« 2008年11月 | トップページ | 2009年1月 »

2008/12/31

恒例、干支交代

2008年12月31日

皆様、今年一年お世話になりました。今年も色々ありましたが、比較的穏やかな一年でした。一年分のブログをざっと読み返してみると、心臓は今年の初めにワーファリンの量が増えて4錠になって安定、逆流は少なくなり手術は延期、それも白紙に戻すような延期になりました。
目はコンタクトのメーカーを変えたのが今年になってからで、その結果視力検査で0.1を出しました。炎症もすっかり消えて落ちつき、ほぼ卒業となりました。逆にコンタクトを紛失し、散財したのも今年です。
肝臓は変わらず、小生の場合、変わらずは良いことです。08123103a


ウイスキーを飲み始めたのも、今年になってからでした。計量スプーンは、今も活躍しています。遠出もたくさんしました。島原に始まり、高岡に2回、四国の金比羅さん、山形、福岡と、福岡は出張でしたが、出張以外でこれだけ動いたのは初めてでしょう。身体は確実に良くなってきていますが、やり過ぎないように注意しなければいけません。

恒例の干支交代、ネズミは代役でしたので、その代役から正真正銘の牛に交代です。来年は小生も還暦です。

皆様、良いお年を!

2008/12/29

金比羅ふねふね(5)

2008年10月13日(月)(つづき)

水島臨海鉄道のホームは、JR倉敷駅を出て右に少し行ったところにある。水島まではほぼ20分間隔であるが、終点の三菱自工前行きはぐっと本数が減り、時間帯によっては2時間間が空く。P1000640a
これでも増えた方で、昔は朝夕しかなかった。列車はMRT300型のワンマン、キハ20が見たかったら、平日の朝に来なければならない。3連休の最終日なので、今日は貨物列車も動いていないだろう。P1000643a


まず水島まで乗る。水島はかつては駅員もいたような大きさであるが今は無人駅、周りはそれこそ工場だけで何もない。水島臨海鉄道はここで二手に分かれ、一方は三菱自工前へ、一方は工場群の中へと続いている。まっすぐ行くと東京製鉄や三菱化学のヤードがあるはずだが、少し歩いてみても高架がずっと続いているだけなので、やめにする。こういうところのヤードに行こうと思ったら、車がないとダメだ。旅客営業の終点三菱自工前の先に水島臨海鉄道の車両基地があるので、そちらに行くことにする。P1000645a


三菱自工前は地平のホーム1面、無人駅の途中駅という風情だ。DCはそのまま車両基地へ行くので、ある意味途中駅である。正面は三菱自動車水島製作所、かつての「みずしま号」の故郷である。連休だが工場は稼働していると見え、従業員駐車場には車が多数止まっている。さすがに三菱車ばかり。P1000649a
車両基地は外から写真が撮れ、キハ20の写真が撮れる。水島色と国鉄色の2両ずつ2編成、動いているところが見たいが、平日の朝にこちらに来ることはしばらくは無理だろう。DE10タイプのDE70に乗務員が出入りしているので期待したが、エンジンを止めて立ち去ってしまった。車両基地を一周したが、奧の旧川鉄へと続く引き込み線は閉鎖されていた。P1000654a


写真を撮れそうな場所は他になく、倉敷へ引き返す。そして少し時間があるので、岡山へ行く途中で山陽本線の写真を撮ることにする。ねらいは稲穂の中を走るEF200。庭瀬-中庄間で良さそうな場所を見つけたが、不意打ちのようにEF200が来てしまった。写真を見たら、バックにマンションがかぶってしまった。やはりゆっくり時間を取らないと、良い写真は撮れない。P1000664a


岡山からの帰りは700系のぞみ、予想通りトンネルの中ではよく揺れる。700系はトンネル内で蛇行動を始めるとトンネルを出るまで止まらないので、トンネルの多い山陽区間で乗るのはちょっと厳しい。今まで小生は500系ばかり選んで乗っていたが、これからはN700系を選んで乗らなければならない。収穫の多い3日間であった。

(完)

2008/12/28

金比羅ふねふね(4)

2008年10月13日(月)

今日は小生は水島臨海鉄道へ、カミさんは倉敷へと、別行動である。しかし倉敷までは同一経路なので、一緒に行く。岡山からは山陽本線の普通電車、岡山駅の列車表示は「貨物列車」と書いて通過時刻が出るのが面白い。Dscf2073a
かつて1970年代に尾道に来たときに、山陽本線の貨物列車の本数の多さに驚いたことがある。あれからかなり本数は減少したとは言え、山陰、四国、九州の各方面を岡山までは一手に引き受けているので、まだまだ多いのだろう。Dscf2090a

倉敷の駅前にチボリ公園があるが、今年の末(12月31日)で閉園とか。せっかく来たので寄っていく。チボリ公園のテーマはデンマークで、テーマパークであるがきれいな都市型公園となっている。Dscf2077a
デンマークと言えばアンデルセンで、アンデルセンにちなんだ像などもある。手入れが良く行き届いており、きれいで、そして静かだ。しかし手入れが良い=維持にお金をかけている、きれい=建設にお金をかけている、静か=客が少ない、ということであるから、やはり赤字だろう。今の日本では東京圏以外ではテーマパークは維持できないだろう。Dscf2079a


カミさんと分かれ、小生は駅の反対側、水島臨海鉄道の方へ向かう。この水島という地名、子供の頃あこがれに似た関心を持っていた。昭和30年頃、当時の新三菱重工業は「みずしま号」というオート3輪を作っており、小生の実家でも使っていた。Dscf2086a
「みずしま号」の由来は水島製作所で、現在の三菱自動車水島製作所である。「水島は工場ばかりで何もないところだ」と聞いてはいたが、一度見てみたいと思っていた。なお新三菱重工業はオート3輪の他に「シルバー・ピジョン」というスクーターも造っていた。日本のスクーターは他に富士重工の「ラビット・スクーター」があったが、富士重工は旧中島飛行機で、スクーターメーカーはどちらもかつての航空機メーカーである。戦後余った戦闘機用のタイヤを使ってスクーターを造り出したという話は、案外本当なのかもしれない。

余談ついでに、親父は「エンジンは三菱」といってずっと(乗用車になっても、それこそ死ぬまで)三菱の車を使い続けたが、「エンジンは三菱」の名を高めたのは、どうやら旧陸軍の五式戦闘機のようだ。親父は終戦時は背振山レーダー基地を抱えた佐賀の隊にいたから、五式戦にもお世話になったのかもしれない。

(つづく)

2008/12/26

贅沢は癖になる

2008年12月26日

昨日は諸般の事情が色々あり、東京駅の近くに泊まってきました。仕事です。東京駅から歩いて行けて、しかも夜中も出入りできるとなると、ビジネスホテルではなく「それなりの」ホテルになってしまいます。予約ができたのは、JR系列のメ○ロポリタンホテル。宿泊料は会社の規定の倍くらいするのですが部長を口説き落とし、実費精算にしてもらいました。

夜8時すぎにチェックイン。WEBで見たところ「展望レストラン」と書いてあるのにそのレストランはフロントの隣にあり、???と思っていたのですが、フロント自体が27階にありました(^_^;。部屋に案内されたら東向き、遠く葛西臨海公園の観覧車が見えます。このホテルの南側の部屋は東京駅が一望でき、「鉄ちゃん」垂涎の部屋と聞いたことがありますが、南向きの部屋は一段と高いようです。なおJR系列だけあって、部屋にはアクセサリーとして9mmゲージの14系客車がありました。どちらもハフでしたが床下を見たらスハフ14とオハフ15、しっかり分けていました。Dscf4005a


最近のホテルらしく室温は自由に設定できますが、0.5℃単位が可能です。空調の風の流れを全く感じずしかも快適、こういう部屋は都ホテル以来です。一旦出かけて夜遅く(と言うより、夜中)に帰ってきましたが、フロントはしっかり24時間態勢で複数の人がいます。お風呂の水温もしっかり温度調整ができ、「さすが」という感じでした。

朝食は省略しようと思ったのですが東京駅展望の誘惑に負け、朝食も食べてきました。南側の席はふさがっていましたが、それでも山手線、京浜東北線あたりは良く見えます。昔の電車の屋根はパンタグラフからの銅粉で汚かったのですが、最近の電車の屋根はきれいですね。擦り板が変わったのかもしれません。そして、ここのクロワッサンはおいしいです。

快適な部屋においしい朝食、分不相応ですが、こういう贅沢をすると癖になりそうです。

2008/12/24

金比羅ふねふね(3)

10月12日(日)(つづき)

金刀比羅宮からの帰り道に、「旧金比羅大芝居(金丸座)」という案内標識が目に止まった。建物だけ見るつもりで、金丸座に向かう。だらだらとしているが、登り坂だ。金丸座に着くと、一般公開していた。Dscf2060a
しかも今日は日曜日ということもあり、ボランティアのガイドの方までいる。客席はまさに枡席、碁盤の目のように区切ってある。「はの参番」のような番号の付け方だが、さすが右から記号がふってある。Dscf2059a


観客席や舞台を眺めたあと、ガイドの方につれられてバックステージツアーへ。回り舞台やせり上がりもあるが、すべて人力。そのため回り舞台の下は、押すときに足が滑らないように石が固定してある。Dscf2055a
ここはすべて昔のままのやり方で、照明も雨戸の開け閉てで調整しているとか。当然空調はなく、歌舞伎を行うのは気候の良い5月に限られているそうである。良い物を見た。

ここから琴平駅まで、行きと違った参道を通って帰る。両側に古い石灯籠があり、寄進者の中に5代目團十郎の名も見かけた。Dscf2050a

琴平駅に着くと、各停の電車が止まっている。土讃線は琴平まで電化されていることを、すっかり忘れていた。従って琴平までは列車の本数も多く特急を待つまでもなかったかもしれないが、すでに特急券は買ってあるのでまた2000系の特急で帰る。瀬戸大橋の速度制限のため2000系自慢の快足は見られないが、逆に瀬戸大橋からの眺めはよい。Dscf2072a


ホテルに帰ったあと小生だけまた出かけ、桐沢型ぶどう膜炎の方とお会いする。この病気は数が少ないので、できるだけ情報を集めておきたいと思う。そのうちにまとめるつもりであるが、かなりの確率で硝子体手術をされているようだ。

(つづく)

2008/12/23

金比羅ふねふね(2)

2008年10月12日(日)

今日はいよいよ四国に渡る。小生は宇高連絡船に乗ったことがないということは書いたが、瀬戸大橋も渡ったことがない。松山と徳島には仕事で行ったことがあるが、これは飛行機だった。今日の列車は南風3号、2000系であるが、アンパンマン列車であった。Dscf2002a
この2000系DC、小生が1980年代の終わりに宇和島に通っていた頃、松山-宇和島間でよく乗った車両だ。当時は最新鋭だったが、さすがに20年も経てば水回りなどに古さを感じる。

南風3号は3両編成、始発なので早めにホームに出て並んでいて席を確保したが、立っている人が出る混みようである。車内販売は無い。Dscf2004a
アナウンスによると、四国では車内販売は無くなったとか。かつての宇和島行きでは車内販売で弁当を買い、食べ終わったら弁当空は車内販売のワゴンが回収してくれた。昔日の感がある。
かつて2000系はその加速の良さと高速に驚いたが、この南風はのろい。線路を見ると、宇野線は単線である。せっかく瀬戸大橋線を複線で開通させても、これでは何にもならない。Dscf2005a
新線区間に入り少しスピードが上がったかと思ったら、瀬戸大橋部分ではかなり減速する。そう言えば、騒音対策で特にDCは減速するというニュースを見たことを思い出した。しかし減速してくれるおかげで、瀬戸大橋からの眺めはゆっくり楽しめた。Dscf2007a


1時間ちょっとで琴平着、近い。琴平駅は風情があり、駅前に鏡獅子の像がある。琴平と言えば、金比羅大芝居もあったのだ。琴電琴平駅の横には、高燈籠がある。高さは27mとか。琴電琴平駅には、旧京急車が並ぶ。Dscf2010a


橋を渡って、いよいよ金比羅さんの階段を上り始める。参道の両側に商店が並び、どこかで見た光景だと思ったら、江ノ島と似ている。Dscf2014a
参道の横に備前焼の狛犬やら、金刀比羅宮中興の祖とも言うべき宮司の銅像やらがあり、それらを眺めながら比較的ゆっくり登る。大門を抜けてまた上がる。金比羅犬の銅像が面白い。階段の途中に踊り場が多数有り、感覚的には山寺より楽だ。しかし金比羅名物の杖を振ったり、写真を撮るため急な階段を後ろ向きに降りて来る人がいたりで、周りを見ていないと危なくてしようがない。Dscf2018a


頂上に着いた。本当の頂上(奥社)はもっと上だが、大抵の人は本殿のあるここまでである。小生もここまでにする。大祭は昨日(11日)までで、今日は片付けの真っ最中である。Dscf2024a
ここまで上がると、景色が良い。金比羅さんは海運の神様であり、港町である小生の田舎にもあったが、ここ琴平は海から遠い。かつてはもっと近くまで海が入っていたのだろうか。海運の神様だけあって、いろんな船が絵馬を奉納している。青函連絡船、巡視船、自衛艦、見ていて飽きない。Dscf2038a


喫茶室神椿で休憩。田窪恭治、隼人画の陶版画が壁を飾る。金刀比羅宮は応挙と若沖の襖絵があることでも有名であるが、その書院の襖絵は何とパリに出張中、また隣に高橋由一館があるが、こちらの由一作品もパリに出張中で、要するにもぬけの殻であった。

(つづく)

2008/12/21

金比羅ふねふね(1)

小生は仕事も含め全国を歩き回っているが、四国には縁がない。一度も足を踏み入れたことのない都道府県は沖縄と、香川、高知の四国2県だけである。青函連絡船には乗ったことがあるが、宇高連絡船には乗ったことがない。ところが瀬戸大橋の開通で、岡山と四国はかなり近いことに気がついた。岡山から高松まで、1時間かからない。ドラ息子が岡山に行ったおかげで岡山を起点とする旅行をこのところ始めているが、次は四国の金比羅さんにする計画を立てた。一方のカミさんは学生時代に四国一周旅行をやっているが、なぜか金比羅さんが抜けている。この金比羅さん案にカミさんも一も二も無く賛成し、ドラ息子+金比羅さんという旅行が決定した。2泊3日で、最終日は別行動である。

2008年10月11日(土)

新横浜発11時29分ののぞみ23号、いつも通り遅い出発である。選んだのはN700系、やはり揺れの少ない車両の方が良い。編成がZ-24と新しいせいか、カーブに入るときの台車からの動作音が聞こえない。N700系はトンネルに入っても揺れない。普通の走行で揺れないため、すれ違いの時のショックが余計感じる。500系ではここまで無かったように思う。山陽区間にはいると最高位速度が上がるせいか、少し揺れ始める。

初日はドラ息子の日、会っていろいろ近況を聞く。卒業は半年遅れの見込みとか。服が無く買う暇もない、と言っていたので駅前のT島屋に入ったら、ちょうど良いサイズがあった。二男は小柄なので、いつも服に苦労している。いろいろ買ったら、結構な散財になった。こんなことなら横浜にもあるT島屋のカードに入っておけば良かった。

このドラ息子は列車の揺れに弱く、子供の頃は北九州の黒崎-博多間の421系新快速で酔い、大学に入っても新幹線の300系で酔っていた。そのドラ息子が九州での学会の帰り、ひかりレールスター(700系)に乗ったら博多-小倉間で気持ちが悪くなり、途中下車してこだまで帰ったという。確かに700系はトンネルに入ると蛇行動を起こすので、トンネルだらけの山陽新幹線は大変だろう。明後日の帰りは700系、さてどこまで揺れるのだろうか。

(つづく)

2008/12/20

N響ホルンの後継体制

2008年12月20日

以前2007年問題が新聞等で話題になっていました。2007年は団塊の世代の定年退職が始まる年で、退職のピークは2009年であることから、2007年問題は実は2009年問題であるとも言われてきました。うちの会社もご多分に漏れず2009年が定年退職のピークで、全社員の1割近い人が定年を迎えます。そのためうちの会社は「シニア社員」なる制度を作り、定年後も継続雇用ができるようになっています。

日本のオーケストラもほとんどのところが定年制を取っており、中でも60歳定年であるN響は、やはり2009年問題を抱えています。うまいオーケストラとはオーボエとホルンのうまいオーケストラだ、ということが言われるように、オーボエとホルンは人材難のようです。N響のオーボエは北島さんが定年となったあと青山さんという名手が入ったので、こちらは大丈夫のようです。

ところがホルンは大変でした。樋口さんが主席を降り松崎さんも定年が近いというのに、後継主席が決まりませんでした。いろんな方が入れ替わりに1番を吹く状態が続いたのですが、うまくいかないのです。ホルンは4本で和音を吹くことが多いのですが、音がばらけるのです。1番ホルンにはソロの腕だけではなく全体をまとめることが求められ、小生はこれも力量の一つと思っています。しばらく「ブラボー」ではなく「金返せー」状態が続いたのですが、ここへ来てやっと立て直しができたようです。

11月の定期公演(小生はB定期)でブルックナーの4番というホルン大活躍の曲をやった(指揮はイルジー・コウト)のですが、今井さんが実に良い演奏をしました。12月の定期公演ではチャイコフスキーの5番(指揮はシャルル・デュトワ)という2楽章にホルンの大きいソロがある曲をやったのですが、今度は日高さんが良い演奏を聴かせてくれました。プログラムを見たら、12月から今井さんと日高さんが主席代行に昇格しており、やっと後継体制ができたようです。この2人に、エールを送ります。なお最近のN響は指揮者によって演奏の善し悪しの差が激しいという声も聞きますが、いつも良い演奏を聴かせてもらえるよう、期待します。

2008/12/18

勝手な独り言(4)

昨夜やっとパネル交換終了。社長が来る前に間に合った。パネルを調べてみたら、予想外の原因が判明。対策を打ったものと今夜再交換。そのうち、小生の出番が来そうな予感。

2008/12/15

24時間ホルター心電図の結果

2008年12月15日

先日の24時間ホルター心電図の結果を聞きに、循環器の検診に行ってきました。この24時間ホルター心電図を付けているときが一番体調が悪かったのですが、心房細動は起こっていませんでした。心房細動の卵みたいなものはあるとのことでしたので、起こりかけていたのでしょう。起こりかけであのくらい気分が悪いのですから、実際に心房細動が起こったときの気分の悪さは、推して知るべしです。

その24時間ホルター心電図を付けていたときが体調の底で、それ以降はずっと調子が良いです。特にスクワットを再開してからは、かえって好調です。このスクワット、膝に痛みを感じるようになって、これは筋肉を鍛えておかないとまずいかなと思い、再開したものです。

こういう状態なので、手術は当分先です。先ついでに逃げ切ってしまえば言うことはないのですが、そこまでうまくいくかどうか、です。

ついでに、日光皮膚炎についても聞いてみました。日光皮膚炎になると水ぶくれができるそうで、単にUVBが強い時期に無防備で日なたにいたことによる日焼けだそうです。薬をもらうときに薬剤師のナオコ先生にも聞いてみましたが、レニベースの副作用で日光皮膚炎になったら、レニベースを止めないと治らないそうです。5月になるとカメラが「外に出ようよ」と言い出しますが、十分に防備をして出ます。

今年の受診はこれで終わりです。来年は1月に肝臓のエコー検査をやり、2月に肝臓の検診、3月に循環器と、ほぼ月1回ペースです。

2008/12/12

RAW画像

2008年12月12日

今日また昨日と同じ写真を、今度はRAWで撮って自分でデジタル現像してみました。やや青みを帯びていますが、どちらがお好みでしょう。08121210a

2008/12/11

ぽんぽこぽん

2008年12月11日

デジカメ試運転、第2弾です。マニュアルフォーカス、F8、1/100、ISO100。35mm換算375mmを手持ちで上向きに撮ると、多少手ぶれが出ているかもしれません。08121101a

勝手な独り言(3)

10日に稼働開始。午前中は順調だったが、午後から危険な兆候が見え始めた。パネルの素性はあまり良くなかったが、交換時のトラブルを考え、6日にパネル交換をしなかったのが裏目に出たか?さて、いつ可能か。

2008/12/10

背広の上着のサイズが下がった

2008年12月10日

最近作業服ではなく背広で行動することが多いせいか、背広の傷みが早くなりました。先日ズボンのほころびを見つけ、修理しようと思ったら他にもガタがいっぱい見つかり、急遽「今年最後」と銘打ったT○屋の紳士服バーゲンに行ってきました。

前回からイージーオーダーにしたら良い感じなので、今回もイージーオーダーにしました。前回の服を着ていったところ、「ずいぶんゆったり目に作られていますね」と採寸する店員さん。これを作ったのが2006年1月で、「やせられましたか?」と言われたのですが、体重は変わりありません。思い至ったのが2006年1月といえば、ちょうど桐沢型ぶどう膜炎の治療でステロイド漬けの時でした。この時も背広のズボンに穴があき、急遽バーゲンに駆けつけたものです。

ステロイドの副作用にバッファロー肩というのがあり、肩がいかつくなったり首が太くなったりするのですが、「肩幅も少し狭くなっていますね」と言われたところを見ると、まさにそうです。両肩を5mmずつ詰めてちょうど良いそうで、上着が基準サイズで一つ下になりました。ステロイド、恐るべしです。ワイシャツもその頃採寸したものは、全部測り直しでしょう。

会計の時にひょいと見たら、礼服もあります。そう言えば略礼服も30年近く着ており、そろそろ作り替えなければいけません。「礼服もセール中です」の声に引かれ、略礼服も注文しました。最近は略礼服もほとんどシングルになっているそうですが、結婚式の時には乾杯前にスピーチしなければいけないこともあり、ダブルにしました。昔のダブルは6つボタンでしたが、最近のものは4つボタンです。散財になりましたがちょうどボーナスの支給日、そのうちボーナスもなくなりますから、買えるのも今のうちです。

2008/12/09

勝手な独り言(2)

昨日の夜が最終チェック、これも小生は行かず、他人任せ。こういう時の他人任せは慣れておらず、どうも落ち着かない。今日はプレス発表、何かあれば連絡が来るはずだから、連絡が来ないのは何事もなかったということ。完璧に動いて当たり前の世界。

2008/12/07

勝手な独り言(1)

本来は昨日の夜から某駅で深夜設置作業の予定だったが、心臓に爆弾を抱えた身、代わってもらった。8日深夜の最終確認も、代役に頼む。まあ、何事もないだろう。

レニベースと日光皮膚炎

2008年12月7日

先日眼科の目薬が変わったとき薬局に「おくすり手帳」を持っていくのを忘れたため、シールを自分で貼り付けました。そのとき、前回の欄に見かけない副作用が書いてあるのが目に止まりました。「日光皮膚炎」、レニベースの副作用ですが、こういう単語は今まで気がつきませんでした。遡って見ていくと、4月28日にレニベースをもらったときにはこの副作用は記載が無く、6月30日から加わっています。

日光皮膚炎は日焼け(サンバーン)が炎症状態になったものですが、日光に敏感な方に起こるそうです。そこで思い出すのが小生のブログ7月27日の「日焼けが汚い」という記事、これこそまさに「日光皮膚炎」です。レニベースにはこんな副作用があったんですね。なお小生が日に焼けたのは5月24日、日光皮膚炎の副作用が明記されたのは6月30日からですから、小生が無視していたわけではありません。

南国育ちのせいで日焼けはすぐにサンタンになってくれていたのですが、これからはレニベースを飲んでいる間は気をつけなければいけません。来年の夏は暑くても長袖、日焼け止めクリームも使った方が良いですね。

2008/12/06

一眼デジカメ、試運転

2008年12月6日

久しぶりに何もない週末になり、天気も良かったので、やっと一眼デジカメの試運転を行いました。
まず当たり前のことですが、電源を入れずにファインダーが覗けます。これが普通のデジカメだと電源を入れないと何もできませんが、一眼デジカメだと、マニュアルに切り替えればピント合わせもできます。やはりデジカメと一眼デジカメは全く別のもので、例えDMC-FZ8でも一眼デジカメではないことがわかりました。Img_0012a
フォーカルプレーンのメカシャッターが付いているし、ミラーアップもするので、操作感や操作音は銀塩の一眼レフと同じで、連写ができるところはモードラを付けたような感じです。最もモードラ付きの銀塩カメラなど、さわったことはありませんが(^_^;。Img_0017a


動いているもの、例えば電車を撮る場合、電車が遅く感じます。DMC-FZ8はファインダーの画像はCCD経由で、動いているものがずいぶん速く感じました。やはり直接見るのと、CCD経由との差でしょうか?シャッターを切るとDMC-FZ8の映像は一瞬静止するので、その差はもっと大きくなります。Img_0017_1a


条件の悪い状態をRAWで撮り、補正して現像することもやってみました。3枚の写真のうち、1枚目と2枚目は普通のJPG、3枚目は2枚目の状態のRAWを補正してJPGにしたものです。補正の仕方はいろいろ技術があるようですが、初回としてはこんなものでしょう。なおブログに出すために写真は縮小してありますので、CCDの大きさの差はわからないと思います。

« 2008年11月 | トップページ | 2009年1月 »

フォト
2017年10月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        

最近のトラックバック

無料ブログはココログ