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2018/12/31

昔の大晦日

2018年12月31日

年の瀬と言っても、いつもと変わることはありません。逆に今年は年賀状はないし、年明けにやることが山積しているので、落ち着きません。玄関ドア横の松飾りは飾りました。おせちは塩分制限もあって、そろそろ買うのを止めようかとも思っていたのですが、止めると食事の支度が大変だというカミさんの意見で、継続することにしました。お餅だけは毎年あまるので、止めました。そろそろ歳も歳だし、喉に詰まる危険を避けた方が良いかもしれません。

大晦日の年越しそばですが、これは小生は夕食とは別に夜食で食べるものだと思っていたのに対し、カミさんの実家では夕食がおそばだったそうです。大掃除や正月の準備で夕食の準備をする時間がなく、そば屋から出前でおそばを取って夕食にしていたそうです。年越しそばとはそういうものだと主張するカミさんに対し、歴史と経験から夜食を主張する小生とは、未だに意見があっていません。ただ結婚後は、年越しそば自体を食べていません。夜食は、最近は健康のために夜食を止めていますが、ケーキでした。

昔、昭和30年代の小生の実家は、酒の卸屋をやっていたこともあって、大晦日は戦争でした。まだ盆暮れ払いを通している小売店もあり、現金も1千万以上入ってきていました。夜11時過ぎに追加注文で満載のトラックが出発したりもしていました。そのため食事も、いつもの夕食は家族と住み込みの従業員(女性)分なのですが、大晦日だけは男衆の分も用意し、そのためカレーと決まっていました。夕方6時頃、手の空いた人から順次食べに来るわけです。そのため一升炊きの電気釜が、2回転していました。夜9時頃は、夜食で年越しそばの準備ができていました。時間がなく、カレーとそばと、一緒に食べる人もいました。

外回りのトラックが全部戻って来るのは12時を回っていて、つまり年は明けていて、それからトラックを洗車して松飾りを付けて、車庫入れ。事務の女性陣はそれから計算して決算ですから、明け方までかかります。その間親父はと言うと、もらったお歳暮を従業員にお裾分けするための仕分けです。年功や地位に応じて仕分けるのが、楽しみみたいでした。これは31日に帰るときに手渡します。

決算作業を終えた住み込みの女性陣は、そのまま徹夜で今度は自分の身支度をし「よそ行き」を来て朝から新年の挨拶をしたら、親父からもらったおみやげそのままつかの間の帰郷です。まあ、3丁目の夕日の世界ですね。

この時小生は何をしていたかというと、大学に入って運転免許を取ってからはちゃんとした戦力で、トラックに乗っていました。中高時代が一番居場所がなかったですね。勉強していたら怒られるし、バイクにも乗れないし力もないので手伝いに行ってもあまり役に立たないのですが、ぼうっとしているともっと怒られるので何となくお店にいました。サラリーマン家庭のカミさんも、ピアノの練習をしていて怒られた、と言っていましたから、忙しそうにしていないと怒られるのは、お店だけではなかったのでしょう。後で姉の友人の魚屋の娘さんが、「前掛けをかけて、適当にそのあたりを急ぎ足で歩いていると、怒られないですむ。」と秘訣を教えてくれました。今はもう、こういうことはないでしょうね。

と、昔話をしたところで2018年も終わりです。皆様、良いお年を!

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