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2010/01/31

運動視差立体視

2010年1月31日

最近3Dテレビが話題を呼んでいます。これは裸眼のものもありますが一般的には専用の眼鏡をかけ、両眼視差立体視で立体的に見るものです。しかし立体視は両眼視差だけではないのに、両眼視差立体視だけが3Dと言わんばかりの今の風潮には、不満があります。

立体視は視差立体視ばかりではないのですが、とりあえず話を視差立体視に絞ってみても、もう一つ運動視差立体視というものがあります。あるものを見るのにまずA点から見て、次に移動してB点から見るものです。A点とB点の距離を両眼の間隔より長く取れるので、距離は正確に出せ、ジャンプして獲物を捕まえる小型のサルなどが運動視差立体視で距離を測っていました。

小生は現在左の視力は1.5、右は0.07という状態なので、両眼視差立体視はできません。従って、ホログラムも立体的には見えません。片目が見えなくなってすぐは、立体視が出来ないので色々苦労しました。特に失敗が多かったのが、水差しからコップに水を汲むときです。水はセルフサービスになっているベックスなどのコーヒーショップでは、よく周りを水浸しにしました。ところが最近は、まず失敗することはなくなりました。ハンダ付けも平気です。

これは単なる慣れだと思っていましたが、同じ慣れでも、脳が運動視差立体視になれてきたためのようです。人間はものを見るとき、目でなく脳で見ていると言われていますが、実感としてわかります。しかし運動視差立体視は時間差が出るため、瞬間的な判断には使えません。従って目の前に急に出てきたものは距離が分かりませんし、電車でドアが開いたときのホームの高さも分かりません。ただ小生の場合は日頃乗っている電車は型式による床高さの違いが頭に入っていますので、事前に準備ができるのでホームで足がカクンとなることはありません。

小生は他の方より見るのに脳の負担が多いので、ボケ始めると立体視もできなくなり、転ぶ→外出ができなくなる→ますますボケが進むという悪循環に陥るかも知れません。頭の回転が落ちないように、訓練を続けなければいけません。

2010/01/30

4年4ヶ月ぶり、近くの眼科へ里帰り

2010年1月30日

11月に眼科は大学病院(F病院)を卒業し、近くのS眼科への紹介状が郵送されてきましたが、元々半年に1回の診察だったので、のんびり構えていました。とは言っても紹介状を机の引き出しにいつまでも放り込んでおくのも落ち着かないので、自宅近くのS眼科に行ってきました。

町の眼科は、大学病院と違って予約無しに行けるのが有り難いです。そして土曜日も午前中はOKです。2005年9月、目が真っ赤になってこのS眼科に飛び込み、「ただ事ではない」とF病院への紹介状を書いてもらったのが、そもそもの始まりでした。4年4ヶ月ぶりの、里帰りです。

受付を済ませてしばらくして、いきなり呼ばれました。「あれは桐沢型だったの。桐沢型は僕も大学にいた時代に時々見たけど、あれは大変でね。」その通り、大変でした。紹介状は簡単なことしか書いて無く、入院や手術のことも一切書いてなかったので、補足しました。帯状ヘルペスだったことも、補足です。そして車に乗って来ていないことを確認し、左右両目とも瞳孔を開いて検査です。

検査の結果、右は落ちついており、左も異常なしです。「僕の仕事は、左目の異常を早く見つけて処置することでね。」確かに残された左目をしっかりケアしておかないと、えらいことになります。右目に水晶体がないことは見てすぐ分かりますので、使っているコンタクトの確認です。これは眼鏡屋さんでも聞いたことですが、昔は水晶体代用のコンタクトをいろんなメーカーが作っていたものの、眼内レンズが進歩したおかげで、ほとんど止めてしまったそうです。メーカーもごくわずかな上に取り扱っているところも少なく、行きつけの眼鏡屋さんでメニコンの17度のコンタクトを取り寄せてくれるのは、かなり幸運なようでした。眼内レンズは、今は水晶体を取りだすのと同時ばかりではなく、後からでも入れられるようになりましたが、小生のような病気の後だと炎症を起こしやすく(先生は、「炎症を起こす」とはっきり言いました)、眼内レンズは無理だそうです。やはり1年ごとに交換しながらコンタクトですね。

今後はこのS眼科で、半年に1回ずつくらいの周期で定期検診を受けることになります。

2010/01/26

足底腱膜炎、その後

2010年1月26日

昨年の7月に、足底腱膜炎という記事を書きました。その時は左足で、整形外科医から言われた通り土踏まずにインナーソールを入れたところ、あっと言う間に治りました。ところがそれと同時に、今度は右が痛くなりました。

左の時は整形外科に行っても湿布薬をもらってきただけで、たいしたことはやっていません。それで右も市販の湿布薬についでに痛み止めの塗り薬を買って、そのままにしていました。特にインナーソールの位置を少し微調整したらさほどの痛みでもなくなったので、そのままでした。日常生活、特に仕事は座り仕事なので、問題はありません。ただ展示会に行ってスーツ(つまり、革靴)で長時間歩いたりすると、それから2日くらい痛いです。そういう感じで良くなったり悪くなったりを繰り返していたので、とうとう又整形外科に行きました。

「先生、この前の左足はインナーソールを入れたらすっかり良くなったのですが、今度は右が痛くなりました。」
「じゃあ右にも入れなさいよ。」
「いや、右は入れています。」
「そう。じゃまた写真撮って見てみますか。」
この先生「自分で直せ」が身上で、あまり治療をしたがらない先生です。そこでX線を撮ったところ、
「ありゃあ、こりゃ右がリードしてるね。」
つまり元々右の方が悪く、それをかばって7月に左が痛くなったようなのです。左の写真は何ともありませんが、右は腱が付くかかとの部分が張り出してきていました。これがどんどん張り出すと手術することになり、有森裕子さんは1.5cmくらい張り出していたそうです。小生のは5mmくらいでしょうか。先生は「ずいぶん前から痛かったんじゃないの?」と言っていましたが、小生の右足首は昔テニスで痛めたのか自転車で転んだときに痛めたのか時々痛みがあるので、かかとの痛みには気がつきませんでした。インナーソールを入れたときに出っ張っているところに当たり、痛くなったようです。

治療はやはり同じ湿布薬で、今度は少し多めにもらってきました。その他、
○靴はできるだけ柔らかいものを履くこと。→普段履き用に茶色の革靴を買ってきて時々履いていますが、これが結構硬い作りです。これも原因かな。
○お風呂に入ったときに、足底の腱をマッサージすること。→即実行します。
○旅行中の車内では、靴を脱ぐこと。→あまり見場はよくありませんが、これも実行中。効果あります。

今度は少し長くかかりそうです。

2010/01/24

天国のJA8071さんへ

2010年1月24日

早いもので、1月ももうすぐ終わろうとしています。小生が出した年賀状にご両親から喪中欠礼のご連絡を頂いたときには、本当に驚きました。6月14日にご逝去されていたとは、まさに青天の霹靂です。

小生が貴兄とネット上で初めて言葉を交わしたのは、niftyがまだNIFTY SERVEと言っていた頃のフォーラム「すこやか村」でしたが、1997年7月のことでしたね。小生が2回目のインターフェロン治療を始めた頃、入院中に貴兄からお見舞いコメントをいただき、小生は鉄道好きで飛行機に対する知識が少しあり、貴兄は鉄道に詳しく又飛行機についてはものすごく詳しく、さらに学部は違いますが小生が同じ大学のの先輩であることが分かり、ずっと親しくさせて頂きました。一連の「鉄は妙薬」「翼は妙薬」のシリーズ、「南海先輩、こんばんは。」の書き出しで始まる書込を、懐かしく思い出します。

このやりとりは、小生の2回目のインターフェロン終了後も続き、小生の単身赴任中は小生を工場長に引っかけて「米沢の御城代」と呼ばれ、又お互いに侍に扮しての文語文でのやりとりなど、懐かしい想い出です。この文語文でのやりとり、ワープロで書くのは変換ができずに結構大変だったのですが、一度小生が係り結びを使ったときは又係り結びで返され、ラリーのように楽しんだものでした。貴兄が仏像にもお詳しいと知ったのも、その頃でした。

2004年頃niftyのフォーラムがそれまでのパソコン通信からインターネットに移行するとき、貴兄はインターネットには付いていけないと、引退を表明されました。その後一昨年にメールの年賀状をいただき、それが普通の年賀状に代わって賀状のやりとりをさせて頂いていました。ひょっとすると2004年に引退を表明された頃から、お身体の具合が悪かったのではないかと、今になって思っています。なお小生は2004年から3回目のインターフェロンに挑戦して運良くウイルスを排除することができました。

すこやか村でも時々「オフ会」をやっており、1997年当時のメンバーの一部の方とは、今もおつきあいが続いています。貴兄はこのオフ会に一度も来られたことがなく、直接お会いできなかったことが残念でなりません。

貴兄のハンドルネームJA8071はJALのボーイング747-400の1号機の登録番号ですが、そのJALも再建団体になり、ボーイング747も全機売却するという話になっています。これからどうなるのかしっかり見届け、しばらくすると小生もそちらに行きますからその時にご報告したいと思います。その時には又鉄の話と翼の話をしましょう。

JA8071様
                        南海凡吉拝

2010/01/21

コンサートの代役(ピンチ・プレイヤー)

2010年1月21日

代役は代役でも、コンサートに出る人の話です。今までのオーケストラの演奏会でも時々、「ピアニストの○○は急病のため、ソリストを××に変更します」ということはありました。指揮者でもそうです。昔小沢征爾氏が体調不良で代役になったとき、切符の代金が少し払い戻されました。先日カミさんが行った都響のコンサートでは、指揮者が前日に急死ということがあり、指揮者は急遽大友直人氏に代わりました。大友氏はいつものようににこやかにしていたそうですが、周りはちょっと異常な雰囲気だったそうです。

20日のN響のB定期、ベートーベンのヴァイオリンコンチェルトが組まれていたのですが、ヴァイオリニストのヴィヴィアン・ハーグナー氏が健康上の理由で来日不可能になり、堀米ゆず子氏に代わりました。堀米さんはベテランだし、さほど直前の交代でもなく、リハーサルは全部やったと思うのですが、やはりちょっと雰囲気が違いました。長い第1楽章が終わって堀米さんが指揮者の広上さんにほっとしたような笑顔を見せたとき、拍手が起きました。コンサートに慣れない方が多いようなときには楽章が終わった時に拍手が起こることがありますが、そのタイミングではなく、少し遅れての拍手ですぐ止みました。「代役、ご苦労さん!」というような拍手でしょうか。堀米さんも1楽章はちょっと固かったのですが、2楽章以降はリラックスしてソロが休みの間は左手で拍子を取り、3楽章では演奏中に笑顔も見えました。

ベートーベンのヴァイオリンコンチェルトは主旋律が次々に木管にわたっていくのですが、今日のメンバーは名手揃い、フルート神田さん、オーボエ茂木さん、クラリネット横川さん、ファゴット水谷さん、ホルン松崎さんと、N響は最近定年退職で主席奏者が減っているのですが、全員首席でした。特にホルンは松崎さんが1番を吹くと、全体がぴしっと締まります。ヴァイオリンもすばらしかったけど、オーケストラの方もすばらしい演奏でした。

前半が終わった後の休憩時間、堀米さんのCDがよく売れていました。当日は後半にプロコフィエフの交響曲第7番があったのですが、隣のご夫婦は前半だけで帰られました。まあ、気持ちは分かります。

2010/01/17

神在月の国へ(9)

2009年11月22日(日)

岡山に来た目的は、ドラ息子の様子を見ることである。ドラ息子は大学院(博士課程)は出たものの、就職がない。09112203a
以前は国立大学だとそのまま大学に残ることができたが、独立行政法人化以来難しくなったようだ。例の「仕分け」で研究系の予算はかなり切られるようで、求職活動は長くかかるかも知れない。09112204a
修士を出たときの独立行政法人化(あれで国立研究機関の募集が無くなった)といい、つくづく就職運の悪いやつである。しかし元気そうで良かった。元気でさえいれば、何とかなる。09112205a


さて、せっかく来たので、ドラ息子も一緒に岡山城から後楽園と回る。何と、紅葉は今が見頃であった。岡山城では日曜日ということもあり、太鼓の演奏もやっている。後楽園も実にきれいだ。今回の旅行では紅葉は時期を外したと思っていたのだが、あちこちで見ることができ、仕上げは後楽園となった。09112206a


ちょうどお昼頃、雨が降り出した。昼食を取ってドラ息子と別れ、岡山県立美術館へ行く。ちょうど伝統工芸展をやっており、かなり大規模である。この伝統工芸展、岡山での展示が済んだら島根県立美術館へ行くそうである。あの夕日を見た、宍道湖のそばの建物である。山陰山陽と言っているが、地理的には近い。09112208a


すべての予定が終わり、N700系ののぞみで帰路についた。

(完)

2010/01/15

肝臓の検診とエコーの結果

2010年1月15日

半年に1回の肝臓の検診に行ってきました。今日はエコー付きで、まず朝1番にエコーを撮りに行きます。朝一の予約が結構混んでいて、小生は3番目です。この病院にはエコーのブースが3つ有り、1つではすでに検査中。男性技師の声が聞こえます。隣のブースでは女性技師が準備中ですが、この技師さん、長いつけまつげにかかとの高い靴、けばいメークこそしていないものの、ちょっと場違いな出で立ちです。検査技師のような技術屋の女性が身だしなみ以上のメークを始めたら、本業への関心が薄れてきたときです。今日は金曜日、アフターファイブに何かあるのかも知れませんが。やがて「指導教官」らしき老先生が現れ、小生の前の患者さんが呼ばれました。やれやれ。小生は最後のブースの男性技師に呼ばれ、てきぱきと終わりました。

エコーで朝食抜きで、小生は朝食後にワーファリンを飲んでいるので、最初の計画ではエコーから診察の間に持ってきた「玄米ブラン」をかじり、ワーファリンを飲むつもりでした。ところが小生と入れ替わりの人が更衣室で手間取っている間に診察時間になってしまい、そのまま診察に向かいました。Y先生「お待たせしました」と言っていましたが、小生はもう少し待ち時間があるつもりでした(笑)。血液検査の結果は前回アップした通りですが、加えてタックマンも「検出せず」(この病院は、漢字印字です)。エコーの結果もY先生は「肝臓の周辺が丸いのは、かつての肝炎の名残」と言っていましたが、その他は肝臓、胆嚢、胆管、膵臓頭部及び体部、脾臓はすべて「異常を認めず」でした。脾臓は「異常を認めず」のものの「ボーダー」と記載されていましたので、これも肝炎の名残があるのでしょう。なお膵臓の尾部と大動脈は良く見えなかったようで、「描出不良」と書かれていました。正月休みに体重が2kg近く太り脂肪肝ではないかと心配したのですが、杞憂に終わりました。

次は半年後の7月ですが、半年後の同日以降は予約ができなく、来月になってから電話予約です。なお朝食は、診察が終わった後病院の喫茶室でサンドイッチセットを頼み、しっかり取りました。

2010/01/11

神在月の国へ(8)

2009年11月21日(つづき)

帰りの「やくも」の指定席は出雲市から取っているが、少し時間があるので松江のイングリッシュガーデンに行くことにする。これも一畑電車の沿線であるが、JRの方が速くて本数が多い。さて松江駅に付いてはみたものの、一畑電鉄の松江宍道湖温泉駅までは結構遠い。09112137a_2
市内バスを使い松江宍道湖温泉駅に着いたものの今度は一畑電車が無く、結局イングリッシュガーデンには行かずにバスで松江宍道湖温泉駅までを往復しただけとなった。こういう時、周辺のバスもただで乗れる周遊券は有り難い。09112138a


松江駅に特急列車の車内販売廃止の知らせが張ってある。気動車2両の「まつかぜ」や「おき」は、まあそうだろうと思っていたが、「やくも」も廃止である。慌てて駅で駅弁を買い込む。余裕があって良かった。ついでにキリンクラシックラガーも一緒に買うが、広島工場製であった。09112139a

今まで鳥取と島根でコンビニにも色々入ったが、ローソンとポプラだけであった。全国では大手のセブンイレブンが1軒もなかったが、ローソンとの出店政策の違いが出ているようだ。09112140a187


入線してきた381系やくもに乗り込む。381系は製造されてからずいぶん時間が経つが車内は更新されており、ハイデッキにハイバックシートに取り替えられている。このハイデッキは一時流行した形で、シートの場所を通路から10cmくらいかさ上げして視線を高くするものだが、この10cmの段差はくせ者で、通路に出ようとする時に空足を踏むような形でけつまずく。そのため最近は流行らないようだ。ハイバックも座り心地は良いのだが、前が見えない。車内はがら空きで、車内販売廃止の訳も分かる。09112141a


伯備線沿線の景色は、日が暮れてしまって見えない。沿線の景色を楽しむなら、もう1本前のやくもが良かった。381系は飛ばすし、よく揺れる。Wちゃんから「やくもは揺れる」と聞いていたが、本当にそうだ。ただ小生は振り子の制御不良による揺れだと思っていたが、揺れは上下動で、線路が悪い上に、台車や車体全体にガタが来ていることによる揺れだ。伯備線も備中高梁から南は1線スルー化が進んでいるが、それまでは駅通過の度にポイントで減速し、急カーブを切る。実は振り子車はポイントのカーブでは非振り子車よりも大きく揺れるので、振り子車導入はポイント改良とセットでなければいけない。その点振り子車の先進地四国は、ポイントがよく改良されている。

山陽線に入ったら、揺れが嘘のようになくなった。山陰線は線路(保線)が悪く揺れるのは知っていたが、伯備線の保線がここまで悪いとは思わなかった。思えば出発時に智頭急行から因美線に入ったときから線路が悪くなり、今までずーっと線路の悪いところを走り続けていたわけだ。輸送量が少ないところは保線にお金をかけられないのも分かるが、このままではますます客足が遠のくばかりであろう。ちなみに山陽新幹線でさえ、広島以西は保線の悪さによる揺れが目立つようだ。

岡山到着、ずっと人口の少ないところを旅行してきたので、岡山は大都会である。

岡山泊。
(つづく)

2010/01/10

神在月の国へ(7)

2009年11月21日(土)

松江は朝から雨、しかし今日は出雲大社に行くので、出雲市の天気がどうかだ。松江から出雲市へは各停、珍しく電車で、115系の2両編成である。09112101a
クモハ115の方は通常の顔だが、114の方は中間車に運転台を取り付けてあるので、切妻の面白い面相だ。しかもダブルパンタである。ガラスにピラーがないので、大阪付近の103系更新車にも似ている。途中出雲空港が車窓から見えるが、誘導灯は宍道湖の中にある。09112104a

出雲市は晴れている。今回はずっと雨から逃げおおせている。出雲市駅からはバスで出雲大社へ。大社線が無くなったので、バスに乗るしかない。一畑電鉄が松江駅から出ていれば、一畑電車を使う手もあったのだが。09112111a


出雲大社は、現在平成の大遷宮と言われる立て替え工事中である。伊勢神宮の式年遷宮は新しいお宮を建ててからそこに神様が引っ越すが、出雲大社は一般の住宅のように、仮の住まいに引っ越してその間に建て替える。そのため今は本殿を見ることはできない。この工事中のせいかどうかは分からないが、出雲大社は思っていたよりずっと小さい。09112121a
参道ももっと長いと思っていた。やはり先住民とは言え国を譲って(あるいは強奪され)隠居した人だと、この位なのであろうか。菊の御紋がないのも、新しい発見だった。やはりこちらは、天皇家より先輩である。八百万の神様が出雲に集まるのは10月で1ヶ月ずれたと思っていたら、旧暦なので現在が出雲では神在月、他では神無月である。しかし神様がやってくるのは旧暦の10月10日からだそうで、まだいらっしゃらない。09112114a


出雲大社を終わり、見たかった歴史博物館に行く。途中に古代出雲大社の神殿模型が展示してあるが、やはり古代の出雲大社の神殿は大きかったのだ。高さ48mは15階建てのビルに相当する。周りに何もないところでの48mは、さぞ目立ったであろう。逆に風を受けやすく、何回も倒壊したようだ。09112118a

歴史博物館は、かなり広い。日本人の祖先はいろんな方向からやってきているのだが、出雲族は新羅系である。そして後からやってきて出雲族から国を奪った天孫族はどこから来たのか、興味のあるところである。ちなみに小生は大和民族ではなく熊蘇民族の末裔を自称しているが、小生の顔つきからすると、縄文系の熊蘇ではなく、北九州弥生人の影響が強いようだ。09112117a


次の目的地は旧国鉄大社駅であるが、途中に一畑電鉄の出雲大社前駅がある。ここもステンドグラスが入っているなどなかなか雰囲気のある駅ではあるが、電車の間隔は長い。09112116a
駅にはパンタグラフを降ろした5000型がお休み中であった。しかし天下の出雲大社の参道というのに、人がいない。電車の間隔が長いはずだ。ここ大社町には川上姓が多いのにも気がつく。09112124a


旧国鉄大社駅は、そのままの形で残されている。再開発の話も出ないようなところなのでそのまま残されたのだが、この建物は残す価値があると思う。奈良や長野が改築されてしまい、「門前駅」の駅舎で原形をとどめているのは、ここだけかも知れない。09112128a
ホームは直線で2面3線、長い1番ホームは、東京からの急行「出雲」が到着したところだ。3番線にD51が静態展示してあるが、C57の方が似合う場所だ。バスで出雲市駅に戻り、駅前で出雲そばを食べて出雲を終わる。なお一畑電鉄の出雲市駅は高架になり、電車は全く見えない。09112132a


(つづく)

2010/01/08

今年初出張

2010年1月8日

今年初出張です。10010802a
珍しくきれいに晴れ、熊谷あたりからも富士山が見えました。写真は上越新幹線の車内からです。

2010/01/03

江戸最初山手七福神

2010年1月3日

皆様にも御利益がありますように。
クリックすると、御利益も大きくなります(??)。10010301a


ここは手書きのため、毎年微妙に異なります。暇な方は、一昨年のものと比べてみて下さい。

2010/01/02

謹賀新年

2010年1月2日

皆様、明けましておめでとうございます。

去年の大晦日は、初めての経験ですが、ジルベスターコンサートに行ってきました。テレビで放映されるオーチャードホールのものではなく、ミューザ川崎です。開演も午後3時で、帰って夕食/紅白に間に合います。従って、新年カウントダウンもありません。

指揮は秋山和慶さん、演奏は東京交響楽団で、曲目は「ともかく元気の出る曲を集めました」、というもの。シュトラウスのワルツ「南国のバラ」から始まり、チャイコフスキーのピアノ協奏曲1番(ピアノは小川典子さん)、後半は合唱付き(合唱団は、川崎市合唱連盟アニモ+昭和音楽大学+洗足学園音楽大学)で、近藤岳「ジルベスター2009」、ヴェルディ「アイーダ」から凱旋行進曲、マスカーニ「カヴァレリア・ルスティカーナ」から間奏曲、ヴェルディ「ナブッコ」から「行け、わが思いよ、金色の翼に乗って」、マスネ「タイス」から瞑想曲(ヴァイオリンはコンミスの大谷康子さん)、ワーグナー「ローエングリン」から第3幕への前奏曲、同じく結婚行進曲、ワーグナー「タンホイザー」から大行進曲と、よくこれだけ集めたというものですが、派手好みの小生としては大満足のプログラムです。あまり派手なプログラムは好きではないカミさんと、ドラ息子までなぜか一緒にいました。アンコールはパイプオルガンに合唱付きの「威風堂々」とラデッキー行進曲、賑やかな大晦日でした。なおソロを弾いた大谷康子さん、ソロの時は赤いドレスでしたが、それ以外は黒いドレス(途中で早変わり)でしっかりコンミスを勤めていました。

司会者がいて曲間に指揮者やソリストへのインタビューがあったのですが、指揮の秋山さん、すごい鉄ですね。「はやぶさ、富士」の最終列車に乗り、九州まで行ったそうです。途中は先頭車に乗り、機関車を眺めていたとか。2010年の抱負として、「2009年は模型を作る時間が余り取れなかったので、もっとその時間を取りたい」と言っていらっしゃいました。

このブルートレインの先頭車と言えば、昔20系時代の「みずほ」で、上り先頭車のナハネフ22の車掌室の隣に立って牽引のED73を眺めていたことを思い出します。ナハフ20/ナハネフ22は車端が曲面ガラス張りで展望車のようになっており、しかも車掌室は半室なので、機関車の側通路を通して前が見えました。その当時は機関車は2人乗務で信号確認の度に汽笛を鳴らしており、力行の度に機器室に一斉に点く通電表示灯と、信号確認の短い汽笛は、今でもはっきりと思い出します。その点秋山さんが乗られたスハネフ14は先頭部に行けるところは貫通路しか無く、側通路が見えないのでちょっと気の毒でした。もっとも音楽家の秋山さんは、走行音を楽しんでいらっしゃったようですが。

帰宅してからは紅白はビデオに撮っておき、テレビはN響の第9から年越しのジルベスターコンサート、元旦はウイーンフィルのニューイヤーコンサートで年が明けました。

今年もこんな調子で鉄と、音楽と、それに仕事で続いて行けたら、有り難いです。

今年もよろしくお願いします。

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