2025年2月6日
山本功次氏の小説です。一度読んだのですが、蜂谷あす美氏(小生の後輩でもあります)の書評を読んでまた読みたくなり、再度図書館から借りてきました。
物語は鹿児島発(西鹿児島=現在の鹿児島中央)ではなく、鹿児島発です)の東京行き急行「霧島」の鹿児島から東京まで乗り通す女性二人のまわりでいろんな事件が起き、ミステリー仕立てにもなっているのですが、車両の描写が(鉄道ファン的に)素晴らしいです。
時は昭和36年11月、いわゆる「さんろく、とお」改正の後で、東海道線には151系特急が大増発され、各地にキハ82系ディーゼル特急が走り始めたときです。鹿児島本線では門司港-久留米間が電化され、ED72/73が走り始めました。鳥栖ー熊本間がC59に置き換えられたのも、この改正あたりです。
まず鹿児島での入線シーン、機関車はC6028、鹿児島のカマですね。それから客車の窓の四隅が丸みを帯びている。これは10系軽量客車の特徴で、それまでの急行用スハ43系などは真四角です。10系軽量客車は機関車の牽引能力は同じでも、それまでのスハからナハに取り替えると、それだけで1両(長編成なら2両)増結できるので、列車を限定して集中投入されていました。この「霧島」もその対象列車で、一等車はナロ10、寝台車はナハネ11、食堂車はオシ17と、見事に10系客車で揃っています。下り先頭のマニ60が、なんとも不釣り合いに見えたものでした。逆に熊本発の「阿蘇」や「天草」には10系客車は1両もなく、対照的でした。
この小説での描写も、1等車はリクライニングシート、食堂車は4人がけのテーブルが左右に5つずつ、とナロ10/オシ17それぞれの特徴を表しています。ちなみに、その当時「阿蘇」に連結されていた古いマシ49は、2人/4人です。
熊本で座席車が増結されますが、機関車も交換しています。そして「きっと大きくて強い機関車に代わった」との描写から、熊本でC60からC59に交換したのでしょう。小生が撮影していた昭和39年頃は、鳥栖のC60が牽いていました。熊本から北で数少ないC59以外が牽く列車だったのですが、どこかで変更になったのでしょう。数少ないもう1本は、C61が牽く「はやぶさ」です。
鳥栖でもう1回機関車交換をしますが、描写にはないものの、ED72に代わったはずです。11月なら、暖房使用の時期ですね。そして関門間はEF30、まだできたばかりで、「銀色の真新しい車体」という描写があります。そして瀬野で補機を連結しますが、この時点ではまだ電化は三原までなので、本務機C62、補機D52の時代です。この時代に写真を撮りたかったなあ。おそらく糸崎でC62からEF58に交換、そのまま一路東京を目指します。博多-東京間は堂々の15両編成(機関車を入れると、16両)、急行列車が輝いていた時代でした。
昭和36年といえば戦争が終わって16年経っていますが、16年しか経っていません。成人男性はすべて戦前/戦中の生まれ、何らかの形で戦争の影響を受けた人たちだらけの時代でした。「さんろく、とお」というと華やかな特急ばかりに目が行っていましたが、時代的にはまだ戦争の影を引きずっている頃と、改めて気づきました。
さてこの蜂谷氏の書評、影響されついでに「漱石と鉄道」も借りてきました。図書館の「交通」のコーナーを探して「ない、ない」と思っていたのですが、当たり前の話、分類は「文学」でした(笑)。
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