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2011/08/29

今年の蝉は遅い

2011年8月29日

今年は6月の気温が低かったせいか、蝉が遅く、8月に入ってからやっと鳴き始めました。いつもは夏休みに入ったと同時に蝉の大合唱になるのですが、今年は夏休みに入ってもしばらく蝉の鳴かない日が続き、変な感じでした。その蝉、鳴き始めたのはよいのですがミンミンゼミとアブラゼミで、ツクツボウシが鳴きません。元々ツクツクボウシは遅く鳴き始め、その鳴き声が人によっては「宿題やったか~~」に聞こえるそうですが(笑)、8月中旬を過ぎても全く鳴き声が聞こえませんでした。そうしたらやっと今日(8月29日)、ツクツクボウシの声を聞くことが出来ました。ずいぶん遅れたものです。ただ「ツクツクボウシの鳴かない夏」(異常気象も極まれり)ということからは、まぬがれました。


蝉と言えば、九州ではクマゼミが主流です。大型の蝉ですから鳴き声もやかましく、ますます暑さが募ります。これは西日本、特に広島から西が地盤(?)だったのですが、最近の温暖化で、どんどん東進しているようです。東京がクマゼミに乗っ取られるのも、もうすぐかもしれません。

2011/08/27

気になる台風

2011年8月27日

来週末に東北地方の日本海側に出かける予定ですが、台風が気になります。週間天気予報では週末には雨が上がりそうなのですが、台風の動き次第というところです。小生はどうやら晴れ男らしいので、信じて待つしかありません。

どうでも良いことですが、一時は雨に見放されていたカミさんが、また雨女に復帰しました。外に出ると、待っていたかのように雨が降り出します。今回は一緒には行動しないので、雨の要因は一つ少ないです(笑)。

2011/08/22

二つの訃報

2011年8月22日

朝、元シャインズの杉村太郎さんの訃報を目にしました。一般には「絶対内定」の著者として有名だそうですが、小生にはシャインズの方がなじみがあります。シャインズの二人は大学(同じ学部)の後輩でもあり、気にしていました。シャインズのヒット曲としては「私の彼はサラリーマン」が上げられますが、小生は課長時代「私は課長」がカラオケの重要なレパートリーでした。何しろ、これを歌うとウケましたから。まだ47歳、早すぎますね。ご冥福をお祈りします。

会社でネットのニュースで目にしたのが、竹脇無我さん死去のニュース、これもびっくりしました。こちらは小生より、カミさんの方がショックだったでしょう。以前書いたことがありますが、カミさんはテレビ局で竹脇無我さんに背もたれにされたことがありますから。あれは松山英太郎さん司会の番組でしたね。竹脇無我さんは松山英太郎さんのショックをずっと引きずっていて、やっと回復してきたところでの脳内出血、当人も心残りでしょう。ご冥福をお祈りします。

2011/08/21

高速型SDカード

2011年8月21日

来月の「大人の休日」切符発売時期にまた写真撮影を企て、その準備としてヨ○バシカメラSDカードを買いに行きました。前回は気がつかなかったのですが、棚の配置が変わっています。どうやらSDカードの種類が増えたようです。じっくり見たら、左半分は従来のSD/SDHCカード、右半分は高速対応カードのようで、さらに高速の中に超高速が入っているようです。値段もそれなりに上がりますが、上位互換性はあるというので、とりあえず高速対応の8GBを買ってきました。

帰ってからSDカードをカメラ(CANON EOS KissX2)に装着してみます。認識したのでまずOKです。カードをよく見たら、[10のマークがあり、最低速度が10MB/秒だということがわかりました。最高は読み出し23MB、書き込み19MB/秒です。今までのカードを見たら[4なので、最低4MB/秒です。なるほど、これが高速だということがわかりました。

転送速度は、カメラ-SDカード間と、パソコン-SDカード間の両方で効いてきます。パソコンの方は自動的に対応ドライバを持ってくるでしょうが、カメラの方は判りません。現在の4MB/秒のSDカードでRAW+JPEGで撮ると連写は5枚(4枚まで連続で、一呼吸置いて5枚目)ですが、高速転送になるとここが少し上がるはずです。これはやってみないと判らないで、実際にカメラを使ってやってみました。しかし残念ながら、従来のカードと全く変わりはありませんでした。「BUSY」(書き込み中)でシャッターが切れない時間が短くなっているのかもしれませんが、ここは短くなってもあまりメリットはありません。パソコン-SDカード間はデータ量が多くないと判らないので、今度の撮影終了後に確認することにします。なお連続撮影はRAWだけだとどちらも6枚いけるので、ここぞというところはRAWだけにした方が良さそうです。なお現在のSDHCカードは32GBまでで、それから上はSDXCカードになりますが、カメラの方が対応しておらず、対応しているのはEOS KissではX4以降です。

こういう連続撮影をやると、Kissなどのいわゆるエントリーモデルと、EOS-50Dのようなハイアマチュアモデルとの差が出てきますね。50Dだと連続撮影でRAWで16枚程度はいけます。しかし同じAPS-Cサイズでも50DはKissより300gも重く、これからますます体力が無くなることを考えると、ハイアマチュアモデル(今なら、7D)に変えるのは二の足を踏んでいます。

超高速というのはUHS(UHS-I)インターフェースですが、これは読み出し95MB、書き込み80MB/秒(一例)という高速タイプです。さすがにこれはカメラ側は無理ですが、UHSに対応していないときはそれなりの速度(大抵10MB/秒)で動作するそうです。しかしパソコン側が対応できるのかどうか、情報がありません。カード価格も高価なので、当面は様子見でしょう。

なお今回の旅行、またAと一緒で、寝食を無視した旅行になりそうです。

2011/08/20

新「ヤマカズ」氏

2011年8月20日

お盆休みの最終日の16日、サントリーホールに行ってきました。山田和樹氏指揮の読響です。新「ヤマカズ」として売り出し中の彼がどんな指揮をするのか、興味がありました。曲目は「未完成」、「運命」、「新世界」。まあいわゆる名曲ばかりを集めたものですが、逆に古今東西の名演奏が聴ける曲なので、怖い選曲でもあります。自信あるのかな?

ヤマカズさんと言えば故山田一雄氏、生で聞いたこともあります。ダイナミックな指揮でしたが、ダイナミックなあまり、指揮台から落っこちたというエピソードも残しています。

サントリーホールの席はRAの右の方、オーケストラの最後尾あたりですが、逆に指揮は良く見えます。ん?譜面台も後の柵もない。暗譜か。しかし両方無いと、落っこちるぞ(笑)。指揮者登場、丸顔、童顔、やや太めです。年上の女性に人気の出るタイプかもしれません。指揮ぶりは大胆不敵というか、巨匠のような指揮をします。休みの後の出るところや、ソロの始まりなど、見ていると出やすいような指示をしますが、オーケストラが乗っていけるところは指揮をせずにオーケストラに任せています。そして「ここ」というところは奏者を指さしますから、まあ若いのに、生意気と言えば生意気な指揮です。しかしオーケストラは、良く鳴っていました。

良くなるのは鳴るのですが、静かな細かいところは、少し指揮がわかりにくいような気もしました。ただこれからが楽しみな指揮者ではあります。コンサート終了後、女性たちに「かわいい!」と話題になっていました。

追記:この日は浴衣を着ていくとドリンクサービス(500円分のドリンク引換券がもらえる)とかで、浴衣を着た若い女の子がたくさんいました。

2011/08/16

読んで楽しむ のだめカンタービレの音楽会

2011年8月16日

一昨日、所用で新宿に出かけました。場所は新宿の西口、少し早めに着いたので、本屋にふらりと立ち寄りました。ここはクラシック音楽関係の本が、楽譜も含め、多くそろっています。そこで目にとまったのが、茂木大輔著「読んで楽しむ のだめカンタービレの音楽会」(講談社)。著者の茂木大輔氏はN響の首席オーボエ奏者ですが、「のだめ」のテレビドラマでのクラシック音楽監修で、すっかり有名になってしまいました。

ぱらぱらと本をめくり始めると、最初の方は茂木さんが「のだめ」と出会って驚き、また感動し、二ノ宮知子氏の講談社漫画賞受賞パーティーでご祝儀代わりのオーケストラの演奏をするまで。指揮は茂木さんです。立ち読みを始めたら面白くてどんどん引き込まれ、このままだと一冊全部読んでしまいそうになったので、本を持って会計に行きました。最近は置き場所が無くなってきたため、本を買うことを極力減らすようにしています。そのため、写真のきれいな「りんご電車とその仲間たち」(交友社)も買っていません。でもこの誘惑には勝てませんでした。


さて家に帰って読み始めると、これは面白いです。「のだめ」のドラマで黒木君のオーボエをやったN響の池田昭子さんが、本物の「のだめ」(リアル・のだめ)に会ったら感激して泣き出すほどののだめファンというのも面白かったです。なお池田昭子さんは茂木さんの同僚(後輩)ということもあり、良く登場してきます。池田ファンとしては、うれしい限りです。余談ですが先日見た雑誌で、指揮者のブロムシュテット氏が池田さんを絶賛していました。またまた余談ですが、池田さんはイングリッシュ・ホルンの名手でもあり、ソロが多くあります。池田さんのソロの時、同じステージに乗っていれば茂木さんは左手で音の出ない拍手を送っています。こういうのはサントリーホールのRAかRBからだとよく見えます。

茂木さんは、二ノ宮知子氏の楽器描写の正確さに驚いていましたが、正確さのあまり楽器の型式まで判ってしまうようで、「いつも同じ型式のホルン」という突っ込みが入ったそうです。「のだめ」第6巻の表紙はホルンですが、ヤマハのYHR-567のようで、中のシーンに出てくるホルンも、確かに同じ型式のようです。ところが突っ込みがあった後、第21巻に出てくるホルンはアレキサンダーの103のようです。突っ込む方も突っ込む方なら、書き分ける方もまたすごいです。

「のだめ」をまた1巻から読み返したくなり、引っ張り出しました。どうする、休みは今日までなのに!
おまけに今日は今から、サントリーホールに出かけます。

2011/08/15

お盆は心エコー

2011年8月15日

心エコーに行ってきました。T病院はお盆休みというものが全くなく、お盆の期間中も通常通りの診察時間なので、会社が休みのこちらとしてはどんな時間でも自由に行けます。

予約は13時45分ですが、昼食を病院の近くで取り、バス停近くに行ったらたまたまバスが止まっており(最後は走りました(^_^;)、1時間以上に着いてしまいました。本を持ってきていたので、検査室に診察カードを出してさあゆっくり読もうと腰を下ろしたら、「南海さ~~ん、今から検査するそうです。」なんと、予約の1時間前に検査が始まりました。今日は検査の数が多いので、出来るものから(手当たり次第に)さっさと片付けてしまおうと言うことらしいです。

検査は何事もなく終わりましたが、途中の技師さん同士の数値を伝える話しぶりからして、前回の値とかなり変わっているところがありそうでした。ただ感覚的には悪くなっている感じはしないので、どうと言うことはないでしょう。先生の診察は、9月下旬です。

2011/08/12

会うことのなかった、もう一人の義兄

2011年8月12日

カミさんは二人兄妹で、兄が一人います。ところが兄は二男で、上にもう一人兄(小生にとっては義兄)がいました。
もう一人の義兄は昭和18年生まれで、二男が生まれる前の昭和21年になくなっています。新潟の実家での、事故死でした。小生もそうでしたが、カミさんも親の戦時中のことはあまり詳しく聞いていません。いろいろ断片的な話を総合してそれに多少想像を加えると、義父は戦前/戦中は現在もある大手の油圧機器メーカーで、飛行機の脚の設計をしていました。戦争に行かなかったのは身体が弱かったからだと聞いていますが、実際は軍需産業で設計をやっていたからでしょう。軍属扱いだったのかもしれません。それで終戦とともに仕事が無くなり、新潟の山の中の実家に帰っていたのでしょう。

子供が事故死するのは魔が差したほんの一瞬で、義母がたまたま障子を閉めてアイロンがけをしていたとき、はっと気がついたら庭の池にうつぶせになっていたそうです。利発な子だったそうで、生きていれば小生にとっても頼りになる兄貴だったでしょう。最も義兄が生きていたとすると、カミさんが存在していない可能性もありますが。

義兄は実家の墓地に埋葬されましたが、当時のこと故土葬に簡単な木の墓標で、そのご実家との交流もなく、現在はどこに埋葬されたかもはっきり判りません。残っているのは小さな位牌だけで、きちんとしたお墓もありません。義父が亡くなって多摩の霊園にお墓を造ったとき、義母は義兄も一緒に埋葬できないか、いろいろ動いたようですが、どうにもできませんでした。

義母が亡くなって、お墓の管理はカミさんが引き受けました。その時、小生は埋葬はできなくても、墓標に名前を刻むくらいはできないか、カミさんに聞いてみました。ただやはり義母が動いてダメだったので、難しいとカミさんも考えていました。11080603a


お墓の管理を引き継いだことを、カミさんが叔母に報告しました。この叔母はお墓のことをいろいろ心配していて、カミさんが引き受けたことを喜んでいました。そして現在ただ一人残った義兄を知っている人物で、ひとしきり亡くなった日のことを話してくれたそうです。そして、現在の状態があまりにもかわいそうなので、「埋められたあたりの土を取ってきて、こちらの(多摩の)お墓に撒いておいたのよ。」実はこの一言が鍵になりました。

霊園に出入りしている石材屋さんから、義父の三三回忌の通知が来ました。もうそんなになるんです。そこでカミさんが、石屋さんに義兄の名前を墓碑に彫れないか聞いてみました。やはり埋葬されていない人はダメだそうですが、終戦後の事情と叔母が土をお墓に撒いたことを話すと、「それならできます。」と引き受けてもらいました。やがて出来たという連絡を受け、義兄の命日の2日後の8月6日、カミさんと一緒に霊園まで確認に行ってきました。義父、義母の次に、長男である義兄の名前が彫られています。本当は義母が生きているときにやりたかったのですが、交渉ごとは義母よりカミさんの方がうまいので、カミさんが管理をするようになったから出来たのでしょう。今年は義父の三三回忌と義母の一周忌、お墓でお坊さんにお経を上げてもらいます。

2011/08/07

列車の補助電源の周波数

2011年8月7日

東日本大震災後の電力危機以来日本の周波数統一が取りざたされていますが、これはおそらく無理でしょう。全国の周波数を統一するには、社会的な影響も含めてあまりにもコストがかかりすぎ、双方で発電能力を向上させた方がまだ経済的だからです。ただ鉄道、旧国鉄では、一部の例外を除いて日本全国で周波数を統一していました。

旧型客車の電源は、停車中もバッテリーで電源を確保する必要もあったため、直流です。電灯も白熱灯の時代はそのまま直流で点灯していました。車内の照明に蛍光灯が普及し始めた頃は、直流点灯式の蛍光灯や、後にはインバータ点灯式の蛍光灯が使われました。電車では電動発電機を積むようになり、交流が使われ始めましたが、これは全国的に60Hzが使われました。気動車の発電機も60Hzで、その後登場した大型の発電機を搭載した固定編成の客車/電車/気動車(特急用の20系、151系、80系など)も、すべて60Hzでした。

やがて急行の一等車だけ冷房が始まった頃、電車は60Hzでしたが気動車(キハ58系)に搭載する小型ディーゼル発電機は回転数が上がらなかったのか、50Hzが採用されました。ディーゼルエンジンの連続運転で3000回転と3600回転では騒音も違いますし故障の発生率も違うと思われるので、安全サイドを取ったものと思われます。やがて急行普通車も冷房が始まり、気動車には同じ50HzのAU13Aが搭載されました。これが国鉄時代の例外、50Hzの使用例です。気動車は照明電源は60Hzが使われていますので、冷房用と二つの周波数を使っていたわけですね。なおAU13は電車にも搭載されていますが、電車に搭載されているAU13Eは60Hzです。

はっきりした検証ができていないのですが、やはり50Hzを使ったと思われるのが、オハ12系の冷房です。キハ58と同じAU13Aを使っています。そして東北地方で電気機関車が供給する暖房電源(AC1500V、東北地方なので50Hz)で冷房が動くように改造された2000番台が存在しますので、やはり元々が50Hzだったと思われます。

それから細かいことですが、旧型客車の電気暖房に使われていた1500/200Vの降圧トランス、これも50Hz仕様ですね。50Hzで設計したトランスは同じ電圧の60Hzでも使えますが、その逆はオーバーヒートして使えません。旧型客車の電気暖房が使われていたのは東北地方(50Hz)と北陸本線(60Hz)だけですから、60Hzの専用設計は存在しなかったでしょう。

こうやってまとめてみると、例外が結構多かったことに気がつきました。ただすべて冷暖房電源で、「一年中使うわけではない」という例外でしょうね。

最近、例外ではない本格的な50Hz仕様が現れました。東北新幹線の新車群で、詳しい確認はできていませんが、車内に乗客用コンセントを付けたもの(E2系1000番台、E3系2000番台など)はコンセントが50Hzになっていますので、補助電源すべてが50Hzになっているのでしょう。全国統一だった国鉄から、地域主体のJRになって、とうとうここまで来たかという感じです。

2011/08/06

仏説阿弥陀経

2011年8月6日

小生の実家には、田舎のこと故、立派な仏壇があります。子供の頃、お坊さんが月に1回来てお経を上げていました。その時には子供達も一緒に座っているのが習わしで、小生も、男の子にしては珍しく、おとなしく座っていました。聞いていると覚えるもので、時々お経を唱えていました。門前の小僧なのですが、小生はまだ学齢前だったため、「神童」などと言われたそうです。その神童が二十歳過ぎたらただの人(ただの狸?)になったことは、言うまでもありません。

その時覚えたお経、今でも少しは覚えています。「ごくらーこくどー」と言う台詞は良く出てきますし、長いところで、「だいせんせーかいせつじょーじつごんにょーとーしゅーじょーとーしんぜーしょーさんふかしげくーどくいっさいしょーぶつしょーごーねんぎょーしゃーりーおー」などです。これが阿弥陀経だということを聞いたのは、ずっと後でした。ちなみに小生の実家は、浄土真宗本願寺(西本願寺)派ですです。

先日、日頃あまり行かない方の本屋に寄ったところ、「浄土真宗本願寺派のお経」(学研)という本を見つけました。バーゲンセールで定価の半額になっています。中を見たら阿弥陀経があったので、買ってきてしまいました。さて、阿弥陀経とはその名の通り阿弥陀仏についての仏(釈迦牟尼)の教えですが、小生が見たところ、前半は阿弥陀仏のいる極楽はこういうところだと言う教えですが、まさに「極楽良いとこ」(一度はおいで、とは書いてありませんが(^_^;)というPRです。だから「ごくらーこくどー」(極楽国土)という言葉が頻繁に出てくるわけです。

「だいせんせーかい」から始まる部分は、「大千世界。説誠実言。汝等衆生。当信是称讃。不可思議功徳。一切諸仏。所護念経。」でした。その後に続く「しゃーりーおー」は「舎利弗(しゃりほつ)」で、実はここから次の段落です。阿弥陀経自体は仏が弟子の中の長老の舎利弗に語りかけている形を取っているため、「舎利弗よ。」という形で次の文が始まっています。なおこの「大千世界」の部分は、それぞれの仏の国において誠実の言葉を説かれています、という部分なのですが、東方、南方、西方、北方、下方、上方、と同じ文言が6回出てくるため、記憶に残ったのだと思います。

もうすぐお盆です。小生が今いるところはボロアパートなので仏壇はありませんが、一度阿弥陀経の全文を声に出して読んでみようかとも思っています。

2011/08/01

津軽撮影紀行(5)

2011年7月11日(つづき)

青森から三沢まで以前は特急が走っていたが、現在は青い森鉄道になったので、各停のみである。以前は盛岡や八戸からの特急で三沢ではかなり多くの人が下車していたが、その人たちはどこへ行ったのだろう。別の交通機関に流れたような気がする。Dscf4395a

早めに青森駅のホームに出てみる。改札口は共通で、1,2番ホームが青い森鉄道のほぼ専用となっているが、青い森鉄道から新青森まで通す列車もあり、完全に専用となっているわけではない。ただローカル専用となったため、キオスクやそば屋は閉店してしまっている。ホームの端に出発合図器があるが、行き先の方面表示はその路線の終点、弘前方面は奥羽本線の終点(始点)の福島である。Dscf4396a_2


向こうのホームに新青森発函館行きの「スーパー白鳥」が着いたが、大量のお客さんが降りる。新青森と青森を結ぶシャトル列車化しているようだ。今は一日乗り放題の切符が売られている時期だが、そうでないときはどうなっているのだろう。Dscf4399a


青い森鉄道の「青い森701」型は、JR東の701系と同じでMT2両編成のワンマン、トイレもちゃんと付いている。しかし車内はロングシート、浅虫温泉や八戸から三沢への連絡を担わせるのなら、せめて転換クロスぐらいにはすべきだろう。走りっぷりは、速い。駅間距離が長いので、途中は高速で飛ばす。この走行時間の長さなら、ぜひ京浜急行2100系のような車両がほしいところだ。Dscf4397a


アナウンスは自動だが、停車した後の「ただいま○○」のアナウンスや表示が全くない。居眠りしていて停車のショックで目覚めたときは、どこがどこやら全く判らなくなる。沿線の緑がきれいだ。特に川がコンクリート護岸ではなく自然のままなので、いっそうきれいに見える。Dscf4401a


三沢駅到着。JRもとい青い森鉄道の駅前に、十和田観光鉄道の駅があり、元東急7000らしい電車がいる。連絡バスもあるが発車がぎりぎりなので、タクシーを使うことにする。ところが駅前に3台いたタクシーが出てしまうと、全くタクシーがいなくなる。駅前のタクシーの営業所に行ってみても、「ただいま出払っております」という看板だけで、車はおろか人っ子一人いない。これは出て行った車が戻って来るのを待つしか無く、短距離に行ったことを願うばかりだ。Dscf4400a


やっとタクシーが戻ってきて、乗車。三沢空港は市内から外れていないので、助かる。ところが乗ってみて判ったことに、市内から外れていないどころか、市の中心が三沢基地である。三沢空港は三沢基地の外れを間借りしているので、そのため少し外れたところまで行く。以前は青森の空港はこの三沢しかなかったが、青森空港ができたため、重要性は少し落ちたようだ。それでも大量のタクシーが待っていた。三沢駅には3台しかいなかったのに(^_^;。Dscf4402a


リュックの中に折りたたみの椅子を入れていたが、特に問題なく手荷物検査を通過、待合室で待つ。待合室から到着スポットがよく見える。到着スポット入り口に可動フェンスがあり、飛行機が入ってくるときだけ開く。三沢基地は自衛隊もいるが元々米軍基地で、このフェンスが日米の国境なのかもしれない。三沢は米軍F-16の基地で、ひっきりなしに離着陸を行っている。しかしよく見ると、F-16だけではなく自衛隊のF-2も混じっているようだ。F-2はベースがF-16なので、遠目には区別が付かない。出発する頃には、グレーの迷彩がF-16、緑っぽい迷彩がF-2ということがわかるようになった。Dscf4403a


搭乗機はMD-90、小生あたりにはDC-9と言った方がぴんと来る。改良されているのはエンジンと電子機器なので、機内は昔のDC-9と同じ、また新幹線と同じ1本通路の2列/3列のシートである。JASの生き残りで、もうすぐ姿を消すであろう。離陸後は前線通過時に揺れはあったもののおおむね順調に、羽田空港D滑走路に到着した。

(完)

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