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2014/08/31

ザ・ピーナッツ

2014年8月31日

カミさんが、BS-TBSで放映された「ザ・ピーナッツ」の番組を録画していました。1975年(39年前!)に放映されたザ・ピーナッツ引退特番の再放映だったのですが、見ていて改めて思いました。うまい!

活動期間が16年間と長かったため、歌い方も変わっています。最初の頃(1959年=昭和34年=3丁目の夕日の頃)はまさに歌謡曲で、こぶしをきかせた歌い方をしています。こぶしをきかせた歌謡曲でハモるのもすごいのですが、それがだんだんポップスになってきて、最後の頃は完全にポップスですね。1975年に改めて歌っているのですが、昔の歌はちゃんと昔の歌い方で歌ってくれているのがありがたいです。

最後の頃の歌を聴いていて感じたのですが、キャンディーズそっくりです。それもキャンディーズの最後の頃。キャンディーズはデビューしてから歌がうまくなっていったのですが、最後の頃になって、今なら「神」と言われるザ・ピーナッツのハーモニーのレベルに来た、ということでしょう。

途中に洋楽カバーで歌いまくるコーナーがあったのですが、それを手伝っていたのが、同じ渡辺プロの中尾ミエと伊東ゆかりの二人。いやあ、二人とも若い。伊東ゆかりが歌がうまいのは知っていたのですが、中尾ミエがうまいのにはびっくりしました。昔の歌手は、みんなうまかったんですね。一部例外もいますが(^_^;。

ザ・ピーナッツの二人は不器用だったと、昔「隠し芸大会」に関わったことのある方から聞いたことがあります。ということは、ひたすら努力されていたのでしょう。歌番組でも、あの当時は30分番組でもリハーサルを4日くらい取っていたといいますから、「稽古」の量が半端ではなかったと思います。

この番組、保存版かな。

2014/08/27

昔の記録を見直してみたら

2014年8月27日

カテーテルアブレーションをやることになりましたが、いつものように、手術体験記を書くつもりにしています。これはリアルタイムには書けないので、ホームページ(かなり長いこと、放りっぱなし)にアップすることにしますが、そうなるとそれまでのいきさつもまとめたくなり、過去の記録をまとめ始めました。まとまったところで、「心臓弁膜症/心房細動治療記」として、ホームページのコーナーを一つ増やします。

さてその過去の記録をまとめていたら、小生もすっかり忘れていたことがたくさん出てきました。2007年~2008年頃で、この頃は小生の頭はほとんど桐沢型ぶどう膜炎の方を向いており、大変なことが延期になったら、すっかり忘れていたものです。

記録によると、2007年11月頃、僧帽弁の形成ができる、できないで何回も病院に通っており、最終的に循環器内科の先生と心臓外科の部長先生が一緒に心エコーの動画を見て、「弁形成可」という結論を出しています。そしてその時決まった手術日が、2008年5月。これがどちらかというと連絡ミスで外科に行くのが遅れているうち、逆流がいつの間にか改善して、2008年3月に手術中止(延期)になったものです。そしてそのまま、ずるずると無期延期です。

その時と今も、循環器内科の先生は同じですが、まあ7年前のことは覚えていないでしょうね。小生も忘れていたのですから。しかしもし覚えていて、「そうだ。弁形成はできるんだった。だったらさっさと、手術しましょう。」と、いきなり開胸手術になっても、心の準備ができていません。しかし逆流度2で、開胸するかなあ。やっぱり今の心房細動は逆流とは別で、カテーテルアブレーションが最適と思っています。

2014/08/25

横浜線用E233系の駅名ステッカー

2014年8月25日

横浜線は205系からE233系に置き換わりましたが、このE233系、横浜線だけは先頭部に駅名ステッカーが貼ってあります。Img_5803a


この駅名ステッカーは編成ごとに異なっており、横浜線の全駅をカバーしています。しかし横浜線の駅は、両端の東神奈川と八王子を含めても20駅しかなく、E233系は28編成あるので、残りの8編成には乗り入れている根岸線の駅が使われています。横浜から磯子までと、大船で8駅です。6001b


この8月にE233系6000番代は全28編成が出そろい、駅名ステッカーも全部出そろいました。小生も、残り数編成になってからはひたすら待つことが多かったのですが、全28編成のステッカーを写真に収めました。

写真は、トップナンバーのH001編成(東神奈川)と、最終H028編成(山手)です。6028b


2014/08/23

扇橋閘門一般公開

2014年8月23日

小名木川にある扇橋閘門の一般公開が行われるとの記事を新聞で見つけ、出かけてきました。一度タモリの番組か何かで紹介されているのを見た記憶がありますが、パナマ運河と同じ方式の閘門です。Img_5880a


場所は半蔵門線/都営新宿線の住吉から歩いて10分ほど。13:30から説明も行われるというので、それに合わせてお昼に住吉に着くように出かけました。MACかドトールがあることを期待したのですが、住吉に着いてみると、いわゆる「駅前」らしき店は何もありません。路線が2本交差していると言ってもそれは地下のことですから、「駅前」があるわけないですよね。やっとすき家を見つけ、そこでお昼にしました。
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あいにく小雨が降り出したので、傘をさして歩いて小名木川へ。小名木川沿いに行けば迷わないと思ったのですが、川沿いには行けず、結局大回りになってしまいました。現地に着いたら、説明は事務所の2階とのこと。説明パネルも事務所の廊下に張ってあるので屋根があり、雨が降っても影響ありません。Img_5892a


この扇橋閘門、いわゆる江東ゼロメートル地帯(実際の標高は、マイナス)の河川大改修の一環として出来たんですね。このあたりの川は、地下水くみ上げによる地盤沈下でその分堤防がどんどん高くなり、最後は「カミソリ堤防」と呼ばれるような細く高い堤防になってしまいました。それでは地震の時にひとたまりもないので、隅田川と荒川にスーパー堤防と呼ばれる立派な堤防を造り、その間に挟まれた地帯は川も水面を下げ、堤防をなくしてしまおうということになりました。Img_5913a


川の水は各地に設けた排水ポンプで排水すれば良いのですが、小名木川を始め内陸河川には、舟運があります。そこで扇橋閘門を作って、船が行き来できるようにしたものです。完成は1977年とか。東京都の江東治水事務所が管理しています(実際の職員は、外部委託ですが)。なお2005年には小名木川と荒川の間に荒川ロックゲートができ、こちらは国(国土交通省)の管轄です。Img_5916a


小名木川の水面は一定(海抜-1m)ですが、隅田川は潮位の影響を受け、水面の高さは変化します。その差が最も大きくなる大潮の満潮時で、約3mくらいです。閘門の原理は今さら説明することもありませんが、閘門内の水面の上下には動力は一切使っておらず、バルブの開け閉めによる重力方式、用は高い水面の隅田川の水を閘門内に入れ、それをまた閘門内から小名木川に流すという方式になっています。てっきり、ポンプがあるものだとばかり思っていました。動力はゲートの上下だけです。

そして閘門の通過は時間内であれば自由で無料、船がやってきたらそれを見ていてゲートを開け、通過させるようになっています。そのために常駐の職員がいるのですが、歩道橋のエレベータと同じ考えです。あちこちにカメラがあるので、やってくるのはわかるそうですが、時々直前でUターンして帰って行く船がいるそうです。

説明が終わったあと実際にゲートを閉めて水面を上昇させ、反対側のゲートを開ける実演もありました。このあたりの隅田川の水は塩分を含んでいるため、ゲート上昇時はそれを洗い流すために、水道水を吹き付けます。そのため、上がったゲートからはかなりの水が落ちてきます。Img_5920a

そこで終わりだと思ったら係の人が、「いつもなら14時にスカイツリー前を出発する観光船があるけど、今日はどうかな」と言っています。扇橋閘門通過は14:40頃、待っていることにしました。思ったより小さな船でしたが、入閘、水面上昇、出発と、本番を見ることができました。

一般公開は明日(24日)、来週の土日(30,31日)も行われます。

2014/08/22

STAND BY ME ドラえもん

2014年8月22日

見てきました。夏休み中とあって、子供連ればかり。おぢさん(おじいさん?)が一人で入るのは珍しいのですが、最近は気にしていません。

この歳になると当然子供たちとは違う見方ですが、楽しめました。しずかちゃんにプロポーズを断られ、やけ酒(日本酒だった)を飲んでいる出来杉君など、滅多に見られるものではありません。出来杉君が振られた理由は、「あなたは私がいなくても、何でも一人で出来るから。」のび太の場合は、「私がいないと、あの人何をしでかすかわからない。」カミさんのこの話をしたら、「女心はねえ。でも自分がいないと何も出来ないという人のそばにいたがるのは、結局その人を支配下に置きたいんじゃないかしら。」う~~ん、カミさんは女脳より男脳の方が優勢なので参考意見ですが、こういう見方もあるか。ただその台詞を口にするしずかちゃん、「ドラえもん史上最も美しいしずかちゃん」というのは、偽りではありません。

ドラえもんは学習雑誌での連載開始は昭和40年代なので、背景の造りなどは、かなり昭和の色が濃いです。しかし物語の基準を現在(2014年)においても、タイムマシンで行くのび太の結婚前夜の風景は、15年後(すなわち、2030年)にしては進みすぎ、22世紀のような雰囲気です。これは漫画ですから、子供から見た結婚する時期というのは、遙かに遠い未来に見えている、というイメージなのかもしれません。

多摩川の河原の景色が良く出てきますが、ドラえもん(藤子・F・不二雄)なら小田急の沿線だから、あの鉄橋は小田急線?それにしては、道床の付いたコンクリート橋は東横線そっくり、しかし複々線ではなく、複線でした。モデルは、どこなんでしょう。

2014/08/20

健康保険限度額適用認定証

2014年8月17日

健康保険は自己負担3割ですが、支払いが高額になってある金額を超えると、超過分が高額医療費として補填されます。「どのくらいが」というのは省略しますが、桐沢型ぶどう膜炎での入院/手術の時もどちらも80万円くらいの支払いだったのですが、その後医療費が補填されました。

今回も支払い見込みは約60万円で、同じようになると思っていたのですが、どなたかのブログに「限度額適用認定」という制度があることが書いてありました。なにやら事前に健康保険組合に申請をしておけば、高額医療費の補填分を差し引いた額しか、病院の窓口では支払わなくても良い制度だそうです。財務大臣、すなわちカミさんは、「面倒だったら、一まで通りで良いわよ」と言っていたのですが、病院からの入院申込書の中に「限度額適用認定証はもらったか?」というチェック項目があったので、健康保険組合に聞いてみました。

小生は、まだ昔の会社の健康保険組合の継続加入です。電話して聞いてみたところ、「ホームページに申請書があるので、それを書いて出せ」とのことでした。健康保険組合も、独自のホームページを持っていたんですね。インターネットに接続できない環境の時は申請書を郵送してくれたんだと思いますが、この時代はインターネットに接続できないと、不便なことが多いようです。

そして申請し、「健康保険限度額適用認定証」なるものが今日送られてきました。ところが有効期間は3ヶ月間しかなく、それも申請月の1日から有効なので、有効期間は10月31日まで、ぎりぎり間に合いました。申請から発行まで時間がかかるといやだと思って早めに出したのですが、少し行動するのが早すぎたようです。

2014/08/19

入院準備、その2

2014年8月17日

今度の病院は、スリッパ禁止です。必ずかかとを覆った靴(上履き)を用意してください、と入院時の注意事項にあります。これは夜中に起きてトイレに行くときも、きちんと靴を履いていけ、と言うことですね。

トイレに行くのに身支度をしなければ行けなかったのは、昔の寝台車です。これは靴はおろか、それなりの身支度をしなければならず、急ぐときには大変でした。その当時はまだ若かったですが、今だったら大変です。

と言うのも、小生の靴のような28cm級になると、いわゆる「上履き」が売ってないんですね。ほとんどの靴は紐靴ですが、紐靴はきちんとひもを締めないと、スリッパより危険です。夜中にトイレに起きて、ひもをきちんと締める余裕があるかどうか、です。特殊な靴なら、マジックテープのものがあります。会社を辞めるときに処分した軽量安全靴がマジックテープでしたので、これを捨てなければ良かった、と思っています。

と言うことで、その軽量安全靴を買ったホームセンターに行ってきました。2匹目のドジョウならぬ、鰻がいないか、です。そうしたらありました。何と28cmのスリップオンのスニーカー、作業靴のコーナーにあったので、例えば大工さんが仕上げの時、外用と家の中用と、履き替えて使うのではないかと思っています。まだ2ヶ月もありますが、こういうものはあるときに買っておかないと、すぐになくなります。しかも980円!14081901a


ドライヤーも、コンパクトのものを探しに行きました。昔は「旅行用」と銘打ったコンパクトのものがあったのですが、最近は鞄が大きくなったため、皆さん普通のドライヤーをそのまま持って行っているようです。ヨ○バシカメラでいろいろ見ていたら、パ○ソニックのお姉さんが声をかけて来ました。
「ご旅行ですか?」
「いや、入院で。」
「あ、そうすると引き出しかなんかにしまうんですね。だとすると一番小さいのは、、」
と、他社製品ですが、すごく小さいのを持ってきてくれました。値段も1.1Kと安い!風量もしっかり出るし、早速買って帰りました。先日自宅用のドライヤーが異音を出し始め、パ○の新しいのを買ってきていますので、まあ良いでしょう。

2014/08/17

入院準備

2014年8月17日

以前、と言っても2000年頃は、自宅に「入院セット」というのが用意してありました。洗面用具に入浴用具に湯飲み、洗面器に旅行用のドライヤーまであり、入院が決まればこれに着替えとタオルを入れれば即可能になりました。そのため2006年に桐沢型ぶどう膜炎で緊急入院したときも、カミさんへの「今から入院することになった」の一言で、すべて準備ができました。まるで旧国鉄の迂回列車の運転です。

ただ入院先の病院により微妙に必要品が違い、「へえ~~」というものもあります。T病院に入院したときは、ガウンが必須でした。検査室に行くときは、パジャマのままでは行ってはならぬ、と言うわけです。F病院では、箸が自前なのには驚きました。休職に箸が付いてこないのです。箸だけではなく、ヨーグルト用のスプーンや、スパゲッティのフォークも自前なのには参りました。患者用の流しがあるわけではなく(昔の結核療養所は、ありました)、すべて使い捨てを用意しました。箸は割り箸です。

さて今回、入院の注意事項を見ていたら、「スリッパ禁止」とありました。突っかけではなく、かかとをしっかり保持する履き物を準備せよ、とのことです。おそらく、転倒防止でしょう。これは困りました。小生のような28cm級では上履きのような靴は売ってなく、すべて紐靴になってしまうのです。ただこのご時世、介護用品の専門店に行けば、マジックテープ式のものがあるかもしれません。これは時間があるので、探してみましょう。

今までの入院では、ディスクマンが活躍していました。失敗したのは1993年の最初の肝生検の時で、ディスクマンを置いた場所がちょっと高かったため、肝生検から帰ってきて身動きのできない状態では届かず、結局手の届くところにあったラジオだけを聞いていました。1997年の肝生検では、失敗の経験を生かしてしっかり準備してから肝生検に出発しました。

今回の術後は、身動きのできないところは肝生検後と同じで、右向きか仰向けかが違うくらいです。今小生はディスクマンではなく(まだ動きますが)アンドロイドウォークマンを愛用しています。これを手の届くところに置いておけばと思って、はたと気がつきました。戻ってきたときは左腕は点滴で固定され、使えるのは右手だけです。早速右手だけで、電源ON-パスワード入力-曲選択が可能かどうかやってみました。右手で本体を支え、右の親指1本で操作することになりますが、何とかなりました。ただし、落としたら終わりです。

アンドロイドウォークマンは待機電力の消費が多いので、スリープにしておいても、あっという間に電池が消耗します。コンセントが空いていたら、充電器も手元で差すだけにしておいた方が、無難なようです。

2014/08/16

カテーテルアブレーション、自分なりのまとめ

2014年8月16日

カテーテルアブレーションはいろいろなところでいろいろな解説がしてありますが、全体を詳しく解説した資料というのは、なかなかありません。それで、一通りのことをまとめてみました。なお医療機関によってやり方が多少(あるいは、かなり)異なり、これは代表的な例です。自分用のまとめメモですので、あまり当てにはしないでください。

○対象は、左心房:心房細動の多くは、肺静脈開口部付近からの異常な電気興奮をきっかけとして発生し、そして維持されることが明らかにされています。従って、肺静脈の入り口である左心房の壁を焼いて、電気的に切断してしまおう、というのがカテーテルアブレーションの基本の考え方です。プリント基板で信号がリークしているところを、半田ごてでさっと切ってしまうのと同じですね。

○加熱は、電流集中による抵抗加熱:上記の半田ごてのように、ヒーターを内蔵したプローブを当てて焼くものだとばっかり思っていましたが、違いました。背中(と言うより肩)に広い電極を当てておき、反対側の細い電極を組織に押しつけ電圧をかけると、人間の身体は導体なので、電流が流れます。電極が細いと、その周りだけに電流が集中し、そこだけが過熱します。これだと電極自体は発熱していないので、移動中に不用意に他の組織に触っても、そこが焼けるということもありません。なお電極間にかかる電圧は直流ではなく、1MHzくらいの高周波交流と聞いています。直流だと、背中の電極の接触具合によって電流がかなり変わり、また接触部にやけどを生じることもあるので、その防止のためでしょう。1MHzだとちょっと太いと、表皮効果のため棒で触っても跡は円筒になるので、電極はかなり細いでしょうね。
なお広範囲を一気に焼くプローブなどは、熱源と冷却源を持っており、自分で加熱し、終わったら急激に冷却する機能があるようです。

○カテーテルを入れるのは、静脈:一般に太ももの付け根からカテーテルを入れますが(肩からのものもあります)、これは静脈です。そこから大静脈を遡り、右心房に至ります。なお漫画「医龍」にあるカテーテルは大動脈のステントのため、動脈に入れています。また。カテーテルアブレーションでも動脈に入れるものもあるようですが、その詳細は確認していません。

○右心房から左心房へは、心房中隔に穴を開けて移動する:ここが一番わからなかったところでした。焼くところは左心房なのに、大静脈から入れると右心房にしか着かないのに、どうやって?と思っていました。心房中隔には卵円孔というほとんど膜だけしかないところがあり、そこに穴を開けてカテーテルを通すものです。ブロッケンブロー法と言うそうです。なおこの穴は、術後は放って置いてもそのままふさがるそうです。

とりあえず、こんなところですか。

2014/08/13

行きつけの内科は、改装工事中

2014年8月13日

9日に何となく寒気がしたもののそのまま寝て、翌日起きて熱を測ったら36.9℃あります。この日はは創立80年の記念パーティがあるためとりあえず風邪薬を飲み、お昼にまた体温を測ったら36.6℃だったので、また風邪薬を飲んでパーティには出かけました。ところがパーティで会長が挨拶しているときに気持ちが悪くなり、その場でしゃがみ込むのも何なので、椅子のある場所まで行ってそこに座り込んでいました。脂汗がひどく、軽い吐き気もあります。しかし15分くらいで気持ち悪さが抜けてきたので、乾杯には間に合いました。さすがに乾杯はビールにせず、ウーロン茶にしましたが。

その後知り合いのところに行き、とりあえず食べておかねばと、巻き寿司3個にかんぴょう巻き2個を食べ、やっぱり中座して帰ることにして、ローストビーフ2枚に焼きそば少しを食べ(よく食べたなあ)、さっさと帰りました。帰って体温を測ったら36.9℃あります。小生は風邪の時は、まずのどがもやもやし始めるのですが、今回はそれがありません。しゃがみ込むときの気持ちの悪さは、脳貧血のようですが、もらった薬の副作用に貧血はありません。しかも、飲み始めてからずいぶん時間が経っています。どうもはっきりしないのですが、その日はそのまま寝ました。

翌11日(月)、朝からHハートセンターに電話をしてみました。副作用の可能性があるのだったら、駆けつけなければいけません。電話口は誰か不明ですが、熱があることから、内科に行った方が良いと言われました。確かに、そうです。なお現在の熱は、37.2℃です。

いつもは、こういう時には迷いなく、行きつけの内科に行くのです。ところが今は、行きつけの内科は店内、もとい、院内改装中で、先週末から早めのお盆休みになっています。そこでいろいろ調べ、循環器と呼吸器の内科を看板にしていて、今日開いていて歩いて行けるところを見つけました。一度粉瘤を切ってもらった皮膚科の、隣でした。この内科は、初めてです。

そこに保険証と一緒にいつも出している病歴のまとめを出し、見てもらいました。思ったより若い先生で、パソコンの画面を見ている方が多いです。ちなみに行きつけの内科のカルテは、未だに手書きです。それでものどを見てもらって、「あ、ずいぶん赤くなっていますね。」その後胸の音を聞いて、「ちょっと肺に雑音がありますが、病歴からあるかもしれないし、以前見ていないので、何とも言えないですね。まあ風邪でしょう。抗生剤を出しておきます。」とのことでした。薬局に行ってもらったのは抗生剤ケフレックスカプセルにのどの痛み止めのトランサミン、さらに必要に応じて飲むようにとロキソニンをくれました。

家に帰ってもらった薬を飲んで一眠り、ところがいつもは抗生剤を飲むと熱はすぐに下がるのですが、下がる気配がありません。夕食後はロキソニンを飲んだらさすがに下がったので入浴し、さっさと寝ました。

12日の朝は36.6℃、どうも下がりきれません。小生の平熱は低く、36.0℃くらいです。今日は80年記念展示会の会場で知人と待ち合わせをしているので、出かけなければいけません。ロキソニンを持って出かけました。昼食後ロキソニンも飲み、先に会場を一回り、盛況です。小生の撮った写真も使われています。少し疲れたので控え室で休ませてもらい、13:30に知人と合流、どうもロキソニンは飲んでから効き始めるまで、1時間半くらいかかるようです。知人は、じっくり眺めていきました。

そして今日(13日)、やっぱり朝は36.6℃、昼は36.9℃。ただし今日は外出せず、ロキソニンも控えました。抗生剤を飲んでいるのに、熱が下がりません。一つの可能性は、このケフレックスが小生に合わないこと。いつももらっているフロモックスも同じセフェム系なのですが、微妙な相性の差があるかもしてません。もう一つの可能性は、風邪以外のほかの病気です。どちらにしろそれまではこの薬と、必要に応じてロキソニンで熱を抑え、盆休み明けを待つことになります。

2014/08/09

通勤電車エクササイズ

2014年8月9日

最近自分で、腹が出てきたと感じます。退職後運動量が減り、食べている量は同じなのですから、腹も出るでしょう。「退職したら散歩を」と思っていたところ、心房細動が予想以上に悪くなり、運動量が増やせません。ところが体重は逆に減り気味で、おまけにズボン(パンツと書くと下着のイメージが強いので、ズボンで通します)が緩くなってきました。小生のズボンいわゆるヒップボーンで、腰骨のあたりに止まっていたのですが、これがずり落ちるようになってきました。ローライズです。ヘソ出しルックで迫る妖艶な女性ならともかく、前期高齢者のおぢさん(おじいさんか(^_^;)のローライズなど、だらしないだけです。

小生のような運動量が急に減った人間にとっては、体重が減ることはあまり良いことではありません。筋肉が落ちて同じ体積が脂肪に置き換わると、比重の関係で体重は減ります。小生のように「腹が出た」と感じるのに体重が減る場合は、出た腹以上の筋肉が落ちていると見て間違いありません。筋肉が落ちると関節が正しく接触しなくなり、痛みが出たりするので、良いことはありません。

小生は男にしては腰骨が張っている方ですが、その外側に、腰を振ったりひねったりすると反応する筋肉がありました。大腿筋膜張筋と言うみたいです。この筋肉が落ちたため、ズボンが緩くなったのでしょう。この筋肉は姿勢をまっすぐに保つ働きなどをやっているため、この筋肉が落ちるのは、良くありません。この筋肉は、足を動かさずに腰を振ったりひねったりしても鍛えられるため、今までそういう動きをやっていたはずです。「はて」と思って思い当たったのが、通勤電車でした。

通勤電車で立っている場合は、吊革につかまっていても、細かい揺れやカーブでも身体をまっすぐに保つよう、筋肉は自動的に動いています。途中駅で出入りがある場合は、身体をひねってよけます。今まで片道30分、1日あたり1時間のエクササイズをやっていたわけです。定期代は会社支給だったので、実に安上がりなエクササイズでした。

ふと思い立って、昔やっていた腹筋の運動をやってみました。横になって足を直角に上げ(いい加減)、車のワイパーのように右左にバタンバタンと動かすのです。ところがこれはきつく、5回でダメでした。別の、腰回りを鍛える運動をどこかで取り入れなければいけません。まあ本格的にやるのは、入院が終わってからになるでしょうが。

2014/08/08

カテーテルアブレーション、やります

2014年8月8日

またまた、Hハートセンターに行ってきました。
11時の予約でしたが、送迎バスが11時ぎりぎりになるために1本前にしたら、予約の1時間前に着いてしまいました。そして呼ばれたのは、予約の1時間10分後、ひたすら読書でした。今回は「それからの武蔵」。

そして診察、と言うより説明。昨日までの先生はお歳でしたが、今日の先生は若いです。カテーテルアブレーションがどういうものかはもう知っている前提になっているのか、それについては一切説明はありません。考えられる危険性などについては、手術の前日に説明があるようです。そこで「リスクが多すぎる。いやだ!」と言ったら、その時点で中止になるのでしょう。まあ、大体のリスクは、承知していますが。そう言えば目の手術の時もリスク説明は、前日でしたね。

小生の心臓の状態は、今ならカテーテルアブレーションができること(心房肥大がもっと進むと、できなくなる)。1回でうまくいく確率は、残念ながら70%くらいとのこと。「本当は100%と言いたいところですけどねえ。」とは先生の弁。まあ小生が今までいろんな事をやってきた中では、たぶん一番高い確率です。このカテーテルアブレーション、まさに日進月歩で、去年できなかったことが今年はできる、という状態だそうです。

と言うことで、10月にカテーテルアブレーションをやることになりました。9月はすでに一杯だそうです。10月は遊びの予定をかなり入れていて、その合間に入院することになります(良いんだろうか(^_^;)。入院期間は、一週間見ておいて欲しいとのこと、再手術の可能性も見ているのかもしれません。

手術日程が決まると、手術室の予約やら、スタッフの予約やら、全部自分で入力するんですね。「先生、全部自分で入力するんですね。」といったら、「そうなんです。誰か人を付けてくれれば良いんですけど経費節減で。」その後「大体○○は××で、そして**で」と親医療法人の悪口がひとしきり出ました。すごく面白い内容でしたが、生々しいのでカットします(笑)。まあ最近はどこの会社でも経費削減ですから、昔は部長になれば、「○○君、やっておいて」で済んだことも、全部部長が自分でやっています。

手術の一週間前に造影の検査がありますが、そこまで来院無しになりました。そのため今までT病院で出してもらっていたワーファリンもこちらで出してもらうことになったのですが、PT-INRが3はおろか2.6でも「高すぎる」とのことで、4mgが2.75mg(0.05mgは錠剤の半分)になりました。ずいぶん細かい先生です。

蓄膿の件については、まず先に不整脈を治して、うまくいけばワーファリンを止められるので(小生はあまり期待していませんが)、それからの方が良いと言うことになりました。ただ長時間仰向けに寝ると鼻汁がのどに落ちてきて咳き込むので、その場しのぎの対策を何か考えなければなりません。

昨日に引き続き、今日も帰りの送迎バスをタッチの差で逃しました。
カミさんは明日帰ってくるので、説明はそれからです。入院日は家族同伴指定ですから、日程調整も入るかもしれません。

2014/08/07

心房細動、治らず

2014年8月7日

心臓の検診に、Hハートセンターに行ってきました。2週間前から飲み始めた不整脈治療薬の、効果確認です。

前回と同じ時間に送迎バスに乗ったら今日は乗客が多く、小生が最後の座席でした。その後でやってきた方は、助手席へ。マイクロバスは立ち席が認められないので、これで満員です。病院の送迎バスというのは大抵小生が一番若い位なのに、今日はなぜか若い女性の乗客が多く、何だろうと思っていたら、クラークさんが出迎えていました。夏休み中のインターンシップかもしれません。

一番最後の席に乗ったため、出るときは最初、そのため再診受付機は一番乗りでした。受付票を持って再診受付へ行くと、採血と心電図の指示がありました。今日は心エコーはないようです。

採血と心電図が終わり待っていると、予約の30分遅れで診察室に呼ばれました。心房細動は、治っていないとのこと。体感的にはずいぶん楽になったと言うことを言うと、それは心房細動以外の脈が安定したからとのこと。不整脈の治療薬は、心房細動以外のところで効いていました。ということは、今までの脈はものすごく乱れていた、ということです。良く生きていたな。

次の手として、「電気ショックというものがあります。」とのこと。AEDみたいなもので心臓に電気ショックを与え、強制的に正しいリズムにしてしまおうというものだそうです。しかし小生の場合は、心房がかなり肥大しているので、再発する可能性が大きいとのことです。となると次に出てくるのはカテーテルアブレーションで、そのあたりは専門家から詳しい話を聞いて欲しいと言うことで、その専門の先生の診察を受けることになりました。金曜日だそうで、「明日でも良いですか。」「良いです。」となくなってしまったテレビ番組みたいな即答で、明日もこのHハートセンターに来ることになりました。時間が1時間遅いので、その分ゆっくり起きられます。

血液検査の結果では、PT-INRが3.04と、制御範囲(2.0~3.0)をオーバーしていましたが、先生は上限内、という判断でした。ネットで調べたところ、PT-INRは測定機関差をなくすように設定されているとは言うものの、試薬差など、どうしても差が出るものだそうです。

[おまけ]14080702a

帰りに上大岡で途中下車し、東樹院というところへよってきました。ここは文福茶釜の伝承があるのですが、たぬきが茶釜に化けるのではなく、冬の寒い晩の一夜の宿を借りた女性に化けたたぬきが、お礼として茶釜を持ってきたそうです。この女性(実はたぬき)、絵の名手で評判になったそうですが、明治17年の火事で、その絵は焼けてしまったそうです。14080708a

またその近くに、北条実時の病を治したという、「鰻の井戸」というものもありました。

横浜線の205系

2014年8月6日

日付からわかるように、昨日の記事です。8月6日はおとなしくしていたため、アップしませんでした。

横浜線もE233系化が進み、205系も残すところあと1編成です。そしてH1編成が「感謝」のヘッドマークを付けて運行を始めました。これは205系からすべてのお客様への感謝のメッセージです。上り側と下り側で、デザインが違います。Img_58591a


205系が横浜線に入ったのは昭和63年(1988年)で、増備中に元号が昭和から平成に変わりました。そのことを予期してか、川重の第2ロットで「昭和64年」に入線した編成は、製造銘板無しでした。そして後で、「平成元年」の製造銘板が取り付けられました。もうなくなってしまいましたが、「平成元年」の銘板を付けた編成の内数編成は、実際は「昭和64年」製です。Img_58731a


小生が横浜線の沿線に越してきたのは昭和62年(1987年)で、まだ103系が走っていました。その翌年には205系が入り始めたので、小生の横浜線の通勤は、ほとんど205系とともにありました。205系になって列車速度は上がったのですが、それまで103系では効きすぎるくらい効いていた冷房が、効かなくなりました。そのため、時々窓を開ける客も居ました。踏切で通過を待っていると、旧型の吊り掛け式と張り合うくらいにやかましいモーター音をさせて通過していきました。

現在は、いろいろなところを改良されたE233系が走っています。205系、お疲れ様でした。

2014/08/05

たぬき通り

2014年8月5日

不整脈の治療薬が効いているのか、日中はずいぶん楽になりました。歩く速度が速くなったのが、自分でもわかります。これが夜中に目が覚めたときや、朝起きたときの心房細動がなくなると、言うことはないのですが。Dscn1020a


体調が良いので、猛暑にもかかわらず、浅草に行ってきました。電車は冷房が効いているので、乗っている間は快適です。1000系がずいぶん増えました。浅草は、外国人が多いです。しかし、暑い!人力車のお兄ちゃんたちは、猛暑にもかかわらず頑張っています。Dscn1026a


目当ては「たぬき通り」です。雷門から少し西に行ったところにあるオレンジ通りから、また入った細い通りです。この通り、たぬきが12匹飾ってあります。大黒たぬきやら天神たぬきと、それぞれの扮装をしています。化け損なった、と言った方が良いかもしれません。それでも、面白いです。全部の写真を撮ってきました。Dscn1027a


すぐ近くの伝法院のとなりにある鎮護堂は、「おたぬきさま」が祭られています。タヌキは「他を抜く」に通じるところから、芸事をやる方が信仰しているとか。Dscn1030a


日中はこれだけ動いても異常がないので、ずいぶん良くなっています。ただ薬で抑えるのは長続きしないとも書いてあるので、気になるところです。Dscn1031a


2014/08/04

慶應鉄研80年記念展示会

2014年8月4日

今年はいつもの写真展はなく、こういう特別展示会になりました。
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場所は有楽町の交通会館です。
皆様のお越しを、お待ちします。


2014/08/03

税金

2014年8月3日

郵便受けを開けたら、市の財務部市民税課なるところからの封書が入っていました。こういうところからの手紙はろくな事はないのですが、開けてみたら、やっぱり請求書でした。

サラリーマンの現役時代、毎月の給料から税金が天引きされていました。そして給料をもらわなくなったので、所得税もなくなります(最後は確定申告での調整が必要ですが)。ところが住民税の方は、前年の所得に対して課税されるのですね。それが今まで月割りで引かれていたのですが、7月以降は引けなくなったので、コンビニもしくは口座振替で払え、というわけです。

納付期限は4回に別れており、第1期の6月30日までの分は、給料天引きで支払い済み。後は第2期から第4期まで、第2期の支払期限が、9月1日です。理屈では仕組みは理解していましたが、実際に払う段になると、高いですね。これに介護保険料に健康保険料、今まで自動的に引かれていたのであまり気にしていませんでしたが、良くこれだけ払っていたものだと思います。まあ今年(来年の3月まで)が一番大変で、来年はかなり減り、再来年になるともっと減るはずです。

支払期限が皆ばらばらなので、忘れないようにしなくては。

2014/08/01

退職一ヶ月後

2014年8月1日

毎日が日曜日になって、1ヶ月経ちました。まだまだ、新しい生活のペースはつかめていません。

一番の予想外は、体調が悪くなったこと、というより、悪くなりかけていたのが一気に出てしまった、と言った方が良いでしょう。今年の2月あたりから、心房細動の派生頻度が頻繁になってきました。そこを何とか、4月からは新しい仕事まで受けてしまって(しかも、二つ)何とかやってきたのですが、6月あたりから、寝ているときに心房細動が起こり、気持ちが悪くなって目が覚めるようになりました。胸のあたりにびっしょり汗をかいているため、そのうちに風邪を引くな、と思っていたら、案の定風邪を引いてしまいました。

心房細動は良性の病気といわれています。つまり、心房細動では死なない、ということです。脳梗塞は起こしやすくなるのでその対策(小生は、ワーファリンを飲んでいます)は必要ですが、それさえやっていれば、特に気にすることはない、というものです。しかし医学的にはそうでも、心房細動が起こると不快で(気持ち悪い、という表現の方がぴったりきます)、朝から起きると、何もする気がなくなります。おかげで、新しい生活のペースも何も、なくなるわけです。なお心房細動の方は、今不整脈の対策薬を飲み始めて、ずいぶん楽になりました。

退職と同時にカミさんも小生の朝食を作ることから卒業したので、朝から自分でトーストを焼いています。変わって確定したのは、それくらいですね。

身辺整理だけは、徐々に始めています。今までずっと取っていて、時々役に立っていた大学の教科書は、全部捨てました。卒業してから勉強のために買った専門書は、引き取ってくれるところがあったので、きれいなものだけそこに送りました。そのほか、古本屋に持っていった本もかなりあります。

古いノートも処分しようと思って捨て始めたら、何と昭和59年(1984年)に今の会社(6月までいた会社です)に移ったときからずっとそろっていました。我ながら、良く取っていたものです。その頃は万年筆、それも青のインクでノートを取っており、もう字が薄くなり始めています。万年筆の青インクは、保存性が良くないんですね。しばらくしたら水性の顔料インクを使ったボールペンに変わっており、これは全く変質なく、しっかり残ってていました。しかし、これらも全部処分(古紙としてリサイクル)です。

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