« 動き回った連休 | トップページ | 垂直視差立体視? »

2010/05/09

面白い「古田史観」

2010年5月9日

古田武彦氏の「邪馬台国はなかった」「失われた九州王国」「盗まれた神話」の3部作、読み終わりました。実に面白かったです。最新刊が出ているのに、元々1970年代に出された本の文庫版(1993年刊行)をさらにその20年後に手に入れて読んでいるのですから、作者にしてみればたまったものではないでしょう。ただ基本的な史観は変わっていないと思います。

古田史観(と勝手に言います)の特徴は今までの歴史学者が「ここは原文の誤り」と、ある意味自分の都合の良いように解釈していたところを徹底的に排除し、資料に矛盾があるところは古い時期に書かれたものを正として、資料に忠実に古代史を再構築したところにあります。また古事記、日本書紀は「他王朝の歴史を自分の歴史のようにしているが、作り話は書いていない」と見なしています。それで出てきた結果が、考古学の最近の結果と矛盾しないところが面白いです。

さて、それで構成された日本古代史を自分なりにまとめてみると、以下の通りになります。なお一部に小生の解釈が入っていることを、お断りしておきます。
紀元前に朝鮮半島東岸からロシア沿海地方にかけての人が出雲地方に移り住み、出雲王国を作った(国引き神話)。
紀元前後に対馬海峡の海上を制覇していたものの陸に根拠がなかった言わば「海峡族」が九州本土と朝鮮半島南部に拠点を作った(国譲り神話)。これが7世紀まで九州で栄え、後漢から金印をもらい、邪馬壹国(邪馬臺国=邪馬台国ではない)、倭の五王として中国の歴史書に登場する倭国である。領土は北九州から朝鮮半島南部にかけてで、首都と言うべき中心部は博多湾岸であった。
一方倭国(九州)の王族ではあるが傍流でしかも妾の子として生まれていたイワレヒコ(後の神武)は倭国の政治方針に絶望し、東国への移住を決意する(3世紀頃か?)。瀬戸内海沿岸の豪族の援助も受け、近畿大和のナガスネヒコの王国を奪い、ここに新たな王国大和を作る(神武東征)。
やがて大和も中国に使節を派遣始めるが、日本の代表は相変わらず倭国であった。
7世紀後半に倭国は衰退を初め、8世紀に中国から大和が日本代表として認められる。そして完全に倭国を滅ぼし、大和朝廷が日本を統一する。そして歴史書を編纂する(日本書紀)。

しかしこの古田史観が日本古代史の主流になることは、まずないでしょうね。小生は古田史観の方が好みですが。

この7世紀頃まで朝鮮半島南部から北九州にかけてが倭国の領土であったという解釈は、国立歴史民俗博物館で見た「北九州弥生人」の記述と一致します。このあたりの弥生人は他の弥生人と違っており、分布は朝鮮半島南部まで広がっていたという記述を見たときは、衝撃的でした。なおこれで短絡的に「7世紀まで日本が朝鮮半島南部を支配していた」と取るのは、誤りだと思います。倭国は「海峡族」の国家で、たまたま中心部が博多湾岸にあっただけですから。

なお韓国の歴史書では「朝鮮民族は長く独立を保ってきた単一民族」と書いてあるそうですが、主体は新羅系ではあるものの、百済はおそらく海峡族系、高句麗はまた異なり、ルーツをたどれば結構多民族だと思います。

日本も、九州は北部は海峡族で南部に行くほど縄文の色が濃く、近畿大和は海峡族と南九州の混血の神武が攻めていったときには先住のナガスネヒコ(出雲系か?)がいたわけですから、日本も単一民族ではありません。なお小生は親の出身地から見ると、海峡族と熊襲の混血です。

古田氏の次の本を、探します。

追記です。九州王朝は「倭」、大和王朝は「大和」と国名を書いていますが、実際には九州王朝は倭、俀(タイ)、日本と、大和王朝は倭、日本と国号を変えています。この通りに書くとどっちがどっちか分からなくなりますので、倭と大和に統一して書きました。

« 動き回った連休 | トップページ | 垂直視差立体視? »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

勉強になりました。
主人が酔っ払って、なんじゃこんじゃ言ってるのより、分かりやすいです。
石原さんが帰化人なんて言ってましたが、主人に言わせると、日本人はみんな帰化人だそうです。理由は面倒なので聞いてません。

凡吉さん

謎の人物梅原猛氏の「葬られた王朝―古代出雲の謎を解く」も、気になりますな。
ちょうど今日の新聞に出ていました。
http://www.yomiuri.co.jp/book/news/20100510bk10.htm

オカルト(笑)作家高橋克彦氏の「竜の柩」も、出雲が舞台のひとつになってます。

meeさん、ありがとうございます。
さすがご主人が歴史好きだけあって、meeさんもお詳しいですね。
元々日本列島内では人類は誕生していませんので、みんなどこからか渡ってきています。早いか遅いか、どっちから来たかだけで、みんな渡来人/帰化人ですね。なお帰化という言葉は、「天皇の徳をしたって恭順した」という意味があるそうで、一般的に使うには問題がある言葉です。

楠の末裔さん、ありがとうございます。
先日出雲に行きましたが、出雲もなぞの多いところですね。伊勢神宮との関係も、何やら怪しげだし。色々読む本が増えました。

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 面白い「古田史観」:

« 動き回った連休 | トップページ | 垂直視差立体視? »

フォト
2019年7月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31      
無料ブログはココログ