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2024/05/30

過去の技術

2024年5月30日

熊本県内のバス事業者5社が共同で、全国共通ICカードから2025年3月をもって脱退する、という発表がありました。それに合わせて、熊本市電も2026年3月で脱退するするそうです。脱退すると、SUICAやICCOCAなどの交通系ICカードが使えなくなります。その後はタッチ式のクレジットカードや、バーコード払いになるとか。脱退理由は費用で、契約を更新する費用が出せないというものです。更新料が払えなくて賃貸マンションの家賃の安いアパートに引っ越すみたいなものですが、ICカードの読み取り器にはサーバーとの通信機能だけではなくカード内容の書き換え機能が付いていますから、機器の更新料も高いんでしょうね。

交通系のICカードは、残額などのデータをカード内に持っています。そこでタッチした短い時間内に、降りるときには、無線で給電→乗ったと駅の情報を読み出し→サーバーに通信して料金を計算→料金を引いて残額を書き込み→残高不足ならゲートを閉める、という動作を行っています。すごい技術だと思います。

一方バーコード決済だったら、乗るときは○○さんが△△駅で乗ったという情報がサーバーへ。降りるときは○○さんが××駅で降りたという情報をサーバーに送り、料金計算や残高不足(プリペイドの時)でゲートを閉める指示も全部サーバーからになります。今までは全部現場でやっていたことを、すべてリモートに切り替えるようなものですね。通信速度が速くなったからできることで、SUICAが登場した2001年頃では、やりたくてもできなかったでしょう。

乗車する側は、ICカードはその名の通りIC内蔵のカードですが、バーコードは個人のなんとかペイの口座番号かクレジットカード番号さえ明示すれば良いので、紙でも大丈夫です。その紙に「○○駅から△円区間」という情報のQRコードを印刷したものが、QRコード乗車券です。実際の自動改札では磁気に書き込まれた内容だけで券面など見ていませんから、何かで情報が書き込まれていれば良く、磁気と同等の情報を書き込めるQRコードができたおかげですね。

話がICカードからどんどん離れますが、磁気情報の乗車券を使った自動改札機は、すごい技術が使われています。切符はどんな向きに入れても、整列されます。一方磁粉を切符に塗る技術も、いろんなノウハウが詰まっています。欠点は磁気券は紙の切符より高いのと、自動改札機内を紙が移動していくため、紙の粉の掃除とか定期的なメンテナンスが必要で、故障しやすいことです。そのため鉄道会社ではこれも数年のうちに磁気券を廃止し、バーコードに切り替えたいという意欲を持っていますね。画期的だった磁気券での自動改札機や、ICカード(Felicaシステム)も過去の技術になる日がそんなに遠くないかもしれません。

過去の技術と言えば、小生などはその最たるもので、演算速度の遅いCPUを使った検査機を高速組立機の速度にいかに間に合わせるか、いろんな技術(技術と言うより、実際は裏技)を使いました。CPUの演算速度が上がったら、不要な技術です。

鉄道の運転関係でも、過去の技術がたくさん出ていますね。SLの鎌滝とまでは言いませんが、抵抗制御でしかも手動進段の直流旧型電気機関車(例えば、EF15など)で貨物列車を引いて坂を登るなど、もう今の運転士(昔は機関士と言いましたが)ではできないでしょう。昔の名人芸は、もう過去の技術です。

2024/05/29

東京で副鼻腔炎悪化

2024年5月29日

花粉症が治まりかけ、副鼻腔炎がやっと治りかけてきました。ところが東京に行ったら、悪化しました(;_;)。粘っこい鼻水が多くなり、その分鼻づまりもひどくなります。「そろそろ薬を減らしましょう」と言っていた耳鼻科に行き、薬の量は減らさず継続です。点鼻薬も復活しました。

しかしなんなんでしょうねえ。花粉の種類が違うのか、それとも何かのアレルギーなのか。まあ命には関わりないので問題はないですが、不快です。

花粉症の目薬が終わりかけてきました。こっちはどうするかなあ。

2024/05/27

東京から帰ってきました。

2024年5月27日

東京から帰ってきました。雨に遭わず、すり抜けました。明日は大雨だそうで、おとなしくしています。

25日は小生は岡フィルの定期演奏会を聞いて、終演後新幹線に乗りましたが、小生が駅ビルで駅弁を選んでいる頃、駅の反対側を陛下が車で通られたようです。駅ビルを一歩出ると、すごい規制だったそうです。駅ビルの中は、全く影響がありませんでした。

カミさんは、歓迎の人波の中にいたそうです。完全な野次馬ですが。

2024/05/25

岡山フィル第80回定期演奏会

2024年5月25日

岡フィルの第80回定期演奏会に行ってきました。指揮者は秋山和慶さんの予定でしたが、鎖骨を骨折されたそうで、7月定期を振る予定のキンボー・イシイ氏に変更になりました。曲目は変更無く、モーツァルト:歌劇「フィガロの結婚」序曲、チャイコフスキー:ロココの主題による変奏曲、チェロ独奏は上村文乃さんです。メインはベートーベンの交響曲第3番「英雄」。

小生は岡山シンフォニーホールではいつもは2階の正面なのですが、今回は右サイドのバルコニー席にしました。会場からの反響音も聞けないかな、と思ったからです。

さて、演奏開始。フィガロは快速、さわやかに。ロココは弦がそれまでの12-10-8-8-6から10-8-6-4-3へ。木管のみの2管それにホルンが2本で、トランペットもティンパニもありません。実は今日の曲目はドイツもの2曲の間にチャイコフスキーが挟まっていて、トランペットはどうするか気になっていました。そうしたらチャイコフスキーはトランペットがないので、トランペットはドイツ式のロータリーヴァルブです。

上村文乃さんのチェロの構え方は、独特ですね。普通はチェロを立ててそれを身体の方に少し傾けますが、上村さんは少し仰向け気味に座り、身体の上にチェロを乗せています。だからエンドピンは、すごく長いです。おそらく古楽も演奏されるからだと思います。古楽のチェロにはエンドピンはありませんからね。しかし音は豊かです。チェロはエンドピンから床に音が伝わって響いているはずですが、あの長いエンドピンでどうやって伝わっているのか、不思議に思うくらいです。堪能しました。アンコールはバッハの無伴奏チェロ組曲第3番からブーレでした。

さてメインの英雄、小生はこれは秋山さんで聞いてみたかったのですが、怪我ではしようがありません。2楽章、オーボエソロの時のオケの音が大きめです。ソロを際立たせるのではなく、曲の流れの中です。ホルンは良いですね。客演首席の細田昌宏さんは、大阪交響楽団の首席、2番の奥村邦子さんは岡フィルの団員、3番の倉持幸朋さんは広響の副主席です。

英雄は2楽章のオーボエソロが有名ですが、実は4楽章の最後の方に、大きなオーボエソロがあります。奏者によると、唇もリードも疲れているので、こっちの方が大変だそうです。そのオーボエソロ、ここはオケも音量を落としてオーボエが際立ち、実にきれいでした。首席の工藤亜希子さん、お見事!その後のホルンのコラールも良かったですね。今日は良い演奏を聞きました。

さて肝心の席の比較ですが、サントリーホールで小生がいつも聞いていたサイドの席はヴィオラの真後あたりなので、会場からの反響音も良く聞こえたのですが、岡山シンフォニーホールでは客席の真ん中あたりのサイドになるので、反響音は聞こえません。これならいつもの2階中央の方が見やすいし全体もわかるし、そっちの方が良いです。

なお今日は明日の植樹祭関係の行事が行われているせいか、いつもの顔ぶれ、皆さん教育関係者なのですが、見えなかったですね。

なお小生はそのまま岡山駅に行き、これは東京で書いています。混雑や警備で手間取るかと思ったのですが、いつも通りでした。

2024/05/23

心エコーの結果

2024年5月23日

S病院から心エコーのデータが送られてきました。特に特別なデータではなく東京だったら検査時にくれるものですが、岡山では特別に申請しないとくれません。送られてきたものは、検査者と依頼医の名前が黒塗りです。依頼医なんて、T先生に決まっているのに。東京ではもちろん、黒塗りなどありません。

さてそのデータですが、去年のデータと比較して変動範囲内ですね。EF(駆出率)はかえって良くなっています。逆流は僧帽弁がtrivial、大動脈弁がmildで変化無しです。

よく見たら、下にコメントが付いていました。右心系の拡大が進行しているそうです。検査者はARVC(不整脈原性右室心筋症)の可能性有りとのことです。このことについてはT先生はノーコメントでしたが、息切れや気を失うなどのその他の症状が出ていないことから、あっても様子見とされたのでしょう。ARVCの治療薬とされるものはメインテートや利尿剤なので、すでに飲んでいます。

ARVCは聞いたことがない疾患だったので、調べてみました。遺伝性みたいですね。そして、若い人に出やすいみたいですね。検査で発見される平均的な年齢は、31才みたいです。突然死を起こしやすいらしいので、ドラ息子二人に、会社の健診で心電図の異常が指摘されなかったか、そのうち聞いてみます。普通の心電図ではまず発見は不可能らしいのですが、右脚ブロックとして出てくるみたいです。スポーツは禁忌行為らしいのですが、ドラは二人とも運動系はやっていません。会社の中を走り回るのは、運動と捉えていいのだろうか(笑)。

2024/05/20

今年も写真展に出品します

2024年5月20日
20240002a

今年も写真展に出品します。
第31回鉄研三田会写真展は、7月4日(木)から9日(火)まで、池袋の藤久ビル東五号館14階ギャラリー路草の「路」で開催されます。
開催時間は11:00から16:00まで。
皆様のお越しをお待ちします。なお小生は、6日(土)には会場にいる予定です。

2024/05/19

熊本から帰ってきました

2024年5月19日

 

無事熊本から帰ってきました。目的の一つは高校の同窓会(同期会)出席ですが、その前に、高校の中を見学してきました。一度熊本地震の数河後に見学したことがあったのですが、その時には気がつかなく、昔に比べて変わっていることが多々ありました。


24051901a プールが屋根付きになった→国体の会場に使われたときに変えたらしい。

グラウンドがトラック主体から球技主体になり(トラックのラインが消えた)、なんとなく狭く感じるようになった。
昔は掘っ立て小屋(?)だった弓道場が、立派になった。
昔は夏は35℃の中で勉強したものでしたが、今は冷暖房完備です。

 

その他、
水前寺駅が橋上駅舎に変わり、南北に通り抜けられるようになった。昔は大回りするのが大変だったんです。

 

同窓会は、600人中今年までに亡くなった方85人。約15%ですが、消息不明の方を加えると、もうちょっと多いでしょう。76才平均でこの数字だから、かなり良いと思います。男性率94%の学年でしたから、平均だと20%以上亡くなっていますね。


24051703a 今回初めてのホテルに泊まりましたが、食堂から熊本城がよく見えました。石垣は、工事中です。窓越しですので、多少ぼやけ気味は勘弁してください。また、熊本市電にチャギントンラッピングが走っていました。

2024/05/17

熊本に来ています

2024年5月17日

熊本に来ています。明日高校の同窓会(同期会)があるので、そのためです。今年は、我々の学年の主体である昭和23年生まれが数え年で喜寿のため、同窓会が盛んですね。最も高校の我々の学年は仲が良く、還暦依頼毎年やっていますが。以前は小生は東京の方に出席していたのですが、東京組の主な顔ぶれ(幹事役)が揃って熊本に引き上げてきたため、東京はコロナで中止になって、熊本に移行しました。

去年は小生は東京での写真展とぶつかったため、写真展を優先しました。去年は小生の作品が案内状(言わば、表紙)に採用されたため、写真展に出ないわけには行きません。今年は写真展が7月になったため、両方出ることが可能になりました。

明後日岡山に帰りますが、その前にお寺に寄って、お墓参り(納骨堂参り)と挨拶を済ませてきます。

実はカメラを持ってこようか、ずいぶん迷いました。熊本電鉄の新導入車と、熊本市電の新しいカラーでも撮ろうかとも思ったのですが、来週の東京行きが控えているので、カメラは置いてきました。明日は同窓会まではホテルでのんびり、明後日はお寺だけ寄って岡山に帰ります。

2024/05/16

手術後満5年のS病院検診

2024年5月16日

年1回の、S病院での心臓の検診に行ってきました。自宅からS病院に行くにはバスの乗り継ぎになるので、実時間より余分に時間がかかります。ましてやS病院に立ち寄るバスは朝でも30分に1本しかないので、乗り遅れできないとどうしても余裕時間が多くなり、その分自宅を早めに出ることになります。今日は珍しく予約が10時、少しゆっくりというか、ちょっと早めに起きるくらいで済みます。

予約時刻の20分前にS病院に着き、保険証と一緒に1年間の報告書などを出します。あ、そう言えば後期高齢者になってから初めてだった。マイナ保険証は、一応使えるようにはしてありますが、後期高齢者保健省になってから使ったことはありません。後期高齢者保険証はサイズが大きくなってカード入れには入らず、身体障害者医療証と同じサイズになったので、一緒に出した方が便利なんです。マイナ保険証はメリットは何もないし、いざというときには役に立たないし。

ともかく予診へ。予診の時に、お薬手帳も一緒に出します。半年に1回のO大病院は次回予約時に次回の検査項目を入力してあるので予診無しですが、ここは先生が予診時に、というより紹介状という名の報告書を見てから検査項目を入力するので、必ず予診があるのです。その場合の診察予約時刻が、予診の時刻か検査を終わってからの時刻か、という問題はあります。小生は、検査はまだ指示がなくどういう検査をするかわからないので(実際には毎回同じですが)、予診時刻が予約時刻と取っています。

予診と言っても小生を見るわけではないので、待っていたら検査指示が出ます。X線→採血→心電図→心エコー。採血があるという話の時に「採尿はありません」と言ってくれるのはありがたいです。トイレに行って良いのかどうかが決まります。

とX線から順番に、比較的順調に行ったのですが、心エコーの前で引っかかりました。何やら超音波(すなわち心エコー)が4月から予約システムを採用し、予約優先になったんですね。T先生が検査要求を入れても直前の割り込みと扱われ、待つこと40分、やっと呼ばれました。一回りして診察に戻って来るのは、普通は1時間くらいですが、今日は2時間以上、10時の予約なのにもう12時を回っています。

そして呼ばれました。いつもはT先生、何やかや言う、と言うよりお小言が来るのですが、今日は「あ、変わりないですね。このまま行きましょう。次は1年後です。」と3分診療ならぬ1分診療。一応、胸の音は聞きました。まあ小生の場合は「10年のうちに再手術の可能性50%」と言われている僧帽弁の逆流が増えたかどうかが最大の関心事のはずなので、これは心エコーのデータを見た方が速いです。

実は小生、今回が術後満5年の診療です。大動脈弁と僧帽弁の手術に「5年後生存率」というのがあるかどうかは知りませんが(僧帽弁はあるみたいです)、少なくとも手術5年後生存しています。

血液検査の結果は、相変わらずL-コレステロールがやや多め。標準限界139に対し140ですから、まあ良いでしょう。クレアチニンもちょっと高め(1.09)で標準限界(1.07)オーバー。ただeGFRは51.1なので、まあまあです。少し気をつけよう。

来年は予約項目に心エコーが入り、その予約時刻が9時でした。これは来年は朝頑張って起きないといけません。

2024/05/15

珍しくギャラリー「やくも」各色

2024年5月15日


Img_67221a 小生にしては珍しく、写真の一覧です。
「やくも」各色。
上から、
最終標準色となった、ゆったりやくも色。
同じくゆったり色の、パノラマ車。
国鉄色。
緑やくも。
スーパーやくも色。
最後は、新型やくもです。


Img_47371a_20240515180201 国鉄色やくもと緑やくもの運転終了は今年6月末というのが公式発表ですが、一部6月14日が最終という情報もあります。なおスーパー色とパノラマ車はすでに運転を終了しています。ゆったり色は、まだ臨時運行があるようです。

 

なお写真はクリックすると大きくなります。


Img_47611a_20240515180201
Img_87531a Img_86331a_20240515180201 Img_87051a

2024/05/14

歯科検診とクリーニング

2024年5月14日

歯科の検診とクリーニングに行ってきました。今回は、舌のできものでの紹介状を書いてもらったのがここの歯科ですから、その報告もあります。そのため、いつもは最後に出てくる先生が今日は最初から。このクリニックにはO大病院からすでに報告書は来ているそうですが、詳細は書いてないので、「メスで切ったか、レーザーか」など、細かいところを報告します。さすがに手術前の、「サワシリン250mg×8カプセル一気飲み」にはびっくりしていました。量と共に、ペニシリンという古い薬を使っていることも驚きのようです。ただサワシリンはペニシリン系ですが、ペニシリンとは薬効分類番号(6111と6131)が違っているので、いくらか変更されているようです。

ともかく、舌のできものは良性で何事もなく、また手術後は違和感は全くありませんから、めでたしめでたしです。

歯の方は歯茎も含めて問題なく、歯石除去とクリーニングが終了。次は3ヶ月後です。

2024/05/12

富士フイルムの写真用紙

2024年5月12日

写真用紙の残りが少なくなってきました。写真を他の人に見せるにはやはり画面よりも紙で、そのため小生は「割と」質の良い用紙、プリンタの分類での写真用紙を使っています。エプソンの最高級品を使えば素晴らしい仕上がりになるのはわかっているのですが、そこまでのコストはかけられません。と言って安物を使うと、やはり色が悪いですね。そこで落ち着いたのが、富士フイルムの画彩でした。小生はこのところずっと、画彩の2Lを使っています。

さてカメラ量販店に行って写真用紙のコーナーに行ったら、画彩がありません。あるのはエプソンにコクヨ、エレコム。他は聞いたことにないメーカー。そう言えば、富士フイルムが印画紙から撤退するという記事を読んだような気が、、、。

いったん帰って調べてみました。やはり富士フイルムは印画紙から撤退していました。しかも印画紙だけではなく、写真用紙からも撤退です。発表が2022年12月。全製品の生産終了が2023年3月。こりゃあ、店頭に残っているわけはないですね。なお通販には、品種は限られますが、まだあるようです。

そこで翌日また量販店に行って、結局キャノンのものを買ってきました。エプソンよりかなり安いんです。それで発色がどうか、これは印刷してみないとわかりません。そのうち、印刷します。なお小生のプリンタは、ずっとエプソンです。

2024/05/10

S病院の紹介状

2024年5月10日

 

月1回の心臓の検診医、近所の内科に行ってきました。いつもはあと5日から一週間後なのですが、今月は16日にS病院に行くこともあり、連絡書を書いてもらっていることもあって、早めにしました。

 

なおこの連絡書、形の上では「紹介状」です。そしてS病院に行って、S病院から返事が直接行きつけの内科の方に行きます。これも形の上では、「逆紹介状」。こうしないと点数が稼げないらしいのですが、年に1回ではあるものの、毎回「面倒なことをしているなあ」と思って、書類代を払っています。東京にいたときはそのまま大きな病院で診てもらって「逆紹介」されることはなかったのですが、と言って毎月不機嫌な外科のT先生の顔を見るのも願い下げなので、金銭負担は増えているはずなのですが、変に抵抗はしていません。大病院にずっと続けて通うなら、内科ですね。


Img_87001a 今回も現状確認が主ですが、この一ヶ月で言うと、暖かくなったせいか脈拍がずいぶん下がりました。じっとしているときは、60台がざらです。ただ時々房室ブロックか、脈の間隔が開きます。心臓に負荷をかけるとき、重い荷物を持って足を速めたりすると、てきめん気持ち悪くなると言うか、脳貧血を起こしそうになるので、足は速めないことにしています。信号が点滅し始めてから渡るのは、厳禁です。

 

ただ機材を持っても、足を速めなければ長距離を歩いても平気ですね。やっと新型やくもを捕まえました。

2024/05/08

朝ドラ虎に翼の時代

2024年5月8日

NHK朝ドラの「虎に翼」、小生の母親も主人公と同じ大正3年生まれ(五黄の寅!)だったため興味があってずっと見ていますが、昭和13年(1938年)無事大学を卒業しました。入学が昭和7年(1932年)でしたから、予科から通して6年ですね。この間の昭和10年(1935年)頃が、戦前の一番良かった時代ではないかと思います。

その頃、かみさんの母親は大手町の銀行に勤め、「花の職業婦人」でした。かつては「女の子はお茶くみ」とか言われていましたが、かみさんの母親はお茶くみなどやったことがなかったそうです。お茶くみは専門の「給仕さん」がいて、女子社員は仕事に専念していたそうです。

その大正3年生まれの小生の母親も、その時期東京にお琴の勉強に来ていました。雪が谷から電車に乗って次の駅が田園調布だった言いますから、目黒蒲田電鉄の新奥沢線があった時代です。新奥沢の駅は、田園調布のすぐそばだったようです。この新奥沢線が廃止になったのが1935年ですから、数年前でしょうか。

国内には「大正デモクラシー」の残り香があった一方、対外的な日本の動きは大分きな臭くなってきていたようです。寅子達が入学した1932年には515事件が起き、また満洲国が造られています。「もずが枯れ木で」の歌ができたのが1935年ですから、兄さが満洲に行ったのはこの頃ですね。なお小生の父親は1938年頃陸軍第23師団として満州に行き、1939年にノモンハンで負傷するも生き残り、無事帰ってきています(帰って来ていなかったら、小生はいません)。

また特高の活動も1932年あたりから活発化し、治安維持法が全面改正された1941年から本格的な予防拘禁が始まりました。寅子達は華やかな時代に学生時代を送ったものの、かなり息苦しい時代になって卒業したことになります。司法試験(現在の)に合格しても、しばらくは暗い時代ですね。

追記です。
訂正したついでに、追記です。大学の授業中に鉛筆を使っていましたが、鉛筆削りできれいに削られていましたね。手動の鉛筆削りが出てくるのは昭和30年代、手回しの小型のものもありましたが、マニアックでした。一般には肥後守です。安全カミソリが出てくるのも、ずっと後でしょう。そう言えば三菱鉛筆では入社式の時に全員にナイフで鉛筆を削らせるそうですが、今はNHKのスタッフでもナイフで鉛筆を削った経験のある人はいないでしょうね。

2024/05/07

46年前のボールペン

2024年5月7日

 

久しぶりに、筆入れ(ペンケースと言った方が良いか?)の中身を入れ替えました。この筆入れ、現役時代は会議などには必ず持って行っていたものです。小生は赤のボールペンやら蛍光マーカーやらいろいろ詰め込む傾向にあるので、どうしても中身が多くなります。今回も、新しいシャープを入れたので、追い出されるのが一つ出ました。追い出すのに選んだのが、その昔筆入れの中に入れるだけ入れて、使っていないボールペンです。


24050701aba55 実はこのボールペン、何の変哲もない事務用です。まだチップがブロンズだったときの製品で、チップがステンレスに変わるときに1本取っておこうと入れたものです。ブロンズチップの方が書き味が柔らかく、小生はステンレスより好きでした。ただ実際にノートを取るのは水性インクのブルーブラックで、油性の事務用は宅配便の住所書きくらいにしか出番がなかったですね。

 

リフィールを引き出して見たら、1986年8月の刻印がありました。今から38年前。ずっと横にして置いておいたのですが、特に後からのインク漏れもなく、書いてみたらちゃんとかけます。ただ取っておいてもしようがないので、書き殴り用に使おう。なお油性ボールペンの寿命は、普通5年です。

 

このボールペンの型式はBA-55。BA-45というのが汎用の事務用で、そちらが一般的でした。これは口金部分が金属で、ちょっと高級品です。型式の後の数字は当時の販売価格で、BA-45は45円、BA-55は55円でした。今の事務用は70円ですが、100円のノック式が主流のようで、それどころか注文を伝票に記入するウエイトレスさん達は、もっぱら150円のジェットストリームを使っています。時代は変わったなあ。

 

2024/05/04

ホームページを更新しました

2024年5月4日

小生のホームページ「南海凡吉の部屋」の、「3回目のインターフェロンその後」に2014年と2015年を追加しました。定年後再雇用の5年間が終了し、東京を引き払って岡山に引っ越した時期で、動きが多いのでC型肝炎以外の記事も多くなっています。間にカテーテルアブレーションも受けていますが、心臓関係はまた別にまとめていますので、そちらをどうぞ。C肝がらみでは、Tの門から紹介状はもらっていますが、まだ肝心のO大病院には顔を出していない時期です。

今年が2024年ですから、再雇用が終了し完全フリーになって、10年経つんですね。その10年で入院は4回、着々とカウントを増やしています(笑)。

今まで遅々として進みませんでしたが、なんとか「その後」を2019年のコロナの前までは、早めに持っていきたいです。

2024/05/03

乗るのを躊躇する広告バス

2024年5月3日


558img_357591a 岡山にも広告バスが多数走っていますが、広告、あるいはその広告のイメージカラーで塗られているのはバス4面のうち3面だけで、前面、いわゆる顔の部分はその会社の標準色そのままでした。やはりバス停で待っていて、乗る会社のバスかわからないと困りますからね。これは岡山だけではなく、東京でもそうでした。


1903img_370741a ところが2022年頃広告規制が緩和されたのか、前面まで広告塗装で塗られた車が岡電バスに出現しました。これは困ります。まず岡電バスかどうかがわからない。それどころか、乗合バスかどうかすらわからない。世の中には、バスによく似た広告車や街宣車がいるんです。ただ一応なのか、前面には「OKADENNBUS」のロゴは残っていました。


1903img_353151a そして今年、両備バスに前面まで広告塗装となったバスが出現しました。今度は、前面に「RYOBI」の文字はありません。しかも岡電バスと同じ広告主、すなわち同じ色です。これは困ります。かなり近づかないと、両備か岡電の区別が付きません。両備と岡電では、同じルートを走っていても、停車するバス停が違うものがあるんです。


558img_302101a 何より、路線バスと認識できず、乗るのを躊躇するような色です。これでは客は、「宿敵」宇野バスやめぐりんに流れます。宇野もめぐりんも、一目でわかる色使いですから。おそらく前面まで広告色にした方が広告代が高いのでしょうが、乗るのを躊躇するようなバスになっては、本末転倒でしょう。

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