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2018/10/22

吉備津彦神社の流鏑馬と備中高松城址

2018年10月22日

昨日、吉備津彦神社の秋の例大祭に行ってきました。ここでは、流鏑馬が奉納されるのです。Img_67151a

流鏑馬に使われる弓は当然和弓ですが、写真を見ると、握り方が違っていました。和弓はアーチェリーの弓と違って握りがまっすぐなので、手首を伸ばした状態だと弓には手のひらは当たりません。そこで人差し指は軽く伸ばし、残りの3本と親指で親指の付け根で支えるような持ち方をします。しかし写真では、人差し指も含めてしっかり握って手首を立てて手のひらを握りに当てて握っていました。右手の構えは肘を水平にして矢の位置も弓道の基本通りだったので、左手の握りだけが流鏑馬独特のやり方なんでしょうね。Img_67061a


さて、珍しくカミさんと一緒に吉備線(桃太郎線)に乗り、吉備津彦神社へ。吉備津彦神社は桃太郎(のモデル)を祭ってありますがこぢんまりとしており、隣の駅の、鬼(のモデル)を祭ってある吉備津神社の方が大きいです。鬼を鎮める方が、大事なのでしょう。吉備津彦神社の狛犬は(岡山市内では「も」と言った方が良いでしょう)備前焼です。Img_67081a


流鏑馬には2頭の馬が出走する予定でしたが、残念ながら1頭の馬は観客に興奮したのか走れる状態ではなく、走ったのは1頭だけでした。それでも4回走ってくれたので、堪能できました。ともかく、速い。目の前を通り過ぎるのは一瞬で、とても握りや構えを確認する時間はありません。そして引き絞るのは一瞬ですね。的の横を通り過ぎる瞬間に、やや後ろ向きに放っていました。Img_67181a


お昼には終わったのでカミさんと別れ、備中高松城址を見に行きました。ここは羽柴秀吉の水攻めで有名なところですが、城の遺構は何も残っていません。秀吉が築かせた締切堤防が、城から離れたところにごくわずか残っています。ただここで培われた締切堤防の土木技術が、その後の児島湾の干拓に生かされています。児島湾の干拓が本格的に始まったのは安土桃山時代で、今の岡山平野はほとんどが干拓地です。Img_67311a


備中高松城址には清水宗治の首塚はありますが、石垣などはありません。水攻めの後で廃城になったかと思っていたのですが、城自体は引き続き江戸時代まで使われ、一国一城令によって廃城にされたみたいですね。城址公園として整備されたときに沼も復元されたのですが、その沼には眠りから覚めた蓮が自生しています。真夏に花が咲くそうです。Img_67291a


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コメント

こんばんは。
備中高松城址は一昨年の春の旅行時に立ち寄りました。水攻め築堤後高さ表示板というものがあり、その高さには驚きました。

その旅行の前日、ベンガラで有名な吹屋ふるさと村に行ったのですが、ここの吹屋小学校(現在廃校)は声楽家のアンネット・一恵・ストゥルナートさんの出身校です。現地にはそのような情報は何も無くて、後にふとしたことでそのことを知り、先に知っていたら少し違った景色の見方ができました。

10数年前に滋賀県日野市で行われた(大きくは無い)イベントに参加した時のこと、アンネットさんが自己紹介&カラヤンとのエピソード&数曲、目と鼻の先で歌ってくださいました。

CDの即売もあり、「ウィーン、わが夢の街」にサインをいただきましたが、このCDは断捨離の対象外となっています。

豆パパさん、ありがとうございます。

高松城水攻めの堤防はすごい土木工事で、岡山は低湿地が多く、干拓も大昔からやられていましたから、このあたりにはそういう知識を持った人たちがいたんだと思います。

アンネット・一恵・ストゥルナートさんのことを調べましたが、すごい方で、またご苦労された方なんですね。
CDは断捨離の対象どころか、家宝ですよ。

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