2024/09/10

向きを変えない気動車

2024年9月10日

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国鉄時代、機関車や客車、貨車には自動連結器が使われ、自動空気ブレーキが使われていました。全国運用なので取り付け寸法や向きも統一され、自動連結器は右手を軽く握った形、その下に左手を軽く降ろした形でブレーキ管が付いていました。自動空気ブレーキは、このブレーキ管1本で編成全部にブレーキがかかります。


気動車も、連結器は小型の密着自動連結器ですが、普通の自動連結器と連結でき、ブレーキ管も共通でした。これは旅客列車や貨物列車の最後尾に連結して回送することがあるためです。連結器強度が弱いため、最後尾になります。

 

気動車の場合は、これに制御用のジャンパ線(昔は2本、最近は太くなって1本)がつきます。ちなみに制御線は昔からデジタル制御です。ただしパラレルで、最近のシリアル伝送とは異なります。気動車はいろんな路線に乗り入れるために向きがImg_93461a頻繁に変わり、また同じ方向ばかり走っていると車輪が片減りするため向きを変えることもあり、ジャンパ線はどちら向きでも使えるように両側に付いています。向きを変えたら、幌とジャンパ線は反対側に移動させなければいけませんが。


この自動ブレーキ用のブレーキ管ですが、連結した場合はブレーキコックが連結器の両側に配置される形になるため、解結作業はどうしても両側作業になってしまうんですね。この両側作業、昔は気動車用のホームは低かったため、ホーム側の作業も楽でしたが、最近は電車に合わせてホームが高くなり、ホーム側の作業が大変になってきました。

 

元々ホームが高かった電車はどうかというと、基本的に電車は向きを変えません。そのため奇数車、偶数車という言葉があるくらいです。ブレーキ管は密着

Img_93431a連結器に内蔵ですが、ブレーキコックは片側にあり、同じ側にジャンパ連結器があるため、解結作業はホームの反対側片側でできます。

最近は気動車も全国運用がなくなり、特に第3セクターは走行範囲が限定されているため、気動車も向きを変えなくなりました。そのため、ブレーキ管を片側に寄せた会社も出てきました。写真は肥薩おれんじ鉄道の車両で、ブレーキ管、ジャンパ線共に海側です。これだと、解結作業は片側からできます。元のブレーキ管の位置にも管の継ぎ手は残してあるため、回送時はホースを付け替えれば今までどおりにできそうです。

 

小生は今回初めて気がつきましたが、数年前の写真で土佐くろしお鉄道の車両も、ブレーキ管を片側に寄せていたことに気がつきました。昔の気動車の常識が、だんだん通じなくなりそうです。Img_87281a_20240910140901

2024/06/15

381系ラストラン

2024年6月15日

 

「やくも」のうち、昨日が緑やくもと国鉄色の、今日がゆったり色の、それぞれ381系のラストランでした。ゆったり色は予備編成となるので、まだ出番があるかもしれません。結構大騒ぎだったようですね。


Img_25801a 小生は381系には思い入れがないので、ラストランは見に行っていません。そもそも、381系は登場時から自然振り子の乗り心地悪化の問題が指摘されていたのに、「やくも」は1982年の登場から2024年まで(42年間!)、なにもせずに使い続けてきました。アコモデーションの改良はやりましたが、走り装置は全く手つかずです。1989年には、制御付自然振り子車(JR四国の2000系気動車)も登場し、そのノウハウも得られてきているのに、です。小生は、これは完全にJRの怠慢だと思っています。小生の知人で、「やくもは揺れるから、乗らない」という人は何人もいます。自ら鉄道離れを作り出しています。

 

381系が引退した後は「やくも」は新型の273系に統一されます。ラストランの数日前、カミさんが米子に一往復してきました。全く考えずに乗ったのに、行きは新型273系、帰りは381系の国鉄色だったそうです。乗り心地の感想は、「新型は新幹線に比べると揺れるけど、ちゃんと本が読める。旧型は揺れて揺れて本どころではない。」とのことだそうです。「やくも」の車内で本が読めるとは、画期的です。

 

かくいう小生、まだ273系に乗ったことがないんですね。まあ、これから機会はあるでしょう。写真は2015年の「やくも」です。「やくも」の381系は最後まで2個パンタでしたね。

2024/05/15

珍しくギャラリー「やくも」各色

2024年5月15日


Img_67221a 小生にしては珍しく、写真の一覧です。
「やくも」各色。
上から、
最終標準色となった、ゆったりやくも色。
同じくゆったり色の、パノラマ車。
国鉄色。
緑やくも。
スーパーやくも色。
最後は、新型やくもです。


Img_47371a_20240515180201 国鉄色やくもと緑やくもの運転終了は今年6月末というのが公式発表ですが、一部6月14日が最終という情報もあります。なおスーパー色とパノラマ車はすでに運転を終了しています。ゆったり色は、まだ臨時運行があるようです。

 

なお写真はクリックすると大きくなります。


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2024/03/01

ロイヤルエクスプレス四国、第2弾

2024年3月1日


Img_84941a ロイヤルエクスプレス四国の最終日、やっぱり撮りに行きました。上京を控えているので、おとなしく駅撮りです。ただ今回は平日なので同業者が少ないと思い、ホームの上り側の端に行きました。前回は、下り側の端です。風洞柵か物の落下防止柵か、ホームを囲むコンクリート塀の上に金網柵が増設されたのは前回気がついていたのですが、これがホームの端までしっかり覆っています。そのため、以前は3人は並べた場所がやっと1人だけ、さらにもう1人来ると、そのもう1人はそのまた横からになります。

 

幸いにして一番乗り、しばらくして同業者がもう1名来ましたが、「少し後から撮るので、大丈夫ですよ」とのこと。かなりの長玉でした。

 

前回にも気がついたのですが、「うらら」こと227系の新車が瀬戸大橋線(宇野線)にも入り始めました。115系のトイレはカセット式という名の垂れ流しで瀬戸大橋を渡るのには問題があったのですが、227系は普通のタンク式ですので、瀬戸大橋を渡るのに問題はありません。各停の四国行きを復活してくれないかな。


Img_85231a 肝心のロイヤルエクスプレスは、天気が良すぎて逆光が目だつ結果になりました。

2024/02/23

ロイヤルエクスプレス四国

2024年2月23日


Img_84651a 走ることはわかっていたのですが、忙しかったり、病院に行ったりでなかなか機会がなく、やっと今日捕まえました。本当は瀬戸大橋を渡るところを横から撮りたいのですが、相当に早起きしないといけません。そこで近くの駅ですが、以前はホーム端まで行けたものが柵ができ、行けなくなりました。

 

今日は祝日とあって、ホームはかなり混んでいました。「黄色い線からでないように」と一度注意がありましたが、特に混乱もなく通過していきました。

 

このロイヤルエクスプレス、直流電車で今回の走行区間は皆直流電化区間なので自走できるはずですが、予讃線のトンネルの一部に断面積が小さくすごく架線が低いところがあり、伊豆急の電車は低架線に非対応のため、自走できません。それで対応している電気機関車で引っ張るものです。なおサービス電源は電源車(ディーゼル発電機)で、非電化区間も対応できます。


Img_84821a 今回は、岡山から松山まではJR西日本の機関車(EF65)、四国内はJR貨物の機関車(おそらくEF210)だそうで、高松までのJR西日本の機関車の運行担当は児島まではJR西日本、児島から高松まではJR四国となっていました。JR四国にEF65を運転できる乗務員がいるのでしょうか?

2023/11/13

12系撮影失敗

2023年11月13日

 

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YOUTUBEにはもういくつか動画がアップされていますが、9日から11日まで、JR西日本の岡山地区の練習運転が行われました。もうJR西日本には機関車が引っ張る定期列車はなく、走るとしたら臨時列車だけなので、乗務員の技量維持のために定期的に練習運転が行われています。普通は貨車(ホッパ車)が使われることが多いのですが、今回は珍しく客車(12系)を引っ張っての練習運転になりました。9日と11日が下関側にDE10,大阪側にEF65という見た目プッシュプル、力行するのは先頭車だけという編成。これで往復すると、ディーゼル機関車と電気機関車、両方の練習運転ができます。そして10日は逆編成で、下関側にEF65,大阪側にDE10という編成だったはずです。これは事前情報だけで実際には見ていませんので、わかりません。


9日に下りを岡山より西で、上りを東で撮ろうと思って一旦中庄まで行ったところ、庭瀬よりに人だかりを見つけ、急遽戻りました。木が茂っていたところが切り払われ、撮れるようになったみたいです。もたもたしている間に、国鉄色「やくも」を撮り損ねましたが、練習運転車は無事撮影。後のEF65が木に掛かりますが、まあ良いでしょう。

 

そして上りは西川原で待っていたところ、隣の同業者さんがどこかに連絡を取っていたら、急に帰り支度を始めました。聞いたら、下りで12系客車が里庄で故障を起こし、どうやら今日はウヤらしいとのこと。こちらもあきらめて帰りました。後日YOUTUBEを見たら、故障はその後回復し、何分遅れか知りませんが、上りも運転されたみたいですね。

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そして10日と11日はパスし、今日(13日)の客車の返却回送を狙いに、また西川原まで行きました。ところが今日は同業者は全く不在、そして時間になっても来ません。今日は一段と寒く(最高気温13℃)、風も強いので、30分待ちながら貨物を2本撮って、変えることにしました。ところが西川原のホームで目の前をEF65+12系が通過、40分遅れでした。岡山始発なので、まさかここまで遅れるとは思いませんでした。結局、2回ともEF65+12系は、撮り損ないです。もう少し暖かければもうちょっと粘ったんですが、あまりにも寒すぎました。今日は第九の練習もあるし、風邪を引いたらどうしようもないです。


写真は9日の練習運転下りと、今日撮った貨物のうちの1本です。この時間には、EF210-300牽引が2本連続します。

2023/09/02

スロハ38

2023年9月2日

小生が生まれた家は三角線のすぐそばにあり、窓から通過する列車が眺められ、客車の番号も読み取れました。小生の生まれは1949年(昭和24年)で、断片的な記憶は1952年からあります。三角線は1957年に全面気動車化されましたので、SL時代の三角線の記憶は1953年~1956年あたりだと思います。

牽引機は、記憶にある限りC11です。昔はC10だったそうですが、小生が物心ついた頃にはC10はもういなくなっていました。その時代、86は人吉機関区、96とC12は宮地機関区でしたので、熊本機関区にはC11以外はC57やD51といった本線用の大型機ばかり。C11以外は入りようがありませんでした。なおC11は向きが決まっており、例外的な臨時列車を除き、すべて上り向き(熊本向き)でした。これはすべてのC11が北を向いていたわけではなく、熊本より北で運用されるC11は下り向き、南で運用されるものは上り向きで、すべて熊本の方に頭を向けていました。SLの末期の1970年頃、合理化のためか逆向きでの運用も開始されました。またそのため小生は、C11の反公式側(右サイド)はあまり見ていません。C1118の汽笛が前に付いている(1次車のため)のも、言われて初めて気がつきました。

三角線の列車は混合列車でしたが、気動車化の前年(1956年、ひょっとしたら半年前)に客貨分離が行われ、旅客列車と貨物列車に変わりました。貨物列車は2本で、ダイヤ改正の度に1本になったり2本になったりしていました。おそらく、1本は不定期だったのでしょう。なお混合列車時代は貨車は機関車の後(客車の前)で、暖房は使用不可でした。相当寒かっただろうと思いますが、寒さの記憶はありません。ただ冬は旅行しないことになっていたので、小生は冬に旅行するとすぐに熱を出していたのかもしれません。

三角線の交換駅は当時は網田だけで、有効長は7両です。これから想像すると、混合列車時代は客車は3両か4両だったと思われます。その混合列車の中に、なぜかスロハ38が入っていました。記憶にあるのは「ダブルルーフ、3軸のスロハ」ということだけでしたが、この該当車はスロハ38しかいません。

この有効長7両というのはあくまでも交換列車がいるときの話で、実際は無視した列車も多く走っていました。臨時列車が運転されたときは、回送は定期貨物列車と併結して(長さ14両相当)重連で運転されたのも見たことがあります。完全に有効長オーバーですが、交換列車がないか、交換列車があっても先に停車していてくれれば運転可能です。こういう列車は大抵通過させるのですが、上りの網田は給水があるので、必ず停車していたでしょうね。

三角港は重要港湾なので、国の施設も多くありました。上級公務員になると利用は2等車なので、2等車の必要があったと思われます。なお小生の父親は公務員ではありませんでしたが、軍隊時代の「将校は2等車を利用すべし」という教育を戦後も守り、ずっと2等車を使っていました。

そのスロハ38の詳細が、最近出たネコのRM LIBRARY「並ロのすべて」に載っていました。マロネ37からの改造車で、2等定員32人、3等定員48人。改造車のため、3等は座席ピッチと窓割りは合っていません。2等側には乗ったことはありますが、3等側にも乗ったことがあるのかどうか。記憶にないです。また、スロハ38が通過するときの、タタンタタタン、タタタンタタンという音は記憶にありますが、車内で聞いたタタタンタタタンの記憶はありません。

スロハ38はスロハ3838が最終配置が熊本で、1963年に廃車されたと記事にありました。豊肥線気動車化の直前です。三角線の運用がなくなったのは1957年ですから、豊肥線運用があったのか、予備車として取っておかれたのか、ですね。

1957年に気動車化された後は、キハ17系キハユニ含みの日中3両朝夕5両で、ロハの連結はなくなりました。キロハ18は10系でも優等列車用であり、たった8両しかいませんから、各停用に回ってくることはありませんでした。全体をグレードアップしモノクラス化、ということでしょう。三角線のロは、1964年の急行運転で優等列車として復活、その後急行用車両が間合い運用で各停に入るようになり、キロ28が連結されるようになりました。その頃はエラい人は乗用車でそのまま三角まで行くようになりましたから、どのくらいの需要があったのかはわかりません。

2023/08/27

高鮮度高品質物流

2023年8月27日


Img_82161a EF65+ロンチキの運転情報が入ったので、旭川の鉄橋まで行ってきました。その後貨物が2本通るのでその2本を撮って帰りましたが、1本目の福岡(タ)発札幌(タ)行きの2070レに、「高鮮度高品質物流」と書いた31ftコンテナが先頭貨車に2個乗っていました。帰って拡大してみたら、東札幌日通輸送(株)のUF42Aでした。31ftの冷凍コンテナは岡山界隈でもよく見ますが、ほとんどが「青函トンネル通過禁止」のもので、こういう北海道のコンテナを見るのは珍しいです。


Img_82311a なおこの2070レ、福岡(タ)を今朝1:53に出発し、途中北九州(タ)と広島(他)で荷役、京都から日本海側を通り、南福井、金沢(タ)、富山貨物、新潟(タ)と荷役し、翌日の20:48に札幌(タ)に着きます。牽引機は福岡(タ)-幡生間がEH500、幡生-吹田(タ)がEF210-300、吹田-東青森間がEF510、東青森-五稜郭間がEH800、五稜郭-札幌(タ)間がDF200です。Img_82351a

2023/07/06

ホッパ車とタンク車

2023年7月6日


Img_53751a 貨物列車は、今はほとんどがコンテナ車になってしまいましたが、かつてはいろんな種類の貨車が走っていました。その中で今も生き残っているのが、ホッパ車とタンク車です。ホッパ車とは、四角い漏斗に車輪を付けたもの。小生はすぐに石炭車のセラを連想しますが、他のところでは線路補修に使うバラストホキの方がなじみがあるでしょう。最もこのバラストホキもどんどん気動車に置き換えられて姿を消していますが。ホッパ車には、屋根のないものと屋根の付いたものとがありますが、この区別はされていません。

 

もう一つ生き残っているのがタンク車で、東京圏ではガソリンタンク車の長大編成をよく見ますが、ガソリンタンク車は地域性があり、東京圏と名古屋圏以外では、あまり見ません。


ホッパ車には粉体も輸送するものがあり、かつてはクリーム色の穀物ホッパ車をよく見かけました。またタンク車にもエアスライド式の粉体タンク車があり、以前はセメント輸送用のタンク車を結構見かけました。そこで疑問に思ったのが、ホッパ車とタンク車はどこが違う、ということでした。屋根付きの密閉型ホッパ車は、タンク車と違いはありません。ホッパ車は屋根が開閉式かとも思いましたが、ホImg_51201aキ2200などの穀物ホッパ車は、完全密閉型です。なのにセメント輸送用はタキとホキがあります。

 

ひょんなことから、ホッパ車とタンク車の違いがわかりました。エアスライドにしろ何にしろ、出口が下にあるのがホッパ車、それ以外がタンク車でした。バラストホキのホキ800は線路の外側にも落とせますが、これはあくまでも下に落ちるものを案内板で横に落とす、という考え方です。現在残っている数少ないセメント炊きのタキ1900は、取り出し口が横に付いています。一方同じ三岐鉄道を走っているホキ1000は、取り出し口は下ですね。


余談ですが、製鉄所内で高炉(溶鉱炉)から転炉(製鋼炉)まで溶銑を輸送するトーピードカーというものがあります。これは国鉄線上を走ったことはないので国鉄型式は付いていませんが、上から入れて0001a_20230706172101上から出しますから、タンク車ですね。昔北九州では、専用線ですが戸畑と八幡の間の住宅地の真ん中をこのトーピードカーが溶銑を積んで走っていました。今は製鋼工場も戸畑に集約されたので、この線をトーピードカーが走ることはありません。

2023/02/19

2回目の「表紙」

2023年2月19日

2023


今年も、鉄研三田会写真展が開催されます。期間は5月11日(木)から16日(火)まで。場所は池袋のギャラリー路草です。

 

小生も出品していますが、今回は小生の作品が会の案内はがき、いわば「表紙」に採用されました。採用されたのは、6年前(2017年)に続き、2回目です。場所は伯備線の伯耆溝口と岸本の間、撮影したのは昨年8月です。駅からは徒歩で、死にそうに暑かったのを覚えています。撮影中に500mlのドリンクを2本空けました。

今回の写真展は第30回ですが、特に記念展ではありません。カミさんの、「30回記念じゃないの?」と言っていましたが、普通の写真展です。

 

この写真、色がきれいで周りに見せたときの評判(特に、女性に)は良かったのですが、写真としては後追いだし、逆光だし、いわゆる鉄道写真の「王道」からは外れています。しかもカメラはAPS-Cだし、手持ちだし。まあそれでも、そこそこの写真は撮れるということです。


撮影データは、カメラはEOS90D、レンズはズームで50mm。ISO=800,1/2000,F5.6。シャッタースピード優先のオートで、+0.3の逆光補正をかけています。

 

まだ先の話ですが、どうぞお越しください。

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