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2017/03/07

ロボットと倫理学

2017年3月7日

図書館から偶然に、ロボット(ヒューマノイド、アンドロイド)を別の切り口から見ている本2冊を借りました。一つは「宇宙倫理学入門」(稲葉振一郎著、ナカニシ出版)で、有人宇宙開発は倫理的にあり得ないというところから始まっている本です。この宇宙開発とは地球周回軌道ではなく、もっと先へ行く話です。なぜ有人宇宙開発がロボットの話になるかというと、有人宇宙開発が倫理的に不可能なら無人で、そうなると自立で行動するなら知的な機械になる。その機械(ロボット)が人間と同等に知的ならば、人間と同等の権利を認めなければならない。そうなると、人間並に知的なロボットに危険の大きい(生還の可能性が少ない)宇宙開発というようなミッションを「強制」することが許されるか?という話になってきます。

稲葉先生は人間並みに知的なロボットというものが可能かどうかは置いておいて、そこまで進むべきではない、あくまでも「機械」の段階にとどめ置くべきだ、という風な持論のように思えます。

一方大阪大学の石黒先生は、知的かどうかは置いておき、心を持ったロボット、言い換えれば心を持っていると相手に思わせる(錯覚させる)ロボットを作るのは簡単だ、という持論ですね(「アンドロイドは人間になれるか」石黒浩著、文春新書)。この心を持ったロボットを作れるという考え方は、小生も賛成です。心を持っていると思わせる機械は、意外と簡単にできると思います。人間が思いやりを持っているふりをすることより、簡単だと思いますよ。ただ石黒先生はロボット(アンドロイド)自体については、それが外見は人間そっくりであっても、電源を切ったら動かなくなる「機械」という割り切り方です。

しかし周りはアンドロイドを単なる機械とは割り切れないようで、あるとき古くなって壊れたロボットを、そのロボットはロボット演劇で活躍したロボットだったのですが、国有財産ですから正式の手続きを取って廃棄処分にしたら、それを見た学生がツイッターに投稿し、それを見た読者から苦情が殺到したため、廃棄ができなくなったそうです。人間並みに知的なロボットの権利云々の前に、演劇のような舞台で活動するヒト型ロボットはすでに社会的な人格を持っている、ということですね。石黒先生は「ロボットにも弔いが必要だと気づかされた。」と書かれているのですが、すでに人形供養というものがあるように、ある人が思い入れを持ったもの、それがその人の所有であるなしにかかわらず、そのものの処分は、その人が精神的に納得する手段(儀式と言っても良いですが)を取らないといけないようです。こうなるとこれは倫理学の範疇ではなくなってしまいますね。

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