2024/09/06

鹿児島から帰ってきました

2024年9月6日

 

鹿児島方面に撮影旅行に行き、昨日無事の帰って来ました。久しぶりにAと一緒でしたが、5時出発とさほどの強行軍ではなかったので、体力的には問題ありませんでした。


Img_92151a 出発時、JR西日本のの駅員さんと車掌の一部が帽子をかぶっていないことに気がつきました。調べたら、8月から熱中症予防のため、制帽省略が認められているそうです。JR九州もそうでした。ただ客としては、誰が駅員か、誰が車掌(特に車掌)かわからないため、困ります。昔は「日射病防止のために、帽子をかぶりましょう」と言われていたくらいですから、さほどの悪影響を及ぼしているとは考えられません。蒸れるのだったら、「盛夏帽」として帽子の方を工夫すべきです。

 

「さくら」は岡山出発時は満員で、広島から先は空き出します。そして博多で一気に車内が入れ替わります。ジャパンレイルパスとおぼしき外国人(欧米人)を多く見かけます。何度も書いていますが、ジャパンレイルパスの「のぞみ」制限や三セク通過時の追加料金は、廃止すべきです。

 

撮影の方は、ED76を目当てに行ったら、ほとんど(撮影時間帯はすべて)EF510に置き換えられていました。八代まで銀ガマ(EF81303)が入るので撮りに行ったら、途中で踏切事故を起こして長時間停車、次のスケジュールがあるので、鹿児島へ引き返しました。

 

それでもこういう写真が撮れたので、収穫有りです。なおこの写真を撮っていて気がつき、後で調べたら、EF81の全長が18.6mなのに対し、EF510は19.8mと1m長いんですね。EF81のつもりで撮っていたら、電柱間のスパンに入りきれませんでした。

 

なお小生は帰ってきましたが、Aは他の人と一緒にまだ鹿児島にいます。

2024/07/10

キマロキが見たい(7)

2024年6月13日(木)

 

天気、曇。この旅行で初めて電波時計が受信した。北海道の両端(釧路と稚内)は電波時計の圏外であるが、札幌も電波が弱く、よほど条件のよいところでないと受信しなかったようだ。函館(北斗市)ではしっかり受信、北海道の広さを感じる。


Img_90181a ホテルを出て、昨日のコンビニで今日の昼食を仕入れておく。新幹線の駅の売店が当てにならないのも困ったものだが、札幌まで開業すれば単なる途中駅になってしまうのだろうか。青函トンネルの対応駅として、トンネル内のトラブルを考慮し、2面2線ではなく2面4線の線路がほしいところだが、どう使うかは全く考えない整備新幹線、ひたすら建設だけなので、東海道新幹線建設当初の古いの建設規定で造った線路をそのまま押しつけられるJRもかなり迷惑だろう。狭い複線間隔と、断面の小さなトンネルが高速化の足を引っ張っている。建主改従の歴史が、こんなところで繰り返されている。


Img_90201a 在来線ホームに出て、様子を見てみる。函館ー新函館北斗間は17.9km、東京-川崎間とほぼ同じである。在来線の気動車の他、電化されて電車の「はこだてライナー」が25分で結んでいる。しかし新幹線からロングシートの733系に乗り換え、25分走って函館に着いたとしても、「北海道に来た!」という感動はないだろうなあ。

 

昨日は気がつかずに今日初めて気がついたが、乗車目標が数字ではなく、アルファベットである。それもMならMelonとなっていた。AとBは見なかったが、まさか「アルファー」「ブラボー」ではあるまい(笑)。

 

Img_90391a 特急「北斗」は上下線がほぼ同時に入る。特急の走る区間としては今までの複線が単線化されたため、ここで行き違いを行うようダイヤが組まれているようだ。これは新幹線接続ダイヤを組もうとすると、障害になる。新函館の駅はもうちょい函館寄りにできなかったものか。そう言えば新青森の位置ももうちょい青森よりしてほしいところで、北海道新幹線の経路は札幌直行、青森と函館はガン無視である。

 

新幹線ホームに戻って「はやぶさ」に乗車。E5系である。グランクラスを張り込もうかと思ったがあまりに高く、グリーン車にした。座席はレッグレストはあるが、フットレストはない。このフットレストはシートピッチが狭いとかえって邪魔になるのだが、小生の体格だと、N700系グリーン車のフットレストはちょうど良い。先は長いので、靴を持参のスリッパに履き替える。なおN700系だとフットレストにそのまま足が置けるので、スリッパは使わない。


Img_90421a 発車。320km/h出せる車両の250km/hだから、静かで揺れない。窓を確認したら、N700系はいつの間にか1枚ものに変わってしまったが、しっかり2重窓である。北海道内では、北海道新聞のニュースが出る。かつてどの新幹線にもあった頃、出張の時は天気予報が重宝していた。3軌区間になり、やがて青函トンネルへ。電光掲示板に表示が1回出るだけだ。かつての789系「スーパー白鳥」では電光掲示板に大まかな現在位置がイラストで出て、面白かった。

 

新青森で乗務員交代、車内販売も乗車する。ただし弁当はなく、ドリンク類だけである。「はやぶさ」のグリーン車はドリンク類が座席で注文できるわけではなく、おしぼりのサービスもなく、「のぞみ」のグリーン車と比較すると待遇がずいぶん落ちる。その分グランクラスの待遇をよくしているのだろうが、グランクラスは先頭車だから実質2/3両、「のぞみ」が3両で実施しているのに比べると、ごく少数だけ待遇をよくしていることになる。


Img_90431a スマホで音楽を聞こうと思ったが、騒音が大きすぎて音楽どころではない。車両のせいではなく、トンネルばかりなのだ。なお小生はずっとアンドロイドウォークマンだったが、ついに起動しなくなり、スマホに切り替えた。「さくら」で熊本から音楽を聞こうと思ったがやはりトンネルばかりで、聞けなかった。つまるところ音楽を聞けるのは、東海道新幹線と山陽新幹線の岡山まで、ということだ。「はやぶさ」で300km/h走行になると、室内音もちょっと大きくなる。宇都宮から減速するので聞けるはずだが、東京が近くなって音楽を聞く雰囲気ではなくなってくる。

 

東京到着。余裕時間を作ったので構内をうろちょろでき、ビールと弁当を買いに行ける。ビールは銘柄を指定しないなら弁当と一緒に買えるが、お気に入りの銘柄を買おうとすると、やはりコンビニだ。淡麗生グリーンラベル。

 

東京駅で「のぞみ」に乗り込むと、それだけでもう帰った気分になるから不思議である。学生時代は、熊本行きの「みずほ」の20系寝台車に乗ると、もう帰った気分だった。
Img_90451a 3時間半後に無事岡山到着。おそらく最後になるであろう北海道旅行が終わった。

 

(完)

2024/07/09

キマロキが見たい(6)

2024年6月12日(水)(つづき)

 

ここからは、と言うより、小樽からはひたすら帰るだけである。乗車券も小樽発岡山行き。「北斗」は20分前には入線し、15分前から乗車可能だ。車両はキハ261系1000番台、振り子を止めてスピードダウンに徹した設計になっている。かつては一番速い列車は函館-札幌間で3時間を切っていたのに、現在は一番遅い列車はやっと4時間を切るくらいだ。札幌-函館間はこの列車で3時間45分、一方飛行機だと千歳空港経由でも2時間半で着くので、競争力はないと踏んだか。実際に、話は前後するのだが、札幌ー函館(新函館北斗も含む)を乗り通す人は意外と少なく、登別や室蘭での乗り降りが多い。函館連絡は新幹線ができるまで、競争放棄なのであろう。そして函館行きより室蘭や登別行きが多い状態では、新幹線ができても特急はなくならない。札幌駅は、どうするつもりだ?
Img_90081a_20240709175101 キハ261系はスピードダウンといっても最高速度は130km/hが120km/hになっただけなので、直線区間は結構速い。これがカーブになると20km/h以上の差が付くので、函館までだと1時間近く遅くなる。

 

苫小牧で太平洋側に出る。小樽を出発したときに見えていた海は日本海だったので、日本列島を北海道部分で横断した形だ。札幌からまっすぐ千歳線で南下すると室蘭だと思っていたが、室蘭はもっと西になる。

 

東室蘭からは一旦進路を北に、内浦湾をぐるっと一周することになる。この距離がバカにならない。長万部から札幌までを直線で結ぶと、間に羊蹄山と札幌岳がある。それを避けて少し北に回ったのが小樽まわりで、思い切り山岳地帯を避けて海岸線を行くのが室蘭まわりである。室蘭まわりの方が平坦地で速度は出せ、貨物も単機で1000tが牽けるが、距離は長い。そのため北海道新幹線は、函館本線の経路通りの小樽まわりになった。なお室蘭まわりの運行を強く要求したのは、進駐軍らしい。


Img_90141a 沿線には、北海道らしい風景が広がる。北海道らしいといえば北海道の屋根の特徴は、1)屋根材が金属、2)雨樋がない、3)片流れが多い、というところだろうか。腰折れ屋根は元々牛舎なので、倉庫だろう。北海道では雨樋を付けても雪で壊れてしますそうだが、雪が多くそれなりに寒くなる山形でも、雨樋はちゃんと付いている。何かも一つの要因があるのだろう。ただ元々北海道は雨は少なかったのが、温暖化の影響か、ここへ来て豪雨が降るようになった。そのうち北海道でも、耐雪雨樋というのが付くようになるかもしれない。

 

新函館北斗に到着。新函館を名乗っているが、函館市ではなく北斗市である。構内の配線は、右側通行。藤代線の関係かと思ったが、藤代線はかなり前に分岐し、ここは仁山まわりの旧線の線上である。従って勾配の関係で現在は上り線専用なのだが、特急は藤代線からこちらに引っ越した。函館に向かって右側ホームからは新幹線に平面降り替えができるため、遅れの出やすい在来線の乗客を素早く新幹線に送り込むためのようだ。

 

改札を出てしまったが、新函館北斗駅の売店は、改札内にしかない。札幌で夕食用の弁当を買って来ようと思ったのだが、4時間近くかかるので、見送ったのだ。地図で見たらこのあたりにはコンビニはなく、駅売店を頼るしかない。そこで入場券を買ってもう一度改札内に入るが、売店では弁当は売り切れ。18時を過ぎているから、こうなるか。なお在来線の「北斗」には当然車内販売は無く、新幹線の「はやぶさ」の車内販売は新青森からで、しかも売っているのはドリンクだけ。札幌から新幹線まで乗り通そうと思うと、そうというしっかり計画を立てて食糧を確保しなければならなくなった。なお昔よく在来線の特急の乗り通し、新大阪から熊本までとか、急行の岡山-熊本間の乗り通しを行ったが、その時代は急行でもビュッフェはあったし車内販売もあった。


Img_90151a さてどうしたものか、場合によっては夕食を食べに函館まで出るかと思ってホテルの方に足を向けたら、コンビニらしい店を見つけた。外に立て看は出ていないし、ドアもきっちり閉まっているが、やっているようだ。寒風対策か自動ドアなど付いておらず、防寒用の2重のドアを開けて中に入ると、きちんと営業中。海苔巻き、ポテトサラダ、カップの味噌汁、ついでにビールで、夕食ができあがった。なおこのコンビニは20時閉店なので、もう1本遅いと危なかった。

 

新函館北斗泊。
(つづく)

2024/07/03

キマロキが見たい(5)

2024年6月12日(水)

 

天気、晴。今日も暑いらしい。ここの朝食には海鮮茶漬けというものがあり、狙っていたが、昨日からおなかの調子が今ひとつなので止めて通常のパン主体にしておく。ベーコンもパス。
Img_89631aDscf2308a

ホテルはチェックアウトしたので、荷物を札幌駅のコインロッカーに入れる。小樽からまた戻ってくるので、荷物は札幌に置いたままにできる。コインロッカーをよく見たら、400円サイズが少し横に広い。昔のテレビと地デジのテレビの差のようだ。おかげでキャリーバッグが400円のロッカーに入る。これは助かる。

 

小樽までは快速エアポート、札幌から先は空くので、普通車で座れる。ロングシートだが、35分である。


Img_89651a 小樽からのバスは、しばらく待って水族館行きに乗る。手宮でなんとなここのあたりだという気はしたのだが、バス停の路線表示に総合博物館というのがあったので、そのまま乗る。ところがどんどん知らないところに入っていく。これは絶対違うと思った頃、終点の水族館前に付いた。終点で運転手さんに聞いたところ、総合博物館前を通る線と通らない線があるという。そう言えばそういう注意書きを見たような記憶があるが、すっかり失念していた。折り返しそのまま乗り、手宮で降ろしてもらう。料金は、片道だけで良いという。手宮で詳しい道順も教えてくれた。


Img_89681a_20240703174801 総合博物館の手宮口は、言わば裏口である。しかし屋外展示の車両には、こちらの方が近い。前回ここを訪れたのは2009年6月であるが、その時に比べて「荒れた」という印象が強い。展示車両はその時と変わっていないが、その時のまま15年分古びている。現役の鉄道車両は定期的に洗車清掃がされ、また間隔は長いが定期的に工場に入場し、再塗装される。この時は塗り重ねではなく、古い塗装は剥離し、腐食やひびがあれば補修し、パテで整形して再塗装される。鉄道車両の保存は、それこそ毎日のように清掃して手入れするか(九州鉄道記念館がそうらしい)、定期的に大修理をするか、あるいはその両方かなのだが、残念ながらどちらもなされていないようだ。いくらかは補修されているようだが、追いついていない。これでは遅かれ早かれ、スクラップになる。C5550は煙突が腐食して落下していたが、修理はなされるのだろうか。


Img_89891a 前回の訪問時にはED75501もED76509も健在だったが、どちらも絶縁油にPCBをつかっているとのことで、内部機器を取り出すことになった。しかしED76は取り出すのが大変で解体、前面だけ保存、ED75は外側だけなんとか形にして残すということだったが、ED75らしき半解体の車両がブルーシートに覆われていた。アスベストもそうだが、保存車両は現代の規制に合わせなければいけないので、大変だ。特にPCBはやっかいである。交流機や交直流機は全滅するかもしれない。なお九州のED72は乾式なので、PCBを使っていない。

 

小樽総合博物館の白眉は、SL修理用の治工具類だと思っている。蒸気機関車資料館という別棟に保管されている。まだまだSLの復元もあり得るので、残しておいてほしいものだ。
Img_89971aDscf2318a

昨日マックレー車の圧縮空気源はブレーキ管を使っていると書いたが、ここに保存してあるラッセル車を見たら、元ダメ管を装備している。SLだけとしか組まなかったキマロキと違って、ラッセル車はELやDLとも組んだ。おそらく後押しがDE10になったあたりで元ダメ管を装備したものだろう。ジョルダン車キ700の750番台は近代化改造で、台車が新しい。またディーゼルエンジンを積んでおり、動作翼も油圧だ。

 

貨車の展示も、トラ55000(通称ストラ)や北海道線用のセキ、さらには穀物ホッパー車のホキ2200など、珍しい貨車ではなく、なじみのあった貨車が保存してあるのはありがたい。願わくばワラ1やワム90000といったどこにでもいた貨車をどこか保存してくれないものだろうか。しかしワラ1やワム90000、現存車がいるのだろうか。


Img_89981a ここのスターは静号で、ちゃんと屋内展示である。C55にも屋根がほしかったなあ。それにこの屋外展示は、草取りをしてほしい。足回りが見えないだけではなく、これでは傷みも早くなる。除草剤が使えなくなって線路も草ぼうぼうのところが増えたが、まさかそれをまねているわけでもあるまい。


Img_89851a 帰りもやはり手宮から乗り、小樽駅まで戻る。そうしたら、計画の1本前の快速エアポートに乗れた。そう言えば今日はまだ昼食を採っていなかったので、札幌で駅ビル、というより駅タワーに上がる。軽い物をと思ってパンケーキの店に入ってメニューを見たら、どれもデコレーションケーキのような豪華さだ。一番シンプルなものと紅茶を頼む。まだ昨日のスープカレーのたたりが続いている(笑)。


Img_90001a_20240703174801 (つづく)

2024/07/01

キマロキが見たい(3)

2024年6月11日(火)

 

天気、晴。ビジネスホテルの朝食は、朝食付きのところに限るが、大抵はバイキングである。そしてこれは、高いホテルほど選択肢が多い。ここはパンの中でフレンチトーストもある。フレンチトーストはいくらかに追加料金が必要なところもあるが、しかも追加料金無しだ。これはありがたい。


Img_88121a 出発前にカメラのチェックをしていて、GPS受信機用の電池の予備を持ってくるのを忘れたことに気がつく。しかもGPS受信機は、電池切れ寸前である。山の中なら慌てるところだがそこは札幌の駅前、コンビニには不自由しない。ところがどこへ行っても単3は4本パックである。以前は2本パックもあったのだが、いつの間にか変わってしまった。仕方なしに、4本パックを買う。


Img_88211a 札幌駅はホームが暗く、駅撮りには向かない。以前もそう思っていたが、これは変わっていない。気動車特急は281系、283系といった振り子車が姿を消し、番台の違いはあるが、ほぼ261系に統一されたようだ。各停の電車は733系が主体になったが、731系に少数派の735系、さらには今までのごつい前面から一転して切妻顔になった737系も来る。737系は北海道の伝統の3両単位から脱し、2両編成になった。

 

電車特急はというと、785系は姿を消し、789系である。789系と言えばかつての青函連絡特急用であったが、新幹線の開通に伴いその車両も移動してきているようだ。なお系列名で785と789の間の787系は、九州にいる。順番から言えば、781が北海道、783が九州で、このあたりは一個飛びになっているのだ。789の後の881も、JR九州は使わずに空けてある。


Img_88271a 旭川行きのカムイ7号に乗車、車両はモハ789-1001、このカムイ用に造られた車両である。JR北海道の特急用車両は先頭の乗務員室に扉がなく客室用出入り口を共用していたが、この789系1000番台から乗務員用のドアが付いた。3月改正で自由席が減ったせいか、札幌時点でほぼ満席。通路側の席を見つけて座る。これでは靴からスリッパに履き替えるわけにはいかないな。カムイのアナウンスは日、英、中、九州と違って韓がない。ホテルの表示もそうだったので、北海道では韓国人の旅行客はまだ少ないのだろうか。釧路では道路標示がロシア語併記だったが、今はどうなっているんだろう。

 

旭川到着、やはり最高速度を落としたせいか、785系の時のような「めちゃくちゃ速い」という感じはしなくなった。旭川は改札口が上下線別にあったような記憶があるが、着いてみたら上下線一緒である。後で調べてみたら上下線が別の改札は帯広で、記憶違いであった。


Img_88281a 札幌からの特急と宗谷本線の列車は接続が良いとは言えず、ここで1時間の待ち合わせ。一旦外に出て待合室で過ごす。ただ宗谷本線の快速「なよろ」は始発のため入線が早く、20分前にはもう入線していた。

 

JR北海道もキハ40の置き換えがずいぶん進み、車両は新しい電気式気動車H100型になっている。行き交う車両も皆H100で、旭川ー名寄間は置き換えが済んでいるようだ。H100は20m級のため、車内はゆったりしている。実際のところ乗客数から言えば18m級でも良いのだが、最近の新車のトイレは電動車椅子対応が求められるため、トイレの占める面積が大きい。そのため、18m級でトイレ付きだと、車内の半分をトイレが占めているような錯覚に陥る。単行主体なので各車にトイレは必要だし、20m車にしたのは良い判断だと思う。


Img_89481a_20240701172101 そのH100単行の名寄行き快速が発車、座席は半分ほど埋まっている。このH100型は電気式である。ハイブリッドのようなバッテリーや複雑な充電回路は持たず、先祖返りしたような純粋な電気式だ。ご先祖様と違うところは、発電機と電動機が交流式になったことと、エンジンがめちゃくちゃパワーアップしたことだ。エンジンは最近の気動車標準となったコマツの450PS、2軸駆動だから空転にはキハ40のエンジン換装車より強い。600PSくらいにパワーアップして4軸駆動にすれば、完全にキハ54を置き換えられるのだが。

 

電気式気動車は変速がないので、当然の事ながら変速時のショックがない。電車も直流電動機の直並列制御からVVVFに変わってつなぎ替え時のショックがなくなったが、気動車はエンジンが高馬力になるほど変速段が増え、変速ショックも増えていた。なおこれまた余談であるが、DD51などの液体変速の機関車は、変速を機械的な切替ではなく油の流れを変えて行っているので、変速ショックはない。話を戻して、電気式気動車は乗っていて快適である。

 

電車の運転区間は旭川までであるが、架線は新旭川の先の車両基地まで続いている。その車両基地に、DE15のラッセルヘッドが首だけの標本のように並んでいた。ひょっとすると、機関車は廃車になってもラッセルヘッドだけは予備用に残してあるのかもしれない。


Img_88301a 塩狩峠も楽々と越える。さすがは450PS。ただH100はJR東のGV-E400をベースにしてあるため、運転台もJR東の左手操作のワンハンドルだ。この左手操作、マスコンが左手操作だから左手操作にしたのだと思うが大事なのはブレーキ扱いで、右手操作だったブレーキを左手操作にしたものだから、停止間際に微妙な操作ができなくなった(というか、やらなくなった)。雪の北海道ではもっと微妙な操作が必要なのに、それを利き手ではない左手でやらせられる乗務員さんは気の毒だ。

 

電気式気動車のエンジンは発電に最適な回転数に固定できるので一定でも良いのだが、負荷に合わせて低速段と高速段の2段階あるようだ。また無人駅では一般的な後乗り前降りにはせずに、前乗り前降りである。冬の寒さ対策で、できるだけ開口部を少なくしているのか?2両編成の信用乗車で全ドアを開けるなど、もってのほかなのだろうか。


Img_88411ajpg 和寒、比布と言った面白い駅名の駅を過ぎ、名寄に着いた。

 

(つづく)

2024/06/30

キマロキが見たい(2)

2024年6月10日(月)(つづき)

 

保安検査場から搭乗口に行く間に、フードコートを抜ける。さすが大阪。わかっていれば、ここでお昼という手もあった。ボーディングブリッジを渡って飛行機に搭乗。切符は早めに取ったので、窓際である。機種はA320-271N、航空券を購入した時点ではB-737だったのだが、途中で機材が変更になった。どちらにしろ、ナローボディ機である。伊丹空港は大型機が規制されているので、せいぜいB-787だから小型機になるのはしようがない。ジャンボ機全盛時代と違って現在は各路線とも小型機化が進み、大型機に乗ることがなくなった。最も小生は、JALの大型機は最新のA350はおろか、B-787にも乗ったことがない。使う路線が皆B-737に変わってしまったのだ。


Dscn4130a 同じA320でも新型機とあって、設備は充実している。各座席前にディスプレイがあり、音声はイヤホンジャック。イヤホンも必要に応じてもらえるが、マイイヤホンでも使用可である。そしてディスプレイにはマップも出せるし、前面と下面のカメラ映像も出せる。それは良いのだが、ともかく狭い。元々ナローボディの6アブレストより新幹線の5アブレストの方が一人当たりの幅は広かったのだが、それに最近(といっても、ずいぶん前だが)はシートピッチを詰めたもので、なんとも狭い。途中でトイレに行くのに、BC席の二人に立ってもらわなければ出られなかった。国内線だからこれでもまだ良いが、国際線でもエコノミークラスのシートピッチは似たようなものだろう。昔から「船に乗るときは、1等船室に乗るべし」と言われていたが、国際線も船と同じである。ただ飛行は快適で、無事新千歳空港に着いた。なおイヤホンは、回収しない。回収して消毒し再梱包するより、新品を配った方がコスト的に有利なのであろう。

 

千歳から札幌までは快速エアポート。これも昔と比べると、性格がすっかり変わったようだ。以前は空港連絡特化だったが、札幌近郊の輸送も兼ねるようになり、ただの快速だけではなく区間快速など種類が増えた。おかげで、どれが先に札幌に着くのか、判断に困るようになった。車両もロングシートの733系が主体になったので、この際Uシートの840円を張り込む。


Dscn4131a 変わったことは南千歳での停車ホームもそうで、以前は南千歳だけ右側通行で、反対ホームに停車していた。こうすると、釧路方面から来た客が同一ホームで千歳空港行きに乗り換えられ、また空港から釧路方面行くときも同一ホームで乗り換えられる。札幌方面から空港行きに乗り換える人は、一つ手前の千歳で乗り換えれば良い。欠点は南千歳の札幌側で進路が交差することで、ダイヤが乱れたときにどちらかに待ちが生じることだ。取りやめたのは乗客の利便性より運転の単純化を取ったものだろう。釧路方面直行の客が予想より少なかったのかもしれない。

 

札幌駅のホームは相変わらずだったが、改札口を出て驚いた。駅前にどーんと高層ビルがおっ立ち、1階部分はまだ工事中である。このJRタワーという高層ビルでせっかく確保してあった北海道新幹線用地を食い潰してしまい、新幹線ホームをどこに造るか大もめした曰く付きのビルだ。在来線の特急が新幹線に移行すると言っても、札幌は鹿児島とは違ってそこから先が長く、各地への特急はそのまま残る。ましてや今のメインルートは室蘭経由、新幹線は小樽経由になるから、新幹線ができても特急の数はさほど減らない。いろいろ見てくると、JR北海道は鉄道経営に不熱心なようだ。

 

ホテルは今回はいつもの東○インに空きがなく、ホテル○ッツを取った。ロビーは2階で、自動チェックイン機でチェックインする。小生はSuicaがホテルチェーンの会員証になっているが、自動チェックイン機は正面のディスプレイが大きく、Suica端末がどこにあるかわからない。クレジットカードの挿入位置もわかりづらく、場所を光らせるとか、もう一工夫必要だ。部屋に荷物を置き、夕食に出かける。夕食はいつものサ○ゼリア。札幌まで来てサ○ゼリアも何なのだが、変なものを食べておなかを壊すより、安全第一である。岡山のサ○ゼリアは、注文用紙に注文するもののコード番号を書いて注文するが、ここは注文は自分のスマホである。タッチパネルの店は多いが、自分のスマホにすると、ダッチパネルを消毒する必要がなくなる。このやり方、普及するかな?

 

ホテルに帰って入浴しようと思いバスルームを覗いたら椅子と洗面器が置いてあり、どう見ても和式である。これはこれで使いやすい。ビジネスホテルで風呂が和式なのは、淡路島(1990年頃?)以来である。

 

札幌泊。
(つづく)

2024/06/29

キマロキが見たい(1)

舌の腫瘍の切除をしたとき、舌癌の可能性は少なかったのだが、ふと行き残しているところは行けるときに行っておかないと、永久に行けなくなる、という気になった。特に長距離移動は、年々困難になってくるのだ。そこで思いついたが吉日とばかりに、名寄に行くことにした。名寄の駅近くの丘の上にキマロキ編成が保存されているのを見たのは、1999年の初めての(で現在では最後の)稚内行きの時である。この時が銀婚の1年後。去年金婚だったから、あれから25年経ってしまった。ネットで見る限り、健在である。名寄だけではあんまりなので、小樽の総合博物館と組み合わせることにした。


Ana0001a_20240629095702 岡山から北海道に行くには、岡山から飛行機で羽田で千歳行きに乗り継ぐか、伊丹まで新幹線などで出て伊丹ー千歳の直行便を使うか、である。いつもは往復伊丹ー千歳便を使うのだが、今回は片道は飛行機で、帰りは北海道新幹線初乗りを兼ねて新函館北斗から岡山まで新幹線を乗り通すことにした。

 

飛行機は、いつもはJALである。ただ今回、ためていたJALのマイルを能登半島地震に寄付して残っておらず、障害者割引の運賃がANAの方が安く、時間もちょうど良かったのでANAにした。ANAに乗るのは何年ぶり、いや何十年ぶりかもしれない。

 

ANAの航空券をネットで手配したら、「チェックインはオンラインチェックインで」と出てきた。障害者割引なので障害の程度を入力し、付き添い不要と入力したら、「オンラインチェックインが可能です」と出てきた。これはこれでかえって面倒なのだ。一応ANAアプリなるものもインストールし、オンラインチェックインに備えた。

 

乗車券や特急券は、わがままなJR海と違ってJR東と北だから、東海道線の「のぞみ」を除いてすべてジパングで購入した。北海道内は新千歳空港から札幌ー名寄ー小樽、そこから一気に東京経由で岡山と、道内は星形に回る。昔だったら1枚の連続乗車券だが、今は連続乗車券は2枚までになったそうで、連続乗車券2組になった。名寄が読めなかったり、経由地で印刷しきれなかったところは手書きで補充しなければいけないところを忘れたり、JRの窓口も質が落ちた。何はともあれ、準備はできた。

 

 

2024年6月10日(月)

 

天気、曇。長袖にブルゾンなので、少し暑い。名寄の気温が不明だが、旭川より北である。天気が悪いと、めちゃくちゃ寒いことは確かである。一応、薄手だがセーターも準備した。そのため荷物はキャリーバッグにリュック。カメラは本気で撮れるようにEOS 90Dの方を入れたが、そのためにリュックが苦労した。カメラを重点にすれば大型のリュックだが、それだと書類入れがきちんと立たず、ギリギリでいつも使っているビジネスリュックに変えた。障害者手帳や搭乗券控えを出す羽目になりそうな気がしたのだ。そのため、少し窮屈な入れ方になった。中を出すときには上のものも出さなければいけないので、しまうときに忘れ物をしないよう気をつけねば。

 

新大阪までは、「みずほ」。ホームに出たら、ちょうどハローキティ500系が出発するところだった。今度500系を撮りに行かねば。新大阪までは隣のC席が空いていて、助かる。新大阪から、大阪市営地下鉄改め大阪メトロ。ところが行き先が変わっている。乗り入れ先の北大阪急行が延長開業し、千里中央までが箕面萱野(みのおかやの=読めない(^_^;))行きになったのだ。情報は鉄道雑誌でつかんでいたのだが、千里中央が終点から途中駅に変わると、停車前に降りる支度をしなければいけなくなる。そして大阪モノレールで伊丹空港へ。大阪モノレールは主に道路の中央を走るが、高架道路のさらにその上なので位置が高く、ビルの8階くらいだ。道路が途切れると、ちょっと怖い。


Ana0001a_20240629095701 伊丹空港に着いたが、2019年にターミナルビルは大改修されており、どっちへ行ったものやら状態だが、羽田と同じでJALと逆の方がANAである。オンラインチェックインをするとそのまま保安検査に向かえるようだが、今回はキャリーバッグを預ける予定なので、カウンターがある方へ。そのあたりでオンラインチェックインを始めるが、いくらやっても先へ行けない。ついに「オンラインチェックオンは不可能です」と出てきた。半分は予想していたことだが、出てくるのが遅い。最初からわかっていることだから、チェックイン時ではなく、チケット購入時に「オンラインチェックイン不可」と表示すべきである。かなり時間に余裕を持ってきたから良いが、ギリギリだったら大変だった。

 

幸いチェックインカウンターの行列はさほど長くなく、すぐに小生の番が来た。前もって印刷しておいたチケットの控えと、多分出せと言われる障害者手帳を一緒に出す。オンラインチェックインだとスマホに表示したQRコードが搭乗券になるが、立派な紙の搭乗券が来た。なお紙は廃止されたかと思ったのだが、この先飛行機に乗るまでに、「保安検査票」と「搭乗案内票」と紙が2枚追加され、何と紙が3枚になった。急ぐときに確認にはスマホは役に立たず、やはり紙が一番なのであろう。

 

(つづく)

2024/06/14

北海道から帰ってきました

2024年6月14日

 

昨日、北海道から帰ってきました。詳しい旅行記はまた後で書きますが、行程は岡山から新幹線で新大阪へ、そして大阪メトロ(北大阪急行)千里中央→大阪モノレールで伊丹空港へ。そこからANAのA320で一気に千歳、千歳空港からはエアポートライナーで札幌です。その日は札幌泊で、翌日特急カムイで旭川へ、旭川から快速で名寄へ。名寄のキマロキの丘が、今回一番の目的地です。帰りは名寄からサロベツ4号→旭川でライラックに乗り換え札幌へ行って札幌泊。次の日はエアポートで小樽に行き、小樽の総合博物館を見てまたエアポートで札幌に戻り、札幌から特急「北斗」で新函館北斗まで行き一泊、最終日は新函館北斗からはやぶさ→東京駅でのぞみの乗り継ぎ、帰って来ました。ゆったりした行程を組んだのですが、ともかく、よく乗りました。


Img_88431a 北海道のは数年前に行っていますが、札幌に行ったのは2011年が最後、小樽に至っては前回行ったのが2009年です。ずいぶん変わりましたね。まず札幌が駅ビルならぬ駅タワーがどーんとおっ立ち、一部はまだ工事中です。このJRタワーがせっかく確保してあった北海道新幹線の用地を食い潰していますから、JR北海道は何を考えているのやら。在来線の特急は軒並みスピードダウン、振り子車のキハ281系283系は姿を消し、皆261系になっていました(番台の差はありますが)。旭川までの特急は昔乗ったのは785系の「スーパーホワイトアロー」でしたが、789系に変わって名称もカムイやらライラックやら。

 

エアポートもほとんどが733系に変わり、普通車はロングシート。各停もすべてロングシートで、かつての西武のように、20m3扉ロングシート車が幅をきかせています。

 

詳しいことは、旅行記で。写真は名寄の北国博物館、キマロキの丘です。

2024/04/19

四国水族館

2024年4月19日

 

昨日、カミさんと一緒に四国水族館に行ってきました。ずいぶん前から行こう行こうと思っていたのですが、コロナ禍に引っかかり、延び延びになっていました。

 

四国水族館の最寄り駅は、宇多津です。以前は岡山から琴平や観音寺に直通する各停24041801aがあり便利だったのですが、今は宇多津に直行するのは特急だけになりました。急ぐ旅でもないし、経費節約のために、各停です。やってきたのは227系、新車です。227系は3両編成が投入されてから、目にする機会が一気に増えました。金属バネの115系から空気バネに変わって乗り心地は良いのですが、どういうわけか蛇行動が多いです。高速運転、と言ってもせいぜい100km/hですが、になる茶屋町以南の本四備讃線区間になると、トンネル内で顕著に出ます。新車だからタイヤがすり減っているとは思えず、マリンライナーの223系では感じないところを見ると、ヨーダンパ有無の差でしょうか。山陽線も結構飛ばしますから、船坂トンネルでは蛇行動が出ているかもしれません。


児島でマリンライナーに乗り換え、坂出でJR四国の各停へ。今回見かけた各停は、すべて7200系の2連でした。なおJR四国は2両編成のワンマン運転を行っておらず(2両編成でワンマン運転の場合は、2両目は締め切りになる)、混雑しそうな区間の2両編成の場合は、車掌か客室乗務員が乗っています。ただし客室乗務員乗車の場合は運転に関する業務を行わないので、ドアの開閉は運転士が行います。そのため停車してドアが開くまで(半自動なので、ドア開閉可能になるまで)15秒くらいかかります。こんなやり方がもっと都市化したところで通じるわけはなく、JR四国は競争力を上げるための改善点は、山ほどありそうです。

 

閑話休題、多度津に到着。四国水族館まではバスもありますが、歩いて行ける距離24041807aです。しかもバスは2時間に1本。まずはゴールドタワーを目指します。小生はこのゴールドタワーには以前(四国水族館ができる前)一度上がったことはあります。本四備讃線が予讃線と接続するデルタ線を撮るためでしたが、あまりにもスケールが大きすぎ、列車が小さくなってしまって、写真になりませんでした。今回上がったら、窓に金魚がたくさん泳いでいました。金魚水族館になったみたいです。景色は、黄砂のせいでまるでかすんでいますが、これもまた一興でしょう。


そして水族館へ。割と小ぶりですね。水族館にはその間ごとにスターがいますが、本来はシュモクザメなのですが、現在のスターはなんと言ってもカワウソ(コツメカワウソ)です。2頭いたのが1頭がお嫁入りし、残ったのが1頭ですが、これがかわいい!手先が器用なようで、餌を両手で持ったり、飼育員のズボンを引っ張って餌をねだったり。展示ガラスを器用に利用して立ち上がったりもします。

 

 

イルカプールは瀬戸内海をバックにしたロケーションが良いのですが、今日は黄24041815a砂で景色は今ひとつです。パフォーマンスはおとなしめでした。


少し早めだったので、イ○ンの中でお茶して休憩。お茶はサイフと一緒に限る(^_^;。イートインコーナーが広いです。そして駅まで歩き、各停からマリンライナーへ乗り継ぎ。暑くなく寒くなく、天気も良くて、良かったです。

2023/08/12

名古屋の特殊鉄道とパンダくろしお(6)

2023年7月21日(金)(つづき)


Img_79801a 紀伊中ノ島から和歌山に戻る。このあたりは快速列車もすべて各停である。途中の紀和からの線路を見たら、和歌山線と一旦合流し、単線になっている。これでは和歌山線と和歌山市行きの同時発車はできないと思ったら、いったん側線に入って進入するルートがあった。これなら輻輳が避けられる。


これで終了とばかりにカメラをしまい込んだところ、やってきた287系の「くろしお」がパンダ顔だ。パンダくろしおは時刻表に書いてあったが、この時刻のものは載っていなかった。慌ててカメラを引っ張り出し、電源を切ったGPSユニットは外したままで撮る。GPSユニットはいったん電源を切ると、位置確認に10分以上かかるし、どうせ場所はわかっているのだ。よく見たら、正面の子パンダがいない。どうやら子パンダ付きと無しと、2編成いるようだ。

 

今度は本当にカメラをしまい込み、一旦外に出て昼食。そして225系の紀州路快速で大阪に向かう。今度も進行左側の席なので、行きと合わせると沿線の両側が見える。途中の日根野で関空快速と併結するが、日根野では関空快速が先に来て待っImg_80021aていた。つまり、行きも帰りも関空快速が先頭で、折り返し運用では関空編成と紀州路編成が入れ替わることになる。このあたりはサンライズも同じであるが、所属区が(東海車の預け先も)出雲のため必ず来区する運用を組むサンライズと違い、単なるローテーションであろう。


天王寺から大阪環状線へ。昔は天王寺のあたりには、何やら正体不明の線があったような気もする。西九条までは貨物列車が乗り入れてくるが、どうやら単線で貨物線(通称梅田貨物線)が引かれているようだ。西九条で分かれる桜島線の安治川口に貨物ターミナルがあるためである。吹田の貨物ターミナルが大きいのだが、大阪市の中心部から離れているため(住所も大阪市ではない)、梅田貨物駅の代わりは安治川口になったのであろう。なお安治川口へは東京方面からはまっすぐは入れるが、岡山方面へはいったんスイッチバックしないといけない。逆に大阪貨物ターミナル(新幹線鳥飼基地の隣)は東京方面からはスイッチバックになるが、岡山方面へはまっすぐに出られる。

Img_80091a

 

その梅田貨物線を、今度は新大阪で狙う。大阪で乗り換え、新大阪の1番ホームに着いてみると、すでに同業者が多数いる。まだ早いがと思っていたら、横の貨物線を甲種回送が通過した。後の車両だけ撮れたので後で確認したら、西武の新車だった。ここは東海道貨物のメイン路線である北方貨物線もかすめるのだった。


時間前に「はるか」を撮り、やがて本番。先頭車は良いが、後押しは見る人が見ればわかるが、なかなか後押し感が出ない。新大阪は、やはり動画に適した場所である。しかし旅客ホームを堂々と後補機付きの貨物列車が通過してくれる。


これで全予定は終了。岡山までは「ひかり」の自由席でのんびり帰Img_80471aった。


Img_80581a_20230812141901Img_80681a完。

より以前の記事一覧

フォト
2024年10月
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31    
無料ブログはココログ