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2010/08/15

「歸國」と戦後65年

2010年8月15日

TBS系で放映された倉本聰作「歸國」を見ました。ドラマとしては最初からあまり期待していなかったものの、戦後の日本に対して倉本氏がどこが違っていると言いたかったのかが、気になったからです。ドラマの作りとしては、65年前の人がやたら現代風の台詞をしゃべっていたり、現代のきれいさに関して何も反応を示さないなど、おかしいところは多々あるのですが、そこはテレビドラマだからとパスします。

死にに行く命令を出し、自分は戦後を生き延びた人への無批判、同じ船で死んでも軍人は「戦死」、民間人は「事故死」(死んだ後も、「英霊」と「亡霊」と差別されます)という矛盾には目をつぶっていることなど、だんだん違和感が募ってきます。決定的なところはドラマの山場、帰って来た英霊(ビートたけし)が人工呼吸器に繋がれて生かされていた自分の妹が死んだときにその息子(自分の甥=石坂浩二)を殺し、最後にその妹が兄(ビートたけし)に「お兄ちゃん、ありがと」とお礼を言うところです。いくら自分の葬儀の準備を他人まかせにしたからと言って、自分の息子を殺されて喜ぶ母親がいるでしょうか。まして息子は国の第一線でバリバリ働き、妻も子もいて、曲がりなりにも幸せに暮らしている状態です。ドラマの作りにものすごく無理を感じ、結局倉本氏が何を言いたいのか、全く見えなくなってしまいました。

カミさんにこの話をしたら、「倉本さんはいつもそうなの。だから私は倉本さんのドラマは見ないの。」カミさんが正解でした。

さて戦後65年、現在の日本の状態が「何かが間違っているのではないか」、という意見に関しては、同意します。しかしこれはかわぐちかいじ氏の「ジパング」のような戦後の全面否定ではありません。また本日付の朝日新聞社説の「「昭和システム」との決別」も、今持ち出すのは危険と思います。

戦後65年を大雑把に3分割したとき、最初の20年(昭和40年まで)はうまくいっていました。次の20年(昭和60年まで)は問題点が色々吹き出してきましたが、これも何とかなってきました。いやここでの対応が間違っていたのかも知れません。おかしくなったのは最後の20年、つまり平成になってからです。
高度成長期、日本のものづくりは顧客の要望をこまめに聞き、その製品を安く作る生産技術によって、成功しました。ところが一度成功した後、事務所にいて数字ばかりを見ている連中が、もっと儲けることを考え出しました。それまでの「良い製品をお客様に届けよう」が「もっと儲けよう」に変わってしまったわけです。顧客の要望をこまめに聞くことは「非効率」と言って否定され、現場の生産技術者は「システムが完成したから不要」と切り捨てられました。そういう状態では、仕事をやっていても楽しくないですね。その結果一時的には効率が上がって利益が出るようになりましたが、やがてじり貧になったのはご存じの通りです。猛練習や猛稽古で地位をつかんだプロ野球選手や横綱が、その後練習や稽古がおろそかになって鳴かず飛ばずになる状態と同じですね。なお日本で不良資産としてリストラの対象になった生産技術者は、中国や韓国で「先生」「老師」として三顧の礼で迎えられ、かの国の経済発展に貢献しています。

今の日本の状態は、何か一つうまくいくだけで全体が一気に良くなる可能性をまだ持っていると思っていますが、バブル期前後の、何が原因でうまくいかなくなったかをはっきり把握しておかないと、どんな対策もうまくいかないと思います。逆に、今の状態はまだ修正の効く範囲だとも思っています。そういえば、20年前は医療費の個人負担はもっと少なかったですね。目指す社会が、身分制度があり、貧富の差がもっと激しかった戦前社会の復活というのなら、話は別ですが。

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