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2010/09/30

怒濤の一週間

9月23日(木)
秋分の日で休日。今日は朝、と言ってもお昼前だが、先日(18日)の法事のお礼状をまとめ、写真を付けて発送する予定でお礼状を書いていた。そこへ義母の家からの電話が鳴った。出たら義兄である。
「あ、南海君?朝起きたら母さんが息していないけど、どうしたらいい?」
青天の霹靂とはこのことである。聞けばもう冷たくなっているとのこと。これは119番より110番だと思い、110番して指示を仰ぐように言い、カミさんが買い物から帰ってくるのを待って、義母の家に行った。家に着いたら、遺体はもう検屍のために運び出された後。義兄の説明は要領を得ないので、管理人さんのところに行ったり、交番に行ったり、葬儀屋さんに電話をしたりで、わかったことは司法解剖はなし、検屍が終わって遺体が帰って来たら連絡をくれると言うことだった。この頃には、連絡先は小生の携帯になっていた。外は雨と言うより嵐、かなり濡れた。

要領を得ない義兄に確認してわかったことは、義母は前々日(21日)まで買い物に行っていたこと。昨日は具合が悪くて外出しなかったこと。昨夜は苦しそうだったので救急車を呼ぼうかと言ったところ、いらないと断ったこと。そして今日はもう冷たくなっていたので、まさにあっという間だった。

遺体が帰って来たとの連絡を受け、義兄とカミさんと3人で葬儀屋さんまで行く。葬儀屋さんには温度管理のできる安置室があるので、葬儀までそちらで預かってもらうことにしたのだ。そこで葬儀の段取りの打ち合わせ。カミさんの実家は曹洞宗で、これは作法がいろいろ面倒らしい。団子にご飯、果物などをお通夜の時までに用意するよう指示を受ける。その点、小生の実家の浄土真宗は楽だ。この頃、元々KYだった義兄の言動が、超KYと言うか、痴呆症を疑われるようなレベルになっていることに気がつく。喪主は義兄、これはちょっと面倒なことになった。なお26日が友引のため、お通夜が27日(月)、告別式が28日(火)になった。義母は享年92歳、死因は心不全だった。


9月24日(金)
お通夜が27日になったため、会社に行く。忌引き届けを出すが、会社からの生花は妻の親なので来ないことがわかる。社長名の弔電は来るので、部長と同じグループに弔電を頼む。社長だけでは、少しみすぼらしい。同じ頃ドラ息子も生花が出る、出ないでもめていたらしい。


9月25日(土)
休日が間に挟まったので、土曜なのに出勤日。最初は仕事をするつもりだったが、どうも葬儀屋さんと義兄との間では話が進まないようで、忌引きにして早退する。忌引きが3日とれるので、助かった。
葬儀用の写真は最近のものである必要はなく、参列者が持っているイメージに近いものが良いとのこと。小生が結婚したての頃の写真に良いものがあり、それを使うことにする。小生の一眼レフで撮った写真でピントもしっかり合っており、それを覆うタイプのアルバムに貼っていたため、36年前の写真とは思えないくらいに色もしっかりしている。集合写真で小生もカミさんも一緒に写っているが、葬儀屋の担当者から「この子供はどなたですか?」と言われてカミさんがむくれる。24歳か25歳の頃、年よりも若く(幼く)見えていたのは確かだが。

二人ともこういうことが起こるとは考えていないので、コンサート(別々)の予定を入れていた。そちらはしっかり実行する。小生は千住真理子さん、デュランティがよく鳴っていた。


9月26日(日)
今日もコンサートの予定であったが、小生はパスし、23日にやりかけだったお礼状を仕上げ、写真と一緒に送る。小生はやりかけのことがあるとストレスになるので、コンサートよりもそちらを取った。バボラクさん(ホルン)はまた機会もあるだろう。カミさんはコンサートに出かけたが、日中は団子作りの練習と、義兄の尻ぬぐいのお詫びの電話に追われていた。


9月27日(月)
小生は朝から心臓の検診。こういうことがあっても、異常なし。「手術はまだまだ先ですね」と言われる。最近疲れ目がひどいので。帰りに眼科によって、見てもらう。こちらも異常なし。白内、緑内も出ていないようだ。
呼び出したドラ息子を荷物持ちにし、かなり早めに出かける。義兄の服装チェックをするのだ。昨日カミさんが電話で指示を出して白ワイシャツや黒靴下を買わせたが、ベルトが茶色、傘がチェックだったので、近くのスーパーに買いに走る。こういうこともあろうかとカッターナイフは持ってきていたので、サイズ調整はすぐできる。

4人でお通夜/告別式の場所へ行く。お通夜の出席者はこの4人だけ、今日は気楽だ。フォルテからピアノへの変化がある木魚は、初めて聞いた。


9月28日(火)
小生は親の葬式は20歳の時の母親から始まり、義父、父、養母(正確には違うが)と、今回の義母が5人目である。さすがに段取りはすっかりわかっているが、会場あるいは葬儀屋さんによって微妙に違う。告別式の出席者は親戚だけであるが、前回会ったのは義父の葬式の時なので30年前、誰が誰やらわからず、それぞれ名乗りあう。義父側は新潟の出身で無口だが、義母側は伊豆の出身で明るい。
出棺後火葬場に移動し、火葬が終わるまで食事を取ってもらう。ここで義兄が行方不明になるが、会場から巻きが入ってきたので、さっさと食事にする。親戚の中に大学のクラブの先輩がいるため、変に盛り上がる。義兄が戻ってきた。全館禁煙なので、たばこの吸える場所を探していたのだろう。
やがて火葬が終わり、骨を拾って終了。4人でタクシーで帰るが、義兄が骨壺をトランクに入れようとするのをたしなめる。

義母の家について、ともかく香典の整理をする。ドラ息子にリストを作らせるが、カミさんも全く知らない名前があった。


9月29日(水)
今日から3日間の群馬出張。朝、バッテリーの寿命の尽きかけていた腕時計(ソーラー電波時計)が、機能を停止していることに気がつく。まるでおじいさんの古時計だが、この時計と義母は、全く関係はない。途中で時計屋に寄るつもりでまず横浜に出社するが、会議時間が変更になっていて、急遽「日帰り+泊まり」の予定を「泊まり+日帰り」に変更する。そのため弔電のお礼を言った後、家にとんぼ返りで泊まりの支度をする。そして時計屋で新しい腕時計を買い、無事いつも出張に使っている時間の湘南新宿ラインに間に合った。
ところが義兄が葬儀屋さんと何かあったらしく、携帯に電話が入る。ばたばたと連絡し、結果的に後始末をカミさんに押しつけ、何とかなる。「修羅場の南海」もさすがに疲れ、早寝。


9月30日(木)
午前中の会議が終わったらさっさと帰り、急ぎの支払いをインターネットバンキングで済ませる。まだまだ、先は長い。


これからの予定
1日:出張、朝が早い
2日:休日、高校の同窓会
3日:山形で芋煮会

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コメント

ご愁傷様でした。
そしてお疲れ様でした。

お義母さまのご冥福をお祈りします。
たいへんな1週間でしたね。

meeさん、ありがとうございます。
まだまだ怒濤が続いています(;_;)。

ひでほさん、ありがとうございます。
一つの山場が49日なのですが、それまでに諸手続が待っています。

お義母様のこと、心よりお悔やみ申し上げます。
四十九日までは時間も短く大変ですし、まずは百箇日まで、そして一周忌までは周りの方のご体調にもくれぐれもお気をつけくださいませ。
レスのお気遣いなくお願いします。

miyaさん、ありがとうございます。
小生の方は一段落ですが、カミさんの方は兄貴に理解させるのに大汗をかいているようです。小生は同窓会から山形の芋煮会としっかり言ってきて、今日は胃カメラも済ませました。すごくきれいで、「胃は若い」と先生から言われました。
これから49日の日程調整です。

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