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2008/07/27

日焼けが汚い

2008年7月27日

5月に電車の写真を撮りに行って日焼けしましたが、日焼けがいつまでも赤く、しかもまだらに汚くなっています。生まれ育ちが九州なので昔から良く日焼けしており、日焼けの最初は赤くなりますが、すぐに真っ黒になっていました。今年の日焼けは少し異常です。そこで考えた原因が、
1)紫外線が変わった。
2)体質が変わった。
3)歳のせい。
ちょっと検証してみます。

まず1)ですが、紫外線はUVA(波長400~315nm)、UBV(同じく315~280nm)、UVC(280未満)に分けられ、UVCは大気で遮られて地表には来ません。そして黒くなる(サンタン)はUVA、赤くなる(サンバーン)のはUVBの働きです。またUVBは発ガン性もあります。一方紫外線の強さは大気を直角に近い角度で通過する時が一番強く、季節では夏至の前後が、時間ではお昼前後が一番強くなります。しかし6月は雲が多いため、結果的に5月が一番強くなるとも言われています。データは見つかりませんでしたが波長が短いほど減衰しやすいので、5月の紫外線はUVB比率が一番高いとも思われます。

そうなると、5月24日のお昼頃外にいたのですから、一番UVBを浴びて赤くなったのでしょう。このUVB、オゾン層が薄くなって紫外線の中で占める比率が高くなったのではないかというのが保険屋のおばさんの意見でしたが、あり得ることとは言うものの、検証はできませんでした。ただ5月末のお昼頃というのは一番UVB比率が高そうなので、皮膚癌予防の面からも、要注意時期ではあります。電車の写真を撮るなら、5月の連休ですね。

2)は小生が1年近くステロイド漬けになって体質が変わったのではないかというものですが、ちょっと考えにくいです。ステロイド入りの軟膏は日焼けのひどい炎症の治療には使われますが、小生が使ったのは点滴と飲み薬で、吹き出物ならともかく、日焼けの仕方が変わることはまずないでしょう。

3)についてはノーコメントです。

どうやら一番UVBの強い時期、時間帯に外にずっといたのが原因のようです。なおUVAにはサンバーンをサンタンに変化させる作用があるようで、冬場に白く戻すためには、この夏少し黒く焼いた方が良さそうです。

2008/07/25

やったぜ、視力0.1!

2008年7月25日

昨日、眼科の検診に行ってきました。いつものことながら、診察の前に視力検査があります。小生の右目は真ん中よりやや右下に良く見えるところがあり、中央部は霞がかかったようになっています。従って視力検査の時には、目標のやや左上を見るようにするのがコツです。こうやって目の中心部(他の人から見ると、目線)を目標からずらしてみる見方は痴漢かスリがやっているそうで、電車の中で練習したりすると、あらぬ誤解を招きます。昔の○レ製のコンタクトの時は、コンタクトの中心が瞳の中心からずれるため、この見方をやってもあまり効果はなかったのですが、メ○コンのコンタクトに変えてから、コンタクトの外径を少し大きくしたこともあって、コンタクトの中心が瞳の中心に来るようになりました。こうなると、この見方が効いてきます。さてその見方がうまくいき、検査の先生、Cの字を持ったままどんどん下がり、ついに視力検査表に電気を点けました。多少怪しいところもありましたが、見事視力0.1です。

この視力0.1は手術後「視力を確保できた」という目安のレベルで、眼内レンズの手術も視力が0.1ないと、対象になりません。最も小生の場合は水晶体を抜いた後は癒着しているのでそのままでは眼内レンズは入らず、視野もものすごく狭いので0.1の実力はありません。とは言うものの、やはり0.1見えると気分的にも違います。網膜の方も、見えることにより回復してくるような気ががします。

先生の方は手術後視力確保できたかできないかの境なので、0.1はすごく気にします。S先生開口一番「視力が0.1ありますねえ。」一応真ん中より少し右下が良く見えることを話します。やはり増殖膜が真ん中に少しかかっているので、これが悪さをしているようです。網膜は10年単位の長いスパンで変わってきますので、じっくり待つしかないでしょう。ぶどう膜炎自体は、すっかり落ちついているようです。良い機会なので、再発の可能性と、左に出る可能性を聞いてみました。再発の可能性はないとは言えないものの、非常に低いこと、左へはこれだけ時間が経ったので、こちらも可能性は非常に低いということでした。かつてN講師が「心配性」と言ったS先生が言う「可能性は非常に低い」ですから、事実上「ない」と考えて差し支えないようです。次回の診察は4ヶ月か5ヶ月後になりました。このF病院のシステムは3ヶ月先までしか予約ができないので、しばらく経ってから電話で予約を取ることになります。そのため、4ヶ月から5ヶ月先という曖昧な時期になっています。言い換えれば、その間の好きな時期に予約を取れということです。

最近F病院に来る間隔が延びたため、来る度に先生方の様子が変わっています。N講師が辞められ、4月にN助手が講師に昇格されました(紛らわしいので、これからはN講師2と書きます)。そのあおりで診察担当曜日も代わり、S先生は以前は木曜日に関連病院に行って不在だったのですが、木曜日が診察日になりました。また若い先生はほとんどすべて入れ替わっています。ただ若い先生は女医さんが多いので、単に名前が変わっただけかもしれません(^_^;。

目も収束に向かいつつあります。ただこの桐沢型ぶどう膜炎、一生収束にはならず、肝臓のように半年に1回の診察が継続するかもしれません。

2008/07/21

富山・高岡再訪記(5)

2008年6月22日(つづき)

電車にゆったり座り、昼食を取ったら心臓も落ちついた。午後は前回見残した瑞龍時に行く。高岡開祖の前田利長公の菩提を弔うために建てられた寺で、高岡に来てここを見ないと「何しに来た」と言われそうなところだ。08062275a
駅から万葉線の反対側の方に歩いていくと、やがて八丁道にぶつかる。これが参道で見事に一直線、車道と分離した形になるので、歩いて行く身には有り難い。途中に利長公の銅像がある。これが2009年の開町400年記念のキャラクター「としながくん」のモデルである。08062276a


瑞龍時に着く。でかい!敷地も広いが、建物も大きい。標準レンズでは、全体像が撮れない。山門、仏殿、法堂は国宝、その他は重文。戦時中もB29が避けてくれたようだ。08062280a
ここの仏殿は日本の建築では珍しく、中央に柱のないドーム型をしている。しかも木造。08062281a
確かこの構造はNHKで取り上げられたと思うが、解説書やお寺のホームページにはそのことは触れてない。鉛葺きの屋根が強調されている。外観も見事だ。仏殿から回廊を通って門に向かう。芝生の緑がきれいだ。08062285a


今度はこの八丁道を反対側に歩き、利長公の墓所に行く。この八丁道は、利長公の墓所と瑞龍寺とを結んでいるのだ。森の中の落ちついた雰囲気、ここもでかい。この大きい敷地がそのまま残っているのが良い。08062292a


残すは万葉線の写真だけである。さすがに今から庄川鉄橋まで行く時間はなく、市内の路面区間で撮ることにする。昨日の経験から車の流れがとぎれるのは電車が曲がる交差点で、駅に近い片原町交差点まで足を伸ばす。08062299a
1本おきに旧型車が入るので、富山ライトレールより効率が悪い。なんとかものになる写真が撮れた。時間待ちの間に「土蔵造りの町並」まで足を伸ばす。「町並」と言うには土蔵が少ないが、一応残っている。080622103a


この片原町交差点のそばに「夕日」の銅像がある。夕日と言うより、「ぎんぎんぎらぎら」と言った方がわかりが早い。この曲の作曲家室崎琴月が高岡市の出身だという。遙か昔のことであるが高校の時、体育祭の最後に必ず「お遊戯」があり、1曲は毎回変わるが2曲目はこの「夕日」と伝統的に決まっていた。ちなみに、共学であるが男子が圧倒的に多く、当時全校1800人であった。「ぎんぎんぎらぎら」に「再会」した気分である。080622100a


このあたりから雨が降り出した。この2日間天気予報は時々雨と言っていたが、最後まで逃げ切った。帰りは駅弁を食べながらはくたかからときへ、大収穫の2日間であった。

(完)

2008/07/20

富山・高岡再訪記(4)

2008年6月22日(つづき)

今回高岡に来たもう一つの目的は、万葉線である。伏木から「如意の渡し」で小矢部川を渡る。ここの渡しは、かつて義経主従が奥州落ちの途中で乗船して怪しまれ、弁慶が義経を扇で打ち据えて疑いを晴らしたという。この義経記の話をベースに、有名な勧進帳の安宅の関の舞台が作られたという。銅像があるそうだが、見つけ損なった。08062235a


如意の渡しを渡ると、万葉線の中伏木である。電車を待っていたら、草むらを動くものがいる。野鳥かと思ってみたら、なんとキジであった。まず越の潟まで乗る。新型の低床車である。1067mmゲージであり同じ新潟トランシス製のせいか、富山ライトレールの車両とよく似ている。ベースは岡山のmomoだという話も聞いた。08062260a
如意の渡しで別れた地元の鉄道ファンによると、この低床車は積雪時の運休が多く、評判が良くないらしい。調べてみると導入当初にブレーキ故障や脱線事故を起こしており、イメージも悪そうだ。富山ライトレールと違って利用者は増えておらず、先行きが怪しい状態である。08062261a


中伏木-越の潟間はまるで港湾の貨物線を走るようで、とても路面電車タイプの車両が走るようなところではない。これまた調べてみたら、元々は富山側からの路線が富山新港建設の時に切断され、高岡側だけ残ったものらしい。越の潟からは富山新港を横断する渡し船が出ている。08062262a


越の潟の隣に「海王丸」という駅があり、海王丸パークと案内が出ているので、行ってみる。いた!海王丸だ。現在横浜に係留されている日本丸と組んで、以前は良く遠洋航海を行っていた。日本丸は横浜で見慣れているが、海王丸がここにいるとは知らなかった。08062268a
その横浜のベイブリッジに対抗してか、掘り込まれた富山新港の対岸とを結ぶ新湊大橋が建設中である。しかし横浜市は人口360万人、人口たった9万の射水市が同じものを作っても、無駄な投資になるのは目に見えている。現にこの海王丸パーク、人っ子1人いない。建設業者を養うための工事のような気がする。08062271a


海王丸駅までまた歩くが、駅に着いた時少し気分が悪くなった。リュックを担いでいるのに、どうやら少し急ぎ足過ぎたようだ。こうなると1時間ほどじっとしているしかないので、ちょうどお昼にかかる頃だし、高岡駅まで戻ることにする。万葉線にゆったり座ると、心臓の鼓動が背中まで感じる。途中庄川の鉄橋は良い撮影ポイントになると思ったが、おとなしく座っている。万葉線は路面区間になると、沿線の雰囲気がまるで変わる。富山を外して高岡だけもう1回来ても良いかもしれない。

(つづく)

生誕100年

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2008年7月19日

買ってしまいました。もう一つ持っている交響曲全集は、朝比奈隆/新日本フィル。こちらも生誕100年です。

2008/07/19

富山・高岡再訪記(3)

2008年6月2日(日)

今日は早起きして氷見線の貨物列車を撮るつもりであったが、昨日夜更かししたため、起床時間を少し遅くした。夜更かしの原因は野球中継延長のため1時間20分遅れとなったヨン様ドラマ「太王四神記」で、出発する時録画を延長付でかけていたものの、さすがに1時間20分はカバーできず、生で見ることにしたためである。とは言うものの、8時8分発の氷見線列車には間に合った。08062202a


氷見線は、かつては能町にコンテナターミナルがあったようだが、今は側線も撤去されている。JR西日本と並んでJR貨物の事務所もあるが、どうやら今は無人のようだ。なお現在の貨物ターミナルは能町から分岐した先にあり、伏木駅から小矢部川を挟んだ対岸になる。08062201a


伏木に到着、十條製紙(現、日本製紙)の工場があるため貨物の受け渡しがあり、構内は広い。昔モーターの設計をやっていたころ、十條製紙伏木工場向けを一度だけ手がけたことがあり、その時「伏木ってどこ?」と探したことがある。電源周波数の問題があるので、工場がどこにあるかは重要なのだ。08062204a


高岡の観光案内によれば、伏木港特に万葉埠頭は観光地のような書き方だ。しかし行ってみると普通の港湾施設で、とても観光客が行けるようなところではない。復元された灯明台もあるが、望遠レンズでやっと撮影できた。港町も「レトロ調が漂う街」と書いてあるが、見所は商工会議所伏木支所だけで、普通の町並である。08062209a


せっかく来たので、北前船資料館に行く。丘の上で、心臓病にはちょっとしんどい。ここは回船問屋の旧家をそのまま残してあり、木造の望楼があるのが珍しい。しかも上がれるという。早速上がってみる。階段が狭くて低くあちこちぶつけたが、上まで着いた。なんと4畳の畳敷きである。窓は昔ながらの障子と雨戸で、毎日開け閉てする人は大変だ。08062218a

共通入場券を買ったので、勝興寺、伏木気象資料館と全部回る。伏木気象資料館は旧伏木測候所で、現在はアメダスに代わり測候所は廃止されている。こうやってどんどん無人化していくと、いつかとんでもないしっぺ返しが来るような気がしてならない。08062224de10


今日は日曜日、最近は貨物列車も土日休むことが多い。止まっている伏木駅の入替用スイッチャーの写真でも撮ろうと駅に向かう。踏切を渡る時に見たら、ポイントが貨物線側に切り替わっている。あれと思って能町の方向を見ると、かすかにヘッドライトが見える。偶然貨物列車を捕まえたのだ。やがてA寒地仕様(旋回窓付き)のE10 1596に引かれたコンテナ列車がやってきた。しかもかなり長い。牽引機はJR貨物ではなく、JR西日本の所属車だ。DE10が貨物列車の先頭に立っても入替との区別が付かないが、最近は「貨物列車」はヘッドライトを点けるので、それが区別になる。構内にはいるとスイッチャーが出てきて入替え、やがてDE10はスイッチャーの仕立てた列車の先頭に立ち、出発していった。コンテナの行き先は、隅田川と書いてあった。到着が10:10、出発が10:52であった。08062245ade10


写真に夢中になっていたら、地元の方が声をかけてきた。これからスイッチャーが日本製紙の工場内にコンテナ社を引き込むので、それを見に行かないかという。早速車で連れて行ってもらう。その方はいろいろ撮りまくっているが、「記録だけですから」と携帯電話のカメラ、時刻も記録されるので、記録としてはうってつけだ。08062252a
この工場も9月末で廃止されるとのこと、伏木に出入りする貨物列車もそれまでである。偶然良い時に来た。

(つづく)

2008/07/16

富山・高岡再訪記(2)

2008年6月21日(土)(つづき)

富山ライトレールは富山駅北を発車すると、次の牛島町交差点で右折する。路面電車の右折の時は車は両方向とも停止になるので、電車の写真を撮るならこの交差点はよい。しかもここは富山駅北に行った車両がまたすぐに戻ってくるので、撮影効率も良い。08062143a
デジカメの5枚連写というのを使ってみるが、これがなかなか使い出がよい。最近カメラの腕も落ちたので、一発勝負にこだわらずにこの機能を使うことにする。ここ富山ライトレールの車両はワンマン運転なのにバックミラーがないが、バックミラーならぬバックカメラが設けられていた。自動車のバックミラーもやがてカメラに置き換えられる時代が来るだろう。なおカメラの映像がミラー反転しているかどうかは、確認しそびれた。08062158a


まあ満足のいく写真が撮れたので、もう一つの見たかったところ、中島閘門に行く。中島閘門は富岩運河にあるが、富山市の中心部を流れる神通川は明治24年(1891年)の大水害の後復旧工事をかねて直線化され、その廃川跡を埋める工事と一緒に昭和3年(1928年)に造られたのが富岩運河である。08062161a
復旧工事の提案をしたのはデ・レイケだそうだ。デ・レイケは日本の河川改修の父と言っても良いと思うが、福井県の三国港の改修工事だけではなく、ここでも名前が出てくるとは思わなかった。ちなみに小生の故郷三角港の設計は、デ・レイケの同僚ムルデルである。08062163a

閑話休題。運河は海から内陸へ向かうため勾配があり、流れを緩やかにするためには所々に閘門を設ける必要がある。と理屈では知っていても、日本にはないと思っていた。ところがそれが目の前にある。しかも現役だという。パナマ運河式の立派なもので、200t級の船が通れるそうだ。実際は滅多に稼働しないだろうが、稼働するところを見てみたいものだ。08062167a


そろそろ暗くなってきたため、今夜の宿泊場所である高岡へ移動する。この大人の休日倶楽部パスは特急も含め乗り放題で、たまたま「はくたか」が来たのでそれに乗る。今度は新型の683系だ。さすがにこの時間になると空いており、自由席にゆったり座れる。夕食は前回と同じところ、前回帰り際に駅に「生ビールサービス券」というのが置いてあるのを見つけ、今回はそれを使わせてもらう。ホタルイカの沖漬けで一杯、富山である。前回は気がつかなかったが、醤油に「甘口」というのが置いてある。聞けば地元産で、地元の醤油は元々甘口で、観光客用に関東風の醤油を置いているそうだ。小生は九州生まれの甘口派なので、早速それを使う。やはり1回では見えないことが多い。

(つづく)

2008/07/13

富山・高岡再訪記(1)

前回、4月に富山に行った時にあちこち鉄道施設があるのを見つけ、さらに氷見線に貨物列車が走っていることもわかり、近いうちに再訪しようと思っていた。小生はJR東日本の「大人の休日倶楽部」というものに加入しており、この会員パスを使えば高岡往復が特急券込みで12,000円になる。これは期間限定で6月16日から6月29日までなので、急遽6月中に行くことにした。6月21,22日の土日、季節柄雨の中での撮影を覚悟しなければなるまい。

6月21日(土)天気:曇
前回と全く同じ上越新幹線-北越急行(とき-はくたか)ルートで、今度は1人のため、時間だけが少し早い。08062102a
はくたかは今度は最後尾の9号車だったが、乗り心地は相変わらず良い。6月はシーズンオフだと思っていたが、はくたかは満席である。しかも自由席はかなりの混雑とのこと、この時期は季節は悪いのだが、人のことは言えた義理ではない。はくたかは窓側の席だったので、糸魚川の手前の交直セクションがわからないかと外を眺めていたら、やっとわかった。車内は照明は消えないが、案内表示器は消える。08062103a


富山に着いた。雨は落ちていない。今日はまず富山ライトレールである。富山ライトレールにはスイカのようなICカードがあり、これを使うと200円のところが160円になるのだが、デポジット込みで2000円。いくら何でもそんなには乗らない。ともかく現金で岩瀬浜まで乗る。富山駅を出発してしばらくは路面だが、やがて専用軌道にはいる。かつての富山港線だ。そのため軌間はJR在来線と同じ1067mmで、路面電車としては狭い。車内も少し窮屈に感じる。沿線は工場地帯の中を走り、写真になりそうなところはあまりない。08062105a


岩瀬浜で降り、ここで「鉄」から離れて一般の観光コースを取る。「ノーベル街道」なる案内があった。ここ富山から高山に向けての沿線から、4人のノーベル賞受賞者を輩出しているのである。詳しくは写真を。田中耕一氏だけではなかったのだ。08062108a


このあたりの案内表示は、英語の次にロシア語が来る5カ国語表示になっている。富山港に行ってみて驚いた。ロシア船しかいないのだ。しかも皆中古車を積んでいる。かなりの数の盗難車がここから船積みされているという噂も聞いた。百聞は一見にしかずである。08062109a


北前船の回船問屋「森家」に行く。08062114a
高岡もそうだが、富山もかつては北前船で栄えたところだ。町並はきれいに整備されているが、観光客は少ない。東岩瀬まで歩いて、少し移動、来る途中で見えたきれいな公園に行く。08062121a
東岩瀬は富山港線時代のホームが残されており、対比が面白い。来る途中に見えた公園は、馬場記念公園だった。旧制富山高校(現富山大学)の跡地である。しかし広い。紫陽花がきれいだ。08062119a_2


日暮れが近くなるとカメラをスローシャッターにしなければならず走行中の写真が撮れなくなるので、電車の写真を撮るために奥田中学校前まで移動する。ここが専用軌道と併用軌道の境界で、起点を示す0kmポストもある。おそらく鉄道と軌道(管轄の法律が違う)の境でもあるのであろう。両方のホームから富山駅方向に発車できるようになっているため、脱線ポイントが造られているのが面白い。交差点で電車の写真を色々撮るが、併用軌道はどうしても自動車が絡み、これぞという写真が撮れない。やはり富山駅まで戻ることにする。08062123a


(つづく)

2008/07/06

ホームページを更新しました

2008年7月6日

久しぶりに、ホームページを更新しました。「桐沢型ぶどう膜炎治療記」に2007年2月~12月分を追加したものです。ご笑覧ください。

なおホームページの編集には「ホームページビルダー」(11)を使っていますが、日付の表示にロゴを使っているため、項目が増えてきたらだんだん重くなり、1回の修正に2分以上待つようになってきました。しかも他のロゴを使おうとすると、ファイル保存の時にエラーになります。それで今回ソースネクストの「ホームページZERO」を買ってみたのですが、ページ構成やロゴの考え方が全く異なり、白紙から作るのならともかく、現在あるページに修正をかける使い方には全く不適であることがわかりました。現在写真のポップアップは手で作っているので面倒なのですが、これも当分はそのままです。そのうちに、旅行記も増やします。とは言うものの、当てにしていた「自宅療養期間」がなくなったので、いつになるやら。

部下の「うつ」、上司にできること

2008年7月6日

会社から宿題で、「部下の「うつ」、上司にできること」というビデオを持たされました。本当は3日(木)の定時後に管理職対象の上映会があったのですが、小生はドレスデンフィルに行きこの上映会をサボったため、宿題になったものです。制作はPHP研究所で、管理職用の教材です。

最近成果主義が取り入れられてきたせいか、会社での精神的な異常を訴える方が増えていると聞きます。その中で「うつ」が最も代表的な例なのですが、小生のようにIFN中も部長先生から「南海さんは心配ありませんね」と言われるようなタイプは逆に危険で、周りをうつに追い込んでしまうと言われています。まあそういう意味ではうちの会社では、人事担当重役が最も危険なのですが(^_^;。

そこで昨日、早速ビデオを見てみました。うつの原因はストレス(マイナスだけではなく、プラスも)ですが、ストレスを感じやすいタイプは、几帳面、真面目、自分1人でがんばるタイプ、だそうです。小生はこの全部に当てはまり、今までうつにならなかったのが不思議なようです。たぶんどこかでヒューズを飛ばしていたんでしょうが、その蓄積は精神面ではなく肉体面に出てきて、数々の病気(結核、肺炎、心臓病、ぶどう膜炎、など)に出てきているのかもしれません。

勉強になったのはうつで休んだ方の復職後の対応で、ごく自然にということですが、これがなかなか難しいです。アルコールはうつを悪化(再発)させることがあるのでダメというのもありました。何でもそうですが、症状がひどくなる前の早めの対応が一番です。

2008/07/05

ドレスデン・フィルハーモニー

2008年7月5日

木曜日(3日)にドレスデン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏会を聞きに行ってきました(サントリーホール)。元々は千住真理子のコンチェルトが聴きたくて行き、組み合わせもベト7よりブラ1(ブラームスの交響曲1番)が良いという軽い気持ちで行ったのですが、すごい演奏に出くわしました。

魔弾の射手序曲や、メンコンのバックの時に、「アインザッツがきれいに揃った、うまいオーケストラだなあ」と思っていたのですが、圧巻はメインのブラームス1番でした。4楽章のホルンの朗々とした、そして音量のある響き。それに付くトロンボーンの和音もぴったり合っています。金管がここまで聞かせてくれるところは、日本のオーケストラではちょっと思い当たりません。N響も最近世代交代のせいか腕が落ちています。弦もまた一糸乱れず歌い上げます。ブラームスの1番はいろいろ聞きましたが、ここまでのものは初めて聞きました。海外の一流オーケストラの日本ツアーは、本当に「ツアー」(観光)気分で来るところが多いという話も聞きますが、今回は良い演奏を聴かせてもらいました。

この「一糸乱れず」というのはかつては日本のオーケストラが得意としていたところですが、最近は乱れるところが多くなっています。日本の社会全体からかつての「一分の狂いもなく」という状態が失われているので、オーケストラだけではありません。製造業は「過剰品質」という言葉を鵜呑みにしてしまったためのていたらくですが、日本のオーケストラは練習不足のような気がしてなりません。N響ファンとしては、もっとがんばってもらいたいところです。

お目当ての千住真理子さん、席がちょうどソリストの正面(RA)だったので、昔と同じ目を久しぶりに見ることができました。演奏に入る時の、強い意志と、自信に満ちたあの目です。9月(横浜)もまた千住真理子の追っかけですが、今度は席が遠く、音だけになりそうです。

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