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2011/12/03

九州横断観光フェリー

2011年12月3日

カミさんが古いものを整理しているとき、昔のフェリーの整理券を見つけました。今はなくなってしまった、三角-島原(外港)間のフェリーです。11120301a


このフェリー、国道57号線の経路でもあるため「国道フェリー」を名乗っていましたが、「九州横断観光フェリー」とも言っていました。1960年代には、別府発長崎行き(その逆も)という九州横断の観光バス(九州国際観光)が走っていたものです。この整理券は、小生が三角にいた1980年代の、家族旅行の時のものですが、印刷されている市外局番から見ると、作った時期はもう少し前のようです。色が違うのは三角発と島原発の違いで、おそらく青が三角発でしょう。これをワイパーに挟んで乗船します。11120302a


今から30年前のものですが、この時代のものはきちんとした印刷に油性マーカーでの手書きのために、変色もせずに残っていますね。最近のものはその場で感圧紙などに印刷するため、保存性はかえって悪いです。

江戸時代、熊本の港は白川河口にある百貫港でした。明治になって国策で築港が行われた際、県が希望する百貫港ではなく、オランダ人技師ムルデルの主張により三角港が築港されました。以来三角港はずっと熊本の海の玄関口だったのですが、これまた国の工事で1990年代に熊本新港が作られて島原行きのフェリーも主力がそちらに移り、細々と残っていた三角発のフェリーもやがて廃止されました。この整理券の時代は、三角-島原間は1000t級が3隻運行し、ほぼ1時間おきに運行されていた華やかな時代でした。なお熊本新港は浅瀬を避けるために沖合に人工島として作られたため有明海の海流を阻害し、筑後川河口堰、諫早湾干拓とともに、有明海の水質を悪化させた三悪と言われています。

三角港は古く、明治期は熊本には三角港しかなかったため、明治天皇を初め著名人が三角から上陸しています。楠の末裔さんのレビュー(mixi内のため、リンクをかけていません)「オーストリア皇太子の日本日記」にはフェルディナント大公が三角に上陸したという記事があり、びっくりしました。この本を早速入手しようと思ったのですが、2005年の発行ですでに入手不可能となっているようで、古本のみが手配可能でした。一週間もすれば手元に届きます。

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