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2009/08/13

再び「ノモンハン」

2009年8月13日

出張のために1日遅れましたが、今日から夏休みです。今日、防衛省防衛研究所というところに行ってきました。最寄り駅は、恵比寿です。ここの図書室の中に資料閲覧室というのがあり、ここだけは一般に公開されています。ただし閉架式です。

防衛研究所の門構えは企業の研究所のようですが、車止めの作画置いてあり、歩哨が立っているところが違います。さすがに歩哨は小銃は持っていませんが。この歩哨に資料閲覧室へ行きたいと声をかけようと思ったら、「資料閲覧の方ですね。左手の方で入門手続きをやって下さい。」と先に声をかけられました。入門手続きをやり、首から提げる入門証を下げるところは、企業の工場と同じです。

資料閲覧室は鞄は原則持ち込み禁止でロッカーに入れます。筆記具は鉛筆だけ、拡大解釈でシャープペンも使えるはずです。来た目的は防衛研究所ホームページの「資料公開ニュース」に「歩兵第64連隊山縣支隊ノモンハン事件戦闘詳報」という資料が載っていたからです。記述期間は昭和14年5月21日から6月2日まで、第一次ノモンハン事件の第一次及び第二次戦闘のすべての期間です。つまり、親父が負傷した日も含んでいます。

資料を借りだし、詳しく見ていくと、5月23日付けの命令書に親父の名前が出てきます。さらに添付資料の山縣支隊全将校の名前の中に親父の名前もあり、親父は第一次戦闘では東支隊に、第二次戦闘では山縣支隊にいたことがわかりました。なお第一次戦闘で一緒だった田坂大隊(第1大隊)は、この時山縣支隊には入っていません。

負傷したあたりの戦闘では、何もかかれていません。ただ親父は「一番先にやられた」と言っていましたが、負傷した日(5月29日)の前日からかなり激しい戦闘に入っているようです。あらためてアルヴィン・D・クックス著「ノモンハン」(朝日文庫)のそのあたりを読んでみると、親父のいた通信隊は集中攻撃を受けたのかそれとも危険な任務に就いていたのか、「手ひどくやられた通信班」と書いてありました。また山縣支隊では親父が通信隊の第2小隊長だったようですが、通信隊長(第1小隊長兼務)の中尉も同じ日に負傷しています。

少しコピーしてもらおうと思って複写依頼を出したところ、この資料は現在マイクロフィルムへ写す作業中で、閲覧依頼があったので作業を中断して貸し出したとのこと、コピーが可能になるのは1ヶ月ごとのことでした。係員の話し方から想像すると、ここにはそれこそ全国から閲覧に来られているようです。2時間弱いて、歩哨の敬礼に送られて帰りました。

なおこのノモンハン事件については、2008年9月23日にも記事にしています。興味のある方はそちらもどうぞ。

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