2026/02/24

門司撮影記

2026年2月17日(火)


Img_10201a 今日から3日間、門司港でゆっくり過ごすつもりだが、まだホテルのチェックインには少し時間があるので、門司で撮影することにした。まずはネットの地図で当たりを付けた、駅の外の場所からである。今回の荷物は、迷った末に結局キャリバッグ+リュックになったが、せめてキャリーバッグは駅に置いていきたい。コインロッカーはあるにはあったが、100円玉専用である。キャリーバッグの入るロッカーは700円、100円玉5枚は用意してきたが、さすがに7枚はない。まわりに両替できそうなものもないし、仕方なくキャリバッグを引きずっていくことになった。ところが、目星を付けた場所は横からだと草が茂って、ススキの中から列車が顔を出す感じになる。「関門トンネルの出口」という写真を撮りたかったのだが、これではダメで、結局駅に戻ることになった。
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門司駅は、ホームの端から関門トンネルの入口が見える。カメラを構えてみたが、ズームを最大の130mmまで伸ばしてもちょっと遠い。今回は荷物を軽くするため、300mmは持ってこなかったのだ。まだ草が邪魔だが、長玉で狙える場所ではある。ここで撮ることにする。

 

隣のホームから、415系下関行きが出発する。関門間をゆく旅客列車は、このシャトルトレインだけになってしまった。小生の記憶にある関門トンネルは、各駅停車だけでも小郡行きの421系の他、山陰線から気動車も乗り入れていた。当然優等列車は頻繁に来る。遙か50年以上前の話である。


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門司を下関に向けて発車する列車は、発車してすぐ交直切り替えになるので、すぐにVCB開放状態になる。415系は(455系なども)、遮断機開放の無電圧状態ではヘッドライトが片目になるので、すぐわかる。片眼の415系の写真は撮っていなかったので、早速撮る。

 

関門間を行き交う電車は、出発前に切り替え試験でVCB開放、それから本番の切替で開放と、片道で2回VCBが動作する。往復で4回である。シャトルトレインの車両は、一日でVCBの動作が20回近くになるだろう。本来遮断器というものは高頻度動作は考えられておらず、産業用のVCBだと、一日の動作想定回数は1,2回である。鉄道用と言うことで特殊仕様になっているのであろうが、過酷な用途であることは間違いない。


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狙っていた下り貨物がやってきた。関門間の交直切り替え地点は関門トンネルの出口の坂を登ったところであるが、下り貨物線だけは、門司駅の小倉側の端にある。重量貨物列車を完全に引き上げるまでは、ノッチオフする必要がないように造ってあるのだ。従って、ホームの横を通過する下り貨物列車は、まだ直流運転である。

 

JR九州の在来線は、小倉止まりや小倉始発の列車が増えたが、小倉には留置線はないので、留置は門司港で行っている。そのため、門司を通過する回送列車も多い。また昔からだが、関門間の機関車の回送も多い。なお鹿児島本線の列車はほとんどが7両以上で、筑豊線直通列車だけが3両(ワンマン)である。車種は811系や813系が多いが、ほとんどロングシートに改造されてしまった。


Img_11071a 重連の回送機関車がやってきた。昔はEF30の4重連というものがあったが、EH500は2車体連結なので、見た目は4重連である。発車してすぐ交直切り替えのためにノッチオフ、その時ピーッピッピッという絶気合図を鳴らし、ぶら下がっているだけと思っていた後部機も応答した。まさか今時絶気合図が聞けるとは、思っていなかった。

 

ちょっと立ち寄っただけのつもりだったが、大収穫であった。

2025/12/24

天橋立(3)

2025年11月28日(金)(つづき)


Dscn44831a ケーブル下まで降りてきたが、まだ時間はあるし、どちらにしろ天橋立駅まで戻らなければいけないので、宮津に行くことにする。カミさんでも食べられるような軽食の店も、宮津の方があるだろう。ちょうど宮津行きのバスが来たので、乗る。乗車券は往復で天橋立からなので、天橋立駅前で降りて丹後鉄道で宮津まで行くのが本来の行き方だが、せっかくバスに座っているし、バスも障害者割引がきくので、そのまま乗っていく。

 

宮津の手前の道の駅で、ほとんどの客が降りる。実際土産物などもこちらの方が充実していただろうし、食事の店も多かったのだと思うが、何せ地理に不案内なので、一旦降りたらそれから先が困る。宮津駅前で降りたら、駅前なのに何もない。土産物は、買い損ねた。わずかに営業しているかどうかわからない喫茶店があって、覗いてみたら営業していた。そこでサンドイッチ+コーヒーの昼食。小生も脂っこいものは避けているので、野菜系のサンドはありがたい。


Dscn45011a カミさんが、教会があるはずだ、と言うので、街を歩いてみる。宮津は昔の城下町で城址もあるのだが、はっきりとわかるような城址ではない。海城だったそうだ。細川氏の居城で、細川氏が小倉に移るまで治めていたところである。なお宮津城を造る前の丹後の中心地は府中で、天橋立ケーブルの山麓駅(駅名は府中駅)のあたりである。

 

その細川藤孝の奥方、ガラシャ夫人の像がある。細川氏は小倉から熊本に移り、明治になるまで肥後54万石を治めていたので、熊本県民としてもなじみがある。余談だが「ガラシャ」というお菓子も熊本にある。宮津では、キリスト教禁令が出る前の幸せな時代を送ったらしい。像は教会の礼拝堂をバックに、なかなか良い配置だ。なお台座の揮毫は、細川家第18代当初の元内閣総理大臣、細川護熙氏である。

 

その礼拝堂、ガラシャ像のある側は裏側だが、カトリック宮津教会の聖ヨハネ天主Dscn45031a堂と言い、1896年建造の日本で2番目に古い木造教会だそうだ。1番古い木造教会は1880年建造の石巻ハリストス正教会教会堂だが、ここは東日本大震災で破損し、現在は教会としての運営は止め、記念物となっている。そのため、この宮津の天主堂が日本で一番古い「現役の」木造教会ということになる。

 

 外から見ただけで帰ろうと思っていたら、なんと今日が内部の公開日に当たっていた。公開時刻まで少し散歩し、中に入らせてもらう。前のグループは、大阪からだ。中に入って驚いた。畳敷きである。さすがに現在は礼拝の時は折りたたみの椅子を出すそうだが、以前は畳にすわっての礼拝だったのだろう。宮大工が造ったそうで、祭壇の感じがキリスト様の代わりにお釈迦様を置けば、そのままお寺の本堂になりそうな感じである。しかしステンドグラスから入る光が美しく、これはお寺のにはない。堂内は撮影禁止のため、この光の写真を撮れなかったのが残念だ。しかし良いものを見せてもらった。

 

宮津駅に戻り、各駅停車で福知山まで帰る。宮福線の各停は宮津始発の上に接続がDscn45091a悪く、天橋立から乗るのは不便である。宮津までバスで移動したのは、各停で帰るためでもある。実際に乗ったのは各停ではなく、快速「大江山」号。急行料金は不要である。乗ったのはKTR302、KTR300型は新しく導入された車両で、350PS級の小松エンジン搭載車である。なお行きに乗ったキハ85は同じ350PS級でもカミンズエンジン搭載なので、保守は苦労があるだろう。余談だが最近の気動車は直結段が2段3段となって変速段より段数が多いが、これは「液体式」ではなく「機械式」なのではないのだろうか。

 

 今日の夕食は、昨日「ガスト」に行く途中で見つけた和食の店「さと」に行く。和食の方がどうしても塩分が多く、あまり利用できないのだが、たまだから良いことにする。注文したときに、アプリのインストールを進められる。小生のスマホはすでにあちこちのアプリが入っていて必要なものを探すのが大変な状態なので、追加のアプリは入れたくないのだが、5%引きの魅力には勝てなかった。なお「さと」は岡山の小生の行動半径にはなく、このアプリも入れたっきりになるだろう。


Dscn45121a 福知山泊。
(つづく)

 

2025/12/23

天橋立(2)

2025年11月28日(金)


Dscn44611a_20251223172601 天気、曇。雨が落ちていないだけまだましという天気だ。今日が本番、天橋立に向かう。福知山から京都丹後鉄道に乗る。確か昔は北近畿タンゴ鉄道と言っていたと思い、帰ってから調べてみたら、2015年に上下分離で名前が変わっていた。線路の保有は北近畿タンゴ鉄道で、運行会社(愛称名)が京都丹後鉄道である。乗るのは「たんごリレー」1号で、JRからの乗り入れではなく、丹後鉄道の独自列車だ。タンゴディスカバリーのような独自気動車を期待したら、なんと元JR東海のキハ85だった。元「ひだ」に使われていた高性能車で、これはこれで素晴らしい。

 

天橋立に行くには福知山から宮津経由の路線が現在ではメインだが、現在は宮福線となっているこの路線は意外と新しく、1988年の開業である。キハ85は「宮津線開業100年」のヘッドマークを付けていたが、1925年に開通したのは舞鶴から天橋立経由峰山までで、豊岡まで全通したのは1932年である。それから50年この状態が続き、天橋立に行くには舞鶴を回るか、豊岡から入るかしかなく、「天橋立は不便だ」という状態が続いていた。福知山からの路線の開通が遅れ

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たのは、大江山の先の山越え区間の普甲峠が超えられなかったからだろう。現在は3215mの普甲トンネルをはじめとするトンネルで越える。


宮福線は宮津駅では舞鶴方面に向けて線路が繋がっており、天橋立方面へはスイッチバックして向かう。天橋立までは一駅、シートは転換させずにそのまま乗る。「たんごリレー」号はこの先豊岡方面へ向かうので、回転させた方が親切だったか。

 

天橋立は歩いて行けるのだが、二人とも歳だし、観光船でケーブル下まで一気に行く。実は小生もまだ膝が完治しておらず、カミさんも先日こけて、膝を強打している。二人とも平地なら何とか歩ける状態である。

 

天橋立は砂州で宮津湾と阿蘇海とを分断しているわけだが、完Dscn44701a_20251223172601全に繋がっているわけではなく、天橋立駅側が切れていて、そこには橋が架かっている。ただ船の出入りも多いので、橋は旋回橋である。その橋が回転したと思ったら、なんと乗る観光船がやってきた。おそらく、宮津始発なのであろう。

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  阿蘇海は波は静かかと思っていたが、今日は天気が悪く風が強く、ちょっと波がある。これは、あわよくば伊根の舟屋まで足を伸ばそうと思っていたが、日を改めた方が良さそうだ。

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日本海側に来るには、夏場に限る。途中に舟屋らしき建物が見えたが、阿蘇海にも「阿蘇の舟屋」というものがあった。舟屋の雰囲気はわかった。

 

 

船を下りたところに、立派な神社がある。元伊勢籠神社と言い、天照大神が伊勢に移られる前に4年ほど鎮座されていたのだそうだ。天照大神は元々壱岐対馬を根城とする海洋民族の神様だったそうで、そちらから移ってこられたのであろう。


ケーブルカーで展望台まで上がる。紅葉がきれいだ。天気は悪いが、紅葉の時期としては何とか間に合った感じだ。観光客も多いが、混雑と言うほどでは無い。上から天橋立を眺める。う~~ん、絶景である。身体の柔らかいカミさんは、股覗きをやってみる。やはり印象が全く違うそうで、龍が立ち上がるのがわかるそうだ。小生は、バランスは悪いしめまいの危険があるし、こういう危険なことはやらない(笑)。


Dscn44881a 早めに降りたら、下は大混雑の大行列だった。京都を朝出てくると、この時間になるのだろう。早めで良かった。


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(つづく)

2025/12/22

天橋立(1)

以前から、日本三景のうち天橋立に行っていないので、そのうち行こうと思っていた。紅葉の季節が良いのだが、毎年紅葉の季節は第九の練習が佳境に入っており、なかなか旅行に行きにくいのだ。ところが今年は幸か不幸か第九がない。今年がチャンスとばかりに行くことにした。

 

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2025年11月27日(木)


岡山から天橋立に行くには、強行軍をやれば日帰り可能。普通は1泊である。そこを2泊にして、のんびりした旅行である。カミさんと一緒だと朝早くなど出られず(最近は小生一人でも無理だ)、お昼前ののんびりした時刻に出発する。のんびりしているので「さくら」など使う必要はなく、「ひかり」の自由席である。
何のことはない、23日に大阪に行ったのと同じ「ひかり」になった。

 

天橋立に行くには、京都から山陰本線経由がメインである。ただ大阪の西から来るには、京都まで行かずに新大阪で福知山線経由の「こうのとり」に乗った方が速いし、運賃も安い。新大阪で乗り換えたが新大阪では外に出ないので、乗車券は尼崎から福知山線である。

 

Dscn44531aその「こうのとり」、289系だが3両編成である。そして全車指定席。新大阪発で3両とは珍しい。289系は元は683系で、元は「しらさぎ」に使われていた車両だ。乗ったクハ288-2704は元クハ682、福知山の所属車である。

 

なおこの3両編成の「こうのとり」、かなり空いているが、「指定席は全席完売」とアナウンスでは言っている。途中駅から団体でも乗ってくるかと思っていたのだが、結局乗ってこなかった。指定券を持っていなかったような客もいたが(外国人のようだった)、どこかへ追いやられた。自由席だと全席をチェックしなければいけないが、指定席だと発売記録と合致していないところだけを調べるので、その分車掌業務は楽である。全席指定席にしたのは、検札業務を楽にして、車掌の数を減らしたのか?

 


Dscn44521a 福知山到着。まずホテルにチェックインするが、まだ時間は早いので、御霊神社にカミさんと出かける。小生は前回福知山に来たときに福知山城は見ているので、見ていないところにまず行く。3日目が別行動の予定で、カミさんはその日に福知山城に行く予定になっている。御霊神社は歩いて行けるところで、地図を頼りに見つけた入口は、裏口だった。ちょっと階段がきついが中に入る。明智光秀をまつった神社で、福知山の街を造った明智光秀は、福知山では神様である。紅葉がきれいだ。

 

帰りにコンビニでおやつを買い込み、ホテルの部屋でおやつ。その後ガストで夕食。旅行先では変わったものは食べず、食べ慣れたファミレスが一番安心だ。

 


Dscn44571a 福知山泊。

 

(つづく)

2025/09/21

佐世保へ(3)

2025年9月10日(水)

 

天気、雨のち曇。
ゆっくり起きてホテルの朝食、さすがにいつものビジネスホテル(それも、東○イン)より朝食は充実している。昨日チェックインの時にフロントの人は「満室のため混雑が予想されます」と言っていたが、まるで余裕である。


Img_79181a 雨も降っているので、部屋で本を読んでゆっくり過ごす。部屋がゆったりしているので、こういう時は良い。お昼前に出かけ、MACで昼食。佐世保に来たのだから佐世保バーガーを食べれば良いのだが、一度に変わったものを食べると、おなかを壊す。まだ中日、食べ慣れたものの方が安心だ。

 

雨も上がったので、セイルタワー(海上自衛隊佐世保資料館)に行ってみる。歩いて行ける距離だ。ここは元は佐世保水交社の建物で、1階部分はそのままだそうだ。係の方が、こういう施設に興味があるのかと聞いてきたので、呉にも行った、と返事する。


小生は現在の海上自衛隊の活動は評価はしているが、全面的に信用しているわけではない。と言うのも、旧海軍の伝統を受け継ぎすぎているからだ。旧帝国海軍は、大事なところで敵前逃亡する、という、とんでもない悪癖があった。レイテ湾しかり、トラック島しかImg_79231aり。そして船団護衛の概念がなく、大戦中に亡くなった人の数は、海軍軍人(乗組員)より商船船員の方が多い。海上自衛隊は、帝国海軍の伝統を反省なく受け継いでいるのだ。まあ自衛隊は、出番がないのが一番であるが。

 

7階から見るようになっており、まず7階へ。ここは展望室である。軍港が一望できるが、残念なことに高速道路(高規格道路か?)の防音シェルターが視界を塞いでいる。全体を眺めてみても、佐世保港だと港の見える部屋でもたいした事はなかったな、と妙に安心する。

 

長魚雷の模型があった。対潜ヘリあたりから投下するのが短魚雷で、潜水艦から発射するのは長魚雷である。直径53cmと数字では知っていたのだが、実際に実物大模型を見ると、でかい!爆薬が入っているには先端の一部だが、これはすごい威力だと思う。なお漫画では潜水艦同士が魚雷の撃ち合いをやり、魚雷も高速で走ってくるが、実際は音もなく忍び寄り、音のしないように低速の有線誘導で走らせ、敵艦の真下で爆発させ敵艦を真っ二つにするらしい。まさに忍者だ。


Img_79261a 今日の夕食こそは、レモンステーキである。2018年と同じ店、レモンド・レイモンドに行ったら、店の雰囲気がすっかり変わっていた。以前はカウンターでビールを飲みながらマスターと話していて、ビールを飲み終わったら、「もう一杯、いかがですか?」「いや、これ以上飲んだら、ステーキの味がわからなくなる」とか話していた記憶がある。それが完全に、居酒屋のチェーン店風になり、注文もスマホである。味は変わっていなかったのか昔の記憶がないが、うまかった。

 

佐世保泊。
(つづく)

2025/09/20

佐世保へ(2)

2025年9月9日(火)(つづき)

 

早岐には昔は機関区があり、今も車両基地があるが、そこに「或る列車」が止まっ

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ていた。帰ってからパソコンの中を調べたら、2018年に来たときにきちんとした写真を撮っていた。その時は旅行記は書いていなかったので、改めてここでご覧に入れる。


元々この「或る列車」は、明治時代の九州鉄道が米国ブリル社に発注した豪華客車が元で、この豪華客車は九州鉄道が国有化されたため九州では一度も走ることはなく、東京近郊で短期間使用され、職用車などに改造された。「或る列車」と名付けたのは鹿島正助氏で、「鉄道趣味」誌1935年10月号にこの豪華客車を紹介したときに使用したとされる。なお現在の気動車列車のデザインの元は、原信太郎氏作成の模型である、とはウィキペディアからの引用である。

 

早岐から逆向きに走って佐世保に到着。小生は「させほ」と言っているが、駅名標を見たら「させぼ」だった。「させほもさせぼも、ほぼ同じ」と言った作家もいたが(笑)。


Img_57251a ホテルは歩いて行ける距離ではあるが、キャリーバッグを引きずっていくのも面倒だし、タクシーにする。繁華街に近く、食事には便利そうだ。チェックインして部屋に入ると、7階で海に面してはいるのだが、目の前に他のビルがあって、海は見えない。チェックイン時に確認すべきだったと思ったが、一応フロントにクレームを入れる。海が見える部屋と言うことで手配の方法を聞いて、その通りにしたはずだが、どういうことだ、と言ったら、海の見える部屋にはグランドフロアの指定が必要だという。そんなことは一言も言われなかった。すでにグランドフロアの指定をされているお客様で満室で何とか。ははーん。このホテル、常連さん優先で、一見さんには冷たいな。小生の部屋は、エグゼクティブダブルで、とか言う話もしている。確か予約の時は、プレミアムダブルと聞いてそれを手配したはず。予約の時に、朝食だけのプランがなかなか出てこず、いろいろやり替えたが、その時に変わったか?どちらにしろ、満室で動かしようもないとのことで、引き下がる。

 

後でわかったことだが、佐世保は自衛艦や米軍の鑑の入出港以外は船の動きはあまりなく、関門海峡のように始終船が航行しているわけではない。海を見ながらのんびりには、向かないところだった。ともかく部屋のグレードは良いので、お湯を沸かしてロビーに置いてあったコーヒー(インスタントではなく、ドリップ)を入れ、ゆっくり読書を楽しむ。


Img_57261a 佐世保に来たら、夕食はレモンステーキである。と思って地図で調べたら、「営業時間外」の表示。開店時間は水曜日の何時と出てくる。今日は定休日だったか。料理屋さんは、「火を休める」とか言って火曜日が定休日の店が多い。そうすると、どこに入るかは出てから考えよう。

 

商店街(さるくシティ403アーケードと言うらしい。熊本弁でうろうろすることを「さるく」と言うが、ながさきでもそうだったか)を通る。雨の予報で長い傘を持ってきたが、アーケード街なら安心だ。途中のくまざわ書店で、「風を彩る怪物」の文庫本があるのを発見する。この本は好きで、図書館から借りてきて読んだものの手元に置きたく、本棚の関係で文庫本が出るのを待っていたのだ。作家の中には自著が図書館に置かれることを嫌う方もいるが、何回も読み返したい本は、図書館から借りてきても購入するものだ。小生はそういう本が何冊もある。と言いながら、荷物になるのでここでは買わず、岡山に戻ってから行きつけの丸善で買うことにする。

 

魚の店を見つけ、そこに入る。うまい。


Dscn43831a 結局傘は差さずに戻ったが、夜になるとホテルの部屋でもわかるすごい雨音がした。

 

佐世保泊。
(つづく)

2025/09/19

佐世保へ(1)

今年はいつまでも暑いので、夏の旅行を9月に持ってこようと思った。最近夏の旅行は良いホテルを取り、本でも読みながらのんびりすることにしている。海の見えるホテルなら、最高である。そこで以前泊まったことのある門司港のホテルを取ったのだが、どこか変わったところはないかと調べたところ、佐世保のホテルが取れた。佐世保は、久しぶりである。

 

これは帰ってから調べたことだが、佐世保にこの前行ったのは2018年6月初めである。佐世保に連泊してハウステンボスを見て、翌日佐世保の街を少し見て、貨物列車の写真を撮りながら帰っている。最終日まではカミさんと一緒で、最終日の朝にかみさんと別れて別行動だ。今回は、小生一人である。

 

なお前回は、普通列車削減の補償で早岐-佐世保間が普通乗車券だけで乗車できるようになり、そのあおりで博多からの指定席が佐世保までではなく早岐までに指定せねばならず、発券してもらうのにえらい苦労した記憶がある。今回は、すんなり佐世保までの指定席が買えた。

 

 

2025年9月9日(火)

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天気、晴。岡山は晴れだが、長崎県はずっと雨の予報で、折りたたみ傘の他に、先日東京で台風に遭遇したときに買ったビニール傘を持っていく。これなら、途中で壊れようがなくそうが、平気である。滞在型なので、荷物はいつものリュックとキャリーバッグである。


のんびりと、さくら551号で出発。まわりはジャパンレイルパスらしき欧米系の方達だ。広島で下車かと思ったが降りず、博多で小生が降りてもまだ乗っていた。行き先は熊本?佐世保行き「みどり」の乗り換え指定駅は新鳥栖だが、新鳥栖にはないもないので、博多で乗り換える。新幹線からの乗り継ぎ割引が廃止されたので、どこで乗り換えようと勝手である。

 

博多駅で、ホームに上がる。ホームには、肥前鹿島行きの特急「かささぎ」が停車中。西九州新幹線が長崎本線に並行していないのに「並行在来線」として特急が廃止され、不便になってしまう地域への救済列車である。肥前鹿島までではなく、並行し始める諫早まで走らせれば良いのに。

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「みどり」31号はハウステンボス行きと併結、783系ハイパーサルーンの8両編成である。前4両が「ハウステンボス」、後4両が「みどり」だが、「ハウステンボス」側は貫通構造なのに「みどり」の4両は両端流線型非貫通。最近は車内検札をやらなくなったが、一応両側に車掌は乗っているのだろう。この「みどり」(おそらく、「ハウステンボス」も)、入線時にすべてのカーテンが閉じられている。飛行機もそうで、車内温度上昇の防止対策、ひいてはCO2削減対策だそうだ。


783系は普通の網棚に、座席まわりも余計なものが付いていない。今となっては、この方が使いやすい。定刻出発、かつての「有明」のようなかっ飛ばす走り方はしない。長崎本線/佐世保線は、そんなに飛ばせないからな。鳥栖駅で、元の操車場側の駅前広場にB6らしきSLが保存してあるのに気がついた。鳥栖は元鉄道の街だったので、何らかのSLが保存してあっても不思議ではないがB6だったか、と思って調べてみたら、何とA10だった。これはそのうち行って見ねば。なおこの作業局型式、Aは動輪2軸のタンク機関車、Bは3軸のタンク機関車である。

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鳥栖から長崎本線に入り、新鳥栖、そして佐賀。佐賀は西九州新幹線が開業しても、値上げになるだけで、メリットは何もない。そろそろ、新幹線の新規建設は止めた方が良いのではないか。それより、北陸新幹線は早期に昔の計画通りに米原で接続し、南海トラフ地震が来る前に東海道のバイパス機能を持たせた方が良い。東海道新幹線は名古屋で段落ちになるので、米原から北陸新幹線が割り込む余地は十分にある。あえて言うなら、新大阪-鳥飼間に別線の回送線が欲しいが。


肥前山口改め江北で長崎本線から分かれ、佐世保線に入る。江北は、駅所在地の町名である。次が武雄温泉であるが、ここが西九州新幹線との乗換駅である。同一ホームでの対面乗り換え、2018年に来たときはまだ西九州新幹線の開業前で、こういう設備はなかった。長崎行きの連絡特急「リレーかもめ」に乗っても、佐世保線内で乗り換えるのだ。最も昔はこの佐世保線ー大村線のルートが長崎本線で、今の長崎本線、当時の有明線が開業したのはずいぶん後になる。西九州新幹線は旧長崎本線と現在の長崎本線の間あたりを走っており、これで長崎本線を「並行在来線」として扱うから長崎県からクレームが来るのだ。


Dscn43791a (つづく)

2025/08/30

ゆっくり広島訪問記(4)

2025年8月20日(水)


Img_05621a 今日でホテルはチェックアウト、急ぐ用事もないので、ゆっくり出発する。リュックからカメラとGPSユニットだけを取り出してリュックはコインロッカーに入れ、ショルダーバッグだけにする。望遠レンズは、重いので持っていかない。広島駅のコンコースは2階でコインロッカーは1階だが、エスカレーターが完備しているので助かる。今日の行き先は瀬野、スカイレールがどうなったのかを見に行く。

 

山陽本線の上りで瀬野へ。広島貨物ターミナルから海田市までの間の複々線区間は線路の移設工事が行われているが、高架にするらしい。電車専用線と違って1300tの貨物列車が走る区間だから、取り付け勾配も緩くしなければならない。最も広島側は、どうせ補機が付いているのだからと、セノハチと同じ22.5パーミルにする手もあるが。


Img_05891a 瀬野に到着。スカイレールのある側が瀬野機関区の跡地なのだ。スカイレールは入口が閉鎖されただけでそのまま、途中駅にはゴンドラも残っているそうだ。スカイレールはモノレールとロープウエイをごっちゃにしたような面白いシステムだったのだが、他に採用するところがないと、部品供給も止まる。


スカイレールが廃止された後はEVバスに代わると聞いていたが、ASIASTARのEVバスがやってきた。EVバスに関しては日本のメーカーも生産はしているがラインナップとしては揃えておらず、特にK尺以下の中小型に関しては中国製一択になる。このアジアスターも製造は揚州亜星で、アジアスターモーターコーチは日本の輸入会社。オノエンジニアリングが日本仕様に合わせたカスタマイズをやっている。ただ小生は、交通を始めインフラに中国製を使用することには一抹の不安がある。日本のバスメーカーはEVを開発して全長10.5mのK尺から全長11.5mのP尺までのフルラインナップを揃える体力はなさそうだ。EVのノウハウを一番持っているのはトヨタで、トヨタと系列の日野が共同開発でもしてくれないと、純国産EVバスは走らないだろう。

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 やってきたバスをよく見たら、ホイールが8穴だ。日本のバスは旧JIS規格が8穴で、ISO準拠になったら10穴になった。旧JIS規格は左側は左ねじで、安全性に関してはISOより旧JISの方が上だった。調べてみたら、このサイズの8穴ISOもあるようだ。安全性の面から旧JISを採用しました、となると面白かったのだが、中国製でそれはないだろう。タイヤは265/70R19.5。当然のことながら中国製のタイヤが付いているが、このサイズは日本でも一般的なようで、BSなど日本メーカー製も手に入る。


せっかく瀬野まで来たのだから、セノハチの後押し機関車も撮ることにする。八本松側に歩道橋を見つけ、その階段で待つ。日差しが強く、折りたたみの傘を日傘代わりにしてもめちゃくちゃ暑い。やってきた各停は3+3の6連各停、後の3連は広島電鉄グリーンムーバーのフルラッピング広告電車だ。広島ではJRでもカープ電車など、フルラッピングの広告電車を多く見かける。

 

本命の貨物列車がやってきた。本務機はEF210通常型、後補機はEF210-300。現在セ

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ノハチを超える貨物列車の本務機は、全部EF210(300番台を含む)に代わってしまったのではないか?後補機を進行方向から撮ると、煙を吐き出すSLと違ってELの場合は、本務機の後追い撮影と区別が付かない。やはり後補機は、編成全体を撮るか、点灯した尾灯の見える後追い撮影の方が良い。

 

もう1本来るが、さすがに暑く、一旦駅の日陰に戻って、自動販売機での冷たいスポドリでしのぐ。歩く気力がなくなって、次の1本は駅から変わった角度で撮ってみる。あまり良くなかった。

 

 

 

Img_06511aこれで予定は終了。少し早いが広島に戻り、すっかり行きつけになったガストでお茶を飲みながら過ごす。帰りは「さくら」の指定席を取ってあるので、時間が来たら乗るだけだ。岡山ー広島間は近いようだが、「のぞみ」か「さくら」を使う距離である。

 

予定通り岡山に帰り着いた。収穫はまあまあだが、無事に帰ってくるのが一番大事である。

 

(完)

 

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2025/08/28

広島ゆっくり訪問記(3)

2025年8月19日(火)(つづき)

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昨日から広島駅の構内やら駅ビル界隈を行ったり来たりしているが、階段や急な坂道がなく、少しの段差にもエスカレーターがあり、助かっている。小生は以前から階段はドクターストップなのだが(その割にはよく階段を上っているが(^_^;)、このところ膝の調子が悪く、階段、特に下りがつらいのだ。岡山の地下街(一番街)はひどい。あちこちにエスカレーターはあるのだが、ほとんどがエスカレーターの手前に数段の階段がある。5段ぐらいのところにもきちんとエスカレーターが作られているのは、高島屋の入口くらいのものだ(さすが!)。イオンから来る方は階段こそないが、心臓破りの坂道である。一度バリアフリーとはどういうものか、勉強し直した方が良いのではないか。

 


さて、午後はアストラムラインを見に行く。アストラムラインは新交通システムで、日本最西端の新交通システム(新交通システムの括り方にもよるが)である。運営する広島高速交通(株)は広島市が51%の株式を持つ第三セクターである。広島市は以前は市営の公共交通機関を運営しておらず、アストラムラインで半分ではあるが、初めて運営に乗り出した。このあたりは、北九州モノレールが似たような感じである。


Img_04651a 前置きはともかく、山陽本線で新白島に移動する。以前は山陽本線の下りで、広島に次は横川だったような気がしたので調べてみたら、新白島駅の開業は2015年だった。ここでアストラムラインに乗り換えるが、アストラムラインの新白島駅はほとんど地下だ。ネットで検索して、写真を撮るには毘沙門台駅が良さそうなので、まずそこへ移動する。新交通システムではおなじみの無人自動運転と思っていたら、運転手付きだ。さすがに、車掌はいない。アストラムラインは新白鳥から本通までの区間が地下区間で適用法律が異なるので、自動運転は制度的に難しいのかな。


新白島から先は高架で外から見ると防音壁があるのだが、防音壁はタイヤの部分だけで、車体にはかかっていない。そのためドアの窓が下に大きく取ってあり、見晴らしが良い。毘沙門台駅で下車、駅の連絡通路から良い写真が撮れる。新交通システムを上から見られる場所は、なかなかないな。

 

ここで帰っても良いのだが、路線図の長楽寺駅に書いてある「ヌマジ交通

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ミュージアム前」というのが気になったので、長楽寺まで行ってみることにす

る。長楽寺には車庫があるようで、線路が分岐している。長楽寺からしばらく歩く。暑い!線路をよく見ると、逆方向からも分岐している。いわゆるデルタ線である。新交通システムの車両だと向きが変わると困るはずで、逆方向から入線してきた車両は同じ方向に出さないといけないだろう。


ヌマジ交通ミュージアムは、そのアストラムラインの車庫の上に建設されている。正式名称は広島市交通科学館で、運営主体は広島市。命名権を沼田自動車学校を経営する会社が手に入れたため、「ヌマジ」(沼自)という名前になった。入って見ると、1階のエントランスフロアには、マツダのスポーツカーが展示されている。残念ながら、ル・マンの優勝車はない。2階が模型のコレクション展示、

Img_04761a_202508281639013階がジオラマになっているが、この模型のコレクションがすごい。自動車、鉄道、船、飛行機とあって、やはり気になるのは鉄道である。誰がどうやって作らせたのか、市販されていないようなものも多数である。


小生が珍品と思ったのが、アメリカ、サザン・パシフィック鉄道のキャブフォワード型SLだ。昔鉄道模型趣味で見たことがあったが、模型を見るのは初めてだ。意外と、煙室とテンダーの間が開いている。重油炊きでないとできない構造だが、この長い距離をボイラーに沿ったホースで重油を送ったのだから、漏れも多かっただろう。実際に、油漏れで空転が多く、評判はあまり良くなかったようだ。漏れた油に引火した火災事故も起こしている。今回はリュックが重くしゃがめなかったが、また来る機会があったら、荷物のない身軽な格好できてじっくり眺めてみたいものだ。

 

屋上に出てみる。車庫が見えるかと思ったのだが、車庫はおそらくこの建物の下だ。路面

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電車が置いてあったので見に行ったら、なんと被爆電車だった。被爆し大破したものの、翌年に修理されて走り出した電車だ。広島電鉄は、電車を走らせることに使命感を持っているようだ。

 

歩き回って疲れたので、少し資料室で本を読み、広島に引き上げる。おやつ休憩は、福屋11階のマクドナルドにする。幸い窓側の席が空いていたが、ここは日差しが直接当たって暑く、とても長居はできない。写真を撮るには良い場所だが。

 

上から眺めていて、電車の上る坂道の横辺りから撮れないものかと思い、早速行ってみる。地下街を抜けてビックカメラの前に出てみる。ちょっと面白い写真が撮れた。


今日の夕食は、また福屋の11階に上って、ガスト。ちょっと早かImg_05031a_20250828163901

ったので、まずビールとつまみを頼み、しばらくして追加で食事を頼む。全部タッチパネルからで、自宅の近くにガストがあった頃はよくやっていた頼み方なのだが、ここでは珍しいのか係員が注文確認に来た。注文したものは問題なく出てきたから良し。ちなみにここのガスト、配膳用のネコは2匹(2台)だ。

 

広島泊
(つづく)

 

 

 

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2025/08/25

広島ゆっくり訪問記(2)

2025年8月19日(火)


Img_03911a 東○インの朝食は早いほど混むので8時過ぎに行ったが、それでも結構混んでいた。インターハイの出場選手のような姿も見えた。昔のような、昔の感覚だと高校生がビジネスホテルなど考えられないが、旅館の大広間での宿泊もなくなったのであろう。ともかく、今日はまず可部線に行ってみる。

 

広島駅で見ていると、どの列車も227系に変わっている。しかし編成が長く、6両編成がざらだ。しかも頻繁に来る。岡山とは大分違う。可部線は2つ下関寄りの横川(よこかわではなく、よこがわ)で山陽本線から分かれるが、全列車が広島発着である。使用車両も、昔は旧国のメッカだったようだが、今は227系である。しかもそのほとんどが4両編成、乗客が多いのだ。たまに2両編成があるが、ワンマンではない。

 


Img_03931a 可部線内をしばらく走って驚いた。広島に向かう一方通行(夕方はその逆)だと思っていたのだが、途中駅相互間の利用がかなり多い。途中でアストラムラインと接続しているが、まるで関係なく乗降が多い。JRとしては、ありがたい(儲かる)パターンだ。可部から先の、一旦廃止された区間を2駅だけだが復活させた理由も、このあたりにあるようだ。

 

可部駅に着いた。可部駅はかつては電化区間の終点で、電車用の行き止まりの終端ホームと、気動車用の通過できるホームとに分かれていたそうだが、電化区間が延長されたため、今はかつての気動車用ホームだけが電車用にホーム高さを変えて使われている。なかなかきれいな駅だ。

 


Img_03971a 可部から先は復活区間なので、そこの線路を見に行く。踏切も見たいのだが、既存だろうが新設だろうが踏切に変わりはないので、見ても変わりはないはずである。国は踏切の新設を原則禁止しており、新線開業は立体交差が原則である。この区間の復活の時には、そこがかなりもめたようだ。結局特認扱いで踏切は復活したようだ。

 

線路は大きく左にカーブしており、線路沿いの道路はないので見当を付けて住宅地の中を歩く。それにしても、暑い!踏切を見つけた。可部から2つめだが、まだここまでは可部駅構内の扱いである。線路を見て驚いた。線路の規格がすごく良い。レールの継ぎ目は、支え継ぎである。継ぎ目の下に枕木を置く支え継ぎは、普通乙線以上の区間で採用される。丙線以下は、継ぎ目の下に枕木がない掛け継ぎである。可部線は元々が軽便規格で作られた線路で、最高速度から見て、現在も簡易線規格のはずだ。新設の路線は、高規格でないと認められないのだろうか。


Img_04041a 一応踏切の写真も撮り駅に戻るだけだが、今度は帰り道がわからなくなった。仕方なく、スマホのナビを頼る。一度このナビを頼りにしてとんでもないところに案内された経験があるので、周辺もしっかり確かめる。暑いので、折りたたみの傘を日傘代わりに差す。

 

無事可部駅に到着。可部駅は跨線橋は改札外で、自由通路になっている。従って、下り電車から改札内で上り電車に乗り換えることはできない。トイレは上り(広島方面行き)の改札内にしかない。跨線橋にはエレベーターもあるので、ありがたく使わせてもらう。上りホームの横に、かつての電車用終端ホームが残っているが、線路は剥がされている。可部折り返しの電車はなさそうだ。

 


Img_04081a 227系で広島まで戻り、久しぶりのモスバーガーで昼食。タッチパネルで操作がわからなくなり、係員を呼ぶ。セットを押し間違えたときの「戻る」ボタンがないのだ。全部キャンセルするしかないことがわかった。

 

(つづく)

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