5回目の第九合唱練習記(5)
2024年9月30日(月)
練習も今日から合同パート練習、場所もシンフォニーホールである。ベースが一緒だと、人数もぐっと増える。椅子がずいぶん前の方にあるな、と思っていたらM先生、「ちょっと前過ぎますね。もうちょっと下げましょう」と、椅子を1列分ずつ後ろに下げる。M先生と近すぎると、かえって見にくいのだ。
発声練習で背骨から息が天井に吹き上がるつもりで声を出すと、実にいい声がする。M先生、いろんな引き出しが多い。小生がもうちょっと(あと20才くらい(^_^;)若かったら、個人レッスンで弟子入りしたいところだが。
初っぱなのFreude!、声が固すぎるとの指摘。ここは喜びなので、表情もにこやかに。そう言えば指揮者が村上先生の時は、実ににこやかに喜びを強調されていた。表情を変えようとすると、音も変わる。このところホリヤンの「ドッペルフーガを一人ずつやらせる」に戦々恐々としていて、声色にまで気を配る余裕がなかったなあ。
「歓喜の歌」のあとのAndante maestoso、ここは男声だけで始まり女声が入って、また男声だけになるのだが、その2回目の男声だけになるところに練習番号の「N」が付いている。ここは譜面は変わっていないが、実質GdurからCdurに転調するところで、音楽的には何かの変換点なのであろう。ここで雰囲気をガラッと変えるように、と指示がある。ここの指摘は、初めてだ。
前々回あたりは小生は声が出ず、Fでも苦労していた。しかし今日は、Fisまでは楽に出る。上半身の筋肉が、変に突っ張っていたか?3年後はベースに転向しようかと思っていたが、そうしなくても良さそうだ。何しろ小生は、下はCから下になると途端に響きが悪くなるから、ベースはベースで大変なのだ。
ドッペルフーガにさらっと入ったところで今日は終了、M先生の指導も、終了である。M先生は今年で第九の「合唱」から引退されるそうで、12月8日の岡山の第九はオンステされないので12月22日の備前の第九が合唱の最終ステージになる。備前の第九への出演依頼も来たが、その前の12月18日に新宿の(東京の新宿)のT医大病院に姉の認知症の検査結果を聞きに行く必要がある。姉も連れて行くことになるので、多分19日に疲労困憊して岡山に帰ってくるはずだ。それから20日のオケ合わせと21日の本番は、まず無理であろう。
ただこの備前の第九、指揮はこの前岡フィルを振ったキンボー・イシイ氏、オケは岡フィルで、ソリストのソプラノはなんと森野美咲さん。テノールの森野啓司氏は美咲さんのお父上で、何とM先生の同級生だそうだ。出演はともかく、聞きに行こうかな。
M先生は合唱への出演は引退されても、合唱の指導は続けられるそうだ。しかし岡山の第九(第九を歌う市民の会)は各パートの指導者はオンステすることが条件らしいので、3年後に第九が復活しても、テノールの指導者はM先生ではなくなる可能性が大である。と言うことは、今日でM先生は最後か。M先生、お世話になりました。
さて小生は、東京行きの準備だ。次回は東京から直行して出席(の予定)である。
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