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2008/09/30

循環器検診は異常なし

2008年9月30日

昨日は循環器の検診でした。検診は10時からですがその前に採血があり、10時には結果が出るように早めに病院に着かなければなりません。とは言うもののいつもの会社に行く時間よりは遅く、電車は座れます。座ってひょいとズボンを見たところ、膝のあたりがほころびています。いつぞやは10年以上着続けた背広の話を書きましたが、これはまだ4年、やはり夏物は生地が薄いせいか、保ちは悪いようです。しかし今更戻るわけにも行かず、そのまま病院に向かいました。

今日は診察が10時で、次の予定は新宿に13時30分。会社に戻るには足りず、そのあたりで暇つぶしをするには長い、微妙な空き時間がありました。しかしズボンの1件で様変わり、急遽家まで引き返し、途中で薬局によって薬をもらい、再度渋谷経由新宿へ。途中渋谷で昼食を採って、少し余裕目で13時30分に間に合いました。

新宿での仕事が終わったら、新宿での話の行きがかり上小田急で湘南台の慶応湘南藤沢校舎へ。小田急は、主な駅のトイレが広く、良いですね。東京駅より遙かに広いです。慶応では教授の授業が終わるまで待ったあとなんやかんやあって、家に帰り着いたのは20時を回っていました。ひたすらパスモの残高が減っていった上に(途中でオートチャージが2回ありました)、待ち時間がやたら多かった一日でした。おかげで海堂尊著「ナイチンゲールの沈黙」下巻を読み終えました。

循環器の方は特にどうということもなく、月に1回位心臓の鼓動が背中に響くことがあると言ったら、ホルター24時間心電図を指示されました。心電図を着けるのは10月末、次の診察は12月です。ワーファリンを飲みながら3ヶ月も間隔を開けて良いのかと思うのですが、人工弁の方より少し高い数値で安定させているので(今回はPT-INR=2.05)、良いんでしょう。なおこの状態ですので、当分手術は無さそうです。

2008/09/29

【お知らせ】熊田先生の肝炎治療講演会

肝臓の会・神奈川主催の、虎の門病院熊田先生の肝炎治療講演会があります(シェリング・プラウ社も主催)。

日時:10月12日(日)午後2時から4時
場所:横浜市社会福祉センターホール(JR桜木町駅前)

定員は250人で、混雑が予想されるため、予約した方が良さそうです。
予約は090-8584-8340

2008/09/27

ウソの案内放送は良くない

2008年9月27日

昨日朝からいつも通り横浜線の駅に行ったところ、「人身事故のためにダイヤが乱れております。ご迷惑をおかけしております。」というアナウンスが聞こえてきました。どうやら朝方人身事故があり、運転再開したばかりのようです。ホームで電車を待っていると超満員、とても乗れません。そこで腹を決めて少し待つことにしましたが、ウソばかりいう駅のアナウンスにだんだん腹が立ってきました。

人身事故が起こる、電車が止まる。→事故が起こった時のJRの手際の悪さには言いたいこともありますが、ともかくこれは仕方がない。
再開してもダイヤが乱れる。→これはまあしようがないでしょう。
電車が15分から20分おきにしか来ない。→ともかく手際が悪いんですが、百歩譲って認めましょう。
駅のアナウンスはひどいです。
「電車は次々にまいります。次の電車をお待ちください。」→ウソ。電車は20分おき。
「電車は3分おきに運転しております。」→大ウソ。
「電車は隣の駅に停車しております。」→どうやらこれもウソ。

電車が動かないのはともかく、虚偽の情報を流すのはいけません。駅に着いた時に「電車は20分おき」ということがわかっていれば、さっさと迂回の手を使えました。いくら混んでいても2本続行で来てくれれば2本目には何とか乗れるので、駅のアナウンスを信じて待っていた自分がバカでした。結局1時間以上待っていました。

そろそろ見切りを付けようかと思っているところに、「各駅で電車が止まっており、混雑で動けない状態」とのアナウンス。そこで振り替え乗車票をもらい、近くの東急の駅まで20分歩きました。東急に乗って次の横浜線の接続駅に来たら、横浜線をがらがらの電車が走っているではありませんか。歩いている20分の間に次々に電車が来て、混雑を解消させてしまったようです。あっと思った時は電車が発車したあとだったので隣の駅で引き返し、横浜線で座って会社まで行きました。着いたのは10時ちょっと前、最後だったようです。

パニックを防ぐためにわざとウソの情報を流したのかもしれませんが、「JRの駅のアナウンスは信用できない。」という印象をしっかり植え付けてしまったようです。こういう事をやっていると、だんだん係員の制止を聞かなくなりますよ。わかっていますか、JR東日本さん。

2008/09/23

ノモンハン

2008年9月23日

アルヴィン・D・クックス著「ノモンハン」全4巻(朝日文庫)、やっと全巻読み終えました。文庫本とは言え4巻となると、やはりすごいボリュームです。その前に「遙かなるノモンハン」(星亮一著、光人社)も読んだので、すっかりノモンハンづいています。

何で今頃ノモンハンを調べだしたかというと、実家の片付けの時「ノモンハン事件陣中日誌、戦闘詳報」なる書類が出てきたからです。中身はガリ版刷りと「陸軍」と書いた専用用箋の写し(本当のカーボンコピー)です。親父は戦時中中国大陸にいたのは聞いていたのですが、ノモンハンとは聞いていませんでした。ノモンハン事件は「圧倒的火力のソ連軍戦車に、肉弾で対抗した」というような話が伝わっていますが、それは第2次ノモンハン事件のことで、これは第1次、それも「大山鳴動鼠一匹」だった第1回戦闘の時のもので、歴史的な資料価値はありません。

親父は左肩の後肩胛骨のあたりに、弾傷がありました。これは弾が抜けたところで、左胸の肋骨の下あたりから弾が入ったと聞いていました。その他断片的に聞いたのは、「部隊本部にいたので、狙撃兵に狙い撃ちされた。」「一番先に撃たれたので助かった(まだ助けてくれる人がいた)が、その後どんどんやられた。」ということです。そのほか左腕を吊った入院中の写真や、「部隊全滅」と聞いて当番兵と一緒に病院を脱走し、汽車で駆けつける時の写真なども見たことがあります。この具体的史実を知りたくなったのです。

ノモンハン事件は1939年(昭和14年)5月の第1次と、6月(実質7月)以降の第2次とに分けられます。そして第1次の第1回戦闘は5月13日から16日、第2回戦闘は5月22日から31日です。陣中日誌は、5月13日に山縣部隊が非常呼集を受けるところから始まっています。山縣部隊とは第23師団歩兵第64連隊のことで、そこで親父達通信班は、田坂少佐の部隊(第1大隊)と一緒に東捜索隊に合流するよう命令を受けています。この捜索隊というのは、敵を捜索して遭遇したら攻撃する部隊で、救助隊ではありません。そして東捜索隊は出撃して、敵が逃げたためたいした戦闘もせず、5月16日に帰着しています。

ここで旧帝国陸軍の組織をちょっと書いておくと、大本営陸軍部を頂点として、派遣軍、方面軍、軍、師団、連隊、大隊、中隊となります。親父のいたところは、関東軍、第6軍、第23師団、歩兵第64連隊となるわけです。軍隊は階層社会で、通信隊も階層に分かれています。そして軍の間及び軍と師団の間は軍通信隊、師団と連隊の間は師団通信隊、連隊と大隊の間は連隊通信隊が受け持っていました。(参考資料、久保村正治著「通信隊戦記」光人社)。軍通信隊(電信連隊)は高等工業卒のエリートや電報電話局にいたプロ達で、旧制中学出で招集将校である親父は、連隊通信隊だったようです。

さて「ノモンハン」第4巻の巻末にノモンハン事件に参加した部隊と、将校名が書いてありました。そこになんと、親父の名前もあったのです。それによると負傷したのは5月29日、その日は東捜索隊が全滅していますので、第2回戦闘時は東捜索隊ではなく、第64連隊(山縣支隊)本部にいたようです。なお親父の聞いた「部隊全滅」ですが、第2次ノモンハン事件8月29日の戦闘で山縣連隊長以下通信班の中尉を含め多くの将兵が戦死していますので、8月29日のことだと思います。そうすると撃たれてから3ヶ月経っているので、病院を脱走するだけの体力は付いているでしょう。これでやっと、親父の言っていたことと史実との結びつきができました。

なお親父はその後召集解除になり、太平洋戦争末期に再招集を受けたものの国内勤務の教育担当で、佐賀で終戦を迎えています。なおこの時は「エリート」である電信第2連隊(本隊は広島)所属だったようです。

なおこの「ノモンハン」全体に関して、特に目に付くのは日本軍(日本全体と言っても良いと思いますが)の改良力の無さですね。ソ連軍はノモンハン事件当初は火炎瓶で戦車を焼かれていたのが、後半はしっかり改良型を投入し、火炎瓶など平気になっています。これを突発自体事態に対する対応力と見ると、対応力の無さは現在の日本にも当てはまっているかもしれません。

2008/09/21

ぶどう膜炎・発病して3年

2008年9月21日

昔の日記(ホームページ)を見返してみたら、2005年9月20日に最初にぶどう膜炎の兆候に気がついた記述がありました。本格的に病院に通い出したのは10月になってからですが、発病してちょうど3年になるわけです。10月の体育の日を挟んだ3連休がだいたいのめどになるのですが、発病した年は3連休に引っかかって病院が休みのため、強引に九州旅行に出かけています。翌2006年は3回目の手術を控えていたためおとなしくしており(オフ会があったのは、この頃です)、去年は板谷峠に行っています。今年は岡山のドラ息子のところを訪ねて、そのまま讃岐の金比羅さんまで足を伸ばそうと考えています。何せ琴平まで岡山から1時間ですから。ホテルの予約を取り、今日切符を買ってきて準備完了です。

さて発病して3年、ずいぶん変わりました。目は最終的にコンタクトで落ちつき、何とか視力0.1を確保するまでになっています。この0.1、視野が狭いので左と一緒になっての立体視はできませんが、非常用としては十分役に立ちます。以前も書いたことがありますが、もし左目に何かあった場合、この歳になっての完全失明だと誰かが付きっきりになりますが、今の右目の状態でも、家の中であれば何とか行動ができます。これはものすごい差だと思います。

内服薬は眼科関係はすでに終了し(心臓関係で飲まされています)、目薬だけが朝晩1回ずつで残っています。面倒(気を使う)のは泊まりの旅行の時だけで、これも切らしてはいけないワーファリンの方が気を使います。

通常の生活においては、片目に慣れました。2年前はセルフサービスの喫茶店などでコップに水をくむ時によくこぼしていたのですが、うまくなりました。また人混みと階段が怖かったのですが、平気になりました。これは度胸が付いたのが一つ、ぶつかるのが平気になったのが一つ、もう一つは立体視はできないものの顔を動かしてある程度の距離感がつかめるようになってきたからです。慣れというものは恐ろしいものです。なお右側が見えないので人混みでは平気で他人にぶつかっていますが、車でそれをやるわけにはいかないので、車の運転だけは再開していません。

足の筋力が落ちると膝が痛くなってくるので、スクワットを再開しました。3年前に眼科の医者から「絶対ダメです」と言われて止めたものです。今は目ではなく心臓との見合いですが、特に脈が乱れない範囲でやっておけば、大丈夫のようです。

2008/09/20

読書用眼鏡

2008年9月20日

小生は現在、中近両用眼鏡と遠近両用眼鏡を使い分けています。この手の累進焦点式の眼鏡はどこでもピントが合わせられるという利点はあるのですが、ピントを合わせられる範囲が広いほど、ピントの合う有効視野(縦方向の)が少なくなっています。そのため遠近で全範囲がカバーできるのですが、遠近では近くを見る時の有効範囲が狭く、中近と使い分けているわけです。ちなみに遠近で本を読むと、すぐに目が疲れてしまいます。

この累進焦点眼鏡のピントを合わせられる範囲は、レンズの度数の変化が大きいほど狭くなります。つまり大して老眼が(遠視度が)進んでいない時は変化幅が狭いので、遠近でも広い視野を持っていました。ところが次第に老眼の度が進み、最近では中近でも視野が狭く、眼鏡の下の方でないと近くが見えなくなりました。そのため、ついに読書用の眼鏡を作ることにしました。

中近両用眼鏡は中央部、つまりまっすぐ正面を見た時に見やすい距離が、2mから3m程に設定されています。会議室の向こう側の席の距離です。近くを見る時には目を少し下向きにしますが、ハンダ付けなど拡大鏡を付けて細かい仕事をする時は正面を向かないと仕事ができないので、以前は近く専用の固定焦点の眼鏡も作っていました。それから度が一段進み中近は作り替えたので、今回もその固定焦点の眼鏡を作り替えようかとも考えたのですが、眼鏡屋さんでいろいろ試して、結局「近近」という累進焦点の眼鏡を作りました。本当の近距離専用なのですが、多少累進がかかっており、細かい距離の微調整が本を動かさずにできます。言い換えれば、以前は細かい距離の微調整くらいは目が働いていたのが、最近はそれもできなくなったということです。ご存じかとも思いますが、老眼は目が遠視になることではなく、ピント合わせすなわち距離の調整ができなくなることです。大抵は目が無限遠にピントが固定されてしまうので、遠視のように思われてしまうのです。08092001a


中近と遠近を作る時にはフレームも張り込んだので、今回は外を歩かない眼鏡でもあることですし、古い眼鏡のフレームを流用しました。2001年頃、ちょうど山形にいる頃かけていた眼鏡の再度のお勤めです。これで多少目は疲れなくなるはずですが、夜更かしは厳禁です。

なおいろいろ思うところがあって、アルヴィン・D・クックス著「ノモンハン」全4巻の古本をネットで手に入れ、それを読んでいるためにまた「積ん読」状態になっています。買ったきり手を付けていないのは、「SL甲組の肖像」NO.3、「ミッキーマウスの憂鬱」、「昭和天皇・マッカーサー会見」、「ナイチンゲールの沈黙」(上下巻)。まず「ノモンハン」を片付けなければ。

2008/09/16

免疫力とC型肝炎

2008年9月16日

C型肝炎について直接解説してある記事ではないのですが、面白い新聞記事を見ました。9月15日付朝日新聞の朝刊で、「ヒト化マウス」の解説です。ヒト化マウスとは超免疫不全マウスに人間の細胞を注入して一部に人間と同じ細胞を持ったマウスで、人間の白血球を持ったマウスや、人間の肝臓を持ったマウスなどがあります。普通のマウスにC型肝炎ウイルスを注入しても感染しないそうですが、この人間の肝臓を持ったマウスは、しっかりC型肝炎ウイルスに感染します。そこでこのヒト化マウスがC型肝炎治療薬の開発に使えるわけですが、面白いことはこの人化マウスはC型肝炎ウイルスに感染しても、C型肝炎にならない(つまり、肝臓が炎症を起こさない)ことです。

C型肝炎は、免疫機能がC型肝炎ウイルスを排除しようとして自分の肝細胞ごと破壊してしまうために起こります。テロリストが居ると言ってビルごとぶっ壊して、被害が拡大するようなものです。ヒト化マウスは超免疫不全マウスであるため免疫力がなく、C型肝炎ウイルスに抵抗しないために肝炎にならないのです。そこで思い出したのが、やは朝日新聞で解説してあった、肝炎の治療に免疫抑制剤を使うやり方です(このブログの、8月25日の欄をご参照ください)。自己免疫性肝炎と言うものがあるくらいですから、肝炎治療には強すぎる免疫力はやはりじゃまになるようです。免疫力をなくして肝炎を沈静化させ、肝炎ウイルスの増殖を止めてしまえば、やがてC型肝炎ウイルスは消滅します。常識破りとは言いながら、理屈には合っているようです。この免疫抑制剤を使うC型肝炎治療法は、昭和大学藤が丘病院などで行われているようです。08091601a


ただ免疫力が弱くなると、それこそいろんな病気に感染し、下手をするとそちらで命を落とします。ヘルペスでさえこれだけ悪さをしているのですから、十分な管理の下にやらないと、大変なことになるでしょう。

写真はおまけ、1日遅れの中秋の名月です。

2008/09/15

鉄道博物館

2008年9月15日

そろそろほとぼりも冷めたかと思い、鉄道博物館に行ってきました。少しもったいないかとも思ったのですが、大宮までの行き帰りは湘南新宿ラインのグリーン車にしました。グリーン料金は休日料金なのでいくらか安く、550円也。かつて1990年にイギリスに行った時、指定席料金が休日の方が安くびっくりしたことがあったのですが、20年近く経って日本も同じになってきました。このグリーン車、行きは昼食帰りはおやつと、有効に使いました。08091407a


鉄道博物館は混雑はしていましたが、さすがに入場待ちはありません。人気のジオラマルーム(かつては、レイアウトと言いました)や電車シミュレータは90分待ちです。一番人気のSLシミュレータは、開館直後に順番を取らないとだめなようです。しかしこれは良くできていて、ポイント通過時にはしっかり横Gがかかっていました。

ざっと見て回ったのですが、かつての交通博物館と違って解説が少なく、ともかく実車を見てくれというスタンスです。歴史的な意義など、もう少し詳しく説明しても良いと思います。「若松車セ」の検査マークをそのまま残したレムフ10000には、感激しました。
小生がずっと気になっていたのは、屋外にぽつんと置かれたキハ11です。近寄ってみましたが解説など何もなく、エンジンには段ボールがかかっていて、ひょっとすると動かすための整備中かとも思いました。そう言えば展示車両の中に気動車はありませんでしたね。キハ20を1両、1号機関車と同じく島原鉄道から譲ってもらえば良かったのに。08091410a


たまたま映画の上映時間に引っかかり、「つばめを動かす人々」を見てきました。音楽は何と伊福部昭です。時代は電化が名古屋までの頃で、名古屋まではEF58、名古屋-大阪間はC62が牽引します。最後尾は展望車で、浜名湖のあたりでつばめ同士がすれ違い、「つばめガール」が手を振る光景も見られます。C62はつばめマークをデフに付けたC6218、ラストシーンに翌日の上りつばめを引く同じくつばめマーク付きのC622が出てきます。オールドファンには、涙が出そうな作品でした。

2008/09/13

季節の変わり目

2008年9月13日

呼吸器や循環器系の弱い人は、季節の変わり目の体調が悪くなるといわれています。小生も22歳の夏に結核で入院して以来、カミさんから「バラの季節になると入院する」と言われているように、春秋の方がおかしく、真夏真冬は逆に体調が良いというパターンになっています。

9月になり少し涼しくなってきたら、とたんに鼻炎が出ました。以前耳鼻科には花粉症と言われていてこの時期は出るのですが、鼻水が時々鼻血になるのが困っています。ワーファリンを飲み出して以来、特に鼻血の頻度が高くなったように思うのですが、循環器の先生に言わせるとこのくらいの量では影響はないとのこと、そろそろ耳鼻科に行くかなあ。ちなみに鼻血が出ても気分や体調には何の影響もないのですが、服や他のところに付かないように、余計な気を使います。

9月になって、ずっと疲れていました。仕事の方も俄然忙しくなり、毎週群馬に通っています。それに加え、今月初めに48歳で急死した元同僚のお通夜と告別式のお手伝いをしたのも、精神的及び肉体的な疲れの原因になっています。先週の土日は雷様の後始末に追われ、待ちに待っていた3連休、前日の金曜日はコンサート(神奈川県民ホール、神奈川フィル+千住真理子)に行き、寝るのは少し遅くなって2時くらいになっていたのですが、今朝起きたら何と11時半、久しぶりにゆっくり寝ました。

カミさんが「歳なのに、よく寝られる」と感心していましたが、IFN中も含め何かあっても寝られるので、鬱病にもならず今まで持っているようです。若い頃は12時間くらい寝ることもありましたが、最近は8時間ちょっとで目が醒めます。今回の9時間半は、久しぶりです。
なおこんな小生でも、一度本当に寝られなくなったことがあります。それは20歳で母親を亡くした時です。それ以来、このことを上回るショックにあっていないということでしょう。

2008/09/07

地震雷火事親父

2008年9月7日

昨日(6日)、パソコンの録画してあったビデオを見ようとしたら、リモコンが動きません。このところMSから頻繁に修正ファイルが届き、しかもWindows-XPもSP3になったので、てっきりそれだろうと思いました。ところがいくらやっても、リモコンの受信機を認識しません。ふと思い立ってUSBハブを外して直接繋いだら、認識しました。どうやらUSBハブが壊れていたようです。

東京近郊の方は覚えていられるように、4日(木)夕方、すごい雷が鳴りました。小生はちょうど駅から自宅まで歩いているところだったのですが、雷が鳴る前に配電線からスパーク音が聞こえ、しかも雷は頭の上で「バリバリ」と音を立てるので、良い気持ちはしませんでした。駅から自宅までの道は小生がむき出しで一番高くなる部分はないので、直撃を受けることはなかろうと思って、傘を差したまま自宅まで歩きました。一応念のために傘はずっと右手に持っていましたが。この時自宅にはカミさんがいたのですが、パソコンを置いてある部屋から、物の落ちるようなすごい音が聞こえた、と言います。行ってみると物は落ちていない代わりに、パソコンの電源が入ってディスプレイが明るかったそうです。確かに小生が帰り着いた時も、パソコンは起動していました。

小生のパソコンはビデオ代わりにも使っているので、日頃電源は落とさず、スタンバイ状態にして止めています。ところがちょっとしたサージで起動するようで、部屋の明かりを消す時に時々起動します。今度も雷のサージで起動したのは間違いないのですが、ACアダプタから入ったサージで、USBハブを壊してしまったようです。パソコン本体は何事もなく(さすが富士通)、助かりました。

そこで心配になり、繋がっている周辺機器をチェックしました。USBハブが壊れているので、直接接続です。するとプリンタは問題なかった物の、外付けハードディスクが認識されません。ハードディスク自体は回転するのですが、USB認識エラーの状態です。プリンタも外付けハードディスクも電源は切ってあったのですが、電源からではなく、USBハブからサージが回り込んだようで、USBポート用のICがやられてしまったようです。

このハードディスク、主目的は本体内蔵のハードディスクのバックアップです。そのため大事なデータは本体内にあるので、大事には至りませんでした。ハードディスクでの弱点はベアリングで、昔本体内蔵のハードディスクを交換したこともあったのですが、今回初めて通信部分がやられ、もう一つ弱点があることに気がつきました。ハードディスクは壊れやすいので、サーバー用はミラーリングにしたりRAIDにしたり、いろいろなカバーする手があります。ところが今回のように繋がっている通信部分がやられると、仮に2台のハードディスクを使っていても、全滅したはずです。これは防ぎようがなく、別媒体、例えばDVDなどでバックアップを取るしかありません。一応思い出したようにCD-ROMのバックアップを取っていますが、もう少しまめにした方が良さそうです。なおハードディスクは一応修理に出し、自宅は新しいハードディスクを買い、OAタップも気休めですが「雷サージ対応」というものに変え、復旧しています。

地震と火事の怖さは十分にわかっていましたが、最近は温暖化の影響か雷もひどくなり、雷も侮れなくなってきたようです。なお「親父」だけは、会社でも頑固親父や「親父さん」と慕われる班長などが、めっきり少なくなりました。

2008/09/06

最後の早慶戦

2008年9月6日

小生としては珍しく、アニメではない、人間が演じる映画に行ってきました。「ラストゲーム・最後の早慶戦」です。今回は初めて行く109シネマズの、グランベリーモール館です。グランベリーモールは広いので、気をつけていないと迷子になります。案内には南町田駅前と書いてあったのですが、着いてみたら橋の向こう側でした。そして土曜日ということもあって、切符を買うのに15分くらいかかりました。やはり初めてのところは時間に余裕を持ってこないと危険です。

この「最後の早慶戦」、「感動した!」とか「今までで一番泣いた」とか言う話は聞こえてくるのですが、調べてみたらこのグランベリーモールでは上映は1日2回だけ。そして9月12日で打ちきりのようです。やはり「ポニョ」のようにはお客さんを集めてはいないようです。ちなみに並んでいる時に、ポニョ満席のアナウンスが入りました。

上映開始15分前に上映会場に入ってみたら、誰もいません。場所を間違えたかと思って一旦外に出て、会場番号を確認しました。やがてぽつりぽつりと人が来て、暗くなってから入ってきた人を含めて12人でした。「つ止まり」は免れましたが、これでは1日2回しかやらないはずです。

内容は、やはり良い映画でした。時代の雰囲気も良く出ていて、大道具小道具類も手抜きがなかったようです。上野駅のC11牽引の列車に目くじらを立てるのは野暮というものでしょう。試合後の早稲田の学生が歌う「若き血」と、慶応の学生が歌う「都の西北」に泣けましたが、これは若き血と都の西北に対する思い入れ(思い出)からもあるでしょう。

なおこれから先、「ガリレオin the MOVIE」と「まぼろしの邪馬台国」にも行くつもりです。またまた珍しく、人間が演じるものばかりです。

2008/09/01

でんしゃのいろえんぴつ

2008年9月1日

先日机の引き出しが落ちました。合成木材製の学童用机でさほどの強度がないところへ、引き出しの中に重いものを大量に詰め込んだのがいけなかったようです。その重いものの正体が、これです。08083101a_2
上の写真は左上から右そして下に、JR北海道、するっとKANSAI2代、するっとKANSAI3代(AとB)、JR3社の新幹線大集合(2004年版)、JR西日本、真ん中の写真は、同じく左上から右にJR東日本2002年版、JR東日本2003年版、JR九州初代、2代、3代となっています。カバーを掛けたまま写真を撮ったので、少しかすんでいます。最初に「するっとKANSAI」(初代)の色鉛筆を見せてもらって気に入り、2代目からしばらく買い始めました。3代目「するっとKANSAI」など、大阪に帰省する同僚に頼んで買ってきてもらったものです。08083102a


その後JRからも出始め、一通りは買いましたが、JRそれも本州3社のものは連続印刷ではなく3面印刷なので、その後は買っていません。JR北海道と九州のものは連続印刷なので、積極的ではありませんが、機会があれば買っています。

この3面印刷と連続印刷の違いですが、3面印刷は、四角い鉛筆の底を除いた3面にそれぞれの柄を印刷したもの、側面と上面の間は、図柄が切れています。08083106a22000
一方連続印刷は、右側面から上面左側面と図柄が繋がっており、模型的な雰囲気を持っているものです。下の写真はするっとKANSAIの2代目に入っている近鉄22000系ですが、端面を見えなくすればちょっとした模型に見えます。しかし本格派の鉄道マニアはこの価値がわかる人が少なく、かえって「ちょっと好き」くらいの人が興味を持ってくれます。

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