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2019/02/08

母親の50回忌

2019年2月8日

東京に来ています。今回は、略式の法事です。

小生の母親が死んだのは1970年(昭和45年)の1月でした。その前年(1969年)の4月くらいから絨毛上皮腫で入院していたのですが、あまり経過が思わしくありませんでした。年が明けてすぐ、3が日が過ぎたばかりの頃大学病院から電話があり、あとは時間の問題だから、会いたい人は呼ぶように、とのことでした。小生は大学3年、東京から冬休みで帰省していましたが、そのまま居座りました。一度上京し、今もつきあいがあるAにノートのコピーを頼み、またとんぼ返りで戻ってきました。冬休みが終わったのにいつまでもいると不審に思われるので、最初の一週間は切符の手配を間違えたことにし、その後は起きているときは顔を合わせないようにしました。

亡くなったのは1月22日で、葬式その他バタバタと終わってから上京しましたが、すでに学期末試験は終わっており、全科目追試でした。追試のない科目はいろいろ頼み込み、レポートで済ませてもらったものもあります。実験の不足分は、一人で追実験をやりました。学園紛争の余波がまだ残っていて、大学としてはなるべく留年をさせたくない雰囲気だったので4年に進級でき、卒業研究に着手できました。あの当時K代の工学部は、1年から2年に上がるとき(場所が変わる)と、3年から4年に上がるとき(卒業研究に着手できるかどうか)との、2つの関門がありました。

その時から足かけ50年、今回の法事というのは、母親の50回忌です。熊本のお寺へは別途お布施を送ってお経を上げてもらい、東京で母方の親戚が集まって会食です。母方の親戚と言っても全部で4人しかいませんが、それでも全員集まったのは母親の33回忌の時以来です。

これで懸案がまた一つ片付き、兄貴のところも去年片付いたので、懸案事項が何も無くなりました。第9に出て歌ったし、写真展の表紙も飾ったし、思い残すことがなくなりましたが、この時期にこの世に思い残すことがなくなるというのも、ちょっと困るんですねえ(笑)。いやいや、昨日心臓に負担がかからないように軽いミラーレスを買ったし、動けるようになったらこれを持って撮りに行くので、もうちょっとこの世にいます。

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日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

こんばんは!
思い残すことがなくなっても、南海さんは、当分、この世にいらっしゃる勢いですね。

yokobueさん、ありがとうございます。

懸案事項がなくなったとたんにすぐに向こう側へ行くのも何ですから、もう少し余生(笑)を楽しみます。次の、手術をともなった入院日記もまとめるつもりですし。

わたし、動物的勘ですが、こんどのOP後、もういちど手術し永く生きれるとおもいます。

東京で法事だったのですね。お疲れ様です。

私は生母を1960年の12月に心臓弁膜症で亡くし、2009年に五十回忌を行い生母はこれで弔い上げになりました。この時は父の三回忌と継母の1年前倒しの七回忌を併せたので、賑やかな? 法事でした。

2002年には特養にいた父親から頼まれて、祖母の五十回忌法要を行いましたが、住職からこれで弔い上げですが、三十三回忌で弔い上げでも良いんですよ、と聞かされました。

しかし親の三十三回忌となると、私は88歳になります。できるかなあ?
子どもは娘ばかりだし。

生母が亡くなったのは私が9歳になったばかりの時で、まだ手術もない時代でした。苦しんでいたのはよく覚えていますが、息子も同じ病気になるとは思いも寄りませんでした。

今年は父の十三回忌と継母の1年前倒しの十七回忌の予定で、菩提寺の住職も代替わりしました。

南海さん、お母様の五十回忌法要、お疲れ様でした。菩提寺でお経を上げてもらって、東京で身内の会食という方法、なるほどと思いました。
私も父の五十回忌を行うまであと5年、今ではどうやら生きられそうと思っていますが、普通は三十三回忌までで弔い上げですね。私も学生で春休みの終わりでしたが、父が単身赴任だったので赴任先に、逆に私が何回も往復しました。
母の三十三回忌までそこからまた4年、古希はこえますが、頑張ります。目標があっていいですかね(苦笑)。

ところで、我が家も警察(刑事課なんですねぇ…)のお世話になる事態になりまして、葬儀は身内で行いましたが、今はエンバーミングという方法が以前より一般的になってきて、突然の葬儀の割に日にちに余裕が多少でき、何とか出来ました。

ひでほさん、ありがとうございます。

1回生体弁に変えて、その後生体弁との寿命競争に勝って長生きですか。小生の家系からはあまり考えられないのですが、その位を目標にしておかないと、もっと手前で墜落しますね。

豆パパさん、ありがとうございます。

親の50回忌ができるのは親は相当早死にしたことを意味しますが、お母上が亡くなられたのは9才の時でしたか。これはこれは。
親父の33回忌は十数年後ですが、その頃は我々姉弟(小生は末っ子です)が生きているのか、生きていてもぼけずにちゃんとしているのか、難しいところですね。50回忌というのは、これが最後でしょう。
カミさんの実家の方は菩提寺もなく、法事のたぐいは一切やっていません。位牌だけは引き取ったので、小さなマンション用仏壇の中でひしめき合っています。

miyaさん、ありがとうございます。

豆パパさんのところでも出ましたが、普通は33回忌で弔い上げですね。ただこれから先は、33回忌でも難しくなってくるようです。

miyaさんのところでも、刑事課のお世話になりましたか。お悔やみ申し上げます。小生が行った警察署の刑事課には応接室がなく、取調室でした(笑)。ただ小生のところは、その後の家の始末が大変でした。

南海さん、ありがとうございます、恐縮です。
お位牌ですが、うちも沢山になってしまうので、繰出し位牌にしようかとも検討しています。
家の片付けが大変なのは、何処も同じですが、条件が込み入っているので、どうなりますやら…です。

miyaさん、

あれは繰り出し位牌というのですか、短冊みたいに数枚重ねて一つのケース(?)に収まっているやつ。小生の実家の方は、それにしました。小生の計画ではカミさんの実家もそれにするつもりだったのですが、カミさんから「いじるな!」オーラが出ていたので、そのままです(笑)。
仏壇の中はカミさんの実家の位牌が占領していて、乗っ取られたみたいなのですが、そのうちカミさんの実家のお墓を乗っ取ろうと思っているので、そのままにしています。

Jでは90代で置換手術の実績あるもようです。80代は日常的にいます。小生は次回あったらあの世行かも。

辛酸なめほさん、

S病院の先生も、「80代再手術」というのを当たり前に考えているようですね。ただ回り(家族)も歳を取っていますから、回りも大変です。岡山ではあと10年経っても、「すべてお任せ」にはならないだろうなあ。
余談ですが、小生は片目が見えないため白内障手術の時は、一時期全くの盲目状態になります。これを付き添い無しでやってくれるか、じっくり確認しないといけません。東京だと付き添い無しが当たり前ですが、岡山は付き添いが当然と考えている節があります。

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