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2014/09/28

地下鉄の踏切

2014年9月28日

昨日上野でビルを探しているときに、ひょいと横を見たら、地下鉄の踏切がありました。話には聞いていたのですが、こんなに上野駅の近くだとは思いませんでした。14092701a


地下鉄も、最近のものは他の鉄道に乗り入れるために架空線式になっており、乗り入れ先で踏切があることは珍しくないのですが、他の鉄道に乗り入れず地下しか走らない設計になっている東京メトロの銀座線と丸ノ内線には、本来踏切はありません。ただ地上の検車区に行く線で、地形の構造上踏切ができてしまったのがこの上野検車区の入り口です。踏切には第3軌条は設置できませんので、この区間は踏切以外の車両が押し引きすることになります。14092702a


検車区の入り口のために、滅多に電車は通りません。ただ平日のラッシュアワーの終わり頃に待っていたら、何本か入庫電車があるので、ここを通るはずです。昨日は時間が無かったので待ちませんでしたが、今度平日に張ってみよう。14092703a


なお昔は馬込の車庫の入り口にも踏切があったと記憶しているのですが、今はなくなったようです。ただここは架空線式なので、一般の踏切と変わりはありませんでした。

2014/09/26

ホームページのぶどう膜炎治療記を更新しました

2014年9月26日

小生のホームページに心臓弁膜症治療記のコーナーを作ろうと思って見ていたら、C型肝炎治療記は完全著効となって終わりとなっているものの、ぶどう膜炎治療記はまだ治療中、それも大学病院に通っている段階で中断していることがわかりました。そこで心臓弁膜症/心房細動治療記の前に、ぶどう膜炎治療記の2008年以降をまとめることにしました。

原稿はブログの「ぶどう膜炎治療記」でまとめると、かなりまとまります。ただ現在はココログの分類に2種類の入力ができなくなったため、そのあたりは全体の流れを見ながら追加していくことになります。改めて原稿を見ると、見落とした誤変換が結構目に付くものです。

ホームページのページ追加は、今までのもののコピーで何とかなってきました。ところが一度ホームページビルダーの代わりにソースネクスト製のホームページ作成ソフトをインストールしたせいか、今までのページのロゴやボタンの編集が全くできなくなっています。そのため、ボタンやロゴも新規に作ることになってしまい、外枠と字のバランスが今までのものと微妙に異なってしまいました。ほとんど5年間放って置いたのですから、東急8500系の久しぶりの増備車の車体断面が変わったみたいなものでしょう。

ということで、桐沢型ぶどう膜炎治療記に新しく、2008年~2013年を追加しました。コンタクトを東レからメニコンに変え、大学病院を卒業して近くの眼科に見てもらうようになり、ちょこまかとトラブルを起こしながら安定するまでです。右目の視力自体は、一時期0.1まで見えたものの、それから落ちて、現在は指の本数がかろうじて2本はわかる程度です。視力が落ちたと言うより、膜が広がって開口部が狭くなったようにも思えます。しかし現在は右目の視力より、左目の白内障をいつ手術するかが重要な問題になってきています。心臓の手術が終わったら、眼科に行かねば。

2014/09/25

40年前の扇風機

2014年9月25日

古い扇風機は発火する恐れがあるといいうので、去年あたりから使わないようにしていたのですが、今回思い切って捨てました。買ったのは結婚した年、1973年の夏ですから、41年前です。簡単にばらばらにでき、コンパクトに箱詰めできる構造だったので、仕舞うときに場所をとらず、重宝していました。
ブランドは、panasonicでもNATIONALでもなく、カタカナの「ナショナル」です。

さすがに箱の段ボールははがれかけていましたが、箱自体は発泡スチロールが心になっているので、しっかりしています。こちらの処理が、一苦労でしたが。

今扇風機は、冬のエアコンの温度差調節用に、小さいのを1台使っています。夏場はエアコン+うちわで何とかなりそうなので、おそらく新しい扇風機は買わないでしょう。

2014/09/23

心臓にかまけていたら

2014年9月23日

心臓弁膜症関係の過去の記録をまとめると同時に、ぶどう膜炎治療記の2008年以降をまとめ始めました。読み直してみると、いろいろ出てきます。まず視力は最高0.1見えたんですね。瞬間最大ですが。それからだんだんと見えなくなってきて、2012年くらいはかなり見えなくなってきています。これは視力が落ちたと言うより、見える範囲が狭くなってきたようです。

そこで、最近心臓にばかりかまけて、目はほったらかしでしたが、右目でどのくらい見えるか、確認してみました。何と、ほとんど見えません。外に出て、以前は。特に調子の良いときは道路の白線が右目で見えたのですが、今は全くダメです。

昼からいろいろやって見て、夕方になってやっと見える場所がつかめ、いくらか見えるようになってきました。ただ2012年は、指の本数が2本まではわかるが、3本になると視野からはみ出す状態だったのですが、今は2本でもはみ出す状態で、一段と視野が狭くなったようです。ただ指の動く方向ははっきりわかりますから、まだ網膜は生きています。

おそらく、さほど遠くない時期に左目の白内障手術をやると思いますが、その時は、右目は頼りにはならないですね。多少頼りになっても、入院中はコンタクトが使えませんから、もっと条件は悪いです。覚悟して入院しないといけないでしょう。

2014/09/21

9月N響C定期

2014年9月21日

昨日NHKホールに、N響定期を聞きに行ってきました。NHKホールの前はスペースが広く木が多いのですが、そこに「蚊に注意」の立て看板が。そう言えば、ここはほとんど代々木でした。ホールの入り口には、虫除けスプレーが置いてありました。

今月のN響定期はすべてブロムシュテット氏の指揮で、すべてがモーツァルト+チャイコフスキーになっています。それも、どちらも後期の「3大」と言われる交響曲です。入り口でもらった「フィルハーモニー」によると、「チャイコフスキーはモーツァルトを敬愛していたので、チャイコフスキーを演奏するときは、モーツァルトを意識しなければならない。」のだそうです。小生が行ったのはC定期で、モーツァルトは40番(ト短調)、チャイコフスキーは5番という組み合わせでした。

今日のメンバーは、と見ると、コンマスが堀さん、チェロは向山さん、フルート神田さん、オーボエ茂木さん、クラリネット伊藤さん、そしてファゴットは9月に正式に首席奏者になった宇賀神さん、ホルンは今井さんです。

前半はモーツァルト、とてもきれいです。気持ちの良くなる演奏で、前の席のお父さんは気持ちが良すぎて、熟睡していました。
後半はチャイコフスキー、トロンボーンセクション(首席は、栗田さん)の音が揃っていて、音が良く伸びます。2楽章はホルンの大きいソロがありますが、今井さんは朗々と歌い上げるタイプではないのですが、しっかりした演奏でした。メロディーがオーボエに移った後ホルンがかぶさるのですが、ここは1番かと思っていたら3番ホルンで、エキストラの女性奏者でしたが、きれいな音でした。

チャイ5の4楽章と言えば、一般には「怒濤のごとく」というイメージがあるのですが、ブロムシュテット氏の演奏は、フォルテはフォルテで鳴らしますが、どちらかというと抑え気味です。そうしたら解説に「チャイコフスキーの作品は、速いテンポの大音量で演奏されることがしばしばです。チャイコフスキー自身はそういった大げさなことは大嫌いでした。」とありました。なるほど。

2014/09/17

レニベース

2014年9月17日

小生は2007年7月よりレニベース2.5mgを服用していましたが、ワーファリンをHハートセンター指示の量に切り替えるときにレニベースは処方されなかったので、結果的にそこで服用終了になっています。特に「レニベースは、止める。」という具体的な指示は出なかったのですが、処方されなかったのですから、そこで止めるということですね。ワーファリン以外の心臓の薬は、現在もベプリコールとシベノールを飲んでいますから、これら二つで十分と判断されたのでしょう。時期からいって手持ちのレニベースはまだあるのですが、切りよく打ち切りにしました。

レニベースを飲み始めるときに、この薬の副作用をいろいろ聞かされました。まず血管拡張による立ちくらみ、めまいなど。これは飲み始めてから特に立ちくらみが増えたとか、そういうことはありませんでした。膝もあまり丈夫ではないので、急に立ったりは、ほとんどやっていません。

次は、咳が出やすくなること。のどがいがらっぽくなると、自分でブログにも書いています。これは、以前はいつ耳鼻科に蓄膿症の治療について相談に行こうか、と考えていたのですが、レニベースを止めたら、いつの間にか蓄膿の気がなくなりました。これは、ひょっとするとレニベースの副作用だったのでしょう。

もう一つが日光皮膚炎。今まで5月に炎症を起こすような日焼けをしていたのですが、これがなくなるかどうかで、レニベースの副作用だったかがわかります。わかるのは、来年ですが。

こうやってみると、意外とレニベースは副作用が多かったことに気がつきます。あれだけの量しかないのに。

2014/09/13

MAROワールド

2014年9月13日

昨日、多摩の田舎から銀座のど真ん中に行ってきました。王子ホールは、初めてです。王子製紙(現、王子ホールディングス)の本社ビルの中にあります。入ったところで、「2階です。エレベータでどうぞ。」と言われたのですが、2階だからいいやと思って階段を上がりました。ところが実質3階分くらい階段を上がりました。う~~ん、心臓に良くない。

入って席を確認し、会場内は暗かったのでロビーのベンチでプログラムを読んでいました。見渡すと、平均年齢が高い。N響の定期でも平均年齢が高いと思いますが、今日はそれ以上です。どう見ても、小生より10歳は先輩の方だらけです。常連さんが多いようで、あちこちで挨拶する声が聞こえます。聞くとはなしに話を聞くと、「さすがに3日連続は疲れるわね。」とか「明日はオペラシティ。」とか、ほとんど毎日コンサートに通っていらっしゃるようです。クラシック音楽はこういうコアなファンが支えているのだとしたら、10年後はどうなるのだろう。

さて、今日はクラリネット五重奏の2本立て。前半はモーツァルトで後半はブラームス。それをN響の2人の首席奏者が吹くという、聞き比べ。こういう小さなホールにはあまり行かない小生が出かけてきたのは、この2人の演奏を聴いてみたかったからです。

1曲目のモーツアルトのおなじみのイ長調の五重奏曲は、伊藤さん。しかしこの1曲では終わらず、アンコール代わりにモーツアルトの「クラリネットと弦楽のためのアレグロ、変ロ長調」が演奏されました。この曲は、断片として残っていた「クラリネット五重奏曲変ロ長調」を補作してまとめられたものだそうです。聞いたのは、初めてです。解説したのは、伊藤さんでした。伊藤さんは、「A-Dur、B-Dur]と言っていました。なおオーケストラで使われるクラリネットは普通A管ですが、この時B管が使われたかどうかは、わかりません。

休息時にヨックモックのケーキが出て、後半はブラームス、クラリネットは松本さんです。ブラームスのクラリネット五重奏曲(ロ短調)は初めて聞きましたが、当の松本さんも、学生時代(パリ国立高等音楽院)から練習はしていたものの、演奏会で披露するのは初めてだそうです。モーツアルトと比べると、すごくドラマチックですね。

このドラマチックに反応したのか、心臓が心房細動を起こし始めました。「どきどき」位なら良いのですが、心房細動まで起こされるのは、まずいです。しかし最近は心房細動を起こしても不快感はあまりなく、特にこうして座っているときはそのまま流せますので、影響はほとんどありません。

アンコールは、シューマンのピアノ曲「夕べの歌」をブゾーニがクラリネット五重奏に編曲したという珍しい曲でした。

この2人のクラリネットの聞き比べ、松本さんの方が朗々と歌い上げるように聞けましたが、曲の性格がこれだけ違っていると、わかりません。ところが、今度は同じメンバーでクラリネット奏者だけを反対にして、もう一度やる計画が進行しているようです。これは面白いですが、ただでさえ切符の取りにくいMAROワールド、行けるかな。

2014/09/12

追われる夢

2014年9月12日

久しぶりに、追いかけられる夢を見ました。昨日捕り物小説を読んだせいかもしれません。線路を歩いていたらパトカーに見つかって、歩いているのに「免許証を出せ」と言われ(かなり支離滅裂ですが、夢はこんなものです)、ひたすら走って逃げました。線路から駅に入って、集札口をどうやって飛び越えようかと思っているときに、目が覚めました。

目が覚めたら、ものすごい心房細動です。おまけに、どかんどかんという期外収縮付きです。小生は「動悸」というと速いピッチで連続して打つというイメージがあるため、あまり自分の状態を表現するのに「動悸」という言葉を使ってきませんでした。しかしこういう期外収縮も、動悸と言って良かったのではないか、と今頃考えています。

目が覚めたのが6時頃で、しばらくしていたらこの「動悸」も治まり、8時過ぎまで一眠りしました。会社に行っていたときだと心房細動で目が覚めたときが起床時間なので、会社に行くか休むかという判断をしなければいけなかったはずです。こういう時は、毎日が日曜日は気楽です。

以前は夜中によく心房細動で目が覚めていたのですが、ベプリコールとシベノールを飲み始めてからは、ぐっと減りました。しかしこの薬は心房細動には効いていないと判断されていますので、たまにはこういうこともあるでしょう。まあ来月には心房細動の治療のため手術を受けようとしているのですから、何もない方が不思議です。やはり手術が終わるまで、タイトなスケジュールは立てられないようです。

2014/09/10

入院保証代行サービス

2014年9月10日

10月20日に入院することになっていますが、その時提出する入院申込書には、保証人と連帯保証人の名前を書く欄があります。この保証人と連帯保証人が同一人物で良いのかどうかは確認する必要がありますが、保証人は必ず必要なようです。今まで「連絡先」として書いたことはありますが、この「保証人」というのは初めてのような気がします。

まあ、今まで入院したのは肝臓の慢性病センターか眼科だったので、入院した当事者が死ぬ確率は、非常に低いものでした。ところが心臓病センターというのは、患者が死ぬ可能性も高く、死んだ場合の遺体の引き取りと支払い保証は、しっかり確認しておかなければならないのでしょう。当然と言えば、当然です。

これは言い換えれば、保証人がいないと、心臓手術は受けられないことになります。独居老人となったら、大変だと思ってちょっと調べたら、保証代行サービスというのが結構たくさんありました。内容は純粋な民間会社から、NPO法人まで。少なくとも、手数料を払えば、保証人の代行をしてくれるようです。

検索のトップに出てきたのは、仙台の会社でした。実は仙台でアパートを借りたとき、連帯保証人は不要で代わりに保証会社と契約するシステムでした。賃貸住宅の保証人は実に面倒で、これは良いシステムだと思っていました。これから先一人暮らしの人が増えるでしょうから、入院時の保証代行サービスは、これからますます必要になってくるでしょう。

2014/09/09

【新聞記事】C型肝炎の新薬、承認へ

2014年9月9日

重い副作用の少ないC型肝炎治療薬で、しかも飲み薬であるソホスブビル(ソフォスブビル)が承認申請され、来年にも登場する見通し、という記事が、朝日新聞にかなり大きく出ていました。アサヒコムにも掲載されていますので、そちらもご覧ください。

この薬、申請されたのは6月末で、何で今頃記事になるのかわからないところもあるのですが、C型肝炎治療薬の進化についても、わかりやすくまとめられています。この中でのペグ+リバの難治型のウイルス排除率が45%と書いてありますが、こんなに低かったかな?と思い調べてみました。2011年の熊田先生の発表では54%でしたが、福岡大学の資料では43%でしたので、その位のところなのでしょう。このソホスブビルは2型用で、登場時期の見通しなどについては、yokobueさんがK田先生とのやりとりの中で明らかにしていらっしゃいます。

このソホスブビル単剤は2型用ですが、1型にはレジバスビル(レディバスビル)との併用になります。そしてこのレジバスビルとの併用は、年内に承認申請の予定だそうです。またソホスブビルとレジバスビルとの併用では、akioさんが治験に参加され、見事著効となっています。akioさん、おめでとうございます。

この記事の中で気になるのは、レジバスビルのタイプの薬は、耐性ウイルスを持つ患者が2~3割いるとのことです。プロアテーゼ阻害剤(テラプレビル)との併用ができた方が良いとも書かれていますが、ソホスブビルを開発したギリアド社は新規参入ということもあり、メーカーが異なると治験も進まないというのが、実情のようです。

2014/09/07

繰り返せない旅だから

2014年9月7日

畑中良輔先生の「繰り返せない旅だから」を、図書館から借りて読んでいます。実はこの第1巻の「音楽少年誕生物語」は出てすぐにカミさんがかり出してきて小生も読んだのですが、その他はずっと貸し出し続きで借りられず、機会を待っているうちに10年経ってしまいました。

さて改めて図書館に行き、まず「随筆」のところを探したのですが、ありません。次に「音楽」の分類に行ったのですが、ここにもありません。窓口で本名を言って分類を調べてもらったところ、何と「小説」の分類になっていました。借りだした本の帯には「畑中良輔の自伝的小説」とあります。ブル先生の記憶なので、事実とは多少異なっている可能性があるよ、ということでしょうか。確かに第2巻の「音楽青年誕生物語」には昭和15年に蒸気機関車の煤煙に苦しめられながら碓氷峠を登る記述がありますが、もうこの当時は碓氷峠は電化されており、煤煙に苦しめられたのは横川までの信越線なので、ここは記憶がずれている、と言うより、碓氷峠かどうかなど関心はなかった、と言うのが本当のところでしょう。

畑中先生は門司の出身ですが、ご母堂は生田流の箏曲師範でした。小生の母親も飯塚を拠点に北九州で箏曲をやっていましたが、母親は大正3年生まれで畑中先生は大正11年生まれ。そうすると畑中先生のご母堂とは15から20歳くらい年が離れていますから、ちょうど一世代下になります。どこかで、接点があったかもしれません。第1巻に出てくる「茶の湯音頭」(茶音頭とも言います)、これは母親主催の演奏会で生で見たことがあります。

しかし先生の継母君は、自分の生家を引き合いに出して実母をけなすなど、継母としてやってはいけないことをやっていますね。良くブル先生がぐれなかったものです。

今第2巻の途中ですが、全部で第4巻まで。思ったより速いピッチで読んでしまいそうです。

2014/09/04

隅田川貨物駅

2014年9月4日

かんかん照りではなく、そして雨も降らなさそうだったので、かねてから一度行ってみたいと思っていた隅田川貨物駅に行ってきました。特に、HD300の入替時の音を聞いてみたかったのです。Img_59261a


最寄り駅は、南千住になります。地下鉄経由で行き、降りて駅前の歩道橋に上がったら、いきなり目の前にEH500が推進運転する貨物列車と、単機のEH500が併走中。何じゃこれは、と思いましたがカメラを出す暇もなく、通り過ぎました。Img_59311a


推進の貨物列車は引き上げ線で停車した後、一番南千住駅寄りの急カーブの線を通って出発していきました。まだ地理が頭に入っていませんが、これが南千住で合流する隅田川短絡線のようです。そうしたら今度は田端川から、EASTi-E(E491系)登場、建築限界測定用のマヤ50 5001を併結した4両編成です。これも短絡線を通って、常磐線へ向かいました。Img_59331a


入替機関車は、と見ると、DE10とHD300が1両ずつ稼働しているようです。しかし昔のヤードと違い貨車の組成がありませんから、ある時間が来ると動きますが、休み時間は結構あります。貨物列車の到着/出発時間を控えておくと、効率が良さそうです。Img_59361a


肝心のHD300の音はと言うと、引き出し時に吊り掛けモーター車のような音を立てますが(確か、モーターは吊り掛け式だったはず)、それ以外は低い連続したエンジン音がするだけで、コンテナ車のカシャカシャという連結器の音や、レールのきしり音に隠れ、ほとんど音がしません。その点DE10は引き出し時にエンジンを吹かせますから、こちらの方が迫力はあります。迫力のある音というのは、それだけ無駄が出ていると言うことですから、技術が進めば次第に迫力はなくなってくるのでしょう。Img_59421a


南千住駅の横を通る短絡線は、駅前のかなり低い位置を通ります。防音壁がありますが、面白い写真が撮れるのではないかと撮影場所を探していたら、いきなりEF65が現れました。常磐線にEF65?と思って帰ってから調べてみたら、馬橋から武蔵野線に入り、ぐるっと回って新鶴見を通る東京貨物ターミナル行きでした。Img_59701a


カメラに望遠レンズまで入れたバッグを抱えて歩道橋を行ったり来たりしていたら、案の定帰りの電車の中で、派手に心房細動が起きましたが、座っていける時間帯なので、治まる時間は(ゆっくり休む時間は)十分にありました。

2014/09/03

高学歴ワーキングプア

2014年9月3日

私事ですが、小生の二男は博士号を持っていますが、正規雇用の仕事には就いていません。博士号をとったときに教授から「大学に残れ」と言われたのを断ったので、自業自得ではあるのですが、「研究職」としての就職先は、狭き門のようです。二男は「ロスジェネ」と言われる世代のまっただ中で、大学院を修士で辞めて就職するときはちょうど「小泉改革」の波に引っかかり、国立機関の独立行政法人化のあおりで2年間研究職の採用がストップし、国家公務員一種に合格しているのに就職先がなかった、と言う目にも遭っています。

国の予算で、例えば新規技術の開発などで、複数年にわたるプロジェクトの予算が付くことがあります。こういう予算が付くと、民間企業も含めていろんな研究機関が事業計画を出し、認められればその研究機関には数億のお金が下ります。その研究機関はそのお金で設備を増強しますが、人手が足りないときは、そのプロジェクトの期間だけの有期雇用で人を雇います。ここに「フリーの博士」が応募し、うちのドラ息子もそうやって今までどこかに潜り込んできました。ただ身分は、ものすごく不安定です。これから、どうするんでしょう。

「高学歴ワーキングプア」(水月昭道著、光文社新書)という本を読んだら、うちのドラはまだ恵まれている方だということがわかりました。1991年からの国の大学院増強計画により、就職の充てのない博士が大量生産されているというのです。数年ピッチで職探しをしているとは言え、コンビニでアルバイトしているわけではなく、ワーキングプアより少し上(かろうじて水面から首を出している程度ですが)の生活をしています。この本にも書いてありましたが、出身大学(修士まで)が旧帝大というのが効いているのかもしれません。

なお同じ博士でも、医学博士と薬学博士は別で、さらに工学博士は就職先にそれほど困らないようです。

また研究機関であっても、民間企業の人事担当者はこういう実態が全くわかっておらず、数年おきに職を変わっているのは「企業人としての適性に欠ける」と見なされ、面接でいつも圧迫面接をやられているそうです。またプロジェクト満了時に現場は「優秀な人材だ。残してくれ。」と要望しても、人事は「契約ですから。はい、さようなら。」で追い出されているようです。

そして非正規雇用ではどうしても研究「補助」の立場になるため自分の名前では論文を書けず、研究職としてのキャリアとしては、マイナスになっていくようです。

民間企業はどうかというと、日立や富士通などの大手はともかく、例えばうちの会社(退職しましたが、まだ健康保険は継続しているし、企業年金ももらっているので、うちの会社と書きます)レベルでは、工学博士はともかく(数人います)、理学博士や学術博士は採用しても使いこなせない(使う部署がない)でしょう。

こうやってみると博士課程の修了者は、音楽大学の卒業者と似た立場かもしれません。例えば音大のヴァイオリン科を出ても、日本国内のオーケストラの募集数は、卒業生の数十分の一しかありません。そうすると、キャリアを捨てて就職するか、フリーの演奏家として(一人のコンサートで黒字になるような人は、日本で数人です)各オーケストラのエキストラとしての出番を待ち、機会があれば募集に応募するという生活を、ずっと続けなければなりません。それでもオーケストラという受け皿がある楽器はまだマシで、同じ芸術大学でも絵画専攻だったら、食うや食わずになるでしょう。子供が「大学院、それも博士課程に行きたい」と言い出したら、親は「絵描きになりたい」と言われたのと同じ覚悟で対処しなければならないようです。

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