2009/11/01

板谷峠に紅葉見物

2009年11月1日

天気がよいので、板谷峠まで出かけてきました。紅葉が良いシーズンだと思ったからです。
庭坂で山にかかるところの写真も撮りたかったので、福島まで「つばさ」で行って庭坂へ。つばさの指定席の販売状況を見たら満席だったのに、自由席は上野を過ぎても40%くらいの乗車率でした。福島から庭坂までは奥羽本線の各停で2駅ですが、福島-米沢間の各停は2,3時間に1本しかありません。そのために庭坂までは路線バスです。こちらも1時間に1本くらいですが、それでも鉄道の3倍走っています。Img_0899a
ところが郡山までは良い天気だったのに、福島はどんより曇っています。庭坂でもガスがかかったようになり、見通しが利きません。一応撮るには撮って、各停で今度は大沢へ。福島行きのホームの案内には、「福島、上野方面」という案内表示板が残っています。

板谷峠で紅葉の中を走る列車を撮るのに、一番良いのは赤岩-板谷間で川の対岸から撮ることです。ところがここは橋がありません。向かい側の山も地図で見るとわずかに林道らしきものもあるにはあるのですが、それこそ登山の装備でもしないとは入れそうもありません。40年くらい前に対岸から撮った写真を見たことがあるのですが、おそらく現在は入れないでしょう。どこでもそうですが、40年くらい前に山から見通せたところは現在は木が生い茂って、立ち入ることも難しくなっているようです。Img_0930b


大沢の駅はスノーシェッドにすっぽり覆われています。と言うより、スノーシェッドに覆われたかつてのポイント部分にホームが作られています。出口はそこから現在は保線用となっている線路沿いをずっと歩いたところにあります。そこはかつてのホームもそのままですが駅舎はなく、トイレすらありません。板谷、峠と乗降客があり、峠ではハイキングらしいかなりの客が降りたのですが、大沢で降りたのは小生一人でした。Img_0942a

奥羽本線自体は駅を出てもずっとスノーシェッドが続いており、しばらく歩かないと線路は見えません。一旦川沿いまで出て地図で狙いを付けたところに来ると、思っていたとおりの場所に出ました。バックの山は紅葉で、その前を列車が走る構図です。ところが肉眼では無意識にスポットを絞りながら見ているのですが、カメラを通してみると紅葉の広がりが足りません。やはり紅葉の中を走る列車を撮ろうと思ったら、もう少し距離を取らないとだめなようです。しかも山は日が暮れるのが早く、着いた頃にはもう日がかげり始めました。日がかげると赤や黄色はきれいな色が出ません。やはり山の中には午前中に来ないとダメですねImg_0947a

連休の土曜日なのに今日は臨時列車が少なく、そのため1本だけ残っている400系は走ってこず、そんなこんなで満足できる写真は撮れなかったのですが、紅葉はきれいでした。帰りはアップグレード券で乗ったグリーン車で、ゆったりと帰りました。行きも帰りも新車ではなく昔からいるE3系1000番だったのが残念ですが、快適でした。

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2009/10/05

「大人の休日」撮影旅行記(5)

2009年9月6日(つづき)

来た時と同様、キハ40の単行で函館に戻る。ところが今度は部活の高校生で満員、仁山の引き上げ線をじっくり見ようと思ったが、右側の席には座れなかった。仁山のトンネルを過ぎると天気は一転して晴れ、やはり山一つ隔てると、天気は全く変わってしまう。まあいきなり来ていきなり良い写真が撮れたら、苦労はない。途中の渡島大野には北海道新幹線の車両基地を建設中、どうやらこのあたりに新函館駅ができるようだ。函館からずいぶん離れている。Dscf2428a


函館駅でちょうど出発するスーパー白鳥がいたので、789系というよりJR北海道のドア操作方法を見てみた。車掌が乗務するのは2号車のドアのある車掌台で、ホームに降りたままドア操作、ドアが閉じたことを確認して列車に乗り込み、車掌台のドアは開けたままで発車合図をする。そしてドアは開けたままホームの監視を続けるので、東京近郊の私鉄でいえば京浜急行と同じやり方である。小生はこれが一番乗客の安全性が高いと思っている。東京近郊のJRの、発車合図無しで発車するやり方は、何とかならないものか。Dscf2429a


函館で昼食を取り、摩周丸へ向かう。乗る列車は15時42分発の白鳥30号なのでもう少し大沼にいても良かったのだが、摩周丸を見るために少し早く戻ってきた。なお今日の午後の上り白鳥は、全列車満席である。Dscf2430a

青函連絡船に乗ったのは40年前の1往復だけであるが、それでも今となっては乗った経験は貴重である。その時に乗った羊蹄丸は、現在青森に係船されている。摩周丸は、残念ながら車両甲板には入れない。鉄道連絡線への貨車の積み込みと引き出しは、船と連携した独特の技術を要するが、その技術も忘れられている。ただもう必要とされることもあるまい。その当時乗った1等指定席(1等自由席と指定席では、同じ1等でも席が違う)も再現されている。その当時は読書灯はなかったように思う。Dscf2434a
座ってみて広いシートピッチに、当時のことを思い出す。往復とも出航前に寝てしまい、起きたのは接岸のショックでだった。操舵室にも行ってみる。操舵輪はいわゆるパワステなので小さいが、自動車のように斜めに付いている。小型船なら見たことがあるが、大型船で自動車タイプの操舵輪は、初めて見た。Dscf2435a


ビール(キリン淡麗生グリーンラベル)とおみやげを買って白鳥30号に乗り込む。ビールはもちろん千歳工場製だ。同じホームの向かい側に、函館からの北斗が到着する。函館では札幌から本州方面への乗り継ぎが同一ホームでできるように考慮されている。やがて発車、海峡線には何回も乗ったが、函館側から青函トンネルを通過するのは初めてだ。沿線にいかにも北海道らしい家が多いが、「北海道らしい」と感じる要因を調べてみたところ、雨樋がないことと、石(またはコンクリート)造りの煙突があることだと分かった。Dscf2437a
青森側に入ると雨樋のない家はあるが、石造りの煙突は姿を消す。また本州の雪国に多い屋根の雪止めは、北海道にはない。木古内で左側に松前線の跡があるのに気がつく。青函トンネルを抜けると、雨がぽつぽつ落ち始めた。Dscf2440a

青森で意外なことの半分近くの乗客が降り、また同数乗り込んできて満席になる。789系が自慢の快足を披露できるのは、青函トンネル内と青森-八戸間だけである。八戸での乗り換え時に弁当を買う。また八戸での弁当になってしまった。この後はやてを大宮で降り、明日の会議のためあさまに乗り換えて高崎に向かうことになる。

(完)

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2009/10/03

「大人の休日」撮影旅行記(4)

2009年9月6日(日)

今朝は7時26分発の函館線各停に乗る。目的地の大沼は各停しか停車しないので、これに乗るしかない。大人の休日パスの区間から外れるので、切符を買って乗る。昨日と4分しか違わないのだがこの4分は大きく、今日はホテルの朝食を採らずに昨日買っておいたコンビニサンドだ。主要幹線の函館本線と言えども各停はキハ40の単行、800番台だ。車内でサンドイッチを食べる。出発してすぐに函館運転所の脇を通るが、先頭だけ国鉄色の183系がいた。やがて編成全部塗り替えるのだろうか。Dscf2427a


函館本線は七飯までは複線で、そこから勾配の急な旧線と、新しく勾配緩和のために作られた下り専用の通称藤代線とに別れる。関ヶ原の新垂井あたりと同じだ。旧線は上り列車用であるが、各停は旧線を通る。この線はかつて仁山越えと言ったが、その仁山駅は登り勾配の途中にあり、雰囲気の良い駅舎と加速線の跡が残っている。Img_0735_1a
蒸気機関車時代函館本線はD52が引いていたが、重い貨物列車は勾配途中の駅からは起動ができなかったので、水平の加速線に一旦引き上げてそこから勢いを付けて上った。熊本の田原坂にもあったが、跡はまだ残っているはずだ。仁山に降りて撮影したいが一旦降りると2時間以上待つことになるので、しっかりスケジュールを立ててこないといけない。キハ40も仁山を発車するときは、ノッチを先に上げてからブレーキをゆるめる。自動車の坂道発進の要領だ。Img_0744_1a


大沼に着く。朝方まで雨が降っていたようで、まさに雨上がりの様子だ。昨日の五稜郭の天気は、一体何だったのだ。大沼には40年前の冬に撮影に来たことがあるが、当時の記憶は全く残っていない。当時の撮影行は、駅からは線路を歩いて目的地まで行ったことだけは確かである。さすがに現在はそれはできず、国道5号線を歩いて行く。交通量が結構多い。その40年前は氷結した小沼側からC62を撮ったが、当時は簡単に沼に降りられたようだ。6_1a


目的のポイントに着く。先客が2グループ、今回の旅行で同業者にあったのは初めてだ。ここは広いので、多少の先客がいても場所はある。挨拶して後の人の邪魔にならないことを確認し、荷物を降ろす。函館本線がもっとも大沼の近くを走るところだが、大沼自体は大沼と小沼の、繋がっている2つの湖からなっており、こちらは小沼である。やがて貨物列車がやってくる。Img_0759a
機関車運用表ではDD51になっていたが、来たのはDF200の重連だった。沼の向こうの山に霧がかかっているのが誠に残念である。スーパー北斗を撮るが、ここでも先頭部に人がいる。写真を拡大してみたら、線路監視の保線区員のようだった。その後DD51や183系の北斗などを撮る。撮影の合間はガードロープに腰を下ろし、足に無理がかからないようにする。Img_0772a


DF500重連の後は他のグループは立ち去り、ここまで一人だったが今度は後続が自転車で現れた。やはり東京から「大人の休日倶楽部」できた人で、自転車は大沼公園のレンタサイクルである。なるほど、こういう手があったか。3_1a
片目になってから一度も自転車に乗っていないが、今度試してみよう。雑誌に出ているポイントがここだということを教え、もう少し先に行けば天気が良ければ駒ヶ岳と一緒に写せるポイントがあることも教える。そう、天気が良ければ、である。小生はあきらめ、函館に引き返すことにする。

大沼駅まで国道5号線を歩いて戻る。何か大会でもやっているのか、高速ツーリング仕様の自転車のグループが、ひっきりなしに通る。雨が落ちずに何よりである。大沼から函館までの切符を買う。考えて見れば、五稜郭までで良いはずだ。Img_0812a
次はそうしよう。大沼では函館側も長万部側も線路が別れており、X字の中心に当たる。そのため駅の構内は広い。架線がなく複線で広い構内を持った駅はかつては筑豊にもあったが、現在では北海道でしか見ることはできなくなった。また分岐駅でもあるので、大沼折返しの列車もある。こちらもキハ40の単行である。

(つづく)

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2009/09/27

「大人の休日」撮影旅行記(3)

2009年9月5日(つづき)

木古内はおろか、松前半島で下車するのが今回初めてである。来たときには気がつかなかったが咸臨丸の解説、咸臨丸が沈没したのはこのあたりらしい。ホームに出て白鳥3号を待つときに、駅の外れの車庫の中にDE10がいるのに気がついた。おそらく青函トンネルの救援用であろう。485系3000番台の白鳥3号で函館に向かう。Dscf2415a


函館に着いたら、「歓迎!大人の休日倶楽部様」の横断幕。大人の休日倶楽部パスはJR東日本だけの発売なので、函館まで来てもJR北海道の収益にはならないのだが、やはり「函館まで来たのだから」と大沼や洞爺湖まで足を伸ばす人がいるのであろう。小生もその一人だが。駅ビルで遅い昼食を取る。Img_0722a


もうアーリーチェックインの時間帯なので、ともかくホテルに行く。チェックインして部屋に入り、靴下を脱いで足にボルタレンを塗る。Sカーブのところで立ちっぱなしだったので、結構痛みが出ている。まあ痛いだけなので、痛み止めを塗っておけばいい。Dscf2420a


荷物を置いて身軽になり、とりあえず市電でも撮るが、思い立って五稜郭に行ってみることにする。前回函館に来たときには、五稜郭は行く時間がなかったのだ。ここは市電ではなく、バスの方が近い。ちょうど良い時間のバスがあったが、降りる駅を間違え、1つ先まで行ってしまう。天気も良し、景色も良しで、五稜郭公園の横を歩く。五稜郭タワーが青空に映える。本当に良い天気だ。ただし撮影場所は松前半島で函館市とはまた天気が違い、木古内はどうだか分からない。Img_0725a


五稜郭は公園もきれいだが、やはり上から見下ろした方が良い。エレベーターでタワーの展望台まで上がる。良い天気だが、遠くは雲がかかっている。五稜郭を見下ろす。よくこの見事な五角形を作ったものだ。下を眺めやすいように窓は下が手前に寄っており、あまり窓のそばに行くと足がすくむ。完全なオーバーハング部に立っているのだが、それを考えるともっとすくむので、考えないようにする。Dscf2424a


函館戦争と言えば、土方歳三。新撰組のあの隊服を着た土方と、洋服姿の土方とが同一人物とはなかなか思えない。そういう時代の境目だったのだ。Dscf2425a


今度は市電で函館駅へ。夕食もまた駅ビル。サッポロクラシックがうまかった(治療中の方、ごめんなさい)。Tホテルの部屋でテレビを見ていたら、スタッドレスタイヤのCMが入る。山形でも10月にはタイヤを取り替えていたので、9月はスタッドレスタイヤの広告が出る時期なのだ。この感覚、すっかり忘れていた。
函館泊。

(つづく)

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2009/09/23

「大人の休日」撮影旅行記(2)

2009年9月5日(土)

青森の朝はなぜか晴れ、紫外線対策の日焼け止めを持ってこなかったことに気がつく。緯度も高いし9月だし、帽子だけで良いことにする。青森駅前もビルが増え、10年前の寂しい印象がずいぶん変わった。Dscf2410a
八戸に市営バスが走っていることに驚いたが、県庁所在地である青森にもしっかり市営バスが走っている。7時30分発の白鳥41号は485系3000番台、10年前と全く同じだ。JR東日本の車両であるが、車内の冊子は北海道仕様。車掌は函館までJR北、車内販売員は逆にJR東という組み合わせ、運転士は蟹田で交代する。旧運輸省が他社での運転に難癖を付けてきたので、交代せざるを得なくなったようだ。Dscf2412a


海峡線は中小国で津軽線から別れるが、その先の津軽今別も津軽線の津軽二股とほとんど接している。ところが今はそこに渡り線が作られ、青函トンネルの新幹線化工事の基地になっている。青函トンネルは新幹線用として一旦完成し、それを在来線用に改造して開業したいきさつがある。民間の工事だったら最初の工事中に3線化もしくはその準備工事を行って、どちらにでもすぐ使えるようにして開業し、現在の新幹線化工事などやらずに済んだだろうに、国が絡むと色々面倒になる。Dscf2413a


木古内に着いたらやっぱり雨、小雨だが傘が必要なくらいの雨だ。待合室の客の多さにびっくりするが、松前線が廃止されたため木古内は松前行きバスのターミナルとなっており、そのバス待ちの客のようだ。コインロッカーを見つけ、不要な荷物を放り込む。ショッピングバッグを買っておいて良かった。Dscf2414a


木古内駅から地図を頼りに、ネットで紹介されていたポイントへ向かう。昔と違って在来線であっても線路を歩くわけにはいかないので、地図が欠かせない。Img_0663a
道に迷いながら1時間くらいでトンネルの上に到着。その間に上りの貨物列車が1本通過する。貨物列車のダイヤは自分で作ったが、五稜郭の着発時間しか分かっていないので、途中に特急列車の待避などが入ると、通過時刻はまるで違ってしまう。Img_0672a


今の列車は94列車のはずだが、小生のダイヤより20分くらい早い。しかし道に迷っていた間に、雨が上がった。このポイントはトンネルの両側で上りも下りも撮れる。しかし構図は、上り列車の方が良い。後で調べてみたら、天気の良いときにはバックに横津岳や袴腰岳といった1000m級の山が見えるようだ。これは好天の時に再訪する候補地だ。Img_0686aコキ104系できれいに揃った貨物列車が通過する。3062レか。コンテナもフル積載で、ロングで全編成を撮ってもきれいだろう。

線路際まで続く道らしきものが見えたので、藪コギをして行って見る。ところが草が高く、脚立があればいいポイントなのだが手ぶらではダメであった。また戻ったが足回りはびしょ濡れ、雨上がりの藪コギなどするものではない。

今度はもう一つのポイント、Sカーブへ行く。廃線の線路敷きであるが、思ったより住宅の近くだ。雨が上がったので荷物は下ろせるが、腰を下ろす場所がない。この場所はよい場所で迫力があるが、いかんせんできあがった写真は今ひとつだ。構図を決めていたのに列車に釣られてカメラを振ってしまったようだ。まだまだ修行が足りない。Img_0696_1a


だんだん天気が良くなり、暑くなる。しかし足の痛みがだんだん増してきて、休憩のために一旦駅まで戻る。ところが駅前に食堂はあったものの、駅売店は休日でお休み。足が痛いこともあり、予定を早めて13時16分発の白鳥3号で函館に向かうことにする。

(つづく)

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2009/09/21

「大人の休日」撮影旅行記(1)

JR東日本の「大人の休日倶楽部会員パス」は函館まで行ける。ということは、函館から先を別途購入すれば、その先へも安く行けることになる。以前からこれを使って函館まで行こうと思っていた。パスの今回の期間は9月3日から9月14日までであるが、この間に土日が挟まるのは5,6日と、12,13日である。しかし12日は年1回の高校の同窓会でそちらも出たいので、使えるのは5,6日だけとなる。その週は4日と7日は会議という悪条件、しかしやっぱり行くことにした。今回の目的地は木古内と大沼、ターゲットは貨物列車である。

事前準備は着々と進めておいた。RailMagazine誌の付録の貨物用機関車運用表から、海峡線と函館線の貨物列車ダイヤを作っておく。旅客列車は時刻表から作れる。それにもう一つ、ボルタレンの塗り薬を買い込んでおく。ボルタレンは怖いくらいに効く痛み止めで乱用はできないが、いざというときには頼りになる。足底腱膜炎がどう暴れるか分からないので、一応用意しておく。薬事法改正後の第一種医薬品は、初めて買った。暇だから良かったが、面談でやたら時間がかかる。SDカードも買い足し、準備はできた。ただ天気は悪いようだ。

雨に降られると北海道は急激に冷えるので、防寒衣も一応用意する。まあ凍死することは無かろうが。もう一つの準備、日曜日には家に帰らずそのまま群馬に直行し月曜日の会議に出るので、群馬に作業服を送っておく。やはり遊びスタイルで会議に出るのは、ちょっとまずい。Dscf2406a


9月4日(金)
完全な遊びスタイルで出勤するので、フレックスを使って出勤時間をずらす。社内は作業服なので、ばれない。午後から定例の役員報告会であるが、組織上はグループリーダーを卒業しているので、報告者ではない。ただし質問に備えて、出席だけはする。こういう時発表順が早いと、助かる。書類上は午後半休で、グループの報告が終わると会議室を抜け出す。さて今から出発であるが、帰りは北海道から群馬に直行するので、会議用の資料もリュックに入れる。駅まで歩くが、荷物が重い。思い立って途中のスーパーにより、たためるショッピングバッグを買う。撮影地点の駅にコインロッカーがあれば、不要なものをこのバッグに入れてコインロッカーに放り込むことがで
きる。心臓病の上に足も痛めているとなれば、荷物は軽い方が良い。Dscf2407a


少し早めに東京駅に到着。隣のホームは「ポケモン新幹線」。航空会社がよくやっていたが、ついに新幹線にまで現れた。はやて25号の入線は発車時刻の20分くらい前だが、発車15分前までドアは開けない。車掌の出場が15分前なんだろうが、客車区から車掌は乗り込んで駅に入線する列車を見て育って来た身には、どうも違和感がある。それでも折返しで3分前に乗車させる山形新幹線よりは良い。ドアが開くとすぐ乗り込み、構内のベックスで買ってきたコーヒーで一服する。車両は車体間ダンパ付のE2系1000番台、同じE2系でもこちらの方が揺れない。

定刻発車、大宮でほぼ満席となる。東北新幹線は防音壁の上にポリカーボネート(ポリカ)で防音板をかさ上げしてあるところが多いが、透明だったポリカも経時劣化でほとんど不透明になっている。ポリカは傷が付きやすい。MAXのように騒音源が床上にある車両を走らせるから、防音板をかさ上げしなければならなくなるのだ。おかげで景色が悪い。
仙台で大量に下車し、また大量に乗車。隣に盛岡までの各停のやまびこが止まっていて、その乗り換え客が多い。各停追い抜きの私鉄急行並みだ。Dscf2408a


計画通りに八戸で弁当を購入。これをやるためには、八戸でゆっくり降りていては間に合わない。弁当と一緒に買った「一番搾り」は、仙台工場製だ。この2つを持って、スーパー白鳥25号に乗り込む。遅い便だが結構混んでいる。789系をよく見たら、2号車にドアのある車掌台があり、車掌はそこに乗っていた。この乗務方式なら、運転席のドアは不要である。定刻青森着。青森で降りるのは、10年ぶりになる。青森のホームでついつい前側(海側)に行ってしまうが、現在の出口は後側にある。青函連絡船も、歴史の彼方だ。
青森泊。

(つづく)

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2009/08/14

お盆休みの出張

2009年8月10日
時々顔を出している大学の先生が盛岡で8月12日に実験をやることは知っていたが、急遽それに参加することになった。材料を提供していると立ち会わないとまずいようで、京都からも某メーカーの人が来る。まず大学から会社に電話を入れ、部長の了解を取る。最近は出張も制限が厳しいが、大学の実験の立ち会いなのですんなりOKが出た。次は切符だが、先生達は東京駅発7時20分、盛岡着9時49分の「はやて」133号で行く。しかし盆休みの12日の切符が今頃手にいるとは思えない。とは言うものの何とかしなければいけないので、ともかく駅へ急いだ。
自宅の隣のM駅、まず12日の朝の切符を指定席券売機で検索すると、思った通り全席売り切れ。「はやて」は全席指定席なので、自由席に並んで乗る手も使えない。ざっと見たら夜の方がまだありそうなので、前日に行くことにする。前日と言っても明日なので、まずホテルの手配。W-ZER03で検索するが、小さい画面で文字の位置がずれ、何が何やらわからない。本当にW-ZERO3はいざというときには役に立たない。仕方なしに近くのインターネット喫茶に飛び込み、宿をまず確保。次に駅にとって返し、1枚だけ残っていた盛岡行き最終「やまびこ」の切符を確保した。キャンセル分のようで、窓側のE席だった。これから家に帰って出張の準備である。


8月11日
会社で出張簿を提出し、同僚に昨日の切符入手の話をすると、「めちゃめちゃ現役ではないか。」とからかわれる。どうも小生は変わった形の出張には、気合いが入るようだ。会社は明日から夏休みに入るので、午後は大掃除。ついでに引き出しに残っていた人事関係の「ヤバイ」書類をシュレッダーにかける。終業後は納会。昔風の会社である。納会を半分くらいで切り上げ、出発する。夕食は食べたことになるが、3時間も新幹線に乗っているとお腹も空くだろうから、おやつを仕入れて駅まで行く。
「やまびこ」67号は東京駅発車20時16分、仙台から先は最終列車となる。車両はE2系10両、良かった。10両編成だと200系もあるが、どうも200系は居住性が悪い。「はやて」が全車指定席のせいか、「やまびこ」は自由席が6両と多い。当然満席であるが自由席が多いせいか、指定席で立っている人はいない。すでに車内は岩手弁モード、かつての寝台列車の雰囲気である。いつもは宇都宮や郡山でかなりの人が下車するが、今日はほとんど動きがない。福島駅13番ホームに入るのは珍しい。いつもは「つばさ」か「つばさ」併結のMAX「やまびこ」で、これは14番ホームだからだ。仙台では少し降りるが、それ以上に乗ってくる。仙台止まりの「やまびこ」の自由席で来た人たちが、乗ってくるのであろう。これが最終なので、無理してでも乗らないと次はない。
仙台から先は各駅停車であるが、次の古川に始まり、各駅でどんどん降りる。こういう役目の盛岡行き「やまびこ」なのだということが、実感としてわかる。盛岡では乗車率は30%くらいになった。盛岡着は23時29分、駅前のホテルにチェックインし、お風呂に入って寝ただけであった。


8月12日
東京を朝出る人達に合わせてあるので、朝はゆっくり寝ていられる。9時半頃駅に着くと、どうもそれらしい人が「先生達がいない」と改札前で騒いでいる。声をかけて到着時刻を知らせたが、「はやて」133号については到着時刻どころか今日運行していること自体が駅のどこにも掲示が無く、9時22分着の「はやて」1号と勘違いしたらしい。到着時刻については、盛岡駅は不親切だ。盛岡駅から車で移動したが、かれこれ1時間以上高速を走る。後で調べてみたら、新幹線の3駅も戻っていた。
先生の実験は無事終了し、また盛岡まで移動。余裕があると思ったが、駅に着いたのは東京行き「はやて」の出発時刻の5分前であった。小生と京都の人だけが急いで乗り、残りは1時間後の「はやて」、先生は盛岡泊まりである。小生は「こまち」の方の切符を買う。3.4mに5列の座席より、3mに4列の座席の方が、ゆったりしているのだ。時間ぎりぎりで弁当を買う時間はなく、缶ビールだけ買って飛び乗る。ちょうど車内販売が来たので弁当を仕入れ、やっと落ちついた。
「はやて/こまち」はさすがに速いが、それでも東京駅着は20時8分、隣のホームには昨日乗った盛岡行きの「やまびこ」67号が止まっていた。約24時間、かなりバタバタした出張で仕事の成果というと疑問であったが、個人的には面白い出張であった。

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2009/08/11

盛岡に向かっています

明日(12日)から会社は夏休みに入りますが、なぜか背広を着て東北新幹線に乗っています。急遽試験の立ち会いの仕事が、それも盛岡での仕事が入ってしまいました。お盆の前の盛岡行きなどまず切符は取れないのですが、偶然最終のやまびこが1席だけ空いていました。今夜は盛岡泊まり、明日一日仕事で、明後日から夏休みです。

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2009/07/25

襟裳から小樽へ(10)

2009年6月22日(月)

今日が今回の北海道旅行日の最終日、帰る日でもある。カミさんは北斗星なので札幌夕方の発車だが、小生は午後の飛行機が撮れずに13時という早い時間なので、もう朝からすぐに出発である。小樽の天気は曇、札幌は雨のようで、カミさんはいろいろ迷った末に、小樽の水族館に向けて出発した。Dscf2387a


さて小生の方は、まず手宮線の跡地をじっくり見る。横浜の汽車道と違って昔の線路をそのまま残してあるため、古い木の枕木がそのまま残っている。この枕木にある鋭い刃物で付けたような傷、これは防腐剤をしみ込ませるために、わざと付けてあるのだ。昔三角の中学校の通学路のそばに枕木と電柱の防腐工場があり、そこで作業を見ていたので、工程はよくわかる。Dscf2389a

昔の線路をそのまま残してあると思っていたが、大通り(中央通り)の踏切部分は、線路の方を切り下げて道路を直線にしてある。そうしてまでも踏切を残して、手宮線の跡地を保存してあるのだ。Dscf2393a


今お祭りの真っ最中の竜宮神社に行ってみる。敷地は狭いが、榎本武揚の立派な銅像があった。蝦夷地は榎本武揚の夢の大地であったらしい。Dscf2395a


千歳空港行きのエアポートは、Uシートを奮発する。奮発と言っても300円なので、湘南新宿ラインのグリーン車に比べれば、ずいぶん安い。駅に入る前にロッテリアでコーヒーを買ったら、カードのポイントでまかなえるとのこと、ポイントだけで買って現金を払わないと、何か得したような気分になる。Dscf2396a

Uシート連結のエアポートは721系でサハ721-3200は全室Uシート、車掌室付で車掌室には専用のドアもある。車掌は編成最後尾ではなくここに乗務し、ドア操作も行う。専用のドアがあるので、ドア操作時車掌はホームに降りるが、最近のJR北海道の新車はこのドアを廃止し始めているようだ。キハ281系は車掌用ドアがあるが、キハ283系にはない。やがてJR東のように、窓から顔だけ出してドア操作をするようになるのだろうか。Dscf2398a


小樽からのエアポートは札幌で方向反転をせず、そのまま千歳空港に向かう。天気は次第に雨模様になり、千歳空港ではかなり強い雨になった。しかし飛行機の発着には影響はなく、B747-400は時刻通りに羽田空港に到着した。出発時の小樽の気温は19℃、東京の気温は27℃であった。東京は雨であったが自宅のあたりは幸い降っておらず、無事傘を差さずに自宅に到着した。

(完)

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2009/07/22

襟裳から小樽へ(9)

2009年6月21日(つづき)

今日は地元の竜宮神社の例大祭のようである。釧路に行ったときもお祭りにぶつかったが、北海道は夏祭り、それも7月が多いようだ。6月のお祭りは、初めてだ。カミさんも面白がり、二人で出店を覗いて歩く。昔田舎の金比羅宮のお祭りの時は、それこそぎっしりと出店が並んだものだった。Dscf2370a
昔はこういう店の人達は夜は盗難防止もかねて出店の奧で寝ていたが、今はどうしているのだろう。

運河はライトアップも見物で、ホテルに荷物を置き、また出かける。JTB経由で安いホテルを取ったつもりであったが、結構立派なホテルであった。Dscf2376a

小樽の駅もライトアップではないが明かりがともされ、こちらもきれいである。運河だけではなく、旧日本銀行や旧三井銀行もライトアップされ、美しい。運河の回りは、さすがに人が多い。Dscf2384a
相変わらず人力車の客引きが多く、これがうっとうしい。小樽の街は観光施設が押しつけがましくなく実に雰囲気が良いのだが、この人力車だけが難点である。運河をバックに写真屋さんに頼んで写真を撮っているおぢさん5人連れは、どう聞いても熊本弁である。10年前に稚内に行く車中でも熊本弁を聞いたが、熊本県人は物見高いのであろうか。Dscf2379a


夜景の写真を何枚か撮るが、遠距離の夜景はフラッシュも届かず、手持ちで撮るのは結構難しい。それでも何とか物になりそうな写真が撮れた。Dscf2380a


夕食は珍しく観光地の飲み屋へ。一人である。少し高かったが、最後の夜なので大目に見る、いや、カミさんが大目に見てくれる。多喜二という名前であったが、小林多喜二とは何の関係もなかった。Dscf2383a


今回の小樽、予想外に良く、カミさんと意見が合った。札幌から近いところに良いところがあると、体力が無くなっても再訪できる。
小樽泊。

(つづく)

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2009/07/20

襟裳から小樽へ(8)

2009年6月21日(つづき)

定期観光バス(おたる散策バス)に乗ってみることにする。人力車の客引きが、小樽運河の南側は観光施設だが、北側はまだ現役でそっちも方が良いと言っていたので、一番長いコースを回るCコースに乗る。Dscf2303a
定期観光バスと言っても途中で降りられるので、運河の北側に着いたところで降りるつもりだ。やってきたのは、レトロ調のバス。キャブオーバーなのに運転席にはドアがないので、運転手はエンジンを乗り越えないと席に着けない。Dscf2306a


観光バスは視線が高くなるので、また面白い。観光地化された運河を一通り回り、本物の港湾施設を通り、運河の北側で降りて歩いて行こうとしたら、何と汽車の汽笛が聞こえる。何だと思って汽笛の聞こえた方に行ってみると、何やら鉄道車両が沢山見える。Dscf2311a
こうなるともういけない、完全にスイッチが「鉄」側に切り替わる。施設の名前は小樽市総合博物館であるが、どう見ても鉄道博物館である。入場券(硬券)を買って中に入る。ここはかつての手宮機関区で、北海道の鉄道の起点となったところだ。Dscf2312a


鉄道車両が屋外展示であるが、ずらりと並んでいる。キハ82の1号、ED75 501号、キハユニ25に、キハ56系1編成、客車も多い。金融資料館に紹介してあった現金輸送用のマニ30もいる。Dscf2316a
北海道用の客車は窓が二重窓、床下の発電機もベルトを使わずに歯車駆動など、本州以南用とはかなり異なり、独自設計になっている。ちなみに現在の北斗星用の客車も入口のドアが折り戸の九州行き(廃止されたが)とは異なり、引き戸である。Dscf2340a
館内には、静号が展示されている。小樽の石炭桟橋の模型があり、これも興味を引く。石炭の積み出し港としては、北の小樽、南の若松が有名だった。Dscf2329a


外の目立たない建物に入ってみる。何と、かつて小樽築港機関区にあった蒸気機関車整備用の治工具が、全部保管してある。機械物は、こういう治工具類がないと、整備ができないのだ。こういう物があったとわかるだけでも、大変な遺産である。大宮の鉄道博物館は、こういう物を保管しているのだろうか。Dscf2331a


除雪車の展示が多いのも、北海道ならではである。ロータリー車のキ620がいる。ロータリー車は、子供の頃あこがれだった。しかしついに動いている姿は見ることができなかった。Dscf2346a
C12と同じエンジンを使って投雪羽根を回すので、音は何となく想像は付くが、実際にはどういう音を立てて作業していたのであろう。ボイラの焚き口が最後尾にあり、長い屋根はあるもののむき出しだったのは意外だった。稼働時はここにテンダーが付くので、横にシートか何かをかけるのであろう。Dscf2347a


鉄分をたっぷり堪能して、当初の目的地だった運河の北側に行く。ここは旧日本郵船の小樽支店(重文)がある。さらには日本石油の倉庫と、見所はたくさんある。Dscf2357a
運河もこのあたりでは現役で、漁船やランチが並ぶ。運河公園に「赤い靴」の銅像があった。女の子が「横浜から船に乗って」異人さんの国で幸せに暮らしていると信じていた両親がいたのが、ここ小樽であった。実際は女の子は重い結核のため横浜から船に乗ることができず、東京で亡くなっているのだが。Dscf2360a


さんざん歩き回ったので、これも外観が有名になっている喫茶「光」で休憩。外観だけではなく、薄暗い中も昔風である。交響曲などクラシックの曲がかかり、小生の高校時代(昭和40年代)は喫茶店と言えばこうだった。Dscf2367a


(つづく)

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2009/07/19

襟裳から小樽へ(7)

2009年6月21日(日)

9:31札幌発の石狩ライナーで小樽へ向かう。ホテルから歩いて札幌駅に着く直前、大粒の雨が降り出す。どうも今回は、雨に追いかけられているようだ。Dscf2260a
ホームの案内は3両編成であったが、入ってきたのは721系3連+731系3連の6連、表示の場所に止まったのは731系で、ロングシートであった。札幌圏の通勤混雑もだんだん激しくなり、最近の新車はロングシートである。Dscf2261a


稲穂にあるのが札幌運転区。スーパーカムイやスーパーおおぞらのねぐらである。札幌から13kmも離れているが、まだ札幌市内なので、札幌運転区というのは嘘ではない。銭函あたりから、海が見える。石狩湾であるが、詰まるところは日本海、昨日は太平洋を眺めていて、一夜にして日本海側に出た。昨日の太平洋よりも波が静かに感じる。731系は窓が大きく、ロングシートだと対面の景色が良く見える。Dscf2262a

小樽築港はかつてはC62を擁する大機関区だったが、その跡形もない。いや、保線基地として取ってある場所が、その跡か。小樽築港から廃線跡が続いているが、これが何かは後でわかった。Dscf2269a


小樽到着、雨はすっかり上がっている。いや、降っていないという表現が正しいのかもしれない。札幌とはかなり天気が違うようだ。今までは石原裕次郎には興味はないし、レンガ造りの倉庫なら横浜に行けばいいと、交通が不便のこともあり、避けていた。しかし調べてみると、歴史的な建造物がかなり残されているようだ。まずは歩いて回る。Dscf2272a


駅に近いところから、まず日本銀行旧小樽支店、現在は金融資料館となっている。金融には興味はないが(興味があったら、今頃はお金持ちになっていたかもしれない)覗いてみる。入場無料、さすがにお金がある(意味が違う)。金庫の中が見学でき、札束(当然、模型)が置いてあったが、フォーク荷役ができるよう、専用パレットの上に置いてあるのが面白い。お金ではなく、紙製の商品である。扱う人の感覚もそうだろう。かつては現金輸送線用の荷物車があり、荷物列車に連結されて、秘密裏に全国を走っていた。Dscf2265a


踏切があるかと思ったら手宮線の跡地で、短区間であるがそのまま残されている。横浜の「汽車道」が一旦撤去した線路を再敷設してあるのに対し、昔の線路をいじらずにそのまま残してあるので、風情がある。小樽築港で見た廃線跡は、ここへ繋がっていたのだ。駅前の大通りは改修されたようだが、それでも踏切をそのまま残してある。鉄道も立派な遺産として認識されているのだ。Dscf2274a


美術館、文学館と中に入り、運河の方に向かう。Dscf2284a
石造りの立派な建造物は、大抵銀行である。その中に混じって、未だに現役の個人商店もある。これだけ昔の建物が残っているのは、戦災を受けなかったこともあるが、函館ー札幌間のルートが函館本線経由から千歳線経由に変わり、バブル期の開発から取り残されてしまったからでもあるだろう。Dscf2293a
現にいつも使っている全国チェーンのビジネスホテルが、どれもない。しかし北海道新幹線は小樽を経由するようで、その時は大変わりするかもしれない。Dscf2297a


運河を眺め、ガラス細工の北一ガラスで醤油差しを買う。昼食は、雰囲気のある喫茶店で取った。

(つづく)

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2009/07/15

襟裳から小樽へ(6)

2009年6月20日(つづき)

襟裳岬は霧雨だが今日は風が無く、折りたたみの傘でも平気である。バスを降りるときに運転手が苫小牧-襟裳岬の往復切符を見て、今日中に苫小牧に戻りたかったら13時23分発のバスに必ず乗れと念を押していった。襟裳岬の滞在時間は1時間弱、あまりのんびりしてはいられない。ともかく灯台のところまで行く。Dscf2238a
今日は霧雨で見通しは利かないが、海岸のあたりまでは何とか見える。切り立った断崖、岩にぶつかる白波。むこうは太平洋だが、晴れて見える日は少ないだろう。ともかく、襟裳岬まで来た。Dscf2240a


ほぼ先端に近いところに、襟裳岬の歌碑が建っている。「襟裳岬」と言えば森進一のが有名であるが、その前に島倉千代子も歌っている。この碑を見て、島倉千代子の歌を思い出した。Dscf2244a
歳が歳だけに、かなり古いところまでリアルタイムで経験している。「風の館」というものがあり襟裳の強風が体験できるらしいが、時間に余裕がないのでパスする。Dscf2249a
代わりに売店により土産物を物色、会社へのお土産も買う。中身より、「襟裳岬」のシールの方が価値がある。「襟裳岬到達証明書」も売ってあり、これも迷わず買う。Img_0564a


バス停には立派なバス待合所が有り、そこに入ったら先客のご婦人がいた。今日はあいにくの雨模様だったがそのご婦人、「今日は良かったですね。雨だけで。」と話しかけてきた。確かにこれに風まであったら、それこそ大変である。実にプラス思考、見習わなくては。Dscf2252a


帰りのバスも淡々と走るが、途中止まらないので実質は結構速い。カミさんは乗り物酔いの薬が効きすぎて、すっかりお休み中。Dscf2253a
この走りでは、飲む必要もなかったようだ。様似からの日高本線も行きと同じキハ40の単行だが1700番台だった。エンジンと一緒に変速機も取り替えてあるようで、加速中に変速機が通常1回のところ2回切り替わる。Dscf2255a
道中は行きと同じように淡々と過ぎると思っていたら、汐見の手前あたりで警笛を連続して鳴らし、ブレーキがかかる。何と線路に鹿が入っていたそうだ。これが馬だとまっすぐ逃げるのでなかなか線路から出ず、大変らしい。非常制動ではなかったので、減速しただけでまた元の走りに戻る。苫小牧が近くなると線路が良くなるのか、飛ばす。Dscf2257a


苫小牧着、雨である。今日は一気に札幌まで行くので、一旦改札から出てコインロッカーから荷物を取り、北斗15号に乗る。昨日苫小牧まで乗ってきた列車だ。千歳線を快調に飛ばす。車内販売で温かいコーヒー、何となく落ちつく。千歳線の沿線は森が多く、森を抜けていきなり大都会が現れ、それが札幌である。雨は降っておらず、ホテルに荷物を置いて久しぶりに夕食を食べに街に繰り出す。090620205034
カミさんは旅行に行くといつも食べられなくなるので、街へ繰り出すのは小生一人、結局駅ビルになってしまった。肉を食べたくなり韓国料理店に飛び込んだら、何と東京本社のチェーン店であった。札幌まで来て、何やっているんだろう。おいしかったから、良しとする。テレビ塔のイルミネーションがきれいだった。
札幌泊。

(つづく)

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2009/07/12

襟裳から小樽へ(5)

2009年6月20日(土)

今日は一日襟裳岬行きに当てる。ビジネスホテルを選んで泊まるとどうしても大きい街に泊まることになり、そうなると襟裳岬まで片道4時間半かかることになる。今日の切符は周遊券の範囲外である。実は、これは現地に行けば往復割引切符があるのでは、と考えたのだが、残念ながら無かった。ただし昨日のうちに買った切符は、苫小牧から襟裳岬までの通しの往復切符である。さすがは旧国鉄バス。Img_0565a


苫小牧からの日高本線は、キハ40のワンマン単行である。このキハ40の350番台、米沢あたりにいる寒地用と違って、デッキ付き二重窓装備の、極寒地用というタイプである。ちなみに足回りも、コイルバネの間に雪が入り込まないよう軸バネはゴムブーツ付き、枕バネは空気バネである。この350番台というのは、どうやらエンジンを換えてパワーアップしているようだ。Dscf2229a

定刻発車、駅間距離が長いので、飛ばす。ローカル線の印象とは全く違う走りっぷりである。前回の釧網本線の気動車に乗ったときも感じたのだが、最近の運転手は駅間をほとんどノッチを入れたままという、自動車的な走りをする。小生の若い頃の運転手は皆蒸気機関車の機関士上がりだったので、力行するのは駅の中間あたりまでで、後は惰行で走っていた。自動車に乗るのが当たり前の世代のせいだろうか。Dscf2221a


日高本線は静内が一区切りで、ここまでが1時間35分、ここから様似まではまた1時間40分かかるが、静内に何と15分停車する。ここで乗務員も交代、ちょうど良い区切りだ。切符を持っていれば改札外への下車も自由で、少し見物する。Dscf2223a
そろそろ競走馬の郷である。静内にはチップ工場がある。苫小牧には王子製紙の工場がありそこ向けであるが、かつてはチップトラが日高本線を走っていたのであろう。Dscf2225a


静内から先は、結構勾配のきついところが多い。次第に半島の先端に行き、平地が少なくなってくるのであろう。駅2つおきに大きな街に着くという感じである。日高本線と言えば競走馬であるが、静内の手前からもう牧場が目立ち、さすがに馬が多いが牛もいる。季節柄子馬の姿をよく見かける。気動車だと慣れているのか、見向きもしない。Dscf2226a


様似到着、ホーム1面だけの駅である。バスの発車まで時間があったので観光案内所を覗いたら、ここに襟裳岬までの往復割引切符があった。切符は様似までにしておくべきだった。Dscf2233a
様似はアポイ登山の入口で、二男が小学生の頃、ここでのキャンプに参加させた。長男は遠軽で、まあずいぶん乗りでのあるところに参加させたものだ。やってきたバスは全くの路線バスで、シートも1列、しかしここから襟裳岬まで約36kmを55分とは、かなり速い。海岸沿いの道を、ひたすら進む。落石のためか道路を付け替えたところもあり、バス生き埋めの話を思い出す。Dscf2235a


襟裳町。稚内もそうだったが、半島先端の街は海からのコースで開けたため、何もないところを走っていくといきなり街が現れる。二つの岬に囲まれて引っ込んだかたちの稚内と違って襟裳岬は一つがとがっているため、岬から少し離れたところに街が開けたのだろう。バスはさらに襟裳岬まで進む。襟裳町から襟裳岬までかなりの距離があり、さらに何もなくなる。風が強いせいか木も育たず、森もない。わずかに地を這うような灌木だけである。霧雨の中、襟裳岬に着いた。朝出発してひたすら移動し、もう12時を回っている。Dscf2236a


(つづく)

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2009/07/09

襟裳から小樽へ(4)

2009年6月19日(つづき)

やってきたバスは道南バス、普通の路線バスであるが貸し切り用の格下げ2ドア改造車で、全席二人がけクロスシートである。天気が次第に良くなってきて気温が上がり、やっとトレーナーを脱ぐ。雲が切れ始め、羊蹄山が姿を現す。Dscf2179a


洞爺湖に着く。洞爺湖は初めてだ。ここでサミットが行われたのはずいぶん前のことだと思っていたが、去年のことであった。おかげで施設がまだきれいだ。なおサミットの宿泊会場は湖畔ではなく、遥か山の上である。Dscf2183a
Dscf2190a
Dscf2209a


景色が良く、静かである。観光地にありがちなよけいな音楽を流していないのがよい。落ちつく。ここならしばらく滞在しても良いなと思っていたら、カミさんも同意見であった。二人とも歳を取ったか。足湯があったが、タオルを持っていないのでパスである。Dscf2187a

北海道の公園は草原の公園が多くよく整備され、しかも花がきれいだ。あちこちに花を飾ってあるところが多い。洞爺湖は街灯にも花が飾ってある。短い夏を精一杯楽しんでいるのだろうか。藤も盛りであった。Dscf2199a


洞爺湖の遊覧船は、大型だ。こういう数百トン級の大型船は、どうやって湖まで運ぶのだろうか?「地下鉄はどうやって入れる」ではないが、気になる。Dscf2188a


洞爺湖の隣に有珠山があるが、最近ここが噴火したのは2000年のことであった。そのため有珠山には、有珠新山が顔を出している。洞爺湖の有珠山側では、陥没した道路やつぶれた家もそのまま残されている。室蘭本線が不通になり多くの列車が函館本線回りになったのは聞いていたが、国道は復旧できずに付け替えたのだ。畑の中で、まだ噴気を上げているところもあった。Dscf2204a


洞爺での待ち時間の間に上り「トワイライトエクスプレス」が通る。入場券を買って撮影に行く、こういうことなら大型カメラを持ってきておけば良かった。DD51重連の発車を間近に見る(聞く?)のは初めてである。9両の客車を引くのに2200PSの機関車2両とは非常に非効率であるが、残念ながら非効率の方が迫力がある。Dscf2211a


洞爺から今日の宿泊地苫小牧までは「スーパー北斗」ではなく「北斗」、古豪キハ183である。しかし1500番台の120km/h対応車なので、振り子車に負けない速度で走る。先頭車に乗ったら、先頭右側は展望席(別名、鉄ちゃんシート)であった。しかし発電エンジンの音で、走行エンジンの音が聞こえない。Dscf2212a


夕食は今日も弁当で済ます。一緒に買ったキリンの缶ビールは、千歳工場製であった。缶ビールの工場符号を見て感動しているのは、極々少数派であろう(^_^;。苫小牧泊。

(つづく)

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2009/07/06

襟裳から小樽へ(3)

2009年6月19日(金)

天気曇、寒い。朝持参した体温計で測ってみると、平熱。小生には「鉄」が一番の薬か(^_^;。
これまで北海道には何回か来たが、函館と札幌の間はずっと素通りだった。今回はそのあたりも埋めて見ようということになった。まずは大沼、早速周遊券を活用し、大沼公園まで特急「スーパー北斗」で行く。キハ281系。北海道のキハ281系は、いつ乗っても感動するくらい速い。Dscf2164a


大沼に着く前に左手車窓に湖が広がっているが、実はこれは大沼ではなく、小沼である。遥か40年前、氷結した小沼の横を走るC62を撮ったことがある。Dscf2165a
大沼に来るのは小生はそれ以来、カミさんは初めてである。小生も大沼公園では初めて降りる。駅の正面にステンドグラスがはめ込まれている。大沼に着き、せっかくだからと遊覧船に乗る。「船内は暖房が効いています」というのを呼び込みにしているくらい気温が低い。Dscf2172a
臨時便が出たのでそれに乗るが、乗客は二人だけであった。「沼」と言うだけ水深が浅いこともあり、水は汚い。大沼から小沼に入ると、波が静かと言うより、ほとんど波がない。これだけ湖の表情が違うのも、面白い。Dscf2171a


遊覧船を下り、沼の周りを少し歩く。「千の風になって」が誕生したのはこの地らしく、名曲誕生の記念碑がある。小沼近くの森では、ウグイスが鳴いている。小さな沼には睡蓮があるが、睡蓮には少し早かったようだ。結局2時間以上、大沼でのんびりした。だんだん日頃のストレスが抜けていく。Dscf2174a

Dscf2176a

大沼公園から次の洞爺までも特急「スーパー北斗」、それでも1時間以上かかる。今度はキハ283系、今日はいろいろ楽しめる。キハ283はキハ281よりパワーが上がっているが、その分かどうか力行時の振動が大きく、キハ281の方が乗り心地がよい。洞爺に着いたが洞爺湖までのバスは1時間に1本、しばらく待つことになる。Dscf2178a


(つづく)

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2009/07/05

襟裳から小樽へ(2)

2009年6月18日(つづき)

いつものようにかなり早めに東京駅に着いたが、はやて19号は20分前にはもう入線していた。しかしドアが開くのは15分前である。出発の時間が時間なので、乗客は乗り込むと皆弁当を広げる。当然缶ビールを開ける人もいるが、小生は体調が今ひとつなので、今日はビールは止める。

定刻出発。東京は泣き出しそうな雲で、東北線沿線はほぼ曇。途中に雨の区間もあるが、今日の雨は関係がない。いつもは上越線ばかりなので、久しぶりの東北線である。田の緑が鮮やかだ。車両はE2系の1000番台通し編成、全車両に車体間ダンパが付いているので揺れずに乗り心地は良いが、トンネル内では蛇行動を起こす。このあたりは東海道新幹線の700系と同じである。盛岡から先は各駅停車、二戸といわて沼宮内に止まるが、「戸」の付く駅に順々に止まっていた在来線の「はつかり」が懐かしい。Dscf2160a


八戸で乗り換え、ここで夕食の弁当を仕入れる。函館に遅く着くと、意外と食べる店がないのだ。スーパー白鳥に乗り換えたら50%くらいの混み方だが、皆窓側に座っている。つまり、ほとんどが一人旅ということだ。女性の一人旅も多い。本格的な観光シーズンには少し早いが、これは意外であった。

函館行きのスーパー白鳥19号は789系、基本6両に2両の増結が付いている。「今日もJRをご利用頂きまして、ありがとうございます」と、共同運行車だけあって東日本や北海道の名前を入れない。Dscf2161a
しかし車両の所属はJR北海道、シートポケットに入れてある路線図も北海道仕様である。乗務員は青森、蟹田で交代するが、車内販売は五稜郭の販売員が八戸から函館まで通す。JR東日本限定のコーヒーの割引券が通用するのかどうか、聞きそびれた。

東北新幹線は延伸工事が進んでいるが、青森まではもう架線が張られている。青森から先は路盤の工事中、小生は在来線を切り捨てての新幹線開業には未だに反対であるが、反対しても工事は進む。Dscf2162a


今日のスーパー白鳥、団体下車のためと言って北海道に入ったところにある知内に臨時停車した。後で調べたら津軽海峡線には各駅停車は走っていないので、特急が1日2本だけ停車する駅だ。8号車はドア締切、789系にこんな設備があるとは、思わなかった。
八戸からの在来線で数本の貨物列車とすれ違い1本を追い越したが、牽引機は皆EH500であった。わずかにトワイライトエクスプレスだけがED79牽引で、ED79の活躍場所は確実に減っている。

函館到着、気温は12℃。東京は26℃と聞いた。函館泊。

(つづく)

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2009/06/28

襟裳から小樽へ(1)

定年前に休暇を取り、旅行に行く人は多い。大抵の人は休暇が余っており、そして完全に退職するとなると、なおさらだ。小生が以前仕えた部長は、奥様と二人でヨーロッパへ行った。小生もヨーロッパは無理としても、沖縄へ行こうと考えていた。沖縄に行くとすれば5月だが、今年になってやたらと忙しくなり、5月には休みは取れなさそうになってしまった。となると、また北海道である。
北海道にカミさんと二人で初めて行ったのはちょうど10年前、1年遅れの銀婚旅行である。1年半かけた2回目のIFNが不調に終わった後で、IFNは不調だろうが何だろうが、体調が戻るのが何よりうれしかった。その時は北の果てで、それから東のはて、地の果てと、端ばかり行ってきた。残ったはては、襟裳岬である。それに行き残した近場と小樽を組み合わせ、強引にスケジュールをやりくりして退職前の6月に組み込んだ。取得が義務づけられているリフレッシュ休日を取得も兼ねているから、文句を付けられない。しかしいつもは7月だったので、着るものが少し厚くなる。

普通定年退職する人は最後の1ヶ月はほとんど休暇なのだが、6月30日に報告会が入っているくらいスケジュールがタイトになっている(人使いの荒い会社だ(^_^;)。最後は二人で北斗星で帰ってくることも考えたがやりくりが付かず、やはり小生だけ1日前に飛行機で帰るという、いつものパターンになった。ところがである。楽に取れると思った帰りの北斗星が満席、切符を頼んでおいたJTBから携帯にどうするかとの電話があった。頼んでおいたのは個室だが、開放寝台も満席。二人用個室だけが空いているというので、それを頼んだ。室料だけ2人分になるが、乗車券特急券は一人分で良いというので、助かった。後日関係者に話を聞く機会があったが、青函トンネルの新幹線化工事の時間確保ため、乗客は多いのに北斗星の本数を減らし、「エルム」も運転しなくなったという。これでは北斗星やカシオペアの切符が取れなくなるわけだ。ともかく、確保できて良かった。

北海道に行くときは、いつも周遊券を使っている。今回はゾーン券を「道央ゾーン」にするか、「道南ゾーン」にするか、迷った。どちらも同じ値段であるが道央ゾーンだと襟裳岬まで周遊ゾーンに入るが大沼と洞爺湖が範囲外、道南ゾーンだと青森以北が周遊ゾーンで大沼も洞爺湖も乗り降り自由だが、距離の長い日高線が範囲外になる。迷った末に道南ゾーンにした。細かい計算はしなかったが、ゾーンの入口までの乗車券が安いのと、襟裳岬往復は地元だけの割引切符があるかもしれないと考えたからである。そしてスケジュールは、6月18日から22日までの4泊5日となった。前述の17日が一緒に定年退職するかつての戦友のお祝い会、帰ってきた翌々日は新規事業のプレゼンと業務報告会という、隙間をぬっての旅行となった。


2009年6月18日(木)

長距離を旅行するというのに、東京駅発12:56という遅い出発である。昨日まで仕事の上に宴会まであったので、ゆっくりしたスケジュールにしておいた。今日は函館までなので、これでも十分到着できる。新幹線のおかげで、早くなった。しかし体調がいまいちすぐれない。トイレ(大)にもひっきりなしに通うし、何となく熱っぽくて風邪薬まで飲む。カミさんからいわれて体温を測ったら、36.8℃であった。普通の人なら平熱範囲だが、小生の平熱は35.8℃なので、十分微熱の範囲である。しかしインフルエンザでは無さそうだし(インフルエンザならもっと熱は高く、身体の節々が痛い)、体温計だけ持って出発することにする。以前平戸に行ったときには一番不便なところで熱を出し、帰るにもままならないのでそのままスケジュール通り行動したが、今回はどこででも引き返せる。Dscf2157a


出発前に宴会も含め忙しかったこともあるが、小生は体調が悪くなった原因は、前日に部下をかなりきつく叱りつけたことだと思っている。叱ることは、すごく体力を使う。小生は定年後は部下無しの一匹狼にしてくれと頼んだが、全体管理もそのままやらされそうだ。まあ何とか東京駅までは来た。

(つづく)

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2009/06/22

無事帰ってきました

2009年6月22日

今日飛行機で、無事帰ってきました。飛行機嫌いのカミさんは北斗星なので、明日の到着です。函館から大沼、洞爺湖、襟裳岬、小樽と回ってきました。Dscf2239a
北海道にはいつもは7月に行くのですが、今年は休暇(と言うより定年)の関係でいつもより1ヶ月早く、おまけに今年は6月にしては寒いそうで、東京の4月並の気温でした。着るものは全行程長袖で、小樽以外はトレーナーを着っぱなしでした。Dscf2383a


すっきりは晴れませんでしたが、その分大雨もなく、襟裳岬の霧雨で唯一傘を使ったくらいです。
そのうち旅行記にまとめます。写真はその傘を差した襟裳岬、小樽運河の夜景、それに小樽総合博物館(実質は、手宮鉄道博物館)にあるC55です。Dscf2318a


明日から会社(;_;)、今月の業務報告書を書かなければいけませんが、かなり現実から遠ざかったいます。

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2009/06/19

苫小牧です

苫小牧です
函館から大沼、洞爺湖とまわり、苫小牧に来ています。明日は襟裳岬です。日高線は周遊券の範囲外なので、別に切符を買ったら、往復で8900円もかかりました。天気は今のところ持っていますが、気温は北海道の五月並、寒いです。写真は、洞爺湖です。

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2009/06/17

北海道に行ってきます

2009年6月17日

明日(6月18日)から、北海道に行ってきます。定年記念旅行と、またまた1年遅れの、今度は珊瑚婚旅行です。今回はあまり遠くには行かず、道南と襟裳岬、それに小樽です。小樽は他のところと組み合わせづらく、今回初めての訪問になります。
えらいサンの懇親会で例のビデオが披露されるのが19日(金)、一応連絡があっても良いように、会社の携帯は持っていきます(^_^;。

では皆さん、行ってきます。

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2009/04/19

熊本から帰ってきました

2009年4月19日

16日のお昼頃に出て、今日の午後4時には帰り着いているという、実にゆったりとしたスケジュールで往復してきました。目的は実家の様子と、トラブルの報告があったお墓の様子の確認ですが、トラブルもたいしたことはなく金曜日だけで全部の用事が済みました。おかげで土曜日は1日フリー、久しぶりに熊本市電の写真を撮りまくりました。Img_0437a
Img_0401a


86(SL人吉)が来週からの本運転を前に練習運転をしているとの情報を得、空港に行く前に写真だけ撮ってきました。Img_0484a


あくまでも実家の用事で行ったので、写真を撮ったのは「ついで」です(^_^;。

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2009/04/16

熊本に行ってきます

2009年4月16日

明日、と言うより今日から、熊本に行ってきます。実家の建物(今は、空き家)やらお墓やら、いろいろ見なければいけないことがまとまり、姉弟の中で小生が代表で行くことになりました。いろいろ証拠写真を撮るため、カメラ、それもEOS X2を持っていきます。せっかくX2を持っていくのですから、熊本市電の新車(富山ライトレールタイプの低床車)を撮れたら撮ってくるつもりです。

では、行ってきます。

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2009/03/15

VIVA!500系(3)

2009年2月28日(土)(続き)

三原での撮影を終わり、こだまで福山へ移動する。一眼デジカメはこれでお役ご免である。福山は単なる乗換だが、途中下車して昼食、牡蛎ご飯が今日までの限定で(明日からは3月だ)、早速注文する。Dscf2117a
昼食の待ち時間がなかったので余裕ができ、福山城が駅の目の前にあるので、見に行く。天守閣は復元だが、きれいな城である。中が博物館になっているのは復元天守閣の典型だが、箏曲の宮城道雄に関する展示があった。宮城道雄は神戸の生まれだが、その父親は福山の出身とか。天守閣は高台の端の方にあり、上から見ると落差があって結構怖い。Dscf2124a


福山駅の入線メロディーは、「スキー」(山は白銀)である。調べてみたが、作曲者作詞者とも、福山には縁もゆかりもない。ただどうやら「スキー」は冬場の曲で、夏は「海」(海は広いな大きいな)に変わるらしい。福山から岡山への快足サンライナーは、117系4両編成であるが、何とワンマン運転である。Dscf2127a
駅にバックミラーやホームドアなどのワンマン対応の設備はないため、停車した後運転手がドアを開けてホームにおり確認してドアを開けるので、停車後ドアが開くまで時間がかかる。発車も同様運転手がドア閉確認をした後運転席に乗り込む。停車駅の少ない快速だからできることだ。車掌は窓から首だけ出してドア操作をしているのに、えらい差だ。車掌こそホームに降りて安全確認をすべきだ。

今回の目的は、笠岡である。福山は広島県であるが、笠岡は岡山県だ。島に囲まれた天然の良港の雰囲気が、故郷の三角港に似ていたので、ちょっと眺めてみたくなった。Dscf2131a
しかし実際は大規模な干拓が進み、島一つとも連結してしまっている。かつては島に囲まれた湾であっただろうところが、最近の掘込み港と同じ形態になっている。このカブトガニの成育地をつぶしてしまった大干拓が果たして快挙なのか暴挙なのか結論が出るのはまだ先だろうが、干潟が無くなったことによって瀬戸内海の水質が悪化に向かったのは間違いない。Dscf2142a


笠岡諸島は橋が架かっていないため、連絡船がまだ健在であった。潮の干満によって場所を変える高さと角度の違った岸壁と、係留ロープをかけず前進入れっぱなしで乗降させる船を、三角港以外で見るのは初めてだ。やはりどこでもやることは同じだと感じる。ちなみに三角-天草間にフェリー(と言うより、自動車航送船)が活躍していたのは昭和30年代で、5tトラックがやっと1台積めるくらいの小さな船であった。Dscf2146a
笠岡諸島へは各島1日4,5往復の便で、それが各島ごとに出ている。乗用車が5,6台は軽く積める船で、狭いところで旋回できるようにバウスラスタも付けている。笠岡港はまだ活気がある。三角港が寂れてしまったのとの差を考えてみたら、笠岡は国道2号線に面した交通の便があるようだ。笠岡港(フェリーの着く方は、伏越港と言うらしい)の接岸設備を見ただけで、昭和30年代の産交丸や第7通運丸の情景が浮かんでくるのであるから、笠岡は過去の思い出への旅になった。ちなみに三角港の接岸設備は天草架橋の後全部取り壊されてしまい、今は残っていない。Dscf2134a


カブトガニ博物館はここから4km以上あるので省略。笠岡駅前の喫茶室付きのパン屋で一服し、岡山へ向かう。やはり117系、そう言えば117系は京阪間新快速以来の乗車だ。Dscf2155a

岡山から新横浜へはN700系、今回の旅の目的の一つ、各車乗り比べである。のぞみ40号は岡山ですでに満席、さすが土曜日である。新大阪以西は全速を出すので、N700系でもトンネル内は揺れる。それでも700系と比べると、雲泥の差だ。東海道区間は揺れが少ないため、すれ違いの衝撃を余計に感じてしまう。最後の小田原-新横浜間は、なぜかどの車両でも揺れる。それもピッチングがある。路盤が悪いのだろうか?それでもN700が一番少ないようだ。
最後に500系とN700系の、乗り心地ではどちらに軍配を上げるかという問題、小生の感じでは乗り心地では五分、シートピッチがやや広い分だけN700系と言ったところであろうか。

(完)

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2009/03/09

VIVA!500系(2)

2009年2月28日(土)

朝6:30に目が醒める。外は真っ暗、九州は朝が遅い。小倉まで来ているが、今日の目的は500系なので、早々に引き返す。第一の目的地は三原、ここで下りの500系のぞみを迎え撃つつもりである。計画では小倉9時1分発のこだま636号の予定であったが、予定の1時間以上前に来たので、7:57発ひかりレールスター446号に乗る。小倉のホームの向かい側には、16両編成のN700系が小倉-博多間のこだま用として止まっている。平日は通勤列車なのであろう。Img_0147a

ひかりレールスターはのぞみが止まる新山口(旧、小郡)には止まらず、徳山に止まる。このあたりは停車駅の分担を行っているようだ。山陽区間はこだまとのぞみ/ひかりとの速度差が大きく、徳山で17分前のこだまに追いついてしまう。やはり240km/hしか出ない100系では、285km/hの700系や300km/hのN700系にすぐ追いつかれてしまうようだ。Img_0150a


ひかりレールスターに乗るのは、初めてだ。700系なので、トンネル区間はやはり揺れる。昨日広島以西は保線が悪いと書いたが、そのせいもあり、また700系は山陽区間は285km/hなので、良く揺れる。蛇行動の上にピッチングやローリングが加わり、複雑な揺れ方をする。この揺れ方、どこかで同じような揺れを感じたことがあると記憶をたどっていったら、かつての黒崎-博多間の421系特別快速であった。二男が博多からレールスターに乗って気持ちが悪くなり小倉で降りたと言っていたが、二男は博多に行くのに特別快速に乗ると必ず酔っていた。レールスターで気持ちが悪くなるわけだ。Img_0158a


徳山はちょうど下りの「はやぶさ・富士」が着く時間らしく、「はやぶさ・富士号撮影のお客様は、」というアナウンスが聞こえる。新幹線ホームから在来線が見えたが、皆到着ホームに群がっているようだ。写真を撮るのなら対向ホームの方が良いのだが、そちらには一人もいない。徳山から100系4連のこだまで三原へ。100系は大窓で横引きカーテン、昔の「特急車」の雰囲気を残している。シートは4列だが、種車が違うのか何種類もあるようだ。肘掛けも跳ね上げられるものと、固定のものとがある。元グリーン車のシートは肘掛けの位置が高く、なで肩の小生にはちょっと窮屈である。100系もトンネル内では揺れるが、速度が遅い分だけ少なく感じる。このこだま、のんびり行くのには良いのだが速度が遅い分通過退避が多く、新岩国では何と12分も停車した。Img_0170a


撮影場所に三原を選んだのは、下りの500系が撮影可能な時間帯に到着でき、ホームが新幹線標準の中線通過型のところであったからだ。手前の東広島はホームの形が確認できずに外したのだが、到着したときに見たら標準型であった。本当は浜松のようにホームがカーブしているところが良いのだが、そうも言っていられない。Img_0183a


早く来たおかげで、500系8連のこだま編成も撮れる。まさに早起きは3文の得。500系8連はこだまよりひかりレールスターに転用すべきとの声も聞いたが、まさにそう思う。かつて銀塩カメラで何回かやってみた流し撮りに、デジタル一眼で初めて挑戦してみる。Img_0195a
初挑戦の対象が新幹線とは、少し無謀であった。それでも何とか流し撮りらしい写真は撮れたが、本当は真横をやりたかった。真横の写真は、見事にタイミングがずれている。Img_0209a


せっかく持ってきたので、望遠系のレンズにも付け替えてやってみる。すべて手持ち、1/500で、手ぶれ防止はカメラ任せ、絞りは完全にアンダーになっており、補正任せである。三原はホームは直線だが博多側がカーブしており、博多側ホームの端から撮ると、結構面白い写真が撮れる。そこそこの結果を残し、三原での撮影は終了、これから「鉄」を止めて普通の観光客になる。

(つづく)

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2009/03/08

VIVA!500系(1)

2009年1月31日

今度の3月14日のダイヤ改正で「はやぶさ・富士」が廃止になり、東京発のブルートレイン、と言うより機関車牽引の列車が無くなるというので、結構な騒ぎになっている。小生は人混みが嫌いなこともあり、騒ぎが大きくなるとそっぽを向く性格なので、「はやぶさ・富士」は避けている。あまり騒ぎになっていないが、実は3月14日の改正で、新幹線の500系が東京に姿を見せなくなる(注記参照)。小生にとっては、遙か昔に決別したブルートレインより、500系の方が問題である。

500系は山陽区間で300km/hを出すように、言わば高速運転に特化した設計になっているので、居住性を多少(別の人に言わせると、かなり)犠牲にしている。そのことと、運転台のすぐ後にドアがなく定員も300系と異なるため、運用変更でひかりやこだまに使うことができない。そのために速度性能ではまだまだ使えるのに、東海道区間からは追われることになってしまった。小生は500系が好きで10年ほど前飛び回っている頃には500系を選んで乗っていた。その頃のエピソードは小生の旅行記の「そうだ、京都、行こう」や「東海道新幹線4分回復記」に書いているので、興味のある方は覗いてみてください。

閑話休題、3月14日までにもう1回500系に乗ることにした。小生は今年の2月で60歳になるが、誕生日がちょうど金曜日、休暇を取っていっそのこと小倉まで行くことにした。現在東京に乗り入れてくる500系は2本のみであるが、前日が群馬出張なので少し遅めののぞみ29号にすることにした。帰りは途中で写真を撮ることにして岡山からの指定席も確保、準備は万端である。


2009年2月27日(金)

のぞみ29号は新横浜発12時49分と、かなりゆっくりしている。前日は群馬に行くために家を30分早く出た上に帰りも9時近かったため、身体は楽だ。昨日は帰りが社長と一緒で、社長に「明日が還暦です」と言ったら8月にすでに還暦を迎えている社長、「凡ちゃん、60歳になったって、何も良いことはないよ」とのこと。いえいえ、映画がシニア料金で見られるんです。

出発の時の天気は何と雪、こういう時は大きな傘の方が良いが、明日のことがあるので、折りたたみの傘を差して出かける。新横浜に着いた頃には、雨に変わっていた。このくらいの雪では問題なく、定刻にのぞみ入線、独特の戦闘機のコクピットにも似た先頭車が通り過ぎる。Dscf2114a
乗るのは11号車、望遠レンズで入線時の写真を撮り、それから走って11号車まで来ることを考えないでもなかったが、荷物を抱えて走るとろくなことがないので、止める。乗ってみたら、網棚がいっぱいである。500系は車体のRがきついので網棚の奥行きはないのだが、昨今キャスター付きバッグが出回り荷物が大型化しているので、足りなくなってきているのだろう。リュックの気軽さ、荷物は足下に置く。
久しぶりに500系に乗ってみたら、意外と窓が大きい。ただ窓の下の出っ張りは少なく、ここにものを置くのは無理である。座席はほぼ満席。昨日乗った朝の東京行きのこだまに空席があったので、不況の影響がかなり及んでいると思ったが、長距離便はさほどでもないようだ。服装から見ると、ビジネストレジャーが、半々といったところか。今日はまだ平日のはずだが小生もレジャー、あまり人のことは言えない。

今日は真剣に揺れ方の比較をしてみる。500系は、東海道区間では本当に揺れない。ただすれ違い時にはややショックがあり、これが時によって違う。いろいろ調べたら、左カーブですれ違うとショックが大きく、右カーブだとほとんどショックがないことがわかった。これはカーブのカントで車体を傾けるときすれ違う車体同士に段差ができ、左カーブは衝撃波が車体の下に当たるが、右カーブでは丸い車体の上に逃げてしまうためだろうと思う。この点は、N700系よりも上である。ただカーブの時に感じる横Gが、N700系よりも強く感じるのは気のせいだろうか。

名古屋でかなり乗客が入れ替わるが、まだ満席。隣のD席の人が入れ替わる。今度はご婦人(と言うより、おばあさん)で、チラと見たら小倉で乗り換えて大分県の臼杵までであった。名古屋では雨は上がっている。新大阪でまた入れ替わり、少し空席が見えだす。ここでビジネス客はかなり減り、2:8くらいになる。新神戸でまた乗客が増え、また満席になる。金曜日は混んでいるのか。

新神戸を過ぎると、「ただ今300km/hで走行中」の表示が出始める。この表示は福知山線の事故の後しばらく表示中止になっていたが、また復活したようだ。高速のせいで東海道区間よりも揺れは増えるが、気になる蛇行動は出ない。ここが700系との大きな差だ。岡山で入れ替わりがあり、7~8割の混みようになる。広島で5~6割に、さすがに段落としで空いてくる。広島は一段とビルが増えたようだ。下関が近くなると、何となく懐かしさを覚える景色になってくる。竹林が多くなるせいだろうか。
広島を過ぎると、揺れが激しくなるように感じる。それも高速に伴う揺れではなく、「道が悪い」と感じる線路状態に起因する揺れのようだ。列車本数が少ないので、保線の手を抜いているのだろうか。090227173007


小倉到着、もう食事して寝るだけである。飲み屋で真鯛(玄海産ではなく、天草産)の刺身を頼んだら、醤油が懐かしい味であった。宮島醤油かもしれない。帰り道、22系統砂津行きの西鉄バスに追い越される。この22系統、昔さんざん利用したバスだ。バスターミナルで調べてみたら、22系統は砂津発は変わらないものの、行き先が小嶺営業所から本城西団地に変わっており、200号線経由は新たに43系統ができ、これが小嶺の先の香月営業所まで通している。ちなみに200号線のバス停の名前はほとんどそのままで、「化成病院前」が「三菱化学病院前」に変わったくらいであった。

(つづく)

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注記
その後、2009年3月改正ではまだ500系の東京乗り入れは残ることがわかりました。ただし2009年度中になくなるのは確かなので、長くてあと1年です。

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2009/02/27

還暦は本籍地で

還暦は本籍地で
2009年2月27日

今日は小生の還暦の誕生日、そしてなぜか小倉にいます。東海道/山陽新幹線の500系が3月改正で東京に顔を出さなくなりますが、その前に乗っておこうと思ったのです。どうせ乗るなら300km/hを出す区間まで乗ろうと思い、結局小倉まで来てしまいました。小生の本籍地は北九州市八幡西区ですが、黒崎にビジネスホテルが少ないので、小倉泊まりになりました。同じ北九州市内だから良いでしょう。
写真は500系の車内です。この丸い断面も見られなくなります。
明日は途中で写真を撮りながら帰ります。

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2009/02/08

小田原詣で

2009年2月7日

500系が東海道新幹線区間から姿を消す前に写真に撮っておこうと思い、いろいろアドバイスをもらった小田原まで行くことにした。小田原まではJRは運賃が高いので小田急を使うが、調べてみたらちょうど良い時間に「メトロはこね」があった。MSEに一度乗ってみようと思っていたので、ちょうど良い機会である。Img_0101_2b


さて当日、やや早めに町田駅に行ったら、「メトロはこね」の前の「はこね」はすでに満席、「メトロはこね」も三角印が付いており「残席少なし」の表示である。あわてて特急券を買ったが、最後尾の10号車の窓際の席がとれた。「メトロはこね」は北千住発で、千代田線から直通してくる。新宿を経由しないので、休日は新宿発より取りやすいようだ。それでもこの時期の特急が満席とは、小田急ロマンスカーの人気はすごい。Img_0102_1a


MSE60000系は連接車ではなく、通常の車両と同じ20m車である。そのため乗車口はEXEと同じになる。やがてフェルメールブルーと呼ばれている車体が到着する。特急は乗降口が少ないため、通勤電車より停車時間が長い。席に落ちついた頃発車、車内は静かだ。特急車は窓が2重窓の上にデッキドアがあるので、防音効果が高いようだ。その点高崎線の185系などは窓が1重で開閉可能なので気密性が悪く、やかましい上にすきま風まで入る。車内を眺める。最近のJR特急車には必ず付いているセンターアムレストがない。2人連れの旅行を前提にしている「ロマンスカー」ゆえか。テーブルは前の背ではなく肘掛け、これは向かい合わせにした時にもテーブルが使えるので、家族連れやグループ旅行の想定か。ビジネスユースのEXEはどうなっているんだろう。窓は大窓、カーテンは最近の特急車らしく巻き上げカーテンであるが、ガイドがワイヤーになっている。JRは巻き上げカーテンのガイドのためにセンターピラーを付けているので、大窓の効果が半減している。Img_0134a


町田の次の停車駅は小田原、ここで後方4両が切り離しとなる。せっかくなので切り離し作業を見に行く。連結幌が自動でたたまれた後、貫通扉が7号車、6号車の順に両側から閉じ、できあがり。連結器の外れるカタンという音が下から聞こえる。「箱根山」の発車メロディーの後、6両編成となって発車していった。

小田原では上りの「のぞみ」6号から下りの29号まで、約1時間半である。つまり有効2時間の入場券1枚でで粘っていて、2本500系が撮れる。しかし上り下りとも「こだま」待避で、ホームの端で狙うか、対向ホームで狙うかになる。ホームの端まで行ってみたが、待っているカメラマンはいない。16両はホームいっぱいに止まるので余裕がなく、反対側から狙うことにする。これが山陽区間だと4両や8両の「こだま」が多いので、「こだま」と「のぞみ」の両方の先頭を入れた写真が可能となる。Img_0130a


本番前に通過列車を撮ってみる。さすがに新幹線は速い。早さにあおられ、シャッターを切るタイミングが早めになってしまう。本番は下りホームの東京側の端から狙う。通過予定の3分前まで下り「こだま」が止まっておりはらはらしたが、無事定刻に出発した。対向側から狙うと通過列車でもかぶる危険があるが、幸い「こだま」が出発したばかりでその危険はない。来た!やはり500系は良い!しかしさすがに速く、抜かれるこだまの300系の先頭と合わせようとしたが、見事に失敗した。

この編成が東京に行って戻ってくるまで1時間20分ある。上りホームに行き、ベンチに座ったり700系を撮ったりしながら、過ごす。上りホームをよく見ると、中央部に3脚が林立している。小田原駅は東京側がカーブしているため、ここから狙うと下り列車の正面が撮れるのだ。確かに500系は独特の丸い断面をしておりその魅力を生かしたいのはわかるが、ホームそれも中央部に3脚を立てるのはマナー違反であろう。最終日は大混乱になるに違いない。Img_0139a


小田原は基本的に「こだま」のみの停車であるが、何本か「ひかり」も止まる。上りの「ひかり」が着いた時は下車客も多く、出迎えの人と挨拶を交わしたり、一昔前の長距離列車到着のような雰囲気となる。やがて時間、シャッター優先1/500で狙う。置きピンをしないと間に合わない。何とかそこそこの写真が撮れた。Img_0140a


行きのMSE車内に種別まで付いた時刻表が置いてあり、食事をするくらいの時間の後にLSEに乗れることがわかったので、着いてすぐ特急券を買っておいた。朝買った後に気がついたのだが、ロマンスカーの特急券は小田急百貨店のポイントカードでも買える。早速それを利用する。特急券の金額が****になっていたが、まさか只ではあるまい。小田急の小田原駅には箱根登山鉄道の始点でもあり、かつては箱根登山鉄道の車両が乗り入れるために3線になっていた。しかし箱根湯本まですべて小田急車での運用となり、今は3線区間は跡形もない。LSE7000系は横引きカーテン、大窓が栄える。MSEより開放的な感じがすると思ったら、シート背づり高さのせいであった。MSEはハイバックシートで、そのため座席と反対側の景色が良く見えない。LSEの良さを再認識した。

わずか半日であったが、500系の上にMSEとLSEまで堪能した日になった。

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2008/12/29

金比羅ふねふね(5)

2008年10月13日(月)(つづき)

水島臨海鉄道のホームは、JR倉敷駅を出て右に少し行ったところにある。水島まではほぼ20分間隔であるが、終点の三菱自工前行きはぐっと本数が減り、時間帯によっては2時間間が空く。P1000640a
これでも増えた方で、昔は朝夕しかなかった。列車はMRT300型のワンマン、キハ20が見たかったら、平日の朝に来なければならない。3連休の最終日なので、今日は貨物列車も動いていないだろう。P1000643a


まず水島まで乗る。水島はかつては駅員もいたような大きさであるが今は無人駅、周りはそれこそ工場だけで何もない。水島臨海鉄道はここで二手に分かれ、一方は三菱自工前へ、一方は工場群の中へと続いている。まっすぐ行くと東京製鉄や三菱化学のヤードがあるはずだが、少し歩いてみても高架がずっと続いているだけなので、やめにする。こういうところのヤードに行こうと思ったら、車がないとダメだ。旅客営業の終点三菱自工前の先に水島臨海鉄道の車両基地があるので、そちらに行くことにする。P1000645a


三菱自工前は地平のホーム1面、無人駅の途中駅という風情だ。DCはそのまま車両基地へ行くので、ある意味途中駅である。正面は三菱自動車水島製作所、かつての「みずしま号」の故郷である。連休だが工場は稼働していると見え、従業員駐車場には車が多数止まっている。さすがに三菱車ばかり。P1000649a
車両基地は外から写真が撮れ、キハ20の写真が撮れる。水島色と国鉄色の2両ずつ2編成、動いているところが見たいが、平日の朝にこちらに来ることはしばらくは無理だろう。DE10タイプのDE70に乗務員が出入りしているので期待したが、エンジンを止めて立ち去ってしまった。車両基地を一周したが、奧の旧川鉄へと続く引き込み線は閉鎖されていた。P1000654a


写真を撮れそうな場所は他になく、倉敷へ引き返す。そして少し時間があるので、岡山へ行く途中で山陽本線の写真を撮ることにする。ねらいは稲穂の中を走るEF200。庭瀬-中庄間で良さそうな場所を見つけたが、不意打ちのようにEF200が来てしまった。写真を見たら、バックにマンションがかぶってしまった。やはりゆっくり時間を取らないと、良い写真は撮れない。P1000664a


岡山からの帰りは700系のぞみ、予想通りトンネルの中ではよく揺れる。700系はトンネル内で蛇行動を始めるとトンネルを出るまで止まらないので、トンネルの多い山陽区間で乗るのはちょっと厳しい。今まで小生は500系ばかり選んで乗っていたが、これからはN700系を選んで乗らなければならない。収穫の多い3日間であった。

(完)

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2008/12/28

金比羅ふねふね(4)

2008年10月13日(月)

今日は小生は水島臨海鉄道へ、カミさんは倉敷へと、別行動である。しかし倉敷までは同一経路なので、一緒に行く。岡山からは山陽本線の普通電車、岡山駅の列車表示は「貨物列車」と書いて通過時刻が出るのが面白い。Dscf2073a
かつて1970年代に尾道に来たときに、山陽本線の貨物列車の本数の多さに驚いたことがある。あれからかなり本数は減少したとは言え、山陰、四国、九州の各方面を岡山までは一手に引き受けているので、まだまだ多いのだろう。Dscf2090a

倉敷の駅前にチボリ公園があるが、今年の末(12月31日)で閉園とか。せっかく来たので寄っていく。チボリ公園のテーマはデンマークで、テーマパークであるがきれいな都市型公園となっている。Dscf2077a
デンマークと言えばアンデルセンで、アンデルセンにちなんだ像などもある。手入れが良く行き届いており、きれいで、そして静かだ。しかし手入れが良い=維持にお金をかけている、きれい=建設にお金をかけている、静か=客が少ない、ということであるから、やはり赤字だろう。今の日本では東京圏以外ではテーマパークは維持できないだろう。Dscf2079a


カミさんと分かれ、小生は駅の反対側、水島臨海鉄道の方へ向かう。この水島という地名、子供の頃あこがれに似た関心を持っていた。昭和30年頃、当時の新三菱重工業は「みずしま号」というオート3輪を作っており、小生の実家でも使っていた。Dscf2086a
「みずしま号」の由来は水島製作所で、現在の三菱自動車水島製作所である。「水島は工場ばかりで何もないところだ」と聞いてはいたが、一度見てみたいと思っていた。なお新三菱重工業はオート3輪の他に「シルバー・ピジョン」というスクーターも造っていた。日本のスクーターは他に富士重工の「ラビット・スクーター」があったが、富士重工は旧中島飛行機で、スクーターメーカーはどちらもかつての航空機メーカーである。戦後余った戦闘機用のタイヤを使ってスクーターを造り出したという話は、案外本当なのかもしれない。

余談ついでに、親父は「エンジンは三菱」といってずっと(乗用車になっても、それこそ死ぬまで)三菱の車を使い続けたが、「エンジンは三菱」の名を高めたのは、どうやら旧陸軍の五式戦闘機のようだ。親父は終戦時は背振山レーダー基地を抱えた佐賀の隊にいたから、五式戦にもお世話になったのかもしれない。

(つづく)

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2008/12/24

金比羅ふねふね(3)

10月12日(日)(つづき)

金刀比羅宮からの帰り道に、「旧金比羅大芝居(金丸座)」という案内標識が目に止まった。建物だけ見るつもりで、金丸座に向かう。だらだらとしているが、登り坂だ。金丸座に着くと、一般公開していた。Dscf2060a
しかも今日は日曜日ということもあり、ボランティアのガイドの方までいる。客席はまさに枡席、碁盤の目のように区切ってある。「はの参番」のような番号の付け方だが、さすが右から記号がふってある。Dscf2059a


観客席や舞台を眺めたあと、ガイドの方につれられてバックステージツアーへ。回り舞台やせり上がりもあるが、すべて人力。そのため回り舞台の下は、押すときに足が滑らないように石が固定してある。Dscf2055a
ここはすべて昔のままのやり方で、照明も雨戸の開け閉てで調整しているとか。当然空調はなく、歌舞伎を行うのは気候の良い5月に限られているそうである。良い物を見た。

ここから琴平駅まで、行きと違った参道を通って帰る。両側に古い石灯籠があり、寄進者の中に5代目團十郎の名も見かけた。Dscf2050a

琴平駅に着くと、各停の電車が止まっている。土讃線は琴平まで電化されていることを、すっかり忘れていた。従って琴平までは列車の本数も多く特急を待つまでもなかったかもしれないが、すでに特急券は買ってあるのでまた2000系の特急で帰る。瀬戸大橋の速度制限のため2000系自慢の快足は見られないが、逆に瀬戸大橋からの眺めはよい。Dscf2072a


ホテルに帰ったあと小生だけまた出かけ、桐沢型ぶどう膜炎の方とお会いする。この病気は数が少ないので、できるだけ情報を集めておきたいと思う。そのうちにまとめるつもりであるが、かなりの確率で硝子体手術をされているようだ。

(つづく)

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2008/12/23

金比羅ふねふね(2)

2008年10月12日(日)

今日はいよいよ四国に渡る。小生は宇高連絡船に乗ったことがないということは書いたが、瀬戸大橋も渡ったことがない。松山と徳島には仕事で行ったことがあるが、これは飛行機だった。今日の列車は南風3号、2000系であるが、アンパンマン列車であった。Dscf2002a
この2000系DC、小生が1980年代の終わりに宇和島に通っていた頃、松山-宇和島間でよく乗った車両だ。当時は最新鋭だったが、さすがに20年も経てば水回りなどに古さを感じる。

南風3号は3両編成、始発なので早めにホームに出て並んでいて席を確保したが、立っている人が出る混みようである。車内販売は無い。Dscf2004a
アナウンスによると、四国では車内販売は無くなったとか。かつての宇和島行きでは車内販売で弁当を買い、食べ終わったら弁当空は車内販売のワゴンが回収してくれた。昔日の感がある。
かつて2000系はその加速の良さと高速に驚いたが、この南風はのろい。線路を見ると、宇野線は単線である。せっかく瀬戸大橋線を複線で開通させても、これでは何にもならない。Dscf2005a
新線区間に入り少しスピードが上がったかと思ったら、瀬戸大橋部分ではかなり減速する。そう言えば、騒音対策で特にDCは減速するというニュースを見たことを思い出した。しかし減速してくれるおかげで、瀬戸大橋からの眺めはゆっくり楽しめた。Dscf2007a


1時間ちょっとで琴平着、近い。琴平駅は風情があり、駅前に鏡獅子の像がある。琴平と言えば、金比羅大芝居もあったのだ。琴電琴平駅の横には、高燈籠がある。高さは27mとか。琴電琴平駅には、旧京急車が並ぶ。Dscf2010a


橋を渡って、いよいよ金比羅さんの階段を上り始める。参道の両側に商店が並び、どこかで見た光景だと思ったら、江ノ島と似ている。Dscf2014a
参道の横に備前焼の狛犬やら、金刀比羅宮中興の祖とも言うべき宮司の銅像やらがあり、それらを眺めながら比較的ゆっくり登る。大門を抜けてまた上がる。金比羅犬の銅像が面白い。階段の途中に踊り場が多数有り、感覚的には山寺より楽だ。しかし金比羅名物の杖を振ったり、写真を撮るため急な階段を後ろ向きに降りて来る人がいたりで、周りを見ていないと危なくてしようがない。Dscf2018a


頂上に着いた。本当の頂上(奥社)はもっと上だが、大抵の人は本殿のあるここまでである。小生もここまでにする。大祭は昨日(11日)までで、今日は片付けの真っ最中である。Dscf2024a
ここまで上がると、景色が良い。金比羅さんは海運の神様であり、港町である小生の田舎にもあったが、ここ琴平は海から遠い。かつてはもっと近くまで海が入っていたのだろうか。海運の神様だけあって、いろんな船が絵馬を奉納している。青函連絡船、巡視船、自衛艦、見ていて飽きない。Dscf2038a


喫茶室神椿で休憩。田窪恭治、隼人画の陶版画が壁を飾る。金刀比羅宮は応挙と若沖の襖絵があることでも有名であるが、その書院の襖絵は何とパリに出張中、また隣に高橋由一館があるが、こちらの由一作品もパリに出張中で、要するにもぬけの殻であった。

(つづく)

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2008/12/21

金比羅ふねふね(1)

小生は仕事も含め全国を歩き回っているが、四国には縁がない。一度も足を踏み入れたことのない都道府県は沖縄と、香川、高知の四国2県だけである。青函連絡船には乗ったことがあるが、宇高連絡船には乗ったことがない。ところが瀬戸大橋の開通で、岡山と四国はかなり近いことに気がついた。岡山から高松まで、1時間かからない。ドラ息子が岡山に行ったおかげで岡山を起点とする旅行をこのところ始めているが、次は四国の金比羅さんにする計画を立てた。一方のカミさんは学生時代に四国一周旅行をやっているが、なぜか金比羅さんが抜けている。この金比羅さん案にカミさんも一も二も無く賛成し、ドラ息子+金比羅さんという旅行が決定した。2泊3日で、最終日は別行動である。

2008年10月11日(土)

新横浜発11時29分ののぞみ23号、いつも通り遅い出発である。選んだのはN700系、やはり揺れの少ない車両の方が良い。編成がZ-24と新しいせいか、カーブに入るときの台車からの動作音が聞こえない。N700系はトンネルに入っても揺れない。普通の走行で揺れないため、すれ違いの時のショックが余計感じる。500系ではここまで無かったように思う。山陽区間にはいると最高位速度が上がるせいか、少し揺れ始める。

初日はドラ息子の日、会っていろいろ近況を聞く。卒業は半年遅れの見込みとか。服が無く買う暇もない、と言っていたので駅前のT島屋に入ったら、ちょうど良いサイズがあった。二男は小柄なので、いつも服に苦労している。いろいろ買ったら、結構な散財になった。こんなことなら横浜にもあるT島屋のカードに入っておけば良かった。

このドラ息子は列車の揺れに弱く、子供の頃は北九州の黒崎-博多間の421系新快速で酔い、大学に入っても新幹線の300系で酔っていた。そのドラ息子が九州での学会の帰り、ひかりレールスター(700系)に乗ったら博多-小倉間で気持ちが悪くなり、途中下車してこだまで帰ったという。確かに700系はトンネルに入ると蛇行動を起こすので、トンネルだらけの山陽新幹線は大変だろう。明後日の帰りは700系、さてどこまで揺れるのだろうか。

(つづく)

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2008/11/02

気まぐれな天気

気まぐれな天気
昨日は予報では雨だったのに、良い天気でした。今日は山形のを出た時は晴れ、途中の余目あたりでは強い雨、じかし酒田に着いたら、なんと晴れていました。その酒田もだんだん天気が悪くなってきましたが、そろそろ出発時刻です。雨から逃げ切りました。

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山形に来ています

山形に来ています
山形に来ています。昨日は赤湯の付近で写真を撮っていました。紅葉の中を走る400系を撮りたかったのですが,難しいです。今日は酒田に向かいます。

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2008/08/10

ホームページを更新しました

2008年8月10日

小生のホームページ「南海凡吉の部屋」の旅行記に、「20年ぶりの北九州」を追加しました。これは2005年の分です。毎年あちこちに旅行に行っていたのですが、この北九州旅行の後、桐沢型ぶどう膜炎で入院してしまい、旅行記は2006年がすっぽり抜けています。しかし2007年から復活していますので、また少しずつ増やしていきます。どうぞ、ご笑覧ください。

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2008/07/21

富山・高岡再訪記(5)

2008年6月22日(つづき)

電車にゆったり座り、昼食を取ったら心臓も落ちついた。午後は前回見残した瑞龍時に行く。高岡開祖の前田利長公の菩提を弔うために建てられた寺で、高岡に来てここを見ないと「何しに来た」と言われそうなところだ。08062275a
駅から万葉線の反対側の方に歩いていくと、やがて八丁道にぶつかる。これが参道で見事に一直線、車道と分離した形になるので、歩いて行く身には有り難い。途中に利長公の銅像がある。これが2009年の開町400年記念のキャラクター「としながくん」のモデルである。08062276a


瑞龍時に着く。でかい!敷地も広いが、建物も大きい。標準レンズでは、全体像が撮れない。山門、仏殿、法堂は国宝、その他は重文。戦時中もB29が避けてくれたようだ。08062280a
ここの仏殿は日本の建築では珍しく、中央に柱のないドーム型をしている。しかも木造。08062281a
確かこの構造はNHKで取り上げられたと思うが、解説書やお寺のホームページにはそのことは触れてない。鉛葺きの屋根が強調されている。外観も見事だ。仏殿から回廊を通って門に向かう。芝生の緑がきれいだ。08062285a


今度はこの八丁道を反対側に歩き、利長公の墓所に行く。この八丁道は、利長公の墓所と瑞龍寺とを結んでいるのだ。森の中の落ちついた雰囲気、ここもでかい。この大きい敷地がそのまま残っているのが良い。08062292a


残すは万葉線の写真だけである。さすがに今から庄川鉄橋まで行く時間はなく、市内の路面区間で撮ることにする。昨日の経験から車の流れがとぎれるのは電車が曲がる交差点で、駅に近い片原町交差点まで足を伸ばす。08062299a
1本おきに旧型車が入るので、富山ライトレールより効率が悪い。なんとかものになる写真が撮れた。時間待ちの間に「土蔵造りの町並」まで足を伸ばす。「町並」と言うには土蔵が少ないが、一応残っている。080622103a


この片原町交差点のそばに「夕日」の銅像がある。夕日と言うより、「ぎんぎんぎらぎら」と言った方がわかりが早い。この曲の作曲家室崎琴月が高岡市の出身だという。遙か昔のことであるが高校の時、体育祭の最後に必ず「お遊戯」があり、1曲は毎回変わるが2曲目はこの「夕日」と伝統的に決まっていた。ちなみに、共学であるが男子が圧倒的に多く、当時全校1800人であった。「ぎんぎんぎらぎら」に「再会」した気分である。080622100a


このあたりから雨が降り出した。この2日間天気予報は時々雨と言っていたが、最後まで逃げ切った。帰りは駅弁を食べながらはくたかからときへ、大収穫の2日間であった。

(完)

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2008/07/20

富山・高岡再訪記(4)

2008年6月22日(つづき)

今回高岡に来たもう一つの目的は、万葉線である。伏木から「如意の渡し」で小矢部川を渡る。ここの渡しは、かつて義経主従が奥州落ちの途中で乗船して怪しまれ、弁慶が義経を扇で打ち据えて疑いを晴らしたという。この義経記の話をベースに、有名な勧進帳の安宅の関の舞台が作られたという。銅像があるそうだが、見つけ損なった。08062235a


如意の渡しを渡ると、万葉線の中伏木である。電車を待っていたら、草むらを動くものがいる。野鳥かと思ってみたら、なんとキジであった。まず越の潟まで乗る。新型の低床車である。1067mmゲージであり同じ新潟トランシス製のせいか、富山ライトレールの車両とよく似ている。ベースは岡山のmomoだという話も聞いた。08062260a
如意の渡しで別れた地元の鉄道ファンによると、この低床車は積雪時の運休が多く、評判が良くないらしい。調べてみると導入当初にブレーキ故障や脱線事故を起こしており、イメージも悪そうだ。富山ライトレールと違って利用者は増えておらず、先行きが怪しい状態である。08062261a


中伏木-越の潟間はまるで港湾の貨物線を走るようで、とても路面電車タイプの車両が走るようなところではない。これまた調べてみたら、元々は富山側からの路線が富山新港建設の時に切断され、高岡側だけ残ったものらしい。越の潟からは富山新港を横断する渡し船が出ている。08062262a


越の潟の隣に「海王丸」という駅があり、海王丸パークと案内が出ているので、行ってみる。いた!海王丸だ。現在横浜に係留されている日本丸と組んで、以前は良く遠洋航海を行っていた。日本丸は横浜で見慣れているが、海王丸がここにいるとは知らなかった。08062268a
その横浜のベイブリッジに対抗してか、掘り込まれた富山新港の対岸とを結ぶ新湊大橋が建設中である。しかし横浜市は人口360万人、人口たった9万の射水市が同じものを作っても、無駄な投資になるのは目に見えている。現にこの海王丸パーク、人っ子1人いない。建設業者を養うための工事のような気がする。08062271a


海王丸駅までまた歩くが、駅に着いた時少し気分が悪くなった。リュックを担いでいるのに、どうやら少し急ぎ足過ぎたようだ。こうなると1時間ほどじっとしているしかないので、ちょうどお昼にかかる頃だし、高岡駅まで戻ることにする。万葉線にゆったり座ると、心臓の鼓動が背中まで感じる。途中庄川の鉄橋は良い撮影ポイントになると思ったが、おとなしく座っている。万葉線は路面区間になると、沿線の雰囲気がまるで変わる。富山を外して高岡だけもう1回来ても良いかもしれない。

(つづく)

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2008/07/19

富山・高岡再訪記(3)

2008年6月2日(日)

今日は早起きして氷見線の貨物列車を撮るつもりであったが、昨日夜更かししたため、起床時間を少し遅くした。夜更かしの原因は野球中継延長のため1時間20分遅れとなったヨン様ドラマ「太王四神記」で、出発する時録画を延長付でかけていたものの、さすがに1時間20分はカバーできず、生で見ることにしたためである。とは言うものの、8時8分発の氷見線列車には間に合った。08062202a


氷見線は、かつては能町にコンテナターミナルがあったようだが、今は側線も撤去されている。JR西日本と並んでJR貨物の事務所もあるが、どうやら今は無人のようだ。なお現在の貨物ターミナルは能町から分岐した先にあり、伏木駅から小矢部川を挟んだ対岸になる。08062201a


伏木に到着、十條製紙(現、日本製紙)の工場があるため貨物の受け渡しがあり、構内は広い。昔モーターの設計をやっていたころ、十條製紙伏木工場向けを一度だけ手がけたことがあり、その時「伏木ってどこ?」と探したことがある。電源周波数の問題があるので、工場がどこにあるかは重要なのだ。08062204a


高岡の観光案内によれば、伏木港特に万葉埠頭は観光地のような書き方だ。しかし行ってみると普通の港湾施設で、とても観光客が行けるようなところではない。復元された灯明台もあるが、望遠レンズでやっと撮影できた。港町も「レトロ調が漂う街」と書いてあるが、見所は商工会議所伏木支所だけで、普通の町並である。08062209a


せっかく来たので、北前船資料館に行く。丘の上で、心臓病にはちょっとしんどい。ここは回船問屋の旧家をそのまま残してあり、木造の望楼があるのが珍しい。しかも上がれるという。早速上がってみる。階段が狭くて低くあちこちぶつけたが、上まで着いた。なんと4畳の畳敷きである。窓は昔ながらの障子と雨戸で、毎日開け閉てする人は大変だ。08062218a

共通入場券を買ったので、勝興寺、伏木気象資料館と全部回る。伏木気象資料館は旧伏木測候所で、現在はアメダスに代わり測候所は廃止されている。こうやってどんどん無人化していくと、いつかとんでもないしっぺ返しが来るような気がしてならない。08062224de10


今日は日曜日、最近は貨物列車も土日休むことが多い。止まっている伏木駅の入替用スイッチャーの写真でも撮ろうと駅に向かう。踏切を渡る時に見たら、ポイントが貨物線側に切り替わっている。あれと思って能町の方向を見ると、かすかにヘッドライトが見える。偶然貨物列車を捕まえたのだ。やがてA寒地仕様(旋回窓付き)のE10 1596に引かれたコンテナ列車がやってきた。しかもかなり長い。牽引機はJR貨物ではなく、JR西日本の所属車だ。DE10が貨物列車の先頭に立っても入替との区別が付かないが、最近は「貨物列車」はヘッドライトを点けるので、それが区別になる。構内にはいるとスイッチャーが出てきて入替え、やがてDE10はスイッチャーの仕立てた列車の先頭に立ち、出発していった。コンテナの行き先は、隅田川と書いてあった。到着が10:10、出発が10:52であった。08062245ade10


写真に夢中になっていたら、地元の方が声をかけてきた。これからスイッチャーが日本製紙の工場内にコンテナ社を引き込むので、それを見に行かないかという。早速車で連れて行ってもらう。その方はいろいろ撮りまくっているが、「記録だけですから」と携帯電話のカメラ、時刻も記録されるので、記録としてはうってつけだ。08062252a
この工場も9月末で廃止されるとのこと、伏木に出入りする貨物列車もそれまでである。偶然良い時に来た。

(つづく)

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2008/07/16

富山・高岡再訪記(2)

2008年6月21日(土)(つづき)

富山ライトレールは富山駅北を発車すると、次の牛島町交差点で右折する。路面電車の右折の時は車は両方向とも停止になるので、電車の写真を撮るならこの交差点はよい。しかもここは富山駅北に行った車両がまたすぐに戻ってくるので、撮影効率も良い。08062143a
デジカメの5枚連写というのを使ってみるが、これがなかなか使い出がよい。最近カメラの腕も落ちたので、一発勝負にこだわらずにこの機能を使うことにする。ここ富山ライトレールの車両はワンマン運転なのにバックミラーがないが、バックミラーならぬバックカメラが設けられていた。自動車のバックミラーもやがてカメラに置き換えられる時代が来るだろう。なおカメラの映像がミラー反転しているかどうかは、確認しそびれた。08062158a


まあ満足のいく写真が撮れたので、もう一つの見たかったところ、中島閘門に行く。中島閘門は富岩運河にあるが、富山市の中心部を流れる神通川は明治24年(1891年)の大水害の後復旧工事をかねて直線化され、その廃川跡を埋める工事と一緒に昭和3年(1928年)に造られたのが富岩運河である。08062161a
復旧工事の提案をしたのはデ・レイケだそうだ。デ・レイケは日本の河川改修の父と言っても良いと思うが、福井県の三国港の改修工事だけではなく、ここでも名前が出てくるとは思わなかった。ちなみに小生の故郷三角港の設計は、デ・レイケの同僚ムルデルである。08062163a

閑話休題。運河は海から内陸へ向かうため勾配があり、流れを緩やかにするためには所々に閘門を設ける必要がある。と理屈では知っていても、日本にはないと思っていた。ところがそれが目の前にある。しかも現役だという。パナマ運河式の立派なもので、200t級の船が通れるそうだ。実際は滅多に稼働しないだろうが、稼働するところを見てみたいものだ。08062167a


そろそろ暗くなってきたため、今夜の宿泊場所である高岡へ移動する。この大人の休日倶楽部パスは特急も含め乗り放題で、たまたま「はくたか」が来たのでそれに乗る。今度は新型の683系だ。さすがにこの時間になると空いており、自由席にゆったり座れる。夕食は前回と同じところ、前回帰り際に駅に「生ビールサービス券」というのが置いてあるのを見つけ、今回はそれを使わせてもらう。ホタルイカの沖漬けで一杯、富山である。前回は気がつかなかったが、醤油に「甘口」というのが置いてある。聞けば地元産で、地元の醤油は元々甘口で、観光客用に関東風の醤油を置いているそうだ。小生は九州生まれの甘口派なので、早速それを使う。やはり1回では見えないことが多い。

(つづく)

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2008/07/13

富山・高岡再訪記(1)

前回、4月に富山に行った時にあちこち鉄道施設があるのを見つけ、さらに氷見線に貨物列車が走っていることもわかり、近いうちに再訪しようと思っていた。小生はJR東日本の「大人の休日倶楽部」というものに加入しており、この会員パスを使えば高岡往復が特急券込みで12,000円になる。これは期間限定で6月16日から6月29日までなので、急遽6月中に行くことにした。6月21,22日の土日、季節柄雨の中での撮影を覚悟しなければなるまい。

6月21日(土)天気:曇
前回と全く同じ上越新幹線-北越急行(とき-はくたか)ルートで、今度は1人のため、時間だけが少し早い。08062102a
はくたかは今度は最後尾の9号車だったが、乗り心地は相変わらず良い。6月はシーズンオフだと思っていたが、はくたかは満席である。しかも自由席はかなりの混雑とのこと、この時期は季節は悪いのだが、人のことは言えた義理ではない。はくたかは窓側の席だったので、糸魚川の手前の交直セクションがわからないかと外を眺めていたら、やっとわかった。車内は照明は消えないが、案内表示器は消える。08062103a


富山に着いた。雨は落ちていない。今日はまず富山ライトレールである。富山ライトレールにはスイカのようなICカードがあり、これを使うと200円のところが160円になるのだが、デポジット込みで2000円。いくら何でもそんなには乗らない。ともかく現金で岩瀬浜まで乗る。富山駅を出発してしばらくは路面だが、やがて専用軌道にはいる。かつての富山港線だ。そのため軌間はJR在来線と同じ1067mmで、路面電車としては狭い。車内も少し窮屈に感じる。沿線は工場地帯の中を走り、写真になりそうなところはあまりない。08062105a


岩瀬浜で降り、ここで「鉄」から離れて一般の観光コースを取る。「ノーベル街道」なる案内があった。ここ富山から高山に向けての沿線から、4人のノーベル賞受賞者を輩出しているのである。詳しくは写真を。田中耕一氏だけではなかったのだ。08062108a


このあたりの案内表示は、英語の次にロシア語が来る5カ国語表示になっている。富山港に行ってみて驚いた。ロシア船しかいないのだ。しかも皆中古車を積んでいる。かなりの数の盗難車がここから船積みされているという噂も聞いた。百聞は一見にしかずである。08062109a


北前船の回船問屋「森家」に行く。08062114a
高岡もそうだが、富山もかつては北前船で栄えたところだ。町並はきれいに整備されているが、観光客は少ない。東岩瀬まで歩いて、少し移動、来る途中で見えたきれいな公園に行く。08062121a
東岩瀬は富山港線時代のホームが残されており、対比が面白い。来る途中に見えた公園は、馬場記念公園だった。旧制富山高校(現富山大学)の跡地である。しかし広い。紫陽花がきれいだ。08062119a_2


日暮れが近くなるとカメラをスローシャッターにしなければならず走行中の写真が撮れなくなるので、電車の写真を撮るために奥田中学校前まで移動する。ここが専用軌道と併用軌道の境界で、起点を示す0kmポストもある。おそらく鉄道と軌道(管轄の法律が違う)の境でもあるのであろう。両方のホームから富山駅方向に発車できるようになっているため、脱線ポイントが造られているのが面白い。交差点で電車の写真を色々撮るが、併用軌道はどうしても自動車が絡み、これぞという写真が撮れない。やはり富山駅まで戻ることにする。08062123a


(つづく)

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2008/05/09

咲いた、咲いた、チューリップの花が(4)

2008年4月27日(日)(つづき)

高岡駅前のどこかに入って昼食を取ろうと思ったが混雑しており、天気も良かったので駅前のベンチでサンドイッチを食べる。すると雀が寄ってきた。物欲しげなのでカミさんがパンの切れ端をやると、さすがに手から直接は食べないものの、置いてやると喜んで食べる。元々雀は人の近くで暮らしている鳥、餌をもらい付けているようだ。08042738a


高岡にも城跡がある。歴史的に見ると越中国の中心は高岡であったのだが、富山城が残り高岡城が廃棄されたことが、現在の県庁所在地に繋がっているようだ。その高岡城の跡、現在の古城公園へ、万葉線で行く。08042744a
残念ながら旧型電車だ。万葉線は単線で、所々に行き違い設備がある。この行き違い設備は停留所と異なる場所で、実に巧妙なダイヤ構成でスムーズに交換していく。ただ交通渋滞でダイヤが乱れると、大変だろう。08042749a


古城公園は堀に囲まれているが、その堀の水が多い。遊歩道があるが、遊歩道すれすれである。周辺の道路との差も、50cmもないだろう。季節は新緑、桜が終わったばかりのようで、遊歩道にはまだ花びらが沢山落ちている。桜の季節は、見事だったろう。芸術の森と言うだけあり、あちこちに銅像が建っている。高岡が銅鋳物の街というのは、後で知った。08042753a


古城公園を出るところに、C11が置いてあるのに気がついた。確かに城端線と氷見線は、蒸気時代ならC11だろう。3次型だが炭庫の上部が高く、それにカバーが付いている。おそらく防雪カバーだろう。炭庫に通風口の付いた南国のC11とはまた変わった趣だ。08042759ac11


駅に帰る途中に、高岡大仏があった。奈良、鎌倉と並ぶ日本三大大仏とのことだが、知らなかった。これは最初は木造で、現在の姿に作り直されたのは昭和になってからというのが、影響しているのかもしれない。08042766a
昨年補修工事を終えたばかりのようで、実にきれいだ。ただしいかにも道路端に建っているので、あまりありがたみがない。「美男におわす」鎌倉の大仏よりいい男だそうだが、同性ゆえいい男の判断は控える。08042768a


高岡は銅鋳物の街で、街のあちこちに銅像がある。それも童話の一シーンの、不思議なものもある。鳥獣戯画から始まり、アリスのウサギ、桃太郎、ブレーメンの音楽隊、オオカミと七匹の子ヤギ、等々。08042774a
そうなると、当然ドラえもんもある。しかし不思議な街だ。国宝のお寺もあるし、今度ゆっくり眺めねば。

高岡で特急「はくたか」を待っていたら、EF81牽引の貨物列車が通過した。写真だけ撮っておき後でよく見たら、なんと門司から移ってきた重連総括付きの450番台であった。08042775a
帰りは同じコースで、ただ曇っていて立山連峰が見えないのが残念であった。

(完)

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2008/05/07

咲いた、咲いたチューリップの花が(3)

2008年4月27日(日)

富山からは高山本線が分離し、さらに富山地鉄もある。高岡からは氷見線と城端線の二つが出ている。このあたりは鉄道密度の高いところだ。高岡のホテルは、駅のすぐ前である。08042701a
おかげで部屋からは高岡駅の様子が一望できる。EF81牽引の貨物列車も頻繁に通り、ここが日本海縦貫の大動脈であることを思い起こさせる。朝、DE10牽引の貨物列車が止まっているのが見えた。旋回窓を付けた、A寒地仕様である。排気煙を吹き出したので入れ替えかと思っていたら、そのまま氷見線の方へ入っていった。氷見線には伏木港もあり、貨物列車もまだ健在なのだ。08042778a


高岡駅前に、大伴家持の銅像がある。かつて高岡(伏木)に赴任したとか、それで万葉線なのだ。やっと気がついた。万葉線には低床型の新車もある。ここも再訪せねば。08042707a

高岡駅はまだ改修されておらず、ホームの間に側線がある。また設備も古いままで、そのため今はほとんど見られなくなった小荷物台車運搬用のエレベータも残っている。こういう産業遺産は、気がついた時にはなくなっているのではなかろうか。08042708a


砺波は城端線の途中にある。北陸色に塗られたキハ40系の2連で行く。途中駅は工場への引き込み線も健在で、城端線にも貨物列車が残っているようだ。沿線の水田はちょうど水を張る時期だが、水路の水量が多い。立山連峰からの雪解け水が豊富なところである。08042713a


このシーズン、砺波駅からチューリップ公園までは、無料のシャトルバスが出ている。歩ける距離であるが、道を間違えるといけないので、それに乗る。チューリップ公園到着。08042714a
いや、これはすごい。チューリップは色が鮮やかなので、ともかく華やかだ。その色も、色々あるのがわかる。チューリップの形をした塔と、水に浮かぶチューリップがこの公園のシンボルである。08042720a


しばらく歩くと、5連の水車があった。これは灌漑用、水をくみ上げるタイプである。その他にも、精米用や、珍しい軸流型もあった。電気屋といっても元が重電系なので、こういう機構物には興味がある。黄色いチューリップの色が鮮やかだ。聞けばこの水は庄川水系とのこと、ここで川に落ちれば半日で富山湾に着くという、恐ろしいことを言う。チューリップは香りの少ない花だが、ここまで多いと香りを感じる。08042723a5


チューリップを堪能し、今度は歩いて駅に戻る。駅の街灯もチューリップ型だ。城端線で高岡に戻ったら、「忍者ハットリ君」塗装のキハ40がいた。藤子不二雄の両氏(我孫子素雄氏と藤本弘氏)とも富山県の出身で、F氏は高岡の、A氏は氷見の出身だった。08042735a


(写真はクリックすると、大きくなります)
(つづく)

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2008/05/06

咲いた、咲いた、チューリップの花が(2)

2008年4月26日(土)(続き)

我々より上の世代にとっては、富山といえば薬である。製薬会社が持っている薬の資料館があるが、企業博物館の通例として休日は休館、土曜の今日も明いていない。民俗民芸村というところに売薬資料館があるので、そこへ向かう。バス停がわからず案内所で聞き、偶然1時間に1本のバスがすぐ出発するので、それで行く。このバスの終点の呉羽山からは立山連峰がきれいに見えるとのことだが、バスで走っている間に雨が降り出した。これでは呉羽山に行っても、何も見えないだろう。08042605a


民俗民芸村には全部で7つの資料館があるが、まず売薬資料館へ。販促品が面白い。紙風船や紙飛行機は、子供の頃目にしたことがある。製薬用品に古い大型の乳鉢があった。昔は病院や医院の薬局では先生の処方箋に応じて薬を上皿天秤で量り、乳鉢ですりつぶしてその粉を包んでいた。そのためその人の体質や症状に応じて薬の量を加減でき、これこそが医者の「さじ加減」であったのだが、いつしか病院から乳鉢が姿を消してしまった。08042613a


時間があったので、篁牛人記念美術館に入る。先ほどの売薬資料館は先客が1グループ(2人)いたが、ここは誰もいない。ゆっくり眺める。売薬資料館もこの美術館も、靴を脱いで上がるようになっている。おそらく、冬は皆長靴になるからであろう。富山市内の道路には融雪パイプが通っており、住宅も玄関がやや高い。ここも雪国なのだ。08042615a


バスで一旦富山駅まで戻り、ともかく富山ライトレールを眺めに行く。バスは南口、ライトレールは北口であるが、地下道で結ばれている。開業2周年の看板が出ている。08042617a
富山港線を路面電車(LRT)に転換して、もう2年経つのだ。今度は「鉄」の旅で再訪したくなる。また南口に戻り、富山地鉄の路面電車に乗って富山城へ。中には入らず、外から眺めるだけにする。きれいな城だ。元々水の豊富なところだが、堀の水の水位が高い。帰りは歩いて街を眺めながら駅へ。県庁などはこのあたりにある。途中の松川には、観光船が浮かんでいた。両岸にあるのは桜で、桜の季節はさぞ見事だろう。08042620a


今夜は高岡止まりなので、ちょうどあった富山発高岡行きという各停で移動する。475系の3連、まだ健在である。駅を眺めると寝台電車581系改造の419系もまだ健在である。JR西日本は京阪神偏重で、京阪神には新車をどんどん投入するが、広島以西(特に下関地区)や北陸は旧型をなかなか置き換えない。その475系の各停、平日なら通勤列車のダイヤである。富山から高岡近くまで、北陸線の沿線にずっと切れ目なく住宅が続いているのには驚いた。さすが持ち家比率全国一の件である。

(つづく)

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2008/05/05

咲いた、咲いた、チューリップの花が(1)

2008年4月26日(土)

数年前になるが、友人から富山近郊のチューリップ畑の中を走る485系の写真を見せてもらったことがあった。カミさんに一度チューリップを見に富山に行きたいと言ったら、チューリップなら砺波だと言う。北陸線から少し入った城端線であるが、富山県には違いはない。ハウステンボスに行った時はチューリップの季節を外したこともあって、話はとんとん拍子に進んだ。これが3月末である。心臓の手術の可能性は消えないのであまり休暇を消化したくなく、土日だけにして金曜日まで仕事なので土曜日は遅い出発、高岡に一泊して日曜日にチューリップ公園に行くことにした。時期の選択が難しいが、5月の連休だと盛りを過ぎていると見込み、4月26,27日にした。そして今日出発である。

東京駅発11:12の「とき」319号、観光より体力保持を優先させたため、遅い出発である。車両は200系K編成、山形新幹線の400系と併結できるよう改造されたグループである。山形新幹線との併結は2階建てのE4系に置き換わってしまい東北新幹線からは姿を消したが、アコモ改造を受けて上越新幹線ではまだ主力としてがんばっていある。上越新幹線は新潟から先に延びる可能性がないためか新車が投入されることもなく、最近は2線級の扱いである。かつては新清水トンネルの中を275km/hで走る200系F90編成があったが、この高速運転も取りやめになって久しい。

アコモ改造車でシートは良くなっているが、200系は狭いシートピッチの中で無理にシートを回転させるため、座席の幅が狭い。隣が小柄なカミさんだから良いが、大柄の人が隣に来たら圧迫感があるだろう。

小生はJR東日本の「大人の休日クラブミドル」というのに加入しているが、先日年間の利用金額がある額を超えたとみえ、車内販売のコーヒーのサービス券が送ってきた。今回早速使おうと思っていたが、上野を過ぎても、大宮を過ぎても車内販売の案内がない。200系は売店がないので自分で買いに行くわけにも行かずあきらめかけていたところ、国境の長いトンネルに入ったところでやっと来た。蓋が付いているので、半分ほど飲んだところでコーヒーを持ったまま乗換である。08042601a


越後湯沢からは北越急行経由の「はくたか」10号に乗換である。東京から富山に行くには、やはりこのコースが一番早い。車種はJR西日本の681系であるが、乗った車両は北越急行の所属車であった。
越後湯沢のあたりの山はまだ雪山で、河原にも雪が残る。やはり雪国である。はくたか10号の乗務員は直江津まではJR東日本、そこでJR西日本に変わる。JR東日本といってもJR区間はわずかで、ほとんどは北越急行線である。この北越急行線内を、特急列車は在来線最速の時速160km/hで走行する。上越線から別れて加速する時はさすがに速いと思ったが、走行区間はほとんどがトンネル内で、あまり速度の実感がない。ただトンネル内を走る時も単線トンネルのせいかあるいは160km/hと270km/hの速度差のせいか、新幹線の700系より揺れは少ない。シートも広く、快適である。08042610a


直江津からは北陸線、糸魚川の手前で交直転換があるが、全くわからない。かつての交直転換は室内灯が全部消えていたが、最近はバッテリー容量が大きくなって室内灯は全部点いたままである。富山に近づくと、左手に立山連峰が姿を見せる。前は富山湾、後は雪を頂いた立山連峰、こういう場所で育つと、また独特の性格が形成されるのだろう。富山に着いた。

(つづく)

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2008/04/27

砺波から帰ってきました

2008年4月27日

高岡から砺波を回って、帰ってきました。チューリップはちょうど見頃でしたが、高岡にも見るところがたくさんあり、びっくりしました。路面電車を含んで鉄道が元気です。富山ライトレールと万葉線、どちらも写真だけは撮ってきました。Dscf0065a

旅行記をまとめるつもりでいますが、明日が心臓の検診日で、しばらくそちらの話題になると思います。

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2008/04/26

富山にいます

富山にいます
富山に来ています。上越新幹線からほくほく線経由でした。明日はチューリップを見に砺波に向かいます。

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2008/03/29

キハ20に会いたい!(5)

2008年3月16日(日)

2泊目を熊本にしたのは、体調が悪くなった時を考えゆっくりしたスケジュールにしたことと、その場合は慣れた場所の方がよいと考えたことが大きい。そして熊本空港からまっすぐ帰る予定だったが安い切符が入手できず、結局福岡空港周りになった。

もう今日は帰るだけなので、のんびりホテルを出る。予定よれ1本早い「つばめ」に乗ろうと思い指定席を買う。時間まで熊本駅前で市電の写真を撮る。08031603a1203
宝くじの売り場のようなものがあり日よけにちょうど良いと思ってその影にいたら、シャッターが開いて顔を出したのはなんと婦警さん、簡易交番であった。「どうぞ、どうぞ」と言われたので、お言葉に甘えてそこで写真を撮る。島鉄のキハ20も長生きだが、熊本市電の旧型車も長生きだ。熊本市電タイプを確立した1200型(旧200型)が来たので、撮る。この車両も1958年製である。今度は低床車9700型が来た。写真を撮ったところではっと気がついたら、もう「つばめ」は出発していた。熊本ということで気がゆるんだのか、珍しいミスだ。仕方無しというか、結局は当初の計画通り、「有明」に乗る。こういう時にL特急の、乗り遅れても次の自由席に乗れる制度は有り難い。08031606a9702


「有明」は787系の4両編成である。787系はデビューした時は衝撃的であったが、現在は乗ってみると、885系あたりに比べると多少見劣りがする。新幹線が博多まで開通した時は、この787系はどうなるのだろう。熊本駅も含め、鹿児島本線の博多までは新幹線工事がたけなわである。08031609a


博多駅ビルで昼食。地下鉄で福岡空港へ。福岡空港は博多駅に近いので助かる。帰りもJALのクラスJであるが、何と機材は行きと同じJA8981であった。無事帰京、多少おなかが怪しかったがそれ以外は体調も良く、たっぷり楽しめた。

(完)

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2008/03/28

キハ20に会いたい!(4)

2008年3月15日(土)(つづき)

臨時のトロッコ列車のキハ2011、120列車のキハ2008+2018を撮った後、119列車のキハ2003に乗り込む。08031518a
なお現場では、「にせんさん」という言い方をしているようだ。島鉄伝統のシートカバーの掛かった車内はそのまま、運転席も改造されていないので、キハ20の「鉄ちゃんシート」付き解放運転台もそのままである。変わったのは蛍光灯化され、冷房が付いたくらいである。08031530a2003
「昭和33年帝国車両」の車内銘板もそのまま、国鉄/JR払い下げではない自社発注車である。昔からそうだったが、島鉄の車両は手入れが良い。アイドリング時のこのからから言う音は、エンジンはDMH17Bそのままか?島鉄はエンジンをこまめに止めているので、エンジン寿命が総回転数に比例するとすれば、エンジンの持ちも良いはずだ。08031508a2003


南島原から島原外港まで、一駅だけ乗る。島原外港に着き、何か変だと思っていたら、交換設備が廃止されていた。もう昼過ぎ、昼食を取る場所を探したが軽いものは見つからず、フェリーターミナルまで行く。島原/長崎といえばチャンポンだが、昨日の夕食のせいかおなかの具合があまり良くなく、うどんにする。フェリーターミナル前にバス停があり時刻を見たら、ずいぶん少なくなっている。かつては島鉄バスと県営バスがそれぞれ雲仙/長崎へ向かい、競うように発車していた。よく見たら、県営バスが島原へ来なくなっている。島原港にも、昔日の面影はない。08031537ac1201


次の列車まで少し時間があるので、タクシーで島鉄本社横の公園に行ってみる。やはり蒸気機関車であった。島鉄最後の蒸気機関車はC12ですべて自社発注、C11のようなデフを付けているのが特徴だ。63061607bc1205
全部で5両有り、確かC1205がお召し列車を引いたと思う。なお気動車も含め、4は欠番である。保存されているのは1号機のC1201、お世辞にも良い状態とは言えないが、あるだけ有り難い。何とレールの上ではなく、地面に直接おいてあった。

南島原まで歩き、旧国鉄色のキハ2013+2016の、多少は画になる写真を撮った。有明海対岸の宇土半島を走る三角線も、昔はこういう雰囲気であった。島原外港へ行き、ここでキハ2003の最後の写真を撮る。帰宅後昔の写真と比べてみたら、ホームの屋根は45年前と同じであった。08031544c201613


島原鉄道といえば、元島鉄常務の宮崎康平氏が書いた「まぼろしの邪馬台国」の映画化が竹中直人/吉永小百合の主演で撮影が続いており、島原半島でのロケがあった、という記事を新聞で見かけた。こういう記事は同じ毎日新聞でも、東京版には載っていないだろう。08031549a2003


ここから熊本へ向かう。熊本港が出来てフェリーが三角港から熊本港へ移り、その後どうなったかを見てみたかったこともある。島原から高速船が大牟田へも運航しており、博多に出るにはこのルートが最速のようだ。熊本へは九商フェリーの一般船と熊本フェリーの高速船があるが、高速船を選ぶ。高速船というからかつて神戸-洲本間に運航していた小型船を想像していたら、何と1600トンもある大型フェリーである。エンジンのビリビリいう振動とともに、40分で熊本港に着いた。途中ですれ違った九商フェリーの船は、三角港時代より小さくなっている。この高速フェリーに食われているのがわかる。08031551a


熊本市の白川の河口付近は遠浅で漁港しか作れず、明治時代に三角港が作られた。その白川の河口付近の遠浅の沖合に人工島を作って作ったのが、熊本港である。従って、フェリーターミナル以外は何もない。バス停でバスを待っていると、揺れる。路線バスで市の中心部まで35分、三角港までの1時間強を35分に短縮するために、国はこれだけの大がかりの工事をやったらしい。今回の旅行では、国の無駄な工事がやたら目に付く。

(つづく)

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2008/03/23

キハ20に会いたい!(2)

2008年3月14日(金)

金曜日であるが、今日は休暇。日曜日に帰ってくるのでいわゆる「お疲れ休み」がなく、その分朝寝坊してゆっくり出来る出発時間にした。前線が西から近づいており、傘を差しての出発になる。横浜駅で昼食、京浜急行で羽田空港へ。京急の横浜駅が改修され、トイレが広くきれいになった。早めにチェックインするが、チケットレスはチェックイン時まで手元に航空券がないので、どうも落ち着かない。やがてチェックイン後も航空券を発行しない完全チケットレスになるようだが、個人的には好みではない。

時間があるので、展望台に上がってみる。雨はもう止んでいる。JALもすっかり新塗装に代わり、鶴丸の機体はいなくなった。登録番号から、旧JASとわかる機体もある。JASのレインボーカラーも姿を消してしまった。かつてはなんだかんだ言いながら、JASをもっぱら使っていた。

14:30発のJAL331便、クラスJである。機体はB-777、JA8981はJALのB-777一番機で、塗装変更前は「シリウス」という愛称が付いていた。かつてはJASのレインボーシートをよく使っていたが、この通常料金+1000円というのがちょうど手ごろな価格で、このクラスJが出来てからもっぱらJALを使っている。前線が来ていたが特に揺れもなく、定刻に福岡空港に着いた。預けていた手荷物を受け取り出ようとすると、出口に係員は立ってはいるものの、番号の照合をやっていない。手荷物預かり証は自分で回収箱に入れる。列車内の客室端にある荷物置き場と同じだと言ってしまえばそれまでだが、福岡空港だけなのか、それともJALだけなのか、ちょっと気になる。

福岡空港から博多駅までは地下鉄で二駅、それで250円はちと高い。東京ではパスネットが姿を消しつつあるが、福岡の「よかネット」カードはまだ健在、しかし半分しか使わないので購入するのは止める。スイカに相当する「スゴカ」にも興味があるが、使う機会はまず無い。08031401a885


博多から佐賀までは各停でも行ける距離だが、体力の温存を考えて特急にする。「かもめ」35号は「白いかもめ」の885系、振り子車である。バケットシートが快適、やはり特急にして良かった。ただ振り子車なので、ポイント通過時は良く揺れる。JR九州の特急車は荷物棚が飛行機のような収納ボックスになっている。見た目はきれいだが、忘れ物しそうだ。週末ということもあってか、鳥栖からは立っている人も出る混み方になった。08031402a


約40分で佐賀に到着、佐賀市は初めてである。ホテルにチェックイン後少し歩いてみたが軽く食事が出来るようなところはなく、駅前の西友でビールとにぎり寿司を買い込む。小生がいた頃はキリンビール福岡工場には缶ビール製造設備はなく、缶ビールは岡山から運んできていたが、さすがにこの時代、福岡工場製の缶ビールが並んでいる。ただし福岡製はラガーと一番搾りだけで、他の銘柄は相変わらず岡山工場、バドワイザーは栃木工場であった。

(つづく)

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2008/03/22

キハ20に会いたい!(1)

2008年3月3日

島原鉄道の南線(島原外港-加津佐間)が3月末で廃止されることは知っていた。しかし今の島鉄は小生が知っている島鉄とは別物で、関係ないことと思っていた。しかし「鉄道ファン」誌4月号を見て驚いた。キハ20、それも自社発注のキハ2003が生き残っているではないか!南線廃止と同時にこのキハ20群も廃車になるとのこと、これはどうにかしてもう一度行かねばならない。

小生が島原鉄道に最初に行ったのは、1963年(昭和38年)である。当時中学3年生、引率者付きとはいえ、高校受験前によく行ったと思う。63061608b

当時の主力は湘南型2枚窓の、国鉄キハ45000(後のキハ15)に相当するキハ4500で、その他国鉄乗り入れ用としてキハ26とキハ20がいた。630616052601

そして2エンジンのキハ55は、キサハ代わりの旧型機械式気動車を牽引していた。キハ26は一番の花形で、諫早で準急「ながさき」に併結され、長駆小倉まで足を伸ばしていた。両運だがトイレ付きで、空気バネ装備でシートカバー付きのため、国鉄区間でも島鉄車を選んで乗る人もいたと聞く。キハ20は3両いて、01と02がいわゆるバス窓、03が200番台以降に相当するが、エンジンだけはDMH17B装備だったと記憶する。キハ20はもっぱら長崎乗り入れ用で、後年家族旅行で長崎に行った時、島原外港から長崎までこのキハ20を利用したことがある。63061606b2601_3


当時の塗装は、キハ26とキハ55は国鉄準急色と同じ黄色に赤帯だが、赤帯が3等を意味する3本線になっており、これがキハ58に準じた急行色に変更した時の「ネコひげ」に繋がっていく。島鉄ホームページの「旧島鉄色」とは、この急行色をいう。キハ20はキハ4500と同じマルーンとクリームのツートーンで、落ちついた色であった。63061602b2003


そのキハ2003がまだ生きているとのことである。カミさんに話すと、カミさんはこういうことはあおることはあっても止めることはない。最初は金曜日の終業後出発することも考えたが心臓のこともあり、無理しないように金曜日に休暇を取ってゆっくりしたスケジュールで出かけることにした。島鉄のホームページにキハ20の運行予定表が出ており、3月15日だと撮影可能時間帯にキハ2003が運行されている。15日までまだ一週間以上あるので航空券も割引で確保、宿は食事のことも考えて佐賀と熊本を取った。島原からだと、熊本に出た方が諫早に戻るより早い。ただ航空券は福岡発の方が安く、羽田-福岡往復になった。後は天気だけである。

(つづく)

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2008/03/16

無事帰ってきました

2008年3月16日

無事福岡-羽田経由で帰ってきました。W-ZERO3のバッテリー残量が少なくなったので、コメントの返事は失礼しました。
帰ってきて自分のブログを見たら、ものすごくぼけた写真です。W-ZERO3で初めて撮った写真ですが、どうやらオートフォーカスが効いていなかったようです。あらためてマニュアルの読み直しです。口直しにLUMIX FZ8で撮ったキハ2006の写真をどうぞ。P1000222a


今日は単なる移動日です。とは言うものの、行きがけの駄賃に熊本市電の写真を撮ってきました。熊本市電は昭和30年製造の車両から日本最初のインバータ車、さらには最新の低床車まで、待っていると何が来るのかわかりません。今日は予定より早めに博多に移動しようと思っていたところ、低床車の9700型が来たため写真を撮っていたら乗り遅れ、結局予定通りの列車になりました。P1000268a


なお東京では「銀河」の廃止が話題になっていたようですが、熊本にいたので新聞もテレビも「なは」の廃止の話題ばかりでした。「なは」の最終列車のヘッドマークは、沖縄の「ゆいレール」に寄贈されました。

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2008/03/15

島原から熊本に移動しました

島原から熊本に移動しました
2008年3月15日

島鉄の南島原を中心にキハ20をたっぷり堪能してきました。高速フェリーなるものに乗りたくて、熊本に移動しています。諫早経由より熊本まわりの方とが早いのですが,最速は大牟田まわりのようです。明日福岡経由で帰ります。

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2008/03/14

佐賀にいます

佐賀にいます
2008年3月14日

佐賀まで来ています。もともと会社が終わってから出発する計画だったので、活動するのは土曜日だけ、前後が移動日というのんびりした日程です。佐賀県はあちこち行きましたが、佐賀市は初めてです。

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2007/12/09

出雲街道津山宿(2)

11月24日(土)

津山は吉井川に沿った盆地であるが、こういう地形は霧が出やすい。さらに吉井川には津山市街の西方と東方で他の川が合流しているので、なおさらである。今朝は見事な川霧で、もう9時になろうかというのに視界が聞かず、しかも寒い。ただ天気は良さそうなので、まず鶴山公園に向かう。元津山城の城跡で、小高い山になっている。この山が元は「つるやま」と呼ばれ、その名が転じて「つやま」になったと、パンフレットには書いてあった。公園の読み方は「かくざん」である。津山城は明治まで天守閣が残っていたが、明治維新のどさくさで取り壊されてしまった。かつてNHKの朝の連ドラで津山城の天守閣が壊される場面(画面はそれを見ている人たちだが)があり、題名や筋はすっかり忘れてしまったが、そのシーンだけは覚えている。Pb240056a


鶴山公園は桜の名所である。寒いところでは桜は秋に真っ赤になるが、ここ津山でも赤くなっている。もっとこの紅葉はPRしても良いと思う。動物園の温度計を見たら6℃、寒いはずだ。Pb240060a
城跡を上まで登る。途中の紅葉がきれいだ。坂道で、石段が多い。小生はずっとテニスをやっていたせいで心肺機能は強くなっており、僧帽弁が逆流していても坂道はカミさんよりも平気である。ただ脈拍が一旦上がると1時間くらいは下がらないので、急ぎ足で登るようなことは止める。上まで上がると津山市内が一望できる。さすが美作国の「首都」、かなり大きな街である。Pb240064a


次に鶴山公園の北側にある衆楽園に向かう。岡山にある後楽園よりも古いという。ここの紅葉も見事だ。池に映り、実に美しい。京都のように人が多すぎないのも良い。これで入場無料である。今年の紅葉は、これで充分だ。Pb240069a


これから本当は郷土博物館に行くつもりであった。ところが祝日の翌日は指定休館日で、今日は土曜日で3連休の中日なのに休館。観光資産はたくさんあるのに、観光地らしくない街だ。Pb240084a


津山は出雲街道の宿場町で、古い町並みも残っている。昼食を取った後、そちらに向かう。出雲街道は鉄を運んだ街道らしい。古い町並はよく見ないとわからないが、腐食防止の止めに一旦焼いた板を使っている板壁など、面白いものが残っている。ただ交通規制を行っていないので車が多く、おちおち見ていられない。「フーテンの寅さん」最後の舞台がここ津山であり、また「あぐり」は岡山が舞台だがロケはここ津山で行われたなど、面白いものが沢山見られた。Pb240089a_2


最後に旧津山機関区を見に行く。駅の裏手だが裏手に回る踏切が遠く、かなり歩く。津山の西側は津山線と姫新線が並行しており、複線のようだ。旧津山機関区の扇形庫(ラウンドハウス)は多少荒れてはいるものの、建物はそのまま残っている。呼び物はDE50、国鉄末期のごたごたがなければDD51の代わりに伯備線や播但線など、山線で活躍したはずのDLだ。岡山に配置されていたはずだが、いつの間にか津山に移っている。年に何回かは庫から引き出されるようだが、今日は生DE50が見られたことで良しとする。おみやげはDE50のチョロQとなった。Pb240104a


現在も津山は運転区(正式な名称は不明)があり、気動車が配置されている。因美線や津山線の各停はキハ120の単行が主体となってきている。このキハ120、小さい車体ながらちゃんと車椅子対応のトイレが装備されており、JR西日本の考え方がわかる。それと比べると、トイレの無いキハ31を単行で走らせ、一編成の中にトイレが一つしかない特急を走らせているJR九州は、もっと何とかしてもらいたい。

帰りは時間帯の関係で急行「つやま」。現在JRに普通急行はほとんど残っておらず、東京で急行券を買う時に説明するのに苦労した。新幹線に乗り継ぐと在来線の急行/特急料金が半額になるが、これは1964年の新幹線開業当時から変わっていない。車両はキハ48基本番台の2両編成、ちゃんと車掌も乗っている。キハ48基本番台は本来北海道向けの車両であるが、寒冷地対策としてデッキが付いており、また空気バネを装備している。その装備を生かして急行用として使っているわけだ。「なるほど」という感じである。なお窓は原型は北海道標準の二重窓であったが、キハ47共々JR西日本標準のユニット窓に改造されている。

さすが急行、昨日の快速より所要時間が短い。しかし帰ってから調べてみたら、快速も坂道を下る岡山行きの方が速く、所要時間自体は快速と大差なかった。岡山からは700系「のぞみ」、夕食は岡山名物「祭り寿司」。実質1日半であったが、充実した旅行だった。

(完)

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2007/12/08

出雲街道津山宿(1)

日本各地はあをあちこち旅行しているがまだ空白地帯はたくさんあり、中国地方の山間部のその一つである。なにしろ、本州縦断路線伯太の花輪線から陸羽西線、仙山線、米坂線とかなり乗っているのだが、中国地方は横断線に乗ったことすらない。その中国地方の山間部で、津山は以前から気になっていた。そうこうしているうちにドラ息子が岡山に住むことになり、気分的に身近になった。紅葉の時期を狙って出発である。

11月23日3連休の初日、新横浜11:50発の「のぞみ」85号、休日は寝坊しないと疲れが残るので、遅い出発である。休日の混雑ピークは9時頃なので、もうピークは過ぎていると思っていた。ところが新横浜に着いてみると大混雑、弁当を買う予定であったがそこも長蛇の列である。平日の朝でもこんなには混んでいない。ホームの弁当売り場で買うことにし、「まもなく2番線に、」というアナウンスを聞きながら並び、何とか間に合った。

700系の「のぞみ」である。本来は500系かN700系を狙うところだが、今回は津山線との接続を優先させたため、往復とも700系になってしまった。300系よりはマシである。
新横浜があれだけ混んでいたので指定席が満席なのは当然だが、「自由席ご利用のお客様は、指定席車両にお乗りください」というアナウンスをしていた。つまり自由席車両はもう立錐の余地もなく、分散させないと乗ることすら出来ない状態なのだろう。みんな一体、どこへ行くのだろうか?

平日の「のぞみ」だと名古屋でかなり空くのだが、今日は空かない。京都から五月雨式に減り始めた。京都でもっと空くかと思ったのだが、意外と空かない。途中の伊吹山は、錦になってきれいだった。大阪でかなり降りるが、また乗ってくる人も多い。この「のぞみ」は岡山行きだが、大阪-岡山間の需要もかなりあるようだ。以前の国鉄や新聞社の組織も、岡山までと四国が大阪、広島以西は北九州の管轄だったが、文化圏が違うのでそう分けたのだろうか?Pb240103a


岡山15:02到着。岡山駅の改良工事もだいぶ進み、以前迷わされた駅の表示がすっかりわかりやすくなっている。そのあおりで、吉備線/津山線のホームは少し移動したようだ。岡山からは快速「ことぶき」、すでに入線している。キハ47の2両編成で、ワンマン運転だがどちらもトイレ付きの基本番台車だ。座れたが、発車する時のは立つ人も出る混雑となった。

津山線の快速は津山までを1時間15分前後で結ぶ。営業キロ58.7kmは、東京-茅ヶ崎間と同じくらいの距離だ。ただ津山には中国自動車道が通っているので、大阪へ出るには高速バスが主流になっているだろう。

津山に到着する直前、進行方向右側に大きな扇形庫が見えた。駅の案内にもあったが旧津山機関区の扇形庫で、17線有り日本で3番目に大きい扇形庫だそうだ。ちなみに1位は旭川で25線(旭川の扇形庫は180度を超えていて、見事だった)、2位が梅小路で20線、3位がここ津山である。帰宅後調べたが1965年当時でも津山にいたのはC58とC11で大型機はおらず、良くこれだけ大きい扇形庫を作ったものだ。「鉄道遺産ツアー」というものがったが前日の申し込みで、参加は断念した。Pb240098a_2


津山は街の中を川が流れ、落ちついた雰囲気である。どこかで見た雰囲気だと思ったら、人吉に似ていた。今日は泊まるだけで観光は明日である。ホテルの部屋で飲んだ「麒麟淡麗生グリーンラベル」は、岡山工場の製品だった。

(つづく)

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2007/11/18

證々證誠寺

2007年11月18日

木更津に行ってきました。目指すは、證誠寺。分福茶釜の茂林寺には行きましたから、證誠寺は外すわけにはいきません(タヌキとして)。本来は先週のはずでしたが雨のため延期、そのもっと本来は京都で唐獅子を見ているはずでしたが、京都国立博物館のホームページにリアルタイムで表示されている混雑状況を見て、唐獅子がタヌキに代わりました。

横浜から木更津へは、アクアライン経由のバスが1時間に2,3本走っています。しかし約1時間、途中無停車でトイレもなく立ち上がることも出来ない缶詰のままというのはどうもいやで、総武快速線経由にしました。時間は倍かかりますが、気楽です。2時間以上かかるので、グリーン車にしました。07111702a

東京地下駅から姉ヶ崎までは、その昔化学会社を担当する営業をやっていた頃、さんざん乗りました。その頃はまだ横須賀線と直通しておらず、グリーン車も付いていなかったような気がしますが、確かではありません。

木更津に着くと早速タヌキがお出迎え、駅の発車サイン音も「證誠寺のたぬき囃子」になるなど、タヌキを表に出しています。アクアラインの開通は地元経済にとってはマイナスになっているはずですから、観光客を呼び込もうとがんばっているのでしょう。07111710a


證誠寺は浄土真宗のお寺でした。境内には動揺童謡碑と狸塚があります。見に来るだけの価値はありました。07111704a


帰りはカミさんはアクアライン経由で、小生はまた総武快速線経由と、別行動にしました。07111706a
最近各停のグリーン車に乗ると爆睡するようになり、途中の記憶がありません(^_^;。帰りにスーパーにビールを買いに寄ったら、カミさんと出くわしてしまいました。

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2007/10/10

板谷峠撮影記(2)

2007年10月6日(つづき)

撮影した場所は思いの外駅から遠く、20分はかかる。昼食は店に入るのをあきらめ、途中のコンビニでサンドイッチを買う。これを各駅停車の中で食べる予定だ。各駅停車は719系2両、ロングシートのE701系は、福島-米沢間には運用に就かないようだ。こちらとしては助かる。本数が少ないせいか、立っている人もいる混みようである。途中がすべて無人駅のせいか、ワンマンではなく車掌付きである。庭坂を過ぎてちょうど峠の登りにかかるあたり、黄金色の稲穂がきれいで、画になるような場所だ。071006e


板谷で下車、降りる人が結構いる。まず福島よりに開けた場所があったので、そこを狙う。板谷はかつては石材の切り出しで栄えたところで、この沿線としては大きい集落がある。しかし現在は人がどんどん少なくなっているようで、廃屋が目立つ。かつては社宅のような大きな廃屋もあったが、今はそれもなくなった。関根小学校板谷分校がかつてはあったが、現在は休校中、子供達はどこまで通っているのだろうか。071006g


列車の中から目星を付けたあたりは実際に見ると木が茂り、電車の足回りが全く見えない。その先まで行ってみたが、線路は全く見えなくなってしまう。地図で目星を付けると、木が見えないのでこうなることも多い。071006f
ニホンザルが数匹右往左往している。こちらを見たときに写真を撮ろうとすると、カメラの電源を入れた音で逃げてしまう。群でよってこられたら怖いが、まあクマよりは良い。少し手前の開けたところは駐車場、ここも写真にならない。結局踏切が一番良く、何となく正面気味の写真になってしまう。

今度は線路の上側に行ってみる。これは失敗で、駅の福島側も米沢側も、全く線路が見えない。駅のスノーシェッド沿いに細い道を見つけ、行ってみる。轍の跡があるので、車が通れる道のようだ。スノーシェッドの先に、保線区員が車を止める場所があった。ここは写真が撮れる。あとは駅の近くで38パーミルを登ってくるところを1枚、まあまあ撮れたが、写真展に出せるような写真があるかどうかは、疑問である。071006h


3時間に1本の各駅停車で米沢へ、次の停車駅は峠である。峠の名物「峠の力餅」は、この一日数本になった各駅停車にも、律儀に立ち売りを続けている。板谷から関根までは見晴らしの良いところはなく、米沢手前の関根あたりの平坦地の方が、かえって良い写真が撮れそうだ。蒸気機関車ではないので、何も坂道にこだわる必要はない。

久しぶりの米沢、2年ぶりである。その間に跨線橋が新しくなってエレベータ付きになり、駅の裏側がすっかり整備され東口となり、国道13号線沿いのホテルから便利になっている。最も駅の改札口は一つなので、一旦自由通路で西側に回ることになるが。米沢駅の裏側にはかつての蒸気機関車以来の機関区の建物があったが、2000年の大雪で倒壊し、取り壊されてしまった。その跡もすっかり無くなったわけである。2年来ないと変わるものだ。駅の表は、山形新幹線開業15周年と、2009年放映のNHK大河ドラマ「直江兼続」の幟がたくさん並んでいる。山形新幹線も、もう15年になるのだ。大河ドラマは、小生がいた頃から「直江兼続を大河ドラマに」という運動が行われていたが、やっと実現したわけだ。071006i


米沢牛の駅弁と缶ビールを買い込み、つばさへ乗り込む。運良く400系、ビールと一緒に数少なくなった間接照明と横引きカーテンの車内を味わう。今日は狙ったような写真は撮れなかったが、まあ充実した一日だった。帰ってみて大画面で写真を確認したところ、置きピンとシャッター優先AEはうまくいっていたが、アップのしすぎでもう少し引き気味の方が良かった。デジカメの慣れではなく、ズームレンズの慣れの問題だ。さて、次回はどこに行こうか。

(完)

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2007/10/08

板谷峠撮影記(1)

2007年9月初旬

山形新幹線用に新造車製作のニュースを聞く。400系の置き換え用で、いよいよ400系も姿を消すことになりそうだ。山形新幹線は、米沢時代は月に3往復もしていたものだが、写真らしい写真を撮っていない。心臓の手術前に写真を撮りに行くことにする。やはり板谷峠の写真が良く、ねらいを回りに人家が多くて線路近くに道路がある板谷に定める。


2007年9月下旬

方眼紙を買い込み、それこそ数十年ぶりにダイヤを引く。これで板谷の通過時刻が割り出せる。ねらいを10月始めの3連休の、6日か7日に定める。この二日間は臨時列車が多く、それだけ収穫が見込める。


2007年10月3日

群馬出張の切符は買うが、風邪気味なので板谷峠行きの切符はぎりぎりまで待つことにする。なお福島-米沢間の各駅停車は本数が少なく、行きに使える列車は1本だけ、帰りは一旦米沢まで行き、そこから引き返すことになる。


2007年10月5日

体調は良くなり、明日決行することにする。会社の帰りに切符を買うが、すでに予定していたMAXやまびこ109号は満席、仕方なしに自由席とする。帰りのつばさ126号は指定席が取れた。


2007年10月6日

会社に行くより30分遅く家を出て、京浜東北線経由で東京駅へ。平日はラッシュアワーだが、さすが土曜日で座れる。東京駅の新幹線改札内の女子トイレが長蛇の列、東北/上越新幹線の改札内はスペースが狭いので、長距離列車の出発駅にしてはトイレが少ないのだ。

MAXやまびこ109号の自由席もすでに長蛇の列。20分前では少し遅かったようだ。1本あとの電車にしようかとも思ったが、1号車にそのまま並ぶ。発車時刻のほんの数分前に乗り込む。折り返し運転の東京駅ではいつものことだ。E4系の1-3号車の2階は6列ベンチシートでリクライニングが出来ないのでまっすぐ1階へ、1階に何とか1つ空席があった。071005a


出発して気づいたが、この列車は上野に止まらず、大宮のあとは福島までノンストップである。座れて良かった。1階では何も見えないので、コーヒーを飲みながらカメラのセッティング。一応写真展に出すことも考え、画素はフルスペックの7M、シャッター優先のAEとする。シャッターは1/500とする。071005b


福島到着。前方へ行くとつばさとの連結部は人だかり、連休とあって家族連れが多い。つばさは発車するとすぐに連結器カバーを閉じる。そしてつばさがホームを離れる頃、やまびこのE4系も先頭の連結器カバーを閉じる。このあたりの動きは、見ていておもしろい。200系K編成の時代は連結器自体が引っ込んでいたので、もっとダイナミックだったろう。ホームの端に行き、目当てのMAXやまびこ/つばさ110号を待つ。少し肌寒い。071005c
まずE4系のMAXやまびこが左端から右端へ、線路を大きく横切って入線する。置きピンの練習もかねてまず小手調べに写真を撮るが、正面過ぎて渡り線の感じが出ない。上りホームから撮った方が良かった。続いてつばさ110号が入線、ホームにかかる頃に連結器カバーを開ける。ちょうど出発するやまびこ47号とすれ違い、上りホームから狙ったら影になるところだった。パンタ上昇の瞬間も撮り、外へ出る。

次のねらいは山形新幹線が高架から地平に降りたあたりである。地図で当たりを付けておいたあたりに、ひたすら歩く。線路際は工場や家がつづき、なかなか切れ目がない。やっと踏切を見つけると、少し福島よりに戻ったあたりに跨線橋がある。これは良いポイントだ。071005d


このあたりまで旧福島機関区の跡地で、かつては板谷峠越えのEF71やED78、さらに東北本線のED71もいたところである。すっかり草に覆われた中に、線路だけが残っている。奥羽本線沿いは、こうした廃墟が多い。またここは、法律上の新幹線と在来線の境界付近でもある。上り下り1本ずつ撮影、編成全部が入る写真が撮れた。

(つづく)

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2007/08/22

網走は地の果て、海の果て(8)

2007年7月17日

今日のカミさんの出発は10:19のオホーツク4号なので、朝から少し時間がある。なお小生の女満別空港行きのバスは10:55発で、オホーツク4号より少し遅い。そのため、屯田公園に行ってみる。北見は屯田兵に関する史跡も多く、信善光寺には日露戦争当時の軍服を着た屯田兵の人形もあるが、駅から距離があり、列車に乗る前に行けるような所ではない。P7170179a

屯田公園に残っているのは石碑で、公園自体はきれいな公園だ。中に図書館もあるが、今日は火曜日だが休日の翌日のため休み、これが後々曜日の感覚を狂わせる原因となる。P7170181a


カミさんと別れ、小生は三治公園に保存してあるD50を見に行く。屋外展示の割には、保存状態が良い。北見も鉄道に縁の深かった街だからだろうか。オホーツク4号を見送り、バスで女満別空港へ。なおオホーツク4号が札幌に着くのは14:46で、その時間には小生は羽田に着いている。石北本線は、北見の網走側は高架だが、遠軽側は地下のトンネルで市街地を抜ける。非電化区間はディーゼルの排気ガスで地下トンネルを嫌うのだが、よく地下にしたものだ。P7170186a


女満別空港へ行く道路は高速道路ではないが、途中の美幌バイパスを70km/hで走る。これでは鉄道の利用者がだんだん減るはずだ。このあたりは水田がない。北見峠(白滝越え)の旭川よりには水田があったので、そのあたりが水田の限界地だろうか。
小生は国内線の飛行機は1960年代後半から使っているが幹線が多く、ローカル空港はあまり利用したことがない。北海道でも千歳以外は釧路だけで、女満別は北海道3つめの空港だ。食事の出来るところが2軒しかなくどちらも軽いものがないが、なぜかラーメン屋にサンドイッチがあり、そこで昼食を採る。

女満別発羽田行きJAL1184便の機体はA300-622Rで、元JASの機体である。元々北海道のローカル空港は旧JASの得意とするところで、かつてもJASの便数が最も多かった。レジNo.JA8375はJASでのA300-622Rの1号機である。現在JALはほとんどの便にクラスJの設定があり、比較的安価で「ちょっとゆったり」のシートが選べるので、最近小生はもっぱらクラスJである。小生はトイレに行くことが多いので通路側の席が便利なのだが、ついつい窓側を選んでしまう。今回も左側の窓側である。P7170187a


12:45離陸、前日に台風が通過したばかりで、上空に上がると雲が多い。北海道特有の畑の写真を撮ろうと狙っているうちに、雲で地表は見えなくなってしまった。雄阿寒岳と雌阿寒岳が雲から頂を出している。こういう景色が見られるので、窓側が止められないのだが。
東京近くはずっと雲で、その雲を縫って14:17、無事羽田空港に着陸した。

(完)

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2007/08/19

網走は地の果て、海の果て(7)

2007年7月16日(つづき)

北見の街はさほど大きくないので、駅のコインロッカーに荷物を預け、あちこち動き回れる。と言うより、ここは普通の観光コースから外れており、ピンポイントに訪ねるしかない。P7160161a


市内バスで、野付牛公園の中にある北網圏北見文化センターを訪ねる。そう言えば、北見は昔野付牛と言ったが、野付牛とはアイヌ語で「地の果て」という意味だそうである。ここはプラネタリウムを備えた科学館と美術館があるが、目的は美術館である。展示は「天使がいた時代」と題したヨーロッパ絵画展、地元の新聞では話題になっていた。どちらかというとカミさんの趣味であるが、これが個人コレクションの展示であるから、驚く。科学館の方はこれといったものは無さそうだったので、パスする。P7160163a


次にピアソン記念館へ移動、駅前までバスに乗りそこから街中を歩くが、街中の小さな通りまで、やたらと信号が多い。赤信号で待っていても、ほとんど車は来ない。北見の街も道路が碁盤の目に区切られ整然としているが、その碁盤が45度曲がったものとの2枚重ねになっている。車で走ったら、大変だろう。P7160164a北見文化センターもそうだったが、ピアソン記念館は建っている場所がきれいである。芝生ではないだろうが、緑がきれいだ。北海道ならではで、九州ならあっという間に草が背丈ほどになってしまうだろう。P7160165b

ピアソン記念館、旧ピアソン邸の設計者はW.M.ヴォーリズで、近江兄弟社を創設した人物でもある。展示内容について、小生はキリスト教より北海道開拓の歴史の方に興味がある。やはり船で宗谷岬を回り、網走に上陸している。ここは雰囲気の良い、落ちつく場所だ。P7160167a


北見には東急百貨店がある。今日の夕食は、その地下でそろえた。デパ地下だ。明日の夜は東京である。

(つづく)

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2007/08/18

網走は地の果て、海の果て(6)

2007年7月16日

昨日カメラを持たずに失敗したので、今日は朝から網走駅前に待機し、しっかりとDMVを待つ。レールと道路のどちらも走れるDMVは、以前より世界各国で研究されていたが、実用化になったものはない。P7160134a
北海道では現在試験運行、何とか実用化してもらいたいものだ。その試験運行の出発地なので停車時間があるかと思ったが、DMVは出発時刻のほんの数分前に現れた。生で見ても、単なる変な形のマイクロバスである。乗客はすべて予約、おそらく満席であろう乗客を乗せて、DMVは走り去った。P7160138a


網走9:30発の「オホーツク」4号で、北見に移動する。網走に着いたときは夜で、回りの景色が見えなかったので、ゆっくり眺める。まず網走湖にそって走るが、意外と大きい。女満別までずっと右側は網走湖とカラマツ林が続く。美幌の構内は広く、多数の測線の形跡がある。かつては農作物を出荷していたのだろう。美幌の先で、峠を一つ越える。行きには気がつかなかったが、結構な峠である。緑がきれいだ。「オホーツク」車内で、遠軽から積み込む弁当の予約を取り始める。今日は北見まで、残念である。P7160143a


北見は同東北部開発の拠点だった。鉄道が池田から開通し、それが網走まで延びて網走本線となった。小生の小学生の頃は、まだ網走本線だった。これが石北線の開通の後に池北線に格下げされ、やがて第三セクター化され、その後廃止に追い込まれる。跨線橋の上に立って眺めると、廃止されたふるさと銀河線が複線でまっすぐ延びており、かつての本線の威光を感じさせる。しかし現在の高速道路の進捗状況を見ると、石北本線ですら存続が危ない状態で、池北線の廃止は致し方なかったろう。北海道は、だんだん旅行しにくい土地になって行く。P7160154a


北見の名物は、ハッカである。やはりハッカ記念館に足を向ける。駅からハッカ記念館へ向かう途中、旧国鉄の車両を多数並べた場所があり、とりあえず写真だけ撮る。後で調べてみたら、勤労青少年センター、あの車両は何のために置いてあるのだろう。P7160155a

ハッカ記念館はかつてのホクレン北見薄荷工場の事務所で、なかなか風情がある。ハッカ記念館では驚くことだらけ、まずハッカとペパーミントは違う。ハッカからだけ、結晶メンソールが取れるという。用途は主に医薬品で、一時期は世界の70%を抑えていたという。しかし合成品に押され、1983年には工場も閉鎖された。今は北見のハッカはない。ここまで聞くと何やら富良野で聞いたラベンダーと同じであるが、ラベンダーは復活したのに、ハッカは復活の兆しはない。やはり香料としては、ハッカは刺激が強すぎるからだろうか。個人的には、細々とでも天然ハッカに復活してもらいたいのだが。P7160158a


なお現在の北見からの出荷の主力はタマネギのようで、シーズンにだけ石北本線に貨物列車が運転されている。北見は貨物列車の東北の限界点でもある。

(つづく)

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2007/08/17

網走は地の果て、海の果て(5)

2007年7月15日(つづき)

札幌からJR特急で約5時間以上かかる街は、稚内、根室、網走で、この3カ所は「地の果て」と言って良いであろう。ところが海路となると、話が変わる。稚内は日本海航路で、根室(花咲)は襟裳岬の難所があるものの太平洋航路で行けるが、網走は稚内もしくは根室の先となる。根室回りは納沙布、知床の両岬を回るのに加え、国後島と野付半島の間を抜けなければならないため、明治時代は稚内回りがもっぱら使われていたようだ。そして宗谷岬を回って沿岸沿いに知床半島の手前で行き着いたところが網走で、まさに「地の果て、海の果て」である。P7150117a


網走駅からバスセンターまで歩いてみる。途中に花のきれいな公園がある。網走だけではなく、北海道内は公園が良く整備されており、きれいだ。バスの時間を確認し、また網走駅まで戻る。小生は一人旅の時も、カミさんと一緒の旅行も良く歩くが、そろそろ控えないと心臓に負担がかかりそうだ。P7150119a

網走駅前から網走監獄に行くバスは、流氷館や北方民族博物館を回る循環バスである。途中に「網走刑務所前」というバス停があるが、こちらは現役、現在は重罪犯はいないそうだ。これから行くのは博物館の「網走監獄」である。P7150120a


博物館「網走監獄」に着く。映画で使われる刑務所の門は、ここのものだという。地の果て海の果ての網走だが、実際はさらにその回りは湿地帯か原生林で、脱獄してもまず助からないような所だ。まさしくここは流刑地であった。P7150121a

監獄内の展示は、人形がリアルだ。坂道で心臓に負担がかかったのか、それとも建物歴史が持つ「気」に当てられたのか、気分が悪くなる。ざっと一通り回ったところで休憩、次のバスで移動する。P7150122a


流氷館は小生は紋別の物を見、カミさんは興味がないのでパス、北方民族博物館に行く。ちょっと休んだだけで、気分は何ともない。やはり「気」に当てられたか?北方民族博物館をじっくり見る。小生が全く知らなかった、別の文化圏がここにある。その文化圏は遠くカナダまで広がっており、日本は島国で単一の独立した文化圏であるというのは、全くの幻想にしか過ぎない。
帰りのバスを待っていたら、韓国人の団体が現れた。北海道は韓国で人気だとは聞いていたが、こんな人里離れたところまで観光に来るとは思わなかった。P7150127a


今度はバスセンターまで戻り、網走の街を少し歩く。流氷観光船オーロラ号の岸壁は歩くには遠く、あきらめる。街中にある永専寺の山門が旧網走刑務所の正門である。P7160130a
歩くといろいろ発見がある。網走市役所の看板はものすごく立派、網走には支庁が置かれているが、車は北見ナンバーである。また網走は花の街でもあり、あちこちにフラワーポットがある。冬が厳しいため、短い夏を謳歌しているようだ。

(つづく)

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2007/08/15

網走は地の果て、海の果て(4)

2007年7月15日

朝ホテルから出てみると、駅前にDMVがとまっていた。あわててカメラを取りに戻るが、出てきたときはスタッドレスタイヤ特有のやかましい音を立てて走り去っていた。この音、米沢でさんざん聞いた音である。バス停を見ると、休日だけの事前予約制の運行で、釧網本線を走っている。今日は日曜日であったが明日も休日なので、明日も朝からちゃんと来よう。P7150067a


昨日は夜に着いたので良く見えなかった網走駅だが、縦書きの立派な看板がある。駅では珍しい縦書きだが、これは「横道にそれないように」という意味があるそうだ。やはり「番外地」の街でもある。P7150068a


今日はまず原生花園を見に行く。釧網本線に原生花園駅があるので単に原生花園と書いたが、正確には小清水原生花園だ。北海道はあちこち原生花園があり、最初にいったのは豊富の原生花園だった。
釧網本線の快速「しれとこ」はキハ54の単行、8年前に稚内まで行った急行「礼文」も、また根室までいったときの快速「ノサップ」もキハ54だった。この車両は北海道にしかいない。キハ54 507の車内は元新幹線0系に使われていた転換クロスシート、0系にはこの時代に一番良く乗ったので、懐かしい。釧網本線は意外とアップダウンが多く、キハ54はほとんどノッチを入れっぱなしである。進行左側の海沿いの席は一杯で山側に座ったが、これが大正解、原生花園の駅の手前で、右側はエゾキスゲの大群生になった。P7150073a


原生花園駅で降りる。原生花園の真ん中で、その先はオホーツク海、山側は涛沸湖である。天気がよいが、少し風が強い。日差しが強く、やけそうだ。オホーツク海を見るのはこれで3度目だが、1回目冬の紋別、2回目は宗谷岬からチラであり、夏のオホーツク海をしっかり見るのは初めてだ。海が青い。その海の右側に知床が見える。こういうところでは、生来遠視の小生は遠方ばかりを見て、生来近視のカミさんは近くの花ばかりを見ている。P7150081aP7150095a

小清水原生花園は、国鉄でSLが廃止されたら荒れてしまったという。SLの火の粉で自然野焼きが行われていたそうだ。かつて北海道のSLには火の粉止めを付けたものが多くファンからは不評だったが、実際に火事が起こっていたのなら火の粉止めも必然である。また放牧も行わないとダメだそうで、かつての牛に代わり、現在は馬が放牧されている。P7150102a


原生花園をたっぷり堪能し、記念入場券を買って、網走に引き上げる。来る途中のエゾキスゲの群落は写真を取り損ねたので、今度も山側の席でその気で狙う。シャッタータイムラグの少ないカメラを買ったのだが、図体が大きすぎるので、今回の旅行には昔のカメラを持ってきた。シャッタータイムラグが大きいが、何とかいい写真が撮れた。P7150112a


帰りのキハ54 515は同じ新幹線0系でも1000番台に装備された固定型簡易リクライニングシート、全体が中央を向いた「集団見合い型」と言われるシート配列だ。ヨーロッパでは多い配列だが日本では人気がなく、回転型リクライニングシートに変わっていった。駅そばで昼食を採り、いよいよ「番外地」へ向かう。

(つづく)

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2007/08/13

網走は地の果て、海の果て(3)

2007年7月14日(つづき)

札幌発網走行きの「オホーツク」は1日に4本あるが、朝2本午後2本で、札幌と網走とをそれぞれ出発した編成が往復するダイヤになっているので、3号と5号の間は5時間半の時間が空く。そのため札幌を朝早く出るか、網走に夜遅く着くかの2つしか選択肢がない。あとで調べてわかったことだが、札幌-網走間には高速道路経由のバスが夜行を含んで1日9往復しており、所要時間も5時間50分と、列車の5時間半と比べて遜色がない。ましてや沿線の最大都市北見までは4時間半と、列車と同じ所用時間である。どうやらこの区間はバスに主力を奪われた区間のようだ。個人的には、IFN以降長距離バスには乗らなく(乗れなく)なっている。P7140064a


15:16札幌発車。「オホーツク」用のキハ183系は旧型で、最高時速が110km/hである。東海道線と同じ最高速度なのだが、函館本線内は他の特急が130km/hですっ飛ばしているので、遅く感じる。席は最後尾の4号車であるが、今日は夏の3連休のせいか2両の増結があり、全体では6両編成だ。キハ183系の先頭車は電源エンジンを積んでおり、その音で走行エンジンの音が聞こえない。P8130009a


「オホーツク」には車内販売もあるが、16:00まではこれから先の長丁場に備えてか、待機中である。1時間40分で旭川へ、ここから石北本線にはいる。網走への旅はここからが本番である。やってきた車内販売にDMVのチョロQがあったので、早速購入する。この時点ではDMVの試験運行線はこれから行く釧網本線だということに、小生は気がついていない。

愛別の手前あたりで、登り坂が始まる。石北本線は生田原-金華間の常紋越えが有名であるが、上川-上白滝間の白滝越えも負けず劣らず険しい。キハ183系はトルコンの直結を切り、エンジン音も高く登っていくが、速度はやっと30km/hくらいだ。思っていたよりずっと厳しい峠だ。回りの地形が厳しすぎて写真に適した場所がないので、鉄道雑誌に紹介されていないだけだった。渓谷沿いに坂を登る。新緑というには遅くもう夏だが、北海道の緑は黄緑色に近く、新緑の感じだ。その山中に、高速道路の建設が進む。

石北トンネルを挟んだ上川-上白滝間には、かつては天幕、中越、奥白滝の3駅があったが2001年に廃止され、駅間距離が34kmとなり、日本2位の長さである。ちなみに日本一は、同じ北海道は石勝線の新夕張-占冠間で、34.3kmだ。奥白滝の駅前にさび付いた電話ボックスがあり、かつてはこのあたりに人の生活があったことを思い起こさせる。P7150069a


網走着は遅いので、夕食は札幌で仕入れてきた弁当である。逆コース(上り)なら遠軽で駅弁を積み込む(予約制)のだが、下りはそれもない。

遠軽到着は19:00、札幌から3時間45分だ。かつて小学生だった長男を「北海道自然の村」の遠軽キャンプに送り込んだが、「北斗星」で札幌に着き、同じ時間の「オホーツク」で遠軽に着いたはずだ。その遠さに、さぞびっくりしたことだろう。ここで進行方向が変わり、先頭車となる。遠軽を発車後しばらく平坦地が続いた後、常紋越えにかかる。ここは難工事だったところで、トンネルの壁の中から人柱にされたと思われる人骨が発見された、という記事を見たばかりだ。残念ながらもう真っ暗であったが、写真撮影の名所だった旧常紋信号所の場所は確認できた。

網走着20:48、札幌からの所要時間5時間32分。これで最短経路なのだから、まさに網走は地の果てである。

(つづく)

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2007/08/12

網走は地の果て、海の果て(2)

2007年7月14日

函館の天気は曇り、今日も寒い朝だ。今日乗る「スーパー北斗」3号の発車時刻は8:30なので、それまで少し散歩する。しかし寒い。函館の朝市は、初めて見た。これはすごい。これから先の旅が長くないのなら、ゆっくり見物し、買い込むところだ。函館駅に「SL大沼号」の補機(DL)と客車は止まっていたが、肝心の蒸気機関車はまだ連結されていない。蒸気全盛時代にはあまり見向きもされなかったC11だが、ここに来て人気者になっている。P7140048a


「スーパー北斗」はキハ281系、何回乗っても感動するくらい早い。今日の車両は試作車のキハ280-901であるが、量産車と変わりはない。大沼をゆっくり眺めるが、今日は曇っており、駒ヶ岳が見えない。長万部の構内は、広い。ここから別れる「山線」、本来の函館本線には乗ったことがない。沼ノ端で室蘭本線から千歳線が別れるが、千歳線の上り線はここで大きく離れている。沼ノ端は昔は本当に湿地帯だったようで、複線化の時に地盤の良いところを探したのだろう。小生は北海道旅行の帰りはいつも飛行機なので、この千歳線の上り線にも、乗ったことがない。昔仕事で白老に来たときは、千歳空港から車だった。P7140058a


千歳空港の回りは原野である。そのため千歳側から列車で札幌に近づくと、原野からいきなりビルの林立する都会になる。その都会の高架複々線を走り、札幌に定刻11:47に到着した。P7140056a


今日の札幌は乗り継ぎで、昼食時間を含め3時間半時間がある。そのため、ちさきバラ園に行くことにする。次の時間が決まっているので、往復タクシーだ。タクシーで約20分、しかもかなりの登り坂で、タクシーは入口のすぐ前まで行ってくれる。心臓に不安がある身としては、登り坂は出来るだけ少ない方が良い。P7140061a


ちさきバラ園は高いところにあるだけに、見晴らしがよい。函館と違って札幌は晴天、日に焼けそうだ。バラも見事である。これが元は個人の庭園だという話を聞き、驚く。「プリンセス・ミチコ」という品種があることは知っていたが、「エンプレス(皇后)・ミチコ」という花は初めて見た。気品の感じられるピンクだ。P7140057a


まず最初のおみやげを買い込み、少し早めに引き上げたが、帰りは交通渋滞に引っかかり、予定通りの時間に札幌駅に着いた。これから5時間半の列車の旅である。

(つづく)

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2007/08/05

網走は地の果て、海の果て(1)

2007年7月13日

今日から4泊5日の予定で北海道に出かける。行き先は網走、北見。小生は仕事と遊びで何回か北海道に行っているが、カミさんと一緒に行くのは3回目だ。カミさんと二人で最初に北海道に行ったのは1999年で、2回目のIFNが終わったあとだった。次は2003年で単身赴任から帰ってきたあと、今回は3回目のIFNのあとおまけのぶどう膜炎が一段落し、やっと旅行らしい旅行が出来るようになったときである。北海道に行くのは、どうやらこういうタイミングになっているようだ。

東京の天気は曇り、駅に着くまでに小雨が降り出したが、傘を差すまでもない。駅に着いてしまえば今日の夜まで列車の中なので、ここで傘を広げたくはない。
東京発12:56の「はやて」19号、前日まで仕事だったので、遅い出発だ。山形から東京に帰ってきたあと仕事の関係で山形がすっかりご無沙汰になり、東北新幹線にも全く乗らなくなってしまった。日頃は上越新幹線のMAXばかりなので、E2系は新鮮に感じる。6号車E226-1304。編成全車1000番台の新製編成、全車1000番台の編成は編成全部に車体間下ダンパが通るので、揺れが少ないはずである。今日は珍しく3人がけのAB席だ。

「はやて」は大宮-仙台間無停車だが、宇都宮を過ぎると飛ばし始める。やはり1000番台編成は揺れない。ただしトンネルにはいると蛇行動がある。旧型のE2系は300系に似た(はっきり言って、悪い)乗り心地であったが、1000番台編成はトンネル内の蛇行動も含め700系に似た感じで、旧型に比べるとずいぶん改善されている。しかし盛岡-八戸間はトンネルだらけで、おもしろくない。

八戸着16:03、寒い!今日の函館着が19時過ぎるので、駅弁を買い込む。地方都市は店の閉まるのが早く、19時すぎたら食事は出来ないと思った方が良い。八戸名物ウニとアワビの炊き込みご飯「いちご煮」と、缶ビール。カミさんと一緒の旅行はそれこそ学生時代からだが、旅行中缶ビールを買うのはおそらく初めてだろう。ちなみに、結婚34年である。P7130045a

八戸からは789系「スーパー白鳥」、JR北海道の所属車なので、もう乗ったときから北海道気分だ。ほぼ満席で発車。八戸を出るとすぐ右手に八戸臨海鉄道の広いターミナルが見える。DD13タイプのDLが待機している。小生は安全、大気汚染、省エネルギーのすべての観点から鉄道貨物輸送をもっと活用すべきだと思っているので、貨物ターミナルが活気があるのはうれしい。逆に八戸から先へ、新幹線の路盤がずっと延びているが、小生はこれ以上の新幹線の延長には反対である。

789系には初めて乗るが、びっくりするくらい防音性能が良い。また車内の作りが良く、かちゃかちゃという異音が全くしない。シートも良い。これは485系3000番台の「白鳥」より789系の「スーパー白鳥」の方が、断然お得である。野辺地で「きらきらみちのく」らしいリゾート気動車とすれ違う。窓が大きい!青森で進行方向変更、乗客もかなり入れ替わるが、まだ満席の状態が続く。この列車は札幌行きの「北斗」の最終に接続しているので、その乗客も多いのかもしれない。

789系の車内には、停車駅間のどのあたりにいるかを電車のイラストで表した表示がある。電車緑のLED表示なので、芋虫のようにも見えるが。青函トンネルが近づくとこの「芋虫」の前方にトンネルが現れ、青函トンネル内では「芋虫」もしっかりとトンネルの中に入った。実に芸が細かい。車内が静かなので、ブレーキをゆるめるときにブレーキ弁の排気音が聞こえる。P7140051a

「スーパー白鳥」は快調な走りで定刻19:20、どんよりと曇った函館に滑り込んだ。函館はともかく寒い。天気も悪いので、山登り(夜景の見物)は止める。今日は最高気温が16℃だったそうだ。

(つづく)

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2007/04/17

熊本から帰ってきました

2007年4月17日

昨日(16日)夜、無事熊本から帰ってきました。こういういつもいないところの片付けは、日頃身体と頭の使っていない部分を使うので、すごく疲れます。おまけに実家の近くは寂れて泊まるところもなく(昔は天皇陛下がお泊まりになったホテルもありました)、13日の夜は熊本泊まり、翌日は天草に行き、15日は三角線で熊本に戻って泊まると、宿も転々としました。天門橋


しかし自分のものは片付き、自分としてはもう行く必要はなくなりました。実家自体の片付けは、まだまだです。
写真は14日の夜、料理屋の窓から撮った、天草五橋の1号橋、天門橋です。

追伸:meeさん、完全著効、おめでとうございます\(^O^)/。

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2007/04/06

吉備の国へ(3)

2007年3月4日(日)

カミさんは今日コンサートの切符を取っており、朝の新幹線で横浜に戻る。切符の売り出しは半年前なので、それからいろいろ事情が変わると、こういうことになる。小生は1人で吉備国分寺へ向かう。総社は雪舟の故郷


吉備国分寺のある総社まで、岡山からは吉備線でも伯備線でも行ける。ちょうど良い時間は吉備線だったので、吉備線で向かう。吉備線は初乗りだ。岡山は山陽本線の途中駅であるが、宇野線、吉備線、津山線と3つの線の始発駅で、さらに山陽本線の途中から分岐する伯備線と赤穂線も岡山が実質的な始発駅となっているため、実に7方向の列車が発着する。それに新幹線を入れると、9方向になる。行き先表示を見ていても、宿毛、松山、鳥取と、飽きない。新幹線が岡山までだった頃は、もっと華やかだったろう。

吉備線は非電化で、車両はワンマンのキハ40、窓は下半分が固定で上が可動と、JR西日本独特の改造がなされている。吉備線の途中に、備中高松がある。豊臣秀吉(その時はまだ羽柴秀吉)が水攻めにした城があったところだ。車窓から大きな鳥居が見える。あとで調べたところ、西条稲荷(高松稲荷)のようだ。
っそうじゃは雪舟の生まれたところ(知らなかった!)で、修行した宝福寺は観光名所になっている。備中国分寺とは方角が違うので今回パスしたが、ここにも重文の三重の塔があった。吉備国分寺五重塔

総社から備中国分寺まではバスがあるが、列車に全く接続していない。仕方なしにタクシーを使う。タクシーの中で鬼ノ城のパンフレットを渡され盛んに行けと勧められるが、遠そうなので止める。タクシーの運転手の「すぐ近く」ほど当てにならないものはない。備中国分寺は一旦廃寺になり江戸時代に復元されたものだそうだが、見事なものだ。五重塔の一層目に十二支の彫刻があり、それぞれの方角を示しているのが面白い。周りに何もないので、写真は遠景がきれいだ。十二支の彫刻


ゆっくり史跡を眺めさて帰ろうと思ったが、バス停らしいものがない。丑のアップ
天気が良いので、旧山陽道を歩く。まさに吉備路である。このあたりは古墳が多い。やはり一大勢力があったのであろう。小生はかつて、魏志倭人伝に吉備国の記述がないことを邪馬台国九州説の根拠としたレポートを書いたことがあった。案内には資料館が二つあることになっているが、どちらも施錠されている。結局何もなく、見つけた交番で電話を借り、タクシーを呼んでもらう。天気が良かったので、良い散歩だった。

総社で帰りの料金表を見たら、何と吉備線経由は伯備線経由より安い。岡山駅の表示は、どちらも480円で同じ値段だった。伯備線が濃霧で遅れていることもあり、400円の吉備線経由にする。JR東日本のオレンジカードでちゃんと買えた。JR四国の特急車もいます


岡山に戻ったら、今度は岡山電軌の乗りつぶしにかかる。もう2週間後だとイコカが使えるようになり、提携しているスイカがそのまま使えたのだ!まずは東山へ、ここに車庫がある。道路の両側に分かれ、それぞれ線路に直角になっているのが面白い。話題の低床車「モモ」(ミヒャエル・エンデではなく、桃太郎のモモ)は出払っているようだ。一旦柳川に戻り、今度は清輝橋へ。こちらは何の変哲もないところだ。岡山駅に戻ったところで、モモと遭遇した。低床車「momo」


帰りの新幹線は売店にビールのミニ缶があったので購入し、久しぶりに飲みながらの旅行になった。

(完)

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2007/04/05

吉備の国へ(2)

2007年3月3日

今日ドラ息子のところに行くことになっているが、空いているのは3時からだというので、それまではゆっくり観光することにする。ホテルは連泊なので、ほとんどの荷物は置いていける。観光と言っても後楽園の周りに固まっているので、楽だ。後楽園前の城下(しろした)まで路面電車で行く。岡山電軌の島式ホーム
岡山電軌はいろいろ新しい方策を取り入れ、話題の多いところ。一部を除き停留場を島式にしているのが面白い。電車の構造は前後に出入り口のあるタイプに限定されるが、横を自動車が通らないので電停でゆっくり待てる。熊本市電が電停の幅を狭くし、電停で待つのが「怖い」と言われるようになったのと、好対照である。

岡山は美術館が多い。後楽園の前に市立オリエント美術館と県立美術館が並んでおり、順に入る。オリエント美術館は展示物もさることながら、建物がすごい。明かり取りはステンドグラスではなく、半透明になるまで薄くした大理石の板だ。写真がないのが残念である。ボランティアの解説の人が付き、その分時間がかかる。県立美術館では、江戸、明治、昭和と3代に渡る東海道五十三次が展示されていた。岡山城天守閣


オリエント美術館で時間を取ってしまったので、岡山城の天守閣には登らない。林原美術館もパスである。後楽園はちょうど梅が満開であった。後楽園に来るのは確か3回目だと思うが、丹頂がいることに今回初めて気がついた。梅満開


夢二郷土美術館で西大寺鉄道の展示をしているので、入る。西大寺は現在は赤穂線になっている。かつてはここに軽便鉄道があったのだ。男の好みの女のタイプは一生変わらないようで、別れても次の女は似たようなタイプになる。夢二もまさにそうだ。夢二郷土美術館


一旦電車で岡山駅に戻り、バスで大学へ、大学正門前でドラ息子と待ち合わせである。まず下宿を眺め、それから大学も見せてもらう。近所の人が構内を散歩している。小生は自分の出た大学や息子がかつていた京都の大学がそうだったのでそれが当たり前だと思っていたが、こういうところは珍しいのだそうだ。さすがに建物にはいるのはIDカードである。学生(院生)なのに研究室には専用の机があり、オフィス並みである。名簿を見たら半分以上は外国人、こういう時代である。ドラ息子が元気そうで何よりであった。

(つづく)

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2007/04/04

吉備の国へ(1)

岡山に行ったときの旅行記をアップします。3回連続となります。
初回は写真無しです。
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2007年3月2日(金)

会社を定時に上がり、途中のコンビニで夕食を買い込み、新横浜へ向かう。これから岡山へ向かうのだが、会社に定時までいて夜10時前に岡山に着けるのだから、「のぞみ」になって本当に早くなった。18:32発のぞみ69号広島行き、700系である。のぞみの増発により、500系に当たる確率が少なくなった。席は13号車の窓側E席、岡山にいるドラ息子に頼まれたスーツまで抱えているので、荷物が多い。幸いD席が空いていたので荷物を網棚にあげ、弁当を抱えて席に着く。D席の人は後で待っていてくれた。

走り出したところでテーブルに弁当を広げる。ところがコンビニで買った弁当は図体が大きく、サラダまでテーブルに乗りきれない。やはり駅弁というのは良くできている。

東海道新幹線は、以前は京都に良く(仕事で)通っていたのだが、最近は名古屋までのことが多く、まして大阪より先に行きのは久しぶりである。夜なのが残念だ。さすがに新大阪を過ぎると客が少なくなるが、新大阪までほぼ満席なのはすごい。また新大阪までは3分後に新大阪行きののぞみが付いてきており、名古屋と京都ではこののぞみが動き出したところで隣のホームに入ってくる。いつ見てもすごいと思う。

21:37岡山着。岡山は久しぶりだ。20年以上経っているだろう。客の流れに沿って中央口から出る。ところが先に付いているはずのカミさんがいない。出たところに地図があり、右手が東口になっているので、ホテルのある東口の方に向かう。ところがこれが間違いの始まりだった。実は改札口は南に面しており、出て右手は西口なのだが、改札口の正面に地図の原則通りの「上は北」に書いてある地図があるため、地図の表示と実際の位置はまるで逆になっていたのだ。しばらく歩き、かなり歩いてまた戻る。改札口前の通路の上に表示があり、左の矢印で「中央口(在来線)」、まっすぐの矢印で「切符売り場、新幹線」とある。他に改札口は無さそうだ。そこで今度は反対側に行ってみて、階段を降りてみる。

カミさんは携帯が嫌いで、携帯を持っていない。途中で2回小生の携帯に電話だ入ったが、留守録になったところで切ってしまうので、いる場所がわからない。小生は荷物が多いので、すぐに出られないのだ。1時間ぐらいうろうろして、やっと「新幹線」と書いてある方向に「新幹線口」があることに気がついた。駅の構造が悪く、どの方向から来ても壁の影になり、見えない位置にある。列車を降りても、列車の後半分から来ると階段の正面には売店があり、新幹線口はその裏手になっている。これでは地元の人しかわからない。「切符売り場、新幹線」の表示の下で女の人がおろおろしながら「新幹線の乗り場はどこですか?」と駅員に聞いていたので、誤解するのは小生だけでは無さそうだ。カミさんは新幹線口の正面、逆に言うと他からは全く見えないところに待っていた。カミさんの席は前の方で、人の流れ通りに来ると新幹線口から出たらしい。明日が早くないから良いが、1時間以上無駄にした。

(つづく)

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