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2009/02/27

還暦は本籍地で

還暦は本籍地で
2009年2月27日

今日は小生の還暦の誕生日、そしてなぜか小倉にいます。東海道/山陽新幹線の500系が3月改正で東京に顔を出さなくなりますが、その前に乗っておこうと思ったのです。どうせ乗るなら300km/hを出す区間まで乗ろうと思い、結局小倉まで来てしまいました。小生の本籍地は北九州市八幡西区ですが、黒崎にビジネスホテルが少ないので、小倉泊まりになりました。同じ北九州市内だから良いでしょう。
写真は500系の車内です。この丸い断面も見られなくなります。
明日は途中で写真を撮りながら帰ります。

2009/02/25

ポツダム大尉

2009年2月25日

すでに死語になっていますが、「ポツダム大尉」という言葉がありました。ポツダム宣言受諾(1945年8月15日)以降に大尉に昇格した人です。1945年8月15日以降に昇格しても意味がないと思われる方もいらっしゃるでしょうが、元中尉と元大尉では恩給の額が違い、この意味が大きかったようです。また8月15日は現在の世界情勢に合わせれば、「停戦提案」を受諾するという表明をした日で、実際の正式な停戦は1945年9月2日の降伏文書調印によってなされました。正式な第2次世界大戦(太平洋戦争)の終戦はこの日です。そして陸軍省の廃止は1945年11月30日ですから、8月15日で軍隊という組織が無くなったわけではありません。

小生の親父も、ポツダム大尉でした。小生は親父の軍人恩給で東京の大学(それも私立)に行かせてもらいましたから、あまりポツダム大尉の悪口は書けません。もっとも親父は終戦後背振山レーダー基地を傘下に持つ佐賀の基地で、米軍相手に「赤穂城明け渡し」の大石内蔵助のような仕事をしましたから、ルタナン(中尉=原意は副官)よりキャプテン(大尉=原意は隊長)の方が通りも良かったでしょう。基地接収には米軍も訓練の行き届いた将兵を派遣したようで、親父は「アメリカ軍は相手の階級が上だと、日本軍に対しても先に敬礼する」と感心していました。

さて小生は今年の6月で定年なのですが、4月から3ヶ月間だけ部長を務めることになりました。3ヶ月間なので組織の長ではなく、いわゆる「担当部長」というやつで、実際の業務内容には差はありません(本当に、無いんだろうなあ)。それよりどうやら「元課長」と「元部長」では、定年後再雇用の待遇に差があるようです。内示の時に取締役から「7月以降、残るんだろうな!」と脅されましたが、一種の引き留め索かもしれません。まあこのご時世、引き留められるのは有り難いことです。

2009/02/22

多田武彦作品集「雨」

2009年2月22日

2月15日のブログに書いた「雪明かりの路」、CD入手しました。これは自己RESで入れていたとおり、1969年5月24日に世田谷区民会館で録音したもので、小生も録音に参加しているものです。

このCD(VZCC-25)は遙か昔、ビクターから出ていたLP(SJX-1017、現代日本合唱曲選5、多田武彦作品集男声編)のCD版かと思っていました。ところがLPの方は柳川風俗詩/雨/雪明かりの路/ふり売り/年の別れなのに対し、CDの方は雨/柳川風俗詩/中勘助の詩から/雪明かりの路/草野心平の詩からとなっています。単純なCD化ではなく、再編集したものですね。それは良いのですが、メインタイトルの「雨」が改訂版になっており、「11月に降る雨」が消えて「雨、雨」になっていました。この「11月に降る雨」は和音の変化がダイナミックで、小生は終曲の「雨」の次に好きな曲だっただけに、残念です。ちょっと調べてみたら、「11月に降る雨」(堀口大学作詞)の中の「非人の小屋もぬれにけり!」と言う語句が引っかかって演奏/出版ができなくなったためのようです。改訂が本当にその理由だとすると、こういう言葉狩りで芸術作品が消えてしまうのは非常に残念で、またその言葉狩りは事実を見えなくさせてしまう危険もあります。「非人」という言葉で呼ばれた存在があった(過去形にして良いのか?)ことは、しっかり認識してまた伝えていかねばいけないことだと思います。

この「雨」は1967年5月に明治大学グリークラブにより初演されましたが、小生はその初演を東京文化会館で聞いています。ちょっと衝撃的でした。LPは1969年8月関学グリーによる録音ですが、初演の雰囲気を良く伝えています。しかしCDの京都産業大グリーはちょっと違いました。特に終曲のテノールソロは甘く繊細な方が、言い換えれば線が細く、プロのテノールとしては勤まらない声の方が、しっくり来ます。やっぱり凡太郎氏に頼んで、LPをCD化しなければいけなくなりました。

余談ですが、小生はセカンドテナーでした。これはメロディーラインになることはあっても、ソロ(パートソロ)になることはまずありません。この「雪明かりの路」では終曲「雪夜」のなかで「そっと窓の雪をたたいて」の部分だけがセカンドパートソロです。以前からセカンドがソロになると音程は狂う、声は出ないとボロクソに言われていたのですが、この演奏会の時は先輩から「とてもセカンドのソロとは思えなかった!」という変なお誉めを頂きました(^_^;。

2009/02/21

検索フレーズランキング

2009年2月21日

ブログの右下の方に「検索フレーズランキング」というものがいつの間にかできています。どうやらこれは過去24時間に小生のブログを訪ねられた方の検索フレーズを上から順に並べたもののようです。先日「N響ホルン」に他の単語を組み合わせたものがランキングに複数載っていました。それでもっと期間を長くして調べてみると、「N響ホルン」は3位になっていました。カミさんは「そんなマイナーなものを」と言っていましたが、結構関心のある方がいらっしゃるようです。一人の方が複数回検索されているのかもしれませんが。なお1位は「キャビネ判」でした。

その「N響ホルン」に関心のある方に応えるわけではありませんが、18日の定期演奏会(B定期=サントリーホール)に行ってきました。指揮は下野竜也さん、ベートーヴェンの「献堂式」、ショスタコービッチのピアノ協奏曲第1番、それにフランクの交響曲ニ短調です。
メインのフランクの交響曲は、小生は初めて聞きます。この2楽章にはイングリッシュホルン(この日は池田昭子さん)のソロが沢山出てきます。そしてそれをホルンが受けるのですが、ホルンもソロです。この日は1番が今井さん、3番が日高さんと二人の主席代行が出ており、このフランクにだけ樋口さんがアシストで入っていました。最近樋口さんはアシスト専門のようで、前回の「チャイ5」にもこの日は1番だった日高さんの隣でアシストを勤めていました。アシストと言ってもソロを手伝ってくれるわけではなく、こういう大先輩を隣に置いてのソロは、かえって大変だと思います。ソロの関心はどうしてもイングリッシュホルンに集まりますが、ホルンのソロも見事でした。

こういうソロの時、ジャズなどでは曲の途中でも拍手をしますが、クラシックでは曲の流れを邪魔するので、演奏中に拍手をするわけにはいきません。小生は時々音がしないように指先だけで拍手をしていることがあります。N響では、オーボエ主席の茂木さんがイングリッシュホルンのソロに対し、正面の客席から見えない左の膝の上で音のない拍手を送っています。オーボエグループリーダーの心意気でしょう。

小生の行く水曜日はNHKの録画の日ですが、その日はイングリッシュホルンを(と言うより、池田昭子さんを)横から撮るカメラが1台特別に入っていました。そのうち、教育テレビのN響アワーで何か特集をやるかもしれません。

2009/02/15

雪明かりの路

2008年2月15日

最近「雪明かりの路」という単語を良く目にすると思っていたら、「小樽雪明かりの路」という催しが開かれていたんですね。今日(2月15日)までですが。「雪明かりの路」は伊藤整の詩から取られたものですが、伊藤整は松前の生まれのものの小樽中学を出ていますので、小樽出身と言っても良いでしょう。

この「雪明かりの路」に多田武彦氏(多田武彦氏にはお会いしたことがあるので、「氏」付きです)が曲を付けた男声合唱組曲があります。小生は「雪明かりの路」の名前は、この男声合唱曲の方で知っていました。それも知っているも何も、レコード(古いなあ)に録音したことがあります。

1969年、小生が大学3年の時、所属していた合唱団の春の演奏会でこの曲を演奏し、レコードを出すことになりました。後で知ったのですが、その年のアメリカ演奏旅行(小生は参加しませんでしたが)の資金稼ぎの一環だったようです。録音したのは確か世田谷の区民会館か何かで、腹ぺこで駆けつけた記憶があるので、多分午後の早い時間の開始、小生は午後の授業をサボって昼飯抜きで駆けつけたのだと思います。ところが演奏はメタメタ、音程が全体的にフラット気味です。指揮者のブル先生が「どうしたんだ」と聞くとみんな「お腹空いて、、、」。時間の関係で昼飯抜きで駆けつけたメンバーが大半だっやです。
そこで一旦食事休憩になりました。実は歌う直前にものを食べることは、喉に脂肪などの膜ができて声が出にくくなるので、厳禁なのです。ところが食事をして戻って再開すると、みんな元気いっぱい、録音もばっちりできました。録音プロデューサーの方も「若い人は、違うわね」と言っていました。

この時録音したものはLPになって手元にありますが、レコードプレイヤーのベルトが切れて久しく、LPの再生ができません。LPをCD化するプレイヤーは時々通販で売られていますが、図体がでかく置き場所に困りそうなので、手を出していません。今日ふと思い立ってネットを検索したら、この「雪明かりの路」が入った男声合唱曲集が売られており、指揮者と演奏団体がそのままだったので衝動的に注文しました。

あれから40年、再録音したという話は聞いていないのですが、ひょっとすると新しい録音かもしれません。その時はまたLPのCD化を考えなければいけません。ただLPの中には、キャンディーズのものとか、昔のメンバーのデュークエイセス、4人のダークダックスなど、今となったらレアなものが結構あります。やっぱり、レコードプレイヤーを買うかな。

2009.2.21付記
雪明かりの道→雪明かりの路に訂正しました。関係者の方、申し訳ありません。

2009/02/11

ウイスキー瓶の大きさ

2009年2月11日

肝炎で禁酒をされている方には目の毒の話ですので、読み飛ばしてください。
小生が社会人になった1970年頃はある意味ウイスキーの全盛時代で、小生も酒の入門はウイスキーでした。その頃はウイスキーにも級別があり、学生時代は2級のサントリーレッドやハイニッカ、社会人になって少しレベルアップして1級のサントリーホワイトやブラックニッカになりました。この頃の1級や2級のウイスキーは(特級だったサントリー角も)720ml入りでした。4合瓶です。ウイスキーの瓶は使い捨てなのでいろんな大きさが可能なのですが、酒類販売には専売制の名残で販売数量(今月は何リットル売ったか)の報告が義務づけられていたため、瓶の大きさをある程度統一しないと酒屋さんが計算を面倒がって扱ってくれなかったようです。

その中で、サントリーオールドは760ml入りでした。これは当時のスコッチなどの輸入酒が757ml入りだったので、それに合わせたものでしょう。この757ml、4/5クオート(=1/5ガロン)をメートル法に換算したものですが、やがてイギリスがメートル法に移行すると750ml入りになってしまいました。その頃はドイツワインなども750ml入りで、日本だけが760ml入りになっていたものです。

最近またウイスキーを飲むようになり、容量を見たところ700ml入りです。ちょっと思いついてスーパーの酒売り場(時代は変わった!)でウイスキーを次々ひっくり返してみました。何とスコッチなど輸入酒も含め、全部700ml入りです。これはある時国際的に話し合いが持たれたとしか思えません。改めて禁酒していた13年の長さを感じました。

なおワインは、相変わらず720ml入りです。シュヴァルツカッツなどドイツワインがどうなっているかは、確認し損ないました。

2009/02/08

小田原詣で

2009年2月7日

500系が東海道新幹線区間から姿を消す前に写真に撮っておこうと思い、いろいろアドバイスをもらった小田原まで行くことにした。小田原まではJRは運賃が高いので小田急を使うが、調べてみたらちょうど良い時間に「メトロはこね」があった。MSEに一度乗ってみようと思っていたので、ちょうど良い機会である。Img_0101_2b


さて当日、やや早めに町田駅に行ったら、「メトロはこね」の前の「はこね」はすでに満席、「メトロはこね」も三角印が付いており「残席少なし」の表示である。あわてて特急券を買ったが、最後尾の10号車の窓際の席がとれた。「メトロはこね」は北千住発で、千代田線から直通してくる。新宿を経由しないので、休日は新宿発より取りやすいようだ。それでもこの時期の特急が満席とは、小田急ロマンスカーの人気はすごい。Img_0102_1a


MSE60000系は連接車ではなく、通常の車両と同じ20m車である。そのため乗車口はEXEと同じになる。やがてフェルメールブルーと呼ばれている車体が到着する。特急は乗降口が少ないため、通勤電車より停車時間が長い。席に落ちついた頃発車、車内は静かだ。特急車は窓が2重窓の上にデッキドアがあるので、防音効果が高いようだ。その点高崎線の185系などは窓が1重で開閉可能なので気密性が悪く、やかましい上にすきま風まで入る。車内を眺める。最近のJR特急車には必ず付いているセンターアムレストがない。2人連れの旅行を前提にしている「ロマンスカー」ゆえか。テーブルは前の背ではなく肘掛け、これは向かい合わせにした時にもテーブルが使えるので、家族連れやグループ旅行の想定か。ビジネスユースのEXEはどうなっているんだろう。窓は大窓、カーテンは最近の特急車らしく巻き上げカーテンであるが、ガイドがワイヤーになっている。JRは巻き上げカーテンのガイドのためにセンターピラーを付けているので、大窓の効果が半減している。Img_0134a


町田の次の停車駅は小田原、ここで後方4両が切り離しとなる。せっかくなので切り離し作業を見に行く。連結幌が自動でたたまれた後、貫通扉が7号車、6号車の順に両側から閉じ、できあがり。連結器の外れるカタンという音が下から聞こえる。「箱根山」の発車メロディーの後、6両編成となって発車していった。

小田原では上りの「のぞみ」6号から下りの29号まで、約1時間半である。つまり有効2時間の入場券1枚でで粘っていて、2本500系が撮れる。しかし上り下りとも「こだま」待避で、ホームの端で狙うか、対向ホームで狙うかになる。ホームの端まで行ってみたが、待っているカメラマンはいない。16両はホームいっぱいに止まるので余裕がなく、反対側から狙うことにする。これが山陽区間だと4両や8両の「こだま」が多いので、「こだま」と「のぞみ」の両方の先頭を入れた写真が可能となる。Img_0130a


本番前に通過列車を撮ってみる。さすがに新幹線は速い。早さにあおられ、シャッターを切るタイミングが早めになってしまう。本番は下りホームの東京側の端から狙う。通過予定の3分前まで下り「こだま」が止まっておりはらはらしたが、無事定刻に出発した。対向側から狙うと通過列車でもかぶる危険があるが、幸い「こだま」が出発したばかりでその危険はない。来た!やはり500系は良い!しかしさすがに速く、抜かれるこだまの300系の先頭と合わせようとしたが、見事に失敗した。

この編成が東京に行って戻ってくるまで1時間20分ある。上りホームに行き、ベンチに座ったり700系を撮ったりしながら、過ごす。上りホームをよく見ると、中央部に3脚が林立している。小田原駅は東京側がカーブしているため、ここから狙うと下り列車の正面が撮れるのだ。確かに500系は独特の丸い断面をしておりその魅力を生かしたいのはわかるが、ホームそれも中央部に3脚を立てるのはマナー違反であろう。最終日は大混乱になるに違いない。Img_0139a


小田原は基本的に「こだま」のみの停車であるが、何本か「ひかり」も止まる。上りの「ひかり」が着いた時は下車客も多く、出迎えの人と挨拶を交わしたり、一昔前の長距離列車到着のような雰囲気となる。やがて時間、シャッター優先1/500で狙う。置きピンをしないと間に合わない。何とかそこそこの写真が撮れた。Img_0140a


行きのMSE車内に種別まで付いた時刻表が置いてあり、食事をするくらいの時間の後にLSEに乗れることがわかったので、着いてすぐ特急券を買っておいた。朝買った後に気がついたのだが、ロマンスカーの特急券は小田急百貨店のポイントカードでも買える。早速それを利用する。特急券の金額が****になっていたが、まさか只ではあるまい。小田急の小田原駅には箱根登山鉄道の始点でもあり、かつては箱根登山鉄道の車両が乗り入れるために3線になっていた。しかし箱根湯本まですべて小田急車での運用となり、今は3線区間は跡形もない。LSE7000系は横引きカーテン、大窓が栄える。MSEより開放的な感じがすると思ったら、シート背づり高さのせいであった。MSEはハイバックシートで、そのため座席と反対側の景色が良く見えない。LSEの良さを再認識した。

わずか半日であったが、500系の上にMSEとLSEまで堪能した日になった。

2009/02/06

治療終了3年半後の結果、「検出せず」

2009年2月6日

半年に1回の肝臓の検診に行ってきました。治療終了から約3年半になります。結果は、
GOT=26,GPT=22と順調です。ウイルスも「検出せず」でした。
その他の数値は、血小板数=21.4万、AFP=2と、きわめて順調です。

産休明けのY先生、いつも通りてきぱきと進めます。エコー検査の結果も問題なく、ただ大動脈が「石灰化」と書かれていました。歳は争えず、動脈硬化が起こっているようです。なお肝臓のエコーの時に見える大動脈は、肋骨の下から骨盤のあたりまでだそうです。

前回からの懸案になっていたレベトールと心臓病の関係を聞いてみました。(なおそのあおりで、先生の子供が本当に男の子だったかどうかは、聞き漏らしました(^_^;。)レベトールの心臓に対する影響は貧血に起因するものなので、止めればすぐに回復するものだそうです。ただしこれから先はY先生の推理も入っていますが、レベトールの影響が貧血から心肥大にまで及んでいると、貧血が回復する→心肥大が元に戻る→逆流が改善する、のにはタイムラグが出るだろうとのことです。確かに納得です。

産休明けのY先生、以前より笑顔が増えたように思えるのは、気のせいでしょうか?

2009/02/04

背広と鞄、どっちにお金をかける?

2009年2月4日

去年の暮れに背広のズボンが破れて買い換えたのに、またもう一つのズボンが破れかけてきました。おかげで2ヶ月続けてT島屋のバーゲンです。その時、ズボンの左膝の横が破れやすいと言ったところ、即座に「鞄ですよ。」という答えが返ってきました。最近は膝の横を破く人が多いそうです。ビジネスマンが鞄を持っているのはサラリーマンと言われていた昔からで、今に始まったことではありません。それなのに「最近は」と背広担当の人が言うところを見ると、鞄の変化が関係しているようです。

昔のサラリーマンの鞄と言ったら、革製でした。それからビニールレザーに変わり、小生も30年くらい前はビニールレザーの鞄を使っていました。最近はナイロンのざらっとした感じの生地が多く、ご多分に漏れず小生の鞄もそうです。「化繊は固いですから」と背広担当の人が言っていたとおり、このざらっとした生地でズボンがこすれ、破れてしまうようです。

小生の通勤用の鞄には、傘を初めとしてデジカメ、電子手帳、各種メモリーにそのアダプタ、コンタクトケース、各種の薬、眼鏡が2種、商売道具の筆記具と、それこそ多数のがらくたが詰まっており、マルチポケットの鞄でないと(でも)収拾が付きません。そこでマルチポケットのビニールレザーの鞄がないか、探してみました。

行きつけの鞄屋に行ったら、何と在庫品限りの閉店セールの真っ最中。数年前に自宅近くのスーパーにあった鞄屋も店を閉め、どうも鞄屋というのは立ちゆかなくなってきているようです。そこで○急ハンズに足を伸ばしたら、ありました。しかし高い!これだと背広が一着作れます。今使っている鞄が健在なこともあって、結局買わずに帰ってきました。結局背広と鞄のどっちにお金をかけるかですが、今の鞄が壊れそうになった時に、どうするかを考えます。

2009/02/01

メモリーカードアダプタの容量オーバー

2009年2月1日

新幹線の500系が今度の3月改正で東京に顔を出さなくなります。今まで新幹線の写真は撮ったことがなかったのですが、500系は撮っておこうと思い、まず新横浜に撮影場所の確認に行ってきました。結論から言うと、新横浜は撮影には不適です。

もう一つ、700系の東海車と西日本車では台車が異なっているため、その確認の写真も撮っておこうと思い、これはきちんと撮れました。しかし今日は下回りの写真を撮るには天気が良すぎ、後で補正をかけないと見えません。なおこの東海車と西日本車の台車の違いが揺れにどう影響しているのかは、確認できていません。

自宅に帰ってメモリーカードをアダプタ経由でパソコンに入れて画像を確認しましたが、エラーが出て確認できません。そういえば前回高崎線の写真を撮りに行った時の写真も、最後の1枚がエラーになって表示できませんでした。カメラが壊れたのかと思ったのですが、カメラのLCDで確認すると、ちゃんと撮れています。Img_0083a


ひょっとするとと思い、カメラに付いていたアプリケーションソフトを今頃インストールし、カメラとパソコンを直接ケーブルで結んで転送したところ、無事全部の画像が転送できました。どうやらメモリーカードアダプタかパソコンのメモリーカードスロットが今の大容量SDカードに対応していないようで、そちらの原因のようでした。今までカメラとパソコンを接続して転送するのは転送速度が遅くて時間がかかるので敬遠していたのですが、逆にUSBケーブルの方が速度が上がり、かえってメモリーカードアダプタよりも早くなっているようです。

転送操作を少しミスり、RAWとJPEG2つで撮っていたのに、RAW画像の半分ほどを消してしまいました。写真は修整無しのJPEG画像です。天気が良い時には、N700系の車体は白飛びしてデテールがわからなくなっています。

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