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2018/03/30

花粉最盛期、目薬が強力に

2018年3月30日

岡山ではスギ花粉が佳境のようで、目薬が切れそうになったこともあり、眼科に行ってきました。昨日は歩いていて涙がボロボロ出てきました。先生に診てもらったら、普通のアレルギー薬では効かないくらいにひどくなっているそうで、目薬が一段階強力になりました。今までがパタノールだったのが、今度はアレジオンという薬です。これ以上に強力になると、ステロイドになるそうです。ステロイドの目薬は弱いものから最強力まで、いろいろやったことがありますが、使わなければ使わないに越したことはないです。18033003a

今日みたいに天気が良くて暖かくい(暑いくらい)日は花粉が大量に飛ぶので、本当はあまり外出しない方が良いのですが、桜が満開なので、後楽園に行ってきました。今日は最高です。

明日から、貨物博物館を絡めて、名古屋方面に行ってきます。

2018/03/28

宇野線鹿田駅

2018年3月28日

このところ鉄の話ばっかりですが(^_^;。今県立図書館で、岡山の古い地図を展示しています。そこで1920年の地図を見たら、宇野線はもう開通していましたが、大元駅の代わりに鹿田駅がありました。そして1927年の地図では大元駅です。よく見ると、駅の位置が微妙に違います。後で調べてみたら、宇野線が付け替えられていたことがわかりました。1920年から27年の間ですから、大正の終わりか昭和の初めといった時期です。

付け替えられる前の鹿田(「しかだ」ではなく、「しかた」)駅は、現在の水道局のあたりにあったようです。そして水道局前交差点は現在五叉路ですが、その中の1本、83系統のバスが走っている道が元の宇野線の線路跡ですね。宇野線は、岡山市の都市計画によって西寄りに移され、駅も移動したようです。その時駅名も「鹿田」から「大元」に変わっています。駅の位置はまっすぐ西ではなく南西に、バス停3つ分移動しています。昔の宇野線は水道局の前から、元イトーヨーカドーの駐車場、イオンの駐車場入口あたりを通っていたようですね。

宇野線のLRT化を主張している方がいます。宇野線をLRT化してもメリットはなくデメリットの方が多いのですが、宇野線にLRTを乗り入れる話なら、メリットがありますね。実際は宇野線自体が単線で線路容量がなく、こちらも妹尾までの複線化など投資が必要なのですが、宇野線を走ってきてそのまま大元あたりで地上に降りて、さすがに昔の宇野線跡にはもう家が建て込んでいるので市役所筋の路面を走り、イオンモールの前を経由して岡山駅前でそのまま既存の岡山電軌に繋がると言うのも面白いです。付け替え前の宇野線が、また復活するみたいです。車両は600/1500Vの複電圧車になりますが、そんなに難しいことではありません。

そんなことより、岡山電軌を岡山駅前で市役所筋に曲がらせ、水道局前まで引っ張って、ついでに大元駅前まで引っ張ってきた方が、ずっと実現可能性が高いです。ただ両備グループはなぜか岡山市内で評判が日光の手前ですから、岡山市はこの事業計画には乗らないでしょう。小生が生きている間には無理だろうなあ。

2018/03/26

みどりの窓口

2018年3月26日

次の4月1日は貨物鉄道博物館の開館日なので、名古屋界隈をうろうろしてみようと思って、武豊線の東成岩までの切符を買ってきました。本当は2月に予定していたのですが、インフルエンザのせいと、四国に行ったせいで延び延びになっていたものです。岡山駅のみどりの窓口は、そろそろ観光シーズンなのと、新学期新年度の移動もあるのか、すごい行列です。ジパング倶楽部の切符は窓口で買うしかなく、そしてあまり聞かない行き先の時は小さな駅の窓口では手間取ることが多いので、岡山駅まで来ました。

15分ほど行列で待って、必要事項を書いたジパングの手帳を出したら窓口の女性少しも慌てずさっと発券し、「東成岩(ひがしならわ)までの往復ですね。9520円です。」JR西日本ではなくJR東海管轄の武豊線の小駅なのに、読み方までばっちりでした。国鉄時代はこれが当たり前でしたが、分割されてもう30年、熊本県の三角まで買う切符は時刻表を取りだして場所を確認している人が多いのに、今日はびっくりしました。

その昔の国鉄時代(1970年頃)は、京都駅で「みすみまで。」と言ったら、「島根ですか、熊本ですか?」と聞かれました。島根県に三保三隅という駅があり、読みが同じ「みすみ」なので、確認されてものです。その当時は、このくらいは窓口の人の頭の中に入っていました。最近は、と思っていたら、見直しました。ただひょっとしたら、東成岩の駅のすぐ近くにJFEの製造所がありますので、同じJFE関連(水島)の出張が多かったりして。

今の発券端末(マルス)501は、昔のもの(マルス305)に比べるとずいぶん発券が楽になったみたいですね。マルス305は発券システムに欠陥があったことが知られていますが、その他にも独特のテクニックを使わないと発券できないものが多くありました。その一つが、東海道新幹線から東北新幹線へ乗り継ぐ乗車券です。これは経由地に「東京乗り換え」(略号、トミトウ)を入れないと発券できず、横浜線の沿線駅だとそれがわからずに散々手間取っていました。また横浜市内発の東北新幹線方面で、新横浜-東京間に東海道新幹線を使う乗車券は選択画面に出てこないのですが、なぜか菊名発と入力した場合だけ選択画面に出てきて(発行される乗車券は、横浜市内発)、ときどき窓口で教えてあげていました。出張時に新横浜-東京間の新幹線が使えた、バブル期の話です。

2018/03/22

電車気動車用DT台車

2018年3月22日

ちょっと専門的、と言うよりマニアックな鉄の話です。
旧国鉄、現在のJRの電車や気動車の動力台車には、DT何とかという型式が付いています。そして先日鉄道雑誌でJR東のハイブリッド気動車の記事を見ていたとき、「DT75、そうかDT台車は70番代もそのまま使っていたのだ。」と思いました。この「70番代」ですぐ反応する方は相当のオールドファンだと思いますが、70番代に意味があったのです。

元々国鉄の台車の型式はTR何とか(TRuckの略。なお私鉄は、メーカーの型式をそのまま使っています)という型式だったのですが、昭和24年(1949年)の型式命名基準の改正で、動力台車はDT何とか(Drive Truckの略)、非動力台車はTR何とかという風に分けられました。そしてDT10から始まり、国鉄最後の型式はDT55でした。

TR台車は3軸のものがあり、3軸台車は70番代と80番代が使われていました。70番代と80番代には、「3軸」という意味があったのです。「やまぐち号」にかつて使われていた展望車マイテ49の台車は、TR73ですね。90番代は試作台車なので、TR69(165系や485系など、優等車両用)の次は3桁になるのですが、100番代はすでに機関車用として使っていたので、次の軽量客車用改良型はTR200になりました。実はこの200番代というのは新幹線電車用だったのですが(DT200、MT200など)、0系もその次の200系も全電動車だったため、「新幹線用電車にはTR台車は存在しない。」と思われたのかどうかは知りませんが、200番代を使ってしまいました。そのあおりで、100系で新幹線営業車として初めてのTR台車が使われたときは200番代が使えず、TR7000になってしまいました。

DT台車に話を戻して、国鉄が分割民営化された後は、台車も各会社が独自設計をするようになりましたが、その時国鉄時代の番号を引き継いで追い番を取ったのが、東日本、東海、西日本、四国の4社で、北海道、九州、貨物の3社は別体系の番号になりました。そして東海、西日本、四国はそれぞれC、W、SをWDT5のようにDTの頭に付け、東日本だけはDT何とかをそのまま使いました。旧国鉄時代の設計をそのまま使った型式、たとえばDT50とWDT50は同じシリーズと言えますが、分割された後は、DTの後の番号は同じでも、例えばDT56、CDT56、WDT56、SDT56は、全く別の台車です。

その中でJR東日本が一番番号の進みが速く、253系2000番代でDT69が出たあと、205系のDT50の改造型でDT70が現れています。TRの70番代は3軸でしたが、DT台車では(東日本の、と注釈を付けるべきかもしれませんが)その区分をなくしているのですね。最もDT台車全体で言えば、EF62の3軸台車はDT170ではなくDT124になっていますから、この時点で「DT台車では2軸と3軸の区別を付けない」となっていたのかもしれません。

現在の最終番号は235系のDT80です。やがてDT89が現れ、90番代は試作用ですからその次は、100番代は機関車用、200番代は新幹線用なので、DT300になるか、それともそのあたりで全く別の番号体系になるか、ですね。その頃まで、生きているかなあ(笑)。JR東にはEOO1系というとんでもない型式が出現していますから、ある日突然に別体系になるかもしれません。なおJR西日本にはすでにWDT300がありますが、60番代はまだ空いているので、おそらく160km/h用で分けたと思われます。

2018/03/20

北九州経由熊本行き(4)

2018年2月22日(木)

天気、晴。気温はやや低いが、さほど寒くない。
朝からお腹の調子が悪い。昨日とんかつの店に行ったのがまずかったか。出発する頃は何とかよくなったので、市電で熊本駅へ向かう。また関係ない荷物をコインロッカーへ。簡単なバッグやリュックは300円のロッカーに入るが、キャリーバッグは500円以上の大きいロッカーでないと入らない。一人で来る撮影旅行は、リュックに限る。Img_42871a


今日の三角線は、珍しくキハ147の2連。お腹の調子が良くないときは、トイレ付きでないと困るので、助かる。以前はトイレ付きとトイレ無しとが駅の時刻表に書いてあったが、熊本地震以降運用がめちゃくちゃになった。2連になったと安心していると、トイレ無しのキハ31の2連が来る。このキハ31、何とかならないものか。Img_43001a


三角は元は小さな漁村だったのだが、明治の三大築港の三角港築港で発展した町だ。それが天草架橋と熊本新港で寂れたので、言わば国策によって造られ、国策によって寂れた町とも言える。この話を昔会社でしたら、若いのが「それじゃ、夕張と同じじゃないですか!」と言った。確かにそういう見方もできる。三角線はその三角港と門司港(熊本ではなく、門司港ですよ)を結ぶために造られた線で(計画時は、三角線の方が本線だった)、開通は国有化前の九州鉄道時代と古い。しかし三角港の開港はもっと古いため、最初は道路だけだった。この道路、当時としては幅が広すぎ、三角線建設の時に道路の半分が鉄道用地に提供された。そのため、宇土から網田までは、駅部分を除いて道路と鉄道が併行している。09r36a


例の「七つ星」に天草観光ルートがあるが(ひょっとしたら、オプション)、七つ星編成は三角線に乗り入れることはなく、乗客はバスか「A列車で行こう」を使う。三角線に「七つ星」編成が乗り入れられない理由は2つある。一つは、途中の交換駅(網田か住吉の短い方)の有効長が7両分しかないこと。「七つ星」は客車が7両で、機関車を入れると8両だ。ただこれは行き違う片方の列車だけなら有効長オーバーでも運転は可能で、昔はそういう列車が走っていた。もう一つは石打ダム-波多浦間にある波多第四橋梁の耐荷重性で、補強するまでDE10が入線できなかったくらいだ。100tもあるDF200が入線するためには、掛け替えないと無理だろう。18022209a


無事トイレは使わずに、三角駅に着いた。この後「A列車で行こう」が追いかけてくるので、この各停編成はそのまま奥の方、昔のヤードの入口の方に移動する。昔は退避するときは転線して3番線に入っていたが、ほとんどの列車が2両と短くなったので、縦列駐車まがいのことができるようになった。これだとポイントを操作するのが1箇所だけなので(一応ホームからの線は、安全側線側に切り替えられるはずだ)、入換の誘導員が要らない。せっかくなので、入線と出発とを撮る。三角駅の構内も側線が整理され、寂しくなった。昔の写真もお目にかける。当時から定期列車はすべてDCであったが、たまに入るこのお座敷列車のような臨時列車は、C11が引いていた。1972年の撮影である。Img_43151a


お墓の用事その他を済ませところで、お昼になった。一時期三角からは昼食を食べられる店が姿を消し、スーパーでおにぎりを買って駅の待合室で食べるしかなかったのだが、ファミマが駅前に開店し、しかもイートインコーナーがあるので楽になった。そこで昼食を取ってひょいと見たら、大盛食堂が営業していた。この店は古く、小生が子供の頃からある。ひっくり返った「な」で、「さかな」と読ませるのは60年前から同じだ。一時期閉じていたが、また再開したらしい。たいしたものだ。18022213a


またキハ147の2連で熊本へ戻る。このキハ147は、今日は一日三角線の運用だ。網田で梅が咲いていた。熊本では少し時間があるので、熊本市電を撮ってみる。祇園橋から熊本駅前にかけては、センターポールがきれいに並んでいるので、それをうまく画面に入れられないか、やってみる。後追いの方が、画としてはきれいだ。そして、まだ営業しているミスドで一服。となりのモスもそうだが、このあたりも駅ビル工事の影響で、一旦閉店→移転して再開ということになるようだ。これからしばらく、熊本に来ても駅前に何も無い状態が続く。今度来るときは、裏側(新幹線口)の方で探さなければならない。Img_43261a


新幹線口に回って、そちらから入場。巨大くまモンを見て、ホームに上がる。来たときから気がついていたが、熊本駅のホーもの番号(何番線)は、駅正面である現在の白川口方面から(実際には、駅長室のある側から)付けられている。これは高架になっても、同じだ。ところが新幹線は、逆に新幹線口から番号が振られている。在来線は下り側が若番(1番線)だが、新幹線は上り側が若番(11番線)となっている。熊本は同じJR九州なのに、どうしたわけだろう。こんな例は、他にはないと思う。

珍しく「さくら」運用(九州内だけの「さくら」)に入っている800系を撮り、N700系の「さくら」に乗り込む。これで岡山まで行けば、全行程は終了である。

(完)

2018/03/19

心臓より肺の方が問題?

2018年3月19日

旅行記は一時中断して。
半年に1回の、心臓の定期検診に行ってきました。自宅からS病院まではバスですが、岡山のバス路線はほとんどの路線が岡山駅か天満屋で切れており、その先まで直行するバスはほとんどありません。まして山陽線の南と北は、別会社みたいに路線が別れています。昔の山陽鉄道(現在の山陽本線)と中国鉄道(現在の津山線と吉備線)ではあるまいに。ただ同じ岡電バスの乗り継ぎだったら乗り継ぎ割引(イコカでも可能)があるので、乗り継ぎでもいくらかは安くなります。

8時20分頃病院に着き、受付にかかりつけのの内科からの連絡書(紹介状扱い)を提出、先生がそれを確認するのを待って、検査ツアーに出発したのが8時30分。胸部X線、CT、採血、心電図、心エコーと回って、診察室前に戻ってきたのが10時、予約の9時半はとっくに過ぎていました。元気でないと病院には通えないとよく言いますが、確かに具合が悪かったらこのツアーはくたびれます。

それからしばらく待って診察です。結果は、「思ったほど悪くなっていない。」1月のインフルエンザにかかって以来あまり調子が優れず、じっとしているときに息苦しくなったりしています。そして15分くらい歩いても、信号待ちで肩で息をしているのがわかります。そういう状態ですが、心臓は大きくなっておらず(標準よりはかなり大きいですが)、LVDsも37と前回と変わらず。BNPも27と、標準よりは高いですが、まだ問題にするような値ではありません。心臓の弁自体は大動脈弁僧帽弁の両方とも逆流度3以上で、あと一つ症状が出ればいつ手術をやっても良い頃なのですが、BNPが予想より下がらないので、あとは日常生活への支障が手術の目安となるそうです。時期とすれば、予想では70代の前半で、75歳まで行くと待ちすぎ。おそらく来年か再来年でしょう。なお腎臓もeGFR=55.7で、これも思ったより悪くなっていません。自己流塩分制限が、効いています。

日常生活の支障というのが、例えば何かやっていて途中で休まないと続けらえなくなったときに、それが目安になるでしょうね。小生の場合、仕事をしていたらおそらくもう支障が出てきているのでしょうが、今はそれがありません。2階までの階段が一気に登れなくなるとか、30分連続して歩けなるあたりが目安ではないかと思っています。開胸手術は術後約3か月間は満員電車に乗れませんが、幸い電車に乗らない生活なので、支障はありません。なおじっとしているときに息苦しいのは、心臓からは普通出てこない、つまり心臓の手術をしても、その症状は改善されないそうです。

CTを撮りましたが実はこれは肺で、右の肺炎のあとが問題になりました。かなり変形しており(気管支拡張?)、慢性的な病変になっているそうです。「日頃呼吸器科の先生に診てもらっていますか?」と聞かれましたが、かかりつけの先生は呼吸器が専門のようなので、そこで大丈夫でしょう。当然過去に結核になったことも問題になり、小生はリファンピシンを使っていないことも、カルテに書き込んでもらいました。ストレプトマイシンやカナマイシンは結核の特効薬ですが、結核菌にとどめを刺すことはできず、結核菌は肺のどこかに石灰で固まって、休眠状態で生き延びています。石灰で固めた状態なので、普通は出てきません。ただ身体の免疫力が弱ると(特に抗ガン剤や免疫抑制剤を使うときが要注意)、出てくることもあるそうです。リファンピシンだと結核菌にとどめを刺せるので、その心配はないんですけどね。

日頃の経過観察は、小生の場合は心臓同様肺が大事なようです。小生も肺炎になりやすい体質なのは理解しており、心臓の手術でも生体弁を希望しています。ワーファリンを飲むと抗生剤の制限が増えて、治療時の選択肢が狭まるんですね。肺炎の薬はワーファリンの影響を受けないペニシリン系が多いので、気にしすぎかもしれませんが。

ともかく年内はこのままなので、今年の写真展やら第9やらの計画は、予定通りです。次の診察は半年後の9月です。

2018/03/18

北九州経由熊本行き(3)

2018年2月21日(水)(つづき)

所定の目的は達したのであとは小倉へ帰るばかりだが、予定より早く片付いたので、DENCHAに乗ってみることにする。DENCHAとは、Dual ENergy CHArge trainの略だそうだが、かなり無理をしている。乗ったのはクモハBEC819-2。JR東と違って、型式に「クモハ」が付いている。これもまたブラックフェイス。前照灯は常時点灯だが、LEDで指向性が強いため、視認性はやっぱり悪いだろう。車体は日立製のA-Train仕様。窓ははめ殺し。209系やその時期の東京圏の電車は、はめ殺しの窓は停電時に換気ができないというので、全部開閉式に改造した。ところがJR九州では、817系などはめ殺しのままだ。暑い九州で夏に停電で立ち往生したら、マジで死者が出ると思う。シートの背ずりは、水戸岡氏好みの木製。ただこの木部は水戸岡木工(と言う社名かどうかは知らないが)の製品なので、デザイン以外の作為も感じる。車内はトイレも付いており、烏山線のものは「試作車」という感じだったが「量産車」という感じがする。Img_42461a

走り出すと、烏山線よりきびきび走り、飛ばす。75km/hくらいは出ている。短区間で途中に勾配もないため、バッテリーの残量を気にしなくて良いのだろう。15分で若松に着いたら、若松には充電設備がない。折尾まで折り返して充電しても、間に合うのだろう。なお若松駅には機回り線が残っており、イベント列車の運行も可能だ。Img_42481a


若松の駅前の公園に96が置いてあった。若松に96はふさわしいのだが、いかんせん錆だらけでボロボロである。屋根がないところに置いてあるSLは、相当まめに手入れしてやらないとボロボロになる。地元にボランティアの保存会はないのだろうか。Img_42531a


若松から戸畑までバスで行こうかと思ったら、目の前を通過していった。この後は30分以上来ないので、若戸渡船の矢印を目当てに船着き場まで歩く。案愛があると言うことは、まだ動いているはずだ。若松は古い町で、風情のある建築が残っている。かつては北九州市営軌道(その前は若松市営軌道)があり、路面電車ならぬ路面機関車が貨車を引っ張って走っていた。さすがにその痕跡はわからない。Img_42551a


若戸渡船は北九州市営で、料金は何と100円!頻繁に運行しており、バスより便利だ。戸畑駅前のイオンの中にサイゼリヤがあり、遅めの昼食。九州まで来てサイゼリヤもないものだが、慣れたものが一番である。Img_42571a

811系で小倉まで戻り、一旦外へ出て一服し、今度は新幹線に乗り換え(JR九州からJR西日本に乗り換えたことになる)、「さくら」で熊本へ。今回の旅行の、写真撮影部分は一応終わった。熊本では駅ビルで食事をしようと思い、時間はまだ早いが確認のために食堂街へ行ったら、駅ビルが取り壊し予定のため食堂街はすでに全店閉店していた。本屋だけが開いており、今日が閉店だという。せっかくなので、週刊誌を買う。Img_42581a

この駅ビルの取り壊しは熊本駅在来線の高架化のためで、3月から取り壊しにかかるそうだ。熊本駅は駅裏側からすでに新幹線は高架で完成しており、在来線も上り線用ホームは高架になっている。そして今度は下り線用ホームも高架化する工事が始まる。すでにかなり完成しており、あとは切り替え工事だけだろう。なお上り線下り線用のホームのどちらにも切り欠きで折り返し専用のホームが付いており、それらは三角線と豊肥線用になるのだろう。それを合わせて、全部で6線。地上時代は5番ホームまでに0番がABとあったので、1本減る。優等列車は減ったものの、「あそぼーい」やSL人吉などの熊本始発のイベント列車が増えたので、捌くのに苦労するかもしれない。貨物列車用の通過線が欲しいところだが、その貨物列車も減ったので、必要ないか。Img_42591a

全面高架になれば、地上のホームは取り壊し、高架下を抜けられるようになる。そのためには駅ビルも大改装が必要になるので、取り壊して別に造るのだろう。熊本市電を駅の下を通して西部に延長する案もあるそうだが、どうなるものやら。ともかく駅ビルでは食事はできないので、ホテルへ直行する。

熊本泊。
(つづく)


2018/03/17

北九州経由熊本行き(2)

2018年2月21日(水)

天気、曇。
九州は朝が遅い。7時だとまだ真っ暗だ。今日は寒い。昨日はマフラーをした人はいなかったが、今日は見かける。写真撮影に関係ない荷物は、今日は小倉駅のコインロッカーに放り込む。ホテルに預けると、ホテルまで取りに行く時間がもったいない。813系で黒崎へ。Img_41571a
水戸岡氏好みの真っ黒い顔は、さぞや視認性が悪いと思う。JR九州の電車は、北九州の長編成は転換クロスだが、熊本界隈の2連ワンマン車はロングシートだ。逆のような気がするが、東北もそうだった。ワンマンは2連以下という見えない縛りがあるので、何かの弾みで乗客が増えたときに詰め込めるようにロングなのだろうか。信用乗車にすれば3連でも4連でもワンマンにできる。4連のワンマンは山陽線で走っているし(サンライナー)、信用乗車は吉備線で実質的に実施している。見通しの悪いホームがなければ、あとは割り切りだけなのだが。Img_41561a


黒崎の駅は、まだ工事中だ。駅裏に相当する線路の北側に道路ができて、沿線の雰囲気がずいぶん変わった。駅裏の電機会社の、昔いた設計室のあたりは、今は道路だ。筑豊電鉄の黒崎駅が入っているバスセンタービルは、一時は排気ガスがひどくて入っているテナントがどんどん逃げ出していたが、対策がされたのかまたテナントも増え出した。幽霊ビルにならなくて何より(^_^;。Img_41751a


まず昔の黒崎車庫前、今の西黒崎まで歩く。黒崎車庫はなくなったが、工場が残っている。留置線の奥に3連接車の生き残り2002編成(休車中)がいた。この2000形は、小生がまだ北九州にいた1976年に2連で登場し、翌1977年に3連化されている。登場時か3連化のどちらかは忘れたが、鉄道ファン誌に投稿し掲載された記憶がある。去年の夏には2003編成が運用に入っていたらしいが、去年12月の5004編成の入線で、2003編成も運用を離脱したようだ。小生は今日は5004編成の方を撮りに来ており、低床車は時刻がわかっているため、熊西まで歩く。幸い運用に入っていてすぐに撮れた。帰りにおみやげに2000形のキーホルダーを買う。Img_41991a

黒崎での撮影を終了し、折尾へ移動する。折尾は昔は珍しい立体交差の駅で、小生が初めて折尾に来たのは昭和34年(1959年)だったと思う。86牽引の普通列車で筑豊線を上って来て、折尾で降りて、跨線橋に上がったと思ったらそこは高架で、鹿児島本線の列車が入ってきてびっくりした記憶がある。その頃は折尾が急行の停車駅だった。それが小生がいた1970年代は黒崎の方が賑やかになって、当時の特別快速は博多を出ると黒崎まで止まらず、折尾は通過していた。Img_42001a
次の停車駅は小倉で北九州市では「小倉の次」という扱いだった。ところが重厚長大産業が集中していた黒崎(北九州全体としてそうだったが)は斜陽になり、国道200号線の両側にバス3駅分位続いていた三菱化成の社宅もなくなり、そごうも閉店したところ、今度は折尾の周辺に大学ができ、完全に折尾と黒崎の立場が再逆転してしまった。今は小倉の次に乗降客が多いのは、折尾である。Img_42051a


その折尾駅、こちらも工事中だがこちらは大工事で、出口がどこにあるかわからず、その出口を出てどこに出るのかが全くわからない。工事の主目的は筑豊線の高架化による踏切の解消であるが、そのために筑豊線を一旦西に振って鹿児島本線の下をくぐり、鹿児島本線と併行に折尾駅に入るようにするという大規模なものだ。折尾駅の正面口は今までは駅の南側だったが、工事が完成すれば北側が正面になる。それも鹿児島本線と筑豊線のY字型の分岐の間に入り、千葉駅のようなイメージになるのだろう。Img_42381a


今のところまだ踏切は残っているので、目的のバッテリー電車DENCHAを撮る。バックは筑豊線が走る予定の高架で、まさに工事真っ最中といった写真になった。鹿児島本線と筑豊線を結ぶ短絡線、筑豊炭田で取れる石炭を若松港だけではなく関門港まで運ぶために造られた線も、折尾駅の西側で分岐するようになるため、現在の短絡線部分は廃止になる。ここも写真に収めておく。バックのレンガアーチは、かつての西鉄折尾線の跡だ。Img_41931a


なお昔はこの短絡線と筑豊線の本線とが複々線になって中間まで続き、途中に路線別から方向別にするためのダイナミックな立体交差があったが、今は折尾を出たらすぐに複線に合流し、その立体交差も姿を消している。C57の引く通勤列車でその立体交差を通り、工場実習のため筑前垣生まで通ったのは、1971年のことだ。

(つづく)

2018/03/16

北九州経由熊本行き(1)

2018年2月20日(火)

天気、晴。
去年熊本のお墓の手入れをシルバー人材センターに依頼したものの、その結果は確認せずに今まで来た。要は、夏のあとは第九にかかりっきりになり、年が明けたら今度はインフルエンザで、行きそびれていたのだ。3月にAと北海道に行くつもりだったが、行き先を四国に変更したので、熊本まで行く余裕ができた。ついでに北九州を組み合わせ、筑豊電鉄の新車と、若松線(筑豊線)を走っているバッテリー電車を撮ろうという計画を立てた。小生の誕生日が2月のせいで、北九州(本籍地)や熊本へ行くのは、2月が多くなっている。あまり関係ないのだが。Img_42691a

岡山からは「さくら」で小倉へ。途中見た広島の球場近くのローソンが、青ではなく赤だった。さすがは広島。小倉について、頭の上を走っているモノレールをひょいと見たら、前方にブラシを付けている。多分レールの上の雪を書き落とす、スノープラウならぬスノーブラシだ。編成の両側ではなく、片方だけに付けている。複線使用の、斜め取り付けである。実際に写真を撮ろうとすると、良い画角がなかなか取れない。Img_40971a


荷物の中から宿泊に必要な、と言うより写真撮影に関係ないものを抜き出し、それをホテルに預ける。そして身軽になって門司港へ。久しぶりに九州鉄道記念館を訪ねる。企画展で写真展もやっているので、それも見るつもりだ。門司港に着いたら、何と「七つ星」がいた。それも今から出発するところ。ありがたいことにホームのこちら側に止まっているので、線路を挟んだ向かい側のホームでいろいろ撮る。じっくり見ると、装飾過剰だ。まあイベント列車なので、それもありか。Img_40991a

門司港の駅舎は解体修理の真っ最中で、カバーにすっぽり覆われている。九州鉄道記念館へ。乗車券を持っていると、入館料が割引になる。ICカードは、と思ったら、割引になるのはSugocaだけで、Icocaはダメだった。ここに保存されている機関車や電車は、屋根があるので痛みが少ない。Img_41101a
C59などは実にきれいだ。このC591が熊本機関区で引退したのは高校2年の時だったので、さすがにさよなら列車を撮るために学校をサボるようなまねはできなかった。写真展の方は、狭い通路のところに写真が展示してあり、見るための距離が取れない。これでは写真を撮った人が気の毒だ。他の写真展を見る度に、鉄研三田会の写真展はすごいと思う。Img_41161a

トロッコ列車を撮ろうと思ったのだが、トロッコ列車は土日のみの運行だった。昔入った喫茶店を見つけ、またそこに入る。昔は海沿いの喫茶店だったのだが、今は海岸線はずいぶん遠くなっている。ママさんに聞いたら、海岸線が移った(埋め立てられた)のは40年前だそうだ。来たのは1974年頃なので、44年も前だった!それにしても、よくつぶれずにある。Img_41211a

少し時間ができたので、門司で降りて「金太郎」EH500を狙う。「交直転換」という標識を入れて撮りたいが、電柱の羅列になる。関門間を通る旅客列車は、昔は宇部線を含めて山陽本線に小郡まで乗り入れ、また山陰側からも九州に入ってきていたが、分割民営化以降は下関までで打ち切られ、山陰からの乗り入れもなくなった。今は415系が小倉と下関の間を往復している。JR九州は交直流車を一切新製していないので、415系の寿命が来たらどうするつもりだろう。Img_41351a

少し早いが小倉に引き上げる。Aと一緒の時は暗くなるまで、いや暗くなっても撮り続けるが、1人の時は結構ゆったりしたペースで行動する。夕食は駅前のガスト。旅行中に土地の名産などを食べに行くと大抵はお腹をやられるので、慣れたものにした。

小倉泊。
(つづく)

2018/03/15

公共交通機関と市場主義

2018年3月15日

ローカルの話題ですが、両備グループ(対象は、両備バスと岡電バス)は、提出していた岡山県内(岡山市周辺)の31路線の廃止届を、撤回しました。元々は、新興のバス会社(もっぱら循環バスを「100円バス」として運行)が願い出ていた両備のドル箱路線西大寺線への参入が認められたため、反発したものです。両備バスや岡電バスは、赤字路線を黒字路線での収入で補っており、そこに「おいしいところだけつまみ食い」の業者が参入してくるというので、「やってられるか!」と赤字路線の大量廃止を申請したものです。

小生は、両備も岡電も、路線廃止と言いながら2018年製の新車を導入していたため、廃止申請はブラフだろうと思っていました。そして数路線廃止に落とし込むだろうと思っていたら、今回は全面撤回になったものです。ただ新興バス会社が申請した路線の取り消し申請を行うそうですから、まだまだ動きはありそうです。この新興バス会社、親会社はタクシー会社ですから、路線廃止になるとかえって都合が良いわけで、そういうところを相手に「正しい競争」が行われるかどうかは、疑問です。

ずいぶん前からですが、規制緩和とやらで、新自由主義的な(市場原理主義的と言っても良いです)政策が取られてきましたが、市場理論が成り立つのはある程度の人口があるところで、田舎では成り立ちません。地方都市での公共交通機関は、全体を通してやっと採算ベースに乗るかどうかと言うところですから、儲かる路線だけの参入は認めるべきではないでしょう。まして、安値攻勢をかけて他者を路線廃止に追い込み、さらには自分も「採算性が悪い」と言って撤退するようなところは、認めるべきではありません。

この「儲かるところだけつまみ食い」は鉄道でも言え、旧国鉄の中でJR東海はその際たるものでしょう。小生は広い意味での国防上ローカル線は必要(それどころか、北海道のオホーツク海沿岸の路線は、復活すべき)と思っていますが、そのためにはJR路線は再国有化が必要でしょう。そういう主張の本がありましたね。

2018/03/12

2つのホールで2つのコンサート

2018年3月12日

立て続けに、2つのオーケストラコンサートに行ってきました。その感想を。

まずは3月9日のN響倉敷公演です。場所は倉敷市民会館。このホールは多目的ホールですが、入って見たら横に広く、どちらかというと演劇向きですね。多目的ホールの音響は音楽には向いていないのは通り相場なのですが(音響を音楽向きにすると、台詞が聞きづらくなる)、一応音響は「良い」とされています。まあ、ピアニストの上原さんも、NHKホールを本拠地としているN響も、多少の音響の悪さなどものともしませんから、問題ないでしょう。曲目は、ラフマニノフのピアノ協奏曲3番と、ドヴォルザークの交響曲第8番。指揮は、ステファン・ブルニエです。

聞き終わって、上原さんのピアノは素晴らしかった。N響の演奏も良かった。特にチェロのパートソロは素晴らしかった。フルートの神田さんの演奏も素晴らしかった(終演後の「ブラボー」がすごかった)。だけど、何か物足りなかったのです。前回のN響岡山公演(場所は、岡山シンフォニーホール)の印象が強かったせいかもしれないのですが、「N響の弦ならもっと迫力があるはずだ」という感じがするのです。10000rpmまで回るエンジンに8000rpmでリミッターがかかっている感じでした。席は2階正面中央という一番音が良いはずのところでしたが、やっぱり、このホールは響きが悪いです。

なお、上原さんが登場してピアノの前に座るときと、ドヴォルザーク8番の1楽章と2楽章の間との2回、会場で携帯の着メロがなりました。響きが悪いおかげで大音響にはなりませんでしたが、やっぱり電波遮断装置は必要です。

間1日おいて3月11日に、今度は岡山シンフォニーホールで岡山フィルの第55回演奏会。ちょっと前なら、N響のすぐ後に岡フィルを聞くというスケジュールは、三つ星レストランのすぐ後に地元の大衆食堂に入る感じで、とてもできなかったです。曲目はベートーベンの交響曲第8番と、ショスタコービッチの交響曲第5番、指揮はシェレンベルガー。ただコンマスはゲストの鍵富弦太郎氏でした。

岡フィルの定期演奏会の時は開演前にロビーコンサートがあるのですが、この日はなし。シェレンベルガー氏のプレトークもなし。はて、と思っていたら、開演前に30秒の黙祷がありました。開演は午後3時、「あの日」は午後3時46分でした。群馬に出張中に巻き込まれ、その日は東京に帰れなかったですね。ホテルを取れたのが幸いでしたが。

まずはベートーベンの8番、「良いじゃない!」。岡フィルのアンサンブルが良くなって、それはコンマスが臨時に替わっても、変わっていません。後半のショスタコービッチ5番は、木管が3管に増える上にトロンボーンも入り、12型のオーケストラでこれをやると「弦がもう少し欲しいなあ」と思ったものでしたが、この日は違いました。弦の少なさを感じません。ホールの力もあるようですし、弦と管がぴったり揃って、迫力を出していたのかもしれません。すごいものを聞きました。

難と言っても、これは言っても仕方がないことなのですが、ショスタコービッチの第3楽章の終わり、実にきれいな和音でPPで消えるところ、その消えた瞬間に大音響で会場から「ゴホン」。もう数秒待ってくれれば良かったのですが、タイミングが悪すぎました。その後連鎖的に「ゴホン」「ゴホン」が続き、すぐに第4楽章に入りたかった(と思われる)シェレンベルガー氏、たまりかねて振り返りました。生理現象だから仕方がないですが、タイミングが悪かったですね。ただそこから気を取り直しての第4楽章は、素晴らしかったです。

次回の5月27日の第56回も、チケットは買ってあります。

2018/03/10

夢二黒の助バス

2018年3月10日

いろいろ変なバスを走らせる岡電バスですが、今度は黒の助バスが登場しました。モチーフは夢二郷土美術館の「お庭番」、黒猫の黒の助です。夢二の画に出てくる黒猫に似ていると言われています。S02img_50111a

今まで岡山駅から後楽園への直行バスにはスカイビューバスが当てられていましたが、紫外線が強くなって、屋根が透明なバスは「夏休み」。代わりに出てきたのが、このバスです。S02img_50311a


社番はS02ですが、どこにもこの社番は書いてありません。スカイビューバスが9m級だったのですが、今度は更に小形になって7m級です。最もダイヤ上1台ではまかなえず、他のバスも直行運用に入ります。多客期には、通常の大型バスも入ります。ナンバープレートも、S03(スカイビューバス)と同じ東京オリンピック協賛のものですね。S02img_50381a


S01からS04までの中型バス(9m級と7m級)は、おそらくイオンモールが開店したときに天満屋-高島屋-イオンモールを結ぶ「お買い物バス」として準備されたと思うのですが(全社中古車です)、お買い物バスが運行停止になって失業し、S04は売却されたのですが、後楽園直行バスとしての運用が回ってきました。捨てる神あれば、拾う神あり。

2018/03/09

肝臓の定期検診

2018年3月9日

半年に1回の、肝臓の定期検診に行ってきました。前々回(1年前)は採血で1時間以上待たされ、それより早く行った前回(半年前)は30分待ち。今回は思い切り早くして、7時45分に病院に着きました。ちなみに、受け付け開始は7時です。皆さん、早い(^_^;。ところが保険証確認の窓口が開くのが8時半、時間が無駄になるかなと思ったら、「お急ぎの方は採血などを先にお済ませください。」との案内があり、先に採血に行きました。

採血は受付は始まっていましたが、採血自体はまだです。ただ採尿があるので、受付機から自動的に出てくる紙コップを持ってトイレへ。そして待っていたら、すぐに呼ばれました。待ち時間は、20分弱です。やはり受付前に来た方が、待ち時間は少ないです。

採血の後は超音波検査です。これも待ち時間はほとんどありません。検査が終わって、「腎臓の方も写っていますか?」と聞いたら、「腎臓も写っていますよ。」との返事。「昔腎臓に石があると言われたけど、最近見えないと言われたんですよね。」といったところ、「ええ、まあ。」と、後はごにょごにょ。まあ、検査技士の方は結果は言いませんからね。

これで食事制限は終わりなので、自動販売機でミルクティーを買い、そのあたりのベンチでビスケットで朝食。薬を飲むために、朝昼兼用にはしない方が良いです。そこで内科の受付に行ったのが9時10分過ぎ、診察は10時の予約ですから、まだ時間はあります。すると受付の方、「先生が来られるのは10時過ぎですね。食事でもなさってください。」確かに、これだけ時間があるなら、普通に食事ができました。後で確認したのですが、食堂のモーニングサービス、アメリカンブレックファーストが9時から10時までの限定で、500円でありました。

待つのは覚悟で本を持ってきているので、ゆっくり読んで診察開始を待ちます。10時半過ぎに呼ばれました。こちらからは、CTで虫垂に石が見つかったことを報告。検査結果は、赤組=494万、白組=4750、血小板数=24.5万、AST=18、ALT=13と、異常ありません。HBs抗原検出せず。Cのウイルス量はTaq-manではなく定量ですが、まだ出ていません。このAST/ALTなら、まずいないはずです。気になっていた腎臓も、クレアチニン=1.02ですから、まあ良いでしょう。

超音波の検査結果も異常が無いので、腎臓の石について聞いてみました。すると、「小さな石だと、見えたり見えなかったりすることがありますからねえ。」と一般論だけで、今回の超音波検査であったのかなかったのかに関しては、言及無しでした。前から気になっていたのですが、Tの門の超音波検査では肝臓を見終わった後、「一応全部見ておきますね。」と言って腹部全体を検査し、肝臓に関係ない腎臓の石なども所見として明記されていました。ところがO大病院では、肝臓以外は言及せず、という感じです。まあさすがに大きな異常があったときには、「今度この科の検査を受けて下さい。」と言われるでしょうが、ちょっと不安ですね。会社にいるときは「腹部超音波検査」として成人病検査に組み込まれていたのですが、会社を辞めてからはそういう全体検査はやっていません。今度個人病院で受けてみるかな。

次回の肝臓の検査は、9月です。その時覚えていたら、朝食はアメリカンブレックファーストです。

2018/03/06

久しぶりの「サザエさんを探して」

2018年3月6日

四国に行っているときは新居浜の東○インに泊まりましたが、置いてある新聞が、珍しく朝日新聞でした。今まで泊まったところは読売か毎日で、朝日は初めてです。そして朝日は土曜日にBeが付いていたので、それだけは持って帰ってこちらで読むことにしました。以前東京では朝日を取っていたのでBeはなじみでしたが、岡山では地元紙の山陽新聞に変えたので、Beも久しぶりです。

そのBeの中に、「サザエさんを探して」はまだ連載されていました。ひょっとしたら、再開かもしれません。この「サザエさんを探して」の解説は、ときどきピント外れのことがありましたが、今回のものも見事にピントを外していました。

「サザエさん」の内容は1965年2月の作品で、マスオさんが会社のバレーボールチーム(と言っても実業団ではなく、昼休みに屋上でやるバレーのチーム)のコーチを頼まれ、その気になって準備運動して行ってみたら、マスオが世話好きそうだから結婚相手を探してくれるだろうと思ってコーチを依頼した、という落ちです。ところが解説は、会社の屋上のバレーの話で、何でこの落ちが落ちになっているかはわかっていないと見え、スルーしています。

実は大事なのは1965年2月という掲載時期で、1964年10月の東京オリンピックの4ヶ月後なんですね。東京オリンピックで金メダルを取ったバレーボールチーム「東洋の魔女」は、オリンピック時は全員独身だったのですが、それをオリンピック終了後、大松監督が全員を嫁がせたのです。「結婚こそ女の幸せ」と言う当時の価値観がわかっていないと理解できないと思いますが、「高年齢」(と言ってもせいぜい30ちょい)に「高身長」(と言っても160cm台)と言う「二重苦」だった女性達を全員嫁がせたと、大松監督の「手腕」が当時話題になったものでした。アラサーの結婚が当たり前で、170cm台の女性が珍しくなくなった現在では、理解しにくいでしょうね。

朝日の記者ともあろうものが、何で先輩(70歳くらいの方も顧問でいるはず)に当時のことを聞かなかったのかな、と思ったのですが、小生が今書いたようなことをコラムで書くとセクハラになるかもしれないと、わざわざわかっていて逃げたのかとも思いました。考えすぎかな?

2018/03/05

四国に行ってきました

2018年3月5日

3月2日から4日までの3日間、例の鉄仲間のAと、お供に最近Aの手下になっているT大大学院生のM君を加えた3人で、四国に渡り予讃線を撮ってきました。最初は北海道に行って函館線山線のラッセルを撮る計画だったのですが、Aが忙しくて(Aは70過ぎた今でも現役です)スケジュールがなかなか決まらないのと、小生が寒いのがいやになったので、四国に変更しました。北海道は猛吹雪で、四国に変えて良かったです。なお四国は3日とも好天に恵まれ、収穫豊富でした。なお彼ら2人は東京発のため、往復「サンライズ」です。Img_45521a

また4日は山陽線をEF6627が上るとの情報が入ったため、朝1回撮って急遽橋を渡って山陽線に行き、こちらもしっかりキャッチしました。大量に撮ると、昔は現像が大変だったのですが、今はストレージを食うだけなので、楽です。

写真は予讃線を走る「お遍路さん」こと新鶴見のEF65です。特急色が来ました。

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