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2011/01/31

「大人の休日」冬の北陸旅行記(2)

2011年1月22日(土)(つづき)

今日は移動だけのつもりであるが、ちょうど城端線の貨物が来る時間でもあり、降りて踏切のありそうな場所へ向かう。ところがすごい雪、それもみぞれ交じりの雪で、傘を引っ張り出す。小物入れのバッグをリュックにしまい、カメラを出して首にかけるが、移動中はソフトカバーをかけたままにしておく。Img_16231a


駅近くなので道路の除雪はできているが、それでも所々に雪山を乗り越えるところもあり、普通のスニーカーではまず無理である。防寒防水仕様のショートブーツを買ったので、こういう時は平気だ。踏切の横で多少開けた場所があったので、そこで撮ることにする。バックがお墓だが、列車の後ろに隠せば問題ないだろう。行きがけの駄賃に高岡色のキハ47を撮り、貨物列車を待つ。左手で傘を持っての片手撮りになったが、何とか撮れた。Img_16281a


ここでまた駅に戻り、今度はトワイライトを狙う。本当は走行中の写真を撮りたいのだが、こんなに雪が降ると距離が取れないので、駅撮りにする。一応改札で今日が運転日ということを確かめ、上り線のホームで待つ。高岡はホームが長く、対向ホームから停車中の機関車が撮れるのだ。待つことしばしトワイライト到着。機関車がきれいだ。同じEF81でもJR貨物のピンク色は薄汚れているが、トワイライト色のEF81は特急牽引機だけあって、きれいだ。Img_16311a


ここで今日の目的は終了だが、まだ時間も早いので、切符の有効範囲の福井まで「乗り鉄」をやることにする。やってきた「しらさぎ」に乗車、こういう時にフリー切符は便利だ。「しらさぎ」は683系、681系は荷棚の下に照明が付いているがそれが無くなり、代わりに読書灯が付いている。柔らかい、落ち着いた雰囲気にするためだろうか。外観はそっくりなので、乗ってから気がつくという感じである。Dscf6274a


富山-金沢間にはかつての難所の倶利伽羅峠があるが、トンネルになってしまって昔の面影はない。福井に着いたときにはもう暗く、単に乗ってきただけになってしまった。それでも福井まで来るとローカル電車ががらりと変わり、521系が幅をきかせている。福井には私鉄もあり、また今度ゆっくり来よう。681系のサンダーバードでとんぼ返り、高岡でいけすの鯛とにらめっこしながらの夕食となった。
高岡泊。

(つづく)

追伸:今回の大雪被害に遭われた皆様に、お見舞い申し上げます。

2011/01/30

「大人の休日」冬の北陸旅行記(1)

JR東日本の「大人の休日」切符、12,000円で特急も含め乗り放題なのだが、昨年度は4回発売があったのに、本年度は2回になってしまった。このまま行くと来年度は1回、再来年度には廃止になってしまうので、行けるときに行こうとばかりに、本年度は2回とも使うことになった。冬の旅行は体調が良いときでないとできないので、行けるときに行っておこうという気もある。もっとも回数制限はないので同じ期間中に2回行けばよいのだが、さすがにそこまで休みは取れない。時期が一番寒い頃であるが、今回は北陸に行くことにした。狙いは氷見線と城端線の貨物列車である。

冬の北陸に行くとなると、それなりの靴と防寒着は必須である。小生は米沢で2年間過ごしたのでそれなりのものはそろっていたのだが、ショートブーツは履き潰してすでに無く、ダウンのインナーが付いた防寒着を探していたら、カミさんから「あれは鳥の羽が飛び出してきてどうしようもないから、インナーだけゴミに出したじゃない」と言われてしまった。記憶力が減退したのはさておき、買わないとどうしようもない。ともかく、出発前に買いそろえた。後はリュックに最近の撮影旅行用の一式を詰め、できあがりである。


2011年1月22日(土)

今回は珍しく、土曜日出発である。その前に出張が続くので、東京駅が11時過ぎという、遅い出発にした。どうやら山形は大雪のようで、「つばさ」が遅れて「MAXやまびこ」が単独運転をしている。小生は併結区間に乗るときには大抵シートの広い「つばさ」か「こまち」の方を取るのだが、そういう時だったら大変だった。Dscf6249a


「とき」319号は200系G編成である。高崎まではいつも出張で使っているコースなので、滅多に乗らないG編成はありがたい。G編成は山形新幹線の400系と併結できるように改造された編成で、昔米沢に通っていた頃の相手は、ずっとこれだった。その頃はまだ向きが固定のリクライニングシートの車もあったが、その後全編成がアコモ改善の改造を受け、転換リクライニングシートに変わっている。なお東北新幹線では混雑が激しく、併結相手は定員の多いE4系に変わって、。G編成は上越新幹線に転用された。その相手と、久しぶりの対面である。Dscf6251a


弁当を抱えて車内に入る。腰を下ろした印象「狭い!」。200系は窓の位置が高く、窓枠の出っ張りがちょうど肩の辺りに来るので、狭く感じるのだ。車内は、がら空きである。上野を過ぎてもまだがら空きだったが、大宮で大量に乗り込み、大宮出発時ではほぼ定員になった。渋谷や新宿からだと大宮に回った方が早いので、そうなるのであろう。いい加減に上野-大宮間の速度制限を解除してくれないかと思うのだが、騒音源が高いところにある2階建て車両が走っている間は、ダメであろう。Dscf6252a


高崎を出て2つめのトンネルが中山トンネルである。このトンネル内で減速するのは以前乗ったときに気がついていたが、それが建設中の大出水事故のため、コースを変更してトンネルが急カーブでSカーブしているせいだとは知らなかった。そのあたりについては、北川修三著「上越新幹線物語1979」(交通新聞社新書)に詳しい。今回は真剣に観察していたら、Sカーブとなっているのがはっきりわかった。Dscf6260a


中山トンネルを抜けると、雪が積もっている。それでも天気は快晴であるが、越後湯沢に着くとここは雪国、一面の積雪で雪が降り続いている。屋根の雪がすごい。積雪は1mを越しているだろうか。「はくたか」10号に乗り換える。六日町までの上越線や、ほくほく線内の雪もすごい。1mを越す積雪は米沢で見慣れてはいたものの、久しぶりに見るとやっぱるすごいと感じる。隣の席の若い女性もびっくりして、「すごい雪ですね」と声をかけてくる。

直江津に着くと、積雪は多いものの、50cmくらいになる。京葉線色の205系がいたのは、改造前の保留車か。ここから日本海沿いに走って行くと、富山に近づくにつれて雪が少なくなる。そして波も次第に穏やかになっていく。能登半島が西からの季節風を遮っているためだろう。富山湾が「奇跡の海」と言われる一端も、このあたりにあるのかもしれない。とうとう魚津あたりでは、田んぼの雪が消えたところも現れた。高岡で下車する。

(つづく)
写真はすべて、クリックすると大きくなります。

2011/01/29

N響オーチャード定期

2011年1月29日

オーチャードホールに行ってきました。N響オーチャード定期で、目当てはエマニュエル・パユ。前半はパユ+小編成のオーケストラで、1曲は指揮のシェレンベルガーがイングリッシュホルンを吹く「吹き振り」もあります。曲目は、モーツアルトのアンダンテK.315、オネゲルのフルートとコールアングレのための室内協奏曲、ブゾーニのディベルティメント、ここまですべてパユのフルートソロ付きで、メインがベートーベンの英雄です。

オーチャードホールは以前から、音が悪いのが気になっていました。ところがパユのフルートだけでなく、2本しかないコントラバスも良く響きます。ちなみに、席は3階の正面です。パユの息づかいまで聞こえるので、特に名手だから良く響くというわけではなさそうです。ところがオーケストラの中のソロは、完全なソロだと良く聞こえるのですが、オーケストラが鳴っている中のソロだと、とたんに響かなくなります。どうやらオーチャードホールの癖がわかりました。響きがクリアではないのですね。もっともこれは小生の耳にはこう聞こえるのであって、他の方にどう聞こえるかはわかりません。

メインの英雄、オーボエは茂木さん。指揮がシェレンベルガーと言うことで気合いが入ったのか、見事な演奏でした。それと2楽章の終わり、オーボエ2本とホルン2本の和音でピアノで終わるところ(オーボエは茂木さんと池田昭子さん、ホルンは日高さんと2番は不明)、実にきれいでした。オーケストラのフルートのは出番の少ない演奏会でしたが、パユもうまいけど神田さんもうまい、と感じるソロが多々ありました。ファゴットは定年後も引っ張り出された岡崎さん、お疲れ様です、ご同輩。

2011/01/24

北陸から帰ってきました

2011年1月24日Img_1634a


無事、北陸から帰ってきました。雪はすごかったですが、積雪量が多いのは越後湯沢から直江津までで、富山付近は積雪量としてはたいしたことはありません。しかしカメラを構えるとなぜか雪が降ってくる状態で、レンズに雪が付いて、写らなかった写真もあります。写真は高岡駅で撮った、トワイライトエクスプレスです。そのうち旅行記をまとめます。

2011/01/22

北陸に出かけてきます

2011年1月22日

明日、と言うより日付は変わったので今日から、「大人の休日」切符で北陸、富山高岡方面に出かけてきます。太平洋側では気温が上がるそうですが、金沢は一段と雪が多くなるとか。帰りは24日(月)の予定です。では、行ってきます。

2011/01/19

久しぶりのF病院

2011年1月19日

右目の炎症止めに目薬を差していますが、眼科から「この1瓶使ってみて。」と言われて2週間経ちました。しかし、やっぱり糸のあたりの炎症は消えないので、朝から眼科に行ってきました。先生見るなり、「これは抜糸しなきゃダメだけど、こちらでは判断できない。F病院に行きますか。」と早速F病院に電話をし、11時までに着くのだったら今日見てもらえるという、段取りを付けてくれました。そして先生の診断書を持って、即F病院行きです。

F病院は、少し前に近くの別館に移動しています。その別館の総合受付に診察券と診断書を一緒に出したら、「こちら(別館=本当は正式な病院名があります)の診察券はもっていらっしゃらないですか?」と聞かれ、前回は本館の診察券で見てもらった旨話したところ、「では新しい診察券を作りますね。」と新しい診察券を渡されました。前回(2009年11月)は眼科が移動してすぐで、まだ過渡的処置だったようです。

眼科の再来受付機で「予約なし」の診察表を出し、眼科の外来受付へ。「カルテを出しますので、しばらくお待ちください。」とのこと。1年以上来なかったので、カルテが倉庫行きになったようです。しばらく待合室で待ちますが、ここの眼科は相変わらずの名前を呼んでの呼び出しです。目の悪い人が来るところですから、番号表示器のような視覚情報に頼るものは使えないのでしょう。確か呼び出し名に、偽名も使えたはずです。

本館の眼科診察室は、暗いブースにカーテンで仕切られた診察台が並んでいました。従って、隣の様子は丸聞こえでした。ここ別館は、診察室がすべてドアの付いた個室になっています。小生が最初にF病院に来たとき、S先生は序列で5,6番目でした。それがN講師が退職され(個人で開業)、N助手が講師に昇格したものの系列へ転出、A准教授は公立病院の眼科医長に転出で、S先生がY教授の次、ナンバー2になってしまいました。今日の外来は教授不在で、S先生がトップです。

40分ほど待ったところで、視力検査に呼ばれました。このところ右目が炎症続きで、コンタクトを入れていません。コンタクトなしの視力検査は、カルテを見てもらったら2006年以来ということでした。この別館の検査室は昔より明るく、視力表が見やすいです。右目の視力検査は久しぶりで、ましてコンタクトなしの眼鏡だけだと焦点が合わせにくいのですが、それでも0.06見えました。視野の感じも、昔と変わっていないようです。

またしばらく待って、S先生から呼ばれました。お互いに「お久しぶりです。」と挨拶を交わします。右目を見てもらったら、「この糸ですね。取ってしまいましょう。」と処置の準備です。「すみませ~~ん。」と奥に声をかけ、ピンセットを2種類準備します。どうやら切るものとつまむもののようです。痛み止めの目薬を差し、「はい左を向いてください。そうそう。」と2つのピンセットを使って、糸の端の方を切り取りました。小生の目は薬が効くのが遅く、少し痛かったですが、特に「目を動かさないで。」と言われることもなく、診察台で処置が終わりました。白目に潜り込んでいる部分は取れなかったのですが、逆に潜り込んでいたら炎症の原因にはならないだろうという判断です。これで処置は終了、洗髪制限など確認したところ、特にないとのこと。旅行には影響ありません。1日4回の目薬と1日1回の眼軟膏を付け、2週間後に確認のためにもう1回行くことになります。

今回は散瞳はしませんでしたが、左右とも中の炎症の傾向はないそうで、左はやはりただの結膜炎でした。もうすっかり治っています。右目も特に問題なく、この糸の処置が終わればまたしばらくF病院にはご無沙汰です。
処置の後に軟膏を付けるため、処置室に呼ばれました。「あらあ、久しぶり!」昔なじみの、外来の師長さんでした。「こんなにカルテは厚いけど、もう半年に1回しか見なくて良いの。良かったわねえ。」と言われ、軟膏を付けてもらい、「流れることがあるから、これ持って行って。」と小さな脱脂綿を渡されました。

F病院を出たのは12時過ぎていましたが、今日はビッグサイトに直行なので、時間は比較的自由です。ビッグサイトで「アンケートに答えたら抽選で賞品が当たります!」というのに応募したら、4GBのUSBメモリーが当たりました。こいつぁ春から、縁起が良いわい。まさか今年の運を1月で使い果たす、なんてことはないでしょう。

2011/01/16

王さんと会った!

2011年1月16日

某日、都内某所の某新年会に出席しました。今年はいつになく開会時間が遅れないように気にしているなと思っていたら、開会の挨拶の後、「本日のスペシャルゲスト、ソフトバンクホークスの王貞治会長です!」との紹介とともに、王さんが入場してきました。それこそみんな、「うそー」「生王さんだ!」「何でこんなところに?」という状態です。簡単なスピーチがありましたが、その後はみんな並んで記念撮影したり、握手をしたり、いい歳をしたオッサンたちが皆ミーハーになっています。小生はカメラをいつも持ち歩いていますが、今日はカバンごとクロークに預けてあり、今の間に合いません。記念撮影が一段落したあたりで、同期のやつの、「南海さんまだ?一緒に行こうよ。」という声で、王さんを間に挟んで3人で記念撮影をしました。その後王さんに「城島が取れなかったのが、残念でしたね。」と声をかけたところ王さんが乗って来て、「いやあれはね。うちの球団としても非常に反省すべき点で、、、」と阪神とソフトバンクのフロントの熱心さの差など、しばらく王さんの話を聞くことができました。別れ際に「私は本籍が福岡なので、いつも気にして応援しています。」と言ったら、あの大きな目を丸くして、「えっ、そうなの。」とびっくりし、うれしそうでした。その間二人だけで話していた形になり、席、といっても立食なので知り合いがたまっているあたりに戻ったら、「南海、おまえ何二人で話していたんだよ!」と袋だたきになりそうになりました(^^)v。

王さんの印象、まず思ったより小柄です。スポーツ選手、特にプロ野球の選手が一般の人の間に入ると、ひときわ大きさが目立ちます。ところが王さんは周りの人と同じくらい、小生と並んで話したときも、どちらが背丈が高いかわからないくらいでした。握手したときの手も、肉厚とは感じたものの、普通の人と同じです。この身体であの大記録を打ち立てたのですから、いかにものすごい努力をしていたかです。
目の力は、戻っていました。記念撮影に応じるときは柔和な顔ですが、野球のことになると目に力がこもり、熱く語り始めます。「熱い男」といえば最近は松岡修造氏が有名ですが、王さんも熱いです。

何でこんな新年会に王さんがスペシャルゲストで現れたかというと、王さんが提唱してて始まった世界少年野球大会を応援している方の縁だそうです。その方のおかげで、良い思いをさせてもらいました。

家に帰ってカミさんにこの話をしたら、「うそー、あなたの作り話じゃないでしょうね。」と未だに半信半疑です。ちなみにカミさんは東京生まれで、早実時代からの王選手のファンです。記念写真を撮った人間はわかっているので、何とかして写真を入手しなければなりません。

2011/01/14

著効後5年、昔だったら観察期間終了

2011年1月14日

半年に1回の、肝臓の検診に行ってきました。2006年の3月に著効になっていますので、著効後ほぼ5年経ったわけです。担当のY先生は産休中(第2子!)。代わったS先生も女医さんですが、Y先生より少しのんびりした感じです。と思ったら、のんびりしていたのは先生ではなく、コンピュータの方でした。T病院の分院は今年から電子カルテに変わったのですが、変わったことによるトラフィックの増大にネットワークかサーバー(あるいは、その両方)がついて行けず、端末の動作がものすごく遅いのです。入力画面を開くのに、30秒くらいかかりました。

最近はWindowsの思想に毒されていて、「不具合は出るのが当然、出たところで対処すればいい」という考え方がのさばっていますね。昔は切り替え時に操作性が落ちないよう、万全の準備をしたものですが。こんな調子だから、日本の競争力はどんどん無くなっていくのです。システムを組んだNで始まる大会社さん、しっかりしてください。

電子カルテは、聞いたところあの部長先生も、おそらく義務で、使っているそうです。昔はカルテに大きな字で、それこそ書き殴っていた部長先生、どうやってこの電子カルテに入力しているのか、ちょっと見てみたい気もします。
この電子カルテ、名前の横にアバターがありました。性別と年齢で、イメージの像が出てくるのだとか。顔写真の入力は、無いそうです(笑)。

さて肝心の結果ですが、HCV RNA定量、検出せず。GOT=25、GPT=23。著効後5年、検出せずで経ちました。昔だったらこれで無罪放免、半年に1回の検査もなくなったのですが、最近は観察期間が著効後10年になったので、観察はまだ続きます。なお65歳を超えたら(前期高齢者!)病歴に関係なく全員要観察ですので、小生は一生「要観察」が続きます。

今回、久しぶりにB型肝炎の検査も入りました。小生は元々B、Cの複合感染で、1985年の検査でB型肝炎が判明したときに、すでにHBe抗体はできていました。その後1993年の1回目のIFNでHBs抗原が消えたので、そのままずっと放っていたものです。今回はHBs抗体もできていました。こうなると、歩くB型肝炎ワクチン(笑)です。IFNはB型肝炎にはあまり効かないそうですが、小生には良く効きました。

これだけなら万々歳なのですが、超音波検査結果で肝臓は問題なかったものの、胆嚢の壁が厚くなっているそうで、「要再検査、3ヶ月以内を推奨」と赤字で書いてありました。心電図は英語でしたが、超音波検査は判読医が入力するので、日本語ですね。それはともかく、たいしたことはないとは言うものの、4月にまた超音波検査を受けることにしました。また、朝飯抜きです(;_;)。

2011/01/10

鉄の話題2つ

2011年1月10日

先週の木曜日(6日)が、今年初めての出張でした。帰りの時間に「安中貨物」とすれ違うのですが、珍しく、と言うよりたまたま、EF81が牽引していました。この安中貨物は東邦亜鉛の工場間連絡列車で、福島県のいわき市から信越線の安中まで(その逆も)走るのですが、交直流機のEF81が高崎線をそのまま走る列車としてファンには知られています。JR貨物は首都圏にはEF81を配置しておらず、JR東日本の特急牽引機が引いています。そのためもうEF510に変わっているのですが、当日はたまたまEF510の故障か何かで、EF81が代走したものと思われます。

このEF81、九州では鹿児島まで入線したと言うことが、最近話題になっています。東北本線や羽越本線は電化の時に一緒に軌道強化を行い、軸重16.8tのED75やEF81が入線できるようになりました。ところが九州では電化の時に軌道強化を行ったのは長崎本線と日豊本線の大分以北だけで(鹿児島本線の八代以北は、電化前から軌道強化がされていました)、そのほかの先駆は軌道強化がなされず、軽軸重のED76が使われてきました。ところがここへ来て鹿児島までのEF81の入線、それも現在は第三セクターとなった肥薩おれんじ鉄道を経由してです。

調べてみたら、1990年3月のダイヤ改正で熊本以南の大幅スピードアップが行われていますので、その前に(一説には1988年)八代以南の軌道強化を行い、結果として軸重16.8tのEF81が入線できるようになっていたものと思われます。1990年というとED75 300番台はもう廃車になっていますから、目立たなかったわけですね。なお九州のED76はかなり老朽化が進んでいるはずですが、代替えのB-2-B機は造らず、日豊線の大分-南延岡間を軌道強化し、EF81やEF510が九州全域を走り始めるかもしれません。

鉄の話題をもう一つ。横浜線の205系は順次シングルアームパンタに取り替えられてきていましたが、この出張の時に旧大井工場で最後のH5編成がシングルアームパンタに取り替えられたのを確認しました。これで横浜線の205系は、全編成がシングルアームパンタになりました。

2011/01/09

今年最初の通院。まず眼科から

2011年1月9日

昨日、眼科に行ってきました。左目は昨年暮れにぶどう膜炎ではなく普通の結膜炎だという診断をもらっていましたが、右目の炎症、それも目の上の方で先日割れたコンタクトが残っていたあたりの炎症が消えないため、見てもらうためです。

結果はなんと、ここは以前の手術の時に縫った場所で、そこの糸に雑菌が付いて、炎症を起こしているのだそうです。この縫った後の糸、2007年に網走に旅行に行ったときにも飛び出してきて炎症を起こし、3年半ぶりの復活(?)です。開業医の先生によると、糸を残しているとこういうことがあるので、最近はあまり縫わなくなったそうです。以前手術の後を縫わずに接着剤で止めるのが流行った時期がありますが、それに使う接着剤が血液由来の材料で造られていたため、C型肝炎などの感染症を起こして、使われなくなっていました。また縫わなくなったということは、新しい接着剤が造られたのでしょうか?

とりあえず、今まで通りのクラビットとフルメトロンが出ました。先生「とりあえず1本使ってみて」と言っていましたので、約2週間様子を見ることになります。これで炎症が引かないようだと、F病院に出戻りで、抜糸です。

2011/01/05

原町田七福神

2011年1月5日11010401a


皆様にも御利益がありますように。
今年はすごくローカルな場所でした。

2011/01/02

ホームページの治療記に、注釈を入れました

2011年1月2日

皆様、本年もよろしくお願いします。
いつもは返事書きに追われているのですが、今年は年賀状がなかったので、暇です。

昨年暮れに左目に炎症を起こし、心配だったので過去の桐沢型ぶどう膜炎の治療記を読み直してみました。それから見ても今回は桐沢型ではないと思えますが、小生の治療記はノートに付けていた日記を元にリアルタイムで書いているため、そのときにどう思っていたかはよくわかりますが、5年後の今見てみると???という表現も多々あります。桐沢型ぶどう膜炎に関しては参考記事が少なく、この治療記を参考にされている肩もいらっしゃると思います。この記事には「よい子はまねをしてはいけません」という内容もあるのですが、せっかくのリアルタイムの記事も修正はしたくないので、少し注釈を入れることにしました。往復のリンクを張ってありますので、注釈に飛び、また戻ることが可能です。

その数少ない桐沢型ぶどう膜炎の記事ですが、今回初めて小生以外の闘病記を発見しました。総領の甚六さんの記事です。4年後に反対側の目にも出現したとか。ただブログを書いていらっしゃるので、それだけの視力はあるということでしょう。何よりです。

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