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2017/08/25

鞆の浦に行ってきました

2017年8月25日

鞆港(鞆の浦)まで行ってきました。福山からバスなので、岡山からだと楽です。
まずは各停で福山へ。東福山で高校生が大量に乗ってきましたが、それ以外は途中でほとんど入れ替わりがありません。福山は広島県ですが、元々備後という吉備の国でもあり、経済的には岡山との結びつきの方が強いです。それでも県が変わるので、山陽新聞が中国新聞になります。銀行は中国銀行が広島銀行へ。新聞の名前と銀行の名前が入れ替わっているので、最初はまごつきます。Img_2857a


福山駅の駅ナカで昼食、と思っていたら、レストランがスタバに変わっていました。仕方なしにド○ールへ。昼食後バスで明王院へ向かいますが、鞆港行きのバスが使えるので、言わば途中下車です。やってきたトモテツバスは、何と懐かしい日産ディーゼル製。ミンセイ以来の日産ディーゼル製のバスは、固定ファンの事業者が多かったのですが、日産ディーゼルはバスから撤退してしまいました。撤退した後は三菱ふそうに変わっているところが多いのですが、ハイウェイバスタイプには韓国の現代自動車も一部入り込んできているようです。路線バス車ではまだ見ないですね。トモテツはナンバープレートの番号を社番と一致させています。そして、ICOCAが使えました。Img_2866a


路線バスで明王院に行くコースは、明王院のホームページには出ていません。わずかに見つけた記述を頼りに草戸大橋で降りてみても、どこがどこやらさっぱりわかりません。コンビニを見つけたのでそこで聞いて、やっとわかりました。何と、GOOGLEの地図が間違っていた!

炎天下を15分ほど歩き山門へ、そこから階段を登ると、本堂と五重塔があります。きれいな五重塔で、来た甲斐はありました。この五重塔、建築は南北朝時代で、国宝です。その他、本堂も国宝です。Img_2868a


今度は10分で草戸大橋のバス停に戻り、またトモテツバスで終点へ。鞆は道が狭いと聞いていたのですが、ずっと片側1車線に所々2車線、それも歩道の付いた1車線があり、快調に走りました。

鞆は海岸沿いに古い家並みが残っており、感じが良いですね。交番の建物も、環境に配慮した造りです。山の上の歴史民俗資料館の前に、宮城道雄の銅像がありました。そして2階には宮城道雄関係の展示がされていましたが、福山は琴の生産は日本一と言いながら、琴の製造工程や琴についての解説をしたような施設が全くないですね。小生は母親が箏曲師範だった関係で琴は身近に見ていたため、和楽器の楽器博物館がないのが残念です。

鞆港からは、目の前の離島に渡るフェリーや渡し船が出ています。観光客には、仙酔島に渡る「平成いろは丸」が人気のようでした。楽しめましたが、暑かったです。Img_2882a


鞆港は、鞆の浦を半分埋め立てて自動車道路を通すという話が、反対運動のために出ては引っ込み、しているようです。来るときバスは狭い道というのは全く通らなかったので、一体どこのことかと思っていたら、鞆の街中は車が通過できないので、街中を通過できるようにする、というものだったのですね。つまり現在の観光資源になっている鞆の浦を壊し、道路を通すというものです。よそ者の意見ですが、観光資源を壊したら造った道路に一体誰が来るんでしょうね。こんな出っ張ったところに工場を造るような酔狂な人はいないし、無駄な道路と思えます。

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コメント

福山っていうと・・・福塩線くらいしか思い出ないっす。
学生時代何度も通いました。学生で金なくて前日の昼から何もくってなくて福塩線1駅目の新しくできた?喫茶で、ナポリタンとミートソースのパスタを
注文してばか食いした思い出があります。
70系のおわかれキップの中の51系混色編成(キップには誤植で41系とかかれている)の撮影者はあたしです。故府中電車区の助役さんに勝手につかわれちゃいました。70の写真はも〇〇という、われわれの省電サークルを破門になったやつの撮影です。そいつも勝手に使われたらしい。
表題とぜんぜん違う思い出コメント失礼しました。70になったあとも混色、32控えの台検試運転とたのしませてもらいました。1日素うどん2杯がデフォで栄養とる日は天ぷら注文、いまでいう浮浪者以下の生活レベルで3週間くらい出たっきり。そこまでして撮影してネガポジほったらかしです。

ひでほさん、ありがとうございます。

逆に国電マニアからは、福山に行って福塩線を撮らないとは何事だ、と言われそうですが(^_^;。
福山駅は新幹線ホームが、2番線で、在来線は3番からになっています。新横浜のように新幹線と同時にできた駅にはありますが、昔からあった駅では珍しいですね。おそらく、新幹線ができたときに大改修されたのではないかと思います。旧国時代のイメージは、おそらくないでしょう。
福塩線には一日に何本か、山陽線から115系が直通で入ります。

知り合いが2人も心外系で亡くなってへこんでいます。
ぜったい南海さん、うまい数こなしている先生にオペしてもらってください。

小生の大動脈弁は交換になるので楽ですが、僧帽弁は形成にするとかなり難しい症例になるそうです。それでも「形成でやる」と言っているそうですから、うまい先生でないと無理でしょう。また小生は左肺は胸膜炎で癒着しているため、心臓にたどり着くまでに手間と時間がかかります。こちらも、うまい先生でないと大変になりそうです。

南海さん、こんばんは。
6月に広島へ行った時、鞆の浦へも行きました。「崖の上のポニョ」に出てくる常夜燈のそばで観光客相手にお節介?説明しているおじいさんや、バス停で「バスはまだ来んね」と自分が乗るわけでもないのに、バス停付近を行ったり来たりしているおばあさんはいませんでしたか(笑)。暑すぎる時期だからお家に帰ってたかな。
明王院、観光客が少ないので、私くらいかと思いましたが、南海さんも行かれて納得。隣の草戸稲荷神社の上からは一帯が見渡せましたが、上られましたか? 地元の生徒さんが何かの必勝祈願?に来ていました。
草戸大橋バス停から明王院まで結構歩きましたよね。暑い時期、割合平坦とはいえ、南海さん、心臓は調子良いのでしょうか。歴史民族資料館への階段も急でしたし(私が使った道が一番急だった?)

miyaさん、ありがとうございます。ご無沙汰しています。

さすがにおじいさんとおばあさんはいませんでしたが、工事中の柵の中でイーゼルを立て、油絵を描いているおじさんはいました。多分許可を取って入られたのだろうと思いますが、どういうルートで入られたのか、不思議に思っていました。
山登りは明王院だけで精一杯で、草戸稲荷神社には登りませんでした。RFCAをやる前だったら、とても登れません。今は階段を、例えば5階まで上ると息が切れますが、病院でそれを言ったら「私でも切れます。」と言われました(笑)。ただこういう旅行をすると、2日くらいはおとなしくしていないと疲れが取れません。歳のせいだったりして(^_^;。

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