戦国日本と大航海時代
2023年6月12日
東京行きが続きましたが、こういう半分仕事がらみで出かけるときは、大抵文庫本を何冊か持って行きます。ビジネスホテルだと、朝食を採って支度をして、かなりゆっくりやっても9時頃には支度はできるのですが、相手先が動き出すのは大抵10時、写真展の時は11時でした。妙な空き時間が結構あるので、手持ちの本があるときは持って行くし、場合によっては出先で買うこともあります。
今回持って行った中での一冊が、県立図書館から借りた「戦国日本と大航海時代」(平川新著、中公新書)でした。いや、これは面白かったです。以下は本の内容に、小生の感想もかなり入っています。
大航海時代、これはヨーロッパから世界中に乗り出した時代ですが、実際はポルトガルとスペインが世界を半分ずつ支配するために乗り出した時代なんですね。大西洋側は1494年のトルデシリャス条約で、太平洋側は1529年のサラゴサ条約で境界線が決まり、アフリカとアジアはポルトガルの、アメリカはスペインの領土とすることがローマ教皇により承認されています。世界征服を狙う悪の組織というのは、昔のマンガの悪役の定番でしたが、世界征服を行う神の先兵、と言うわけです。神と悪魔は同じものという考え方が日本にはありますが、まさにそうですね。
このサラゴサ条約による境界線が、現在の地図だと東北地方の東側を通っているのですが、その当時の測量だと日本はどっちつかず、ポルトガルとスペインの両方が主権を主張できました。主権を主張と言っても日本はあずかり知らぬところですから、両国が勝手にやっているものです。まあ当時のカトリック教徒にとっての「世界」はカトリック国の支配下のことだし、「人間」とはカトリック教徒のことでしたから、未開の地(カトリック教徒にとって)はいくらでも攻め取れたわけです。先にキリスト教を広め、ソフト的に支配下に置くか(スペイン王またはポルトガル王はローマ教皇の代理である=命令を聞かねばならない)、軍事的に攻め滅ぼすか、どちらかです。
ただ日本の場合は当時戦国時代で、あちこち武装集団だらけ。その上に鉄砲伝来が1543年、キリスト教伝来が1549年で、鉄砲伝来が6年早かったのも幸いしたみたいですね。簡単には武力征服できない軍事力を備えていた上に、秀吉も家康も世界征服計画に気づき、バテレン追放などで日本の植民地化を防ぎました。全国が占領されなくても、マカオのようにポルトガル領が誕生する可能性もあったのです。
そして秀吉の時代以降、日本は「帝国」と呼ばれるようになりました。当時の帝国は、ヨーロッパでは神聖ローマ帝国だけ、アジアでは明だけの時代にです。小生は大日本帝国という呼び方は日本が自称で始めたものだと思っていたのですが、まずヨーロッパ(カトリック国)が始めたものだったんですね。徳川の時代にも、「帝国」です。皇帝と呼ばれたのは大御所家康で、将軍秀忠は皇太子という呼び方だったのが面白いですが。
ただこの「帝国」と呼ばれ出すきっかけが秀吉の朝鮮出兵だったのが、被害国には気の毒なことではあります。家光の時代にいわゆる鎖国ができたのも、「文句あるか」とポルトガルやスペインに対して言えるだけの軍事力を持っていたからにほかなりません。あの時代は、日本では戦国時代が終わっても、世界は(少なくとも東アジアは)戦国時代だったということです。
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