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2009/07/31

治療終了4年後の検査結果

2009年7月31日

久しぶりに、肝臓の診察に行ってきました。駅で偶然にバスに間に合い、病院に8時半前に着きました。バスの本数が減り朝のラッシュ時も20分おきになったので、1本外すと20分遅れます。採血は3週間前に済ませたので、診察室前で本を読みながらのんびり待ちます。基本的に診察開始は朝9時ですが、早い先生は9時前から診察を開始します。ところが肝臓はなかなか始まらず、10分ほど過ぎたところでぱたぱたと走ってくる先生、あれY先生だ。「STAFF ONLY」の入口から飛び込み、すぐに診察開始です。

順番は早いので、すぐに呼ばれます。結果は、
GOT=23,GPT=14,血小板数=20万と、良好です。ウイルスも、「検出せず」。治療終了後約4年ですが、順調に経過しているようです。γ-GTも13と、飲み過ぎてもいないようです。

Y先生(ばんばんさんの表現では、Y女医)、てきぱきと進め、次回の診察(来年の1月)と同時に、エコーの予約も入れました。エコーは診察の当日でも良く(知らなかった!)、朝8時40分からエコー、9時から診察という、すごいスケジュールです。一番寒い時期、そこでの朝食抜きは、もっと寒いだろうなあ。

Y先生、「肝臓以外の他の診察を受けていますか?」と聞いてきました。どうやら総合診察と言うか、人間ドック的なことを聞いてきたようで、会社の検診を受けているのなら良いでしょう、ということでした。そろそろ年齢的にどこが悪くなっても不思議はなく、その状態で定年になって会社の検診も受けなくなったら、本当に危なくなるところです。小生はまだ会社にいるので検診がありますが、本当に引退した後は何か考えなければいけません。収入はないので、市の無料検診などを利用することになるでしょう。

4年目ではなく、4年後ですね。訂正しました。

2009/07/29

エコポイント

2009年7月29日

5月にデジタルテレビを買ったとき、これはエコポイントの対象であるとの説明を受けていました。ただし法案が成立したら、という前提だったのですが、衆議院の解散前にこの法律は成立しており、申請できるようになりました。個人的にはこのエコポイントも疑問に思っていることですが、まあくれると言うんですから申請準備に入りました。

エコポイントは省エネ家電製品の言わばキャッシュバックで、エアコン、冷蔵庫、デジタルテレビのいずれも認定されたものがその対象となっています。認定された商品一覧を見るとずらっと国内メーカーの物が並んでおり、LGやらサムスンのものはないのですが、非関税障壁という声は出なかったんでしょうか。それと何でこの3つだけ?という気はするのですが、元々このエコポイントという制度、国内家電メーカーの救済策なんでしょう。

さてこのエコポイント、小生が買ったテレビは22in.なので7000ポイント、それに古いブラウン管テレビをリサイクルに回しましたので+3000ポイントになります。1ポイントがほぼ1円に相当しますから10000円です。給料半減の状態ですからこの1万円は貴重で、少し申請が面倒ですが、やることにしました。

申請に必要なものは、領収証(原本)、保証書(コピー)、家電リサイクル券控え(コピー)です。この原本というのが困りました。領収証は別用途で使ったので、コピーは取ってあるものの原本はないのです。エコポイントのホームページを見たら、領収証の原本がないときには、販売店に購入証明書を発行してもらえ、と書いてあります。保証書も販売店名明記と書いてあるので、買った量販店に行ってみました。するとエコポイント相談窓口というのができており、すんなりエコポイント申請用の領収証を発行してくれました。保証書にも販売店印を押してもらい、コンビニでコピーを取って、準備は完了です。

さてエコポイントの申請ですが、インターネット申請のみとなっています。後でよく見たら販売店での代理申請を念頭に置いているようです。そうでなかったら、一部の人しかエコポイントの恩恵にあずかれません。さて申請を行ってみたら、この入力ページの作り方は下手です。都道府県名だけではなく、市区町村名も別枠に入力させる(間違う人が、絶対に出ます)、電話番号にハイフンを入れるとエラーになる、メールアドレスを勝手に小文字に書き換えておいてエラーにする、所定の印刷指示で印刷したらA4からはみ出す、等々。もう一工夫すれば入力はずっと楽になるのですが、手を抜いたようです。確定申告のホームページの方が、よっぽど出来が良いです。ともかく何とか入力完了して電子申請し、なのに書類に署名捺印して(役所だなあ)領収証やら保証書のコピーやらを貼り付けた申請書類一式を封筒に入れ、印刷のフォーマットに無駄が多いので重量超過して10円切手を買い足し、無事投函しました。

書類に不備があると返却すると書いてありましたが、さてさて、どうなるでしょう。ちなみに交換商品として申請したのは、ビール券です(^_^;。

2009/07/25

襟裳から小樽へ(10)

2009年6月22日(月)

今日が今回の北海道旅行日の最終日、帰る日でもある。カミさんは北斗星なので札幌夕方の発車だが、小生は午後の飛行機が撮れずに13時という早い時間なので、もう朝からすぐに出発である。小樽の天気は曇、札幌は雨のようで、カミさんはいろいろ迷った末に、小樽の水族館に向けて出発した。Dscf2387a


さて小生の方は、まず手宮線の跡地をじっくり見る。横浜の汽車道と違って昔の線路をそのまま残してあるため、古い木の枕木がそのまま残っている。この枕木にある鋭い刃物で付けたような傷、これは防腐剤をしみ込ませるために、わざと付けてあるのだ。昔三角の中学校の通学路のそばに枕木と電柱の防腐工場があり、そこで作業を見ていたので、工程はよくわかる。Dscf2389a

昔の線路をそのまま残してあると思っていたが、大通り(中央通り)の踏切部分は、線路の方を切り下げて道路を直線にしてある。そうしてまでも踏切を残して、手宮線の跡地を保存してあるのだ。Dscf2393a


今お祭りの真っ最中の竜宮神社に行ってみる。敷地は狭いが、榎本武揚の立派な銅像があった。蝦夷地は榎本武揚の夢の大地であったらしい。Dscf2395a


千歳空港行きのエアポートは、Uシートを奮発する。奮発と言っても300円なので、湘南新宿ラインのグリーン車に比べれば、ずいぶん安い。駅に入る前にロッテリアでコーヒーを買ったら、カードのポイントでまかなえるとのこと、ポイントだけで買って現金を払わないと、何か得したような気分になる。Dscf2396a

Uシート連結のエアポートは721系でサハ721-3200は全室Uシート、車掌室付で車掌室には専用のドアもある。車掌は編成最後尾ではなくここに乗務し、ドア操作も行う。専用のドアがあるので、ドア操作時車掌はホームに降りるが、最近のJR北海道の新車はこのドアを廃止し始めているようだ。キハ281系は車掌用ドアがあるが、キハ283系にはない。やがてJR東のように、窓から顔だけ出してドア操作をするようになるのだろうか。Dscf2398a


小樽からのエアポートは札幌で方向反転をせず、そのまま千歳空港に向かう。天気は次第に雨模様になり、千歳空港ではかなり強い雨になった。しかし飛行機の発着には影響はなく、B747-400は時刻通りに羽田空港に到着した。出発時の小樽の気温は19℃、東京の気温は27℃であった。東京は雨であったが自宅のあたりは幸い降っておらず、無事傘を差さずに自宅に到着した。

(完)

2009/07/22

襟裳から小樽へ(9)

2009年6月21日(つづき)

今日は地元の竜宮神社の例大祭のようである。釧路に行ったときもお祭りにぶつかったが、北海道は夏祭り、それも7月が多いようだ。6月のお祭りは、初めてだ。カミさんも面白がり、二人で出店を覗いて歩く。昔田舎の金比羅宮のお祭りの時は、それこそぎっしりと出店が並んだものだった。Dscf2370a
昔はこういう店の人達は夜は盗難防止もかねて出店の奧で寝ていたが、今はどうしているのだろう。

運河はライトアップも見物で、ホテルに荷物を置き、また出かける。JTB経由で安いホテルを取ったつもりであったが、結構立派なホテルであった。Dscf2376a

小樽の駅もライトアップではないが明かりがともされ、こちらもきれいである。運河だけではなく、旧日本銀行や旧三井銀行もライトアップされ、美しい。運河の回りは、さすがに人が多い。Dscf2384a
相変わらず人力車の客引きが多く、これがうっとうしい。小樽の街は観光施設が押しつけがましくなく実に雰囲気が良いのだが、この人力車だけが難点である。運河をバックに写真屋さんに頼んで写真を撮っているおぢさん5人連れは、どう聞いても熊本弁である。10年前に稚内に行く車中でも熊本弁を聞いたが、熊本県人は物見高いのであろうか。Dscf2379a


夜景の写真を何枚か撮るが、遠距離の夜景はフラッシュも届かず、手持ちで撮るのは結構難しい。それでも何とか物になりそうな写真が撮れた。Dscf2380a


夕食は珍しく観光地の飲み屋へ。一人である。少し高かったが、最後の夜なので大目に見る、いや、カミさんが大目に見てくれる。多喜二という名前であったが、小林多喜二とは何の関係もなかった。Dscf2383a


今回の小樽、予想外に良く、カミさんと意見が合った。札幌から近いところに良いところがあると、体力が無くなっても再訪できる。
小樽泊。

(つづく)

2009/07/21

小澤征爾音楽塾オペラプロジェクト

2009年7月21日

今日、と言うよりもう日付が変わったので昨日(20日)、小澤征爾音楽塾オペラプロジェクトに行ってきました。この小澤征爾音楽塾オペラプロジェクト、2000年(第1回)と2001年はチケットは取っていたものの諸般の事情で行けず、代わりにカミさんが行き、2003年(こうもり)と2004年(ラ・ボエーム)は連続して行けました。それからIFNやらぶどう膜炎やらで間が開き、今回は5年ぶりです。

オペラは料金が高いのですが、今回は二人分の定額給付金を充てました。いつも通りチケットは1枚だけ、何かあったらすぐ代わりが行きます。定額給付金という制度自体には反対なのですが、「反対でも、決まったことには従う」という民主主義の基本ルールに従って、しっかり受け取っています(^_^;。

演目はフンパーディンクの「ヘンゼルとグレーテル」、おなじみのグリム童話です。この曲は日本ではあまりなじみがないので、小澤征爾音楽塾では珍しく、他の演奏会でいつまでもチラシが配られていました。おそらく、チケットの売れ行きが悪かったのでしょう。こちらも全く知らなかったので古いビデオを借りてきて、カミさんと一緒に事前に見てみました。ところが、これは楽しいオペラです。じっくり見ると、原作のグリム童話自体がかなり残酷なのですが、そこは置いておきましょう。何で日本であまり演奏されないのか、不思議になりました。

会場は神奈川県民ホール、最近はここではオーケストラピットの見える3階を取るようにしています。しかしエスカレーターやエレベーターがないので、3階(実質5階)まで上がるのは、息が切れます。3階まで上がって一息ついていると、「わあ、ここは景色が良いのねえ。」という声。声のする方を見たら、両松葉杖の女性が立っていました。階段を上がって来られたんでしょうか、それとも以前miyaさんがおっしゃっていた秘密のエレベーターを使われたんでしょうか。
今日は横浜港祭りで、開港150年ということもあって海岸は大賑わい、日本丸と海王丸の帆船2隻が泊まり、2隻とも帆を全開にしていました。総帆展帆と言うらしいです。さらには大型の客船もいて、華やかでした。なおみなとみらいの日本丸1世も、総帆展帆を行っていたらしいです。

小澤征爾音楽塾オペラプロジェクトのオーケストラは「塾生」と呼ばれる若い人が主体ですが、要所要所に「コーチ」と呼ばれる名演奏家(そのほとんどがサイトウキネンオーケストラのメンバー)が配置されています。5年前まではフルート(工藤氏)とオーボエ(宮本氏)の妙なる演奏が聞こえてきました。今年は宮本氏がオーボエの演奏活動から引退したこともあって、どうなることかと見ていたところ、工藤氏宮本氏ともオンステしていました。そして工藤氏が楽器を持たずにコーチに専念しているのに対し(演奏中もコーチングが行われていました)、宮本氏はコーチを行う傍ら楽器持参で、3番オーボエまで登場するような音量の大きいところでは一緒に吹いていました。宮本氏がいわゆる引退後オーボエを吹く姿を見たのは、初めてです。

演奏はすばらしく、楽しめました。14人の天使が登場したところはきれいで、魔女が2階に上がってそこからほうきに乗って彼方に消えた後(飛んでいたのは人形)に舞台上手から現れたときは、大うけでした。ヘンゼルとグレーテル(実際はメゾソプラノとソプラノ)のデュエットがすばらしかったです。グレーテル役に予定されていたバーバラ・ボニーがウイルス性流感(ひょっとしたら新型インフルエンザ?)で来られなくなって代役のカミラ・ティリングでしたが、見事でした。今日(20日)が本当の初日、これからあちこち回るようです。

2009/07/20

襟裳から小樽へ(8)

2009年6月21日(つづき)

定期観光バス(おたる散策バス)に乗ってみることにする。人力車の客引きが、小樽運河の南側は観光施設だが、北側はまだ現役でそっちも方が良いと言っていたので、一番長いコースを回るCコースに乗る。Dscf2303a
定期観光バスと言っても途中で降りられるので、運河の北側に着いたところで降りるつもりだ。やってきたのは、レトロ調のバス。キャブオーバーなのに運転席にはドアがないので、運転手はエンジンを乗り越えないと席に着けない。Dscf2306a


観光バスは視線が高くなるので、また面白い。観光地化された運河を一通り回り、本物の港湾施設を通り、運河の北側で降りて歩いて行こうとしたら、何と汽車の汽笛が聞こえる。何だと思って汽笛の聞こえた方に行ってみると、何やら鉄道車両が沢山見える。Dscf2311a
こうなるともういけない、完全にスイッチが「鉄」側に切り替わる。施設の名前は小樽市総合博物館であるが、どう見ても鉄道博物館である。入場券(硬券)を買って中に入る。ここはかつての手宮機関区で、北海道の鉄道の起点となったところだ。Dscf2312a


鉄道車両が屋外展示であるが、ずらりと並んでいる。キハ82の1号、ED75 501号、キハユニ25に、キハ56系1編成、客車も多い。金融資料館に紹介してあった現金輸送用のマニ30もいる。Dscf2316a
北海道用の客車は窓が二重窓、床下の発電機もベルトを使わずに歯車駆動など、本州以南用とはかなり異なり、独自設計になっている。ちなみに現在の北斗星用の客車も入口のドアが折り戸の九州行き(廃止されたが)とは異なり、引き戸である。Dscf2340a
館内には、静号が展示されている。小樽の石炭桟橋の模型があり、これも興味を引く。石炭の積み出し港としては、北の小樽、南の若松が有名だった。Dscf2329a


外の目立たない建物に入ってみる。何と、かつて小樽築港機関区にあった蒸気機関車整備用の治工具が、全部保管してある。機械物は、こういう治工具類がないと、整備ができないのだ。こういう物があったとわかるだけでも、大変な遺産である。大宮の鉄道博物館は、こういう物を保管しているのだろうか。Dscf2331a


除雪車の展示が多いのも、北海道ならではである。ロータリー車のキ620がいる。ロータリー車は、子供の頃あこがれだった。しかしついに動いている姿は見ることができなかった。Dscf2346a
C12と同じエンジンを使って投雪羽根を回すので、音は何となく想像は付くが、実際にはどういう音を立てて作業していたのであろう。ボイラの焚き口が最後尾にあり、長い屋根はあるもののむき出しだったのは意外だった。稼働時はここにテンダーが付くので、横にシートか何かをかけるのであろう。Dscf2347a


鉄分をたっぷり堪能して、当初の目的地だった運河の北側に行く。ここは旧日本郵船の小樽支店(重文)がある。さらには日本石油の倉庫と、見所はたくさんある。Dscf2357a
運河もこのあたりでは現役で、漁船やランチが並ぶ。運河公園に「赤い靴」の銅像があった。女の子が「横浜から船に乗って」異人さんの国で幸せに暮らしていると信じていた両親がいたのが、ここ小樽であった。実際は女の子は重い結核のため横浜から船に乗ることができず、東京で亡くなっているのだが。Dscf2360a


さんざん歩き回ったので、これも外観が有名になっている喫茶「光」で休憩。外観だけではなく、薄暗い中も昔風である。交響曲などクラシックの曲がかかり、小生の高校時代(昭和40年代)は喫茶店と言えばこうだった。Dscf2367a


(つづく)

2009/07/19

襟裳から小樽へ(7)

2009年6月21日(日)

9:31札幌発の石狩ライナーで小樽へ向かう。ホテルから歩いて札幌駅に着く直前、大粒の雨が降り出す。どうも今回は、雨に追いかけられているようだ。Dscf2260a
ホームの案内は3両編成であったが、入ってきたのは721系3連+731系3連の6連、表示の場所に止まったのは731系で、ロングシートであった。札幌圏の通勤混雑もだんだん激しくなり、最近の新車はロングシートである。Dscf2261a


稲穂にあるのが札幌運転区。スーパーカムイやスーパーおおぞらのねぐらである。札幌から13kmも離れているが、まだ札幌市内なので、札幌運転区というのは嘘ではない。銭函あたりから、海が見える。石狩湾であるが、詰まるところは日本海、昨日は太平洋を眺めていて、一夜にして日本海側に出た。昨日の太平洋よりも波が静かに感じる。731系は窓が大きく、ロングシートだと対面の景色が良く見える。Dscf2262a

小樽築港はかつてはC62を擁する大機関区だったが、その跡形もない。いや、保線基地として取ってある場所が、その跡か。小樽築港から廃線跡が続いているが、これが何かは後でわかった。Dscf2269a


小樽到着、雨はすっかり上がっている。いや、降っていないという表現が正しいのかもしれない。札幌とはかなり天気が違うようだ。今までは石原裕次郎には興味はないし、レンガ造りの倉庫なら横浜に行けばいいと、交通が不便のこともあり、避けていた。しかし調べてみると、歴史的な建造物がかなり残されているようだ。まずは歩いて回る。Dscf2272a


駅に近いところから、まず日本銀行旧小樽支店、現在は金融資料館となっている。金融には興味はないが(興味があったら、今頃はお金持ちになっていたかもしれない)覗いてみる。入場無料、さすがにお金がある(意味が違う)。金庫の中が見学でき、札束(当然、模型)が置いてあったが、フォーク荷役ができるよう、専用パレットの上に置いてあるのが面白い。お金ではなく、紙製の商品である。扱う人の感覚もそうだろう。かつては現金輸送線用の荷物車があり、荷物列車に連結されて、秘密裏に全国を走っていた。Dscf2265a


踏切があるかと思ったら手宮線の跡地で、短区間であるがそのまま残されている。横浜の「汽車道」が一旦撤去した線路を再敷設してあるのに対し、昔の線路をいじらずにそのまま残してあるので、風情がある。小樽築港で見た廃線跡は、ここへ繋がっていたのだ。駅前の大通りは改修されたようだが、それでも踏切をそのまま残してある。鉄道も立派な遺産として認識されているのだ。Dscf2274a


美術館、文学館と中に入り、運河の方に向かう。Dscf2284a
石造りの立派な建造物は、大抵銀行である。その中に混じって、未だに現役の個人商店もある。これだけ昔の建物が残っているのは、戦災を受けなかったこともあるが、函館ー札幌間のルートが函館本線経由から千歳線経由に変わり、バブル期の開発から取り残されてしまったからでもあるだろう。Dscf2293a
現にいつも使っている全国チェーンのビジネスホテルが、どれもない。しかし北海道新幹線は小樽を経由するようで、その時は大変わりするかもしれない。Dscf2297a


運河を眺め、ガラス細工の北一ガラスで醤油差しを買う。昼食は、雰囲気のある喫茶店で取った。

(つづく)

2009/07/15

襟裳から小樽へ(6)

2009年6月20日(つづき)

襟裳岬は霧雨だが今日は風が無く、折りたたみの傘でも平気である。バスを降りるときに運転手が苫小牧-襟裳岬の往復切符を見て、今日中に苫小牧に戻りたかったら13時23分発のバスに必ず乗れと念を押していった。襟裳岬の滞在時間は1時間弱、あまりのんびりしてはいられない。ともかく灯台のところまで行く。Dscf2238a
今日は霧雨で見通しは利かないが、海岸のあたりまでは何とか見える。切り立った断崖、岩にぶつかる白波。むこうは太平洋だが、晴れて見える日は少ないだろう。ともかく、襟裳岬まで来た。Dscf2240a


ほぼ先端に近いところに、襟裳岬の歌碑が建っている。「襟裳岬」と言えば森進一のが有名であるが、その前に島倉千代子も歌っている。この碑を見て、島倉千代子の歌を思い出した。Dscf2244a
歳が歳だけに、かなり古いところまでリアルタイムで経験している。「風の館」というものがあり襟裳の強風が体験できるらしいが、時間に余裕がないのでパスする。Dscf2249a
代わりに売店により土産物を物色、会社へのお土産も買う。中身より、「襟裳岬」のシールの方が価値がある。「襟裳岬到達証明書」も売ってあり、これも迷わず買う。Img_0564a


バス停には立派なバス待合所が有り、そこに入ったら先客のご婦人がいた。今日はあいにくの雨模様だったがそのご婦人、「今日は良かったですね。雨だけで。」と話しかけてきた。確かにこれに風まであったら、それこそ大変である。実にプラス思考、見習わなくては。Dscf2252a


帰りのバスも淡々と走るが、途中止まらないので実質は結構速い。カミさんは乗り物酔いの薬が効きすぎて、すっかりお休み中。Dscf2253a
この走りでは、飲む必要もなかったようだ。様似からの日高本線も行きと同じキハ40の単行だが1700番台だった。エンジンと一緒に変速機も取り替えてあるようで、加速中に変速機が通常1回のところ2回切り替わる。Dscf2255a
道中は行きと同じように淡々と過ぎると思っていたら、汐見の手前あたりで警笛を連続して鳴らし、ブレーキがかかる。何と線路に鹿が入っていたそうだ。これが馬だとまっすぐ逃げるのでなかなか線路から出ず、大変らしい。非常制動ではなかったので、減速しただけでまた元の走りに戻る。苫小牧が近くなると線路が良くなるのか、飛ばす。Dscf2257a


苫小牧着、雨である。今日は一気に札幌まで行くので、一旦改札から出てコインロッカーから荷物を取り、北斗15号に乗る。昨日苫小牧まで乗ってきた列車だ。千歳線を快調に飛ばす。車内販売で温かいコーヒー、何となく落ちつく。千歳線の沿線は森が多く、森を抜けていきなり大都会が現れ、それが札幌である。雨は降っておらず、ホテルに荷物を置いて久しぶりに夕食を食べに街に繰り出す。090620205034
カミさんは旅行に行くといつも食べられなくなるので、街へ繰り出すのは小生一人、結局駅ビルになってしまった。肉を食べたくなり韓国料理店に飛び込んだら、何と東京本社のチェーン店であった。札幌まで来て、何やっているんだろう。おいしかったから、良しとする。テレビ塔のイルミネーションがきれいだった。
札幌泊。

(つづく)

2009/07/14

足底腱膜炎

2009年7月14日

3週間位前に、かかとに激痛が走りました。まっすぐ立ってかかとをおろすと、痛いという状態です。この激痛は1日ほどで治まりましたが、かかとに体重をかけると痛いという状態は、ずっと続いていました。そうしたら、カミさんが新聞の医療欄に同じ症状を見つけました。足底腱膜炎という名前です。今は単にちょっと痛いという状態ですが、心配になって整形外科に行ってきました。

整形外科に行くのも、久しぶりです。小生のホームページの昔の記事にMAC狂いの整形外科医として登場する整形外科です。ここに顔を出すのも久しぶりで、診察券が新しくなっていて作り替えました。この整形外科も今年の6月で開業10周年になったとか。小生の診察券の番号は3桁ですが、今は2万台まで行っているそうです。会計の時にも、この3桁が話題になりました。

レントゲンを撮ってみてもらったところ、やはり足底の腱が炎症を起こしているそうです。早い話が足底腱膜炎ですね。原因は硬い靴での長時間歩行、立ちっぱなしなど。対策はまあ対症療法で、湿布と、土踏まずにインナーソールを入れるのが良いそうです。これは早速帰りに薬屋に寄ってみましたがなぜか女性用しか無く、次の休みの日にでも東○ハンズに行ってみます。

北海道旅行はスニーカーでしたが、小生は日頃革靴にクッションソールを入れているので、どちらが良かったか不明なところがあります。休みはこのスニーカー用のソールも探してきます。

2009/07/12

襟裳から小樽へ(5)

2009年6月20日(土)

今日は一日襟裳岬行きに当てる。ビジネスホテルを選んで泊まるとどうしても大きい街に泊まることになり、そうなると襟裳岬まで片道4時間半かかることになる。今日の切符は周遊券の範囲外である。実は、これは現地に行けば往復割引切符があるのでは、と考えたのだが、残念ながら無かった。ただし昨日のうちに買った切符は、苫小牧から襟裳岬までの通しの往復切符である。さすがは旧国鉄バス。Img_0565a


苫小牧からの日高本線は、キハ40のワンマン単行である。このキハ40の350番台、米沢あたりにいる寒地用と違って、デッキ付き二重窓装備の、極寒地用というタイプである。ちなみに足回りも、コイルバネの間に雪が入り込まないよう軸バネはゴムブーツ付き、枕バネは空気バネである。この350番台というのは、どうやらエンジンを換えてパワーアップしているようだ。Dscf2229a

定刻発車、駅間距離が長いので、飛ばす。ローカル線の印象とは全く違う走りっぷりである。前回の釧網本線の気動車に乗ったときも感じたのだが、最近の運転手は駅間をほとんどノッチを入れたままという、自動車的な走りをする。小生の若い頃の運転手は皆蒸気機関車の機関士上がりだったので、力行するのは駅の中間あたりまでで、後は惰行で走っていた。自動車に乗るのが当たり前の世代のせいだろうか。Dscf2221a


日高本線は静内が一区切りで、ここまでが1時間35分、ここから様似まではまた1時間40分かかるが、静内に何と15分停車する。ここで乗務員も交代、ちょうど良い区切りだ。切符を持っていれば改札外への下車も自由で、少し見物する。Dscf2223a
そろそろ競走馬の郷である。静内にはチップ工場がある。苫小牧には王子製紙の工場がありそこ向けであるが、かつてはチップトラが日高本線を走っていたのであろう。Dscf2225a


静内から先は、結構勾配のきついところが多い。次第に半島の先端に行き、平地が少なくなってくるのであろう。駅2つおきに大きな街に着くという感じである。日高本線と言えば競走馬であるが、静内の手前からもう牧場が目立ち、さすがに馬が多いが牛もいる。季節柄子馬の姿をよく見かける。気動車だと慣れているのか、見向きもしない。Dscf2226a


様似到着、ホーム1面だけの駅である。バスの発車まで時間があったので観光案内所を覗いたら、ここに襟裳岬までの往復割引切符があった。切符は様似までにしておくべきだった。Dscf2233a
様似はアポイ登山の入口で、二男が小学生の頃、ここでのキャンプに参加させた。長男は遠軽で、まあずいぶん乗りでのあるところに参加させたものだ。やってきたバスは全くの路線バスで、シートも1列、しかしここから襟裳岬まで約36kmを55分とは、かなり速い。海岸沿いの道を、ひたすら進む。落石のためか道路を付け替えたところもあり、バス生き埋めの話を思い出す。Dscf2235a


襟裳町。稚内もそうだったが、半島先端の街は海からのコースで開けたため、何もないところを走っていくといきなり街が現れる。二つの岬に囲まれて引っ込んだかたちの稚内と違って襟裳岬は一つがとがっているため、岬から少し離れたところに街が開けたのだろう。バスはさらに襟裳岬まで進む。襟裳町から襟裳岬までかなりの距離があり、さらに何もなくなる。風が強いせいか木も育たず、森もない。わずかに地を這うような灌木だけである。霧雨の中、襟裳岬に着いた。朝出発してひたすら移動し、もう12時を回っている。Dscf2236a


(つづく)

2009/07/09

襟裳から小樽へ(4)

2009年6月19日(つづき)

やってきたバスは道南バス、普通の路線バスであるが貸し切り用の格下げ2ドア改造車で、全席二人がけクロスシートである。天気が次第に良くなってきて気温が上がり、やっとトレーナーを脱ぐ。雲が切れ始め、羊蹄山が姿を現す。Dscf2179a


洞爺湖に着く。洞爺湖は初めてだ。ここでサミットが行われたのはずいぶん前のことだと思っていたが、去年のことであった。おかげで施設がまだきれいだ。なおサミットの宿泊会場は湖畔ではなく、遥か山の上である。Dscf2183a
Dscf2190a
Dscf2209a


景色が良く、静かである。観光地にありがちなよけいな音楽を流していないのがよい。落ちつく。ここならしばらく滞在しても良いなと思っていたら、カミさんも同意見であった。二人とも歳を取ったか。足湯があったが、タオルを持っていないのでパスである。Dscf2187a

北海道の公園は草原の公園が多くよく整備され、しかも花がきれいだ。あちこちに花を飾ってあるところが多い。洞爺湖は街灯にも花が飾ってある。短い夏を精一杯楽しんでいるのだろうか。藤も盛りであった。Dscf2199a


洞爺湖の遊覧船は、大型だ。こういう数百トン級の大型船は、どうやって湖まで運ぶのだろうか?「地下鉄はどうやって入れる」ではないが、気になる。Dscf2188a


洞爺湖の隣に有珠山があるが、最近ここが噴火したのは2000年のことであった。そのため有珠山には、有珠新山が顔を出している。洞爺湖の有珠山側では、陥没した道路やつぶれた家もそのまま残されている。室蘭本線が不通になり多くの列車が函館本線回りになったのは聞いていたが、国道は復旧できずに付け替えたのだ。畑の中で、まだ噴気を上げているところもあった。Dscf2204a


洞爺での待ち時間の間に上り「トワイライトエクスプレス」が通る。入場券を買って撮影に行く、こういうことなら大型カメラを持ってきておけば良かった。DD51重連の発車を間近に見る(聞く?)のは初めてである。9両の客車を引くのに2200PSの機関車2両とは非常に非効率であるが、残念ながら非効率の方が迫力がある。Dscf2211a


洞爺から今日の宿泊地苫小牧までは「スーパー北斗」ではなく「北斗」、古豪キハ183である。しかし1500番台の120km/h対応車なので、振り子車に負けない速度で走る。先頭車に乗ったら、先頭右側は展望席(別名、鉄ちゃんシート)であった。しかし発電エンジンの音で、走行エンジンの音が聞こえない。Dscf2212a


夕食は今日も弁当で済ます。一緒に買ったキリンの缶ビールは、千歳工場製であった。缶ビールの工場符号を見て感動しているのは、極々少数派であろう(^_^;。苫小牧泊。

(つづく)

2009/07/06

襟裳から小樽へ(3)

2009年6月19日(金)

天気曇、寒い。朝持参した体温計で測ってみると、平熱。小生には「鉄」が一番の薬か(^_^;。
これまで北海道には何回か来たが、函館と札幌の間はずっと素通りだった。今回はそのあたりも埋めて見ようということになった。まずは大沼、早速周遊券を活用し、大沼公園まで特急「スーパー北斗」で行く。キハ281系。北海道のキハ281系は、いつ乗っても感動するくらい速い。Dscf2164a


大沼に着く前に左手車窓に湖が広がっているが、実はこれは大沼ではなく、小沼である。遥か40年前、氷結した小沼の横を走るC62を撮ったことがある。Dscf2165a
大沼に来るのは小生はそれ以来、カミさんは初めてである。小生も大沼公園では初めて降りる。駅の正面にステンドグラスがはめ込まれている。大沼に着き、せっかくだからと遊覧船に乗る。「船内は暖房が効いています」というのを呼び込みにしているくらい気温が低い。Dscf2172a
臨時便が出たのでそれに乗るが、乗客は二人だけであった。「沼」と言うだけ水深が浅いこともあり、水は汚い。大沼から小沼に入ると、波が静かと言うより、ほとんど波がない。これだけ湖の表情が違うのも、面白い。Dscf2171a


遊覧船を下り、沼の周りを少し歩く。「千の風になって」が誕生したのはこの地らしく、名曲誕生の記念碑がある。小沼近くの森では、ウグイスが鳴いている。小さな沼には睡蓮があるが、睡蓮には少し早かったようだ。結局2時間以上、大沼でのんびりした。だんだん日頃のストレスが抜けていく。Dscf2174a

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大沼公園から次の洞爺までも特急「スーパー北斗」、それでも1時間以上かかる。今度はキハ283系、今日はいろいろ楽しめる。キハ283はキハ281よりパワーが上がっているが、その分かどうか力行時の振動が大きく、キハ281の方が乗り心地がよい。洞爺に着いたが洞爺湖までのバスは1時間に1本、しばらく待つことになる。Dscf2178a


(つづく)

2009/07/05

襟裳から小樽へ(2)

2009年6月18日(つづき)

いつものようにかなり早めに東京駅に着いたが、はやて19号は20分前にはもう入線していた。しかしドアが開くのは15分前である。出発の時間が時間なので、乗客は乗り込むと皆弁当を広げる。当然缶ビールを開ける人もいるが、小生は体調が今ひとつなので、今日はビールは止める。

定刻出発。東京は泣き出しそうな雲で、東北線沿線はほぼ曇。途中に雨の区間もあるが、今日の雨は関係がない。いつもは上越線ばかりなので、久しぶりの東北線である。田の緑が鮮やかだ。車両はE2系の1000番台通し編成、全車両に車体間ダンパが付いているので揺れずに乗り心地は良いが、トンネル内では蛇行動を起こす。このあたりは東海道新幹線の700系と同じである。盛岡から先は各駅停車、二戸といわて沼宮内に止まるが、「戸」の付く駅に順々に止まっていた在来線の「はつかり」が懐かしい。Dscf2160a


八戸で乗り換え、ここで夕食の弁当を仕入れる。函館に遅く着くと、意外と食べる店がないのだ。スーパー白鳥に乗り換えたら50%くらいの混み方だが、皆窓側に座っている。つまり、ほとんどが一人旅ということだ。女性の一人旅も多い。本格的な観光シーズンには少し早いが、これは意外であった。

函館行きのスーパー白鳥19号は789系、基本6両に2両の増結が付いている。「今日もJRをご利用頂きまして、ありがとうございます」と、共同運行車だけあって東日本や北海道の名前を入れない。Dscf2161a
しかし車両の所属はJR北海道、シートポケットに入れてある路線図も北海道仕様である。乗務員は青森、蟹田で交代するが、車内販売は五稜郭の販売員が八戸から函館まで通す。JR東日本限定のコーヒーの割引券が通用するのかどうか、聞きそびれた。

東北新幹線は延伸工事が進んでいるが、青森まではもう架線が張られている。青森から先は路盤の工事中、小生は在来線を切り捨てての新幹線開業には未だに反対であるが、反対しても工事は進む。Dscf2162a


今日のスーパー白鳥、団体下車のためと言って北海道に入ったところにある知内に臨時停車した。後で調べたら津軽海峡線には各駅停車は走っていないので、特急が1日2本だけ停車する駅だ。8号車はドア締切、789系にこんな設備があるとは、思わなかった。
八戸からの在来線で数本の貨物列車とすれ違い1本を追い越したが、牽引機は皆EH500であった。わずかにトワイライトエクスプレスだけがED79牽引で、ED79の活躍場所は確実に減っている。

函館到着、気温は12℃。東京は26℃と聞いた。函館泊。

(つづく)

2009/07/01

ハッピーリタイアにはほど遠い

2009年7月1日

昨日2009年6月30日をもって、定年退職しました。かたち上は。と言うのも、昨日は群馬に出張、今日は朝一番の朝礼から、シームレスに出勤しています。ほど遠いのは「ハッピー」の方ではなく、「リタイア」の方です。
朝簡単に部長と打ち合わせをしましたが、結局今回は人事考課もやる、就業管理もやるで、はっきり言って管理職そのままです。管理職ミーティングにも、「少なくとも、今年いっぱいは出てください。」と、要請ではなく、業務命令が来ました。多少給料の上乗せ分もあるし、仕方ないか。

今日から「シニア社員」なるものになりましたが、変わったことと言えば席の向きが島の端ではなく島の中に入ったことと、名簿の順番が下の方(パートさんの前)に移ったくらいです。勤務時間は週5日の8時30分から17時10分まで、以前と全く同じです。一番変わったのは給料のはずですが、小生に直接は影響がありません(^_^;。

今日から肩書き無しの無位無冠と思っていたら、「シニアマネージャー」なる肩書きが付きました。対外的に動く人はやっぱり何か肩書きがあった方が便利ということで、付いたようです。早速明日は外回り、客先を2軒訪問します。R&Dなのに新規事業をやっていると、直接お客さんと接触する機会が増えます。「シニアマネージャー」の名刺はまだできていないので、口頭で説明です。

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