永青文庫と「天地明察」
2012年11月19日
昨日、永青文庫に行ってきました。目当ては「天地明察」の渋川春海が作った、天球儀です。永青文庫は定期的に企画展を行っていますが、今回の企画展は「細川家に残る江戸の天文学」、そこで天球儀が出てくるわけです。永青文庫は細川家に伝わる文化財を管理保管・研究史、一般に公開しているもので、永青文庫の建物は、旧細川侯爵家の家政所(事務所)だそうです。
小生は永青文庫に行くのは、初めてです。地図で見たところ、バスに乗らずに行くためにはメトロ有楽町線の江戸川橋が最も近いので、そこから歩きます。神田川を越えると元の細川家のお屋敷跡で、公園など緑の多い土地です。このあたりかなと思ったら標識があり、見ると矢印の方向には道がありません。じっくり見たら、地図の道=車の走れる道、と思っていた小生の認識違いで、階段を登った先が永青文庫でした。心臓に悪い。
ゆったりとした敷地に立てられており、静かな良い場所です。中に入って入場券を買うと、「4階からご覧ください。」とのこと、階段を4階まで上がります。またまた心臓に悪い(^_^;。
2階と4階が常設展、3階が企画展といった配置のようです。何で「天地明察」と細川家が関係あるかというと、5代細川綱利公が渋川春海から天文学を教わったそうです。この綱利公、「忠臣蔵」の吉良邸討ち入りの後、大石内蔵助以下17名の浪士の身柄を細川家が預かった時の当主です。展示には「赤穂義士」と書いてあり、この書き方で(心情的なものも含め)どちらの味方をしたかがわかります。ちなみに米沢市では、「赤穂浪人」の「狼藉」です。細川家では、赤穂義士を手厚くもてなしたとか。
企画展には、細川綱利公の肖像画が展示されていましたが、企画展のすべての展示に「何でこれを展示するのか」が書いてあり、非常にわかりやすかったです。千利休が所持していたという碁盤と碁笥もありました。利休も碁を打っていたんですね。
さてお目当ての天球儀、銅製で、直径は60cm(2尺)くらいでしょうか。鉄の台が付き、立派なものです。国の重要文化座、さもありなんです。台座に漢文で製作意図などが書かれていますが、作者名は「安井算哲」。当人は囲碁は安井、天門は渋川と使い分けたかったようですが、なかなかそうも行かなかったのでしょう。「天地明察」の中に出てきたものとしては、測量用の間縄がありましたが、いずれも保存状態が良く、しっかりしていました。大名家のこのあたりの管理は、たいしたものです。
さて「天地明察」ですが、小生は原作を読んだ後、映画を見ました。原作はすばらしかったのですが、映画ははっきり言って駄作です。原作の歴史観、時代感がすっぽり抜け落ちているどころか歪曲され、登場人物を減らして時間的にも圧縮したものだから性格がはっきりせず、おまけに演出過多です。原作を切り取るのなら、もう少しうまい切り取り方があったような気がします。
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