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2017/08/16

永久保存版

2017年8月16日2017001a


今年も写真展に出品します。場所は同じ四ッ谷のポートレートギャラリーで、期間は9月28日から10月4日までです。小生も9月30日(土)には、会場にいるつもりです。

その公式案内状に、小生の写真が採用されました。セミプロ級の方達もいる顔ぶれですので、こんなことは一生に一度でしょう。この案内状と案内葉書は、永久保存です(笑)。同じデザインのポスターがあるはずで、東京にいたら事前に1枚もらっておくところでした。

この写真展の出品作のうち何点かが「アサヒカメラ」に紹介されますが、それはないだろうなあ。

2017/08/14

EF81とEF64

2017年8月14日

カシオペアが上越線を走るときは、牽引機がEF81に代わってEF64になるか、EF64の補機が付きます。24系「あけぼの」の時代もそうでした。要はEF81では上越線の20パーミルが登れないのです。こういう話をすると、「そりゃあ、EF81は平坦線用だしEF64は勾配線用だから、当然だろ。」という答えが出てくるかもしれません。しかし片や平坦線用、片や勾配線用と言っても、どちらも同じMT52を6個装備、歯数比も同じ3.83。軸重に至ってはEF64の16tに対し、EF81は16.8t、単純に粘着牽引力だけを比較したら、EF81の方が強いのです。

違うところと言ったら、EF64は勾配抑制ブレーキ付き。これは降るときだけで、なくても多少平均速度は落ちても降れます。後はEF81の短絡渡りに対し、EF64は橋洛渡り、これは影響があるようです。抵抗制御の電車や電気機関車は直並列組み合わせ制御を併用していますが、その直並列の切り替えの時のやり方に、大きく分けると2種類あって、その片方が短絡渡り、もう片方が橋洛渡りです。機構の説明は省略しますが、短絡渡りは機構は簡単ですが、切り替え時に衝撃が出ます。採用しているのは平坦線用のEF65やEF81です。京洛渡りは理論的には切り替え時の衝撃が出ませんが、回路は複雑です。採用しているのは、かつての碓氷峠用のEF62,EF63、現役の山男EF64、それの大出力のEF66です。粘着ぎりぎりで坂を登っているときに襲撃が出れば必ず空転するので、渡りの差の影響は大きいと思いますが、旧型電気のEF15やEF16は短絡渡りなのに平気で上越線を登っていました。まだ何かありそうです。

図書館で電気機関車の本を読んでいたら、EF81のところで、「交流区間は脈流運転になるので、整流安定化のために界磁が常時分路されている云々」という記事を見つけました。要はEF81は同じMT52でも、全界磁が100%ではなく98%になるというのです。これはどういうことかというと、界磁を弱めると定格回転数が上がるので、加速段階では等価的に歯数比が小さくなるということなんですね。計算したら、元々の3.83が3.75になりました。これがおそらく山に弱い原因の一つです。

もう一つは想像なのですが、抵抗の値が小さいのではないかと思われます。EF81の常務体験記を見ると、皆さん「直列から直並列に切り替えるときの衝撃がある。」「直列から直並列に切り替えるときに空転しやすい。」とおっしゃっています。ところが、同じ短絡渡りのEF65ではそういう声は聞きません。

EF級機関車の場合、直列最終段階では電動機の端子電圧は250Vです。これを直並列にいきなり切り替えると端子電圧は500Vになるので、直列抵抗を入れて電動機にかかる電圧が250V近くにします。そして順々に抵抗を抜いていくのですが、抵抗が元々小さいと、切り替えた瞬間に衝撃が出ます。これは直並列から並列に切り替えるときも同じですが、直列から直並列に切り替えるときの電圧比が1:2であるのに対し、直並列から並列に切り替えるときは1:1.5であるため、影響が少し少ないものと思われます。

EF81はEF65を交直流にしたものと言われていますが、直流機関車の制御装置に加えてトランスと変換器を強引に詰め込んであるため、かなり無理をした構造になっています。抵抗器は機械室から追い出されて、屋根裏です。やはりスペースの関係で十分な抵抗が積めなかったのではないかと思っています。

EF81が活躍した線区(もう過去形になってきています)は、東北線に奥羽線、さらに北陸線と、かつてはD51が重連や3重連で1000t列車を牽引した区間です。本来投入するならE64の交直流版なのですが、技術の進歩が要求に追いつかなかった例です。その分、乗務員の方達に苦労を強いたことでしょう。

2017/08/11

広告電車と広告バスの模様替え

2017年8月11日

岡山電軌の路面電車と岡電バスの路線バスは、すべての在籍車両の写真を撮っています。言わば、撮りつぶしです。当然データベースとは言えないですが撮影メモはあり、撮った車両は例えば、「8501 廣栄堂きびだんご」のように、広告車両はその広告の会社を書いて、記録してあります。7501img_23791a


広告はときどき変わることがあり、最近は8101が「岡山晴街キャンペーン」からJR西日本に変わりました。バスも同じで、ときどき広告車が標準塗装に戻ったり、標準色だったものが広告に変わったりしています。7501img_27771a


最近気がついたのが、出している広告の会社は同じなのに、広告が模様替えしたケースです。一つは「なんか違うな」と思って一応写真だけ撮っておき、昔の写真と見比べてみたら、微妙に変わっていたというケースです。電車の7501がそうで、写真は2005年12月のものですが、今年の6月まで同じ柄でした。そして最近のものが今年の8月です。どうやら持ち株会社化にともない社章が変わり、そのため広告も模様替えしたようです。この会社はバスにも広告を出していますが、バスも塗り替えになっています。998img_86571a


もう一つはバスの例で、これは見た瞬間に気がつきました。これも気がついたのはこの夏ですが、カミさんは夏休み用のキャンペーン塗装ではないかといっています。塗り替えは結構お金がかかるし、そこまでやるかなあ。998img_26181a


「撮りつぶし完了」と思っていても、いつも見ていないと微妙に動いているようです。まあ、退屈しないで良いです。

2017/08/08

浮世絵揃い踏み

2017年8月8日

岡山県立美術館で行われている「浮世絵揃い踏み」展に行ってきました。目玉は平木コレクションの歌川広重(小生やドラ息子が学校で習ったときは、安藤広重だったんだがなあ)の東海道五十三次、保永堂版の初刷りがずらっと揃っていることです。さらに一部は比較のため、後刷り(言わば第2刷)と変わり図(言わば第2版)も一緒に展示してあることです。

色やぼかしのグラデーションはさすがに初刷りがきれいですが、一部には初刷り時にあったミスを後刷りで修正しているものもあります。変わり図は初版の版木がすり減って新たに版を起こしたもので、当然売れ行きの良いものしかないそうなのですが、変わり図になると人物が増えたり減ったり、山や家の形が変わったり、改訂第2版です。

その他に美人画や北斎の版画などがあり、北斎の有名な神奈川沖浪裏もありました。これはドビュッシーが交響詩「海」の楽譜の表紙に似た絵柄を使い、また一部がドイツの水車メーカーフォイト社の社章にもなっています(いました?)ね。実物は、思ったより背景が暗かったです。

じっくり見ていたあ、何やら東海道を歩き通したように疲れました。疲れたらベンチで休憩できるのが良いです。東京だったら、こうはいきません。しかも東京だったら多摩から上野まで往復すれば軽く1000円超えるのに、こちらの交通費は片道100円、岡山で見られたらそれに越したことはないです。

2017/08/06

岡山桃太郎まつり

2017年8月6日

お隣広島は今日は祈りの日ですが、岡山では8月5,6日の二日間、桃太郎まつりが行われています。桃太郎まつりの主体はうらじゃ踊りで、桃太郎まつりが第17回に対し、うらじゃ踊りは第24回。どうやらうらじゃ踊りに、全国的な知名度を上げるために桃太郎まつりがかぶさったみたいですね。昨日の夜は、花火大会もありました。こちらは第44回です。17080603a


うらじゃ踊りは、最近あちこちで夏に行われている「よさこいソーラン」と似たようなものと言えば似たようなものですが、違うのは全員メークというかフェイスペイントをしていること。これは温羅化粧で、鬼のメークです。

うらじゃのうらは、桃太郎に退治された鬼の温羅。その温羅は吉備津神社に祭られていますが、うらじゃ踊りは全員が鬼となって踊る踊りです。従って、曲にはよさこいやソーラン節は流れません。仙台の「雀踊り」は優雅ですが、うらじゃの方は熱く、エネルギッシュです。さすが南国。17080605a


戦前戦中の国家主義の時代は、桃太郎こそ英雄でしたが、戦後は温羅は吉備の国の礎を作った人物として見直されています。温羅は渡来人で、製鉄技術などを伝えた、と言われています。名刀として名高い備前長船も、元を正せば温羅が伝えた製鉄技術の延長線上にあるんですね。17080609a


この時期はあちこちに無料の温羅化粧のブースがあるので、繁華街には鬼があふれています(笑)。

2017/08/03

大洲と松山撮影紀行5

2017年7月21日(金)(つづき)

松山駅前で昼食、予定より1本早い特急で伊予西条に向かう。この旅行では、切符は細切れの自由席にし、それをまとめてジパング割引で買っている。従って乗車券は途中下車の連続で、最近はそういう客が少ないのか、改札では怪訝な顔をされる。Img_23611a
松山あたりはフリー切符もあるが、伊予西条は範囲外で、広範囲のフリー切符よりジパング割引の方が安いのだ。なお予讃線は松山-宇多津間はしおかぜ/いしずちが併結だが、この区間の自由席はもっぱら「いしずち」の方に乗っている。「しおかぜ」より空いているのだ。高松編成が3両から2両に減らされつつあるのも、宜なるかな。Img_23681a


伊予西条の目的は、四国鉄道文化館である。北館と南館に別れているのは知らなかったが、入場券は両館共通、まず北館から入る。靴を脱いでスリッパに履き替えるのが、珍しい。目玉はDF50の1号機と0系新幹線(21-141)、21はカットモデルだ。DF50はわかるが新幹線は何で?と思ったところ、新幹線の生みの親、十河元国鉄総裁が西条の出身だった。そう言えば、北館の正面に十河氏の銅像が建っていた。Img_23691a


次に歩道橋を渡って南館へ。外に出ると、暑い。入る前の表には、フリーゲージトレインの試作車が展示されている。フリーゲージトレインは現在も九州で開発が進められているが、車両価格が高価になりすぎ、実用化が危ぶまれている。Img_23731a


中の展示はDE10のこれも1号機、キハ65にC57。DE10時は65はわかるが、C57は何で?である。しかも岩見沢にいた北海道型。本来は四国に縁のあったC58が良いのだが、保存しようと思ったときにはC58はいなくなり、最後まで残ったC57のうちの1両を譲ってもらった、というところだろう。Img_23761a

十河信二記念館もあったが、そこはパスし、予定より2本前の「しおかぜ」で岡山に向かう。暑かったが体調も悪くならず、収穫の多い旅行だった。

(完)
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おまけ。
四国旅行はこれで終わりですが、実は倉敷でもう1泊し、早朝の水島臨海鉄道の貨物列車を撮っています。水島臨海所属のDE70が本線を走るのはこれだけで、自宅から出発したら間に合わないので、一泊したものです。逆光をそのままにし、煙が目立つ写真を載せます。

2017/08/01

大洲と松山撮影紀行4

2017年7月21日(金)

天気、晴。昨日松山城を入れた市内線を撮ったが、今日は腰を据えて狙う。昨日の市役所前が一番良い、というより、ここしかない。しかし車が多い。これぞという写真が撮れないので、微妙に場所を変えて狙う。ちょうど良い位置は電線が邪魔になるが、これも微妙に中腰にすると、電線がちょうど櫓をかわすことができた。Img_22031a


予期していなかったが、坊ちゃん列車がやってきた。昨日は姿を見かけなかったので休日のみの運行かと思っていたのだが、後でわかったことだが平日も運行しており、昨日は点検のための減便ダイヤだったのだ。坊ちゃん列車と松山城の組み合わせも面白い。Img_21991a


市内線に本町線という、地図で見ると短絡線なのに運行は盲腸線になっている線があり、気になったので乗りに行く。待っていれば普通にやってくる線だが、西堀端から先は単線区間で離合場所がなく、これはラッシュでも運転間隔が詰められないだろう。これも調べたら運行間隔は30分間隔になっており、待っていてすぐ乗れたのは運が良かった。Img_22851a


本町六丁目の終点は、踏切の手前である。そのまま前進すれば市内線同士の交差点なのに踏切があるという、面白い平面交差が見られるのだが、その手前である。循環線(城北線)のこのあたりは軌道線ではなく鉄道線なので、鉄道と軌道の平面交差ということになるのだろう。この本町線も、一応延長計画があるようだ。実現すれば、面白いことになる。Img_22921a


ここから循環線に乗車、市内線なので、乗換券をもらってある。昨日見た古町の平面交差を今度は乗車して横断し、大手町へ。やはり松山に来たからには、ここの平面交差は撮っておく。坊ちゃん列車が踏切待ちをしてくれると面白いのだが、さすがにそこまでタイミングは良くなく、普通に横断していった。郊外線に5000系の旧塗色車がまだ残っており、これを撮れたのはラッキーだった。個人的には、旧色の方が好きだ。Img_23331a


松山駅で昼食、予定より1本早いが、これから伊予西条へ向かう。

(つづく)

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