5回目の第九合唱練習記(2)
2024年9月12日(木)
今日からパート練習が始まる。パート練習になると、テノールとアルトの内声組はルネスホールになる。練習が21時までで、それから移動して食事をするとどうしても胃に負担を感じるようになり、去年から練習前に食事をするようになった。駅前で食事を済ませ、少し早めにルネスホールに着く。受付開始までまだ30分あるので、持参の文庫本を広げようかと思ったときに、シンフォニーホールの顔なじみの係員さんが来る。今日はM先生が体調不良でお休み、ベースと合同練習になるという。急遽シンフォニーホールへ移動する。もちろん、歩きである。
今日の練習場所の変更は、事前に連絡があったらしい。LINEを確認したら、15:22付けで連絡が入っていた。15時過ぎでパソコンは閉めたから、行き違いか。携帯のLINEはまず確認しないが、練習日には見た方が良さそうだ。
パート練習になると途端に参加者が少なくなるものだが、今日はかなり出席率が良い。I先生、細かい注意をしてもホリヤンが全部ひっくり返すことがわかっているせいか、あまり細かい注意はしない。語尾のRをどうするかなど、これはホリヤンではなく秋山先生の指示が早めにほしいところだ。6年前に「Rを巻く」と指示があったところも、そのままスルー。
ホリヤンが、「ドッペルフーガは一人ずつ歌わせる」と言っていた、とI先生が恐ろしいことを言う。各パート一人ずつのカルテットだが、経験上これはかなり歌い込んでいないと、合唱で歌える曲でも歌えない。小生は一人だと歌えるが、他の3パーとが入ってくると、どうなるかわからない。それよりも、喉のスタミナである。Aが出ないのは置いておいて、ドッペルフーガを最初から全力で歌うと、最後まで持たないというか、最後の方ではDも出なくなるのだ。これは走り込みならぬ歌い込みをやらないといけないようだ。
今日は急遽合同になったので、ピアニストは二人付きの豪華版(笑)。顔なじみのTさんは前回いなかったので、今年はホリヤンが変わったという話をする。「自分で4小節前から、と言っていたよ」「えーっ、私は泣く目に遭わされたのに」。6年前の犠牲者は、Tさんだったか。最後までホリヤンに付き合うWさんは6年前の話を聞かされて、戦々恐々かもしれない。
今年の新人さんは、テノールは一人だけである。他のところで第九の経験があり、ファルセットだがAまで出る強力新人である。聞いたところ、受験生は全部で4名、1人だけの合格だったそうだ。ただ落ちた方は皆主旋律を歌っていたようで、これは募集要項の書き方に問題があるようだ。オーディションの「課題」として、「一番有名なあのフレーズを歌っていただきます」と書いてあり、次のページに楽譜が載っているが、4パートの楽譜が載っているものの、パート名が書いてない。それぞれのアルファベットの略称は付いているものの、これは合唱経験者でないとわからないだろう。それでずぶの素人さんが全部落とされてしまったようだ。
練習は21時ちょっと前に終わり、これだと最終の1本前に間に合うかと天満屋バスセンターまで急いで行ったが、最終の1本前(下電バス)が例の運転手不足のあおりで廃止になっており、21:22の岡電の最終バスまで待つことになった。最終バスも少し時刻が早まっており、これを逃すともうないので、ホリヤンの練習が伸びたら、エラいことになる。寒くなって追い込みにかかったら、タクシーを使うか。
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