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2022/08/16

奏鳴曲 北里と鴎外

2022年8月16日

久しぶりに、読んだ本の話です。「奏鳴曲 北里と鴎外」(鴎の字は正しくは鷗(箱構の中が品)ですが、環境依存文字のため鴎で通します)(海堂尊著、文藝春秋刊)を読みました。いやー、面白かったです。北里柴三郎と森鴎外は、同じ帝大(東京大学)医学部卒なのに何かと対立していたのは聞いていたのですが、その対立が見事に表されています。それよりも、海堂尊氏が書きたかったのは縄張り争い(己の権力強化)のためには科学的な見地もねじ曲げる役人根性ですね。日本政府が応援していたら、ノーベル賞の第一号は北里柴三郎のものだったろうし、ビタミンB1発見の栄誉は鈴木梅太郎のものになっていたでしょう。この医療行政の体質は、今も変わっていないそうですが、、、。

こういう伝記物は、歴史的事実とフィクションとの間を行ったり来たりするものですが、初めて気づかされた事実もありました。慶應義塾大学医学部は、帝大から追放された北里を福沢諭吉が招いて作ったものだと思っていましたが、福沢が作ったのは伝染病研究所で、慶應医学部の創立はずっと後の福沢の死後なんですね。

その福沢諭吉は、本書内では江戸っ子のような伝法な口の利き方をしていますが、中津出身の福沢がそういう口の利き方をしていたかどうか、これはわからないし、フィクションの方かもしれません。

本書の本筋とは関係のない重箱の隅の話を一つ。明治天皇が明治5年に軍艦龍驤で熊本を訪れる際、熊本港に入港したとありますが、その頃はまだ熊本には港と言えるようなところはなく(三角港の築港は明治20年)、小島沖に停泊して小舟に乗り換えて上陸したため、すごい手間がかかったそうです。「熊本港」というものは存在せず、熊本港ができたのは平成になってからです。

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