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2017/12/29

高校受験の話

2017年12月29日

昔話ついでに、高校受験の時の話を。どちらかというと、試験ではなく受験勉強の話です。

小生の高校受験は、昭和39年(1964年=東京オリンピックがあった年!)でした。その頃の熊本の県立高校の受験科目は、9科目ありました。国語、数学、社会、理科、英語に、美術、音楽、技術家庭、保健体育のテストがありました。実技試験はできないので、ペーパーテストです。配点は、国語、数学、社会、理科が各50点、英語以下他の5科目が各30点、合計350点満点でした。英語の配点が低いところに、時代を感じます。

その頃県内で一流と言われる高校は、合格最低点が270点前後でした。これは主要5科目で満点を取っても230点にしかならないので、届かないんですね。必然的に、他の4科目のペーパーテストの勉強もやることになります。しかし実技のないペーパーテストをやることの意味やら、英語の配点が低いことの問題やらいろいろ問題が指摘され、小生達の2年か3年後には入試制度が変わり、英語を入れた主要5科目だけの500点満点に変わりました。

その他4科目ではどんな内容が試験に出たかというと、美術では色の3原色、色の3要素(色相、明度、彩度)、加算混合に減産混合、補色など。彩度が一番高いのは赤(彩度10)で、その次が黄色(彩度9)というのは、その頃教わりました。色彩理論の入口みたいなところですが、その後社会人になるまで(なっても)色彩理論を学ぶ機会はなく、十二色環や色立体などは中学の時に見たきりです。ただこれが頭に入っていたおかげで、マンセルは記号を見ただけで色がぴんとくるようになりました。

音楽は、シャープやフラットが付いたときが何調になってドの位置は五線譜(ト音記号だけ)のどこになるか。その頃は移動ドが自明のこととして扱われていましたね。おかげでシャープやフラットが3つまでなら、見ただけで何調とわかるようになりました。高校受験の範囲はシャープもフラットも3つまでです。それからオーケストラの楽器。おかげで見たこともない楽器の名前だけは覚えました。そして作曲家が何楽派か、古典派やらロマン派やらです。

技術家庭では、木工の道具の名前やら製図の基礎。第何画法とか、線の太さとか。太い実線が0.5mmから0.9mm、細い実線が0.3mm以下というのは、この時覚えました。それから、加工の精度記号。小生は途中で転職しましたが、転職先の会社は身分というか職掌というか、技術系は科学系と機械系しかなく、小生は機械系で入社しました。そのため図面も描かされたのですが、製図の知識はすべてこの中学時代に覚えたことでした。意外にも、きれいな図面を描くと褒められました。

一方カミさんは中学入試を経験して高校入試は経験していないため、小生が教わったようなことは何も教わっていません。その代わり、小学校時代の鶴亀算やら植木算やら、もう忘れたと言っていますが苦労したようです。小生はと言うと、中学受験はやっておらず学校でも受験者はいなかったため、鶴亀算などは一切やっていません。教師が、これは先に行っても役に立たない袋小路の学問だ、と判断したようです。実際中学で方程式を習ったら、鶴亀算なんか必要ないですからね。

入試の勉強でやったことは後では何の役にも立たない、という話を聞きますが、小生の高校入試の勉強は役に立たないどころか後々まで立派に役に立ち、身を助けることにもなりました。ただもうあんな後々まで役に立つような知識が身につく受験勉強など、出てこないでしょうね。

2017/12/24

レコーディング記

2017年12月24日

前回第9のDVDのことを書きましたが、小生は(と言うより、小生が所属していた合唱団は)昔LPを吹き込んだことがあります。ちょっと思い出して、その時のことをまとめてみました。クリスマスの、昔話です。


1969年、小生は大学3年生である。1年生の時は真面目に練習に通った合唱団であったが、2年から専門課程になって校舎が(武蔵)小金井になり、小生は沼部の下宿から引っ越さなかったため、沼部から渋谷経由で府中まで(府中からはバス)1時間以上かけて通うことになってしまった。更にそこから三田近くの練習会場に通う三角移動になるわけだが、再履修科目が出たためそれが5時限目に入り、とうとう練習に通えなくなり、合唱団は休部になってしまった。3年になり千歳烏山に引っ越し、5時限目もなくなってまた合唱団に復活した。そして何と、レコーディングもやることになった。

関西学院大学などはわりとよく吹き込みをやっていたが、小生がいたK大WS男声合唱団はレコーディングはあまりやらなかった。ここに来て急にレコーディングになったのは、その年のアメリカ公演の渡米費用補填のためだと、後で聞いた。なおこのアメリカ公演、小生は行っておらず、更にパートによって渡米メンバーに選ばれる/選ばれないが最も顕著に出たのが小生達の世代で、卒業後小生を含め同期会には出るが全体の同窓会には出ない、という顔ぶれが増えた原因にもなった。

閑話休題。録音は5月24日(土)、世田谷区民会館で行われることになった。曲は多田武彦作曲男声合唱組曲「雪明りの路」、指揮はブル先生である。多田武彦氏の作品はほとんどが無伴奏、と言うより小生はピアノ伴奏の付いた多田作品を知らない。その前の週の5月18日に東京六大学合唱演奏会(通称、六連)で東京文化会館で披露し、好評だった曲である。

会場の世田谷区民会館にはどう行ったのかは記憶にないが、スマホはおろかパソコンすら無い時代、安全確実な渋谷経由で世田谷区民会館行きのバスを使ったのだと思う。集合は午後1時だったか1時半だったか、土曜も午前中は授業があるため、三田から特急で駆けつけてやっと間に合う時間であった。小金井(小生は府中)からまともに行ったら間に合わないが、確か3年前期は土曜の午前中は電気工学の実験だったと思う。実験だと、要領の良いメンバーがいれば、さっさとデータを取って指導教員(私立なので、教官ではない)に確認をもらえば、時間前に帰れる。小生はそれで駆けつけたが、同じ電気科で合唱団のHはデータが取り終わらずにあきらめた。

無事集合時刻前に世田谷区民会館に着いた。ただしこれまたコンビニおにぎりなど無い時代、昼食抜きである。まあ何とかなる、と思っていた。会場はビクターの技術者さん達がマイクを建てて準備をしている。これまた確かではないが、ステージではなく客席の前の方からステージに向かって歌ったような記憶がある。

発声練習後まずは試し録り。一週間前に演奏会をやったばかりなので、完成度は高い。すると録音ディレクターから、「先生、全然ダメ!まるでフラット。」録音ディレクターは女性で、別室からマイクで伝えてくる。さすがビクターの録音ディレクター、耳が肥えている。気を取り直してもう一度、「先生、やっぱりダメ!」ブル先生「みんな、一体どうしたんだ!」すると元気なく「おなか空いた。」小生だけではなく、三田のメンバーも時間を守るために食事する時間がなかったのだ。ブル先生はディレクターさんと協議し、このままでは録っても使えそうもないので、「よし休憩、みんな食事に行ってこい。ただし腹一杯は食うなよ。」と臨時の昼食時間になった。当然、小生も出かける。

普通歌う直前に食事するのは、喉に脂肪が膜を作るので、やってはいけないことになっている。ところが食事を終えたらみんな元気いっぱい、再度歌ったら、「先生、これならOK。」若者には大人の常識は当てはまらない、と言うことになった。その後「梅ちゃん」だけは六連の時は「火を出した」をほとんど「シを出した」という発音で歌っていたのを、シだと子音が強すぎてレコードでは聞きづらい、と言うことでいくらかヒよりに変えたくらいで録音は順調に進み、無事終了した。

この録音は、ビクターよりLP(SJX-1017、現代日本合唱曲選5、多田武彦作品集男声編)で発売された。A面は「柳川風俗詩」と「雨」、B面が「雪明りの路」に、「ふり売り」、「年の別れ」。「雪明りの路」以外はいずれも協ちゃん先生指揮の関西学院大学グリークラブで、何のことはない、関学に便乗させてもらった格好だった。ただ両合唱団の音色はまるで違い、一度FMで「雨」から続けて「雪明りの路」が放送されたのを聞いて、その音色の違いにびっくりしたことがある。

このLPに収録された関学の「雨」は絶品で、当時つきあっていた女の子にこのLPをプレゼントしたが、彼女は「雨」ばかり聞いていると言っていた。なおその後小生はその女の子と結婚したため、家にはこのLPが2枚並ぶことになった。

後日談になるが、新しく出たCD(VZCC-25)では「雨」は京都産業大学グリーのものに差し替えられている(いきさつは、こちら)。そのため、LPから凡太郎氏に頼んでデジタル化してもらった。これは小生のパソコンとウォークマンに入っており、LP自体は岡山への引っ越しの時に動かなくなったレコードプレイヤーと一緒に処分してしまったが、音源だけは確保してある。また今回YOU TUBEを検索して出てきた「雪明りの路」の中に出所不明のものがあったが、聞いてみたら我々が歌ったものだった。ご参考まで
もう48年も前の話である。

2017/12/21

第9のDVD

2017年12月21日

日にちが前後しましたが、一昨日に先日の第9の写真とDVDが送られてきました。写真は、プロが撮っただけあってきれいですね。歌っているところの写真では、M先生の口がきれいに縦に開いているのに対し、小生は口が横に開いています。多分「あ」か「え」の音で、ヴォイトレの先生からも散々言われたのですが、ドイツ語の発音に注意するあまりに口(すなわち、発声)がおろそかになり、学生時代の癖がそのまま出たようです。声優の先生をしている姉からも、口は縦にして発声する(その方が、言葉がはっきりする)ようにと言われていたのですが、完全に抜けました。来年(出られれば)の課題です。他のところは、姿勢が変に曲がっていたり、うつむいたりしていなくて、良かったです。

DVDの方は、昔はこういうものはなかったので、自分の歌っている姿を見るのは初めてですね。学生時代に一度テレビで歌ったのですが、カミさん(当時はカミさんではありません)のいた女声は一人一人カメラが追ったのに、男声は指揮者とゲストの方しか写りませんでした(;_;)。まあ、美女はいましたがイケメンはいませんでしたから。

それで見てみたら、入場時にやたらきょろきょろしています。みんな入って来る方に気を取られて、すでに入った連中にはさほど注意は払われなかったと思いますが、ここは撮影範囲外だと思って気を緩めたのがいけませんでした。待機中は、顔をなるべく動かさないようにしていたのは正解でした。ただ小生は顔を指揮者の方に向け(実際は木管を主に見ていたので、もっと右に向いていた)ていたのに対し、前の若い方が正面を向いていたため、その差が目だちます。

肝心の歌の方は、歌っていると自分のパートとせいぜい隣、フォルテになるとオーケストラの音すら聞こえなかったので、「客席では、こんな風に聞こえるんだ。」とちょっと驚きです。歌の方は、吹き込んだレコードを聞いたときも主旋律が主に聞こえるのに「なるほど」と思ったのですが、今回も聞こえるのはほとんどソプラノですね。ただハモっていますので、ヘッドホンなので注意して聞くと、各パートが聞こえると思います。男声合唱のLaufet,Bru¨derの部分は意外と小さく、そのおかげでテノールソロを消さないでいます。これはマエストロの指示で、狙い通りでしょう。「歓喜の歌」の後の男声合唱部分は、きちんと声が出ていました。ただその次の女声が入った後のganzen Welt!はテノールが最高音Gになるので、ここのGはもう少しボリュームが欲しかったところです。小生はその次のu¨berm SternenzeltのFに備えてサボっていたので、大きなことは言えませんが。来年があれば、ここもGを張ってなおかつその次のFが出せるよう、発声練習です。

この第9は、12月25日(月)、18時からoniビジョンで放送されます。と言っても、oniビジョンはケーブルテレビなので、岡山限定、岡山でも契約者限定です。東京地区の方、申し訳ありません。

2017/12/20

大腸の内視鏡検査

2017年12月20日

大腸の内視鏡検査に行ってきました。今年1月の検査でポリープを取ったので、そのアフターフォローも兼ねてです。1月は冷え込むので12月にしたのですが、今年はエルニーニョのせいなのか、やたら寒いです。もう少し早めの方が良いかな。
東京のクリニックと違ってこちらのクリニックは制限が多いというか、指示が細かいです。前日から食事制限どころではなく、専用食です。それでももうこちらで2回目ですから、勝手はわかりました。

朝から1.8リットルの腸洗浄液を飲み(こちらのメーカーのものの方が、溶けやすい)、指定時間にクリニックへ。冬場はこの1.8リットルを飲む間と、エネルギーのない状態でクリニック(東京でもこちらでも、歩いて行きます)に行くときが一番寒いのですが、今日は日差しがあったので助かりました。岡山では気温が低くても、日差しがあると日なたが暖かいのです。そして検査着に着替えて検査室へ。軽麻酔をお願いしていたので、横になって点滴に麻酔剤が入れられると、先生がおしりに潤滑剤を塗っている間に意識がなくなりました。終了のちょっと前、何かおなかでごそごそやっている感覚で目が覚め、すぐに終わりました。それからストレッチャー、ベッドと2回移動し、ベッドで1時間くらい寝かせてくれましたが、また眠っていたみたいです。

検査結果はというと、横行結腸と下行結腸に小さなポリープが計3個、いずれも小さいので、ワイヤーを巻いて焼き切るレベルではなく、組織検査と同じつまみ取りでした。そのため術後の制限も「検査だけ」と「ポリープ切除」の中間で、食事制限も今日明日だけです。ただアルコールは一週間ダメですね。ただ虫垂の入り口が隆起しているそうで、念のため腹部のCTを受けることになりました。これは年明けです。また先週取った胃の組織ですが、炎症程度は軽度、悪性所見はなし、という検査結果が帰ってきました。またついでにやったピロリ菌の検査でも、ピロリ菌はいませんでした。ピロリ菌については、散々山の水や井戸水などを飲んだ世代なので、てっきりいると思っていたのに、意外です。

もう一つあったのが、「痔核を認む」。小生は土地など持っていないのに(マンションの区分所有権はありますが)痔主で、第九の本番で固いところにずっと座っていたため、悪化しました。「出血があったら、すぐに連絡するように。」とクリニックから言われていますが、こっちの出血は黙っていよう。

2017/12/18

C型肝炎治療ガイドライン第6版

2017年12月18日

miyaさんのブログにもありましたが、C型肝炎治療ガイドラインの第6版が発行されました。この版からか、あるいはもっと前からかもしれませんが、治療の第一選択はDAAになっていますね。ずいぶん変わりました。

小生が注目したのは第一選択の話ではなく、DAAの発癌抑制効果のことです。以前は、DAAはIFNに比べて発癌抑制効果が少ない(あるいは、発癌抑制効果がない)という報告もあったのですが、最近の治療の結果から、DAAの発癌抑制効果がIFNと同等であることが明記されました。これはDAA治療を受けられた方には朗報ですね。

ただIFNにしろDAAにしろ「発癌抑制効果」であって、「SVRになりました。これで癌の心配はなくなりました。」というわけではないんですね。以前は、「IFNで爆弾犯をやっつけたのでこれ以上の爆弾は出てこないが、すでに仕掛けられた爆弾はどうしようもない。」という例えが使われていたのですが、発癌の原因はそう単純なものでもなさそうです。小生の頃はCR(その頃は、SVRとはあまり言われませんでした)後のフォローは10年だったのですが、ひょっとすると今はもっと長くなっているのかもしれません。小生の場合は10年経たないうちに「高齢者」の仲間入りをしたので、肝臓の定期検診はこれからずっと(死ぬまで)です。

もう一つは、これは最新の記事ではないのですが、リバビリンは肝臓では分解されずに腎臓から排出されるんですね。そのため、腎機能障害のある方には慎重に投与とされているのですが、腎臓にもかなりの負担がかかるようです。小生はCR後5年くらい経ってから腎機能の低下(塩分の摂取を減らしなさい、レベル)を指摘されたのですが、リバビリンの影響かもしれません。

小生は心臓にしろ腎臓にしろ(目まで入れると、もっと)、身体にかなり負担がかかってあとまで影響の残るような治療をやったわけですが、実家近くで一緒に育って幼稚園から高校まで一緒だったあとの2人はすでに肝臓病で鬼籍に入っていますから、IFNを3回受けた小生だけが生き残っているわけです。それを考えれば、何のかんの言っても元気に活動できているのですから、IFN治療は良かったと思っています。

2017/12/17

第9練習中の写真が送られてきました

2017年12月17日

先日地元紙に第9の練習中の記事が掲載されましたが、その時の写真を新聞社に請求して、それが送られてきました。掲載写真は有料で頒布してくれますが、写っている当人かその家族以外は送ってくれません。いろいろ管理が厳しくなってきていますね。

その写真ですが、新聞紙面はモノクロでしたが、カラーの、それもすごくシャープな写真でした。撮っていたのは(おそらく)フルサイズのデジカメですから、きちんと撮れば(ドジをやらなければ)、全紙の倍サイズにも伸ばせるような高精細の写真が撮れます。新聞社発行の報道写真集などの写真は、どれもきれいですね。これだったら、A4で送ってもらってそれをスキャナにかけて保存して置いた方が良かったかな。ともかく、記念(冥土の土産とも言う)がまた増えました。なおこの写真は著作権が新聞社にありますので、このブログに載せることはできません。

さて年賀状にかからねば。印刷はほぼ終わりましたが、名前だけは自分で書くようにしています。ただ水曜日は大腸の内視鏡検査で、一日取られます。出来上がるのは、今週末かな。

2017/12/14

第9が終わったら医者通い

2017年12月14日

第九が終わったところで、伸ばし伸ばしにしていた医者通いです。まずは歯医者。前歯が変に痛かったのですが、どうやら歌っていて顎の筋肉の付き方が変わったようで、噛み合わせが変わりました。特に強くあたるようになったところを修正。曰く因縁のある歯で、本格的に修理しようとすると半分近く削らなければいけないそうなので、多分これでOKでしょう。

次は眼科。下まぶたに何か(ものもらい系)ができているそうです。黒目には傷がなかったので、目薬(クラビット)を一週間もさしていれば治るでしょう。

そして今日、胃カメラ(胃の内視鏡検査)に行ってきました。小生は喉の「オエッ」のポイントがかなり深いところにあり、麻酔が効きづらいので、胃の内視鏡は苦手なのです。Tの門の入院中に胃の内視鏡検査をやったときは、やった先生(若い=研修医?)の腕が悪く、喉が少し切れてしまいました。事前にその話をしたら、「では眠くなる薬を使いましょう。」ということになり、検査中は例によって爆睡。マウスピースを咥えたときまでは記憶にありますが、その次は、「南海さ~~ん、ベッド移りま~~す。」の呼びかけでした。ベッドを移ってからも、熟睡。小生は、麻酔が良く効きます(^_^;。

検査結果は、
○下部食道に、逆流性食道炎が治ったあとがある。→これは初めて聞きました。多分3年前の夏、RFCAを受ける前、鉄研の80周年記念パーティの時にすごく具合が悪くなり、吐き気がしてトイレにしばらくこもっていましたが、その時のでしょう。
○小さいポリープあり。これは問題ないので何もせず。
○胃幽門前庭部に小さいびらんあり。→これは多分問題ないそうですが、一応組織を取られました。

大腸のポリープはしょっちゅう取られていますが、胃の組織を取られたのは初めてです。このくらいのことは過去にも多分あったのだろうと思いますが、昔はワーファリンを飲んでいたため、軽いものは翌年再検査でそのままスルーされていました。今は取っても平気なので、(最近の学会通達では、ワーファリンを飲んでいても組織は取りますが)、すぐに生検になります。

結果は来週、今度は大腸内視鏡の検査の時に聞きます。

2017/12/11

第9演奏会、無事終了しました

第9の演奏会は、無事終了しました。良い演奏で、合唱も良かったようです。伝聞ですがオーケストラの方からも「今年の合唱はすごい」という声を聞き、オケ合わせの時からシェレンベルガー氏の指揮が合唱が入る部分でオーケストラに「もっと出せ」とあおるような指揮になったので、声も良く出ていたのでしょう。東京から聞きの来たドラ息子も「合唱は難しいところで声が良く出ていた。」と言っていたそうですし、指導のM先生も「PPのAhnest duのところは感動した。」とおっしゃっていましたので、合唱は良かったのでしょう。こればかりは自分では聞けませんので。

ご来場いただいた皆様、ありがとうございました。

さて、当日はというと、、、。

2017年12月10日(日)

いよいよ本番の日であるが、朝からおなかの具合が悪い。緊張なのか、日頃ぐーたらしているのがいきなり3日連続の練習本番となったからなのかは不明だが、体調は悪い。おまけに、自宅近くのコンビニでサンドイッチが品切れ、気分も悪い。10時半以降は外出禁止なので、昼食は仕入れておく必要があるのだ。バスを1駅手前で降り、ホール近くのコンビニでサンドイッチとおにぎりを仕入れる。

テノールの控え室で、なぜかいつもの最前列のメンバーが揃う。そう、バスの新人さんは部屋を間違えているのだ。このバスの新人さん、カラオケは得意だが譜面は読めないという75歳、良く挑戦されたと思うが、すべて記憶で譜面を覚え、見事皆勤で今日まで来られた。終わったら皆勤賞の賞状にシェレンベルガー氏のサインをもらうとのこと、小生もまねしよう。

声出しの頃にはおなかも何とか落ち着いた。控え室からイベントホールに移動して発声。この第一声が、見事にピッチが揃っている。今までの練習では、結構ピッチがばらばらだったのだ。気合いが入ると違うものだ。発声と昨日の指摘されたところの確認。早めに終わったので、また控え室に戻る。ところが、ゲネプロ開始12時の予定が10分早まった。またイベントホールへ戻り、今度は本番の出場の練習もかねてその通りに歩いて行く。このイベントホールは小ホールの扱いで、イベントホールから直接大ホールの楽屋へ行く通路はない。そのため、一旦大ホールの入口を横切っていくことになり、本番ではお客さんから見ると、「出演者がうろうろしている。」と見える。

上手から舞台へ入場、去年は合唱団が先に入場したが、今年は第9の前にエグモント序曲があるので、オーケストラがいるところを、上手はティンパニーの横を通って入る。階段が等ピッチでないので、つまずきそうになる。整列後着席。ゲネプロ開始だがすでに第1第2楽章は終わっているようで、第3楽章からだ。体調は良くなく、耳管開放症まで起こってきた。これは脳貧血の2歩くらい手前のところで、血圧が下がりすぎているのだ。会話の時には自分の声の高さがわからず不安になるが、歌で高音を出すときは問題ないので、歌えるはずだ。第3楽章を聞きながら、昼食は全部は食べずにおにぎりだけにしておこうか、など余計なことも考える。合唱部分はまあ歌えたが、最後のところのDeine ZauberとプレストのWeltを7拍延ばしたあとのBru¨der!は出損なった。

ゲネプロが予定より早く12時30分に終わったので、昼食はきちんと食べる。セ○ンイレブンのハムレタスサンドと梅おにぎり1個が旅行の時に定番昼食で、今回もいつもと変わらないようにそれにした。胃腸薬も、しっかり飲んでおく。小生も着替えたところで、バスの新人さんにドクターを入れて記念撮影。高齢者はトイレ談義。待機時間も入れて2時間で、映画1本の長さと変わりないのだが、やはり気になるのは同じだ。できるだけぎりぎりにトイレに行くようにする。のんびり無駄話をしていたら、体調もだんだん良くなってきた。耳管も戻った。

14時30分頃イベントホールに行き、発声と最終確認。この時は大ホールは入場の真っ最中で、小生から切符を買って下さったヴォイトレの方と出くわす。どこかでお礼に伺わねば。最終確認は短時間ですんだので、臨時の最終トイレタイムができた。ありがたく使わせてもらう。

行動が早め早めなので、あちこちで待機時間ができる。まあ遅れるよりは良い。オケの入場終了を待って移動開始。と思ったらまだ入場が済んでおらず、階段の途中で待機になった。女声はスカートが長く、階段は大変だ。舞台袖に着いたときにはまだチューニングの前、そこでまたしばらく待機。エグモント序曲は10分くらいでい終わるから良い。拍手が途切れたところで入場。そしてシェレンベルガー氏が入場してこちらを向いたところで着席する。

第1楽章が始まる。これから40分くらい待機する合唱団は眠くなることが多いと言われているが、ここは木管アンサンブルを聴くには特等席である。居眠りなど、もったいない。今日のオーボエは良い!後で調べたら、工藤さんは東京アーチスツの方だ。えっ。ティンパニの音がゲネプロと全然違う!トランペットももごもご言っていない。本番に照準を合わせてきたのだ。さすがプロ。ティンパニの深町さんは武蔵野音大出身、西日本には珍しいドイツ型配置だと思ったら、そういうことだった。管だけではなく、弦もなかなか良い。ドラ息子は終演後、「良いホールで聞くと、岡フィルもうまく聞こえる。」なんぞぬかしやがったそうだが、岡フィルはうまくなったと思う。

コントラファゴットはファゴット3番との持ち替えだが、リードは違う。すぐ目の前なので見ていたら、3番を吹きながらコントラファゴットのリードを水に漬けておき、3番の演奏が終わったら今度はそちらのリードの始末もする。オーボエやファゴットのリードは、湿らせておかないと音は出ないが、水につけすぎてもまた良くないという、時間管理が必要なリードだ。陰の大変さが、目の前で見られた。

第3楽章の前でソリストが入場するところで、肩を回す。本当は首も回したいところだが、それはあまりにも目だちすぎる。第4楽章に入ったところで、口の中で舌を動かしたり、唇を少し動かしたりしてウォーミングアップする。第1声のFreide!は客席の後ろまで響くように、と言われているのだが、実際にはウォーミングアップから時間は立っているし、身体はじっとして固まっているし、いきなりは難しいところなのだ。バスの片桐さんが立ち上がるのに合わせて合唱団も立ち上がる。Freude!はうまく響いた。マエストロにんまり。

前半の山場(と小生が勝手に思っている)vor Gott.はFの音を思いっきり響かせる。マエストロのフェルマータの引っ張りがいつもより長いが、ちゃんと付いて行ける。ばん、とオケと一緒に終わり、会場からぼわんと反響が来る。小生はこれを聞きたくて第9を歌うようなものだ。客席で聞いたのと舞台で聞いたのとの差はあるが、サントリーホールがバンという感じで帰ってくるのに対し、もっと豊かにぼわんという感じで帰ってくる。このホール、低音域の残響が長いのだろうか。2017001b


いわゆる「歓喜の歌」のFreudeは音量があった。Deine Zauber 今日はGが軽く出る。体調も完全に回復したようだ。我ながら本番に強い(^_^;。ただ本当の頑張りどころ(とこれまた小生が勝手に思っている)はこの後の男声だけのところだ。特に2回目の、Bru¨der以降のFの音、周りが息切れしてくるので小生はここで踏ん張る。うまく行ったようだ。あとは一気に。4重唱フーガではテノールソロの松本さんの声が良く聞こえ、初めてDeie Zauberがぴったり出られた。本番になると、ソプラノの浜田さんはすごい。そのままプレスト。ga-で伸ばしながら音程が上下するところは、音符ごとに腹筋で切る。最後のAの音は出ないので、その前のFreude,scho¨ner を思いっきり出す。最後のオーケストラは怒濤のように終わった。今日も「ブラボーおじさん」が来ていたようで、「ブラボー」がややフライング気味のようだったが、舞台で聞く「ブラボー」はまた格別だ。これはやみつきになる。

終演後着替えて、打ち上げ会へ。ソリストの方達は退出が早くサインはもらい損なったが、シェレンベルガー氏と渡部先生からは、「皆勤賞」の賞状にサインしてもらった。「冥土の土産」がまた一つ増えた。

2017/12/09

第9合唱練習記(14)

2017年12月9日(土)

今日の練習開始前というか、開始直後と言うかのタイミングで、練習の皆勤賞の表彰があった。小生も皆勤賞をもらったが、小生は後どもの頃から病気がちで、学校の無欠席など、記憶にない。当然、皆勤賞など無縁であった。生まれて初めての皆勤賞である。長く生きているといろんなことがある(笑)。

今日はまず入退場の練習。仮設の階段だが、一応手すりがある。小生は下りの時に階段とのピッチが合わず、ぶつかりそうになった。本番でも退場の方が手間取りそうだが、実際は演奏後だから良いか。

そしてオケ合わせ。書きたいことはたくさんあるが、あまり書いている時間がないので、少しだけ。第9というのはオケにとっても、またソリストにとっても大変な難曲だ。18時から始まった練習は19時10分に終わったが、合唱団が解散したあと、居残り練習をやっているオケの方がたくさんいた。
合唱の男声の席では、ファゴットが良く聞こえる。ファゴットの1番は主旋律を吹くことが多いのはスコアを見て気がついていたが、まさにそれを目の前でやっていた。

明日は早い。最も某先生のように朝から美容院に行く必要は無いが。なおそれを聞いて頭髪減少中のM先生が、「ぼくも行こうかな。」と言っていた(^_^;。小生は睡眠時間の確保に努める。つまり、早めに寝ます。オヤスミナサイ。

第9合唱練習記(13)

2017年12月8日(金)

練習の度にと言っても良いくらいに「子音を早く!」と言われていたが、やっとコツがわかったというか、何とかできるようになった。もうほとんど練習は終わりだが、本番に間に合った、とも言える。

本番は、もう明後日である。靴をチェックし、白ワイシャツと黒服(略礼服だが)を着てみる。白ワイシャツは去年仕立てたものの着る機会がなく、そのままになっていたもの。この歳になると冠婚葬祭の中であるのは葬と祭ばかりで、そのほとんどが葬だから、着る機会がなかったのは良いことだ。黒蝶ネクタイを着けると、「お客様、お部屋は1302号室でございます。」とでも言いそうな雰囲気だ(笑)。ただ黒服が少し大きくなっている。服が大きくなるわけはないので、小生が痩せたのだ。会社を辞めたあと体重が5kg減ったきり戻らない上に、満員電車に乗らなくなって肩の筋肉は一段と落ちたので、上着はサイズ2つ分位身体が細くなった。まあ今更新しい服は作らないので、もし来年があってもこのままだ。

今日からシェレンベルガー氏指揮での練習で、場所も大ホールに移る。ホールに行く途中でヴァイオリンを持った人とすれ違う。合唱練習の前は、オケのリハだったようだ。練習会場に着いたら、当日の注意事項と舞台の配置表(並び順)が配られる。高所恐怖症だから最後列は怖いと言っておいたが、真ん中やや後になった。やれやれ。

発声練習の後、舞台へ移動する。裏からかと思ったら、表から。客席に一旦入り、荷物は客席において舞台に上がる。ひな壇の自分の位置は、そんなに高くない。立ってみたら、指揮者がちょっと下気味の位置になる。覗き込むような位置だと大変だが、このくらいなら十分だ。しかもパートの真ん中である。これは楽だ。ただ小生はどうしても猫背になる癖があるので、本番では注意しなければいけない。

舞台から見た岡山シンフォニーホール、上は思ったより高くない。東京文化会館の舞台から会場を見たときには、その圧倒するような高さに驚いたものだった。良い感じで歌えそうである。ひな壇の前はオケの椅子、所々楽器の手入れ具などがそのまま置いてある。ただ中央部分は片付けて、ピアノ。向きは普通のピアノ協奏曲と同じに蓋の開口部が客席を向いているので、あまり聞こえない。

金曜日なので遅れてくる人が多く、少し待って19時、「コンバンハ。」とシェレンベルガー氏登場。持っているフルスコアの表紙の色が同じえび茶色というか、早稲田カラーだ。先日見たベルリンフィルのドキュメントでソプラノの歌手が持っていた楽譜も同じ色だったので、これがベーレンライターの色か。

練習のテンポが速い。歌う速度が速いのではなく、歌って、注意し、また歌い、次に移る、のテンポが速い。注意をメモする時間がない。また場所の指示が小節番号ではなく練習記号なので、これまたまごつく。指示は英語だが、この練習記号の発音はドイツ語だ。「ペー!」とか指示される。明日までに、練習記号の見出しを付けておかねば。なお合唱だけの場合(ピアノ伴奏か無伴奏)の時は、楽譜には小節番号は書いてなく、指揮者は大抵歌詞で指示する。細かい指示は、隣に立っている渡辺先生から日本語訳が出る。渡辺先生と話すときは、ドイツ語だ。演奏速度は、男声合唱のLaufet,の部分は速かったが、2重フーガ(渡辺先生はドイツ語でドッペルフーガ、シェレンベルガー氏は英語でダブルフーガと言った)は思ったよりゆっくりだった。問題の最後のTocheter aus Elysium(916小節)は6つ振りだった。これは合わせやすい。vor Gott!は繰り返すごとに大きくとか、最後のプレストの途中でga------とアだけで音が上下するところは音を明確に笑うような感じでとか、新しい指示もたくさんあった。

最後まで通したところで19時40分、これから最初に戻ってもう一度通すかと思っていたら、にこやかに「アリガトゴザイマス。」と練習終了。渡辺先生の話では、仕上がりに満足されていたそうだ。ホントかな?という気もするが、音程が怪しいところはオケが入ると同じ音で弾いてくれるところが多く、問題ないのだそうだ。音程の一番の問題はソプラノのHの音らしいが、ここは同情する。暗譜がほとんどできており、皆楽譜は持っているものの見ないで、つまり指揮者を注目して歌っていたのを喜んでいられたのは確かだ。

次はオケ合わせだが、その前に入場の練習がある。こっちの方が問題かもしれない。

2017/12/06

第9合唱練習記、またまた番外

2017年12月6日

本日の山陽新聞に、「岡山第九を歌う市民の会」の練習風景が紹介されました。デジタル版では、こちらです。
良い機会なので、小生はこの写真を山陽新聞社に申し込みました。写っている本人か家族だと、送って(当然、有料で)もらえるそうです。

インフルエンザやひどい風邪を引き込まないように、注意しよう。練習だけ写真があって本番に乗れなかったら、目も当てられません。

2017/12/04

伯耆大山まで行ってきました

2017年12月4日

東京での鉄仲間、大学出同じクラブで同じ研究室だったのですが、そのAから珍しく岡山に行けることになった、と連絡が来ました。12月2,3日の土日で、1日(金)に大阪にプロジェクトでの出張があるみたいなのです。出張のついでに土日に足を伸ばすのはAの常套手段ですが、小生は現役時代は出張は多かったのですが、土日にそこから遊びに行くことはなかったですね。不器用なのか、仕事と遊びを途中で切り替えることができず、仕事は出発して帰着するまで仕事、遊びは最初から最後まで遊びでした。Img_36261a


さて、土日に来るのは良いのですが、Aの行動はすごくハードスケジュールです。小生と一緒の時は小生に気を使ってホテルを取りますが、一人か体力のある仲間と一緒の時は夜通し撮影して車中で仮眠です。ところが小生は土曜日は練習日、練習のため途中で抜けるのは良いのですが、翌日の早朝出発はちょっと体力的に厳しいので、最初は3日だけつきあうことにしましたが、本番の一週間前ということもあって、予定を変更して2日だけつきあうことにしました。

2日の朝8時過ぎ、岡山駅にAと連れのT大4年生のM君が現れました。T大も合同のプロジェクトで、M君はAのパシリをやっていたようです。仕事場ではAは技術士の「先生」なので(しかも新潟で大学の講師もやっています)、エラいのです。そしてレンタカーで出発です。Aはレンタカー代の「分母」を増やすために、仲間に声をかけます。小生も、分母要員です(^_^;。

行き先は伯備線です。まず新見の手前あたりで撮って、そこから一気に伯耆大山を目指します。途中コンビニによって食糧を補給、Aと一緒の時は昼食休憩などないので、食料と飲み物は確保しておかないと、大変になります。大山をバックに、特急と貨物を撮影、晴れていて良かったです。地元の方の話では、一週間前の方が大山の雪は多かったそうです。

そこから貨物列車を追いかけます。伯備線はほとんどが単線なので貨物列車は停車時間が長く、その間に追い越して先回りができます。そして数回撮って、新見で下ろしてもらいました。小生は新見から「やくも」で岡山に行き、駅ビルのド○ールでおやつと休憩、それから練習に行きました。Img_37101a


翌日は反省会という名の打ち上げ会をやることにして、その前に岡山を通る臨時の「サロンカーあさかぜ」の駅撮りで合流です。夜というのに、結構同業者がいましたね。今はデジカメの性能が良くなったので、夜でも駅の明かりで撮影ができます。まあ東京ほどの混雑ではないので、小生でも写真が撮れました。

打ち上げ会と言っても、小生は岡山で飲み屋風の店には入ったことが無く、駅ビルで適当な店、一応ママカリを出してくれるところがあったので、そこに入りました。下津井のタコがおいしかったです。彼らは駅前で岡山電気の路面電車を撮り、夜行の「サンライズ」で帰りました。学生さんはともかく、Aはアラコキなのに体力あるなあ。

2017/12/03

第9合唱練習記(12)

2017年12月2日(土)

自分で練習するときに合唱練習用CDというのを使っているのだが、初めて普通の第9のCD、小澤征爾指揮のサイトウキネンオーケストラのだが、それに合わせて歌ってみる、というのをやってみた。指揮がないのでタイミングはつかみづらいのだが、意外と歌えるものだ。アンドロードウォークマンの内蔵スピーカーなので4重唱の時にはソプラノしか聞こえず、4重唱フーガのあとのDeine Zauber(795小節)の出だしはタイミングが全くわからなかったが、それ以外は出だしもタイミングが合った。2重フーガは、元々がアルトの後でアルトのテンポで出ており、一度出たあとは「延ばし3拍」とか「2拍休み」とか自己完結で覚えているので、すんなり歌えた。意外と苦労したのが有名な「歓喜の歌」の部分(543小節)で、耳覚えのある主旋律ばかりが聞こえてくるので、一度休むともう合流できなくなる。ただ通しで歌った感想は、「喉は楽」というものだった。1回通すくらいだと、たいした負担にはならないようだ。これならサボる部分をもっと減らしても良さそうだ。

実はこの土日、鉄仲間のAが珍しく岡山に来ることになっていた。最初は土曜日を朝8時から午後4時くらいまで、日曜日は終日つきあうという計画だったが、本番の一週間前にちょっと無謀だろうと思い、日曜日だけにした。しかし何せ寝食を見視するAのこと、土曜日日曜日は朝5時出発の計画だったのでこれまた変更し、土曜日だけつきあうことにした。なお朝5時出発は、Aは小生に気を使って遅くしているのである(自分一人だと、徹夜である)。それで小生は土曜日リュックにカメラと楽譜を入れ、朝8時から伯備線の沿線をうろついていた。お昼頃は伯耆大山にいて、新見駅で別れて15時37分発の「やくも」に乗り、岡山に帰ってきた。そして駅のド○ールで休憩し、リュックのままで練習会場に来た。大荷物の方も多いので、リュックくらいは目だたない。

練習開始前に、当日の注意事項が配られた、小学校の遠足並みの細かさだが、統制が取れないことは小学生並みだと思うので(笑)、細かい方がありがたい。事前にドレミさんから聞いていたこと以外は特に目新しいことはないが、腕時計等、直前までは必要だが舞台には持ち込めないものもあるので、本番の注意が必要だ。昼休みの時間があまりなく、小生は食事のあと1時間半くらいでトイレに行きたくなるので、水は早めに飲まなければいけない。

今日が渡辺先生の最後の練習である。始まってほとんどすぐからアルトの方の提案で立って歌うようになったが、やはり立って歌った方が声が伸びるし揃う。小生もこの一週間は自宅でも立って歌う練習をしていたので、無駄に力が入ることもなくなった。ただ小生は立ちっぱなしに弱く、1時間くらいで血液が足の方に集まり、頭にあまり回らなくなったのがわかる。これが歩いていると、足の筋肉の動きと静脈の逆止弁が隠れポンプの役を果たすので血液が下に集まることもなく、1時間はおろか2時間くらい歩いても平気なのだが、じっと立っているのはどうも良くない。先生の話の時に座っていて歌うときだけ立つようにすれば良く、一度そうやったのだが、周りが誰も座らないので何となくやりづらく、そのまま立っていた。なおこれは決して立って歌うことを提案した方への恨み言ではなく、初めから今日は立って歌うつもりだった。これは小生の心臓弁膜症と、座るタイミングを逃した小生の問題である。

先に血が頭にあまり回らなくなったと書いたが、脳貧血が起こったのではなく、耳管開放症が起こったのである。これが起こると出した声が口の中から直接内側から鼓膜に響くので、音の高さがわからなくなる。それが普通なのだが、第9の場合は限界近い高さばかりを出しているので、喉が音の高さを覚えており、音程は外さなかった。耳管開放症が起こるのは片側の耳(小生は左)だけなので、出た声を右の耳で聞いて、左から入る音はノイズとして聞き流せば、耳管開放症が起こっても少なくとも第9は歌えることがわかった。来週のシェレンベルガー氏の練習は大ホールなのでほとんど立ちっぱなしだが、8日が2時間、9日が3時間なので、どこかで立ったり座ったりするだろう。本番は立っている時間は長くても30分程度でその前は座って待っているので、問題はない。なお耳管開放症は、頭を低くすれば治る(ことが多い)のだが、立って歌っているときにはちょっとできなかった(笑)。

暗譜は、歌うメロディーと歌詞に関しては、問題はなさそうだ。ただし書き込んだ、「ノンブレス」とか、「ここからクレッシェンド」とかの注意書きは、ときどき忘れている。もう一度しっかり楽譜と注意書きを見直して、練習しなければいけない。

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