「光る君へ」の漢籍
2024年9月28日
大河ドラマに「光る君へ」は毎週見ていますが、毎回、特に最近は書かれる文字の美しさに感心しています。ただ実際には、紫式部が書いたとされる源氏物語は残っておらず、現在残っているもので最も古いものでも、藤原定家のものですね。従ってどういう風に書かれたのかははっきりしていないのですが、漢字仮名交じりでは無くひらがなのみだったという説が有力です。
漢字仮名交じり文、現代仮名遣いに変わる前の明治の仮名交じり文体、これを確立させたのが藤原定家と言われています。藤原定家が活躍したのは鎌倉時代初期で、紫式部が活躍したのは平安時代中期で西暦1000年あたりですから、約200年経っています。この間には日本語も変わり、もちろんひらがなと言っても現代のひらがなとは少し違うでしょうが、どういう形で書かれたのかは興味があるところです。
その昔でも、紫式部が書いたものがそのまま天皇の目に触れたのではないかもしれません。立派に装丁された本ですとそれなりの右筆(右筆という職業ができたのは、もっと後でしょうが)みたいな人がいたとも考えられます。紫式部が書いたもの(作者の直筆原稿?)は、意外と雑に扱われていたのかもしれませんね。
源氏物語がひらがなで書かれたとすると、対抗馬の枕草子はどうだったか、ということになります。現在残っている写本の最も古いものを調べてみたら、ここでも藤原定家が一枚噛んでいました。やっぱり枕草子も、定家が漢字仮名交じり文に書き直した可能性が大です。
紫式部(籐式部)が中宮に漢文の読み方を指導する場面がありました。この漢文、あたりまえなのでしょうが、返り点もなにも無い、白文です。そう言えば我々の時代にも、白文を読み下す試験問題がありましたねえ。我々の時代は鉛筆でちょこちょこっと書き込みができましたが、書き込んだら未来永劫残ってしまう毛筆では安易な書き込みなどできず、ドラマでも一切書き込み無しです。昔の方が、大変でしたね。
我々は千年前に書かれた随筆や物語を「古典」として読んでいますが、その時代の人が「古典」として読んでいた漢文もまた「古典」として読んでいます。100年も経つと日本語も変わって古典を読むのがますます大変になるし、風習も変わって解釈も大変になるでしょうが、やっぱり「古典」を読んでいる(読まされている)でしょうね。
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