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2015/11/30

児島湾干拓資料室

2015年11月30日

児島湾干拓資料室というところに行ってきました。この場所はと言うと、最初はJR児島駅の近くと思っていたのですが、あの児島(旧児島市)と児島湾は、全く別の場所です。児島駅と児島港は旧児島市で、現在は倉敷市、児島湾と児島湖は、岡山市の南にあります。15113001a


元々は児島という島で、その島の西の方にあったのが児島の集落。その島に囲まれた内側の海が、後に児島が地続きになったときに海で残った児島湾。という歴史的ないきさつがありますが、今となってはややこしいことになっています。まあ、カリフォルニア半島がアメリカのカリフォルニア州ではなくメキシコにありますから、似たような例はあちこちにあるのでしょう。15113002a


児島湾の干拓事業というのは、小学校の授業に出てきました。昭和30年代は高度成長期の前段階で、全国総合開発などいろんな計画が立てられていた時期で、その先駆的成功例としてあげられたものです。有明海の締め切り堤防(三角-島原間に造る)などという、突拍子もない計画までありました。児島湾は締めきられた児島湖の水質悪化などの問題が起きましたが、これはヘドロの浚渫などでずいぶん改善したようです。15113004a


もう一つ児島湾の干拓で興味があったのは、児島湾は江戸時代から干拓が進んでおり、明治期の大規模の干拓の指導をしたのがオランダ人技師のムルデルということです。このムルデル氏、世界遺産になった三角港(三角西港)の築港を指導した人です。まさかこんなところでまた縁があるとは。

さてこの児島湾干拓資料室、児島湾の締め切り堤防の上、児島湾締切堤防管理事務所の中にあります。ホームページの案内には車で40分と書いてありますが、バスもあります。最寄りのバス停は甲浦郵便局前で、特急バスは30分に1本ですが、各停は1時間~1時間半に1本です。小生は港町の生まれなので、こういう「浦」が付く地名が出てくると、嬉しいです。バスは締切堤防の上を走りますが、児島湾も周りを島に囲まれているので波が全くなく、見ただけではどちらが湖かわかりません。15113013a


資料室はその名の通り独立した建物ではなく、管理事務所の1階部分を使っています。開館日も役所と同じ平日なので、月曜日の今日も開いています。そこでいろいろ見てみると、本格的な干拓が始まったのは1585年頃とありますから、安土桃山時代、秀吉が関白になった頃です。干拓の締切堤防はその3年前の備中高松城水攻めの時の堤の工事が参考になったそうです。また児島が地続きとなって児島半島になったのは江戸時代は1630年頃(徳川家光の頃)、意外と遅いです。このあたりは岡山市内の小学校では、みんな教わることでしょう。

その後明治期、昭和とつづき、意外だったのは児島湾締切堤防工事の時にはたいした干拓は行われていないことです。児島湾の締切は干拓ではなく、干拓地の農業用水を確保するための児島湾(児島湖)の淡水化が目的だったんですね。なおこの児島湖、干潮時だけ水門を開けて、中の水を排出しているそうです。

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