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2008/06/01

親父は電信兵だった?

2008年6月1日

以前書いたことがありますが、先の大戦中、親父は旧制中学出ですが幹部登用試験を受けて将校になり、通信将校をやっていました。ただ戦争中のことは、詳しく聞いたことはありません。断片的に聞いた話は、中国大陸のどこかで胸を狙撃されて負傷したこと、後方の病院に入院中に部隊が全滅したこと、一旦召集解除になり再招集され、再招集後はずっと国内にいたこと、くらいです。ところが実家の片付けで出てきた資料を調べ、さらに「通信隊戦記」(久保村正治著、光人社)という本を読んで、だんだん戦争中の親父の姿が見えてきました。

旧帝国陸軍は、歩兵の他に多くの専門集団を抱えていましたが、その中に電信兵と呼ばれるグループがありました。言わば軍隊の中のNTT、やることは各部隊と司令部との通信で、電線を引いたり、移動に伴いそれを外したり、無線のアンテナを立てたり、そしてそれらを使って電信/電話の通信を行ったりというものでした。この中のエリートは軍通信隊で軍司令部と師団司令部の間の通信を行い、ここの将校は主に高等工業(現在の大学工学部)の出身で、親父がいたのはずっと末端でした。ただ再招集後はこの軍通信隊である電信第2連隊(本拠地広島)にいて教育を担当していたようです。

実家の片付けで出てきた記録と「遙かなるノモンハン」(星亮一著、光人社)を読み比べたところ、親父が従軍していたのは昭和14年の第1次ノモンハン事変で、所属は東支隊だったということがわかりました。東支隊は、1回目の出動は無事に終わって帰還したものの、すぐに第2回目の出動になり、ここで強力なソ連軍に包囲されてほぼ全滅しています。1回目の帰還が5月16日、全滅が5月28日で、親父は入院中に全滅の報を聞いたと言っていましたから、撃たれたのは1回目の出動の時か、あるいは2回目の出動してすぐだったのでしょう。部隊司令部にいる通信将校だったため1番先に狙い撃ちされ、そのために助かったと言っていました。

親父の軍隊時代の写真(中には白馬にまたがったカッコイイ写真もあり)を見て漫然と歩兵だと思っていたのですが、実は敵を銃撃することとは関係ない全くの専門職だったということが、今頃わかりました。子供の頃電信の打鍵器や手回し発電機で遊んでいた記憶がありますが、これは戦争中親父が、後半は教育用に、使っていたものでしょう。なお親父は戦後は実家の酒類卸業を継ぎ、通信の「つ」の字も口にしませんでした。モールスもたぶん知っていたのでしょうが、教わった記憶はありません。

こういうことは全く知らなかった小生は親父とは関係なく電気科に進みましたが、電気機器学を専攻して重電メーカーに進んだ小生を親父はずっと「機械屋」と言っていました。親父は、「電気屋とは通信系(現在の電子情報通信系)なり」と思っていたのかもしれません。この6月10日、親父が生きていれば100回目の誕生日です。

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コメント

戦争にいった親のことは、案外、本人からはその詳細を聞いていませんね。
私も、空襲を受けた側の母からは少し聞きましたが、海軍にいった父からは何もきいていませんでした。もっとも私が若いころに死んでしまったので、聞くチャンスがなかったのですが。
後年、軍の集まりでの会話で、ちょっぴりだけ知りました。でも、差し支えない所だけでも、直接聞いておきたかったなぁと思うこのごろです。
南海さんのお父様は、うちの祖母より2歳ほど上です。

コメントありがとうございます。

>miyaさん
軍隊時代の話を聞くと、決まってその後「規律正しく」とか「姿勢が悪い」とかいうお説教が着いてくるので、聞きたがりませんでした。電気通信をやっていたとわかっていれば、もっと聞いておいたのですが。小生は親父の41の時の子供なので、他の方の一世代上と同じになりそうですね。

私の父親のことを調べていましら、通信第二連隊でここに到達。
奈良出身で、20歳の時に広島市比治山の陸軍通信第二連隊に所属。
被爆時 、山の木陰と毛布を掛けていたため、奇跡的に生き残る、足の少しが浴びてケロイドになったとの事。
その後戦死者の処理を行いましたが、原爆の病は発生していません。
今も、満92歳で存命です。

川崎 弘豊様

コメントありがとうございます。ずいぶん古い記事を見つけ出して下さいましたね。
親父がいたのは電信第二連隊でも九州の駐屯地でしたが、サラリーマンと同じ転勤で、昭和20年に広島の連隊本部にいたことがあります。おそらく半年くらいだと思いますが、昭和20年の6月にまた九州(佐賀)に異動し、そこで終戦を迎えています。転勤の時期がずれていたら、小生は存在しなかった可能性が大ですね。比治山の陸軍墓地にも、行ったことがあります。
http://nankaiponkichi.cocolog-nifty.com/weblog/2016/08/post-0ea6.html
お父上様、ご存命とのこと、何よりです。

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