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2012/11/26

石北線撮影記(8)

2012年10月10日(水)(つづき)

北見まで戻ってきたら、偶然C58とD51を屋外に保存してある場所を見つけた。D50と言いDD14と言い、北見はやはり鉄道の要の土地だっただけあって、保存車両が多い。Img_4140a

D51は、少し切り詰めた除煙板、密閉式に改造されたキャブ、運転席側の旋回窓、北海道式のタブレットキャッチャーと、完全な北海道タイプである。C58の方も、煙突の前に大きなつらら切りを付けている。振り返ってみて、本線用の「九州型」はどのくらい残っているのだろうか。Img_4139a

DB12という型式ながら、協三の10tスイッチャーも展示されていた。いわゆる、「10t半キャブ」というタイプである。同じタイプで5t、8tもあるらしいが、外見からはよくわからない。昔三角駅にいたのは5tだと思っているのだが、だんだん自信がなくなってきた。ただ三角駅にいたのはエアブレーキは持っておらず、機械式ブレーキだった。Img_4147a


午前中見かけた、ひまわり畑に行く。花が小さく、ひまわりかどうかよくわからなかったのだが、帰って調べてみたらひまわりとわかった。このひまわりは肥料で、すき込んでしまうのだそうだ。基本は、麦畑である。そのため毎年ひまわりを作るわけではなく、来年この景色が撮れる保証はない。Img_4142a


ひまわりを入れて側面から狙ってみたが、どうも写真がぼけているようだ。小生はオートフォーカスの範囲を広めにしてサーボ機構(AIサーボ)を使っているが、対象の列車とバックの山の距離が遠く、ロングで撮るためオートフォーカスの対象点がぼやけてしまい、何となくピンぼけのような写真になるのだと思う。こういう真横から狙うときは、オートフォーカスを中央1点にして、置きピンで撮った方が良さそうだ。Img_41551a


ひまわり畑から眺めると、石北線のむこうは国道で、そこをJR貨物の5tコンテナ(今はこういう言い方はしないが)を3個、あるいは4個積んだトレーラーが、ひっきりなしに走っている。石北線の貨物列車の最大積載量は5tコンテナ55個なので、あっという間に1列車分出来そうな感じだ。再来年春には石北線の貨物列車は廃止される予定だが、貨物が少なくて廃止されるのではないから、実にモッタイナイ。Img_41641a


しかし、DD51を撮りに北海道まで来ることになるとは、時代の流れを感じる。小生の学生時代は、フィルムが貴重だったこともあるが、DD51が来てもシャッターを切らなかったこともある。そのため、エンジンがDML61S(1000PS×2)からDML61Z(1100PS×2)に代わった時、DML61S付きのDD51を次位に付けてDML61Z(20番以降)の練習運転を行っていたのだが、Img_41681a


その貴重なシーンを取り逃がしてしまった。また、電化前の東北線で走っていた、DD51の3重連も撮り損なった。エヴァンゲリヲンの映画で、A寒地仕様のDD51の3重連が出てきた時には、驚いたが。古いアルバムをひっくり返したら、量産開始したばかりのDD51の練習運転の写真が出てきた。1964年、鹿児島本線での撮影である。Img_4172a


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北見駅で最後の1枚を撮り、女満別空港に向かう。レンタカーは女満別空港前で借りているので、返却も楽だ。少し早めに付き、ガソリンを入れた後、Aが「面白いところがあるぞ」というので、そのまま車で向かう。女満別空港の最寄り駅は西女満別なのだが、そこを通過する列車を陸橋の上から撮れるのだ。金網があったが、小生のカメラだとちょうど金網の編み目越しに撮れる。最後に撮ったのが、オホーツクとなった。Img_41781a


珍しく(ひょっとすると、初めて?)Aと一緒の飛行機である。いつもはAは最終便なのだが、今回はAが小生に合わせた。出発前、Aは奥様への土産を買い込んでいる。いつもと違うAを見た。女満別を定刻に離陸、順調な飛行で無事羽田に到着した。何事もなく(体力が持って)、良かった!

(完)

2012/11/25

石北線撮影記(7)

012年10月10日(水)

今日は最終日、泊まっているところが白滝に近いため、今までより1時間遅くて良い。さらに昨日早く寝たので、休養十分、疲れが取れた。Img_40781a


今日もまず上白滝からだが、行く途中の道にずいぶんガスがかかっている。天気が崩れ始めたのだろう。上白滝ではやや薄曇り、空の色は、灰色だ。先頭は原色機だが、今日は標識灯を消し忘れている。それもまた、面白い。Img_40831a


途中で何枚か撮ったが、線路近くで撮ったときに、コンテナからもエンジン音がしているのに気づく。冷凍コンテナを搭載しているのだ。タマネギは冷凍コンテナでは輸送しないはずなので、別の貨物(例えば、牛肉)があるのだろう。今日は冷凍/冷蔵コンテナが多い。Img_40871a

余談だがこのエンジン付きの冷凍コンテナ、青函トンネルを通過するときにはそのままでは火災報知器に引っかかるので、エンジンを切らなければいけない。以前は青函トンネルの前後(おそらく、蟹田と木古内)でエンジンのON-OFFをコンテナ一つずつで行っていたそうだが、Img_40921a


今は無線制御になり、青函トンネルに入る前に自動的にエンジンオフ、出たところで自動再起動を行っているそうだ。これはJR貨物のコンテナを扱っている運送会社から聞いた話である。なおこの冷凍エンジンの燃料タンク容量は、48時間分だそうである。Img_40991a


後補機付きの列車で、後補機まで入れようとすると写真を撮る場所が限られてくるが、先頭の機関車だけと割り切ってしまえば、写真を撮る場所がずいぶん広がる。写真のダムの前の鉄橋はまさにそういう場所で、空が青空だったら、良い写真になったところだ。Img_41051a


今日は常紋まで上がる。おそらく小生にとっては、最後の常紋である。ここは曇っていて欲しいのだが、すっかり晴れた。平日なのでさすがに同業者は少なくなり、横位置のロング(換算75mm相当)でも撮れる。この換算75mmあたりは、フルサイズ用の50mmレンズがちょうど使え、この固定焦点50mmには古今東西、いろんな名レンズがある。後日談だが、シグマのの50mmF1.4をカメラ屋で見たが、ともかく重い。EOS-Kiss用はズームレンズもプラボディで軽く、それに慣れてしまった身体には、ちょっとしんどそうだ。お金もないが(^_^;。Img_41111a


今回撮りに来たディーゼル機関車のDD51であるが、製造初年は1962年(昭和37年)、量産は1964年(昭和39年)からと、かなり古い。目的は蒸気機関車の置き換え/無煙化で、牽引力でD51、速度でC61の性能を持つとされる。また軸重可変機能を持つため、線路規格の弱い線区(昔の規格での丙線)にも入線できる。Img_4113a


そのため、C58しか入ったことのなかった陸羽西線でお召し列車を引いたこともあるのだが、万能機というものは弱いところがあるもので、空転しやすく山登りには弱い。もっとも得意としたのは、東北本線や奥羽本線クラスの勾配の線区を高速で旅客列車を引く用途で、10系客車で編成された「みちのく」「八甲田」、あるいは九州では「霧島」あたりの牽引が一番向いていたのだと思う。Img_41261a


現在の使い方を見ると、石北線の貨物はやや牽引力不足だし、北海道の「北斗星」「カシオペア」は110km/hで走れる客車に対し95km/hしか出せず、高速能力不足である。ただ後継車がおらず、老骨にむち打ってがんばらざるを得ない状態である。なにやら団塊の世代の技術者を見ているようだ。
少し話が脱線するが、DE50が量産に移っていたら、こういう勾配線ではDD51より適していたであろう。しかしDE50のトラブルはおそらくエンジンのクランクシャフトの強度不足で、対策は結構大変だったのかもしれない。

(つづく)

2012/11/24

今日はよく揺れる

2012年11月24日

仙台に来ています。
今朝は早朝に地震で起こされたのですが(仙台市の最大は震度4ですが、居るあたりは震度3)、午前中にもう1回地震があり(今度は、震度2)、夕方のテレビで東京でも地震があったことを知りました。こちらも震度4、今日はやたら揺れる日です。

今仙台では(正確に言うと、仙台市ではなく、利府町)フィギュアスケートのNHK杯をやっていますが、地震に慣れている日本選手はともかく、海外の選手はさぞびっくりしたことでしょう。男子では地元出身の羽生選手が優勝し、目出度い限りです。

今日は、宮城野貨物駅(仙台貨物ターミナル)に、ふらっと行ってきました。今回の旅行にはコンパクトカメラしか持ってこなかったのですが、次回は一眼レフを持ってくる価値のある場所です。EH500-901牽引の下り貨物がちょうど発車するところでしたが、写真を撮ろうと思ったら、見事上り列車にかぶられました。しかし、寒かった!

2012/11/20

石北線撮影記(6)

2012年10月9日(火)(つづき)

一通りDD51の撮影を終わったが、まだ午前10時過ぎである。これからどこへ行こうかというところだが、Aに、北見駅のすぐそばに除雪車などが保存しているところがあるが知っているか、と聞いたところ、知らないと言う。そこで早速その場所に、今度は小生が案内する。Img_4013a


この場所、元の池北線の跡のようだが、今はどう見ても個人宅である。車両はロータリー式除雪車のDD14を筆頭に、ラッセル、ジョルダン、マックレーといった除雪車、それにキハ27とスユ15。スユ15はオユ12(電気暖房付きは、スユ13)の後継車として、14系特急客車をベースに作られ、110km/hの走行が可能であったが、鉄道郵便自体が廃止されてしまったため、活躍の期間は10年にも満たなかった。Img_4014a


長く保存してもらいたい施設だが、個人宅というのが不思議だ。個人では手入れが大変なのだが、いろんな仲間の方がボランティアで保管作業をやっているのだろうか。ここの一般公開の案内チラシを、上白滝で同業者の方から見せてもらったが、JRとは関係ない組織のようで、北見駅で聞いても全くわからなかった。なおここにあるのはDD14だが、かつての除雪車の花形の「キマロキ」編成は、名寄の旧名寄本線の跡地に96、D51とともに保存してあるのを列車内から見たが、まだ機会が無く訪問していない。Img_4015a


今夜の宿泊場所は生田原なので、北見から移動を開始する。今回目的とした石北線の貨物列車は臨時貨物で、タマネギの収穫時期に合わせて運行される、言わばタマネギ列車だ。そのタマネギ畑が北見近郊に広がっている。北海道の農産は、タマネギに限らず豪快だ。Img_4017a


タマネギ畑は、まず収穫前に根切り作業というのを行う。当然機械でだろう。そして葉が十分枯れたところで、それこそ根こそぎ収穫し、タマネギだけを選別し、ケージに入れる。従って収穫の終わったタマネギ畑は荒れ地と言って良いただの原っぱで何もなく、タマネギの入ったケージがまとめて置かれている。タマネギの栽培地は砂の多い土地なので、こうなるのだろう。Img_4024a


タマネギをケージに入れるのも、ケージを運ぶのも、すべて機械だ。昔絵本で見た、ソビエトの機械化大規模農場の絵を思い出す。あれから5~60年、まさか日本がそうなっているとは思わなかった。いや、北海道だからだろう。このタマネギのケージを入れて写真を撮ってみたが、タマネギ畑が荒れ地になっているので、写真としては今ひとつである。道路(農道)から手の届くところに、小さなタマネギが落ちている。規格外ではねられたものだろう。Aが「おみやげ」と言って一つ鞄に入れた。落ち穂拾いならぬ、落ち玉葱拾いだ。Img_4033a

このタマネギ、青函トンネルが開通してから飛躍的に生産量が増えたのではないかと思ったが、そういう数字は出てこなかった。

遠軽は駅の手前で写真を撮ったが構内は見てなかったので、遠軽に行く。Aにとっては、今夜のバルブの下見である。ちょうど構内を見通せるところに歩道橋がありそこに登ったが、風が強く猛烈に寒い。Img_40361a


この歩道橋でバルブ撮影を行うのは、風が強かったら揺れて、大変だろう。どうやら遠軽にはまだターンテーブルが残っているようだ。ちょうど「オホーツク」が入ってくるので、撮る。シーサスを渡ってホームに入り、運転士がこちら側移動してヘッドライトが点き、発車する。蒸気時代は遠軽で常紋越えの後補機を付けていたので、さぞ華やかだったろう。Img_4060a


留辺蘂付近で、ひょっとしたらここは良いのではないかと、思い立ったような場所に降りる。ちょうど空を見上げる形で、雲の形がすごく良い。残念ながら、オホーツクが来た時には雲が広がりすぎ、空が見えなくなっていた。Img_4066a


生田原では「ホテル・ノースキング」に泊まる。何と、町営である。どうやらここが石北線撮影の同業者の常宿のようで、知らずに北見に泊まっていた小生たちは、例外の部類に入るようだ。時間があるので、夜の撮影までに、休憩、夕食、ということにする。Img_40691a


ここは温泉なので、Aはひとっ風呂浴びようと言っているが、小生はそろそろ限界なので、まず寝る。ただ真っ暗にしてベッドに横になったらめまいがしてきたので、これは危険と思い、今日のバルブ撮影はキャンセルすることにする。1時間ほど眠って目覚ましで起き、食堂でAと合流する。食堂には同業者の作品が展示され、なかなかすばらしいものがある。Img_40701a


小生はジンギスカン定食を頼んだ。この旅行の最初で最後の、きちんとした夕食だ。Aは激辛ラーメン。相変わらずきちんとした食事はとらない。Aに今夜キャンセルすることを伝える。快諾。こういうわがままが言えるから、Aとなら一緒に撮影に行けるのだ。夕食後ゆっくり温泉に入り、久しぶりにたっぷり寝た。

生田原泊。

(つづく)

2012/11/19

永青文庫と「天地明察」

2012年11月19日

昨日、永青文庫に行ってきました。目当ては「天地明察」の渋川春海が作った、天球儀です。永青文庫は定期的に企画展を行っていますが、今回の企画展は「細川家に残る江戸の天文学」、そこで天球儀が出てくるわけです。永青文庫は細川家に伝わる文化財を管理保管・研究史、一般に公開しているもので、永青文庫の建物は、旧細川侯爵家の家政所(事務所)だそうです。12111801a


小生は永青文庫に行くのは、初めてです。地図で見たところ、バスに乗らずに行くためにはメトロ有楽町線の江戸川橋が最も近いので、そこから歩きます。神田川を越えると元の細川家のお屋敷跡で、公園など緑の多い土地です。このあたりかなと思ったら標識があり、見ると矢印の方向には道がありません。じっくり見たら、地図の道=車の走れる道、と思っていた小生の認識違いで、階段を登った先が永青文庫でした。心臓に悪い。12111802a


ゆったりとした敷地に立てられており、静かな良い場所です。中に入って入場券を買うと、「4階からご覧ください。」とのこと、階段を4階まで上がります。またまた心臓に悪い(^_^;。12111803a


2階と4階が常設展、3階が企画展といった配置のようです。何で「天地明察」と細川家が関係あるかというと、5代細川綱利公が渋川春海から天文学を教わったそうです。この綱利公、「忠臣蔵」の吉良邸討ち入りの後、大石内蔵助以下17名の浪士の身柄を細川家が預かった時の当主です。展示には「赤穂義士」と書いてあり、この書き方で(心情的なものも含め)どちらの味方をしたかがわかります。ちなみに米沢市では、「赤穂浪人」の「狼藉」です。細川家では、赤穂義士を手厚くもてなしたとか。12111804a


企画展には、細川綱利公の肖像画が展示されていましたが、企画展のすべての展示に「何でこれを展示するのか」が書いてあり、非常にわかりやすかったです。千利休が所持していたという碁盤と碁笥もありました。利休も碁を打っていたんですね。
さてお目当ての天球儀、銅製で、直径は60cm(2尺)くらいでしょうか。鉄の台が付き、立派なものです。国の重要文化座、さもありなんです。台座に漢文で製作意図などが書かれていますが、作者名は「安井算哲」。当人は囲碁は安井、天門は渋川と使い分けたかったようですが、なかなかそうも行かなかったのでしょう。「天地明察」の中に出てきたものとしては、測量用の間縄がありましたが、いずれも保存状態が良く、しっかりしていました。大名家のこのあたりの管理は、たいしたものです。

さて「天地明察」ですが、小生は原作を読んだ後、映画を見ました。原作はすばらしかったのですが、映画ははっきり言って駄作です。原作の歴史観、時代感がすっぽり抜け落ちているどころか歪曲され、登場人物を減らして時間的にも圧縮したものだから性格がはっきりせず、おまけに演出過多です。原作を切り取るのなら、もう少しうまい切り取り方があったような気がします。

2012/11/18

胃にもポリープ

2012年11月18日

昨日、胃の内視鏡検査(いわゆる、胃カメラ)を受けました。一昨年からもう胃カメラに切り替えようと思っていたのですが、昨年は手違いで会社の胃の透視(いわゆる、バリウム)を手配してしまい、間が2年空きました。胃の調子自体は特に異常は無く、不整脈が激しい時は胃も気持ち悪くなりますが、これは胃のせいではないでしょう。

さて結果は、何とポリープが見つかりました。大腸のポリープと言い、そろそろ何か出来て来る歳なのかもしれません。悪性ではなく(きれいな色です)、放って置いたら消えるかもしれないもので、少なくとも何もせず放置です。また来年、胃カメラを受けることになりました。12111701a


今回は(前回も)ワーファリンは止めず、何かあっても組織は採らない、ということで検査しました。この状態で来年、ポリープは取らないにしても、検査のため組織を採る可能性があったら、ワーファリンをどうするかという話になります。しかし来年も、ワーファリンは止めなくて良いと言うことでした。内視鏡学会の最新決定、組織を取るくらいだったらワーファリンは止めなくても良い、ということがこちらの内科の先生(先生、どちらかというと、リウマチ学会の方です)のところまで伝わっているかどうかわかりませんが、まだ組織を採るまでには至らないという判断でしょう。

写真で黒い点々が写っているものがありますが、これは出血の跡ではなく、海苔です。食事OKの制限時間一杯に、海苔巻きのあられを食べたのがいけなかったようです。最近の海苔は、産地(と言うより、養殖法)によって全く溶けないものがあるので要注意です。先生によると、海苔は3日くらい残るものがあるそうです。皆様、ご注意ください。今度の大腸の内視鏡検査の時は、少なくとも前日の海苔は止めよう。12111701b


完全引退後はどこかに(それも、遠くに)引っ越そうと考えていますが、これだけ昔からの状態を知っているかかりつけの医院が増えると、引っ越しづらくなります。

2012/11/17

石北線撮影記(5)

2012年10月9日(火)

今日も朝4時出発、上白滝に向かう。そろそろ疲れがたまってきたのか、身体の動きが悪い。上白滝では、今日から平日ということもあって、同業者の数がずいぶん減る。先頭が更新機ということもあるのだろう。白滝の気温は北見より2度くらい低く、寒い。Img_39351a


それでも同業者の方によると、今年は暖かいのだそうだ。いつもは長い股引をはいてくるのに、今年は半ズボン下で良いそうだ。やはり北海道の10月は真冬の格好が必要で、小生の薄いセーターでは甘かった。今朝は朝焼けなのか、日の光が赤い。そろそろ天気が崩れ始めるのだろう。Img_39491a


今日は常紋峠に行かず、遠軽に行く。遠軽の駅は北見に向かう国道からは離れている。そのため遠軽に寄ると、追いかけても常紋峠には間に合わないのだ。長男が小学生の時に遠軽までキャンプに来たが、よくまあこんな遠くまで来た(出した)ものだと、今更ながら思う。キャンプに行く経路は、上野からその当時走っていた臨時寝台特急「エルム」(「北斗星」の補完列車)で、札幌からは「オホーツク」であった。Img_3954a


石北線は最初に旭川から遠軽まで開通し、そこから名寄本線へ直行できるような線形になっていた。また遠軽から北見方面へは元の軽便鉄道を改軌して統合したためか、石北本線自体は遠軽でスイッチバックするようになっている。現在は名寄本線が廃止されてしまったため、石北本線が意味もなくスイッチバックしているように見える。Img_39591a


このスイッチバックのために貨物列車は機関車を付け替えなければならず、その作業のためには誘導員が必要で、おそらく人員を減らしているJR北海道が誘導員の委託をいやがったのだと思うが、貨物列車は前後に機関車を付ける、いわゆるプッシュプルになった。これだとスイッチバックで機関車を付け替える必要は無くなったが、機関士が二人必要になった。Img_3963a


550tの貨物に機関士二人は採算が悪いが、誘導員を置くより良かったのだろう。石北線の貨物列車はDD51の老朽化のため2014年春で廃止されることになっているが、池北線が残っていたら(かつてはこちらが網走本線で、メインルートだった)、線路改良すればDF200が入線でき、そうすれば一人乗務で採算上も有利になって、貨物列車は存続できたのではないかと思う。Img_39661a


DD51が新製された頃はDD51は全国展開していたが、かつてDD51が走っていたルートはほとんど電化されたか、旅客貨物にかかわらず機関車が引く列車は無くなっているので、DD51の後継機は新規開発するほど製作両数が見込めず、残っているDD51を使い切って終わりということになりそうだ。Img_39731a


余談だが、東日本大震災の後に根岸から長岡回り、磐越西線経由で郡山まで運転されていた救援石油列車は、機関車(DD51)も機関士も貨車もそろっていた今だから運転できたのであって、10年後に同じような事が起こっても、もう運転は不可能だろう。Img_39831a


閑話休題。生野に移動する。何の変哲も無い無人駅だが、ホームから望遠で狙うとバックの山が真っ黒になり、そこにエンジンの排気煙が映えるそうだ。JR貨物のDD51はエンジンを換装したものが多く、原型のDML61Zとどちらが煙を吐くか、これは出たとこ勝負である。石北本線は本線とは言ってもこのあたりは列車本数、特に各駅停車の本数が少なく、駅の時刻表はご覧の通りである。
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北見まで行き、北見駅での貨物列車の入替を撮る。昔は貨物列車が着くと本務機のD51はさっさと切り離され、代わりにC11か何かが来て、入替をやっていた。無煙化された時もD51がDD51に、C11がDE10に代わっただけで、本務機と入替機は、乗務員も含めてしっかり区別されていた。しかし貨物列車は少なくなり、乗務員もJR北海道とJR貨物とで別れて気動車との混合乗務も無くなったので、本務機のDD51が入替もやるようになった。乗務員もそのままである。Img_4010a


しかしこの石北本線の貨物列車、朝4時過ぎに旭川を出発し、片道5時間の乗務である。そして北見で7~8時間の休み(睡眠)を入れ、また帰りも乗務し、旭川に0時過ぎに着く運用だろう。かなりの長時間勤務である。しかも運転するのは難しい峠越え区間、機関車DD51の老朽化もあるが、機関士の確保が難しいところも、石北本線の貨物列車廃止の一因なのだろう。

(つづく)

2012/11/14

チャイコフスキー5番

2012年11月14日

小生は、ブログのプロフィールの興味のあることに「音楽」と書いてはありますが、自分で楽器の演奏ができるわけでもなく(フルートは少しかじったので、指使いはわかります)、コンサートにさほど頻繁に通うわけでもなく(N響の定期会員も、辞めました)、またオーディオに凝っているわけでもありません。言わば、中途半端です。それでも気に入った曲のCDは、指揮者やオーケストラを変えて、何枚か持っています。あくまでも、「何枚」レベルで、何十枚ではありません。

先日NHKでN強の北京公演のチャイコフスキーの交響曲第5番を聞いていて(指揮は尾高忠明さん、ホルンソロは日高さんの名演でした)、チャイコフスキーの5番のCDは1枚(小沢征爾/ボストン響)しか持っていないことに改めて思い至りました。同じチャイコフスキーでも、6番はなぜか4枚あるのですが。
一つは、チャイコフスキーの5番は自分の中では、97年のスヴェトラーノフ指揮のN響の演奏が最高だと思っており、なかなか他の指揮者のCDを買う気にならなかったのもあります。

そこで思い立ち、レコード屋(今はCD屋?)にスヴェトラーノフ指揮のチャイ5を探しに行きました。ところがタ○ーレコードを初め数軒回りましたが、ありません。どこもクラシックの売り場は縮小気味で、在庫があまりありません。通販は嫌いですが仕方なしに、ネットで検索しました。ありました。それも数種。よく見たら、スヴェトラーノフ/N響もあるではありませんか。スヴェトラーノフがN響とCDを録音したとは知りませんでしたが、現実に売っているので、早速注文しました。

通信販売は大抵配達の時に不在で、再配達の手配をするのが面倒なので、できるだけ使いません。しかし今回はちょうど郵便受けに入る範囲だったので、帰ってみたら郵便受けに入っていました。開けてみました。ライブ盤です。スヴェトラーノフ没後一周年記念追悼企画ということで、2003年に発売されたようです。2003年と言えば小生は山形から帰ってきてバタバタし、バタバタしているうちに肝臓の数値が悪くなっていた頃です。ゆっくりCD屋を見て回る余裕はなかった頃ですね。

収録は1997年9月5日。あの、小生が最高と思っている時の演奏です。記録を見てみたら、定期演奏会は9月5日と6日の2日間、収録は5日で、小生が行ったのは6日です。終演後スヴェトラーノフさんがホルンの松崎さんを指揮台の上まで引っ張ってきて拍手を受けさせていましたが、その様子はテレビでも放映されたので、2日間とも引っ張り出したんですね。中の解説にはN響のメンバー名は載っていませんでしたが、この日ならソロはわかっています。ホルンは松崎さん、オーボエは茂木さん、そしてトランペットは津堅さんです。

聞いてみました。割とゆったりしたペース、弦も管も良く鳴っていて、ロシアの大地を思わせるような音の広がり、やっぱり名演です。

2012/11/13

コンタクトの縁が欠けると

2012年11月13日

目が左も右も軽い炎症を起こし、しばらくコンタクトを休んでいました。目の炎症が治り、コンタクトが復帰してしばらくたった昨日、やたらとコンタクトがずれるようになりました。小生の右目は水晶体がないため表面がきれいなカーブになっておらず、コンタクトの収まりが悪いため、よくずれます。しかしずれる時はパターンがほぼ決まっており、例えば仕事中にずれることはまずありません。ところが昨日は、仕事中に3回もずれました。

帰宅してコンタクトを外し、じっくり見てみました。別に異常はなさそうでしたが、よく見ると、縁が1mmほど欠けていました。丸い縁を直線にすぱっと切ったような感じですが、切れた幅は1mmくらいです。しかしどうやら、これが原因でずれたようです。欠けた縁が目の中に残っていると大変ですが、別に違和感もないし赤くもなっていないので、外で(洗う時に)欠けたのでしょう。

このコンタクト、2010年10月から使っていますので(ちょうど義母が亡くなってバタバタしている時に、前のコンタクトが壊れました)、2年以上持ったことになります。前のコンタクトが1年ちょっとでしたので、洗い方がうまくなったのか、だんだん長持ちするようになりました。

今日から新しいコンタクト、さすがにしっかり収まります。ソフトコンタクトは古くなるとコシが無くなってきますので、1年半か2年くらいで取り替えた方が良いのかもしれません。

2012/11/11

石北線撮影記(4)

2012年10月8日(つづき)

一通り写真を撮ったところで、Aが「丸瀬布に行こう」と言い出した。丸瀬布、正確には「丸瀬布森林公園いこいの森」である。ここには「雨宮21号」というSLがいるのだが、これが走るのは休日のみ、休日は今日までで、明日からは世間一般は平日なのだ。丸瀬布にはAは何回か行ったことはあるようだが、小生が行ったことがないのでの配慮である。今まで丸瀬布のあたりをうろうろしていたので、行くとなるとすぐである。Img_38541a


丸瀬布森林公園いこいの森、入場料も駐車料も無料なのはありがたい。ただし開園時間は決まっており、駐車場横のトイレも時間外は施錠される。車の中で寝泊まりしながら旅をしているような車が、駐車場に2台いた。3連休とあって、SLの他にDLも続行運転するそうである。雨宮21号がちょうどホームに止まっていたのでとりあえず写真を撮る。Aは乗車券をSLの分とDLの分の2枚買う。Img_3856a


乗るつもりはなく、言わば施設維持のための寄付金代わりだそうだ。確かにこれだけの施設を入場無料で維持してくれているので、「撮影代」くらいは払わないと。と言いながら、小生は切符は買わなかった(^_^;。出発時刻までに時間があるので、昼食にする。園内の食堂で月見うどんを食べたが、この旅行中食堂で昼食を採ったのは、後にも先にもこの1回だけだった。Img_3857a


出発時刻になり、雨宮21号が出発する。「遊園地の汽車」扱いであるが、走りは本格的だ。続行でDLが客車1両を引いて出発する。残念ながら、こちらはお客さん無し。写真はしっかり撮る。駅を出発してすぐ鉄橋を渡るための登りがあり、力強く登る。もう少し距離をとりたいが、場所の関係で取れない。Img_3895a


自慢の超広角レンズ(10-24mm)は、重いので今回は持ってこなかったのだ。線路は公園の中をぐるりと回るが、途中にポイントありリバースループありで、結構複雑な走り方をする。続行でで出発したSLとDLが。ある場所では逆方向を走ったりする。Aが向こうに良い場所がある、と言われて公園の奥へ移動、芝生の広場の向こうに池があり、その前を走る。途中に障害物がないので、ロングで撮っても平気だ。小生は、こういう写真が好きである。Img_38661a


このいこいの森、走っている車両以外にも、丸太を積んだ貨車や、保線用の車両など、いろいろ置いてある。じっくり見ていても、見飽きない。ここは線路に入っても平気なので、Aは車両だけではなく施設の写真も撮りまくっている。日頃は見慣れていても、あるとき「だるまポイントの写真はあるか?」と言われたら、確かにない。AはAで逆に、「いろんな写真がありすぎて、目的のものが出てこない」と言っていたが。Img_38771a


Aのカメラのレリーズが不調のため、カメラ屋を探しに行く。国道をずっと走っていたら、結局北見市内になってやっと見つかった。途中にもあったのだろうが、車で走りながらだと、かなり大きな街まで来ないと見つからないものだ。ついでに北見市内でスーパーに入って夕食用の弁当を買い、少し早いが下白滝をめざす。Img_38871a


ちょっとした買い物に、ずいぶん走った。下白滝は今日は一番乗り。車を駐めて車内で夕食を採る。小生はきちんとした「お弁当」だが、Aはいつものようにおにぎりに菓子パン。こういう食生活で身体を壊さないのだから、便利な身体だ。Img_39111a


今日は昨日で懲りたので、三脚を立ててポイントを決めたら、カメラは外しておく。ついでの後続の人たちにも、結露しやすいと注意しておく。昨日に引き続き今日も満天の星空。駅の明かりが消えた後に1分くらい露光すると星とDD51が一緒の写真が撮れるようだが、小生のカメラのバルブの設定がわからないので、星空は断念する。Img_3892a


後でAが撮った写真をもらおう。対向列車のヘッドライトで浮かび上がったDD51を撮ろうと思い、昨日はタイミングが遅かった。今日は狙い道理の写真が撮れたが、写真としては、昨日の写真の方が面白かったような気がしないでもない。Img_39281a


今日も北見に23時帰着。
北見泊。

(つづく)

2012/11/04

石北線撮影記(3)

2012年10月8日(月)

3:40AM起床、昨日は夜11時過ぎに部屋に入り、それから洗髪して寝たので、睡眠時間は4時間を切っている。さすがに眠い。ホテルの駐車場は立体駐車場で、さすがにこの時間には係員はいないので、特別に地上に駐めさせてもらった。4:00出発。これが3人だったら後の席で寝ていくのだが、運転している人の隣で寝るわけには行かない。Img_38011a


一気に上白滝まで行く。朝食は食べずに来たが、時計を見て走行中にクリーム玄○ブランと野菜ジュースで朝食、その後ワーファリンを飲む。ワーファリンを飲む時刻はなるべく一定の方が良いので、Aと撮影に行くときは(朝が早いので)朝食はいつもこうだ。途中白滝付近で場所の下見をするが、「白滝」という滝があることに初めて気づく。Img_38081a


上白滝到着。ここは道路からの撮影で、横方向には比較的自由に撮影場所が選べる。雲一つ無く、横からまともに光が当たる。貨車はコキ50000ばかりで、コキ100系がいない。北見発の貨物列車は札幌(貨物ターミナル)行きだが、おそらくそこから隅田川行きに連結されるはずだ。すべてコキ50000ということは、本州に入っても100km/h運転はしないということだ。しかし貨物列車も固定編成化が進んで、車種は見事に統一されている。Img_3811a


白滝付近に移動、ここは谷になっているので光が当たらず、暗い。ISOを800にする。ここは景色が良い。これから常紋に行くのだが、走行中ひょいと隣を見たら、ちょうど後補機のDD51が走っている。原色機。カメラを手に持っていたので、反射的にシャッターを切る。Img_38141a


石北線は単線で、途中で列車交換のために停車するので、その間に先回りできる。1本だけ残ったDD51牽引の貨物列車は後補機なので、写真を撮るには編成全部が入る場所が良い。しかも今年は貨物列車が1本に減らされたためか、コキ11両編成(550t)と長い。Aはかなり良く下見をしているのか、的確な場所へ行く。そう言えば、Aは3日前から来ているのだった。Img_3821a


常紋峠に到着、146キロポストとか呼ばれている、有名な撮影地である。今日は休日、しかも原色機が先頭に出るとあって、同業者が多い。まず小手調べにオホーツクを撮る。貨物列車の頃には今までいなかった人も戻ってきて、前の方にも人がいるため、カメラを横位置にすると、人が入ってしまう。Img_38242a


向こうが先客、文句は言えない。カメラは縦に構える。少しロング過ぎるのかもしれないが、小生は景色を撮りたいのだ。無事撮れた。天気は雲一つ無い快晴、しかしそのために先頭車の側面が、日陰になる。ここは少し曇った方が良い写真が撮れる、とはAの弁。Img_38271a


旧常紋信号所へ移動する。ここはスイッチバックの信号所だったが、現在は使われていない。それでも施設を取り払うだけの経済的効果も無いので、そのまま残されている。構内がカーブしているので、出発信号機の中継信号機がある。Img_3835a


以前はスイッチバックの駅からは運転士は先頭に乗ったままでバックで出発していたので、編成の一番後ろからでも確認できるように中継信号機が置かれたのだろう。最近は一人乗務になったせいか、運転士はスイッチバックの駅では、運転席を移動している。スイッチバックの信号所がどんどん廃止されるのには、運転操作が面倒になったことも関係しているだろう。Img_38421a

「熊出没中」の警告版が貼ってある。Aが熊よけの鈴を身につけているので、それに期待である。なお先ほどの撮影地で聞いた話では、熊は人を見つけると、まず出てこないそうだ。逆に人を見つけると出てくるのがキタキツネで、死角死角に回り込んで持っている食べ物を狙ってくるそうだ。ただ人の食べ物を手に入れることを覚えたキツネはばかばかしくて狩りをやらなくなり、結果的に冬を越せないそうだ。野生動物に餌をやると、結果的に殺してしまうと言う話である。Img_3844a


(つづく)

2012/11/03

石北線撮影記(2)

2012年10月7日(日)

昨日は高校の同窓会だったが、2次会には行かず、1次会だけで帰ってきた。これから長丁場なので、体力はできるだけ温存した方が良い。今日の天気は雨、仕方なしに駅まで折りたたみの傘を差していく。駅でたたんでリュックに入れることになるが、ホテルに着いたら広げて乾かさなければならない。10月とはいえ北海道、それも山の方に行くので、ダウンジャケットを着ていく。それに薄いセーターも、予備としてリュックの中に入れた。さすがに暑く、ダウンジャケットは途中から脱いで、手に持っていく。Dscn0332a


京急蒲田は上下線が2階に別れたが、横浜側から羽田空港に行く場合は、羽田空港行きがその2階で交互に発着するので、同じホームから出ていた昔に比べると不便になった。以前ホームを移動して失敗したので、今回は同じホームでじたばたせずに待つ。Img_3755a


12時前に羽田空港に到着、一応クラスJシートが空いていないかどうか、確かめる。ところが空席はあるという表示だが、自動チェックイン機からたどり着けない。たまたま窓口が空いていたので聞いてみると、3人がけの真ん中が1席だけ残っているという。せっかく通路側をとったので、グレードアップはパスする。そして手荷物検査場の中にも食事ができるところがあった記憶があるので、そのまま手荷物検査場を抜ける。リュックの中に金属製の折りたたみ椅子を入れておいたので引っかかるかと思ったが、何事もなくパスした。昼食はそば屋が見つからなかったので、ビーフカレー。Img_3760a


珍しく、バス出発である。やはり女満別行きはローカル線で、待遇が悪い。機体はJAL-EXPRESSのボーイング737-800、ボーイング737自体は古い機体で1970年代から飛んでいたが、現在の-800は見かけはそのままで中はまるで違う機体のはずだ。エンジンは昔の737は細長い葉巻のようだったが、-800は太い三角形の断面で長さは短くなっている。ウイングレットが付いているところは、今風の機体だ。昔の737には折りたたみ式のタラップが付いていたが、今のはどうなのだろう。Img_3767a


揺れのない快適な飛行で、女満別着、天候は晴れ。絶好の撮影日和だ。空港にはAが待っていてくれた。レンタカーは、軽である。二人なら、これで十分だ。
今日は北見に行き、まず停車中のDD51を撮る。国鉄/JRは、長時間の停車でもエンジンを止めない。この貨物列車は4時間以上も北見で止まっているので、その間ずっとアイドル運転を続けていることになる。Aによると、エンジンをかけるのは検査係の仕事で機関士はエンジンをかけられない(ということになっている)ので、エンジンを止めないのだそうだ。途中でエンストすると、検査係が来るまで動けない。民鉄は同じDML61Zエンジンでも機関士がエンジンをかけているので、ずいぶん無駄なことをしている。旧国鉄の階層主義がこんなところにも残っていた。Img_37721a


北見駅でDD51を撮った後、Aが今夜どうするか聞いてくる。下白滝でバルブ撮影ができるので、どうするかというのだ。どうするかというのは、下白滝まで行くと北見に戻って来るのは夜11時を過ぎ、明日は朝4時出発なので睡眠時間が無くなるからだ。Img_37831a


小生はまさかバルブがあるとは思っていなかったので三脚を持ってきていないが、Aが小型の予備三脚を持ってきているのでそれを借りることにし、つきあうことにする。とりあえず1回やってみて、疲れが出たら翌日をパスすれば良い。レリーズは持っていないしバルブの設定の仕方もわからないが、何とかなるだろう。Img_37871a


夜、北見駅で出発前の写真を撮る。バルブではないが三脚を使った長時間露光である。こういう時、オートフォーカスはどこにピントが合うかわからないが、EOS-Kissのレンズには距離目盛りがないので、カメラ任せである。しかしAと一緒に行動して感じたのだが、EOS-Kissのオートフォーカス機能はNIKON D-300より上のようである。

貨物列車(8076列車のスジか)の発車前に移動を開始する。下白滝は遠い。途中コンビによって、食料を仕入れる。夕食相当なので小生は弁当を買うが、Aはおにぎりやパンなど、きちんと止まって食べるつもりはないので、場合によっては運転中に食べるつもりなのであろう。Aが「寝食を無視する」と言われる所以だ。小生は、走っている中で食べる。Img_3793a


下白滝到着、同業者が少しいるがまだ少ないので、草むらに場所を確保。しかし寒い。セーターを引っ張り出して着る。途中の道路の温度計が6℃を示していたが、このあたりはもっと寒いだろう。貨物列車の前に特急と各停が通るので、そこで長時間露出のタイミングあわせをする。Aが、「今日は月が出ていない」と言う。昨日はちょうど出ていたそうだ。月の出は1日に50分ほど遅くなるので、20分ほどの停車時間では、月と一緒に撮れるのは1日限りだろう。月の出が毎日遅くなる話をしたら、Aは初めて聞いたような顔をした。

バルブのやり方はとうとうわからなかったが、30秒のシャッター速度が取れるので、何とかなる。ところが気がついたらカメラが結露し、レンズがびっしょり濡れていた。カメラが冷えたところに、草から放出される水蒸気が付いたのだろう。草むらに三脚をおいたせいだが、これは逃げようがない。明日は何とかしよう。Img_37951a


下白滝から北見に帰る途中、車の前を枝分かれした立派な角を持った大きな雄鹿が悠然と横断した。直前ではなかったが、100kgは優に超えていそうな大きな鹿で、ぶつかったらこちらがひとたまりも無かったろう。しかし無事、23時にホテル到着。明日朝早いので、立体駐車場ではなく指定された場所に止める。着いた初日から結構ハードだった。

(つづく)

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