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2009/02/25

ポツダム大尉

2009年2月25日

すでに死語になっていますが、「ポツダム大尉」という言葉がありました。ポツダム宣言受諾(1945年8月15日)以降に大尉に昇格した人です。1945年8月15日以降に昇格しても意味がないと思われる方もいらっしゃるでしょうが、元中尉と元大尉では恩給の額が違い、この意味が大きかったようです。また8月15日は現在の世界情勢に合わせれば、「停戦提案」を受諾するという表明をした日で、実際の正式な停戦は1945年9月2日の降伏文書調印によってなされました。正式な第2次世界大戦(太平洋戦争)の終戦はこの日です。そして陸軍省の廃止は1945年11月30日ですから、8月15日で軍隊という組織が無くなったわけではありません。

小生の親父も、ポツダム大尉でした。小生は親父の軍人恩給で東京の大学(それも私立)に行かせてもらいましたから、あまりポツダム大尉の悪口は書けません。もっとも親父は終戦後背振山レーダー基地を傘下に持つ佐賀の基地で、米軍相手に「赤穂城明け渡し」の大石内蔵助のような仕事をしましたから、ルタナン(中尉=原意は副官)よりキャプテン(大尉=原意は隊長)の方が通りも良かったでしょう。基地接収には米軍も訓練の行き届いた将兵を派遣したようで、親父は「アメリカ軍は相手の階級が上だと、日本軍に対しても先に敬礼する」と感心していました。

さて小生は今年の6月で定年なのですが、4月から3ヶ月間だけ部長を務めることになりました。3ヶ月間なので組織の長ではなく、いわゆる「担当部長」というやつで、実際の業務内容には差はありません(本当に、無いんだろうなあ)。それよりどうやら「元課長」と「元部長」では、定年後再雇用の待遇に差があるようです。内示の時に取締役から「7月以降、残るんだろうな!」と脅されましたが、一種の引き留め索かもしれません。まあこのご時世、引き留められるのは有り難いことです。

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日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

軍人さんの位など全く知らないのですが、今横にいる主人に聞いてみました。
さすがに良く知っていって、南海さんと同じような説明を聞かされました。
主人の父は役人で軍属として南方に暫く行ったそうです。位は少佐だったそうです。
ご昇進おめでとうございます。退職金に違いが出れば良いですね。

そうですか、お父様は大尉だったのですね。私は不覚にも父の位はよく知らないのですが、「俺は恩給欠格者なんだ」という話は聞いたことがあります。やっぱり出るのと出ないのとでは、本人にとって大違いということなんですよね。

南海凡吉さんも「担当部長」に昇進ということであれば、きっと良い結果がついてくることでしょう。いいことがありますようにお祈りしてます。

meeさん、ありがとうございます。

お義父上は軍属で少佐ですか。かなり重要なことをなされていたんですね。
小生の退職金、昔だったらかなり差が出たのですが、今は給料×もらった年数の計算式でポイントを出す制度に変わったので、大差はありません。会社の人事通達にも「名誉」という文字がちらほら見えましたので名前だけでしょう。まあ若干プラスの方向に行くことを期待しているのですが、、、(^_^;。

feltenseさん、ありがとうございます。

恩給も年金と同じように、制度の谷間やら記載漏れやら、色々あるようですね。親父は運が良かったと思います。
この不景気で給料カットにならないことを(給料カットは、上の人ほどカット幅が大きい)祈っています。

南海凡吉様

偶々このサイトに巡り会いました。
御父様は、ポツダム大尉とのことですが、小生の父は、ポツダム少尉です。

実は、父の呉海軍工廠時代の足跡を調べて一冊の本に纏めております。
「ポツダム少尉 68年ぶりのご挨拶 呉の奇蹟 第4版」(自費出版 非売品)と云います。か
全国の呉海軍工廠の所縁の方々がおられる町の図書館に寄贈して、全国で120箇所で読むことが出来ます。
南海凡吉さんのお住まいの近くの図書館で、検索して頂ければ幸いです。
是非ともご覧下さい。

フランツさん、ありがとうございます。

小生は現在岡山市在住で、調べたところ、岡山県立図書館に蔵書があり、貸し出し可能となっていました。早速予約をかけましたので、今度行くときに借りられると思います。読ませていただきます。

南海凡吉様

今晩は!早速返信ありがとうございます。
岡山県は、調べていくと、呉海軍工廠所縁の方々が多いと分かりました。
岡山市にお住まいであれば、市立図書館の第3版をご覧下さい。県立図書館は、第2版ですから・・
。可能なら、倉敷市、総社市、瀬戸内市、津山市、赤磐市、浅石市、高梁市、新見市、矢掛町は、最新作の第4版なので、相互貸借で、利用出来ると思います。
カラー版の字の大きい本です。

フランツさん。
自費出版なのに版を重ねていらっしゃるのですか。すごいですね。
岡山市立中央図書館にも在庫があり、こちらも予約しました。県立図書館は在庫があれば翌日には確実に貸し出し可能になりますが、市立図書館は確実性がなく、在庫ありのはずなのに1ヶ月待ったりします。市立の第3版を本命に、県立の第2版を予備にします。

南海凡吉様

興味を持って頂きありがとうございます。
本の内容ですが、父が遺した昭和20年9月7日付の呉海軍工廠造機部の集合写真に基づいて、この写真の方々を調査し、さらに、当時の工員、学徒動員の皆様の話を記述した本です。

戦後の日本の足跡も分かると思います。
現在のこの本に出てくる方の最高年齢は、102歳です。👀‼
今日、偶々、連絡した方は、96歳です。

調べていくと、岡山県は、呉海軍工廠所縁の方々が多く、2世の方々で、呉海軍工廠に関心をお持ちの方も多くおられます。
そんな訳で、データが増えたので、版を重ねております。
「この世界の片隅に」で、当時の呉に興味のお持ちの方も是非ともご覧下さい。

フランツさん。
珍しく中央図書館の予約手続きがスムーズに行き、貸し出し準備ができました。火曜日には借りられます。
今まで、学徒動員の話は小説家の方が学生時代に動員された話(例えば、北杜夫氏)だけで、それも普通の工場ですね。工廠の話は今まで聞いたことがありませんので、興味を持っています。

南海凡吉様

おはようございます。
岡山県の穏やかな風景を背景にした写真には癒されてます。
北杜夫さんの活字❗最近見てなかったので懐かしいです。
学徒動員の話ですが、本には、ある学徒さんの呉時代の思い出を纏めた回想画を紹介しております。
当時の呉工廠は機密ですから、スケッチさえ出来ません。戦後、自分の記憶に残存していた風景です。この風景には、本当に涙ですが、素晴らしい絵です。
第4版は、さらに充実してますので、そのうち、第4版も御覧になって下さい。

また、戦艦大和が、整備に帰って来ると❗若い乙女には、不都合が起きます・・。お風呂の回数が減るのです。本当に活字に起こせない悲劇ばかりです。
本当に苛酷な時代だったのです。
こうした視点を入れることが出来たので、本当に良かったです。

フランツさん。
小生は親父の戦歴(1回目の招集でノモンハン、、名誉の負傷で勲章もらって召集解除、2回目の招集は電信第2連隊、ただし本部(広島市)ではありません)も、義父が身体が弱くて招集されなかったのではなく、飛行機の脚(おそらく、ショックアブソーバー)の設計をしていた、という話は、どちらも2人が亡くなってから知りました。もっと早く聞いておけば良かった、と後になって思っています。

南海凡吉様

ノモンハン事件に参戦されたのですね。
昔、日活映画で、「戦争と人間」と云う超大作があり、この映画で「ノモンハン事件」を取り上げています。
この映画のビデオは、今でも、時々見ます。
日本の軍隊は、機械化が遅れていた・・と聞いておりましたが、映画では、その点も指摘されています。
日本の98戦車の短身砲では、ソ連の戦車の装甲を貫通出来なかった❗

「近代戦は、工業力の総和ではないでしょうか・・」と北大路欣也さんが演じる主人公が、関東軍の参謀会議で、訴えるシーンは圧巻でした。

お父さんの生前になかなか聞けないと云うのは、誰でもそうだと思いますよ。
本当に、聞いておけばと云うことばかりですよね。

フランツさん。

ノモンハン事変は第1次と第2次があり、一般に言われる「ノモンハン事変」は第2次の方ですね。親父は第1次の方で、まだソ連の戦車に対する火炎瓶攻撃が有効だった頃です。最も親父は戦車とは遭遇しなかったようですが。昔のブログにいろいろ書いておりますので、もし興味がおありならご覧下さい。
http://nankaiponkichi.cocolog-nifty.com/weblog/2008/09/post-7023.html

今晩は!

ノモンハン事件が、第一次、第二次があったことは知りませんでした。
しかし、お父様の名前が文献に出ているのは凄い❗

ノモンハン事件は、どうしても、「戦争と人間」の北大路欣也さんのシーンが強烈に残っています。
しかし、ノモンハン事件の話題になるとは思いませんでした。とても為になります。ありがとうございます。

フランツさん。

ノモンハン事変は、アルビン.D.クックス著の「ノモンハン」(朝日文庫、おそらく絶版)がよく調べられていて、これが大変参考になりました。そしてその時親父が将校(中尉)だったため、名前が載っていたものです。よく調べたものだと思います。戦地での仕事の内容については、「通信隊戦記」(久保村正治著、光人社)が参考になりました。

南海凡吉様

おはようございます。
もし、ノモンハン事件がなかったら、第二次世界大戦の途中経過は、ちょっと変わったのかどうか?
そんなこと考えました。(笑)
つまり、ドイツ軍がソ連に侵攻して、スターリングラード(現在のボルゴグラード)の攻防戦で、ソ連は大苦戦❗西の守りのソ連軍の消耗が激しかった。
そこで、ジェーコフ将軍は、満州の日本軍に対峙していた極東軍を欧州戦線へ展開させた❗
この展開で、ソ連軍は、何とかドイツ軍に勝利❗

仮に、ノモンハン事件が起こらずに、ソ連の極東部隊が手薄になった時に、日本軍が満州からシベリアに向けて、日本軍が攻撃したら、ソ連軍は、スターリングラードで勝利出来たかどうかです。
ノモンハン事件で、ソ連軍の機動力を思い知らされたから日本軍は侵攻しなかった❔❗勿論、太平洋戦線へ満州の日本軍を展開しなければならなかった視点もありますが・・。

ノモンハン事件がなければ、日本軍は、ソ連と極東で戦うことになり、ソ連は、かなり追い込まれたかも?
そんなことを考えました。(笑)

フランツさん。
小生は親父の「勤務先」を探っていたらノモンハンだった、というだけなので、ノモンハン事変全体の戦略的意義などは不勉強です。ただノモンハン事変は負け戦とわかっているのにずるずると戦力投入を続けた、いわゆる博打の負けパターンそのものですね。この体質、今の日本もそのまま残っているのかもしれません。

南海凡吉様

小生の拙本にコメントを頂きまして、誠にありがとうございます。

実は、今日のNHKのお昼の首都圏ニュースで、陸軍 水戸第二連隊所属の方の遺品(日章旗)が返還された

ニュースが報じられていました。

出征時の「武運長久」の日の丸への寄せ書きです。

拾われた場所は、太平洋戦争末期の激戦地ペリュリュー島です。

戦後、アメリカ兵に拾われて戦後72年の時を経て、ご遺族に返還された話です。

この陸軍水戸第二連隊は、南海のペリュリュー島へ移動前は、満州を警備していました。

当時のソ連軍の極東部隊が、西へ展開したのと呼応するかのように、北からの脅威がなくなった日本軍は、南方へ

兵隊を移動して、そこで、玉砕の悲劇に見舞われたのですね。

南海凡吉様とノモウハンの話をしていたタイミングで、こうしたニュースが出ましたので、書きたくなりました。

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