の新作「デモンズ・クレイスト」はライトノベルなのに文章の見通しがあまり良くないですね。読んでいて時々イラッときます。ソード・アート・オンラインまたはプログレッシブの続編を待っています。

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