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2009/11/29

だいこんの花

2009年11月29日

森重久弥さんが亡くなって追悼番組がいくつか放送されていますが、その中で旅行中に放送されビデオに撮っておいた「だいこんの花」を見ました。珍しく小生とカミさんの興味が一致しました。この「だいこんの花」、シリーズで何回か放送されたと記憶していますが、その中の第1回です。放送されたのが1970年で、小生は(当然カミさんも)大学4年でした。

話の筋より、服装や髪型が懐かしかったです。ミニスカートで、内巻きの髪型、「私もあんなだったなあ」とカミさんが言っていましたが、みんなそうでした。ちなみにミニスカートが一般に広まったのは1968年からで、それこそある日突然というような感じで一斉にミニになっています。しかしあの頃は服がカラフルでしたね。何で今は男も女も真っ黒なんでしょう。

出演者では、カミさんは竹脇無我(2,3歳年上のはず)と一緒にテレビに出たことがあるので懐かしく(休憩時間には、竹脇無我がカミさんを背もたれにしていたそうです。ちなみにカミさんは、普通の大学生でした)、小生は川口晶が好みだったので、これも懐かしく見ました。どうも小生の好みはタヌキ顔のようで、天地真理、桜田淳子、中村紘子、森田美由紀アナウンサー(NHK)と、みんなタヌキ顔です(^_^;。この川口晶がどうなっているか気になり調べたところ、今は何と陶芸家でした。

森重久弥が巡洋艦の艦長だったという想定ですが、現役当時40歳として1970年頃は65から70歳、息子が戦後の40歳過ぎに生まれたとしてちょうど計算が合います。その当時は気がつきませんでしたが、今は無理のない設定だったとわかる歳になりました。「もう戦後は終わった」と経済白書が宣言したのが1956年、1970年と言えばそれから14年も経ち高度経済成長まっただ中ですが、実際に戦争に行った方がまだ沢山いて、今から見れば終戦にかなり近かったのが分かります。

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日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

やっぱりポン吉さんはタヌキ顔がお好きだったのですね。奥様も、ですか。
ミニスカート懐かしいです。若い頃流行なので仕方なく着てましたが、今はすっぽり隠しています。
当時の映画ライアン・オニールの「ある愛の歌」ご覧になりましたか、ボストンだったかニューヨークだったかご存知かしら。

meeさん、ありがとうございます。
やはり類は友を呼ぶというか(笑)。カミさんも分類すればタヌキ顔ですね。若い頃は榊原るみによく似ていました。
あの当時は猫も杓子もミニスカート、佐藤首相夫人がミニスカートで海外に行った、と話題になりましたね。
ある愛の歌は見ていません。どうやらニューヨークらしいです。

「だいこんの花」放映時、私は小学校低学年でした。(私は現在アラフォーの大阪OLです。♡*^。^*)
 もの心ついて、親が見ているTVドラマのストーリーが分かるようになって初めて意識した俳優が、竹脇無我さんです。
 ようするに私の初恋の人なのです。「木下恵介劇場」に出演されてるこの人を見た瞬間、目が釘付けになっていました。
   ・・・・・・
 「だいこんの花」は、リアルタイムでは見ていないのですが、中学生の頃だったか、高校生になってからだったか、夕方の再放送を熱心に見てました。
   ・・・・・・
 私はこの春インターネット開設したばかりの若葉マークです。しばらくは、Yahoo検索に「竹脇無我」といれてクリックするという、"IT利用"を繰り返していました。
 そして、私の様な人達が結構いらっしゃることに驚きました。「6つか7つ、8つの時に親が見ていたTV番組の中にカッコイイ人を見つけ、親にも言わず、思いを幼い胸に秘めていた。」

 竹脇無我さんと、「実の親子のよう」だと、視聴者にも言われていた森重久彌さんが亡くなり、私は、当時の竹脇無我さんをはるかに超える年齢になって、初めてDVDより、「だいこんの花」を見ました。
 今見ても、「幼い子供を驚愕させるくらい、眩しい。」と、思いました。

   ・・・・・・
 私は、PCのプロバイダーは、OCNなんですが、一昨日、"OCNブログ人"というコーナーを使って、ぎこちない手で、ブログを作ったところです。ITは使いこなせていなくて、要領を得ないことが多いのですが、「竹脇無我さん」を語る方々のブログに遊びにいったり、いろいろ(PC操作方法も含めて)教えて貰えたらいいなぁ・・と、夢見ています。
 今日、会社から帰って、「竹脇無我」で検索したら、最初に南海さんのHPさんに遭遇し、読んでいてなんだかとっても嬉しくなり、なれない手でキーボードをたたいています。
 お返事頂けたら嬉しく思い、作ったばかりの私のブログにリンク先t
 

すみません。初心者ゆえ、入力途中で送信されてしまいました。
肝心のことなのですが、私の作ったばかりのブログにリンク先として南海凡吉さんのアドレスを入れることをお許しいただけたら嬉しく思います。

PS
 今入れたURLは、先月OCN cafeというところで、テンプレート使って作った私のHPです。

しおもと琉璃さん、ご訪問ありがとうございます。
あまり芸能系は出てこないブログですが、生竹脇無我(?)を知っている世代ゆえ、こういうこともあります。竹脇無我さんは鬱病で、なかなか表には出てこられないようですね。多分感受性が鋭いのでしょう。告別式には、よく出てこられたと思います。
ちなみに本文中に書いた、カミさんが竹脇無我さんと一緒にテレビに出たときは、一年生のカミさんは子供扱い(単なる背もたれ)で、彼は上級生達とじゃれていたそうです。しかし美男ですね。
リンクはどうぞ、お張りになって下さい。

 どうも有難うございます!! 出来たてほやほやの私のブログに早速貼り付けさせていただいて、なんだかとてもHappy気分です。
 川口晶さんって、可愛いですね。そして奥様!! 榊原るみさん似だなんて、すごいキューティじゃないですか!! 竹脇無我さんとは、何て番組で共演されたんですか!?
・・生(なま)無我さんですかぁ。私はたぶん、無我さんと、同世代だったら、ファンにならなかったと。((+_+))、私が20代の時に20代の無我さん見てたら、「かたや、このような類い稀なる美貌の男性が存在するなんて」と、シラケていたかも。
 もの心ついた時に目に飛び込んできたこの二枚目俳優さんは、最初から遠い人。絶対に手の届かない"スター"として、幼な心に位置付けられていましたし。
 今でも私の現実から乖離した存在なんですよね。
 強いお侍を颯爽と演じる竹脇無我さんでいてほしかったし、鬱病で苦しむ無我さんは見たくないとずっと思ってました。
 でも、図書館で手にしたstory2月号に竹脇父娘が掲載されていて、お父さんと同じ黒い大きな瞳を持つおじょう

すみません。初心者ゆえ、また入力途中で複数回エンターキー誤って押したみたいで送信されてしまいました。こんな時どうしたらいいんでしょう。

  無我さんのお嬢さんの竹脇友加さんは、お父さんの良いところばかりをDNAで受け継いだみたいな可愛い魅力的な方。
 その友加さんが、お父さんの闘病時期に「絶対にお父さんを助けるんだ!!」と奮闘されてた姿を知って心を打たれ、つい昨日「壮絶な生還 - 竹脇無我著」を買ったんですよ。

しおもと琉璃さん、たびたびのコメント、ありがとうございます。
遙か昔、TBSの「ヤング720」という番組があり、カミさんが出たのはそれです。今ちょっと調べてみたら、竹脇無我さんは司会者(いろんな人が交代)の中に名前がありました。
竹脇無我さんも本を書かれていましたか
φ(.. )
書きかけで送信してしまった場合、完成版を作っておいて頂ければ、仕掛かり中の物は小生が削除できます。

 「ヤング720」は、スターになる前の10代の頃の竹脇無我さんが、後に共に森重ファミリーのメンバーになる、松山栄太郎さんや、関口宏さん達と司会を担当していた番組ですね。
 「向田邦子全対談」の中で語られてるんですが、向田さんはその時この番組の台本を書いておられるのですが、竹脇さんのことを、「若いのになんて横着な人間なんだろう。」と思ったとおっしゃてるんですね。
 「先方に質問してほしいことを3つ書いておくと、松山さんと関口君はそこからつないで10くらい聞いてくれるんだけど、あなたは3つしか聞かなかった。あんまりだから、プロデューサーに言ってもらったら、あなたは『聞くことない』って言ったというの。」とあきれる向田さんに、これまた竹脇さんは「聞いてほしいことを聞けばいい。」と答えています。
 高校1年生で名アナウンサーだった父親、竹脇昌作氏が自殺した時、6人の子供が残され、竹脇家は窮状に陥る。学校をやめることを考えていた無我さんは、父の友人の勧めで松竹に入り、俳優の道を歩むようになります。
 家計を支えるために、目指してもいなかった役者稼業をやるようになった無我さん。
 しかし、役者としての欲や、たぎるような上昇志向を全く感じさせない無我さんの姿は、TV画面の映像から、幼かった私たち(私と同世代の竹脇ファン)にも伝わり、なんとも鮮烈な印象を与えていたのです。
 『だいこんの花』の時、竹脇さんがもう少しさもしくて、意地汚なかったらいいと思ったという向田さん。「もうちょっとがめつく、爪立ててはい上がるような芝居もみせたほしいなと思ってた。でも、この頃は、これはむしろ天然記念物だから、このまま趣味のいい内法(うちのり)演技でどこまでやれるか見せてほしいと思うようになった。」と、無我さんを激賞(?)しておられます。
 「竹脇さんは50過ぎると、すごくいいんじゃないかしら。」と、その対談で語っておられた向田さんは、50過ぎた竹脇さんが出演するドラマの脚本を、ご自分で書いておられる姿を楽しく想像しておられたのではないでしょうか。
 しかし向田さんは航空機事故で帰らぬ人となり、竹脇さんは、50代を鬱病で苦しむことになる。
 向田さん不慮の死から半年経った時に、吉行淳之介さんが向田さんの全対談を年代順に並べ、対談者それぞれにコメントを依頼することを提案して刊行された文芸春秋社のこの本。30代の竹脇さんは中で、向田さんは「無我ちゃんならできるわよ。」「あれでいいのよ、やってね。あれで。」といつも励ましておられたことを明かし、「向田さんは僕の様な役者をわかってくれる、数少ない一人だった。向田さんと別れた後も、僕はこの仕事を続けていかなくてはならない。年とった僕も書いてほしかったのに。」と、語っておられます。
 父・親友の松山英太郎さん・最強の理解者の向田さん、そして今回は森重久彌さん。・・ 大切な大切な方々との別れを余儀なくされてきた竹脇無我さんの人生は凄絶なものだったのですね。
 でも、闘病中竹脇さんはよく仕事の夢を見たと、自著に書かれています。森重久彌さんや加藤剛さんとの共演など、いい現場の夢が多かったと。
 「いやだ。いやだ。」と、最初は思いながらやっていた俳優の仕事。病気になった時、自分にとって大切な仕事だと気付いたと綴っておられます。
 大変な困難を乗り越え、これから竹脇無我さんは、人間としての深みを感じさせるいい演技をされ、若い時とは違った花を咲かせるのだと、私は期待し、祈っています。
    
 
 

しおもと琉璃さん、ありがとうございます。
ヤング720は、そういう番組だったのですね。小生はその時代は下宿でテレビはありませんでしたから、全く無煙です。カミさんが出た頃は、竹脇無我さんは小生の5歳年上なので、23歳ということになります。
松山英太郎さんが早死にしてしまいましたが、そのことが鬱病のきっかけになったようですね。小生は向田さんの死も影響していると思います。
竹脇無我さん、現在はテレビや舞台に出ていられるようですね。

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