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2020/07/10

キリ番

2020年7月10日

 

番号にゼロがずらっと並ぶいわゆる「キリ番」は車のナンバーとしても人気があるそうですが、鉄道車両では、ゼロが3つ並ぶ1000番のキリ番は、旧型電車を除いてぐっと数が少なくなります。4桁の番号になると、1000番台(最近は2000番台3000番台も多い)とされる番号が多いんですね。1000番台となると1001から始まるので、キリ番がいないんです。

 

蒸気機関車のD51は1000両以上製作されましたが、途中の生産中止があって戦時型に切り替えられ、戦時型は1001から始まっています。最近の(これを「最近」と言うと、歳がわかる(^_^;)EF64やEF65も1000番代なので、1001からですね。

 

唯一DD51だけが1000番台ではなく500番台の続きだったのですが、1000は登場しませんでした。500番台が799まで登場し、次の800番台はSGなし(本来はDD52になるはずでした)、900番台は試作機用の割り当てで1000番に飛び、9の次は0で1000になるはずがなぜか1001になりました。同様に899の次も1800ではなく1801になっています。
0003a 一方キハ58は、DD51と同様、400番台の長編成仕様が799まで来て、次の800番台は修学旅行用、900番台は試作機割り当てで、次はちゃんと1000番になりました。これは1966年の登場で、学生時代から気にはしていたのですが、配置が美濃太田機関区(その後確か七尾に移動)ということもあって撮影する機会が無いままに終わりました。もっと注目されて良いと思っていたのですが、意外と話題にならなかったですね。

 

貨車は番号が0から始まることもあって多数あると思われるのですが、途中にロットやメーカーごとの番台区分があったりで、踏み込むと泥沼にはまりそうです。写真は学生時代に五能線でたまたま見かけた、ワラ1のキリ番です。

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鉄の話」カテゴリの記事

コメント

こんばんは
旧型電車というよりか旧型国電ですね。
電気機関車おいかけているTwitter40代のひとに、かまはわからないし、旧型国電が専門というと185系写真がリツイートされてました。よく考えてみたら種車からだとすごい高齢、改造されてからでもいい年齢、貴重すぎる電車たちも小生とともに朽ちていきます。自分の中ではいい思いでです。またまた表題とはとんちんかんなレスすいません

ひでほさん、ありがとうございます。

おっしゃる通り、旧型国電です。それも最近言う「旧型」ではなく、純粋の旧型、つりかけ車です。全体も断りもなく国鉄の話しかしていませんので、どこかで断っておいた方が良かったですね。
最近は直流電動機を使っている電車を「旧型」と呼んでいるようですが、そういう意味になると、岡山は旧型国電の宝庫です。中央東線が115系化されるときに投入されたクモハ115-301も、岡山で健在です。

もう旧性能はないので、抵抗制御電車は旧型でいいですかね。岡山はふしぎなとこです。昔っからぜったいいれてくれないと思いきやアポなしでいったら名刺みせてといわれて、ああ〇〇〇さんねといれてくれました。学生時代何度も。おまけに帰り回送のせてくれました。そういうとこ多かったです。高槻、松戸(クモや)、切符ないというと駅でだしてくれたり。クモハ84がクーラーなしでできちゃった日には、いつかいかんとなんておもいながら急に廃車云々、あせっていきました。115系、それも古いやつがいるとは民営化で会社かわらなければ動いていませんね。ただ組合つよかったら、新しい電車いれると勉強しないといけないから、新車導入は遅れそうですが、、、

岡山に新型車が入らないのは組合の問題より、設備の問題だと思います。岡山電車区には浄化槽がなく(確認したわけではないですが、確実だと思います)、トイレのタンクからの排出処理ができません。そのため岡オカ所属車は、トイレはタンク式ではなくカセット式になっています。現在の新車は真空式が標準になっているので、岡山のためだけにカセット式を準備するのは、それから転用したときにまた改造しなければならず、多分やらないでしょうね。
岡山でトイレの排出ができないので、事故などで他所の車両が岡山に閉じ込められたとき、トイレが使えないのでその車両が使えないことが多々起こっています。「やくも」「スーパーいなば」マリンライナー等、すべて岡山ではトイレの排出ができず、他所任せです。
岡山では新幹線が岡山止まりだった頃485系など九州特急がほとんど岡山折り返しだったのですが、この頃から今まで浄化槽を準備しなかったとは、市との間で何かトラブルがあったのかもしれません。

新幹線岡山まで開業時代、懐かしいです。田舎が広島なんで覚えています。新幹線が地震で2Hくらいとまり、岡山から広島まで特急たちっぱ。広島ついたら18時ちょっとというのに、可部線非電化区間の最終キハ23-5B がらがら。朝の上りラッシュの広島直通用みたい。山陽線沿線で待っていると、開かずの踏切でたいへんでした。じじいになっちまいました。

新幹線が岡山止まりだった時期は、1972年3月から1975年3月までの、3年間しかないんですね。この間小生は北九州にいて、広島や尾道に遊びに行くのに485系は使いましたが、岡山までは行きませんでした。東京に行くのは飛行機か、新大阪乗換の夜行で、結局岡山乗換は使っていません。
この頃は北九州から対岸の下関に渡ると旧型国電がごろごろいましたが、その頃は興味が無かったので、写真は数枚しか撮っていません。1975年に長男が生まれて、東京で生まれたので新幹線で行きましたが、今思えば開業してすぐだったんですね。往復B席で(それも、転換シートの0系)、窮屈な思いをした記憶があります。

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