紺碧の空
2020年5月23日
NHKの朝の連ドラ「エール」は日頃は見ていませんが、今週だけは見ました。敵方とは言え、「紺碧の空」は気になります。早慶の応援歌の歴史を調べていくと、「エール」はかなりデフォルメしてありますが、その通りみたいですね。
早稲田の「都の西北」(正式には、「早稲田大学校歌」)ができたのが明治40年、慶応の現在の塾歌ができたのが昭和15年ですから、その当時は慶応は別の歌を歌っていったのでしょう。この「都の西北」が神宮の応援には実にぴったりの曲で、これは応援歌だと思っている方も多いようです。ちなみに慶応の塾歌は格調が高すぎ、神宮での応援には向きません。また酒席で歌うことは御法度となっています。
そこでできたのが慶応の応援歌「若き血」、昭和2年です。そこで慶応旋風が吹き荒れたのは、「エール」にもある通りのようです。その当時の早慶戦は現在のプロ野球より人気があったそうで、大変だったでしょうね。そして早稲田が対「若き血」の応援歌として古関裕而氏に依頼したのが「紺碧の空」で、昭和6年のことでした。この当時は慶応は水原、早稲田は三原の時代で、そこから西鉄ライオンズまで思いをはせる方は相当のオールドファンです。
なお慶応も戦後の昭和21年に古関裕而氏に応援歌を依頼し、それが4番の歌詞が「よくぞ来たれり、好敵早稲田」(作詞、藤浦洸)で始まる「我ぞ覇者」です。そして昭和43年からは、「花の早慶戦」(藤浦洸作詞、古関裕而作曲)が試合前に早慶合同で歌われています。なんだかんだ言いながら早慶は、似たような大学です。
小生は、慶応の応援歌や逍遙歌(いわゆるカレッジソング)は一通り全部歌えます。ここで「歌える」というのは、男声合唱のセカンドテナーのパートが歌えてハモれる、ということです。ただ塾歌だけは卒業後しばらくして編曲が変わってしまい、歌えなくなりました。早稲田の分も「都の西北」はなぜか歌えますが、「紺碧の空」は歌えません。何とか譜面を手に入れていれば良かったなあ。
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