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2011/03/30

震災以来初めての出張

2011年3月30日

昨日は震災以来、初めての出張になりました。行き先は震災当日と同じ、群馬です。小生は群馬での午前中の会議の時には、いつも新横浜-東京-熊谷と、新幹線を使っています。これは出張旅費からは新幹線の特急料金は出ないので、自腹です。新幹線を使っても、朝はいつもより20分早いのですが、各停だと1時間半早く出なければなりません。朝の1時間は、貴重です。

新横浜で東海道新幹線(東京行き)に乗り換えると、いつもより空いています。朝の新幹線はほとんどが通勤客ですが、やはりぽつぽつと乗っていた出張客が減っているのでしょう。東京駅で上越新幹線へ乗り換え。上越新幹線は100%の運行で、いつものガーラ湯沢行きです。ガーラ湯沢行き?まだやっている?と思ったところ、ガーラ湯沢スキー場は、予定より早く3月24日で今シーズンの営業を終了したと、掲示が出ていました。列車ダイヤの方は当初の予定通りの運行なので、営業していないガーラ湯沢行きになっています。当然、がら空き。

熊谷で各駅停車に乗り換え。上越線も100%の運行ですが、湘南新宿ラインが運転していないので、実質6割くらいに減っています。この時間の接続は上野発なので、いつもと同じです。熊谷貨物ターミナルには、EH200牽引の20両のタンク列車が止まっていました。おそらく被災地向けで、青森を回って盛岡まで行くか、磐越西線経由(2列車に分割)で郡山まで行くか、そのどちらかでしょう。と考えていたら、籠原で次の籠原止まりを待つために10分ほど止まり、その間に抜かれました。こういう列車になら、喜んで抜かれます。高崎線にはタンク列車がよく走っていますが、タキ1000の20両編成は珍しく、迫力があります。後で調べたら、6085レのスジに入っているようです。写真を撮られる方は、そのスジでどうぞ。これがEF64の重連だったら文句はないのですが、EH200は今ひとつ、顔がよくありません。同じEHでもEH500なら良いんですけどね。EH500と言えば、上り貨物で東京方面へ回送されていました。おそらく大宮工場への入場で、青森から羽越線経由で回送されてきたのでしょう。

群馬も工場全体が節電体制に入っており、暖房が入っていません。すると会議室の冷えること!地元のメンバーは全員防寒ジャンパーを着込んでいますが、出張組にはなく、仕方なしにコートをそのまま着ていました。小生はマフラーまで巻きっぱなしでした。

帰りは快速が走っていないので、ずっと各停。東急線も急行が走っていないので、これも各停です。全区間各停だと、さすがに疲れます。

2011/03/28

震災後初めての検診

2011年3月28日

震災後初めて、病院に行きました。今日は循環器の検診です。T病院(分院)には、田園都市線で行きます。ところが今は節電ダイヤですべて各停、しかも運転本数は80%程度です。元々殺人的なラッシュで知られる田園都市線、20%も間引きしたら大変なことになると思っていたら、やはり各駅で乗れない人続出です。しかも今までは急行/準急に人が流れ、各停比較的は空いていたのですが、今は全列車各停なので、どの列車も皆同じです。これが震災後ずっと毎日ですから、田園都市線を通勤に使われている皆さんは、大変だと思います。ここに来てJRは自家発電の威力を見せ始め、ほとんどの通勤路線が100%の運行です。横浜線は根岸線直通列車や快速まで運転しています。電力事情が少し回復したときに、電車の運行を正常に戻すべきか、それとも計画停電を止めるべきか考え、計画停電を止めた方が良いと思ったのですが、こういう路線を見るとまた考え直します。

昨日計画停電の場所と電車の運行予定を確認したときに、ついでにバスも確認しました。ところが燃料不足で、T病院へ行く路線は今日まで運休していることがわかりました。そうなると歩きで、いつもより一駅先まで行きます。この歩きのルート、97年から99年にかけての2回目のIFN(治験)の時に、一日おきに通ったルートです。その時はまだバスは運行しておらず、てくてく歩きました。夏はたまらなく暑かったです。それから12年、沿線もずいぶん変わりました。駅前にあったコロラドが、ドトールに模様替えしています。正確に言うと、コロラドの跡は美容室になり、不二家レストランの跡がドトールになっています。かつてのコロラドではスープスパゲッティがおいしかったのですが、今は昔です。ボーリング場の跡がホームセンターになったと思っていたら、家電量販店に変わりました。

全列車各停のために急行待避が無く、またバスも待たなかったため、意外と早く着きました。着いたら採血、その後今日はX線を撮ります。採血の時に、今日は本数が少ないと思い、念のために次の肝臓の診察を確認したら、4月15日でした。採血するなら、タックマンは一週間では出ませんので、今日です。4月15日のエコーは覚えていたのですが、今日は電車が混んでしかもバスが無く歩きになったりで、診察のことをすっかり忘れていました。X線の後に採血室に戻り、追加の採血をしました。おかげで針の跡が、2カ所です(;_;)。

診察は9時半の予約なのに、9時にいきなり呼ばれました。結果は、血液検査異常なし、PT-INRも適量(2.1)、X線の結果も心臓は大きくなっておらず、良好とのことです。ちなみに血小板数は、19.3万です。実はこのところ、福島原発に一喜一憂したり、買い占めに怒ったりで、不整脈が出る頻度が高くなっています。ところが診察室に行くと、出ません。先生も脈を診て、「特に不整脈は、ありませんね。」とのこと。緊張すると不整脈は出なくなりますが、緊張してでなくなる範囲なら、特に問題はないようです。次回の検診は、6月です。

診察開始が早かったため、会社のフレックスタイム(コアタイム)に余裕で間に合いました。

2011/03/27

福島原発の復旧作業をやっている皆さん、応援しています

2011年3月27日

震災から約半月が経ちました。被災地にもやっと物が届くようになったようです。そういう中で気になっているのが、福島の原子力発電所(第一、第二)で復旧作業をやっている方たちです。不眠不休とは言いませんが(本当に不眠不休だと、死にます)、かなりそれに近いような状態で、難しい作業をやっていられるようです。それも日本国内でありながら、完全にアウェーの状態で。

今回の地震と津波は天災ですが、福島原発の事故は完全に人災です。原発自体は自動停止したのに、その後の冷却システムが津波にやられ、冷却ができなくなったのが今回の事故です。近くの東北電力女川原発が、事故対策拠点は壊滅的な被害を受けたのに、原発自体は高台にあったため安定停止状態になっているのとは、対照的です。福島原発は、津波に対する想定が甘かったと言わざるを得ません。

ただそのことと、現場で復旧作業に当たる方とは、分けて考える必要があると思います。報道をずっと眺めていると、一進一退しながら、着実に前進している様子がわかります。同じ電気、それも重電系の技術者として、何とか彼らと彼女らを何とか支援したいと思っているのですが、さりとて送る物も方法もなし、東電に現金を寄付したところで、停電もない安全な重役室にいる役員さんの元に行ってしまうだろうし、ネットに寄付口座があればたぶん詐欺だろうし、具体的な方法は思いつきません。

せめて、声援を送ります。福島第一及び第二発電所で復旧作業にあたっている東電の皆さん、配線工事をやっている関電工をはじめとする工事会社の皆さん、日立、東芝などメーカーの皆さん、その他協力企業の皆さん、あなたたちは今、地球を守る作業をやっているのです。応援しています。これ以上がんばれと言える状態ではないことはわかっていますが、何とか、がんばってください。

2011/03/26

こういう時期ですが

2011年3月26日

横浜線のうち、東神奈川に近い大口、菊名の両駅にはエスカレーターやエレベーターが無く、車いすリフトだけの設置でした。その大口駅にやっとエレベーターが設置されましたが、こういう時期に電力を使う設備なので特にPRもされず、3月23日からひっそりと稼働を始めました。大口駅は島式ホームで出口が両側にあるため、エレベーターは3基設置されています。大口駅は貨物線の旅客線転用時に、貨物線との交差点へ約500m移転するという噂が流れていましたが(地元の商店街は、反対しています)、これだけの工事をやったのですから、移転はなさそうです。11032501a


残るは菊名だけですが、菊名駅の通路は横浜線の下をくぐって次ぐに東横線の上を乗り越すため、エレベーターを造ろうとすると、複雑な配置になります。ましてホームが狭く階段がホームの幅一杯にあるため、そこを切るわけにも行きません。二子玉川のように、ホームの途中から一旦上に上がり、横浜線と東横線を乗り越し、出口行きと東横線降り換えの2つのエレベーターを造ることになるのでしょう。ただ今はとてもそういう工事には掛かれないので、早くても今年の秋以降の着工でしょう。

昔は菊名に東横線と国鉄線との連絡線がありましたが、廃止されました。そのときに菊名のホームも少し(線路1線分ほど)東神奈川に向かって右に移動しています。移動した線路跡はずっとそのままあったのですが、数年前にそこに菊名の駅舎とファミレスが建っています。連絡線廃止の時にホームを移動せずにホームの拡幅をやっていれば、エレベーターの設置ももう少し楽だったでしょう。

2011/03/21

膠原病と工業新聞

2011年3月21日

やや古い話になりますが、昨年12月1日付の日経産業新聞に、医療薬ベンチャーのシンバイオ製薬が、膠原病の一つである全身性エリテマトーデス(以下、SLE)の治療薬を開発し、来年(つまり、今年)にも初期段階の治験に入る、という記事が出ていました。元々の開発は英バイオベンチャーのイミューファーマで、第1相治験を進めるための独占的な開発権を取得したそうです。SLEは有効な治療薬はないので、期待できますが、実用になるのはもう少し先のようですね。

もう一つは今年の3月11日(つまり、10日前)付の日刊工業新聞で、関西医科大学などがSLEの発症の仕組みを解明した、という記事が出ていました。好中球からDNAやペプチドの複合体が作られて抗体と結合し、別の免疫細胞である樹状細胞の中に入り込み、病気の直接の原因であるインターフェロンの過剰生産をもたらしていた、というものです。米科学誌のサイエンス・トランスレーショナル・メディシン(電子版)に掲載されているそうです。

SLEは過剰に作られたインターフェロンがは商や症状悪化の原因になっているそうで、SLE+C型肝炎の方がIFNを使えないわけです。

なおこれら二つの記事、どちらも工業新聞の記事で、一般紙では見かけていません。薬を含むバイオベンチャーはこれから伸びる分野と注目し、ウォッチングを続けているのでしょうか。

現在の治療法においては、SLEの方はステロイド剤をずっと飲み続けなければなりません。ステロイドは急に止めるとリバウンドでひどい症状になりますが、被災地ではどうなっているのか、気になります。

2011/03/20

流氷再挑戦記(5)

2011年2月20日(日)

天気、晴れ。ただ昨夜雪が降ったようで、道路にも雪が積もっている。今日は東京へ帰るだけのため、時間に余裕がある。Dscf6332a


そこで、新千歳空港までの快速エアポートは、Uシートを確保する。早めに入場して、行き交う列車を眺める。「北斗」に、ハイデッカーのキロ182も運用に入っていた。札幌から新千歳空港まではまたSuicaを使ったが、オートチャージは動作しなかった。北海道でSuicaを使おうと思ったら、たっぷりチャージしてくるか、どこかで手動のチャージが必要だろう。Dscf6334a


快速エアポートは満員、立っている人も多い。やはりUシートを確保しておいて、良かった。窓側の席なので、千歳線の景色を眺める。今日も天気がよい。札幌の雪はたいしたことはないと思っていたが、意外と多い。1mくらいは、楽にある。それでも、雪下ろしを見かけない。雪質が軽いせいなのか、自然に落下してしまうようだ。そのため、関東以北には必ずある屋根の雪止めがないし、雨樋もない。この雨樋のない屋根と、作り付けの大型煙突を持つ家が、北海道独特の景色を作っている。Dscf6336a


空港到着、チケットレスで直接手荷物検査場へ行けるが、思うところがあってチェックインを行う。往復の航空券を予約したとき、たまったマイルを使った無料券であったが、行きはクラスJが取れたものの帰りはクラスJは満席で、普通席を取っていたのだ。しかし無料の割り当て分と実際の定員とは違うので、搭乗前にクラスJへの変更が可能と踏んでいたのだ。Dscf6340a

カードを入れると、一つ前の便への変更が可能と出てきた。さあ困った。最近は旅行会社で航空券を買う人が少なくなったので、航空機の時刻表を以前ほど配らなくなっている。そのため、一つ前の使用機材がわからない。旧JASも含めてJALの機材なら良いが、コードシェア便の機材だと、シートピッチがめちゃくちゃ狭い。結局あきらめて所定の便にする。すると思った通り、「クラスJへアップグレード可能」との表示が出た。早速、アップグレード。有料で、JALのカードを入れようと思ったら、間違えて同じ色のヨドバシカメラのカードを入れてしまった。行きがクラスJだったので、JALカードを入れたらひょっとしたら追加料金なしだったのかもしれない。後の祭りである。

帰りも、リュック機内持ち込みでなんの問題も無し。搭乗口の近くで見たら、一つ前の便もJALのB-777であった。まあ、急ぐ旅ではない。乗ったB-777-300は順調に飛行し、どんより曇った羽田空港に着陸した。

(完)

2011/03/19

この一週間

2011年3月19日

木、金曜日になってやっと横浜線が安定し、間引き運転ながらも何とか頼りになるようになってきました。座席のない6ドア車は、大混雑の時には威力を発揮します。昨日までは煌々と明かりが付いていた駅も、今日になったら照明がずいぶん間引きされ、省電力につとめるようになってきました。今日乗ったら、天気が良かったせいか昼間は電車の室内灯が消されていました。暑くなっても冷房を入れないことも検討しているようですが、横浜線の205系は全部の窓が開くので、少し暑くなっても冷房を入れずに平気です。なぜか結構頼りになります。

会社のあるあたりは停電にならないようで、仕事は平常通りです。ただ交通機関は乱れもあるので、遅く来ても遅刻にならず、早く帰っても早退になりません。会社会社はフル生産、作っているものは一応復興資材なので製造部は張り切っていますが、小生のいるR&Dは「試作当分お断り」と現場から言われ、まして小生のような新規事業はそれこそ不要不急なので、若い人たちのモチベーションの維持に苦労します。しかし周辺が元気でないと被災地も支えられないし、復興もできないので、いつも通りにやるのが一番です。社長は、宴会も遠慮せずにやれ、と言っています。

被災地に関しては、電気科の出身のせいか、福島の原子力発電所の復旧作業をやっている方たちが気になっています。原子炉に外部電源の接続が完了ということが報じられましたが、これは発電所までの配線を、10km以内で作業して復旧させた人たちがいるはずです。最前線でがんばる東電及びメーカーの技術者や作業員の人たちとともに、原子炉周辺の復旧工事に当たられた、もしくは当たられている人たちに、敬意を表します。

2011/03/16

いい話を拾いました

2011年3月16日

自宅近くのJR線が今日からやっと動き出し、超満員ながら定時に会社に着くことができました。JR東は今回の地震と津波で大被害を受けており、同情すべきところも多いのですが、地震当日の、さっさと運転再開をあきらめ、駅構内から人を追い出してシャッターを閉めてしまう態度には、腹が立っています。駅構内なら雨露、寒さは防げるし、避難所の役も果たせるはずです。「駅」は人が集まるところと日頃宣伝していますが、肝心なときの追い出すようでは、駅の役を果たしていません。

そういう中に、こんな話や、こんな話もあります。高島屋(実名を出します)は従業員教育が厳しく、販売応援やイベントで入る人たちも、同様の行動を厳命されます。2店で同じような話があるとは、さすがです。

2011/03/13

3月11日の出来事、追加

2011年3月13日

11日の出来事に、補足します。急遽泊まることになりましたが、泊まる用意など、当然のことながら何もしていません。下着や靴下の替えなど、これは1泊なので着替えずそのままです。またコンタクトを入れ始めていましたが、コンタクトの洗浄剤がないので、翌12日はコンタクトを入れずに行動しました。コンタクトケースはいつも持ち歩いているので、それに入れておきました。

小生の場合、一番問題になるのは薬です。幸い会社用のカバンには、飲み忘れたときの対応用に1回分のレニベースとワーファリンは常に入れてあるので、今回はそれが役に立ちました。しかし休日の街歩き用のカバンには薬は入っていないので、今回から入れておくようにしました。小生のワーファリンは、1日飲めなかったからと言ってすぐに命がどうこうというものではないのですが、やっぱり毎日きちんと飲んだ方が良いことは、言うまでもありません。

失敗したのは携帯電話で、金曜日だったので帰ってから充電しようと思っていたところ、ドコモは金曜日の夜に、AUは土曜日のお昼過ぎにバッテリー切れになってしまいました。やはり出張前には、フル充電していかないとダメのようです。

会社に泊まることになった小生の友人は、インシュリンの手持ちがなかったそうで、翌朝会社の病院でもらうと言っていました。大きい会社は付属病院があるので、こういう時は良いですね。

カミさんはバレエの公演(Kカンパニーです)に出かける予定で、出発予定の1時間前に地震が来ました。自宅は全く影響がなかったので、そのまま出かける支度をして駅まで行ったら電車が動いておらず、当分動く見込みもないので帰って来たそうです。出かけた後だったら、帰宅難民が一人増えるところでした。そして電話が通じるようになってホールに電話したら、公演中止と代替公演日がわかったそうです。まあ、カミさんも悪運が強いですね。

今日プリンタインクを買いにヨ○バシカメラに行ったところ、懐中電灯、携帯用ラジオ、単1と単2の乾電池が、すっかり姿を消していました。元々在庫の多い単3と単4はあったので、在庫の少ない分が売り切れたのだと思いますが、必要な分だけ買うようにしたいものです。また帰りにコンビニに寄ってみたら、ここでも単1と単2はなく、電池式の携帯充電器も姿を消していました。

2011/03/12

昨日(11日)ベッドで寝られたのは、すごくラッキーだったのかもしれない

2011年3月12日

今回の地震で被災された皆様、並びに被災とは言えなくても泊まり込んだり、長距離を歩かされる等の影響を受けられた皆様に、お見舞いを申し上げます。

昨日小生は、たまたま群馬に出張中に地震に遭いました。会議中、最初は普通の地震と思っていたのですが、揺れが長い上にだんだん強くなります。そこでドアを開放し、蛍光灯等の落下物を防ぐため、テーブルの下に潜り込みました。そして階段が危険なためある程度揺れが収まってから外に出たのですが、会社の新しい建物はガラス張りで、そのガラスがしなってちょっと怖かったです。被害は、書庫の本が落ちたくらいです。

このときは群馬でこのくらいだから、東京の被害はたいしたことはないと思い、6時頃にはJRも復旧すると思っていました。ところがだんだん情報が入ってくると、これは今日中には復旧しそうもないということになり、急遽ビジネスホテルを手配しました。常宿にしているところにネットで3人分の空室を見つけ(横浜から3人行っていました)、入力したのですが、入力中に取られてはねられてしまいました。再度検索すると空室は2つになっており、無事2室確保することができました。電話は全く通じないので、ネット手配が威力を発揮しました。なおあぶれた1名は、独身寮に転がり込みました。この時点では新幹線の止まるターミナルのホテルは全部満室で、小生は少し外れた場所のホテルの最後の2室を押さえたようです。ラッキーでした。

食事の店も普通に開いており、ホテルでしばらく濁り水がつづいていたくらいで、翌朝の朝食も普通に取れました。ただフロントに聞いたところ昨夜は、夜遅くまで「空室はないか」という来客がつづいていたそうです。明け方は4時頃から携帯電話の緊急地震速報が7回も続き、寝られませんでした。昨夜10時頃寝たのは、正解でした。

娘さんが仙台にいる友人のところに電話を入れたら奥様が出て、娘さんのところは本が倒れたくらいで被害はなく、娘さんもけがもなく無事とのこと、一安心です。そして友人は帰れないので、会社に泊まるとのこと、友人の会社は総務がしっかり毛布などの手配をやったようです。小生の会社はそういうしっかりした組織はないので、そこらの床に段ボールを敷いて雑魚寝だったでしょう。それを考えると、出張に来ていたのがラッキーでした。

さて今日は高崎線は7時頃運転再開見込みと出ていましたが、もう少し遅くなるだろうと思い、9時前に駅に着くように出かけました。30分ほど待ったら、動いていないと思っていた湘南新宿ラインが来ました。グリーン券を買っていたのでグリーン車に乗ったら、満員でかなり立っている人もいます。よく見たら席のほとんどが「グリーン券持たず」の表示になっており、グリーン車を無料開放したのか、混雑で検察が来られないのを良いことに居座り続けたか、どっちかです。そして出発はしたものの徐行運転、しかも各駅で1時間ずつくらい停車します。やっと徐行運転が解除になったと思ったら、上野駅を先に行かせるとのこと。今度は上野行きが大混雑になり、乗り換えるのをあきらめました。さらに満員の上野行きをもう1列車やり過ごして発車、ほとんどの人が乗り換えたので、今度は座れました。

しばらく走っていたら(各駅停車です)、上野行きは運転するものの湘南新宿ラインはしばらく運転を見合わせるとのこと、今度は仕方なしに乗り換えました。しかし今度の上野行きは比較的すいており、グリーン車も席が取れました。そんなこんなでやっと大宮に着いたら、先の駅がふさがっており、いつ出発できるかわからないとのこと、推奨通りに埼京線に乗り換えました。埼京線は全部各停でしたが座れ、渋谷で乗り換え、いつもは3時間で帰り着くところを9時間かけて帰宅しました。それでも最初の3時間以外は座って、それもほとんどリクライニングシートに座っていましたので、平気でした。

ちなみに自宅は、全く被害がありませんでした。今にも崩れそうに積み上げた小生の本屋CDも異常なく、そのままです。

2011/03/06

流氷再挑戦記(4)

2011年2月19日(土)(つづき)

オーロラ号から降りても、まだ午前中である。網走港から海と反対方向へまっすぐ進むと釧網線に出るはずなので、様子を見に行く。歩道も除雪がしてあるところが多く、歩きやすい。Dscf6313a


この除雪跡は、ロータリー車による機械除雪だ。山形では冬になると、バイク屋の店頭に手押し車くらいの小型ロータリー車が並んでいた。釧網線に出たら、駅があった。桂台である。網走からさほど離れていないが、高校でも近くにあるのだろう。釧網線は日中は3時間近く時間が空くため、写真はあきらめる。Dscf6316a


しかしノロッコ号は撮りたいため、撮影場所を探す。網走駅に近づくと高架になるので、やはりこのあたりの踏切しかないようだ。もう一駅先の鱒浦まで行くと釧網線がオホーツク海に沿って走るのだが、まさかこんなに穏やかな晴れになるとは思っていなかったので、全く調べてこなかった。ただしオホーツク海沿いと言っても、流氷が接岸しているのはかなり知床半島の近くで、やはり車がないと厳しいだろう。Dscf6319a


一旦港に戻り、昼食。夜に魚を食べることを考え、キャベツがたくさん付いた豚肉の生姜焼きを食べる。旅行中はどうしても野菜不足になりがちなので、食べられるときに食べておく。そこから再度先ほど狙いを付けておいた踏切へ。防寒帽にサングラス、それもゴーグルのようなオーバーグラスタイプをかけているから、さぞ変な格好だろう。踏切のそばに、ポリ袋を破って広げ、リュックをおろす。Img_18521a


撮影の時は宿泊用品は別に分けて駅のコインロッカーに放り込んでおくのだが、今回は荷物の整理をせずに全部もって歩いているので、重い。身軽になったところで撮影ポイントを探すために道路から少し踏み出したら、膝まで雪の中に落ち込んでしまった。どうやら草むら(クマザサか?)の上に雪が積もっているだけで、下は崖だったようだ。昔雪洞を踏み抜いて膝の剥離骨折をやったことがあり、今回も危ないところだった。Img_18541a


やがてノロッコ号通過。編成の後ろが崖に隠れてしまったが、一応撮れた。最近はA寒地仕様のDE10ばかり撮っているような気がする。Img_18711a


網走から札幌までは、「流氷特急オホーツクの風」という長い名前の特急の指定席を取ってある。駅に着いたら札幌からの列車が着いたところだったので、入場券を買ってはいる。車種はキハ183の5000番台、「ノースエクスプレスレインボー」というリゾート列車だ。ハイデッカーで、窓が屋根まであるパノラマ仕様になっている。時間まで駅撮り、ホームと言っても雪が積もっているので、滑らないように注意して移動する。Img_18671a


このノースエクスプレスレインボー、ハイデッカーの分だっけ屋根が浅く、荷棚には小さなものしか置けない。そのため客室の入り口に荷物置き場があるのだが、隣の席が空いているのでそのまま置いておく。客室内には液晶のモニタが付いており、イベントのビデオを流すとき以外は前面の映像が映る。Img_18741a


これはなかなか面白い。やがて発車、網走湖は完全に氷結しており、氷の上にいろいろイベントが出ている。昨日の夜に明かりが見えたのは、これだったのか。Dscf6320a


やがて北見。昨日のすれ違いの時刻から見ると、北見駅には石北貨物がいるはずである。席がたまたま進行右側だったので、カメラを準備しすれ違いざまにシャッターを切る。見事撮れた。常紋信号場は現在使われていないようで、引き上げ線が雪に埋もれている。難所だった常紋トンネルも、ハイパワーのキハ183系は軽々越えた。遠軽で進行方向が変わる。座席は自分で向きを変えたが、液晶モニタはそのままである。ところがのどが渇いたのでビールを買いに行って戻ってきたら、液晶モニタの向きが変わっていた。液晶モニタの反転を、見損なってしまった。Img_18751a

16:39頃、白滝で石北貨物を抜く。石北貨物は2本だったことを思い出す。近くに同業者が多数いるが、冬にこのあたりで撮影するためには、車が必須だろう。この石北貨物、雪の峠越えを行うため機関車が前後に付いており、2台が協力しながら坂を登る。眺める分には迫力があるが、昔の蒸気機関車の3重連と同様、迫力があるものはそれだけ無駄なエネルギーを使っているので、採算が悪いのだ。JR貨物が廃止したくなるのも、当然かもしれない。Img_18761a


回りが暗くなっても、前面の映像はそのまま放映中。複線区間では、対向列車のヘッドライトが迫り、後ろに飛んでいく。札幌に着いたら、雪になった。それもかなりの量で、歩道ばかりでなく、車道にもあっという間に積もる。気温が低いので、溶けないのだろう。たまらず傘を取り出す。ホテルに荷物を置いて食事の店を探しに出かけたが、上を見ようとしても雪が強く、店が探せない。仕方なしに札幌駅ビルの手軽な店に飛び込み、ジンギスカンを注文する。結局海の幸が逃げてしまった。

札幌泊。
(つづく)

2011/03/05

流氷再挑戦記(3)

2011年2月19日(土)

朝から晴れである。朝のニュース、おそらく道内ニュースと思うが、流氷の特集をやっていた。それによると、知床斜里が一番流氷がたまる場所だという。知床半島の付け根で、確かに北から来た流氷がもっともたまりそうな地形である。流氷ノロッコ号も出てきた。Dscf6306a


今回は歩いて撮影場所まで行くことを全く考えてなかったので、この流氷ノロッコ号の存在を、まるで無視していた。吹雪かれると命の危険があるが、今日のような良い天気だと、多少歩いても平気だ。しかし、下調べを全くしてこなかった。Dscf6308a


一応発車/到着時刻をメモしておくが、今日の目的はオーロラ号である。今日は気温が高いそうで、最高気温がプラスになることを強調していた。東京の天気予報では最高気温がプラスにならない「真冬日」を強調しているが、こちらでは真冬日が当たり前で、気温がプラスになることがニュースなのだ。Img_1847a


網走港は網走川の河口にあるので、網走駅からは少し距離がある。オーロラ号の連絡バスも出ているが、時間があるので歩く。晴れて日差しが強い。サングラスを持ってきて、良かった。前回網走に来たのは初夏だったので、景色がまるで違う。先月の北陸旅行でも雪の中を歩いたが、雪の感じが全く違う。Dscf6312a


北陸は雪の下は地面という感じだが、こちらでは雪の下は圧雪か氷である。米沢の雪に近く、山形の「路面は圧雪または凍結」と言っていた、峠道の交通情報を思い出す。雪の下が氷なので、油断すると足を持って行かれる。Img_1821a


20分ほど歩き、道の駅でもあるオーロラ号の乗り場に着く。オーロラ号は2隻いるようだ。500t級で、19年前のガリンコ号と比べると、ずいぶん大きい。船では乗組員が甲板の雪下ろしの真っ最中、夜の停泊中に雪が積もるようだ。まだ出航30分以上も前だが、もう大勢の人が並んでいる。Img_1823a


その行列に付くと、30分前に乗船が開始された。デッキに出る人も多いが、しばらくは通常海面を航行するだろうから、船室の窓側に席を取る。前が見える前方の席は、追加料金が必要な特別室である。Img_1829a


出航時間は9時30分の予定だったが、9時15分に出港した。2隻体制で、後続の船が9時30分出港なのだろう。港は河口で船首を川上に向けて泊まっているため、急旋回して出港する。Img_1832a


そのためオーロラ号は500t級にもかかわらず、バウスラスタを装備している。砕氷能力もあるし、かなりの高機能船だ。思った通り流氷は少し沖合にあり、そこまでは通常海面を航海する。少しうねりがあるが、さほどの揺れではない。Img_1841a


流氷海面に近づくと、速度を落として進入する。やっと19年越しの念願が叶い、流氷海面に来た。流氷は、思っていたより氷の塊が大きい。中には、シロクマが乗って遊べそうな大きさのものもある。大きな塊にぶつかると、船にかなりのショックがある。そのため、階段では必ず手すりをつかむよう注意がある。Img_18361a


船は砕氷船なので、流氷にぶつかるのは平気である。甲板にも出てみる。思ったほど寒くない。天気が良いせいだろう。流氷の向こうに、知床半島が見える。やがて旋回して帰途へ、あっという間の1時間だった。Img_1844a


(つづく)

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