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2010/08/29

データの引っ越し終了

2010年8月29日

新しいパソコンは昨日基本的なセッティングを終え、今日からデータの引っ越しにかかりました。今光ファイバー接続がハブを経由しており、そのハブには空きポートがあるので全体がLANになっており、パソコン同士の接続は簡単にいくと思っていました。ところが、両方のパソコンからインターネットには簡単に接続できるのですが、接続できません。新しい7の方からは古いXPのパソコンは見えるものの、接続はできません。どうもXPと7ではお互いに独自の(排他的な)ネットワークを作ってしまい、接続するにはきちんとLANを構築しないとできないようです。それをやっても良かったのですがこれは結構時間を食いそうで、外付けHDDが7対応でしかも余裕があるので、これを介して引っ越すことにしました。

さてHDDにデータを入れて電源を外し、新しいパソコンに繋ぐと早速デバイスドライバを構築始めます。ところが「インストールに失敗しました」です。一旦デバイスドライバを削除し、付属のCDを入れてそちらのドライバを見るようにしてもダメ、こういう時に7は手動でデバイスドライバが選択できないので、不便です。

そこでHDDのマニュアルを読み、その通りに、電源を接続した後アクセスランプが消えるのを待ってUSBを接続したら、今度はすんなり繋がりました。ちょっとしたタイミングの違いで接続できないようです。一度繋がれば、後は簡単です。所要時間3時間と出ましたが、1時間ちょっとで終わりました。

ものは試しで、リナザウのパソコン連携ソフトをインストールしてみました。メーカーサイトにはVISTA以降は対応しないと書いてあったのですが、すんなりインストールできました。ところが今度はザウルスと接続した後、OUTLOOKと連携できません。OUTLOOK2007まではできるようなのですが、2010になるとダメなようです。このあたり本当にダメなのかどこかいじればいいのか、つづきは来週(今週の週末)です。まず場所の入替から始めます。

2010/08/28

只今セッティング中

2010年8月28日

今朝、と言っても11時半ですが、パソコンが到着し、早速セッティングを開始しました。とりあえずプリインストールの状態の初期セッティングが終わったところでWindows7をProにグレードアップし、そこで一旦休止、リカバリディスクの製作に入りました。Windows7はリカバリ用のディスクイメージはハードディスクの別のパーティションに作れますが、それだけだとハードディスクのドライブ系がいかれたときにリカバリができないので、別にDVDディスクを作りました。今使っているパソコン(XP)には標準装備で付いてきたのですが、最近は付かなくなったようです。なおこのリカバリディスク、別売で売ってはいるのですが、小生はWindows7をProにした状態でリカバリイメージを作ったため、完全に特別製になります。

このリカバリディスク、DVDディスク(普通のDVD-R)5枚程度と考えて予備も含めて10枚買ったところ、何と10枚フルに必要でした。危ないところでした。なおCDトレイの開放スイッチがトレイのところではなくディスプレイ正面の下になっていたため、探すのにずいぶんまごつきました。

Windows7に対応していないソフトのうち、どこまでXPモードで対応するか考えたのですが、ホームページビルダーだけは現在のが11で相当古いので、新しいのを買うことにしました。11はWindows7に対応しておらずバージョンアップ版が使えるかどうか不安だったのですが、手持ち旧品の確認はシリアル番号を入力するだけで良いそうで、助かりました。なおこれがMSの品物だと、別のパソコンにインストールすることをバージョンアップとは認めず、フルスペック品が必要なようです。

データの引っ越しは、明日です。一時的に家庭内乱になったので、認識さえできれば手間は大してかかりません。

2010/08/27

パソコンは結局買い換えに

2010年8月27日

色々考えたと言うより、思い立ったが吉日とばかりに、パソコンを買い換える手配をしました。機種は結局富士通で、富士通直販のWEB MARTです。思い立ったというか背中を押されたのは、WEB MARTだと多少カスタマイズができたことです。今の富士通のデスクトップパソコンはタッチパネルと3Dが売りなのですが、小生はどちらも嫌いと来ています。もっとも、3Dは見たくても見えませんが。
そこでベースに20インチの普通のディスプレイが付いた一番安い機種を選び、それのCPUをi5-450M(2.4GHz)に、ハードディスクを1Tにし、地デジをつけてブルーレイにしました。OSはWindows7の32ビットですが、64ビットに変更可のもの。MS-OFFICEはどうしようかと考えたのですが、追加2万円で入るので、2010のプリインストールにしました。OFFICE2007でも2万円ではなかなか手に入りません。なお8月25日までの注文は18%引きというキャンペーンをやっており、これに見事に乗せられました(^_^;。

色々調べて分かったことが、Windows7のProだったらXPモードが使えるようなのです。昔PC-98で使えたダブルブートのようなやり方らしいのですが、どうしてもXPでしか動かないものは、これがつかえます。プリインストールはWindows7のHomePremiumなのですが、MSのサイトで1万1千円でProにグレードアップできるようです。小生が今使っているソフトの中にはWindoes95時代から使っているものもあり(XPで良く動いたものだ)、リナザウのPC連携ソフトも含め、XPモードの出番がありそうです。

注文して一週間以上かかると思ってタカをくくっていたら、明日届けという連絡が入りました。外付けハードディスクはそのまま使えることを確認していますが、後はどうやって引っ越そうか、まだ範囲と方法を検討していません。実はデータだけのはずなのにバックアップをとろうとするとパソコンがシャットダウンしてしまうという不思議な領域があり、そこの解析もまだやっていません。そこはホームページの原稿ファイルなので、引っ越せないとちょっと面倒なことになります。明日届いて内容確認したら、しばらく置いておくことになるかも知れません。

2010/08/21

パソコンを買い損ねた

2010年8月21日

プリンタ用紙を買うついでに、久しぶりにパソコン売り場を見てきました。ヨ○バシカメラです。小生は今パソコンの半分はテレビ/ビデオとして使っているのですが、まだアナログチューナーなので、来年の7月までには買い換えようと思って、来年の冬モデルあたりを狙っていました。店頭には今年の夏モデルが並んでいて、今年の春モデルと変わりはないなと思いつつ、カタログだけもらってうちでよく見たら、大変わりでした。

まず第一候補だった富士通のデスクトップ機は、ディスプレイが20インチから23インチに大型化していました。小生が今パソコンを置いている机は子供の学習机で、高さがあまり取れません。上の台(本立て相当)を取っ払うと高さ制限はなくなるのですが、今度はプリンタが置けなくなります。今までの20インチはぎりぎり入る寸法だったのですが、23インチになると、もうダメです。

第二候補のNECは、Windows-7が64ビットに変わり、しかもOFFICEがすべて2010に変わっていました。小生の今のパソコンのOFFICEは2002で、会社のOFFICEは2003です。2007にするのにも抵抗があったのですが、2010は変わりすぎです。また小生は外付けハードディスクの中に写真などを保存していますが、今はWindows-XPなので、32ビットならそのまま付け替えができますが、64ビットになるとそのまま接続するとフォーマットされてしまうので、本体を介して移動させねばなりません。幸い光ファイバの端末がLANポートになっているので、本体通しの接続は簡単です。

こんなことなら春に買っておけば良かったのですが、後の祭り。とは言うものの、旧モデル品がないかとネットで探してみたら、結構あります。しかも5万円ほど安いです。ただほとんどのところが聞いたことの無いような通販専門ショップで、どこまで信用して良いのか、ちょっと不安があります。しかも支払はほとんどが代引きで、これを頼むとすると、カミさんの了解を取らなければなりません。

危険を冒してネット通販にするか、64ビットのOFFICE2010にして購入後手間をかけるか、悩んでいます。

2010/08/17

猛暑

2010年8月17日

猛暑の中、今日から会社が始まりました。まだまだ電車は空いているのは楽ですが、夏休みモードの家族連れが通勤時間帯にいたりして、人の流れは悪いです。そんな中で会社に着いたら、冷房が入りません。原因は、小生のいるフロアのみガスヒートポンプで、夏休みでガスの元栓が閉まっていたという落ちなのですが、管理課の担当者が出勤してヒートポンプを起動するまで、部屋の中は35℃でした。席に座っていても腕から汗が噴き出し、流れる状態です。書類に汗が付かないよう、不要の紙をあちこちから持ってきて汗よけにしていました。小生はどちらかというと暑さに強い方ですが、32℃を超えると暑いです。まして35℃になると、本当に暑いです。

そこで思い出したのが、高校時代の夏期講習。あの暑い熊本で夏休みに学校に出てきてやるのですから、その暑いこと!確かノートに汗が流れないよう、タオルを置いていた記憶があります。それでも先生達に言わせると、「黒板の前は窓が無く風が通らないので、もっと暑いんだ。」確かにそうです。ご苦労様でした。

この話を部長にしたら、夏休み前に室蘭工大の先生に会ったとき、北海道の国立大学には「冷房をつけてはいけない」という規則がある、と聞いたと言っていました。国立や公立の学校は地域で線引きをしますので、あり得る話です。しかし室蘭はともかく、旭川は夏はいつも30℃を超えますから、大変でしょう。

同じ規則で、九州の公立学校には、暖房がありませんでした。最終確認は20年ほど前ですから、今はどうなっているかは分かりません。ただこういうことはなかなか変わりませんから、今もそうだと思います。熊本の最低気温は、東京より低いにもかかわらず、です。

もうしばらく暑いそうです。皆様、ご自愛ください。

追伸:
先日書いた「歸國」をキーワードにして、このブログを訪問される方がかなりいらっしゃるようです。夜通しディスコで騒ぐ若者達や渋谷をうろうろする若者達を、戦後の間違った方向の象徴と捉える向きがいらっしゃるですが(「歸國」もそういう流れでした)、私はそれは問題なく、若者が銃を担いで行進するような世の中よりよっぽど良いと思っているということも書きたかったのですが、そこははしょってしまいました。そのために「歸國」の話からものづくりへの話のつなぎが変なのですが、ここはもう訂正しません。一段落抜けていますが、適当に補ってください。

2010/08/16

科学技術館のヒューマノイドロボット

2010年8月16日

前回の記事と順序が逆転しますが、夏休みに入ったこともあって、科学技術館に行ってきました。招待券をもらったからでもあります。全体的に展示は子供向けになっていますが、偶然にヒューマノイドロボットのデモに出くわしました。

産業用も含んだロボットに関しては日本は世界の最先進国で、特に人間型のヒューマノイドロボットについては、他の国での開発の話をあまり聞きません。やはり宗教的な理由(キリスト教国は、人間に似て異なるものを、嫌うようです)と、小説を書いたアイザック・アシモフと、漫画で具体的なイメージを提示した手塚治虫との差が大きいようです。10081308a


今回展示されていたHRP-4Cは、動力機構を人間のプロポーションに収めることを重点に開発されたロボットで、身長158cmでプロポーションも人間並みです。重量(体重?)は43kgで、かなり軽量化されています。電気学会雑誌にも紹介記事がありましたが、昨年は桂由美さんのブライダルショーでウエディングドレスを着てモデルを務めたそうです。なおこの時は練習中(つまり、動作プログラムの開発中)は、裾を踏んでひっくり返ったり、大変だったようです。

現在のヒューマノイドロボットで気になるのが、膝です。直立してバランスを取るために、どうしても膝がやや曲がってしまっています。人間が膝を伸ばしたときは腰と背骨でバランスを取っていますが、CPUなど心臓部を内蔵した胸部腹部に柔軟性を持たせることは難しく、また腰に左右のバランスを取るイコライザ機能に、さらにひねりも加えた人間の自由度を持たせることは、まだ難しいのでしょう。なおこのHPR-4Cは全体で42軸で、そのうち顔が8軸だそうです。10081309a


小生は産業用ロボットのティーチング免許を持っていますが、軸数が増えるほどプログラムを記述するプログラム言語が重要になって来ることを感じます。ヒューマノイドロボット用の統一言語ができるのは、まだまだ先のようですが。

2010/08/15

「歸國」と戦後65年

2010年8月15日

TBS系で放映された倉本聰作「歸國」を見ました。ドラマとしては最初からあまり期待していなかったものの、戦後の日本に対して倉本氏がどこが違っていると言いたかったのかが、気になったからです。ドラマの作りとしては、65年前の人がやたら現代風の台詞をしゃべっていたり、現代のきれいさに関して何も反応を示さないなど、おかしいところは多々あるのですが、そこはテレビドラマだからとパスします。

死にに行く命令を出し、自分は戦後を生き延びた人への無批判、同じ船で死んでも軍人は「戦死」、民間人は「事故死」(死んだ後も、「英霊」と「亡霊」と差別されます)という矛盾には目をつぶっていることなど、だんだん違和感が募ってきます。決定的なところはドラマの山場、帰って来た英霊(ビートたけし)が人工呼吸器に繋がれて生かされていた自分の妹が死んだときにその息子(自分の甥=石坂浩二)を殺し、最後にその妹が兄(ビートたけし)に「お兄ちゃん、ありがと」とお礼を言うところです。いくら自分の葬儀の準備を他人まかせにしたからと言って、自分の息子を殺されて喜ぶ母親がいるでしょうか。まして息子は国の第一線でバリバリ働き、妻も子もいて、曲がりなりにも幸せに暮らしている状態です。ドラマの作りにものすごく無理を感じ、結局倉本氏が何を言いたいのか、全く見えなくなってしまいました。

カミさんにこの話をしたら、「倉本さんはいつもそうなの。だから私は倉本さんのドラマは見ないの。」カミさんが正解でした。

さて戦後65年、現在の日本の状態が「何かが間違っているのではないか」、という意見に関しては、同意します。しかしこれはかわぐちかいじ氏の「ジパング」のような戦後の全面否定ではありません。また本日付の朝日新聞社説の「「昭和システム」との決別」も、今持ち出すのは危険と思います。

戦後65年を大雑把に3分割したとき、最初の20年(昭和40年まで)はうまくいっていました。次の20年(昭和60年まで)は問題点が色々吹き出してきましたが、これも何とかなってきました。いやここでの対応が間違っていたのかも知れません。おかしくなったのは最後の20年、つまり平成になってからです。
高度成長期、日本のものづくりは顧客の要望をこまめに聞き、その製品を安く作る生産技術によって、成功しました。ところが一度成功した後、事務所にいて数字ばかりを見ている連中が、もっと儲けることを考え出しました。それまでの「良い製品をお客様に届けよう」が「もっと儲けよう」に変わってしまったわけです。顧客の要望をこまめに聞くことは「非効率」と言って否定され、現場の生産技術者は「システムが完成したから不要」と切り捨てられました。そういう状態では、仕事をやっていても楽しくないですね。その結果一時的には効率が上がって利益が出るようになりましたが、やがてじり貧になったのはご存じの通りです。猛練習や猛稽古で地位をつかんだプロ野球選手や横綱が、その後練習や稽古がおろそかになって鳴かず飛ばずになる状態と同じですね。なお日本で不良資産としてリストラの対象になった生産技術者は、中国や韓国で「先生」「老師」として三顧の礼で迎えられ、かの国の経済発展に貢献しています。

今の日本の状態は、何か一つうまくいくだけで全体が一気に良くなる可能性をまだ持っていると思っていますが、バブル期前後の、何が原因でうまくいかなくなったかをはっきり把握しておかないと、どんな対策もうまくいかないと思います。逆に、今の状態はまだ修正の効く範囲だとも思っています。そういえば、20年前は医療費の個人負担はもっと少なかったですね。目指す社会が、身分制度があり、貧富の差がもっと激しかった戦前社会の復活というのなら、話は別ですが。

2010/08/12

パスモを洗濯すると

2010年8月12日

小生はパスモとスイカの両方を持っており、長距離以外で電車に乗るときは、適当に使い分けています。しかしこの両方を同じパスケースに入れておくと干渉して使えないので、定期と一緒になっているスイカは定期入れ、パスモは財布にいれています。

先日の出張では、パスモを使って帰って来ました。群馬からは途中乗り換えもあるしグリーン車もあるので、かなりパスモを出し入れします。ところが夏はパスモの入った財布は鞄の中でなので、パスモだけ出してシャツの胸ポケットに入れておきました。自宅近くの駅で降りて、そのまままたシャツの胸ポケットに入れ、家に着いてから財布に戻そうと考えていました。その時は。こういうことはその場でやっておかないと、大抵忘れてしまうものです。家に着いたらシャツはそのまま洗濯籠へ直行です。

翌日、帰りの電車の中でパスモをシャツに入れっぱなしだったのではないかと気がつきました。なぜその時に思い出したのかは分かりません。そして家に着いてみたら、見事30度折れ曲がったパスモがテーブルの上に置いてありました。カミさん、予定より一日早く洗濯をやったようです。

曲がったパスモは延ばしたら15度くらいまで延びたので、そのまま財布に入れておきました。これで改札は通れるでしょうが、機械に入れると引っかかって戻って来なそうなので、再発行しに行くことにしました。記名式なので、再発行ができます。

お盆休みに入った今日、私鉄の駅に行ってきました。まず案内所に行ってパスモの再発行の話をしたら、すぐ用紙を出してくれました。ところが、捜索依頼は出したかとか、何となく話がかみ合いません。やがて、この場所は紛失の再発行依頼の場所ということに気がつきました。破損再発行は別の場所でした。その場所、現在は定期がパスモ定期券が主体なので定期券の発行場所なのですが、そこに行くと窓口の係員、15度くらい曲がったパスモをさらにぐいと伸ばし(意外と丈夫だ!)、機械の中に入れました。4000円以上あった残高がちゃんと出てきます。
「えーと、120円の手数料で払い戻しができますが。」
「新しいのは、また買い直しになるのですか?」
「500円の補償金が必要ですが、古いものの補償金が500円戻って来ますので、料金はかかりません。新しいものが必要ですか?」
「曲がっちゃって、機械に入らないのです。」(これはウソ、引っかかりやすいJRの機械の中で引っかかるのが怖いだけ)
「入りませんかあ。後が結構擦れていますからねえ。はい、では新しいのを出します。履歴は消えてしまいますけど、いいですね。」
と言うことで、無料で新しいものと交換してもらいました。なお念のためJRの機械の投入したら履歴がちゃんと出てきたので、印刷しておきました。

新しいパスモはデザインは同じですが、表面に名前が印刷されています。小生のパスモはパスモが始まった直後に買ったもので、裏側に自分でサインするタイプでした。切符マニアなら古いものを残しておくのでしょうが(小生の仲間に、ペンギンマークの付いていないスイカを保存しているのがいます)、小生は最近は切符のコレクションは止めたので、新しいもので十分です。ただし、今後は洗濯しないように注意です。

2010/08/09

外科系その後

2010年8月9日

このところ整形外科に皮膚科と、外科系にかかることが増えていましたが、その後の状況です。

○足底腱膜炎
ほとんど治り、普通は湿布薬を使っていません。とは言ってもすでに伸びてしまったかかとの骨は戻らないはずなので、靴に工夫しています。まず中敷きですが、土踏まずが高くなったアーチ強調より、柔らかく厚いものに変えました。ともかく、クッション重視です。そして出張など長時間列車に乗るときは、あまり見場は良くありませんが、靴を脱いでいます。これは効果があるようで、展示会など革靴を長時間はいていなければいけないときは、時々足が痛くなります。

会社では作業服なので靴もスニーカー(現場に出るときは安全靴ですが、最近は現場に出ることもなくなったので、ほとんど履いていません)ですが、これをナイキのエア何とかというクッションの良いものに変えました。買うときに靴屋の店員が「ランニングでもされるのですか?」と聞いてきましたが、「ええ、まあ」とごまかしました。まさか会社の作業靴に使うとは、言えませんでした。

○粉瘤
皮膚科に通うのは、きっかり2週間で終わりました。浸出液も出なくなったので、「もういいよ」というわけです。手で触ると、ちょっとへこんだような感じになっていますが、違和感がないので、探すのに苦労するくらいです。鏡に映してみると、まだ黒く丸くなっています。内出血の後だと消えるのに数ヶ月はかかりますが、別に見える場所ではないので、放っておけばそのうち消えるでしょう。問答無用でばっさり切られたのですが、正解でした。

2010/08/08

安物買い

2010年8月8日

先週朝、履こうとしたスーツのズボンに白っぽい汚れが付いていることに気がつきました。前面の腿のあたりで、何列かのスジになっています。慌てて別のズボンに履き替えてその日は会社に行き、帰ってからじっくり見たら、油性の汚れのようです。水で拭いても、落ちません。ローテーションのズボンが足りなくなると困るので、カミさんにクリーニングに持っていってもらいました。しみ抜き付です。
他のスーツも点検したら、ズボンがもう1着、上着が1着に同じような汚れが付いていました。そして着た日を逆算していったら、思い当たりました。日焼け止めです。

小生はレニベースの副作用か日光過敏症気味で、毎年春先に腕にやけどのような日焼けをします。今年は道南の撮影紀行で、長袖を着ているのにやけどのような日焼けをしました。そのため、夏場は日焼け止めを腕にも塗っています。思い当たった日というのは、ズボンが群馬に出張した日で、各停のグリーン車に乗って寝ているときに、ちょうど腕が当たるところがズボンの汚れた位置です。上着は本社で来客と会ったとき、腕に抱えていったものです。この暑さで腕の日焼け止めが流れ、服に付いてしまったのでしょう。

その日焼け止めですが、去年はロ○トの水系のものを使っていたのですが高いので、今年はニ○アの乳液タイプに換えました。そのため、去年は何ともなかったのが今年は服に付いてしまったのでしょう。クリーニング代の上にしみ抜き代まで取られ、安物買いの何とやらの典型です。

カミさんからは、日焼け止めの腕塗り禁止を言い渡されました。それから炎天下に腕の日焼け止めを塗らずに外出していますが、どうも7,8月の夏の日差しは、問題ないようです。普通に黒くなり、やけどのような症状は起こしません。やはり5月の一時期、小生にとっては有害な周波数の紫外線があるようです。日焼け止めの勝負は来年の5月です。なお5月初めはまだ日焼け止めが本格的に売られる前なので、来年用に水系の日焼け止めを買っておきました。

2010/08/07

カバヤのキャンペーンガール

2010年8月7日

昨日、石川県のいしかわ動物園で、日本最高齢のカバ(58歳)が死んだというニュースを見ました。日本最高齢で、人間なら100歳以上だそうです。これだけならどうと言うことはないニュースだったのですが、何とこのカバ、1953年からカバヤのキャンペーンガール(メスです(^_^;)として全国を回ったカバだったのです。小生も子供の頃見ました。しかし単に「水槽付のトラックで全国を回った」と記事には書いてありますが、今の宅急便の配送トラックくらいの大きさです。これでまだ舗装道路が珍しいような時代、全国を回ったわけです。カバも、運転する人も、大変だったと思います。よくまあ、小生が住んでいたような田舎(当時だったら、熊本から2時間はかかります)まで来たものです。小生が見たのはおそらく1954年(昭和29年)、まだ戦争が終わって10年経っていなかったんですね。また1つ、戦後のあの時代を知っているものがいなくなりました。

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