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2011/02/28

流氷再挑戦記(2)

2011年2月18日(金)(つづき)

新千歳空港から、まず札幌に移動する。快速エアポートはいつも混んでいるが、発車時間まで余裕があったため座ることができた。なお新千歳空港-札幌間は、Suicaを使った。Dscf6295a


福岡空港-博多間でも使ったし、これで両端制覇である(笑)。この使用履歴は、残念ながら「JR北海道」としか記載されていなかったが。

札幌でまず網走までの往復割引券を購入する。指定席はもう通路側しか残っておらずB席だったが、翌日の帰りは窓側の席が確保できた。この帰りの切符は「オホーツクの風」を取ったが、行きを1本後にすると、列車指定割引でさらに2000円安くなることが、東京に帰ってからわかった。Img_18031a


もっとも1本遅い「オホーツク」だと、網走に着くのが夜11時になってしまうが。またオーロラ号の切符を取れないかと案内所を回ったが、直接電話するしかないとの答え。仕方なしに携帯から網走まで電話を入れ、明日9時の便を確保する。このオーロラ号、団体と一緒になると、乗れないこともあるようだ。Img_1805a


ここで昼食、「洋麺屋」と言うところでパスタを食べたが、フォークではなくお箸であった。ここまでスケジュール通りに進んだが、飛行機が遅れることも考えて早めの飛行機にしたので、「オホーツク」の出発までにはまだ時間がある。そこで札幌の地下鉄にはまだ乗ったことがないことに気がつき、一駅だけ乗ることにした。Img_18101a


札幌の地下鉄はゴムタイヤで、以前はいかにも「新交通システム」という感じの車体だったが、最近の車体は普通の地下鉄と全く同じである。古い南北線はまだホームドアがないので駅で写真が撮れたが、東西線にはホームドアが設置されており、車両写真は撮れなくなっていた。札幌地下鉄は、残念ながらSuicaは(KITACAも)使えなかった。Img_18151a


札幌駅に戻り、今度は駅撮り。ところが札幌駅は暗く、ISO800、1/30でやっとである。ホーム全体がすっぽりドームに覆われているせいで、利用者には十分な明るさなので、文句は言えない。このドームは暴風、防寒には十分な効果を発揮しており、ホームの端に行くと猛烈に寒い。スーパーホワイトアローを引き継いだスーパーカムイは、789系1000番台に変わっていた。Dscf6300a


夕食の弁当を札幌駅で仕入れ、キハ183系の「オホーツク」に乗り込む。オホーツクは4両編成だが、うちグリーン車が0.5両、自由席が1.5両である。グリー車キロハの残りは指定席なので、1両は指定席と自由席の半々になっている。前回乗ったときは最後尾の4号車だったので気がつかなかったが、今回はその半々の2号車である。どうやって区別するかと思っていたら、シートカバーに立派な刺繍がしてあった。Dscf6303a


自由席はほとんどがらがらで出発、旭川から乗る人が多いのであろう。旭川までは130km/hが出せる区間だが、オホーツク用のキハ183系は100km/hがやっとのようで、飛ばさない。それでも雪煙を上げながら走る。石北本線に入り、上川を過ぎたあたりで車内販売でビールを買い込み、夕食にする。弁当は札幌出発時に買っておいたが、ビールは2時間もおくと暖かくなってしまうので、車内販売にしたのだ。Dscf6304a


ビールはサッポロとアサヒのみ、今日はアサヒにする。前回は電源付きの車両に乗ったので、走行エンジン音が全く聞こえなかった。今回は期待したのだが、さほどエンジンがうなるわけではなかった。キハ58のように、勾配の途中でシフトダウンするような運転を期待したのだが、ハイパワーのキハ183は楽に登ってしまった。Dscf6305a


17時47分、通過駅で石北貨物とすれ違う。白滝か?この石北貨物、雪の急勾配を登るために機関車が前後に付いており(いわゆる、プッシュプル)、連結両数も少なく、非常に効率が悪い。そのためJR貨物としては、来年で廃止する計画のようだ。旧網走本線(→池北線→ちほく鉄道)周りの方が距離は長いものの勾配はさほど急ではないので、こちらを残しておいて軌道強化と線路改良をしていたなら、DF200が入線できて長編成を牽引でき、網走までの時間も短縮できたのに、と思う。今となっては、夢物語である。

網走に到着、積雪は15cmくらいである。久しぶりに、歩くときゅっと言う雪の上を歩く。
網走泊。

(つづく)

2011/02/27

流氷再挑戦記(1)

JALのマイルがたまり、国内の航空券がもらえる分になった。松山に行き、郊外電車と市内電車との平面交差や、片運転台の電車が1両で回送される様子を撮りたいとも思っていたが、今回は流氷に再挑戦することにした。
Scan10023a

以前流氷を見に行ったことがある。確か1992年だったので、19年前だ。このときは紋別まで行った。すでに名寄本線は廃止されており、旭川までは785系の「スーパーホワイトアロー」、旭川からバスを使った。Scan10027a


そしてガリンコ号(現在のガリンコ号の、一世代前)に乗ったのだが、風向きで流氷がいなくなってしまい、所々に氷の浮いた海面をちゃぱちゃぱ走っただけになってしまった。このときは2月末だったが、どうも紋別の流氷のピークは1月末で、2月末になると知床の方に行くようだ。その後の入院時(1回目のIFN)にガリンコ号を造った造船会社の人と一緒になったりもしたのだが、流氷自体とは縁はなかった。今回の行き先はこの時期の流氷が多いと思われる網走とし、万全を期した。Scan100341a


網走に行くだけなら、女満別空港がもっとも近い。しかし座席数と、悪天候での欠航のリスクを考え、千歳便とした。再度「オホーツク」で5時間かけていくことになるが、それも良しである。常紋峠を明るいうちに越えるのも、初めてだ。Scan10035a


という計画で、最初は2月11日をひっかけて行くつもりだった。ところがこの時期は札幌の雪祭りに引っかかり、とても切符がとれない。小樽の「雪明かりの路」にも行きたかったのだが、札幌の雪祭りと同じ日程である。結局1週間後にした。雪明かりの路は、次の機会があるかどうかわからないが、この次だ。なお、松山の片運単行回送電車は、旧京王3000系では行わないので、減っているそうである。こちらも次の機会で間に合うか?

オホーツクの指定券は、当然東京でも取れる。ところが時刻表をみていたら、札幌-網走間には往復割引特急券があることに気がついた。発売は札幌近郊だけである。そこで札幌到着後購入することとし、小生としては珍しく、出たとこ勝負で出発することになった。


2011年2月18日(金)

朝から強い雨である。傘を差して駅に向かう。大きい傘を差したいところだが、先のことを考え、折りたたみ傘だ。羽田発10時15分だと、家を出る時はまだラッシュ時である。リュックを身体に前に回し、小さくなって電車に乗る。横浜から京浜急行の快特に乗り、京急蒲田で乗り換える。京急蒲田は2階建てになったが、羽田行きはその両方から出発する。1階に下りようとしたら階段を間違え、出口の方に行ってしまった。まだ工事中なので、乗り換え階段と出口への階段が別になっているのだ。電車はすぐにやってくる。途中に国際線ターミナルができ、国内線ターミナルと名前が変わった羽田空港に到着する。Dscf6292a


千歳に着いたらなるべく早く札幌に移動したいので、荷物は預けたくない。リュックはたぶんぎりぎりOKと思い、そのまま手荷物検査場に行く。がら空きで拍子抜けするが、中身も大きさも問題なくパス。ジーパンのときはベルトのバックルが引っかかるので、ベルトを外さなければいけないのが面倒だ。チケットレスが本当に「レス」になり、手荷物検査場でもカードをかざすだけになった。搭乗控えが出てくるが、その後ろがマクドナルドのコーヒー引換券になっている。4月一杯までのキャンペーンらしい。なおこの搭乗控えの座席表には「1階席」と書いてある。B-747に2階席があるためだが、3月にB-747が引退した後は、どうなるのだろう。出発時刻の30分前には雨も上がり、向こうの山が見えるようになった。丹沢か?ただし北海道は悪天候のようで、旭川行きが「代替え空港の可能性あり」の条件付きで出発した。Dscf6294a


使用機はB-767-300。以前は千歳便はすべて大型機だったが、最近は小型機や中型機も混じるようになった。搭乗率優先に変わったのであろう。搭乗開始、クラスJを取れたので、席はかなり前の方だ。離陸後機内でNHKの朝のニュースを流すが、画面の隅の出でてくる天気予報が、熊本だけだ。「芦北、天草地方」など、熊本ローカルの放送でしか流さない地名が出てくる。どうやらこの機体は昨夜は熊本駐泊で、朝熊本で録画したテープを積み込んだようだ。時刻表を見たら、朝熊本を出て羽田滞在35分で千歳に向かう行程になっている。乗務員は当然羽田で交代するが、機体はかつての581系のような広域運用だ。しかし機内のテレビ放送、未だにアナログで、媒体もおそらくVHSテープである。7月以降はどうするのだろう。

雲は多いが、その雲の上で安定した飛行である。降下を始めて雲を抜けたら海の上で、ちょっとびっくりする。着くのは札幌ではなく千歳だと言うことを、再認識させられる。思っていたよりずっと苫小牧に近い。足を出すのは、苫小牧の上空だ。雪の新千歳空港に着陸した。

(つづく)

2011/02/26

ステロイドと多幸感

2011年2月26日

今日の新聞(朝日)の土曜版に、ステロイドの話が載っていました。その最後の方に、ステロイド剤の効果というか副作用というか、「多幸感」があると書かれていました。全身投与の場合に出てくるそうです。ネットで調べても、副作用のところに書いてありました。このせいでステロイドは競技前の禁止薬物に指定されているそうですが、この「多幸感」小生にとっては思い当たる節が大ありです。

桐沢型ぶどう膜炎で緊急入院したとき(2005年10月)、窓際のベッドに寝てCDを聞きながら点滴を打ち空を眺めているとき、何とも言えない幸福感に包まれていました。小生は今までの生活のストレスで疲れていたのだと思っていましたが、なんのことはない、ステロイドの副作用だったのです。この頃のステロイドの量はリンデロン6mg(プレドニン換算60mg)だったので、効果も副作用も、たっぷり出ていたのでしょう。

ただ片目が失明するかどうかと言うときに不安感は全くなく、前向きに治療に取り組めたので、これはステロイドの副作用ではなく、効果と言って良いのではないでしょうか。

2011/02/20

北海道に行っていました

2011年2月20日

3日間北海道に行っており、ついさっき帰って来ました。Img_1830a


行き先は網走で、オーロラ号に乗って流氷を見てきました。詳細は後日旅行記をまとめます。
なお、向こうから携帯電話で書き込んだのですが、書き込みに失敗したようです。

2011/02/15

雪の朝

2011年2月15日

関東地方は(も)、昨日から雪になりました。ところが、今日は朝から群馬に出張です。普通は群馬の出張で午前中の会議の時には、いつもの会社に行く時間の20分前に出発するのですが、今日は30分前に出発しました。まず駅まで行くのが大変です。ただ車がほとんど走っていないので、足下だけに注意することができました。いつもと違って、歩く人が大勢います。こういう人たちは、日頃は奥様が運転する車で駅まで行っているのでしょう。

電車は定時運転です。ところが新横浜で東海道新幹線に乗り換えると、小田原付近の残雪のため、3分ほど遅れていました。下りの新大阪到着は、15分ほど遅れているそうです。ただいつもより10分早く家を出たので、いつもより1本前の列車です。こだまからも300系はほとんど姿を消し、700系でした。

東京駅に着いてみたら、かなりダイヤが乱れており、すでに出発したはずの列車が止まっています。コーヒーを買う余裕もなく飛び乗ったら、すぐに出発しました。朝方本庄早稲田でポイント故障があり、上越新幹線は20分遅れているそうです。ただ小生にとっては前の列車に乗れたため、いつもより早く工場に着きました。

今日は雪もやみ、9時を過ぎると、晴れてきました。高崎線では山がきれいに見え、絶好の撮影日よりです。今日上りの貨物列車をねらうと、青空と雪山をバックに、コンテナに雪を積んだ姿が撮れるはずです。カメラを持ってきていたら、会議をさぼっていたところでした。これで休日に同じところに出かけると、どよんと曇るから、不思議です。日頃の行いが、問題なのでしょう(^_^;。

2011/02/13

「大人の休日」冬の北陸旅行記(6)

2011年1月24日(月)(つづき)

富山に戻り、キハ58を今度は駅撮りする。ひょっとすると、次にキハ58を見るのは博物館か。Img_17681a

せっかく富山まで来たので、ライトレールを撮りに行く。専用軌道区間まで足を伸ばせばよいのだが、時間がないので、路面の交差点で撮る。自動車をかわそうとすると、なかなかうまくいかない。もう一段階の広角レンズがほしいところだ。Img_17791a


富山駅は地下の自由通路で行き来できるので、南口の方に戻る。食事を取ろうとすると、南側の方が店が多いのだ。昨日と同じところでセントラムを撮ってみると、雪があるのでずいぶん雰囲気が違う。Img_17811a


交通量が多いので、路面には雪は積もらないようだ。富山地鉄本線のホームを覗いたら、モハ14760が2編成止まっていた。こちらもどこかで、走行中の写真を撮りたいものだ。Dscf6267a


「鉄」はこれまでとし、昼食のために駅前ビル6階のパスタ専門店に入る。そこで空いていたので窓際の席を取ったら、なんと市内電車を眺めるのに最高のポジション、信号待ちで停車するので、35mm換算200mmくらいでちょうど形式写真が撮れる。これは「鉄」終了どころではなく、出番の少なかった望遠レンズのお出ましである。撮っていたら、黒いセントラムがいることに気がついた。定点で比較の写真が撮れるので、面白い写真が撮れた。Img_17871a


帰路につくため、富山駅のホームに出る。待っていると419系が来たので、撮る。元は寝台電車の581系で、出入り口が狭くラッシュには使いにくいはずだが、よくいつまでも使っているものだ。隣は413系、いずれも改造車で、北陸線の各停に新車が入るのは、福井以西だけのようだ。なおこの改造車群、この3月で姿を消すかもしれない。定刻より遅れて「はくたか」15号が入線。今日は全車北越急行所属車である。乗ったのは683系の8300番台、3+3+3なので、681系も混じっているかもしれない。Img_17961a


約3分遅れで発車したところで、富山駅で買ってきたキリン淡麗生グリーンラベルで乾杯、結構収穫があった。製造工場を見ると、神戸である。不審に思ってあとで調べたら、なんと北陸工場が昨年8月いっぱいで閉鎖になっていた。栃木工場も閉鎖になり、ずいぶん工場の数を減らしたようだ。Dscf6272a


富山発の3分遅れをほくほく線内で取り返すと思ったら、行き違い列車も遅れており、遅れはどんどん拡大する。今朝の雪はひどく、あちこちで影響が出ているようだ。Dscf6279a


越後湯沢に着いたときは、5分遅れであった。乗り継ぎ時間が8分しかなかったが、さすがに「とき」は乗り換えるまで待っていてくれ、6分遅れて発車した。しかしこちらはトンネルを抜ければ雪のない関東、東京には定時に到着した。

(完)

2011/02/11

「大人の休日」冬の北陸旅行記(5)

2011年1月24日(月)

今日は7:25発の高山線にのる。この時間だと7時からのホテルの朝食には間に合わず、前日に買っておいたサンドイッチを食べて出かける。Img_17271a


富山駅の高山線ホームは1番線で、行き止まりのホームである。そこから大阪方面に向けて出発するのだが、どうも方向感覚がつかめない。キハ120の2連、高山線はすっかり新型の気動車に置き換わってしまった。今日は時々雪が激しく降る。Img_17301a


今日の狙いは、キハ58である。わざわざキハ58を撮りに行く日が来ようとは思っても見なかったが、もう希少価値が出てきている。雪の中あまり奥までは行きたくないので、地図で見て婦中鵜坂に目星を付けていた。ところが田んぼと思っていた婦中鵜坂の周りは住宅と工場で、そのまま一駅先の速星まで行く。Img_17341a


速星の駅の裏にも日産化学の大きな工場があるのだが、横の道路から撮れるだろう。高山線も速星まで貨物列車があり、タンクコンテナを積んだコキ200が止まっている。速星の駅は大きいので、吹雪かれて時はここに逃げ込める。Img_17421a


駅から富山側に少し歩いた道路際で撮ることにする。歩道はすっかり雪に埋まっているので、雪山を踏み固め、足場を作る。やはりこの時期の撮影は、スニーカーでは無理だ。小生の靴はトレッキングシューズというのか耐寒仕様なので、雪山の中に立っていても平気である。まずやってきた「ワイドビューひだ」6号を撮るが、欲を出して途中でカメラを振ったので、フォーカシングの分シャッタータイミングが遅れてしまった。Img_17521a


キハ58と28の2連の849Dが来る。今日は残念ながら高岡色だ。キハ58の運用は平日の朝、富山と越中八尾の間を決まった編成が往復するだけなので、今日はいくら待っていても旧国鉄色が来ることはない。同じ編成が富山から戻ってきた852Dを撮る。高岡色で1100番台だとちょっと目にはキハ48と差がないが、運転席も窓がドアとそろっていてすっきりした感じがする。Img_17581a


最初の計画では次の857Dまで粘るつもりであったが、雪もひどいので、早めに引き上げる。雪よけのために、カメラはケースに収める。駅に向かって歩き出し、何か列車接近の気配がしたので振り返ると、DE10牽引の貨物列車が入って来るとこだった。最近は警笛を鳴らさないので、全くわからなかった。カメラをケースに収めたので、振り向きざまの撮影も間に合わない。柄袋のために防戦が遅れた桜田門外の変と同じだ。最初は富山は日曜日の予定で、速星貨物は日曜運休なので、その存在をすっかり忘れていた。キハ58を撮るためにスケジュールを1日ずらしたのに、そのことを忘れていた。JRF色のDE10にすぐ後ろはタンクコンテナを積んだコキ200、う~~ん、逃がした魚は大きい。Img_17621a


せめて入れ替えでも撮ろうと、激しくなった雪の中を駅の先の踏切まで歩く。カメラが雪まみれになったが、一応撮れた。高岡から出る城端線と氷見線はJR西日本のDE10だが、高山線はJR貨物東新潟機関区所属のDE10である。どちらも同じA寒地装備だが、何か運用の都合でもあるのだろう。ここで富山に引き上げる。

(つづく)

2011/02/06

「大人の休日」冬の北陸旅行記(4)

2011年1月23日(日)(つづき)

高岡に戻り、今度は富山に移動する予定であるが、ちょうど貨物列車を牽引するEF81が止まっていたので、モロ逆行であるが、撮る。Img_16751a


元JR東日本の機らしく、ヘッドマークステイが残っている。後で聞いたところによるとこの135号、かつては「ゆうづる」を引いた機でひさし(つらら切り)も残っており、貨物機ファンは目を輝かせる「レアガマ」だそうだ。DD15も健在であった。Img_1674a


昼食後万葉線で庄川口へ、前回来たときにこの庄川鉄橋で撮ってみようと思っていたのだ。提唱者は雪に弱く、雪が降るとすぐ運休する、という話しを前回来たときに聞いていたが、冬場でも低床車は関係なしに走っている。「朝きちんと除雪をすれば良いんです」という話を、富山の方から聞いた。そういうことであろう。ただ富山ライトレールのように全面低床車にはならず、相変わらず旧型車との混走である。Img_16791a


庄川鉄橋で低床車と、旧型車を撮る。山をバックにするときれいだが逆光、順光だと道路橋のトラスがバックになる。難しいところだ。鉄橋の上で見ると、万葉線LRTは連接車ではなく、単車を2台つないだ連結車であることがよくわかる。Img_17071a


しらさぎ7号で富山へ、雪は上がりほとんど晴れだ。山も見え始める。これが立山まで見えるとなるとそれなりの場所に移動するのだが、さすがにそこまではない。前回富山に来たときには、駅北側の富山ライトレールだけで、南側の富山地鉄の市内線の方には行かなかった。今回はホテルが南側ということもあり、ずっと南側である。この南側の市内線にもLRT(セントラム)が入ったが、この市内線と富山ライトレールを接続する計画もあるようだ。Img_17201a


ホテルに荷物を置き、繁華街へ。LRTの走っている循環線は、途中に単線区間があるようだ。ひょっとするとこの循環線、反時計回りだけで時計回りはないのかもしれない。デパートによって紳士物の手袋を見たが、ピエールカルダンなどのブランドものだけで、5000円から7000円、とても撮影旅行に使えるような代物ではない。Img_17251a


あきらめていたら、夜食を買いに寄ったホテル前の○ーソンに手頃な手袋があった。山形の○ーソンは芋煮の季節には薪を売っているし、全国チェーンの店でも、土地によっていろんなものを扱っているようだ。

富山泊。

(つづく)

2011/02/05

「大人の休日」冬の北陸旅行記(3)

2011年1月23日(日)

朝から雪である。今日から朝が早い。ビジネスホテルの朝食は7時からが多いが、このホテルは6時半からなので、助かる。7時42分発の氷見線で、能町に向かう。Img_1635a


日本製紙の伏木工場が閉鎖になっていわゆる「伏木貨物」はなくなったが、高岡貨物ターミナルが能町から分かれた先にあるので、氷見線の貨物列車自体は残っているのだ。氷見線の列車は、高岡色のキハ47の2連、これに「ハットリ君」色も混じる。Img_16381a


高岡の隣の越中中川は有人だが、能町は無人になった。看板は、JR貨物のものが残っている。能町で高岡貨物ターミナルに向かう貨物線が分かれるので、かつてはポイント操作のために人がいたのであろう。現在はCTCによる遠隔操作か。その能町のポイントの融雪装置には、これは高岡駅構内もそうだが、電熱式ではなく散水式が使われていた。Img_16401a


能町で降り、貨物線沿いに撮影ポイントを探す。細い路地は除雪がされておらず入れないので、雪のあるときには夏場の撮影地ガイドは役に立たない。中越パルプの工場の防風林をバックにした良いポイントがあったが、立ち入り禁止の看板がどうにも邪魔だ。雪山があるので、看板を避けた写角が取れない。仕方なく、踏切で撮ることにする。後でわかったのだが、もう少し先によいポイントがあったようだ。Img_16431a


踏切でDCと貨物列車を撮る。日曜日というのに、コンテナフル積載で、長い。氷見線の貨物列車は、同じDE10でもJR貨物ではなく、JR西日本の所属機だ。旋回窓を付けたA寒地仕様である。撮影を終えて能町に戻って時、手袋の片方、右側が無くなっているときに気がつく。能町に着いて歩いているときには両方あったので、撮影場所で落としたようだ。左手に傘を持ち、カメラのソフトケースを脇にはさみ、右手の手袋だけ外してカメラを操作するので、ポケットに入れたと思ったのが入りきっていなかったようだ。Img_16501a


一応踏切まで戻って確認するが、無い。どうやら最初の中越パルプの横のようだ。そこまで戻る時間はないので、あきらめる。かなりすり切れており、そろそろ新しいのを買おうかと思っていたところなので、まあ良かった。高岡に戻り、10分そこそこの連絡で今度は城端線の二塚へ向かう。Img_16601a


二塚は高岡の隣の駅だが、中越パルプの工場があるので、一駅間だけ貨物列車が走っている。少し待つことになるので、線路をオーバークロスする道路橋の下に「店開き」をする。橋の下も2車線の道路だが除雪ができていないので、車が来る心配はない。Img_1662a


持参の折りたたみ椅子を出し、じっくり待つ。ここで待っていて気がついたのだが、気温の変化に遅れて雪が降り出す。急に冷え込んでくるとしばらくして雪が降り出し、雪が降っているときに暖かくなると、雪がやむ。雪がやむ前に日が差すこともあり、狐の嫁入りと同じ事も起こる。青空が顔を出すこともあり、小さな寒冷前線が次々に通過しているようだ。お目当ての貨物列車も日曜日というのにフル積載、青空がバックになった。こちらもJR西日本のDE10が牽引する。

二塚駅は有人駅で、駅のポイントは駅係員が操作しているようだ。DE10の入れ替えの時は、盛んに無線が飛び込んできていた。

(つづく)

2011/02/02

熊谷駅から、富士山が見えた!

2011年2月2日

月曜日(1月31日)に朝から上越新幹線に乗ったのですが、天気が良く、富士山がずっと見えていました。どこまで見えるかと思ってずっと追っていたら、新幹線の高架が高いこともあって、熊谷駅のホームからも、頭の先っちょですが、見えました。11013101a
荒川の鉄橋を渡ってすぐです。

11013104a
かなり熊谷に近づきました。


11013105a
熊谷到着のアナウンスがあるあたりです。


11013106a
熊谷駅の新幹線ホームからです。


2011/02/01

右目の炎症、治まりました

2011年2月1日

眼科の検診に行ってきました。先日縫った後の糸を取ったので、その確認です。硝子体手術の時には白目に穴を開けますが、小生が立ち読みをした本(医学生の教科書か、参考書)には、3カ所穴を開けると書いてありました。1カ所がドリル(カッター)兼中身の吸い出し、1カ所がオイルなどの注入、もう1カ所が照明です。今日S先生に聞いてみたところ、やはり穴を開けたのは、3カ所とのことでした。鏡で確認したところ、黒目の上側に左右2カ所、炎症を起こしたのは、このうち目尻側です。もう1カ所は手術の時に「白目を縫いますから、上を向いて」といわれたところを見ると、黒目の下でしょう。ことらの跡は、ほとんどわかりません。

診察の結果、目薬は使い切ったところで終了、それからコンタクト復帰、ということになりました。目が少し赤いものの違和感は全くないので、前回糸を取ったところでうまく治まったのでしょう。
さてそのコンタクトですが、ここしばらくはずっと使っていませんでしたが、別に不都合はありません。特に北陸の旅行など、コンタクトの手入れ用品やケースを持って行く必要がないので、気楽でした。小生が何でコンタクトをしているかというと、廃用性斜視の防止です。しばらくコンタクトを付けないでいたら、何となく右目が外側を向く率が高くなったような気もします。

このコンタクトが廃用性防止に効果があるという考えは、S先生は支持派ですが、開業医の眼科の先生は疑問を持っています。コンタクトが効果がないというのではなく、付けていなくても見えていれば廃用性斜視は起こらない、という考えです。そういうこともあって、S先生から、「コンタクトも開業医の先生に見てもらっていますね?」と聞かれたときに、「いえ、コンタクトについてはあんまり。」と答えたところ、3ヶ月後の診察が入りました。コンタクトの影響も見て見たいようです。このコンタクト、F病院推薦のメーカーの東レから、メニコンに変えています。聞かれたら理由をいろいろ答えるつもりです。

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