2018/11/09

ハローキティ+ドクターイエロー

2018年11月9日Img_68021a


いつものAからドクターイエローが走るという連絡を受けたので、昨日新倉敷まで行ってきました。前回は下り線側から上り列車を撮ったのですが、今回は逆サイド(山側側面)を撮ろうと思って、あえて逆光は承知で上り線側から狙ってみました。光の当たるところと影との差が大きい写真になったので、多少補正してあります。やっぱり270km/hは速いです。Img_67781a


なおこのドクターイエローが通過する時間帯は、少し早めに行くとハローキティ新幹線が撮れ、ドクターイエローの後を追いかけて通常の500系「こだま」がやってくるので、40分くらいの間にレア車豪華3本立て(いつ頃の映画館だ)が撮れます。東京にいる人間には、うらやましくなるような環境です。なお平日とあって、同業者は誰もいませんでした。Img_68071a


2018/05/22

おもひでぽろぽろ

2018年5月22日

レンタルビデオ屋に行き、ジブリの「おもひでぽろぽろ」を借りてきました。棚にないので、古いので置いてないのかと思ったら、高畑勲監督の追悼で特設コーナーができていました。

借りてきた目的は、特急「あけぼの」(実際には「あけぼの」3号)の山形駅進入シーン、小生はED78の重連だと思っていたのですが、ED78+EF71だと言われたので、その確認のためです。

このビデオ、ビデオで見たのか劇場で見たのかは忘れましたが、スジはすっかり忘れていますね。小学校時代の回想シーンがこんなに多いとは思いませんでした。

スジは置いておいて「鉄」関係のシーン、上野駅は当時の雰囲気を良く出していますね。それから24系24型3段寝台車の車内の雰囲気、良く出ています。上野駅での進入の時先頭車が電源車ではない(演出上の都合?)とか、3段寝台なのに三つ星マークだとか(絵面の都合?)、突っ込みどころはいろいろありますが、寝台車の中の雰囲気はそのまま出ています。これは貴重かもしれません。問題の山形駅進入シーン、ED78+EF71でした。中間台車のTR103BとDT137を見事に描き分けています。長さも後の機関車がちょっと長いですね。実際にもEF71の方がエアフィルター1個分長いです。

新幹線開業前の山形駅、残念ながら小生は米沢までしか行ったことがないので昔を知りませんが、覚えている方には懐かしい景色でしょう。ラスト近くの仙山線のキハ20系(キハ52?)、仙山線にはDCはいなかったという突っ込みもありましたが、この作品の舞台である1982年には、急行の間合い運用でキハ58系は運行していたようです。そうなると、キハ58系を演出上キハ20系に変えたのは、わかります。乗り換えた455系は、まさに455系でした。いやあ、鉄分の多い作品だ。

2018/03/22

電車気動車用DT台車

2018年3月22日

ちょっと専門的、と言うよりマニアックな鉄の話です。
旧国鉄、現在のJRの電車や気動車の動力台車には、DT何とかという型式が付いています。そして先日鉄道雑誌でJR東のハイブリッド気動車の記事を見ていたとき、「DT75、そうかDT台車は70番代もそのまま使っていたのだ。」と思いました。この「70番代」ですぐ反応する方は相当のオールドファンだと思いますが、70番代に意味があったのです。

元々国鉄の台車の型式はTR何とか(TRuckの略。なお私鉄は、メーカーの型式をそのまま使っています)という型式だったのですが、昭和24年(1949年)の型式命名基準の改正で、動力台車はDT何とか(Drive Truckの略)、非動力台車はTR何とかという風に分けられました。そしてDT10から始まり、国鉄最後の型式はDT55でした。

TR台車は3軸のものがあり、3軸台車は70番代と80番代が使われていました。70番代と80番代には、「3軸」という意味があったのです。「やまぐち号」にかつて使われていた展望車マイテ49の台車は、TR73ですね。90番代は試作台車なので、TR69(165系や485系など、優等車両用)の次は3桁になるのですが、100番代はすでに機関車用として使っていたので、次の軽量客車用改良型はTR200になりました。実はこの200番代というのは新幹線電車用だったのですが(DT200、MT200など)、0系もその次の200系も全電動車だったため、「新幹線用電車にはTR台車は存在しない。」と思われたのかどうかは知りませんが、200番代を使ってしまいました。そのあおりで、100系で新幹線営業車として初めてのTR台車が使われたときは200番代が使えず、TR7000になってしまいました。

DT台車に話を戻して、国鉄が分割民営化された後は、台車も各会社が独自設計をするようになりましたが、その時国鉄時代の番号を引き継いで追い番を取ったのが、東日本、東海、西日本、四国の4社で、北海道、九州、貨物の3社は別体系の番号になりました。そして東海、西日本、四国はそれぞれC、W、SをWDT5のようにDTの頭に付け、東日本だけはDT何とかをそのまま使いました。旧国鉄時代の設計をそのまま使った型式、たとえばDT50とWDT50は同じシリーズと言えますが、分割された後は、DTの後の番号は同じでも、例えばDT56、CDT56、WDT56、SDT56は、全く別の台車です。

その中でJR東日本が一番番号の進みが速く、253系2000番代でDT69が出たあと、205系のDT50の改造型でDT70が現れています。TRの70番代は3軸でしたが、DT台車では(東日本の、と注釈を付けるべきかもしれませんが)その区分をなくしているのですね。最もDT台車全体で言えば、EF62の3軸台車はDT170ではなくDT124になっていますから、この時点で「DT台車では2軸と3軸の区別を付けない」となっていたのかもしれません。

現在の最終番号は235系のDT80です。やがてDT89が現れ、90番代は試作用ですからその次は、100番代は機関車用、200番代は新幹線用なので、DT300になるか、それともそのあたりで全く別の番号体系になるか、ですね。その頃まで、生きているかなあ(笑)。JR東にはEOO1系というとんでもない型式が出現していますから、ある日突然に別体系になるかもしれません。なおJR西日本にはすでにWDT300がありますが、60番代はまだ空いているので、おそらく160km/h用で分けたと思われます。

2018/01/10

今年の鉄初めはドクターイエロー

2018年1月10日

Aからドクターイエローの運行予定表がメールで送られてきたので、昨日(9日)撮影に出かけました。一昨日は下りが運行されたのですが、夕方遅い時間でしかも雨模様の天気だったので止めました。Img_38351a


撮影は、無精して新倉敷で。一番の取り柄は人が少ない(と言うより、人がいない)ので、場所を自由に選べることです。ホームの端から進入してくる列車を撮ることもできますが、入換信号機が並んでいるので、ホームにしました。通過線を挟んだ対向ホームなので、距離が十分に取れます。Img_38441a


まずはエヴァンゲリオンから、毎日一往復で、検査時以外は決まったダイヤで走っています。エヴァは停車するからよいのですが、通過列車はこのあたりは300km区間のはずなので、猛烈な勢いで通過します。ただ最近の新幹線は静かで、すぐ近くに来るまで気がつきません。「さくら」を試しに撮りましたが、連写を掛けてもきれいにフレームに入るのは1枚しかありません。1/1000秒で何とか止まります。Img_38531a


次に目当てのドクターイエローが。番号は確認できませんでしたが、情報によるとT5だそうです。ドクターイエローをまともに撮ったのは、初めてですね。通過列車は皆N700系だったので、700系顔の通過は久しぶりに見ました。その次の標準の500系まで撮って帰りました。当日は瀬戸大橋線が止まるような強風で、ともかく寒かったです。

帰りに在来線ホームに降りたら、下関の115系がやってきました。岡山の115系は先頭方向幕がLEDですが、下関車は先頭方向幕を使っていません。そしてその先頭が何とクハ115-608、元の東ミツのサハ115-6で、50年選手です。窓が上段下段とも上昇する非ユニットサッシ車の生き残りは、この車だけだそうです。屋根も分散型のクーラーです。Img_38671a


寒かったけど、収穫の多い日でした。

2017/12/04

伯耆大山まで行ってきました

2017年12月4日

東京での鉄仲間、大学出同じクラブで同じ研究室だったのですが、そのAから珍しく岡山に行けることになった、と連絡が来ました。12月2,3日の土日で、1日(金)に大阪にプロジェクトでの出張があるみたいなのです。出張のついでに土日に足を伸ばすのはAの常套手段ですが、小生は現役時代は出張は多かったのですが、土日にそこから遊びに行くことはなかったですね。不器用なのか、仕事と遊びを途中で切り替えることができず、仕事は出発して帰着するまで仕事、遊びは最初から最後まで遊びでした。Img_36261a


さて、土日に来るのは良いのですが、Aの行動はすごくハードスケジュールです。小生と一緒の時は小生に気を使ってホテルを取りますが、一人か体力のある仲間と一緒の時は夜通し撮影して車中で仮眠です。ところが小生は土曜日は練習日、練習のため途中で抜けるのは良いのですが、翌日の早朝出発はちょっと体力的に厳しいので、最初は3日だけつきあうことにしましたが、本番の一週間前ということもあって、予定を変更して2日だけつきあうことにしました。

2日の朝8時過ぎ、岡山駅にAと連れのT大4年生のM君が現れました。T大も合同のプロジェクトで、M君はAのパシリをやっていたようです。仕事場ではAは技術士の「先生」なので(しかも新潟で大学の講師もやっています)、エラいのです。そしてレンタカーで出発です。Aはレンタカー代の「分母」を増やすために、仲間に声をかけます。小生も、分母要員です(^_^;。

行き先は伯備線です。まず新見の手前あたりで撮って、そこから一気に伯耆大山を目指します。途中コンビニによって食糧を補給、Aと一緒の時は昼食休憩などないので、食料と飲み物は確保しておかないと、大変になります。大山をバックに、特急と貨物を撮影、晴れていて良かったです。地元の方の話では、一週間前の方が大山の雪は多かったそうです。

そこから貨物列車を追いかけます。伯備線はほとんどが単線なので貨物列車は停車時間が長く、その間に追い越して先回りができます。そして数回撮って、新見で下ろしてもらいました。小生は新見から「やくも」で岡山に行き、駅ビルのド○ールでおやつと休憩、それから練習に行きました。Img_37101a


翌日は反省会という名の打ち上げ会をやることにして、その前に岡山を通る臨時の「サロンカーあさかぜ」の駅撮りで合流です。夜というのに、結構同業者がいましたね。今はデジカメの性能が良くなったので、夜でも駅の明かりで撮影ができます。まあ東京ほどの混雑ではないので、小生でも写真が撮れました。

打ち上げ会と言っても、小生は岡山で飲み屋風の店には入ったことが無く、駅ビルで適当な店、一応ママカリを出してくれるところがあったので、そこに入りました。下津井のタコがおいしかったです。彼らは駅前で岡山電気の路面電車を撮り、夜行の「サンライズ」で帰りました。学生さんはともかく、Aはアラコキなのに体力あるなあ。

2017/08/16

永久保存版

2017年8月16日2017001a


今年も写真展に出品します。場所は同じ四ッ谷のポートレートギャラリーで、期間は9月28日から10月4日までです。小生も9月30日(土)には、会場にいるつもりです。

その公式案内状に、小生の写真が採用されました。セミプロ級の方達もいる顔ぶれですので、こんなことは一生に一度でしょう。この案内状と案内葉書は、永久保存です(笑)。同じデザインのポスターがあるはずで、東京にいたら事前に1枚もらっておくところでした。

この写真展の出品作のうち何点かが「アサヒカメラ」に紹介されますが、それはないだろうなあ。

2017/08/14

EF81とEF64

2017年8月14日

カシオペアが上越線を走るときは、牽引機がEF81に代わってEF64になるか、EF64の補機が付きます。24系「あけぼの」の時代もそうでした。要はEF81では上越線の20パーミルが登れないのです。こういう話をすると、「そりゃあ、EF81は平坦線用だしEF64は勾配線用だから、当然だろ。」という答えが出てくるかもしれません。しかし片や平坦線用、片や勾配線用と言っても、どちらも同じMT52を6個装備、歯数比も同じ3.83。軸重に至ってはEF64の16tに対し、EF81は16.8t、単純に粘着牽引力だけを比較したら、EF81の方が強いのです。

違うところと言ったら、EF64は勾配抑制ブレーキ付き。これは降るときだけで、なくても多少平均速度は落ちても降れます。後はEF81の短絡渡りに対し、EF64は橋洛渡り、これは影響があるようです。抵抗制御の電車や電気機関車は直並列組み合わせ制御を併用していますが、その直並列の切り替えの時のやり方に、大きく分けると2種類あって、その片方が短絡渡り、もう片方が橋洛渡りです。機構の説明は省略しますが、短絡渡りは機構は簡単ですが、切り替え時に衝撃が出ます。採用しているのは平坦線用のEF65やEF81です。京洛渡りは理論的には切り替え時の衝撃が出ませんが、回路は複雑です。採用しているのは、かつての碓氷峠用のEF62,EF63、現役の山男EF64、それの大出力のEF66です。粘着ぎりぎりで坂を登っているときに襲撃が出れば必ず空転するので、渡りの差の影響は大きいと思いますが、旧型電気のEF15やEF16は短絡渡りなのに平気で上越線を登っていました。まだ何かありそうです。

図書館で電気機関車の本を読んでいたら、EF81のところで、「交流区間は脈流運転になるので、整流安定化のために界磁が常時分路されている云々」という記事を見つけました。要はEF81は同じMT52でも、全界磁が100%ではなく98%になるというのです。これはどういうことかというと、界磁を弱めると定格回転数が上がるので、加速段階では等価的に歯数比が小さくなるということなんですね。計算したら、元々の3.83が3.75になりました。これがおそらく山に弱い原因の一つです。

もう一つは想像なのですが、抵抗の値が小さいのではないかと思われます。EF81の常務体験記を見ると、皆さん「直列から直並列に切り替えるときの衝撃がある。」「直列から直並列に切り替えるときに空転しやすい。」とおっしゃっています。ところが、同じ短絡渡りのEF65ではそういう声は聞きません。

EF級機関車の場合、直列最終段階では電動機の端子電圧は250Vです。これを直並列にいきなり切り替えると端子電圧は500Vになるので、直列抵抗を入れて電動機にかかる電圧が250V近くにします。そして順々に抵抗を抜いていくのですが、抵抗が元々小さいと、切り替えた瞬間に衝撃が出ます。これは直並列から並列に切り替えるときも同じですが、直列から直並列に切り替えるときの電圧比が1:2であるのに対し、直並列から並列に切り替えるときは1:1.5であるため、影響が少し少ないものと思われます。

EF81はEF65を交直流にしたものと言われていますが、直流機関車の制御装置に加えてトランスと変換器を強引に詰め込んであるため、かなり無理をした構造になっています。抵抗器は機械室から追い出されて、屋根裏です。やはりスペースの関係で十分な抵抗が積めなかったのではないかと思っています。

EF81が活躍した線区(もう過去形になってきています)は、東北線に奥羽線、さらに北陸線と、かつてはD51が重連や3重連で1000t列車を牽引した区間です。本来投入するならE64の交直流版なのですが、技術の進歩が要求に追いつかなかった例です。その分、乗務員の方達に苦労を強いたことでしょう。

2017/07/12

宇野線の貨物列車

2017年7月12日

現在は瀬戸大橋線とまとめて言われていますが、その元の宇野線は、岡山から別れています。そのため貨物列車は、岡山操車場仕立てでした。山陽本線は1200t、宇野線は1000tですから、どうしても分岐点の岡山で仕立てる必要があったのです。

宇野線が瀬戸大橋線になって貨物列車が四国に直通するようになっても、四国行きの貨物列車は岡山(タ)を経由するのだとばかり思っていました。ところが宇野線は岡山駅を出てすぐ高架で山陽本線の下り線をオーバークロスするので、そのままでは岡山(タ)には入れません。岡山駅では機回しができないので岡山(タ)から田端操のように推進で岡山駅ホームまで入って来るのかと思っていたら、貨物時刻表をよく見たら四国行きの貨物列車は岡山(タ)を経由しません。岡山駅に運転停車し、おそらくそこで乗務員も交代して、四国へ直行するんですね。岡山から高松へコンテナを送ろうと思ったら、一旦姫路へ送って、載せ替えることになります。実際は自動車直行の方が早いので、列車は使わないと思いますが。Img_77821a


旧国鉄時代はどうだったかというと、前に書いたように、必ず岡山操を経由していました。そこで岡山操から岡山駅まで、推進していたのかどうかがずっと気になっていました。ところが今日図書館でかつての岡山操車場の配線図を見つけ、疑問が解けました。岡山操から宇野線への短絡線があったのです。

配線図は1975年頃と書いてありましたが、新幹線が書いてないので、1972年の新幹線岡山開業の前だと思います。それによると、岡山操車場、現在の岡山(タ)から岡山機関区の横を通り、宇野線に西側から合流しています。Googleの航空写真を見ると、現在も線路跡が追えます。

調べてみたら、瀬戸大橋線の開通が1988年、大元駅付近の高架化工事の茶高着工が1996年ですが、短絡線自体は1984年に廃止になっていますね。それまでの1970年代はEF65に加えてEH10やEF66も貨物列車の牽引で宇野線に入線していますから、この短絡線が電化されていて、EF66が走れるような立派な規格の線路であったことは間違いありません。

この時期、岡山操から高松へ行った機関車が、何かの都合で短絡線を通らずにそのまま岡山駅へ戻ったら、機関車の向きが変わってしまいます。そんなことが、あったのだろうか。

2017/06/20

EF6627リベンジ

2017年6月20日
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5月26日に、EF6627の写真を撮ろうとして失敗した話を書きました。そこで次の機会を狙っていたら、「貨物ちゃんねる」で6月11日(日)に岡山(タ)発9:46の5074列車に充当されることがわかりました。そこで日曜日なのに早起きしていったのですが、前日の下り列車が雨の中の走行だったため、その時の後ろ側、すなわち上り列車の前面にパンタグラフからの銅かすがびっちり付いていました。はっきり言って、汚い。この日は日曜日ということもあり10人近くの同業者もいたのですが、皆さん残念でした。

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EF6627はずっと運用に入っていると見え、しばらく待っているとまた岡山にやってきます。やはり同じ5074列車で今度は6月19日(月)です。11日のこともあり、JR貨物の機関車はイベントでもない限り洗車はしないので、あまり期待しないで行きました。ところが、今度は機関車はきれいでした。難を言うと、日差しが強くて影の部分が真っ暗になったことと、月曜日なので空コンテナ車が目立ったことくらいです。空が明るいので、パンタグラフはきれいに抜けました。ちなみに、この鉄橋の上り線の橋脚は山陽鉄道時代のもので、遺産級です。Img_12951a


この日は運休のはずの1086列車が運行され、牽引機は通常EF210のところEF200が当てられていました。このEF200-7、そろそろ運用離脱のようです。ひょっとしたら、最後の勇姿?その代わり、通常は富山のEF510が引く2080列車は、岡山のEF210が引いていました。

2017/06/08

冷蔵コンテナと冷凍コンテナ

2017年6月8日

岡山に来て以前より貨物列車を眺めることが多くなりましたが、ちょっと気になることがあり、いろいろ調べてみました。Dscn0385a


昔の貨物列車にも冷蔵車は付いていたのですが、コンテナになっても、冷蔵コンテナや冷凍コンテナが作られました。冷凍機を積んだ「冷凍」車は貨車時代は試作で終わっており、コンテナになってから本格的に使われ出したと言って良いでしょう。冷蔵コンテナは(昔の冷蔵車も)いわゆる保冷容器で、冷やす機能は何も付いていません。これに鮮魚輸送の時は氷を、その他のものはドライアイスを一緒に入れ、冷やしておくものです。しかしこれでは温度範囲は+ですから、マイナスにしたいときは冷凍機付き(さらに電源用のエンジン付き)の冷凍コンテナを使います。これはエンジン音がするのですぐわかり、石北線にDD51を撮りに行った頃(2012年)も、DD51のエンジン音の後に冷凍コンテナのエンジン音が聞こえてきました。
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後にビッグサイトでJR貨物の関係者の方(実は関係社の方)と話す機会があり、青函トンネル入口での冷凍機のエンジン停止、出口での再起動の話を始めて聞きました。青函トンネル内は火災検知の関係でエンジン使用車は通過できず、気動車もエンジンを停止し、ELに引かれていました。余談ですが北斗星やトワイライトのカニの発電機は、エンジンがむき出しではなく車内にあるので、エンジンを運転していても火災検知は動作しないそうです。このコンテナのエンジンは昔は手動で運転停止を行っていたものが、電波指令で自動化されたそうです。現在はこの電波指令の受信機の付いていない冷凍コンテナには、「青函トンネル通過禁止」と書いてあります。


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ビッグサイトで関係社の方は、コンテナの断熱性をもっとよくすればエンジンが入らなくなる、つまり冷凍コンテナを冷蔵コンテナに置き換える方向で進んでいる、と話されていました。この話を聞いたのは2014年頃ですが、後でわかったことですが、12ftの冷凍コンテナはほとんどヤンマーディーゼル(現、ヤンマー)製で、ヤンマーは2009年に冷凍コンテナの製作とレンタルの中止を発表し、運用中のコンテナのメンテナンス期限が2015年3月だったのです。ヤンマー製の冷凍コンテナは冷凍機とエンジンがコンパクトにできているのですが、その分設計に無理があったと思われ、無理した設計のものはメンテナンスが大変と言うのが世の常。1運用で100時間近くの連続運転を強いられますから、故障も多かったでしょう。ちなみに、ブルートレインの冷房や車内照明の発電機もエンジン駆動ですが、これは最長で26時間です。
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それで現在はどうなっているかというと、断熱性の良い冷蔵コンテナが「スーパーUR」という商標で使われています。ちなみにURはコンテナの型式で、Uは私有コンテナを、Rは冷蔵コンテナを表しています。また、冷凍コンテナはFです。その後の数字は、内容量(m3)です。これはドライアイス冷却で、5℃のものを96時間後でも10℃に保つ能力があります。と言っても12ftの冷凍コンテナも必要とされ、サーもキング社(米国、世界のトップメーカー)製の冷凍機を積んだ冷凍コンテナが出てきています。ただ冷凍機が大きいために内容量は小さくなり、ヤンマー製の15m3に対し12m3です。


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山陽本線を走っている貨物列車の冷凍コンテナは大型の31ftクラスが主体で、これはランテック社のものがほとんどです。コンテナの制限寸法をオーバーする大型コンテナで、俗にハローマークと言われる限界超過マークが付いていて、H(高さ)L(長さ)W(幅)G(重さ)のオーバーしたところが黄色になっています。実はISO海上コンテナのハイキューブ(高さ9ft6in)と言われるコンテナも含め、高さをオーバーしたコンテナはJRの車両限界を超えているのです。ただし絶対高さではなく肩の部分なので、電化区間であればまずひっかかりません。そのため運用範囲も、電化区間だけ(それも東京(タ)-福岡(タ)間など、主要区間だけ)になっているはずです。これは電化区間の車両限界を決めるときに全体の高さを上げずにパンタグラフの部分だけ高くしたことによる弊害で、新幹線の車両限界はその反省と、当時は貨物(コンテナ)輸送を行う予定だったので、車両限界は四角です。そのためMAXなどの2階建ての新幹線が可能になったのです。在来線も同じように車両限界を広げておけば、JR東の2階建てグリーン車も、もうちょっとゆったりしたでしょう。全くの余談でした。

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