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2024/07/30

鈴木敏夫とジブリ展

2024年7月30日


20240001a_20240730181601 全国を巡回している「鈴木敏夫とジブリ展」がちょうど岡山に来ているので、見に行ってきました。場所は岡山県立美術館です。

 

鈴木敏夫氏は1948年(昭和23年)の生まれなので、K大時代は小生達と同学年になります。その頃の日吉と三田の写真が並んでいましたが、小生は工学部だったので三田とは縁がなかったものの、日吉の写真は懐かしかったですね。よく見たら、写真提供は大学広報室。

 

鈴木氏は、ヘイリー・ミルズのファンでしたか。小生の高校時代、男子生徒がヘイリー・ミルズ派とシルヴィ・ヴァルタン派に分かれていました。小生は、ヘイリー・ミルズ派でした。

 

小生は「鉄腕アトム」を見て育ったアニメの第1世代なのですが、大学時代以降テレビと縁が切れたため、宇宙戦艦ヤマト、銀河鉄道999,サイボーグ009といった鈴木敏夫氏がアニメージュで扱ったようなアニメは、見ていませんね。次に見始めるのは、ジブリがジブリになってからです。

 

ジブリになってからですが、宮崎駿氏はプロの声優が嫌いなようでよく声優を自分でキャスティングしていますが、画面に不釣り合いな声が時々あります。エヴァンゲリオンの庵野秀明氏も声優に対しては思うところがあるようですね。まあうまい声優さんが本気で演技したら、画面は静止画でもお話がなり立ちますからねえ。アニメーターとしたら、声優さんは「信頼できない味方」といったところでしょうか。

 

プロデューサーという仕事をいろいろ解説してありましたが、小生には無理ですね。いろいろ気配りをするのはできても、それを長時間保つとなると、体力が持ちません。小生は疲れると、注意力散漫になるんです。

 

展示は面白かったですが、ちょっと疲れました。

2024/07/29

関西フィルサマーポップス

2024年7月29日

 

昨日大阪のザ・シンフォニーホールまで行って、関西フィルの「サマーポップス」を聞いてきました。なんとかコロナ後の風邪も、大阪まで行けるくらいに回復しました。


20240000a 岡山も大阪も暑く、すでに岡山駅から左足がつりそうになっています。これは熱中症の初期症状だそうで、冷房の効いた待合室へ逃げ込みます。一時期冷房の温度差によるヒートショックが問題になったことがありましたが、現在は熱中症防止の方に重点が置かれていて、冷房は概ね27℃かそれ以下、外気温が37℃の時は10度の温度差があります。風邪を引きやすいですね。マスクが手放せません。

 

「さくら」は満席、新快速も大阪環状線も、どこへ行っても人が多いです。まあ夏休みですから。ひょこひょこ岡山から大阪に出てきている人間に、言われたくは無いでしょう。

 

関西フィルのサマーポップスは、小生は毎年のように行っていたのですが、コロナで一旦中断、そして2021年に行っています。さすがにこの時は、満席ではありませんでした。そして2022年にもチケットは取ったのですが、大阪にコロナが蔓延し、「高齢者は県境を越えるな」とかなんとかで、結局行かずじまいになりました。そして昨年は見送り、今年は3年ぶりです。

 

オーケストラは「関西フィルポップスオーケストラ」を名乗っていますが、関西フィルの12-10-8-7-6の弦に木管は2管編成、それにホルン、トランペット、トロンボーンが各4本。そこにドラム、エレキギター、エレキベース、ピアノが加わっています。関西フィルの場合、サックスがいないのが音の特徴になっていますね。ジャズのビッグバンド+ストリングスと比べた場合、サックスがいなくて代わりにホルンとダブルリードの楽器がいてさらにティンパニも健在、完全にクラシックオーケストラの音です。小生はこのクラシックオーケストラでポップスやイージーリスニングをやってくれるのが好きで、それでサマーポップスに通っています。

 

会場は満員札止め。見たところ、小生と同世代のお客さんが多いですね。集客力はすごいですが、オーケストラの新しい客層開拓という目的からは、年齢層がちょっと高すぎて、目的を達していないような気がします(笑)。ザ・シンフォニーホールの客席の入口表示は初見にはわかりにくく、右往左往するお客さん続出です。さらに会場の手すりに日傘をかけて係員に注意されるとか、不慣れな方が多いですね。毎年通っている方だけではなく、新規のお客さんも大勢来ているみたいです。これはすごいです。

 

曲目はチラシを見ていただくとして、今年の新しい曲は「ドラゴンクエスト」ですね。アンコールの「ルンバ・キャリオカ」まで楽しめました。前回(3年前)は司会に朝日放送のアナウンサーが付いていましたが、今年は司会は藤岡幸夫さん一人、指揮をしてからのすぐのマイクは、さすがにしんどそうでした。彼は「歳だ」とぼやいていましたが。

 

帰りはミスドでおやつとコーヒーを買ったものの、水のペットボトルも1本追加。新大阪も含んで乗換のホームが暑く、すでにかなりの水を消費しました。やってきた東京からの「ひかり」はN700S、車内は快適26℃でホームとの温度差がものすごかったです。

2024/07/25

なんで今頃熱が出る

2024年7月25日

11日にコロナを発症し、ゾコーバのおかげで熱は3日で下がりました。無事10日間が過ぎ、眼科や耳鼻科など日頃行きつけのところへも解禁、さらに床屋にも行ってきました。ところがどういうわけか、昨日の夜37.5℃の熱が出ました。そして今朝は37.8℃。元々鼻水が多かったのですが、鼻をかんだら黄色い鼻水が大量に。完全に炎症を起こしていますね。ただ熱の割には身体は軽く、肺にまで入っていないようです。これが肺炎を起こすと、熱の割にものすごくしんどく感じるようになります。

ということでいつもの内科に行って、抗生剤を出してもらいました。ペニシリン系のオーグメクチンです。肺炎の時にこの薬は良く効いたのと、小生がペニシリン系が平気だとわかっているせいか、ここの先生はよくペニシリン系を出します。ただこの薬、おなかに来るんですよね。整腸剤のミヤBM錠も出してもらいました。

コロナは、向こう半年くらいはかからないそうです。ただ変な変異株が出ると話が変わりますが。今回は純粋な鼻風邪というか喉風邪。コロナにかかると抵抗力が落ちるそうなので、そのせいで元々鼻に住んでいたウイルスか何かが悪さをしたようです。

2024/07/21

コール・ロータスOB会創立60年記念演奏会

2024年7月21日


600001a 岡山大学男声合唱団コール・ロータスOB会の、創立60年記念演奏会に行ってきました。まず岡山大学に男声合唱団があったというのが、正直驚きです。しかも創立が1961年ですから、結構古いです。グリークラブ(混声)があるのは知っていたのですが、どうやらそのグリーから分かれる形で最初は医学部合唱団として出発し、その後全学部に広げたようです。岡山大学は医学部(歯学部も)の専門課程が鹿田、その他(医学部の教養課程も含む)が津島のキャンパスですから、部活動も大変ですね。もっとも、鹿田キャンパスから津島キャンパスまで、岡山駅でのバス乗り継ぎですが、東京の思いをすれば近いです。

 

本来は2020年に60周年記念演奏会をやるはずだったそうですが、コロナ禍のせいで今年に延期となっています。

 

さてそのコンサートですが、OBステージの方は、賛助の現役学生を入れて80名以上(プログラムの名簿では、89名)、これだけの数が揃った男声合唱を聞くのは、久しぶりです。現役だけのステージになると、16名。う~~ん、どこでもこんなものですねえ。昔も今も「音楽部に入りたい」と思う学生の数(比率)はそう変わらないはずなのですが、昔に比べて楽器をやる人の数が増え、その分だけ歌う人が減っているように思います。我がK大の男声合唱団も、小生達の頃はオンステメンバーで100人を超えていたのですが、今はやっと30人くらいです。その代わり、元々あったオーケストラの他にウインドアンサンブルも出来、他に独立団体のオーケストラも多数あります。その上に、いわゆる軽音楽系のバンドまで。コール・ロータスの現役学生諸君、頑張ってください。

 

ステージは、第1ステージは男声合唱とピアノのための「五つのモノローグ」(作詞:谷川俊太郎、作曲:信長貴富)。創立50周年の時の記念委嘱作品だそうで、今回は再演です。

 

第2ステージは現役学生による「ロータス愛唱曲集アラカルト」こういう愛唱曲集は、新入部員が真っ先に歌わされ、結局はいつまでも歌い続けられるものです。「いざ起て戦人よ」は小生も歌いました。編曲も全く同じで、こういう愛唱曲は大学が違っても一緒に歌うことができます。最後は多田武彦作曲に組曲「雨」より雨。この曲は明治グリーの委嘱作品で、初演は1967年。東京文化会館でこの初演を聞きました。この曲が愛唱曲に入っているとは、感慨深かったです。

 

第3ステージは再びOB(+賛助の現役)で、多田武彦男声合唱曲集より。合唱曲集よりとなっていますが、いろんな組曲からの抜粋で、この全部が載っている曲集だったら、ものすごく厚い全集になりそうです。「柳川」(作詞:北原白秋)から始まり、最後は富士山(作詞:草野心平)から作品第肆(だいし)と作品第貳拾壹。第四(字は略)は「少女達は、ウマゴヤシの花を」の歌詞、第二十一は「宇宙線富士」で、どちらも歌いました。しかも多田武彦氏から直に指導も受けています。聞いていて、昔を思い出し、泣きそうになりました。指揮をした学生指揮者(当時4年生)も、隣で歌っていた先輩も、また同級生も、みんな鬼籍です。もう演奏の善し悪しより、思い出の方が先に来ますね。

 

コール・ロータスOB会、なかなかやりますね。

2024/07/19

Windowsがらみのシステムトラブル

2024年7月19日

今日お昼にMACに行ったら入口に係員が立っていて、「現金しか使えませんが、よろしいですか?」とのこと。OKと言って入ったら、平日のまだお昼前にもかかわらず、レジが長蛇の列です。2つ開いていますが、流れがすごく悪いです。よく見たらレジの機械は使わず、手書き伝票です。合計金額も、電卓計算。システムトラブルか何かで、レジ関係が動かなくなったみたいです。

どうやらそのあおりで、ドライブスルーも、モバイルオーダーも、全部ダメになったみたいです。小生は店頭注文店内飲食ですから、レシートは出てきませんでしたが(レジが動きませんから)、それ以降はいつもと変わらず、待ち時間もいつもと同じくらいでした。

MACは、おそらくですが、注文から逆算してフライドポテトの追加指示とか、野菜の補充指示なども自動的に出ていたはずです。そこは昔取った杵柄で動かしていたんでしょうが、ちゃんと動いていましたね。なお座席は、いつもより空いていました。

そこで夜のニュースを見たら、Windowsがらみで全国的な、いや世界的なシステムトラブルです。こりゃあ小生は、世界的なシステムトラブルの一端に巻き込まれたのかな。レシートが出なかったくらいですが。

その昔の2000年頃、機械の制御システムにWindowsを使おうかという動きがあり、小生は「あんな不安定なシステムを使ったら、生産が止まる」と一蹴したことがありました。報告書も、仮に信頼性が上がっても外部からの干渉の危険があるので、切り離してSTAND ALONEで動けるようにしておくべし、とまとめました。それから20年ほどの間にあらゆるものがシステム化され、事故時の列車の折り返し運転さえ、システムのプログラム変更をしないとできないような時代になってきています。

今回のトラブルで、世界ではどのくらいが手書き伝票で動いたのでしょうか。日本は割と手書き伝票で積極的に動かす方ですが、海外ではその後始末の面倒さを考えてか、全部止めてしまうところが多いみたいですね。

2024/07/18

大河と朝ドラ

2024年7月18日

今年の大河ドラマは平安時代の、ちょうど真ん中あたりが舞台です。そして朝ドラは昭和も戦後に入って、昭和の真ん中のちょっと手前あたりですね。この二つの時代間は、約950年ほど離れています。ほぼ1000年離れているのに、やっていることがちっとも変わらないんですね。

両方とも、地方に赴任します。大河の方は親が越前国司になったのでそれについて、朝ドラの方は主人公自体が地裁の支所長に(現在では、支部)。どちらも散々接待されて、「中央から来たお役人様は、黙って任期を全うし、中央にお帰りください」というわけです。地方のことは地方に任せろ。中央から来て短期間しかいないやつは、口出しせずに黙っていろ。確かに地裁支部の裁判官の任期を見ると、1年から1年半。すぐに帰ると言いたくなるのもわかります。

これって、令和の現在はないんでしょうか?朝ドラの時代からの70年で地方はすっかり活力をなくしましたから、未だに「地方のことは地方に任せて、口出しするな」と言えるところがあったら、逆にすごいです。

地方のことは地方に任せても良いのですが、そうすると大抵はボス支配になります。パワハラセクハラは握りつぶされ、賄賂裏金横行。行政改革などもってのほか。小生はそういう風潮がいやで田舎を飛び出してきた人間ですが、同じように感じる方は大勢いたみたいですね。地方の人口がどんどん減っています。

朝ドラの方は、これから大暴れするでしょう。モデルとなった三淵嘉子氏をたどるのならこれから再婚も有りですが、どうなることやら。

2024/07/16

心臓の薬だけもらってきました

2024年7月16日

心臓の検診のつもりで、内科に行ってきました。ただくすりの残量の関係で今日にしたのですが、今日までが昔でいうところの「外出自粛期間」なんですね。従ってクリニックでの扱いも、隔離待合室ー隔離診察室です。

一応1ヶ月分の血圧、脈拍のデータを出しなしたが、隔離診察室は狭く、いつものような触診まではできません。喉を診てもらって、赤いところが少し残っている、という診察はもらいましたが、心臓まわりの詳しい診察は来月ですね。おかげで、診察料がいつもより安かったです。

薬局も、コロナと同じ隔離窓口で。コロナ関係の薬はもう出ず(喉の痛み関係も)、心臓のいつもの薬だけが、今度はお盆に引っかかるために少し長めに35日分出ました。

次の段階は発症後10日(2週間と思っていました)で、今度の耳鼻科は10日過ぎになりますが、一応電話で聞いてから行きます。

2024/07/15

コロナその後

2024年7月15日

熱は、昨日下がりました。今日は朝からずっと36℃台です。喉の痛みもずいぶん楽になりましたが、声はひどいガラガラ声です。

以前だと発症から5日間、今回の場合は16日(火)までが療養期間で、いわゆる外出自粛期間になります。司会コロナが5類になったので個人の判断になり、熱が下がって24時間以上経ったので、コンビニに買い物に行ってきました。おにぎりの割引券を出したら、「これ、使えません」。あれ?と思ってよく見たら、16日からでした。よくあるドジ、ブレインフォッグではなさそうです。

どうやらかみさんにも感染したようです。カミさんはワクチン懐疑派で、1回も受けていません。しばらく様子見です。

2024/07/13

コロナでした

2024年7月13日

11日(木)に喉が痛く、午後熱を測ったら37.5℃あったので、医者に行ってきました。コロナ最盛期は、風邪症状と一般とは診察時間が違っていたのですが、5類になって診察時間は一緒になりました。ただ待合室は別室で、駐車場に急遽作った小屋です。掘っ立て小屋かと思っていたら、ちゃんとエアコンが付いていました。診察室も、隔離室で別です。先生はただの風邪の扱いで「検査、します?」という態度だったのですが、ちょっと気になってPCR検査をやってもらいました。なんと、見事陽性!

ゾコーバという薬ももらい、喉の痛みを抑える漢方薬をもらって、その日は帰ったのですが、その晩の38.5℃まで熱が上がり、昨日また行って解熱剤をもらってきました。今熱が上がったり下がったりの状態でしたが、今日の夕方、やっと解熱剤無しで36.6℃下がりました。ただ今夜はまた上がるでしょうね。

発症から逆算すると、感染したのは8日の月曜日。GOOGLE MAPにだまされて炎天下で迷子になった日です。その時体力がなくなっていたので、どこかでもらったのでしょう。

今は昔ほど厳重な隔離はせずに、食事はダイニングで、ただしカミさんと一緒ではなく時間差で取っています。家庭用洗剤でコロナウイルスは死ぬことがわかったので、食器は普通に洗っています。昔買ってずーっと放りっぱなしだった非アルコール性の消毒薬が、やっと出番が来ました。便座などはこれで拭いています。

発症して3日経ちましたが、今のところカミさんは発症していません。持ちこたえてくれるかなあ。

2024/07/12

本物だった

2024年7月12日

SPAMメールというか詐欺メールというか、相変わらず大量に不要なメールが来ます。最近増えたのはヤマト運輸を名乗るところからで、「荷物の受け取り場所、日時を指定してください」というものです。やったことはありませんが、こういうものに入力すると、個人情報をごっそり抜かれます。

自分で注文する宅配は申し込むときに日時を指定しますから(できないものがあるのが困る)問題はないのですが、向こうから送ってくるものが大抵ヤマト運輸で、これは来そうなときには注意していなければなりません。

10日にも「荷物の受け取り場所、日時を指定してください」メールが来ました。これはひょっとすると、と開けたら、本物でした。本物は「南海 凡吉様」としっかり宛先と送り主を書いてきますが、詐欺メールはメールアドレスだけで宛先を書いてきません。ただメールの見出しだけ見ても、全く区別が付かないんですね。開けて初めて本物か詐欺かがわかります。今回は写真展の出品作の返送でした。出品するときはデータで、それがパネルになって戻ってきますから、だんだん置き場が大変になってきます。

小生の場合、先方から送ってくるのはこの写真展と、キリンビールの株主優待品くらいですから、もう年内はないですね。これでヤマト運輸からメールが来て見、見ないでゴミ箱です。

2024/07/11

響けユーフォニアム3

2024年7月11日

先月までNHKで放映されていたアニメの「響けユーフォニアム3」を、録画ですが欠かさず見ていました。この原作を読んだのはずいぶん前ですが、途中から「あれ、記憶と違うぞ」となってきて、最終オーディションのシーンになると、大幅にストーリーが(シナリオが)書き換えられていることに気がつきました。

そこでもう一度図書館から原作を借りてきて全部読み、どこがどう変わっているかを確認しました。この改変については一部では大騒ぎで、一時は誤報も飛び交っていたようです。ただ原作の武田綾乃氏も了承しての改変、アニメは別の物語として楽しんでくださいとのことなので、そこは了解しました。ただアニメ版のストーリーは、小生の考えでは完全に×です。

3年になって吹奏楽の強豪校から転校してきた黒江真由(以下、真由)と主人公の黄前久美子(以下、久美子)とのユーフォニアムのソリスト争いが一つのテーマになっているのですが、原作のソリストは、京都府大会ー久美子、関西大会ー真由、全国大会ー久美子、で親友の高坂麗奈(以下、麗奈)と2人でソリを務め、全国大会金賞で3年間の物語が大団円になります。

一方アニメでは、京都府大会ー久美子、関西大会ー真由、までは同じですが、全国大会前の最終オーディションで2人で最終決戦をすることになり、コンクールメンバー55人の投票で、それも同数になって最後に麗奈の1票で真由になります。これはいけません。真由が選ばれたことではなく、選び方に問題があるのです。

コンクールメンバーにしろソリストにしろ、北宇治高校ではすべて滝先生が選び、「苦情は受け付けません」という態度を通してきました。結果については自分が全責任を負う、という態度です。最後に決選投票にして生徒に選ばせたのは、責任放棄です。音楽での実力伯仲なら最後は好みの問題なので、どちらかに決めて結果は自分が全責任を取る、という態度を貫けば良いのです。

生徒間投票でコンクールメンバーを選ぶ学校も、確かに存在します。ただそこは最初から「こうやって選ぶ」と決めているので、問題ありません。問題なのは、途中までは自分で決めておきながら最後の最後で決断を放棄して生徒に丸投げしたことです。

たまたま全国金賞が取れたから良いですが、もし取れなかったら、ユーフォニアムのソロは問題なくても、もし久美子がソロを吹いていたら取れていたかもしれない、取れなかったのは真由に手を上げた自分のせいだ、と余計な傷を負わせてしまいます。まして最後に、久美子が吹いているのがわかってながら反対の真由を選んだ麗奈には、自分の音楽に対する自信を根底から覆すような傷が残ります。教師は生徒に、こういう傷を負わせてはいけないのです。自殺者が出るかもしれない傷です。まあドラマを盛り上げるためでしょうが、一番やってはいけないことをやっています。

最終回は「神回」とか評判になっていますが、アニメの出来としてはあまりよくないですね。あくまでも「京アニとしては」ですが。楽器と唇の位置が不自然だし、指があまり動いておらず、画面を揺らすことでごまかしています。最終回で、時間が足りなかったのかなあ。エピローグでの演奏シーンは音楽と指がぴったり合っていて、これぞ京アニ、という感じです。おそらくここは過去の映像の再使用(使い回しともいう)でしょうが、悪いことではありません。

これが劇場版になったら、ストーリーはどっちを取るのでしょう。見には行きます。小生はDVDもそろえていますが、テレビ版と同じストーリーだったらDVDは買いません。

2024/07/10

キマロキが見たい(7)

2024年6月13日(木)

 

天気、曇。この旅行で初めて電波時計が受信した。北海道の両端(釧路と稚内)は電波時計の圏外であるが、札幌も電波が弱く、よほど条件のよいところでないと受信しなかったようだ。函館(北斗市)ではしっかり受信、北海道の広さを感じる。


Img_90181a ホテルを出て、昨日のコンビニで今日の昼食を仕入れておく。新幹線の駅の売店が当てにならないのも困ったものだが、札幌まで開業すれば単なる途中駅になってしまうのだろうか。青函トンネルの対応駅として、トンネル内のトラブルを考慮し、2面2線ではなく2面4線の線路がほしいところだが、どう使うかは全く考えない整備新幹線、ひたすら建設だけなので、東海道新幹線建設当初の古いの建設規定で造った線路をそのまま押しつけられるJRもかなり迷惑だろう。狭い複線間隔と、断面の小さなトンネルが高速化の足を引っ張っている。建主改従の歴史が、こんなところで繰り返されている。


Img_90201a 在来線ホームに出て、様子を見てみる。函館ー新函館北斗間は17.9km、東京-川崎間とほぼ同じである。在来線の気動車の他、電化されて電車の「はこだてライナー」が25分で結んでいる。しかし新幹線からロングシートの733系に乗り換え、25分走って函館に着いたとしても、「北海道に来た!」という感動はないだろうなあ。

 

昨日は気がつかずに今日初めて気がついたが、乗車目標が数字ではなく、アルファベットである。それもMならMelonとなっていた。AとBは見なかったが、まさか「アルファー」「ブラボー」ではあるまい(笑)。

 

Img_90391a 特急「北斗」は上下線がほぼ同時に入る。特急の走る区間としては今までの複線が単線化されたため、ここで行き違いを行うようダイヤが組まれているようだ。これは新幹線接続ダイヤを組もうとすると、障害になる。新函館の駅はもうちょい函館寄りにできなかったものか。そう言えば新青森の位置ももうちょい青森よりしてほしいところで、北海道新幹線の経路は札幌直行、青森と函館はガン無視である。

 

新幹線ホームに戻って「はやぶさ」に乗車。E5系である。グランクラスを張り込もうかと思ったがあまりに高く、グリーン車にした。座席はレッグレストはあるが、フットレストはない。このフットレストはシートピッチが狭いとかえって邪魔になるのだが、小生の体格だと、N700系グリーン車のフットレストはちょうど良い。先は長いので、靴を持参のスリッパに履き替える。なおN700系だとフットレストにそのまま足が置けるので、スリッパは使わない。


Img_90421a 発車。320km/h出せる車両の250km/hだから、静かで揺れない。窓を確認したら、N700系はいつの間にか1枚ものに変わってしまったが、しっかり2重窓である。北海道内では、北海道新聞のニュースが出る。かつてどの新幹線にもあった頃、出張の時は天気予報が重宝していた。3軌区間になり、やがて青函トンネルへ。電光掲示板に表示が1回出るだけだ。かつての789系「スーパー白鳥」では電光掲示板に大まかな現在位置がイラストで出て、面白かった。

 

新青森で乗務員交代、車内販売も乗車する。ただし弁当はなく、ドリンク類だけである。「はやぶさ」のグリーン車はドリンク類が座席で注文できるわけではなく、おしぼりのサービスもなく、「のぞみ」のグリーン車と比較すると待遇がずいぶん落ちる。その分グランクラスの待遇をよくしているのだろうが、グランクラスは先頭車だから実質2/3両、「のぞみ」が3両で実施しているのに比べると、ごく少数だけ待遇をよくしていることになる。


Img_90431a スマホで音楽を聞こうと思ったが、騒音が大きすぎて音楽どころではない。車両のせいではなく、トンネルばかりなのだ。なお小生はずっとアンドロイドウォークマンだったが、ついに起動しなくなり、スマホに切り替えた。「さくら」で熊本から音楽を聞こうと思ったがやはりトンネルばかりで、聞けなかった。つまるところ音楽を聞けるのは、東海道新幹線と山陽新幹線の岡山まで、ということだ。「はやぶさ」で300km/h走行になると、室内音もちょっと大きくなる。宇都宮から減速するので聞けるはずだが、東京が近くなって音楽を聞く雰囲気ではなくなってくる。

 

東京到着。余裕時間を作ったので構内をうろちょろでき、ビールと弁当を買いに行ける。ビールは銘柄を指定しないなら弁当と一緒に買えるが、お気に入りの銘柄を買おうとすると、やはりコンビニだ。淡麗生グリーンラベル。

 

東京駅で「のぞみ」に乗り込むと、それだけでもう帰った気分になるから不思議である。学生時代は、熊本行きの「みずほ」の20系寝台車に乗ると、もう帰った気分だった。
Img_90451a 3時間半後に無事岡山到着。おそらく最後になるであろう北海道旅行が終わった。

 

(完)

2024/07/09

キマロキが見たい(6)

2024年6月12日(水)(つづき)

 

ここからは、と言うより、小樽からはひたすら帰るだけである。乗車券も小樽発岡山行き。「北斗」は20分前には入線し、15分前から乗車可能だ。車両はキハ261系1000番台、振り子を止めてスピードダウンに徹した設計になっている。かつては一番速い列車は函館-札幌間で3時間を切っていたのに、現在は一番遅い列車はやっと4時間を切るくらいだ。札幌-函館間はこの列車で3時間45分、一方飛行機だと千歳空港経由でも2時間半で着くので、競争力はないと踏んだか。実際に、話は前後するのだが、札幌ー函館(新函館北斗も含む)を乗り通す人は意外と少なく、登別や室蘭での乗り降りが多い。函館連絡は新幹線ができるまで、競争放棄なのであろう。そして函館行きより室蘭や登別行きが多い状態では、新幹線ができても特急はなくならない。札幌駅は、どうするつもりだ?
Img_90081a_20240709175101 キハ261系はスピードダウンといっても最高速度は130km/hが120km/hになっただけなので、直線区間は結構速い。これがカーブになると20km/h以上の差が付くので、函館までだと1時間近く遅くなる。

 

苫小牧で太平洋側に出る。小樽を出発したときに見えていた海は日本海だったので、日本列島を北海道部分で横断した形だ。札幌からまっすぐ千歳線で南下すると室蘭だと思っていたが、室蘭はもっと西になる。

 

東室蘭からは一旦進路を北に、内浦湾をぐるっと一周することになる。この距離がバカにならない。長万部から札幌までを直線で結ぶと、間に羊蹄山と札幌岳がある。それを避けて少し北に回ったのが小樽まわりで、思い切り山岳地帯を避けて海岸線を行くのが室蘭まわりである。室蘭まわりの方が平坦地で速度は出せ、貨物も単機で1000tが牽けるが、距離は長い。そのため北海道新幹線は、函館本線の経路通りの小樽まわりになった。なお室蘭まわりの運行を強く要求したのは、進駐軍らしい。


Img_90141a 沿線には、北海道らしい風景が広がる。北海道らしいといえば北海道の屋根の特徴は、1)屋根材が金属、2)雨樋がない、3)片流れが多い、というところだろうか。腰折れ屋根は元々牛舎なので、倉庫だろう。北海道では雨樋を付けても雪で壊れてしますそうだが、雪が多くそれなりに寒くなる山形でも、雨樋はちゃんと付いている。何かも一つの要因があるのだろう。ただ元々北海道は雨は少なかったのが、温暖化の影響か、ここへ来て豪雨が降るようになった。そのうち北海道でも、耐雪雨樋というのが付くようになるかもしれない。

 

新函館北斗に到着。新函館を名乗っているが、函館市ではなく北斗市である。構内の配線は、右側通行。藤代線の関係かと思ったが、藤代線はかなり前に分岐し、ここは仁山まわりの旧線の線上である。従って勾配の関係で現在は上り線専用なのだが、特急は藤代線からこちらに引っ越した。函館に向かって右側ホームからは新幹線に平面降り替えができるため、遅れの出やすい在来線の乗客を素早く新幹線に送り込むためのようだ。

 

改札を出てしまったが、新函館北斗駅の売店は、改札内にしかない。札幌で夕食用の弁当を買って来ようと思ったのだが、4時間近くかかるので、見送ったのだ。地図で見たらこのあたりにはコンビニはなく、駅売店を頼るしかない。そこで入場券を買ってもう一度改札内に入るが、売店では弁当は売り切れ。18時を過ぎているから、こうなるか。なお在来線の「北斗」には当然車内販売は無く、新幹線の「はやぶさ」の車内販売は新青森からで、しかも売っているのはドリンクだけ。札幌から新幹線まで乗り通そうと思うと、そうというしっかり計画を立てて食糧を確保しなければならなくなった。なお昔よく在来線の特急の乗り通し、新大阪から熊本までとか、急行の岡山-熊本間の乗り通しを行ったが、その時代は急行でもビュッフェはあったし車内販売もあった。


Img_90151a さてどうしたものか、場合によっては夕食を食べに函館まで出るかと思ってホテルの方に足を向けたら、コンビニらしい店を見つけた。外に立て看は出ていないし、ドアもきっちり閉まっているが、やっているようだ。寒風対策か自動ドアなど付いておらず、防寒用の2重のドアを開けて中に入ると、きちんと営業中。海苔巻き、ポテトサラダ、カップの味噌汁、ついでにビールで、夕食ができあがった。なおこのコンビニは20時閉店なので、もう1本遅いと危なかった。

 

新函館北斗泊。
(つづく)

2024/07/08

GOOGLE MAPにだまされた

2024年7月8日

今日東京から帰ってきました。
今日は朝から東京で介護事業所に行ったのですが、そこで、介護事業所ではなく行く途中で、ひどい目に遭いました。まず住所から場所を調べて地図を印刷して一応持っていったのですが、現地ではGOOGLE MAPを頼りに行きました。東中野5丁目○○-××とピンポイントで指定されています。ところが、目的地に着いても、それらしきところはありません。しかも目的の住所は東中野5丁目なのに、周りを見渡しても東中野3丁目。広域の地図で見たら、東中野5丁目は駅の反対側の出口のようです。駅に戻ろうとしましたが、この暑さ。気分が悪くなりかけたところで電話がかかってきました。時計を見たら、約束の時刻を大分過ぎています。

仕方なしに、かなり待ちましたがタクシーを捕まえ、住所を指定して行ってもらいました。タクシーの冷房で生き返りました。

仕事を済ませて昼食時に、実験してみました。ピンポイントの住所東中野5丁目○○-××は先にパソコンで調べています。その時の入力は、全角です。今日スマホで見たときは、その住所は「検索済み」扱いで、やはり全角でした。5丁目の数字は「東中野5丁目」で一つの単位なので、これはスマホでも全角です。後の○○ー××を半角で入れてみたら、正しく東中野5丁目の住所にマークが付きました。

パソコンの方はもっと大変で、半角で入れても勝手に全角に修正します。一つ少ない数字を入れ、マークが東中野3丁目から5丁目に移動した後、正しい住所を半角で入れたら、やっと正しいところにマークが付きました。住所の何号が2つ少ない場所はマンションで、そこは全角で入力しても正しく出てきますので、誰か間違った場所をマークして、登録していたようです。

暑い中ひどい目にに遭いました。午後は何もする気が起こらず、予定より2時間早い新幹線で帰りました。

2024/07/07

倉敷院展、補足

2024年7月7日


Dscn4156a 写真展は今年から懇親会が復活したため、いろんな方とお話しすることができました。そこで院展の写真を見てもらったところ、西武型の電車が並んでいる車庫の風景は、近江鉄道だろうとのことでした。実は近江鉄道は、小田野先生の画題(のモデル)として結構使われています。

 

もう一つはドイツの99型、ネットで検索したときはハイナンバーばかりだったのですが、200番代の写真が展示されていました。ただ後ろ姿なので、4気筒かどうかはわかりません。院展のは99 253、写真展のは99 234。同じグループのようです。

しかし金曜日に上京して、良かったです。土曜日は東海道新幹線が停電で止まり、蒸し風呂の中で3時間閉じ込められたそうです。

2024/07/05

東京に来ています

2024年7月5日


Dscn4155a 写真展のため、東京に来ています。会場は池袋ですが、池袋駅の発車メロディーがビッ○カメラの歌に変わっていることに気がつきました。タイアップ?

 

今年は写真枚数が一段と増えたようです。小生のモノクロ写真が、自分が思っていたより良い出来に仕上がっています。幹事のKさん、ありがとうございます。
Dscn4153a

2024/07/04

倉敷院展

2024年7月4日


24070401a 倉敷の院展に行ってきました。東京では「春の院展」なのですが、倉敷に来たときには夏になっています。同じ院展ですが、絵は「秋の院展」寄り小ぶりです。「秋の院展」が大作揃いと言った方が良いかもしれません。


24070403a

目当ては小田野先生の「次の駅へ」。今回の作品から、また「小田野グリーン」に戻っていますね。小湊鉄道です。この緑の色を出すためには、下地の処理が大変らしいです。


24070404a 院展は毎回鉄ネタが2,3ありますが、今回もありました。まず同人の清水由朗氏の「天座の使者」。心象風景ということですからモデルの機関車はデフォルメしてあると思いますが、ドイツ国鉄の99型タンク機関車、ナローゲージなのに4気筒で、4気筒の様子は絵からもわかります。もう一つは秦誠氏の「白雨」。伊豆箱根鉄道だと思うのですが、雨の中の車両基地の風景です。小田野先生の「雪の朝」と同じような構図ですが、微妙に違っていますね。


24070402a

今回印象に残ったのは、井出康人先生の「不二」。雪の白が輝くようです。これも何かの工夫がされているんでしょうね。

倉敷では、7月7日までです。

2024/07/03

キマロキが見たい(5)

2024年6月12日(水)

 

天気、晴。今日も暑いらしい。ここの朝食には海鮮茶漬けというものがあり、狙っていたが、昨日からおなかの調子が今ひとつなので止めて通常のパン主体にしておく。ベーコンもパス。
Img_89631aDscf2308a

ホテルはチェックアウトしたので、荷物を札幌駅のコインロッカーに入れる。小樽からまた戻ってくるので、荷物は札幌に置いたままにできる。コインロッカーをよく見たら、400円サイズが少し横に広い。昔のテレビと地デジのテレビの差のようだ。おかげでキャリーバッグが400円のロッカーに入る。これは助かる。

 

小樽までは快速エアポート、札幌から先は空くので、普通車で座れる。ロングシートだが、35分である。


Img_89651a 小樽からのバスは、しばらく待って水族館行きに乗る。手宮でなんとなここのあたりだという気はしたのだが、バス停の路線表示に総合博物館というのがあったので、そのまま乗る。ところがどんどん知らないところに入っていく。これは絶対違うと思った頃、終点の水族館前に付いた。終点で運転手さんに聞いたところ、総合博物館前を通る線と通らない線があるという。そう言えばそういう注意書きを見たような記憶があるが、すっかり失念していた。折り返しそのまま乗り、手宮で降ろしてもらう。料金は、片道だけで良いという。手宮で詳しい道順も教えてくれた。


Img_89681a_20240703174801 総合博物館の手宮口は、言わば裏口である。しかし屋外展示の車両には、こちらの方が近い。前回ここを訪れたのは2009年6月であるが、その時に比べて「荒れた」という印象が強い。展示車両はその時と変わっていないが、その時のまま15年分古びている。現役の鉄道車両は定期的に洗車清掃がされ、また間隔は長いが定期的に工場に入場し、再塗装される。この時は塗り重ねではなく、古い塗装は剥離し、腐食やひびがあれば補修し、パテで整形して再塗装される。鉄道車両の保存は、それこそ毎日のように清掃して手入れするか(九州鉄道記念館がそうらしい)、定期的に大修理をするか、あるいはその両方かなのだが、残念ながらどちらもなされていないようだ。いくらかは補修されているようだが、追いついていない。これでは遅かれ早かれ、スクラップになる。C5550は煙突が腐食して落下していたが、修理はなされるのだろうか。


Img_89891a 前回の訪問時にはED75501もED76509も健在だったが、どちらも絶縁油にPCBをつかっているとのことで、内部機器を取り出すことになった。しかしED76は取り出すのが大変で解体、前面だけ保存、ED75は外側だけなんとか形にして残すということだったが、ED75らしき半解体の車両がブルーシートに覆われていた。アスベストもそうだが、保存車両は現代の規制に合わせなければいけないので、大変だ。特にPCBはやっかいである。交流機や交直流機は全滅するかもしれない。なお九州のED72は乾式なので、PCBを使っていない。

 

小樽総合博物館の白眉は、SL修理用の治工具類だと思っている。蒸気機関車資料館という別棟に保管されている。まだまだSLの復元もあり得るので、残しておいてほしいものだ。
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昨日マックレー車の圧縮空気源はブレーキ管を使っていると書いたが、ここに保存してあるラッセル車を見たら、元ダメ管を装備している。SLだけとしか組まなかったキマロキと違って、ラッセル車はELやDLとも組んだ。おそらく後押しがDE10になったあたりで元ダメ管を装備したものだろう。ジョルダン車キ700の750番台は近代化改造で、台車が新しい。またディーゼルエンジンを積んでおり、動作翼も油圧だ。

 

貨車の展示も、トラ55000(通称ストラ)や北海道線用のセキ、さらには穀物ホッパー車のホキ2200など、珍しい貨車ではなく、なじみのあった貨車が保存してあるのはありがたい。願わくばワラ1やワム90000といったどこにでもいた貨車をどこか保存してくれないものだろうか。しかしワラ1やワム90000、現存車がいるのだろうか。


Img_89981a ここのスターは静号で、ちゃんと屋内展示である。C55にも屋根がほしかったなあ。それにこの屋外展示は、草取りをしてほしい。足回りが見えないだけではなく、これでは傷みも早くなる。除草剤が使えなくなって線路も草ぼうぼうのところが増えたが、まさかそれをまねているわけでもあるまい。


Img_89851a 帰りもやはり手宮から乗り、小樽駅まで戻る。そうしたら、計画の1本前の快速エアポートに乗れた。そう言えば今日はまだ昼食を採っていなかったので、札幌で駅ビル、というより駅タワーに上がる。軽い物をと思ってパンケーキの店に入ってメニューを見たら、どれもデコレーションケーキのような豪華さだ。一番シンプルなものと紅茶を頼む。まだ昨日のスープカレーのたたりが続いている(笑)。


Img_90001a_20240703174801 (つづく)

2024/07/02

キマロキが見たい(4)

2024年6月11日(火)(つづき)


Img_88431a_20240702164401 名寄は鉄道の街であった。名寄と聞いて力士の名寄岩を連想するのは、相当に古い世代である。名寄は塩狩峠越えを北から支え、また名寄本線を分岐し、機関区もあった。なおこのあたりはD51の入線可能区間で、D51は音威子府まで運用していたようだ。そしてまた、名寄は稲作の北限地と言われている。

 

今日はかなり気温が高い日のようで、セーターもリュックに入れてきたが、そこまでの必要はなさそうだ。長袖シャツにブルゾンで、ちょうど良い。しかし札幌よりかなり気温が低いのは確かである。


Img_88451a 通称キマロキの丘、正式には名寄市北国博物館の保存車は、旧名寄本線の線路上にある。名寄を出てしばらくは平行し、そこから名寄本線が高度を上げていくところなので、全体が見渡せるポイントがあれば、宗谷本線の列車とキマロキを入れて写真が撮れるはずである。そう思ってきょろきょろしながら歩いたが、最適な場所はない。何はともあれ、まずキマロキである。丘の上に青空をバックに、良いロケーションだ。青葉が黄緑色なのも、いかにも北海道である。

 

各車両を見ていく。この際SLはパスである。北海道の、このデフを切り詰めた姿は形態的に好きではないのだが、吹雪の中着ぶくれた作業員に安全に作業を行わせるための手段の一つだったのだろう。まずロータリーのキ600、ロータリー車というのは、子供の絵本でのヒーローだった。小生が絵本で見て憧れていたのは、こだま型のモハ20系(まだ151系ではなかった)、湘南電車(80系)の16両編成、それにこのロータリー車である。キ600は小樽の総合博物館にもあるが、小樽のものはテンダーがなく、最後尾は焚き口がむき出しである。旧型(D50以前)のSLと同じで、機関室はテンダー前面が後の壁になっており、座席などもテンダーに造られている。テンダーを切り離すと、様子がわからないのだ。機関室に上がってみる。C11などの小型SLと同じような感じだ。


Img_88441a 前の運転室にも上がってみる。加減弁と逆転機が後ろ向きに付いている。釜焚きの機関助手との連絡は、伝声管である。SLのように隣り合っていないので少しやりにくいだろうが、他の除雪車と違ってロータリー車は機関区の乗務員が乗り込んでいる。高圧ボイラーは、資格を持っていないと扱えないのだ。なおこのキ600型は戦前の製造で、加減弁などもC11やD50と同じ造りである。戦後に製造されたのはキ620型で、これはC58と同じ機関室は密閉型、そして船底テンダーを持っている。調べたら、西会津のお寺に1両だけ保存されているようだ。行けるかな?


Img_88581a 外に回ってみる。ロータリー車は前が3軸、後が2軸の台車で、そこに2軸ボギーのテンダーが付く。よく見たら、前の3軸台車にはブレーキがない。前のマックレーも前の台車にしかブレーキがなく、低速運転のキマロキは、これで良かったのだ。マックレーとロータリーを連結して走るのは北海道だけで、東北では切り離して別々(続行運転)で走る。マックレーとロータリーの連結部は緩衝バネなど何もないただの棒とピンで、よくこれでうまく走れたものだと思う。


Img_89001a マックレー車はかき寄せ羽根を開閉するだけだが、この動力は圧縮空気で、空気源は前の機関車である。SLには元ダメ管などないので、圧縮空気の供給にはブレーキ管を使い、「込め」動作でひたすら溜める。そのためマックレー車に限らず各除雪車とも、大きな空気だめを持っている。

 

しかしここの保存車両は、皆きれいだ。保存開始は1976年だから、もう50年近い。鉄道車両の保存は実は難しく、それなりに手入れをしていかなければいけないのだが、それなりの手入れがきちんとできているということだ。お見事!


Img_89181a 宗谷本線の列車とこのキマロキ、なんとか1枚に収まらないか、踏切で試してみる。なんとか収まるには収まったが、説明が必要なくらい大きさに差が出てしまった。

 

予定では名寄を16時29分発の快速で旭川に戻る予定だったが、立ちっぱなしで疲れたこともあり、予定より1本前の列車で札幌に帰ることにする。1本前は特急なので、窓口で旭川からの特急券を名寄からの特急券に変更する。岡山で買ったジパング割引だが、無事変更はきいた。旭川で乗換になるのだが、特急券は通しにできるのだ。やってきた特急「サロベツ」はキハ261の基本番代、元々キハ261は、この宗谷本線の特急用に造られた車両である。名寄で運転士が交代、5分遅れだ。

 

発車するとすぐにアナウンス。何でもエゾジカと衝突し、5分遅れたそうだ。エゾジカで良かった。これがヒグマだったら安全確認のために、場合によっては銃を持った人を呼ぶことになるので、何時間もかかるどころか、ひょっとしたら運休である。


Img_89521a キハ261系は、再力行時のショックが少ない。変速1段直結4段の速度に応じたギヤでパワーオンする。これが正常で、キハ283の、高速での再力行時にもローギヤから入るやり方が異常だったのだ。キハ281はちゃんと速度に応じたギヤで入っていたのに、何でああいうことをしたのだろう。すでに両形式とも姿を消してしまったが。なおこのキハ261、当初は車体傾斜装置を使って旭川-名寄間を130km/hでぶっ飛ばす予定だったが、一連のスピードダウンで車体傾斜装置も使用中止になった。それでも遅れているせいか、結構飛ばす。

 

旭川では、同一ホームで乗換ができる。札幌から来るときのカムイの自由席は旭川側だったので、サロベツの札幌側の自由席から後に移動した。ところがライラックの自由席は、札幌側だった。札幌ー旭川間の特急で、愛称名が変わると自由席の位置まで変わるとは、思わなかった。しかし旭川では空いていたので、問題なく窓側に座れた。なお、滝川でほぼ満席になる。車両はクハ789-201、懐かしの青函連絡特急用車両である。息の長いヒューンというブレーキ緩解音もそのままだ。


Img_89531a 札幌に着き、夕食は何か名物をと思ってスープカレーを食べたが、慣れないことはやるものではない。おなかを壊した。目的の場所へは行ったから、良いか。

 

札幌泊。
(つづく)

2024/07/01

キマロキが見たい(3)

2024年6月11日(火)

 

天気、晴。ビジネスホテルの朝食は、朝食付きのところに限るが、大抵はバイキングである。そしてこれは、高いホテルほど選択肢が多い。ここはパンの中でフレンチトーストもある。フレンチトーストはいくらかに追加料金が必要なところもあるが、しかも追加料金無しだ。これはありがたい。


Img_88121a 出発前にカメラのチェックをしていて、GPS受信機用の電池の予備を持ってくるのを忘れたことに気がつく。しかもGPS受信機は、電池切れ寸前である。山の中なら慌てるところだがそこは札幌の駅前、コンビニには不自由しない。ところがどこへ行っても単3は4本パックである。以前は2本パックもあったのだが、いつの間にか変わってしまった。仕方なしに、4本パックを買う。


Img_88211a 札幌駅はホームが暗く、駅撮りには向かない。以前もそう思っていたが、これは変わっていない。気動車特急は281系、283系といった振り子車が姿を消し、番台の違いはあるが、ほぼ261系に統一されたようだ。各停の電車は733系が主体になったが、731系に少数派の735系、さらには今までのごつい前面から一転して切妻顔になった737系も来る。737系は北海道の伝統の3両単位から脱し、2両編成になった。

 

電車特急はというと、785系は姿を消し、789系である。789系と言えばかつての青函連絡特急用であったが、新幹線の開通に伴いその車両も移動してきているようだ。なお系列名で785と789の間の787系は、九州にいる。順番から言えば、781が北海道、783が九州で、このあたりは一個飛びになっているのだ。789の後の881も、JR九州は使わずに空けてある。


Img_88271a 旭川行きのカムイ7号に乗車、車両はモハ789-1001、このカムイ用に造られた車両である。JR北海道の特急用車両は先頭の乗務員室に扉がなく客室用出入り口を共用していたが、この789系1000番台から乗務員用のドアが付いた。3月改正で自由席が減ったせいか、札幌時点でほぼ満席。通路側の席を見つけて座る。これでは靴からスリッパに履き替えるわけにはいかないな。カムイのアナウンスは日、英、中、九州と違って韓がない。ホテルの表示もそうだったので、北海道では韓国人の旅行客はまだ少ないのだろうか。釧路では道路標示がロシア語併記だったが、今はどうなっているんだろう。

 

旭川到着、やはり最高速度を落としたせいか、785系の時のような「めちゃくちゃ速い」という感じはしなくなった。旭川は改札口が上下線別にあったような記憶があるが、着いてみたら上下線一緒である。後で調べてみたら上下線が別の改札は帯広で、記憶違いであった。


Img_88281a 札幌からの特急と宗谷本線の列車は接続が良いとは言えず、ここで1時間の待ち合わせ。一旦外に出て待合室で過ごす。ただ宗谷本線の快速「なよろ」は始発のため入線が早く、20分前にはもう入線していた。

 

JR北海道もキハ40の置き換えがずいぶん進み、車両は新しい電気式気動車H100型になっている。行き交う車両も皆H100で、旭川ー名寄間は置き換えが済んでいるようだ。H100は20m級のため、車内はゆったりしている。実際のところ乗客数から言えば18m級でも良いのだが、最近の新車のトイレは電動車椅子対応が求められるため、トイレの占める面積が大きい。そのため、18m級でトイレ付きだと、車内の半分をトイレが占めているような錯覚に陥る。単行主体なので各車にトイレは必要だし、20m車にしたのは良い判断だと思う。


Img_89481a_20240701172101 そのH100単行の名寄行き快速が発車、座席は半分ほど埋まっている。このH100型は電気式である。ハイブリッドのようなバッテリーや複雑な充電回路は持たず、先祖返りしたような純粋な電気式だ。ご先祖様と違うところは、発電機と電動機が交流式になったことと、エンジンがめちゃくちゃパワーアップしたことだ。エンジンは最近の気動車標準となったコマツの450PS、2軸駆動だから空転にはキハ40のエンジン換装車より強い。600PSくらいにパワーアップして4軸駆動にすれば、完全にキハ54を置き換えられるのだが。

 

電気式気動車は変速がないので、当然の事ながら変速時のショックがない。電車も直流電動機の直並列制御からVVVFに変わってつなぎ替え時のショックがなくなったが、気動車はエンジンが高馬力になるほど変速段が増え、変速ショックも増えていた。なおこれまた余談であるが、DD51などの液体変速の機関車は、変速を機械的な切替ではなく油の流れを変えて行っているので、変速ショックはない。話を戻して、電気式気動車は乗っていて快適である。

 

電車の運転区間は旭川までであるが、架線は新旭川の先の車両基地まで続いている。その車両基地に、DE15のラッセルヘッドが首だけの標本のように並んでいた。ひょっとすると、機関車は廃車になってもラッセルヘッドだけは予備用に残してあるのかもしれない。


Img_88301a 塩狩峠も楽々と越える。さすがは450PS。ただH100はJR東のGV-E400をベースにしてあるため、運転台もJR東の左手操作のワンハンドルだ。この左手操作、マスコンが左手操作だから左手操作にしたのだと思うが大事なのはブレーキ扱いで、右手操作だったブレーキを左手操作にしたものだから、停止間際に微妙な操作ができなくなった(というか、やらなくなった)。雪の北海道ではもっと微妙な操作が必要なのに、それを利き手ではない左手でやらせられる乗務員さんは気の毒だ。

 

電気式気動車のエンジンは発電に最適な回転数に固定できるので一定でも良いのだが、負荷に合わせて低速段と高速段の2段階あるようだ。また無人駅では一般的な後乗り前降りにはせずに、前乗り前降りである。冬の寒さ対策で、できるだけ開口部を少なくしているのか?2両編成の信用乗車で全ドアを開けるなど、もってのほかなのだろうか。


Img_88411ajpg 和寒、比布と言った面白い駅名の駅を過ぎ、名寄に着いた。

 

(つづく)

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