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2010/03/29

心エコーの結果、大動脈弁にも逆流有り

2010年3月29日

先日の心エコーの検査を聞きに行ってきました。まず血液検査の結果は、PT-INR=1.9 で、ワーファリンの量はそのまま、その他は異常はありません。
心エコー検査の結果ですが、どんどん正常値に近づいています。特に問題だった左心房内径(LAD)は36mmと、35mm以下が正常値なので、ほとんど正常値にまで小さくなりました。やはりレベトールの影響が大きかったようです。恐るべし、レベトール。LVDs(収縮時左心室内径)とLADの過去の変化を貼り付けておきました。クリックすると大きくなります。Lvds


心肥大の方は改善しつつあるのですが、逆流の方は僧帽弁に加え、大動脈弁も逆流を始めました。去年のデータも今年くれたのでよく見たら、大動脈弁の逆流は去年からです。一昨年の逆流度1から、去年が逆流度2になっています。おまけに小石灰化も始まっています。まあ小生の性格はどちらかと言うと流れに逆らう方ですが、性格と心臓の逆流は、何の関係もありません(^_^;。弁は逆流だけで閉塞(開放制限)は全くありませんが、これも開けっぴろげな性格というわけではありません。

僧帽弁と違って、大動脈弁は手術になると大手術になりちょっと大変です。今は逆流度は2なので何の問題もありませんが、EF(左室駆出率、車で言えば圧縮比)は年々悪くなってきていますので、問題になるときには一気に来そうです。なおEFは55%を切ったら要注意と言われていますが、現在63%です。

余談ですが、今日は診察後そのまま群馬に向かいました。湘南新宿ラインの中で昼食を食べようと思い、おにぎりと温かいお茶を買おうと思ったら、今朝は寒かったせいか全部売れてしまって、入れ直しの加温中です。仕方なしに自動販売機で買おうと思ったら、暖かいペットボトルは全自動販売機で売り切れでした。結局缶コーヒーを買いましたが、おにぎりの後に缶コーヒーは、あまりいただけません。急に寒くなると、売店などの対応が追いつかないようです。10032902a


付記:写真はT病院の玄関前です。開花したもののこの寒さで開かず、満開には、もう少しです。

2010/03/28

メーラー不調

2010年3月28日

ここ2週間ほど、メーラーが不調です。小生はoutlookはメーラーとしては使っておらず、ジャストシステムのものを使っています。1回だけトラブルで全データが消えたことがあったのですが、後は順調でした。この全部消えたときは、バックアップ+修復受信で何とかなりました。

このところの不調は、同じメールを何回も受信することです。事の起こりは2週間ほど前、会社のメールをハードディスクにバックアップしたときです。この時手順を間違えたのかシステムが変わったのか、バックアップ用のホルダにコピーしたメールがすべて新規受信扱いとなり、個人用のniftyに送信されました。会社からniftyへは約2000通のメールを一度に送信できずに小出しに送信したようで、それからしばらく大量のメールをniftyで受信するようになりました。メーラーがおかしくなったのは、それからです。

一度メーラーを削除し、再インストールしてみたのですが、それでも治りませんでした。今のところ実害がないので放っていますが、ひょっとしたら大事なメールが紛れてゴミ箱行きになっているかも知れません。まさかバージョンアップしろというメーカーの陰謀ではないですよね(笑)。それより、そろそろパソコンの更新を考えなければいけません。

2010/03/26

眼圧を常時監視できるコンタクトレンズ

2010年3月26日

会社に配信されている日経エレクトロニクスの記事で、仕事には関係ないけど面白いものがありました。STマイクロエレクトロニクス社が、無線通信機能付きMEMS圧力センサを内蔵したコンタクトレンズを、早ければ2010年第3四半期に製品化するという記事です。これはどういうものかというと、常時眼圧をモニターして送信するもので、緑内障または緑内障予備軍の方の眼圧が常時モニターできるというものです。

緑内障は眼圧管理が重要ですが、血圧と違って、家庭で簡単に計るわけにはいきません。その点コンタクトレンズにセンサーを仕掛けていおけば、寝ているときは別として、常時監視できるわけです。

記事には患者が病院で装着し、翌日また来院して取り外すまでのほぼ1日間のデータが取れると書いてありますが、実際はコンタクトレンズをいきなり24時間装着するなどまず無理な話。写真で見るとソフトのようですが、それでも眠るときに装着するのは御法度で、日中12時間装着できるようになるまで3日から5日はかかります。まあそれでも5日かけても、12時間のデータが取れるだけでも大進歩です。

コンタクトレンズであるなら当然消毒が必要で、耐消毒性などもこれからの開発要件になるのでしょう。またこの記事では病院に1種類おいておけばいいような書き方ですが、コンタクトレンズは実際は装着する人の目の曲率と大きさに合わせたオーダーメイドですから、常備するなら数十種類の寸法が必要でしょう。なおにっけいのTech-ONは会員制ですが、興味のある方はこちらからどうぞ。

2010/03/24

本の購入(店頭かインターネットか)

2010年3月24日

先日新聞に古代史の本の広告が載っており、興味があったので本屋まで出かけてきました。まず割引の効く、駅前のファッションビルの中の本屋へ。思った通り、ありません。以前はこの本屋はフロア全面を使う広い面積で、品揃えも多かったものでした。ところがあるとき面積が2/3に縮小され、本の種類もぐっと少なくなってしまいました。どうもこれはこのファッションビルが「面積あたりの売上高」を重視し、それに満たないところは契約を更新しないという手段に出たもののようです。この手法、渋谷の1○9(全然伏せ字になっていない(^_^;)あたりがやっている手法で、ビル全体を活性化させる手法らしいのですが、これだと単価の安い文房具屋や、回転の悪い本も並べる本屋は、やっていけませんね。あおりで、このファッションビルに入っていた老舗の文房具店が閉店してしまいました。

小生は何で本屋や文房具店に足を運ぶかというと、売れ筋以外のところで発見があるからです。この文房具店、自社ビルのあった時代(この自社ビルは、新設された道路に引っかかり、立ち退きになりました)には一日いても飽きないようないろんなものがあったのですが、こういう店は本当になくなってしまいました。この古代史の本は、少し離れたビルで2フロアを使っている本屋の方にはありました。
ちなみに、小生が知っている品揃えの良い本屋は、自社ビルかビルごと全部借りている(例えば、池袋のジュンク堂のような)本屋です。やがてファッションビルの中の本屋は売れ筋ばかり並べるようになり、自社ビルかビル丸ごとの本屋だけが本屋らしい本屋として生き残るのでしょうか。

と、偉そうなことを言ったのですが、結局この本は買いませんでした。この本はかつて朝日文庫で出版されたものの復刻版だと分かったからです。朝日文庫なら入手したのと同じインターネット経由で、古書が入手可能です。これからは経済的なことばかりではなく、スペースも考えてハードカバーはできるだけ買わないようにしなければいけません。一応店頭で買うことを優先し朝日文庫の新書古書も一通り見たのですが、やっぱり無く、インターネットになってしまいました。複数のところに発注したので、今日いろんなところからどさどさと届きました。やっぱり店頭で買いたいな、と思いつつ。

2010/03/22

500系のぞみと北九州ローカル私鉄(5)

2010年2月28日(つづき)

小倉駅でSUGOCAの一周年記念デザインのカードを売っていた。博多と小倉、限定販売だそうだ。チャージが1500円と多いため売価2000円でちょっと躊躇したが、3月13日からSUICAと相互使用ができるとのことで購入する。このネーミングで秀逸と思うのは、この「スゴカ」と北海道の「キタカ」である。10022820a


大分からのソニックは883系、北九州市内でも振り子を効かせ、カーブをダイナミックに曲がる。黒崎の駅をよく見たら、Y電機の正門前を通る東側の引き込み線は廃止されていたが、西側の三菱化成(現、三菱化学)への引き込み線は健在であった。黒崎-中間間の筑豊線への短絡線は、単線化されてしまっていた。10022819a


昔は折尾から博多までの間には大きな街はなく、快速列車も全部通過していた。ところが最近は特急も赤間か香椎のどちらかに停車する。香椎に止まる列車だったこともあり、途中下車する。目的地は隣の千早である。以前は千早という駅があったかどうかも記憶にないが、高架2面4線の立派な駅ができ、しかも西鉄との共同駅である。特急待避駅にもなっており、貨物列車が特急をやり過ごしたりもする。お土産用に、入場券を買う。10022818a


博多駅から地下鉄で福岡空港へ。ところが福岡市交の「はやかけん」との相互使用も3月13日からで、改札口で足止めを食らう。
JRも含め、最近のチケットレスは入場するまで不安がつきまとう。リュックからカメラを出して折りたたみのバッグに入れ、リュックだけを預ける。最近は預ける荷物もX線で検査するようになったが、怪しい影が映ったのか、今度はリュックを横にして再検査。胃の透視並みである。そうしたら今度は手荷物検査で、カメラが引っかかってしまった。また横にし、今度は全部出して交換レンズも陳列するように並べ、やっとOKが出た。

今日の使用機はB-777であるが、大型機にもかかわらず登場開始時刻になっても客はまばらである。JALは人気が無くて利用者が少ないのかと思っていたら、みんな手荷物検査で引っかかり、搭乗が遅れていた。結局出発(プッシュバック)は、10分遅れた。
今日の使用機JA8977は、旧JAS機である。そのためか各座席にモニターが付いていて、コース情報や飛行状態が見られる。かつてはJASのB-777はレインボーシートをよく利用して、飛行状態を見ながら音楽を聴いていた。しかし今日の機体はJAL化されて変わったのかそれとも普通席のせいか、音楽と画面は排他使用で、どちらか一方しか使えない。音楽に面白そうなものがなかったので、ずっと飛行状態を出しておく。今日のキャビンアテンダントはなぜかベテラン揃い、小生の同輩の「シニア社員」のような方もいる。日航再建策のあおりだろうか。飛行は順調だったが太平洋側に津波警報が出ている影響か、B滑走路への進入コースを取っていたものが急遽C滑走楼に変わり、20分遅れで羽田に到着した。

(完)

2010/03/21

500系のぞみと北九州ローカル私鉄(4)

2010年2月28日(日)

黒崎は一時期は北九州市の副都心と呼ばれていたが、最近は寂れたことが話題になっている。しかし実際には人はさほど減っているようには見えず、駅前にできたバスターミナルのビルの1~3階部分が空きビルとなっていることが大きい。10022801a


一時期はテナントがフルに入っていたものの次々に撤退し、現在は巨大な廃墟である。駅前の一等地、2階はペデストリアンデッキでJRの駅に繋がり、1階は筑豊電鉄と西鉄バスのターミナルというビルが廃墟になっていては、寂れた印象も出ようというものだ。どうもバスターミナルの上にビルをかぶせた設計が良くなく、排気ガスが抜けずにビル内に充満する構造だったのではないかと思う。昨日泊まったホテルは、その廃墟の上にあった。10022802a


このビルが黒崎駅の右手なら、左手は井筒屋。この場所には一時期そごうが進出したが撤退し、井筒屋が引っ越してきている。もっとも小生がいた頃はそごうもなく、ストリップ場などが並んだ薄汚いところだった。かつての井筒屋の場所はテナントの入ったビルになり、こちらは賑わっていた。10022803a


せっかく来たので、駅裏のY電機の方に行ってみる。正門と本社棟は40年前と全く変わっていないが、工場の方は完全にロボット専門工場に変わり、かつて小生がいたところは建物ごと無くなっている。電動機部門は別会社になり、八幡東区、それも新日鉄の構内に引っ越したようだ。黒崎駅裏は道路が通りしかもその上に高速道路の工事中。黒崎駅からY電機の正門前を96が引っ張る貨物列車が通っていたなど、まさに昔日である。10022805a


今日の目的は筑豊電鉄の撮影である。かつては今池-永犬丸間は池のそばを走り、障害物のない写真が撮れた。しかし今はここも道路が通り、車に邪魔されないところは極少ない。永犬丸のそばの駐車場でなんとか撮れそうである。Img_1066a

現在の主力は連接車3000型であるが、パンタグラフが初期型はZパンタ、後期型はシングルアームとの違いはあるものの、1種類だけである。これが平日なら3連接が走ってくるのだが、特に日曜日は連接車だけのようだ。毎日が日曜日の身分にならないと、平日の写真は無理である。Img_1073a


3連接のねぐらを見てみようと、楠橋車庫まで足を伸ばす。3連接は6編成いるようだが、全車お休み中。しかも編成ごとに色が違う。ちなみにこの2000型、小生が北九州にいる頃に入線した形式である。Img_1077a

帰り支度には少し時間があるので、かつての撮影場所、新中原によってみる。新中原は、今は九州工大前に駅名が変わっている。降りてみたらこちらも様変わり、駅裏に道路が通り、テクノセンターなるものが出現している。10022810a


おかげでかつては降りられた新日鉄くろがね線の踏切へは降りられず、金網越しに眺めるだけになった。新日鉄くろがね線も単線化されてはいるが、レールが光っているので列車は走っているようだ。一旦小倉に出て、今度はソニックで博多に向かう。

(つづく)

2010/03/15

500系のぞみと北九州ローカル私鉄(3)

2010年2月27日(つづき)

熊本から乗った有明は小倉行きで、最初は博多で降りて篠栗線に乗り換えるつもりであったが、居心地がよいのでそのまま折尾に向かう。北九州の周遊券を買っているので、行き先は自由に変えられる。さすがに博多を過ぎると、がら空きである。なお車内販売はつばめ(リレーつばめ)にはあるが、有明には無い。10022707a


折尾で筑豊線に乗り換える。折尾の筑豊線ホームは完全な単線並列に改造され、若松方面と直方方面は別路線扱いである。直方行きは817系2連ワンマンカー、小生の嫌いな日立製Aトレインである。なぜ嫌いかというと、入口に握り棒が無く、窓が開かず、カーテンもない。10022708a


停電時の換気ができないので209系の窓が開くように改造を始めた後に、窓の開かない通勤電車を造る神経が分からない。乗った列車は、新人運転士が訓練中であった。10022710a

直方-中間間の複々線は複線に縮小されているが、特に跡地利用の計画もないようで、遺構はそのままである。方向別複々線が方面別に入れ替わる立体交差は蒸気牽引の貨物列車を対象に作られているため、急勾配急曲線を避けたゆったりとした作りになっている。そのため線路間隔が広い。かつて1ヶ月だけであるが、ここをC55牽引の通勤列車で通ったことがある。10022712a


直方に到着。熊本は最近観光に力を入れていて、熊本のPRポスターが飾ってある。その先に熊本マリさんの公演ポスターがあると、何の関係もないが何かおかしい。直方の駅舎は車寄せのある昔の作りを残していると新聞に紹介がされていた。さすが地元、魁皇関の記録達成の祝賀垂れ幕が飾ってあった。Img_1022a


今日の目的は、筑豊電鉄の遠賀川鉄橋である。ところが直方側の河原は工事中。かなりの距離があるが、感田側の河原に行く。足底腱膜炎は落ちついていて、助かった。河原はヒバリがさえずり、菜の花が咲く。空が晴れていれば言うことはないのだが、いかんせん曇天である。連接車は3000型1種類しかいないが、待っていたら3連接も来た。Img_1027_1a


直方駅前のパン屋で遅いおやつ、またJRで今度は黒崎に向かう。以前は若松行きよりも黒崎方面行きの方が多い時代もあったが、またほとんどが折尾止まりになっている。小生の母親は飯塚の出身で、「折尾で降りお」と言っていたと昔聞かされた。そして小学生の頃母親に連れられて初めて折尾で降りたとき、跨線橋と思っていたところに汽車がやってきたのでびっくりした記憶がある。その時車窓から見た夜目にも黒い切り立った稜線のボタ山とコンベアの明かりと、列車を牽引する86の甲高い汽笛は、今でもはっきりと覚えている。Img_1041a


その時から十数年後、今度は黒崎に暮らすことになった。新入社員の頃先輩に連れられてよく行った寿司屋があり、またその「菊ずし」ではカミさんがつわりの頃寿司折りを作ってもらっていた。炊いたご飯は食べられなくても、菊ずしの寿司は食べられたのである。その先輩も一昨年亡くなり、もし菊ずしが残っていれば、先輩を偲んでそこで一杯やろうと考えた。10022714a


小生の誕生日でもある。黒崎の駅前はシャッターを閉めている店がい多いが、少し奥に入るとそうでもない。あれから30年経っても、何と菊ずしは健在であった。実においしかった。

黒崎泊。
(つづく)

2010/03/14

500系のぞみと北九州ローカル私鉄(2)

2010年2月27日

今日は熊本電鉄を撮る。小生は熊本にいる頃は列車写真はもっぱら蒸気派だったので、熊本電鉄は撮ったことがなかった。従って貨車を引っ張った電車の写真は、1枚もない。乗ってはいたので、客を乗せたままの電車が貨車の入替をしていた記憶はあるが。Img_0966a

行き先は北熊本。うまくいけば上熊本線と藤崎線の両方が撮れる。泊まったところは交通センターに近いので交通センターから電鉄バスに乗るが、いつ来ても熊本の交通センターはわかりにくい。第一交通センターの入口が分からないし、どこに行けば良いのかも分からない。方向とバス路線が大体頭に入っている小生でもそうなのだから、方面別のバス会社が分からない旅行者は大変だろう。Img_0986a


北熊本の南側に坪井川緑地があり、ここだと開けた写真が撮れると狙っていた。ところが予想に反して天気が良くなり、朝はモロの逆光である。しかも今日はお目当ての5000型はお休み、上熊本線には200の2連が充当されていた。北熊本南部の藤崎線と上熊本線が別れるあたりは、2本の線路の間に駐車場がある。北熊本を同時発車してくれれば面白い写真が撮れるのだが、そうはいかない。Img_0988a


藤崎線も北熊本線も同じ編成が往復するだけなので、何本か写真を撮った後、北熊本の車庫を見に行く。5000型は2本ともお休み中。フェンスがないので、敷地外から望遠で写真が撮れるが、今回は5000型の走行写真はあきらめる。71号が良く見えるところにいた。Img_0987a


北熊本駅に戻ったところでちょうど藤崎宮前行きの電車が来たので、藤崎宮前まで乗って行く。熊本電鉄に乗ったのは、何十年ぶりだろう。おそらく高校以来だ。昔の記憶では、北熊本はもっと菊池寄りだと思っていた。藤崎宮前に着いた後、歩いて併用軌道部分まで行く。天気は良いが、今度は電柱の影がかぶる。クリーンな写真を撮るのは、難しい。Img_0996a


熊本電鉄はLRT化して熊本市電に乗り入れようという計画がある。かなり前にその話は出たが、いっこうに進んでいないようだ。かつては藤崎宮前には市電が通っていたのだが、今はその市電が通っていた道路が国道3号線になってしまった。10022701a


LRT化すれば、電停2駅分であるが国道上を走ることになる。新しく国道上に路面電車を走らせることを国が認めるとは思えず、かといって繁華街のど真ん中に新しく専用軌道を造ることも難しいだろうから、この話はよほど外部条件が変わらない限り実現は難しいだろう。10022703a


少し時間が余ったので、熊本市電の写真を撮ることにする。バスで交通センターまで行き、そこから洗馬橋まで歩く。洗馬橋にはモニュメントがあるはずなので、それと電車を組み合わせられないかと考えたわけだ。モニュメントがあるにはあったが、角度的に電車と組み合わせるのは難しい。Img_1006a


なお「あんたがたどこさ」の肥後手まり唄、言葉から見て熊本で歌い継がれてきた歌とは思えず、最上川舟歌のようにどこかで人工的に作られた詩だと、小生は思う。閑話休題。熊本市電には新旧取り混ぜいろいろなタイプの電車が走っているが、未だに現役の1200型あたりが、一番熊本市電らしい電車だろう思う。熊本市電には低床車を導入しているが、電停の幅を狭く改造したため車椅子の方向転換ができず、仏作って魂入れずである。せっかくの市電、もっと有効活用してもらいたい。Img_1011a


洗馬橋から3系統の電車に乗り、辛島町で2系統に乗り換え、熊本駅に向かう。乗換券をそれこそ高校以来久しぶりに使う。熊本駅は新幹線開業に向けて工事中。どうやら市電の停留場も移動するようだ。熊本駅前のモスバーガーで昼食を仕入れ、787系の有明で博多に向かう。

(つづく)

2010/03/12

心エコーの結果は逆流度2のまま

2010年3月12日

一昨日心エコーの検査に行ってきました。ほぼ1年ぶりです。診察は29日なのでまだ先ですが、技師さんが数値を読み上げるのを聞いていて、逆流は2度のままだということがわかりました。心房や心室の寸法までは(数字は聞こえたものの、どこの寸法かは不明)分かりません。どちらにしろ、小生の場合は問題があれば逆流が増えますので、問題は無さそうです。

検査後蒲田のアプリコホールに行って、宮本文昭氏の指揮を見て、じゃない、聞いてきました。オーケストラは都響です。グリーグのピアノ協奏曲とブラームスの2番、指揮ぶりはうまいとは思えないのですが、オーケストラは良く鳴っていました。楽隊を乗せて良い演奏をさせるのなら、それはそれで立派な指揮技術です。鳴らしていたのは、コンマスの矢部さんの方かも知れませんが。ホルンの西條さんが、見事でした。

2010/03/07

500系のぞみと北九州ローカル私鉄(1)

2010年1月中旬

500系の東京乗り入れが2月末でなくなるというのに、小生は何かと忙しくて小田原にも行けず、静岡へ行くなどとんでもない状態である。500系好きの小生は、仕方なしに「撮り鉄」をあきらめ、「乗り鉄」にすることにした。それも博多まで。しかし最終日は混乱が起こりそうなので、1日前の27日を考えた。ちょうど小生の誕生日である。しかし今ののぞみは時間が遅くなり、1泊だと単に行って帰ってくるだけになる。そこでもう1日早め、ついでに熊本と北九州のローカル私鉄を撮ってくることにした。色見本帳に使える写真でも撮れれば、御の字である。カミさんは「いつ動けなくなるか分からないのだから、遊べるうちに遊んでおいたら。」と機嫌良く送り出してくれる。厄介払いなのかも知れないが。そこで出発は2月26日の29A、2泊して帰りはJALにした。なお2泊の内1泊は無料宿泊券である。

2月26日(金)
昨日は群馬の出張で、帰りは遅くなってしまった。こういう時は、出発が遅いのは有り難い。天気予報では雨で、今にも泣きそうな空だが雨は落ちていない。当然傘の準備はしているが、傘を濡らすと後の処置が面倒だ。新横浜駅でサンドイッチを買い、少し時間があったのでそのまま待合室で昼食。テーブルのある車内の方が、楽だったかも知れない。早めにホームに上がる。乗るのは7号車。1ヶ月前に買ったので、中心部に近い。7号車はかつては売店があった車両で現在は車販基地となっている車両だが、500系は他の号車と同様車端にドアがある。これが700系ではドアは車販基地と客室の間に移っているので、ドア位置が500系と700系とでは異なっている。500系に乗るのは久しぶりで、ドア位置が異なることは忘れていた。

のぞみ29号の車内はほぼ満席。隣のD席は若い男性。ところが網棚はすでにふさがっており、リュックは足下に置く。こういう時にリュックは便利だ。500系は車体が丸いため網棚の奥行きが無く、最近のキャリーバッグは乗せるのが難しくなっている。またキャリーバッグのおかげで最近の旅行者の荷物は大きくなっているようで、JR海は号車ごとの定員が異なりまた1号車と16号車のドアが1つしかないことを500系の乗り入れを止める理由に挙げていたが、網棚が狭いこともJR海が500系を嫌う理由の1つなのであろう。10022601a500


N700系は走行時の振動が少なくなったため、かえってすれ違い時の衝撃が目立つようになっている。500系はどうかと思って観察したが、やはりN700系より少ないようだ。500系は蛇行動は少ないし(700系のトンネル内の蛇行動はひどい)、小生はこの乗り心地が好きだったのだが、残念である。なおかつて小生は京都-新横浜間で500系のぞみが4分の遅れを回復した現場に乗り合わせたことがある。興味のある方は、こちらをどうぞ。

名古屋で大量下車して大量乗車、まだほぼ満席状態である。新大阪でもまた入れ替わり、やや少なくなったとは言えまだ9割は乗っている。隣の男性は新大阪で降り、代わりの男性が乗ってきた。検札の時に盗み見たら博多まで、何と隣の席は東京-新大阪と新大阪-博多で途中入れ替わりながらずっと乗り続けたわけだ。

新神戸-岡山間で、何と「こちらはのぞみ29号の運転士です。」と飛行機の機長アナウンスならぬ、運転士アナウンスが入った。現在位置の説明と、これから300km/hまで速度を上げることの説明の後に、「この500系の東京のぞみは2月28日をもって廃止されます。長らくのご利用、ありがとうございました。」という500系のぞみ(JR西は、「東京のぞみ」という表現をした)廃止の案内であった。このアナウンスが聞けただけでも、最後に山陽区間に間乗りに来た甲斐があったというものだ。なおこのアナウンス、岩国の手前でももう一度あった。

500系の時速300kmは健在で、車内にも「ただ今時速300Kmで走行中です」という案内が出たが、LED表示の移動とタイミングが合わず、ついに撮り損なってしまった。なお500系のすれ違い時の衝撃は、山陽区間の方が少ないようだ。設計最高速度が高い山陽区間の方が、複線中心間距離が広いのかも知れない。

定刻に博多到着。小生は今夜は熊本泊まりで、787系の有明17号で熊本に向かう。787系は中央部に大きな荷物スペースがあり、キャリーバッグでも楽々置けそうだ。熊本は、雨だった。

熊本泊。
(つづく)

2010/03/01

e-TAX顛末記(その後)

2010年3月1日

旅行に行っている間に、税務署から「国税還付金振込通知書」が届いていました。e-TAXは無事受け付けられたようです。なおいつものことながら、「還付加算金は雑収入(雑所得)として課税対象になります。」と但し書きが書いてありました。これが逆に税金を払った場合は、来年の所得から控除できるんだろうか。

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